(22)138 『A-gain 愛よ再び(2)』

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「愛ちゃん・・・」

そう呟いた里沙の声が月明かりに染まる工場跡に、静かに響いた。
それはとても安らぎとやさしさに溢れていて、
ある意味、今の状況には場違いな穏やかなものであった。

「ガキさん!愛ちゃんが!」

れいなは弾けるように叫んだ。里沙ならば何とかしてくれるかもしれない。
別に何か保障があるわけではない、保障があるわけではないのだが、
れいなの心情とは裏腹に落ち着いた里沙の声に、そう思わせるものがあったのだろう。
そしてさゆみも、れいなと同じ心境だった。

「ガキさん!愛ちゃんの傷がふさがらないの!今までこんな事無かったのに!」

さゆみとれいなの声を聞きながら、里沙は愛の元へ歩み寄る。
それが何とも落ち着いた、というより、緩慢な足取りに見えた。

―何で速く来ない?

れいなの胸に湧いた疑問は、里沙がすぐそばまで来た時に解消した。
ゆっくりとしか歩けなかったのだ。
薄暗い工場内であったため、近づかなければ分からなかったが
里沙もまた、酷い重傷を負っていた。
全身に打撲と裂傷、その上左腕があらぬ方向に曲がっている。
何というか、ぼろきれを人間の形に作り上げたらこうなるのではないか?
と、思わせるものがある。


―どうして、こんな体で立っていられる?
―いったい、何があったの?

れいなの胸に新たに湧いた疑問を余所に、里沙は愛の傍らにゆっくりと跪いた。
口の中で友の名を呼びながら、その頬を撫でる。

「愛ちゃん、よく、頑張ったねえ…」
「ガキさん、ねえ一体何があったと?何でそんな大怪我しとっと?」
「田中っち、あそこ見てみて」

里沙の視線の先は、壁だった。
その壁に直径1メートル程の穴がぽっかりを口を開けていた。
i914、高橋愛の『光』によって、粛清人Aの右腕を消し去るとともに作られたものだ。

「なん…あれ」
「愛ちゃんはね、勝ったんだよ。あの力をちゃんと使いこなして、
 凄く恐かっただろうに…本当によく…」
「ガキさん?」

里沙の言ってる事がいまいち要領を得ない。半分うわの空のような顔をしている。
ひょっとして落ち着いているのではなく、
取り乱すだけの余力も残っていないだけなのだろうか?

「ガキさん聞いて、愛ちゃんの傷がふさがらないの。
 いくら力を注いでも全然反応しないで外にこぼれていっちゃうの。どうすればいい?」

さゆみが、焦れたような口ぶりで言った。額の汗がぽたぽたと雫になって落ちている。

「それは例えば、お鍋の底が抜けちゃってるような感じ?」
「うん、それで愛ちゃんの生命力がほんの少ししか感じられないの」
「きっと愛ちゃんがさゆみんの力を受け取れないところにいるからじゃない?」


「どういうこと?」
「多分だけどね、どうにかできる」
「本当?」
「田中っち、手を」

そう言って里沙はれいなに左手を差し出した。

「握って」
「握れば…いいの?」

酷い傷があるのだ。指先まで血に染まっている。
粛清人Rのブーツによって骨が砕かれ、踵に仕込まれた刃は里沙の腕を貫通した。
ぐずぐずになった傷口から、ちらりと見える白いものは恐らく骨ではないだろうか。
れいなにはこの手を握って大丈夫なものかどうかのためらいがあった。

「平気よ、もう殆ど感覚がないから」

まるで他人事のように里沙は言う。
恐る恐る、手を握った。
さゆみの右手を左手で、里沙の左手を右手で握るという形になる。

「で、ガキさんどうするの?」
「お鍋の底をね、ふさいでくるよ」
「え?」
「愛ちゃんの中に入って、力を受け取れるところまで愛ちゃんを連れてくる」
「出来るの?そんな事」


新垣里沙の精神干渉という能力は、
基本的には己の意識の一部ないしほぼ全てを対象に潜り込ませるというものであるが、
その性質上、非常に用途が広範に渡っている。
対象を意のままに操ったり、情報を引き出すことのほか、
トラウマや精神的にもろい部分に刺激を与えてパニックに陥らせたり、
あるいは意識そのものを叩きつけてショックを与える等、様々な応用が可能である。
里沙が組織のスパイとして高橋愛の監視者に選ばれたのも、
彼女のサイコ・ダイブ能力に依るところが大きい。

この力で愛の精神の深奥まで潜り込み、愛の精神の本体、つまりは魂と言い換えても
いいであろう物をさゆみの力が届くところまで引っ張りあげようというのだ。

「治癒能力ってあとどのくらい使い続けられる?」
「れいなが手助けしてくれてるから後10分から15分くらいはもつと思うけど…」
「じゃあなるべく急がないとね」

里沙が愛の額に右手を乗せ、意識を集中し始めたところでれいなが口を開いた。

「ねえガキさん、もし…もしね、さゆが途中で力尽きちゃったら、どうなるの?」
「…その時は田中っち。みんなのこと、よろしくね」

れいなは息を呑んだ。
里沙はつまり、自分が愛の精神に潜っている最中にもし愛が死んでしまったら、
里沙の精神も一緒に死ぬと言っているのだ。
心響き合う仲間のうち、二人までも一度に失ってしまうことになる。
そして里沙自身、そうなる可能性が極めて高い事を自覚しているのだ。
サイコ・ダイブ能力で魂に接触するなどという事はかなり離れ業に近い。
それを、今の意識を保っているのが不思議なほどの重傷を負っている状態で、
さらにさゆみの体力がもつ間にやろうというのだから、無謀と言ってもいい。
しかし、それしか方法がないというのも動かしようのない事実であった。


「わ、私、ガキさんが組織の一員やったってこと、まだ許しとらんけんね」

れいなは我ながら何を口走っているのかと思うのだが、次々に沸き立つ不安が言葉を続けさせる。

「だ、だからね、ガキさん。…絶対に帰ってこんかったら承知せんけんね」

半分泣きそうになりながら、そこまで言い切った。
里沙は――

「うん、ごめんね」

と、言って。
透き通るような微笑をうかべた。
その時、れいなの中で何かが弾けた。
これが、この逼迫した状況のせいなのか、それとも里沙の笑顔のためか、
精神干渉能力の発動に無意識のうちにリゾナントしてしまったためのものかは分からない。
堰を切ったように感情が溢れ出し、遠い昔に閉じ込めたはずの記憶がフラッシュバックする。

―ねえ、ちょっとガキさん何で謝ると?
―何で帰ってくるって言ってくれんと?
―何でそんな笑顔でいられると?
―その笑顔。昔見たことあるよ、私。
―いつだったかなあ…ずっと、ずっと前だよ。
―そうだ、お母さんがそうやって笑ってくれたんだ。
―そうやって笑って、お母さんは帰って来なかったんだよ。
―ねえ、ガキさん。ガキさんはお願いだから、帰ってきて――


「ガキさん!」

れいなが悲鳴に近い声で叫んだと同時に、里沙は愛の精神へとダイブした。





里沙が愛の中に入ると、そこは工場跡だった。
直近の記憶がもっとも濃い場所だから、
愛の表層意識の風景としては当然といえば当然である。
里沙はすうっと意識空間の空気を吸って、自分の意識と混ぜ合わせ
ふうっと吐き出し、それを身に纏った。
愛の精神の中で里沙は異物であるから、余計な刺激を与えないように
愛の意識で出来たもので体を包み込むのだ。
表層近くならまだいいが、心の奥深くは完全に剥き身である。
それに異物が触れるとお互いに重篤なダメージがある。それを避けるためのものだ。

愛の意識で身を包む作業が終わると、次は背中から翼を生やすイメージをする。
今の里沙は精神体であるから形にこだわる必要はないし、里沙自身の姿である必要もない。
他人の姿でも、別に生き物の姿でなくてもいいのだが、
そういう姿をするにはそう思い込んでなければならないので
やはり自分自身のままであるのが負担が少ない。
今回は急ぐ為に翼を生やすのだ。翼が有ったほうが速く動ける、と思えばそうなる。
実際物理的にどうか、とかは関係のない話だ。

里沙の背中に、鷲か鷹を思わせる大型の猛禽類の翼が翻った。
彼女にとってはこれが最も速く飛べるイメージなのだろう。

「急がないと」

里沙は奥へ向かって(この場合は前だが、大抵は下である)飛び立った。
どこかにさらに深層へ行くための入り口があるはずだ。
その矢先、眼前から銀色の球体がうなりをあげて襲い掛かってきた。


―ヨーヨー!?

素早く壁を前方に作り出し、それを防いだ。
あまり強度を与えていないため、球体がぶつかると同時に壁が砕け散る。
その先に、粛清人Aがいた。
粛清人Aは黒の戦闘服に身を包み、値踏みするような視線を里沙に送っている。

―ガーディアンじゃないんだろうけど…厄介ねこれは

ガーディアンとは精神に侵入してきた異物を排除する働きを持った本能の僕である。
人体でいうと白血球の役割を果たすものだ。
里沙は巧妙に愛の意識を纏っているので異物とは判断されないし、
何より敵である粛清人Aがガーディアンを務めるのはおかしな話だ。
恐らく、愛にとって印象が強烈だったため意識から消えずにいた記憶の残滓であろう。

Aは左右の手に持ったヨーヨーを上下させながら近づいてくる。
本物同士ならいざ知らず、あくまで愛のイメージの産物にすぎない粛清人Aを相手にして、
一流のサイコ・ダイバーである里沙がたたかって勝てないという事は無い。
だからといって勝ったところで得るものは何もない。時間と労力の無駄である。

―上手くやり過ごせればいいけど

里沙は翼を広げ、Aの頭上を飛び越え奥へ向かう。
そこにAが二つのヨーヨーを放ってきた。

―斬る!


袖口から二本の鋼線を繰り出し、ヨーヨーを繋ぐチェーンを切断する。
Aのコントロールを離れた銀色の球体はあらぬ方向へすっ飛んでいった。
しかし、粛清人は自分の武器を失ったことにまるで頓着している様子もなく、
すさまじい脚力で里沙を追いかけてくる。

―もう!しつこい…

このまま振り切るか、それとも止まって戦うべきか、
思考を巡らせ始めたとき、前方から異様な笑い声が聞こえてきた。

あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ~~

―愛ちゃんの声?

声の主が右手を突き出すと、そこから大量の光がほとばしった。
奔流となったそれは一瞬にして粛清人を飲み込み、そしてかき消した。

―凄い…これが、『光』

声の主の前に着地すると、そこにいたのは愛の形をした鬼だった。
i914の力が発動したときの愛自身のイメージなのだろう。
愛と、なにやら恐ろしげなものとが混ぜ合わさった姿をしている。
それほどまで愛にはこの力に対する恐れと嫌悪感があったのだ。
里沙にはどうしようもなくそれが痛ましく、そして愛おしくもある。
思わず、目の前の美しき鬼を抱きしめた。

「恐かったねえ…辛かったねえ…もう大丈夫、大丈夫だからね」

自然と、涙が流れ落ちる。
里沙に抱きしめられて美しき鬼も泣き出しそうな顔をしていた。

「教えて、愛ちゃんはどこ?どうやって愛ちゃんのところまで行けばいい?」


全身から柔らかい光を放ちながら、鬼は空間に溶けていった。
その足元の地面に大きな爪でひっかいたような裂け目がひろがっている。

―あった!入り口だ!

心の奥底に封じ込めてあったi914が解き放たれた時にできた傷口なのだろう。
里沙はここを通って愛の精神の深層を目指す。


傷口の長いトンネルを抜けるとそこは喫茶リゾナントであった。
微かに、コーヒーの香りがした。




















最終更新:2012年12月01日 16:42