放っておいてほしいわ、本当。
正義とか悪とか、そんなものには興味なんてないのよ。
でも―――場合によっては、口を挟むこともあるかもしれないわね。
『永遠殺しの傍観者-The anti-eternal onlooker-』
星一つすら見えない夜空だった。
あたしは一人、壁に寄りかかって砕けたガラス片が散らばる窓から夜空を見上げていた。
荒れ果てたビルは埃くさくて、顔をしかめたくなるけれど。
とりあえず雨風はある程度は凌げるし、浮いた宿代でお気に入りのブランデーも買えた。
後は、“喧嘩”を売ってくる馬鹿者がいなければかなり上等な夜になるだろう。
瓶に直接口を付け、一口二口喉を鳴らしながら飲む。
ビールでもないのにそんな飲み方をするなんて、と酒好きが見ていたらそう言って嘆くに違いない。
もっとも、嘆かれようとも怒鳴られようとも知ったことじゃないけれど。
もうじき、野宿をするのも厳しい季節がくる。
いい加減自分の“城”へと戻って、この時季だけでもゆっくり過ごしてもいいだろう―――何者かに占拠されていなければ。
心地よい酩酊に、目を伏せていた時だった。
何者かが近づいてくる足音に舌打ちしながら、あたしはブランデーの瓶に蓋をして地面に置く。
まだ目に見える範囲に“侵入”してきていないというのに、まるですぐ傍にいるかのような―――殺気。
「こんばんわ、保田さん」
「…あんたは?」
「私は―――魔女」
目の前に姿を見せた女は、そう言って婉然と微笑んだ。
しかし、この女は一体何者なのだろう。
会った記憶はないのに、向こうはあたしの名前を知っている―――ひょっとしたら、女はかつてあたしが属していた組織の人間なのかもしれない。
面倒なことになりそうだ、なんて思いながらあたしは女を睨み付ける。
大概の人間はこの一睨みで萎縮してしまうというのに、女は顔色一つ変えなかった。
「そんなに睨んだら、せっかくの美人が台無しですよ」
「あんたみたいに整った顔の人間にそう言われると、ただの皮肉にしか聞こえないわね。
で、用件は?」
大方、この女も―――あたしの持つ“技術”を求めてやってきたのだろう。
組織を抜けても尚、こうしてあたしのもつ技術に縋り付いてくる能力者は後を絶たない。
その度に能力者達を撃墜しながら、あたしは組織から逃げ続けていた。
何かに属するということは、時には自分の意思や信念を曲げることがあるということ。
最初のうちはよかったのだ、ただただ自分や自分の技術が必要とされていることが嬉しかったから。
だけど、いつしか、思うような物を生み出すことよりも組織のために必要な物を生み出すことを強制させられた。
能力者の能力を引き上げる増幅装置、複数の能力を同時に行使することを可能にする制御装置。
座標を指定するだけで何処にでも飛ばすことの出来る転送装置等―――これらの装置が何に使われるかを知った時、
あたしは組織から抜けることを決意した、例え、技術の流出を恐れる組織から刺客を差し向けられたとしても。
小さな頃から、機械弄りが好きで。
いずれは、何処かでこの特技を活かして生きていけたらとは思っていたけれど。
能力者という“化け物”をより強く禍々しい存在へと変える物を生み出したかったわけではなかった。
「用件は一つだけです、保田さん。
あなたのその技術で―――私の命を永遠のものにしてほしいんです」
「魔女だっけ…あんたは魔法使いだから分からないかもしれないけれど、世の中、
出来ることと出来ないことがあるのよ」
「対能力者用機器、能力者専用装備…あらゆる能力の原理に精通し、機械では到底再現するのは
不可能だと言われていた幾多の能力を機械で具現化してきたあなたに出来ないことなんてあるんですか?」
「出来ないことなんてない、それがあたしの信条。
正直に言うと、あんたの願いを叶えられるだけの技術力は持っているつもりよ。
でも、ね―――あんたの願いを叶えてやるつもりはないから」
「…交渉決裂ですね、困ったなぁー、それじゃあ―――言うことを聞く気になってもらうしかないか」
その言葉を最後まで聞く前に、あたしは素早く右に横転する。
刹那、あたしの体を掠めるように落ちてきたのは二メートル程の氷塊だった。
体勢を立て直す隙を与えない速度で、女は次々に巨大な氷塊を生み出してはあたし目がけて落としてくる。
所々ガラスの破片が落ちている床を転がり回りながら、あたしは徐々に女との間を詰めていく。
もう少し、後一メートル―――今!
あたしはその場に跳ね起き、拳を天へと突き出して頭上目がけて落ちてきた氷塊を粉々に砕いた。
あたしをただの機器開発者だと思っていたのだろう、女は目の前の事態に驚き目を見開く。
「…保田さん、機器開発しか出来ないただの人間だと思ってましたけど、結構体術いける人なんですね。
でも、身体能力だけで倒せる程、この氷の魔女ミティは弱くない―――今のうちですよ、さっきの発言を撤回するなら」
「―――あたしは同じことを二度言うつもりはない」
「そうですか、じゃあ、本気を出すしかないですね」
低い声と共に、女はあたしに向かって手を翳す。
先程までの巨大な氷塊ではなく、女を守るかのようにこぶし大の氷塊が無数に出現した。
刹那、氷塊は意思を持っているかのように次々とあたしの元へと飛来してくる。
あたしは拳と蹴りで氷塊を砕き続けながら、女の様子を窺った。
本気を出すと宣言した割に、どこか力を押さえているように感じさせるその冷静な表情。
氷使いという能力が彼女を冷静な人間にしているのか、それとも元々の性質なのか。
あたしは女に知られないようにいつでも自分の“能力”を解き放てる状態を保ちながら―――ニヤリと微笑んでみせた。
この程度なの、そう言わんばかりの挑発的な微笑みにようやく、女の顔に感情が浮かぶ。
それは、怒り。
個人差はあるが、能力者は自分の能力に対して強い自信を持っている。
自分の能力を嘲笑われて平静を保っていられる能力者は、あたしが知りうる限りまずいない。
女は一旦攻撃の手を止め―――今度は、無数の氷の刃を生み出した。
さすがにこれは、さっきのように拳で砕くなんて真似は出来そうもない。
かと言って、この無数の氷の刃を全て避けきれるとも思えなかった。
お気に入りの服を赤く染めるわけにもいかないし―――そろそろケリをつけるべきだろう。
“能力”を解き放つタイミングが訪れないならば、自分で作り出せばいいだけのこと。
あたしはさっきよりもさらに、笑みを深くしながら口を開いた。
「ミティだっけ、あんた、何で永遠の命なんて欲しがるわけ?
いつまでも美しく若々しい姿を保ちたい、とか?」
「…かつて、私にはこの命よりも大切な存在があった。
彼女だけいればそれでよかった、なのに、彼女は病気で呆気なく死んでしまった。
私が永遠の命が欲しいのはただ一つ、いつ生まれ変わってくるともしれない彼女を待ち続けたいだけ」
「へぇ、随分ロマンチックな理由だね…輪廻転生なんて信じてるんだ。
でもね、輪廻転生なんてありえない、遺伝子のいたずらで彼女によく似た人間が生まれてくることはあっても、
あんたの大切だった彼女はこれからどれだけ生きたってもう二度と会えないんだよ」
「うるさい、うるさい!!!!!!」
「大人しく自分の生をまっとうしな、本当に輪廻転生ってやつを信じてるならあんたも死んで生まれ変わればいい、
本当に神様なんてものがいるならあんたと彼女を次の生で引き合わせてくれるに違いないから」
「うるさい、私は、私は―――永遠が欲しいんだ!!!!!!!!!!」
その叫び声と共に、女はあたし目がけて氷の刃を解き放つ。
だけど、その氷の刃が届くよりも先にあたしは能力を解き放った―――“時間停止-タイム・サスペンション-”を。
能力を解き放ったと同時に、女を中心に半径三メートル以内の空間はこの世の全てのものに平等に降り注ぐ
時の流れから完全に切り離され、停止した。
憤怒の形相のまま固まっている女に、あたしは哀れみの目を向けずにはいられない。
「他の願い事だったら、場合によっちゃ聞いてあげなくもなかったけどね。
あたしは―――永遠を殺す者。
今も尚全てのものに平等に降り注ぐ、永遠とも呼べる長いこの時を自在に切り取り、停止させることが出来る能力者。
もっとも、あんたはそんなこと知るわけないか…それにしても、とんだ笑い話だわ。
永遠に抗い、永遠を殺す者に永遠の命を求めるなんて」
あたしは女に背を向けて、ゆっくりと歩き出す。
女の来訪があるまで立っていた場所へと戻り、ブランデーの瓶を拾い上げた。
もう、ここには留まれない。
時間を切り取り停止させるという最強の能力の一つと言える能力を行使したのだ。
女が結界を張っていても、向こう側からしたら十分感知できたに違いない、瞬間的とはいえそれだけ巨大なエネルギーを放出したのだから。
面倒なことは避けたかった。
あたしはあたしとしての生を全うしたいだけだし、それ以上のことには何の興味もない。
この世界を支配しようと企む組織にも、そしてその野望を阻止しようとしている勢力も、どうでもよかった。
光も闇も、正義も悪も―――勝手に戦い続ければいい、ただ、そんなことにあたしを巻き込まないで欲しい、それだけだ。
「今回も見た目とは裏腹に派手にやっちゃったねー、圭ちゃん」
「…後藤、あんた、見てたなら手伝いなさいよ。
あんたの能力の方が向こうから察知される可能性は低いんだから」
廃ビルから立ち去ろうとしていたあたしの目の前に現れたのは、あたしの舎弟を自称する能力者“後藤真希”だった。
栗色の髪をなびかせ、後藤はあたしの傍へと近寄ってくる。
何を考えているのか分からない表情を浮かべながら、悠然とした足取りで。
「えー、だって後藤の能力だって圭ちゃん程じゃないにしても、結構エネルギー反応大きいよ。
どっちが仕留めたところで、ここ出て行かなきゃいけなかったって思うんだけど」
「はいはい、分かった分かった。
後藤、そいつ―――始末して」
はーい、と言う間延びした返事と共に、後藤は時間の流れから切り離された女の方に手を翳す。
刹那、空間に“切れ目”が入り―――女はその切れ目の中へと吸い込まれて消えた。
“空間支配-スペイシャル・マスター”、その名の通り空間を支配する能力。
自在に空間を支配し、今の空間から全く異なる亜空間へと任意の者を転送し―――そこに閉じこめることの出来る能力は、
あたしの能力程ではないにしろ、かなりのエネルギーが放出される能力だった。
時を止められ、自らの意思ではけして抜け出ることの出来ない“牢獄”へと転送された女。
数年か、数十年か、あるいは数百年。
あたしの能力の効力が切れ、急激に動き出す時の流れに身体が耐えきれずに死んでしまうか、あるいは
それから逃れたとしても、けして抜け出ることの出来ぬ牢獄の中を死ぬまで彷徨うか。
いずれにせよ、永遠を望む愚か者に相応しい死に様だろう。
全てが終わった。
あたしは後藤を伴い、廃ビルを後にする。
折角心地よく酩酊していた夜なのに、後味が悪い。
「ねー、圭ちゃん、後藤思うんだけどさー、組織の人間もそれに敵対する人間も全部やっつけちゃえば、
誰にもこの生活を邪魔されないって思うんだけど」
「面倒くさいでしょうが、それに、さっきの女程度の能力者ならまだしも、幹部連中は一筋縄じゃいかないし…。
あたしは、降り掛かる火の粉を払う以上のことは基本的にしたくないわけ、分かる?」
「そりゃ、後藤もそれは圭ちゃんと同じだけど…でもさ、いつかは向こうだって本腰入れてくるかもしれないじゃん。
そしたら、どうしたって面倒くさいことからは逃れられないよ。
なら、そうなる前に叩いちゃった方が早くない?」
「…あのね、あたしは何よりも一番面倒なことが嫌いなの、もう、ああいう世界には金輪際関わりたくないの。
―――でも、組織にしても、他の誰かにしても、この生活を壊そうとするなら…その時は介入せざるを得ないわね」
溜息を付きながら、あたしはけしてそうならないことを祈るしかなかった。
ただ静かに生きていきたいだけなのだ、どちらかの勢力に荷担することなく、一切の争いに関わることなく。
こんなあたしは、能力者としても、一人の人間としても駄目な人間なのだろう。
その能力を行使し戦うことを嫌い、善や悪といった価値観を嫌い、ただ自分のことだけを考えて生きるあたし。
自分の思うがままに生きる、たったそれだけのこと。
でも、それを組織や、組織に対抗する勢力が邪魔するようなことがあるならば。
“傍観者”としての自分を捨て、戦いに身を投じるまでだ。
ブランデーの瓶を開け、あたしは中身を一気に飲み干す。
圭ちゃん飲み過ぎ、てか酒臭いーと喚く後藤の頭に拳骨を一つ落として。
「後藤、あんた金持ってる?」
「持ってないし、てか、圭ちゃんがお酒買わなきゃ今頃綺麗な宿のベッドでゆっくり寝れてたのにー」
「はいはい、あたしが悪かったわよ。
…後藤、走るわよ」
「えー、お風呂代わりに雨に打たれるのも悪くないって後藤は思うんだけどなー」
「このクソ寒いのに雨に打たれたら風邪どころか凍死するわよ、あんたは好きなだけ雨に打たれなさい、じゃあね」
「あ、圭ちゃん待ってよー!」
突如降り出してきた雨から逃れるように、あたしと後藤は夜の街を駆け抜けていった。
最終更新:2012年11月26日 21:00