(13)654 『Wingspan 第一章 箱庭の鳥は翼をもがれ』

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「ううっ……」

真冬の海中へ引きずりこまれるような痛覚で目が覚めた時
まだこの体には鼓動が鳴り、かろうじて血が通っているのだと知った。
末端まで石のように冷えた身体。
己の腕できつく抱きしめ、それでもこの確かな痛みで現実なのだと、認識する。
痛みは襲ってくるものの思考回路がうまく回らない。
大切な事があった気がするのに、深いもやがかかったような……

ぼんやり辺りを見回すと、灰色を基調とした、殺風景でがらんとした部屋。
無機質な印象しか与えない机。パイプ椅子。
剥き出しのコンクリートに無造作に投げ出された身体をゆっくりと起こす。
肋骨がきしみ悲鳴を上げ、嫌な汗が背中を伝う感触は里沙の不快感を助長するしかない物であった。

この場所は里沙には見覚えがあった。
間違いなくここはダークネスの……



「……お目覚めかしら?」
「―――ひっ!!」

ぎしりとパイプ椅子が軋む音と共に、背後から急に声を掛けられ、里沙の体は驚きで跳ね上がる。
と、同時に全身に迸る、差し込むような激痛で再びうずくまった。

「そんな吃驚しないでよ、私、ずっとここに居たんだし」

いつか顔を合わせる日が来るだろうとは思っていたけど、こんな形とはね。

そう告げる、里沙にとっても聞き覚えのある低い声。
パイプ椅子に悠然と腰掛けたスーツ姿の女はただ、淡々と事務処理でも行うかの如く里沙に話しかける。

今まさに覚醒したばかり、自身の置かれている状況すら理解し得ない里沙を見やる
女の表情からは何らかの感情すら窺い知ることは出来ない。

「覚えているかしら?何故ここに居るか。どうやってここに来たか」

どうやって―――?

……素直に女の言葉どおりの行動を取るのは癪だが致し方ない、そう判断した。
記憶の最後には、ひと気のない夜道。
対峙する女。そして―――……



「っ……皆、はっ!!」

搾り出した声は、発生させた本人ですら驚くほど、悲痛な響きを含んでいた。

可能性は低い。だが―――もしもあの時。
己の心の声が誰かと共鳴していたならその人物は間違いなく動くだろう。
……そういう子たちだ。
そして探査中、粛清人と見合っていたとしたら―――


「さぁ、Rはあの通り、血の気が多くてね。
 手加減なんて出来ないの知ってるでしょ?
 ……それより目覚めてみれば、まっ先に自身の心配よりあの子達を心配をするのね、あなた」

これは可笑しな物を見た、といった風に薄く女は笑む。
実際は里沙の『生きたままでの回収』が目的だった。
任務を強制的にではあるが終了させた粛清人は帰還しリゾナンター達と相まみえる事はないのだが、
そういうことで里沙の心情を逆撫でできることを知っている。
女は嘘は言っていないけれど、真実も言っていない。


(仲間の心配をして何が悪いんだ―――……っ!!)



その笑みに不快感が胃の底から上がってくるのを感じる。
大切なものを貶された不快感。否定された嫌悪感。

ありったけの力を振り絞って睨みつける。無言の抵抗。

記憶の最後を覆い隠すような、薄ぼんやりとした霧が晴れていく。
あの時、粛清人が現れて、それから―――――負けた。
意識の触手を潜り込ませ、女の精神に孤独を思い出させ。
だが、決定的なとどめをさすことは出来なかった。

(お願い、どうか無事で居て……)

己が巻き込んでしまったかもしれない彼女たちを想うとなおさら今、ここでいいようにされるわけにはいかない。
必死で状況打破に繋がる糸口を探す。
女に対する最大限の警戒は解かぬまま。


「Rを止めるのが遅くなったけれど、随分洗脳の能力を使いこなせるようになっているようね。結構なこと。
 ……実は」

女が語りだす。里沙のその剥き出しの敵意には大して興味もない様子だ。

「新垣里沙、お前が改心し組織に戻るというなら
 先だっての無礼を赦す、という話が浮上している」



訪れる、静寂。

再び忠誠を尽し、駒と成れ。
頭を垂れ、主の前に傅け。

傍らに携えていた文庫本――里沙が目覚めるまでの退屈凌ぎだったのだろう――を机に伏せ置き、
女が持ちかけてきたのは唐突とも言える取引。

指先まで冷え付いているはずなのに、きつく握られた手は発汗し。
色んな想いがめまぐるしく里沙の中で暴風雨の如き凶暴さとなって暴れている。

赦す。……赦されて何になる?裏切る。……一体何を?
そもそも、自分はどちら側に帰属しているのだろう―――

「…………」
「だんまりか。まぁいいでしょう」

その一言が切欠となる。
先に仕掛けたのは里沙。
女に向け意識の触手を伸ばす。そこに込めるのは、紛れもない敵意。

だが女にもそれは気付かれているようで、心の入り口はロックされている。
無理矢理その先をこじあけようと懸命にもがく、里沙の思惟。

「ふぅん、成程。答えは聞かなくてもよさそうね」

組織に牙を剥いたものの末路を知らないわけでもないでしょうに。
それはまるで、手のかかる子供を窘めるかのような。



……だが、精神に入り込もうと牙をむく意識の触手、それは囮!


【 能力はね、イマジネーションなんだよ 】

(安倍、さん―――)

ギリギリの状況で思い浮かべたのはあの人。
あの日の言葉が里沙の心にフラッシュバックしたかのように舞い戻る。

イマジネーション。
想像することで全ては創造される、と手を取り指導してくれた。
心を鍛えることは、そのまま精神の基礎体力となり柔軟性になると。

想像。そして創造。形は違えども、精神系の能力者が辿り着く到達点。

ゆらゆらと里沙から立ち上るオーラ。
光を宿す眼光は、切り開くべき未来を見据える。

(負けない、負けたくない!死ぬわけにはいかない!こんな所で!)



イマジネーションは無限。全ては想像することで創造される。
里沙がイメージしたモノ。それは―――

太さで例えるならば、常々能力の行使に使用する、相手の精神を雁字搦めにし
支配権を握る為の拘束具がロープとすると、対してこちらは蜘蛛の糸。

細い、細い、銅線より、ピアノ線よりも細い、圧倒的不利な状況である里沙の活路にも似たそれ。

大きな標的に意識を裂かせ、伏兵の存在を隠蔽する。
ピンと張られたそれを、隙さえあれば弾丸のように撃ち込む!
気配を押し殺し、契機を待つ。
女の精神のロックが一瞬でも緩む、その瞬間を。


「そうそう……本来ならありえる筈もないと思わない?この話。
 実は裏があるのよ。
 上に持ちかけて強引に通した人物が居る―――新垣里沙、あなたもよく知っている筈」

裏ならばそんなに簡単に露見させていいのかという思いの外に
それに該当する人物を想像してしまう。
彼女なら言い出しかねない、と。


里沙は願う。まさか、そんな筈はないと。
ただの狂言であってほしいと。
がり、と爪がコンクリートを引っかく音が微かに響く。

「…………ま、さか」
「物わかりが早くて助かるわ。
 ―――安倍なつみを裏切る事ができるの?信奉者のあなたに」

安倍なつみ。
その名前を出されたとき、ピンと緊張に張り巡らされた里沙の心は揺らぐ。
ぐらりと地面が歪む感覚は錯覚だと理解はしているのに
反して足が崩れていきそうな感覚は正しく動揺から来ているのだろう。

彼女が、戻ってくることを望んでいると女は告げる。

憧れ、恋にも似た焦燥を抱く里沙にとっての恩人であり、唯一絶対神が。

「……嘘、だ!」
「残念ながら、事実。彼女はそれを望んでいる。
 全く、随分目を掛けてもらって、更に便宜を図ってもらって……」

そう、発した瞬間。
女の心の隙間がほんの少し、揺らいだ。

(……今っ!)

女の意識の入り口へ潜る弾を撃つ!
そして、マインドコントロールを開始。


安倍なつみの名を出すことは、女にとって武器でもあり同時に急所でもあった。

今にも切れてしまいそうな触手1本で女の意識を司り操るべく深層心理へ潜り、情報を引き出す。

(早く)

女の深層心理。
四角く薄暗い部屋の中。
辺りに舞い散る白い羽。
但しそれは、空中で浮かび上がったまま。……刻が止まったまま。

(どこ)

女がいた。
どこか虚ろな視線を彼方へ投げかけ―――
瞬時に蜘蛛の糸に更なる意思を込め、女を拘束するべく巻きつける。

(支配、する!)

素早く、女の全身に絡みつく糸。
女の表情は―――  笑っている!?

(やった、の?)



刹那。

―――トンッ

「小細工も上達したようね」

首筋に起こる打撃による衝撃。
里沙には見えなかった―――女の太刀筋。
同時に里沙の身体は気絶前と同じ様に地に伏せられ、腕を捻り上げられる痛みに泣いた。

「発想は良かった。だけどあんな細っそい術じゃ、破ってくれといっているような物」

視界がぶれる。脳がぐらんぐらん揺れ、後頭部から発する女の声色が凍て付くような響きを持つ事が
再び抗い洗脳を試みようとする心を萎えさせる。

里沙が女を拘束するその数瞬前。
女は侵入された他者の意識にとっさに時間停止を行使した。
強制的に停止される里沙の全て。
そして首筋―――延髄への手刀。
延髄は脳に直結している。洗脳とも呼ばれるマインドコントローラーは当然、脳を介し行使する能力。
そこを攻撃されると―――

もちろん普段通りの操りなれた意識の触手で女の本体を拘束できていたならば結果は真逆になっていたことだろう。



「……殺すのですか、私を」

つい口にしてしまったがそれは愚問にすぎない。
一度ならず、二度までも抗命した者だ。
此処は反逆者を始末するには適性がありすぎる。

「あら、死にたいの?」
「はっ。この状況、選択肢はあってないようなものでは?」
「可愛くない娘ね。……出された選択肢を勘違いされては困る。
 再度問おう。……いや、上層部としての命令だ。
 戻って来なさい。こちらへ」


一瞬、保身――― も考えた。
今、組織に戻ると言えばこの場では命が繋がるかもしれない。
だが、このやり場のない程苦しい、胸の内から発する悲しみが鳴りやむ事はない。

里沙は思い出す。

未だ幼かった己を拾い、庇護し、指導してくれたあの人。
たった今、やはり己の中には彼女の教えが脈々と流れているのを実感させられた事。
舞うように戦う、美しい姿は瞼を閉じれば思い出せる。
彼女を想い、涙が止まらない夜もあった。



正しくかけがえの無い、過去の思い出。
ある時まで、安倍なつみの存在は確かに里沙の全てだった。

だが―――それもセピアに色褪せた、古いキネマのフィルムの様で。

リゾナンターとして過ごした日々。
皆と語り合った未来。
同じ目線で語り合える存在。
なつみとはまた違う優しさと温かさ。
その全てがきらきらと煌き、ただただ眩しく、里沙の闇を照らす。

そう、全て前から知っていた。
ただ、認めたくなかった。
認めると全てが壊れてしまうのなんて判りきっていたから。

いつからか……ですら定かではないが決めていたのだ。
共に生きるべき仲間たちの事を。

例え、ここで命が燃え尽きようとも。
嘘はつきたくなかった。
それは、女に対してでもあり、自分自身に対しても。



あの時信じてくれた仲間を、今度は自分が信じる。信じ抜く。
絶対にもう間違えない!


ドクン。
心臓が、一際大きく震える。




   「私は ダークネスには戻らない!」





ぴくり、女の眉が里沙の宣言を受けて反応を示した。だがそれも一瞬。

「私は、リゾナンター!仲間を信じ、共に生きる者だ!」




そんな里沙の啖呵をただ冷ややかな視線を崩すことなく眺める女。
ぎり、と里沙の細腕をさらにきつく捩り上げる。

「……くだらない。信じる、なんてまやかしに過ぎない。真理を知りなさい」
「そんな事はない!信じることで理解しあってきたんだ!」
「……人は決して解り合うことなんてできないわ」
「やってみないとわからない!私たちなら出来る!
 リゾナンターは悲しみを乗り越える!」

絶望の暗闇の中を恐怖に打ち勝ち、前に踏み出すための決意。
    ―――――――誰だって何かを変える時は怖い

仲間を守りたいという意思。
    ―――――――今だってほら、竦みそうになる心を必死に堪えているんだ

災厄の元凶となってしまったことへの責任。
    ―――――――でも、この手で決着をつけなければならない

存在意義を全うするための意地。
    ―――――――私が、私であるために


今、支えてくれているのは……『安倍さん』じゃない。
生きているのは『過去』じゃない。
全て、『現在』なんだ。



「随分言うようになったじゃない」
「あなたは、信じていないのですか?―――仲間を」
「……さぁ。どうだったかしらね……」

ここに来て始めて、女の弱々しい声色を耳にした気がする。
同時に、腕を放され背から女の重さが失せる感覚。

「残念ね。あなたはもう少し利口だと思っていたけれど……見込み違いだったかしら」

何故、そんな行動を取るのか。
自由になった腕を擦りながら分析する女への印象は相変わらず意図の読めない女だ。

その台詞を最後にドアノブに手が掛けられ退出しようとする女。
ノブに触れた手はなかなか動こうとはしなかったが、覚悟を決めたようにがちゃりと金属の擦れる音だけが世界の全てとなる。

けれどそうして扉を開くよりも前に、不意にぽつりと声が届いた。
それは哀しいくらい小さな吐息で。

ただ、一度振り向き。

「さよなら、新垣里沙。次に会う時はその考えも改まっているでしょう」



鍵が掛けられる音が重く、響き渡った。

ふぅー と大きな溜息。
腕や足を拘束されてはいない。
それどころか、長袖で隠されている「武器」もこの手にある。

落ち着け。
戻らなきゃ。
皆の処へ。
そして、笑って、迷惑掛けてごめん、って――――

そう決心したのと、里沙の身体に異変が起き始めたのはほぼ同時だった。

「あ・あ、あああっっ……!!」

(いた、痛……目が、肺が、皮膚が……全身が……痛い……!)

吐く息が、ひゅうひゅうと空気音を立てる。
気道がひりつく痛みを訴え、一秒単位でその痛みは全身を駆け抜け増殖していく。

「あ・あ―――」

僅かな空気音が室内に反響するが、里沙の耳には届かない。



里沙は暴れる身体とは裏腹な心中にて、静かに覚悟を決めた。
それは覚悟、と言ってしまうか、諦め、と言ってしまうか迷うが。
先ほどまではあんなに強気だった心が一気に折れる。

最後の記憶を手繰り寄せると己が置かれた状況を察するのは容易い。
……逃がすつもりは無いのだろう。

記憶の最後に残る、仲間たちの顔。
裏切り者を受け入れてくれた、必要だと言ってくれた、最高の仲間。

(今度こそ、さようならかもね)

じわり、痛みからではない涙が滲む。

(みんな 大好きだったよ……)

もう既に過去形になってしまっていることに胸が痛む。
だが今までと、これから。
彼女たちが負うであろう傷が少しでも減るのなら、この身に受ける傷はどれだけでも引き受けよう。

「馬鹿」も「最悪」も何度だって言ってきたのに
たった一回の「大好き」が言えなかった。



死神に挨拶されることは今までにも幾度となくあったはずなの
に。
今回はしっかりとその手には鎌を携えているようだ。

一度犯した過ち、それは消えることなどない。
過去もまた、覆ることはない。
例え時間を止めても、何も問題が解決したりするわけではない

愛の笑顔が脳裏を横切る。

あなたに出会わなければ、こんな悲しみは知らなかった。
でも、あなたに出会わなければ……こんな愛しさは知らなかっ
た。


溢れる涙は床に零れ、声にならない叫びの痕跡となった。




   *    *    *



<同時刻:喫茶リゾナント>

屋外の闇が侵食したかのように静まりかえる店内。
一階同様、二階・地下にも人の気配はない。

―――カタン

所有者のお気に入りであったカフェモカを最後に淹れたのはいつであったろうか。

かつて、愛が里沙の為に用意したマグが音もなく割れ、
破片が重力に身を委ねる事で発生した音はことさら静寂に響く

これから起こる何かを予兆するかのように。




   *    *    *
                   『Wingspan 第一章  箱庭の鳥は翼をもがれ』





















最終更新:2012年11月25日 15:48