(19)788 『いつか、青空の下で』

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「高橋さん」


その少女は、愛を一目見るなりそう呼んだ。それ自体は驚くほどのことではなかった。
共鳴能力者であれば、こちらが名乗る前に名前を知ることも不可能ではないだろう。
それよりも愛を戸惑わせたのは、親しみに満ちたその呼び方。あまりにも無防備なその笑顔。
初めて会ったはずなのに、なぜか懐かしさにも似た感情に襲われ、愛は少し困惑した。

「あなたは……?」

言いかけた愛の脳裏に、突然ある映像のイメージが浮かんだ。
夜の帳が降りた、見覚えのある駅のホーム。
そこにたたずむのは、いまよりも幼い少女。
そしてその傍らには、いまよりも若い自分。

目の前の少女が、この映像を直接自分の脳に送り込んでいるということが、愛にはすぐにわかった。
これも共鳴の力がなせる業なのか、それともこの少女も自分と同じ精神感応能力者なのか。
いずれにしても、少女の真意がわからず、愛は困惑の色を深めた。

映像の中の自分が、少女に話しかける。

――飛び込むんなら、次の電車にしてよね。あたし、帰れなくなっちゃうから。

言った。確かにそう言った、と愛は思った。
しかし、記憶のどこを探してもそんな出来事は存在しない。
奇妙な感覚にとらわれ、怪訝な表情を浮かべる愛に少女が告げる。


「私が“過去”に視た“未来”のビジョンです。あの日、私はあの駅のホームに行ったけど、
あなたは現れなかった。でもそれはしょうがないことだったんです。
もっとずっと前から、ボタンは掛け違えられていたんですから」

少女のしゃべり方には、関西特有の訛りがあった。
しかし、少女の言っていることが理解できないのは、その訛りのせいではないだろう。
怪訝な表情を浮かべたまま、愛は少女に問いかけた。

「過去に見た未来……?あなたは、なにを言ってるの?」

愛の問いかけには答えず、少女は静かに目を閉じた。
その途端、予想だにしなかった衝撃が愛を襲った。
先程とは比べものにならないほど膨大な量の映像が、一気に愛の脳裏になだれ込んできたのだ。

幾人もの、見知らぬ少女たち。その中には、自分の姿もあった。目の前の少女もいる。
日常の一瞬を切り取ったような風景が、スライドショーを早回しにしたように次々と映し出される。
みんな、笑っていた。無邪気に、楽しげに。
しかし、見ていると切なさが込みあげてくるような笑顔だった。
心に癒しがたい悲しみを抱えながら、それでもこうして屈託なく笑っているのだろう、と
愛は理由もなく思った。
そして、彼女たちこそが、自分が探し求めていた共鳴能力者なのだということが、愛には
はっきりとわかった。

不意に、愛は目眩を覚えた。
送られてくる映像の膨大さに、脳が追いついていない。
愛はふらつきながら、こめかみのあたりを手で押さえた。
それでも少女は映像の送信をやめようとはしなかった。



愛の脳裏に流れ込んでくる映像の雰囲気が変わった。
夜の街。少女たちの顔に憂いがさす。敵。闘っていた。
先頭に立っているのは、まぎれもなく自分。
傷つき、倒れる少女。慈愛の光。立ちあがり、また闘う。
来る日も来る日も、闘っていた。
なぜ、そんなに闘うのか。
問いかけても、映像の中の自分が、少女たちが、答えるはずもない。

目眩。いいかげん、立っているのが苦痛だった。
両手で頭を抱え、愛はひざから崩れ落ちた。
その瞬間、映像の送信がゆるやかになった。
愛の脳裏に、青空のイメージが広がっていく。

いつか、どこかで見たような青空だった。
流れる雲の向こうに、どこまでも深く、蒼く、澄み渡った空。

映像は、そこで途切れた。
束縛から解放されたように、愛は地面に両手をついた。
呼吸が乱れ、肩が大きく上下する。

少女がゆっくりと口を開いた。

「“彼ら”を止められる唯一の可能性を持っていた私たちは、出会うのがずっと遅くなってしまいました。
運命の悪戯と言うには、あまりにも作為的ですが」


少女の言わんとしていることが、愛にもようやくわかってきた。
少女が愛に見せたのは、かつて予定されていた“未来”。
そして“現在”となっては訪れなかった“過去”。
しかし、そんなものにいまさらなんの意味があるというのか。

少女はしゃがみ込み、愛の顔をのぞき込んだ。

「でも、まだ終わってません。それどころか、私たちの物語はまだはじまってもいないんです。
みんな、あなたと出会う日を、いまもずっと待っています」

少女の目が、愛を見つめていた。深い悲しみを湛えた目だった。
しかし、汚れてはいない。むしろ愛にはまぶしく思えるほど、純真さに満ちた目だった。

「未来は……私たちの、手の中にあるんです」

愛は、なんと答えればいいのかわからなかった。
聞きたいことも山ほどあるのに、言葉が出てこない。
少女がおもむろに立ちあがった。

「時間です」

少女の周囲の空間が歪み、少女の姿が徐々に半透明に薄れていく。
強制転送。
愛ははっとして、思わず声をあげた。


「待って!」

少女に向かって手を伸ばしかけて、愛は思いとどまった。
転送される空間に触れるのは、あまりにも危険な行為だ。

「高橋さん」

少女が微笑む。
胸を締めつけられるような笑顔だった。

「“未来”で待っています」

そう言い残すと、透き通っていた少女の姿が一瞬にしてかき消えた。

愛はその場にひざまずいたまま、少女が消えた空間を呆然と見つめていた。
少女に向けて伸ばしかけた手は、所在なく宙に浮いたままだった。

行ってしまった。ようやく出会えた、自分と同じ共鳴能力者。
しかし彼女は、一方的な言葉だけを残して消えてしまった。

愛は振りあげたこぶしを地面に叩きつけた。
そして、かつては舗装されたアスファルトだったであろういびつな砂利を握りしめる。
噛みしめた唇から、押し殺したような声が漏れた。


「“未来”なんて、どこにもないじゃない……!」

愛の周囲に広がるのは、見渡すかぎりの瓦礫の山だった。
人間の形を留めていない無残な死体が、其処此処に転がっている。
遠く望めば、かつては高層ビル群がひしめいていた景色も、いまでは荒涼とした原野のようだ。
力なく見あげた空は、いつ晴れるともしれない鉛色の雲が厚く垂れこめていた。

不意に、身体が震えた。
叫び出したい衝動に駆られ、愛は曇天をにらみつけた。
その刹那。

愛の脳裏に、少女が見せた映像の中の青空が広がった。
現実の空と、ビジョンの空が重なる。
耳の奥に残った少女の言葉がよみがえった。

――まだ終わってません。

もう終わったと思っていた。ただ、死にきれなかった。

――みんな、あなたと出会う日を、いまもずっと待っています。

映像の中の見知らぬ少女たち。自分と同じ共鳴能力者。
探しつづけていたのは、惰性に過ぎないと思っていた。
しかし、違った。
きっとどこかにいる“仲間”。その存在こそが、自分がいまなお生きつづける理由。
自分に残された、唯一の希望。



愛は、ゆっくりと立ちあがった。
風が吹きすさぶ。
長い髪がばさりと顔にかかった。

取り戻せるだろうか。
あの青空を。失われた“未来”を。

髪を払いのけるように、愛は風が吹いてくる方向に顔を向けた。
瓦礫の荒野。その先にあるものを、じっと見据える。

……取り戻してみせる。必ず。

一陣の風が、くすぶっていた愛の心にいま、希望の灯をともした。
出会いの日は近い。





















最終更新:2012年11月27日 08:47