(14)838 『蒼の共鳴-翼をもがれた銀翼の天使-』

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ダークネスの居住棟の一角、お世辞にも広いとは言えない“主”のいない部屋。
明かりが点いていても何故か暗く感じる部屋に置かれた、粗末なパイプベッド。
ベッドの縁に腰掛ける女性は、この部屋の“主”が帰還する瞬間を複雑な想いで待っていた。

年齢よりも幼く見えるとかつての仲間達や、“主”に言われたその顔は、深い翳りを帯びて女性を年相応に見せていた。
時計から奏でられる秒針の音が煩いと感じる程、静かな部屋。
“主”の顔は見たかったが、別の意味では見たくない。

今迄何度か、この部屋の“主”はここに帰ってきていた。
だが、今までの一時帰還と今回の帰還は違うものだということを女性は知っていた。

間違いなく“主”は涙を流して帰還する。
その涙を受け止めることこそ、女性に出来る唯一のことだった。

部屋の中心に集まる、闇の気配。
女性は立ち上がり、その闇の傍へと立った。
刹那、女性の前に立つ一人の少女。

―――深い悲しみを顔に浮かべながら、この部屋の“主”がたった今帰還した。

“主”の視線が女性を捉える。
女性を認識した途端“主”の瞳から大粒の涙が溢れ出した。


「安倍、さ、ん…」

「…おかえり、ガキさん」


女性―――安倍なつみを呼ぶ声は、涙に乱れて所々ぶつ切りだった。
もっと気の利いた言葉をかけてあげれないことに悔しさを覚えながら、なつみは“主”―――新垣里沙を抱きしめる。


なつみの腕の中で声をあげて泣く里沙。
その泣き声の余りの痛々しさに、耳を塞ぎたくなる衝動を堪えながらなつみはその華奢な背中に回す腕に力を込めた。
少しでもいい、里沙の心を吹き荒れる悲しみの嵐が早く過ぎ去ればいいと願いながら抱きしめ続けるなつみ。
だが、それが儚い願いであることをなつみは誰よりも知っていた。

この首に巻かれた拘束具が恨めしかった。
これさえなければ、今頃里沙は純粋に彼女達の仲間としてダークネスと戦っていたはずだった。
自分もひょっとしたらかつての仲間達へ反旗を翻し、里沙や彼女達と共に戦っていたのかもしれない。

だが、何を言ってももう、戻ることは出来ない。
この首に巻かれた拘束具が外れることはないし、今泣いている里沙の悲しみは自分では拭えないのだ。

里沙と彼女達に隠された“秘密”を知った時に、行動を起こしていれば。
そしたら今とはまるで違った未来があったに違いない。
あの時に時を戻せるのならば、そこからやり直したかった。

それこそは、叶わぬ願い。


―――泣き続ける里沙の声は一晩中止むことはなかった。


夜が明け、そして里沙は泣き疲れて深い眠りに落ちた。
涙の跡が残る頬をそっと拭い、なつみは里沙をベッドに運んで横たわらせる。

里沙は起きたらまた号泣するだろう。
聞く者の心を激しく揺さぶる、切なすぎる声を上げながら。

その時はまた、里沙を抱きしめてあげることしか出来ないのだ。
どんなにその涙を止めたいと思っても、例え言葉に出してもそれが叶うことはない。
かつて“M”最強の能力者と謳われ、不可能をも可能にする言霊能力を行使する銀翼の天使として恐れられたなつみ。


能力を封じられたなつみは、ただの人でしかなかった。
言葉を発するだけで全てを叶えてきた魔法使いは、もう何処にもいない。

己の無力さに打ち拉がれながら、なつみは自室へと戻った。


目が冴えて眠れる気がしない。
耳の奥に残って消えることのない、里沙の泣き声。
体は疲れて睡眠を欲しているというのに、目を伏せてじっとしていても眠気が来るどころかどんどん目が冴えてくる。

何もしてあげられない自分が悔しくて、辛くて。
無力な自分を生かし続けるために、掴みかけた彼女達の手を離して帰ってきた里沙。
そこまでしてくれた里沙に対して、自分は本当に何もしてあげることが出来ない。

なつみの瞳に涙がせり上がってきたのと、ドアを控えめにノックする音が部屋に響いたのは同時だった。
慌てて袖で涙を拭い、なつみはドアを開ける。


「安倍さん、大変です、ガキさんが…!」


そう言って部屋に飛び込んできた、一人の女性。
肩より少し長い栗色の髪にどこか愛嬌のある顔立ちが印象的な女性を、なつみは素早く部屋に引き込んでドアを閉めた。


「麻琴、どうしたの?ガキさんが一体どうしたっていうの?」

「どうしよう、ガキさんが、ガキさんが…!」


なつみの問いかけに、女性―――小川麻琴はまともに返事をすることが出来ないままどうしようと言い続けている。
その尋常じゃない様子に、これはただ事ではない事態が起きようとしているのだと思いながら、なつみは麻琴が落ち着くのを待った。
今の麻琴に声をかけても、すぐにまともな返事を返せないことは分かるから。
ただ、少しでも早く落ち着いて欲しかった、例え自分には何も出来ることはないと分かっていても。

数分後、何とか落ち着きを取り戻した麻琴。
麻琴はなつみの方を向いて、静かに言葉を紡ぎ出した。


「…ガキさんが一週間後に海上の牢獄へと収監されることが決まったって、さっき石川…Rがあたしに得意気に話してきたんです。
あんなとこに収監されたら、もう二度とガキさんには会えなくなる…」

「…何のためにガキさんをあんな所に…」

「ダークネスのスパイでありながらリゾナンター達と心を通い合わせようとしたガキさんを、“処理”するためだそうです」


麻琴の言葉に、なつみは戦慄いた。
ダークネス内でたまに使われる、処理という言葉が持つ意味は。
ダークネスきっての精神系能力者吉澤ひとみの手によって、完全なる闇へと精神を塗り替えさせられるということだった。

ガキさんを処理に回してもさほど戦力になるはずないんだけど、という少々失礼な麻琴の呟きは表向きは正しかった。
里沙の洗脳能力とそれを駆使した戦闘術スキルは、ダークネスの下級兵くらいなら軽くあしらえるレベル。

だが、その程度の能力レベルではダークネスにとっては大したプラスにはならない。
幹部クラスの劣化クローンには及ばない程度の強さ、その程度の能力者をわざわざ処理する理由は薄い。
元の能力がそこまで高くない能力者を闇に染めても、劇的な強さを持った者に生まれ変わるわけではないからだ。

刹那、なつみの脳裏を過ぎる過去の記憶。
自分ともう一人の今はもうここにはいない“仲間”以外に、もしも里沙に隠された“秘密”を知っている者がいたとしたら。

―――里沙を利用しないわけがなかった。


このままでは、悲しい未来がいずれ訪れてしまう。
闇に染まった里沙と、本来里沙と共に在るべきである彼女達が戦い殺し合う未来。

何としてでも、その未来を回避しなければ。
なつみは必死で考える、その未来を回避するためにはどうしたらよいのかを。


「…何とかして、えーっと、リゾナンターでしたっけ、彼女達に教えてあげられたらいいんですけど…。
あ、でも、教えても彼女達の能力レベルじゃ海上の牢獄に辿り着く前に返り討ちにされちゃうか…あー、もうどうしよ」

「教える……そうか、それだ!
麻琴、大事なお願いがあるの」


麻琴の言葉がヒントとなり、なつみの中に生まれた一つの案。
その案は大きなリスクを伴うが、上手く行った際には自分の思っている以上に結果が跳ね返ってくるはずだ。

神妙な面持ちのなつみに何ですかと聞き返してくる麻琴。
なつみは耳貸してといって麻琴の耳元に唇を寄せる。
この部屋が盗聴されていない可能性は限りなく低い、だがそれでもなつみは麻琴の耳に唇を寄せて言葉を紡ぐ。
なつみの言葉に、ふんふんと頷く麻琴。

なつみが言葉を紡ぎ終わるのと同時に、麻琴は真剣な顔で頷いた。
その頷きは、なつみが伝えたことを何とかして叶えてみせるという意思表示。
自ら動くわけにはいかない以上、今は麻琴に賭けるしかなかった。

麻琴がなつみに言われた通りのことを、ダークネス幹部クラスの人間にさえ勘づかれることなくやり遂げてくれれば。
彼女達に里沙の今後、そして里沙を救い出すために彼女達がやらなければならないことを伝えられる。


なつみの言葉を信じて行動してくれれば彼女達は今までとは比べものにならない力を手にし、
その力を持って里沙を救い出してくれるはずだ。
そして、里沙と共に…ダークネスがこれから起こすであろう世界を震撼させる惨劇を食い止めるために戦ってくれるはず。

だが、大きすぎるリスクに多少の躊躇いを覚えないわけにはいかなかった。
麻琴がなつみに言われたことを完遂できる保障はないし、実行時に誰かに嗅ぎつけられでもしたら。
自分の命どころか麻琴の命も危うい、否、確実に自分も麻琴も処刑されるであろう。

洗脳して自分達の思うがままに操れぬ強力すぎる能力者を生かしておく理由はもうない、里沙は任務を終えたのだから。
そして、麻琴はなつみの企みに荷担した造反分子という、処刑するには格好の理由が出来てしまう。
今、せめて全盛状態の1割でも力を使えれば、麻琴を巻き込まずに一人でどうにかすることが出来たのだが。

仮に、麻琴が何とかそれを完遂してくれたとしても。
なつみの言葉が信じて貰えるとは限らないし、信じてくれたところで。
彼女達が自分の意思を完全に継いでくれるとは限らなかった。

彼女達が力を手に入れることは、彼女達が今まで知ることのなかった自分達に隠された秘密を知ることになるということである。
その秘密を知っても尚、彼女達が里沙を救い出すため、そしてダークネスの企みを打ち砕くために動いてくれるかは分からない。
ひょっとしたらその秘密の重さに耐えかねて、戦うことを放棄して何処かに行方をくらます可能性だって考えられなくもなかった。
今はただただ、彼女達の心の中で輝やいているであろう“光”を信じるしかない。

銀翼をもがれ、ただの人でしかなくなった自分が里沙のためにしてあげられることは余りにもちっぽけで。
しかも、自分の思う通りに事が運ぶ可能性はかなり低い。
それでも、何もしないでこのまま終わってしまうわけにはいかなかった。

麻琴が部屋を出て行き、沈黙が部屋に訪れた。
沈黙の支配する部屋の中、なつみはベッドの端に腰掛けて思考する。


かつて“M”がダークネスへと変貌を遂げるよりも前に“M”を離れて消息を絶った一人の仲間。
その仲間と彼女達を接触させることが出来れば、最悪の事態は脱することは可能なはずだ。

おそらく、彼女は…自分の記憶が確かならばあの場所で一人でずっと待っているに違いない。
ダークネスに対抗しうる潜在能力を秘めた彼女達が、真実を知りに訪れる日が来ることを信じて。
そして、ダークネスのことを殆どまともに知らない彼女達がダークネスと対抗するために必要な力や技術、
知識を授けるために日夜研究を続けているはずだ。

その仲間もまた、数少ない…里沙と彼女達に隠された秘密を知る者だから。
ある日忽然と姿を消すその前日まで、なつみと共に光を掲げて戦い続けた人だから。
その心に宿す光で必ず彼女達を導いてくれる、そう信じて。


―――なつみはそっと目を伏せて、麻琴の無事を祈った。




















最終更新:2012年11月25日 16:58