(22)432 『堕ちた天使』

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新垣里沙は『組織』の施設の廊下を一人歩いていた。
行き先はいつものあの部屋である。

音声認証、掌紋認証、虹彩認証のチェックゲートを通り、やっと白いドアがゆっくりと開く。

白い部屋には照明は無く、真っ白な壁自体が柔らかく発光していた。
また、部屋の中には同じように真っ白な家具も含め、「鋭角」を持つ部分はなく、テーブルや椅子、部屋の四隅さえもが柔らかな曲線で造形されている。

そのさながら巨大な「繭」を思わせる部屋の中、まぶしい光に包まれて…、安倍なつみはいた。

「あー、ガキさ~ん、また来てくれたんだねえ~」
ふんわりと笑いながらなつみは言う。
「どうしたの~? また痩せたんじゃない? ちゃんと食べなきゃだめだよ~」

「はい…」
とだけ応える里沙の手を取り、椅子に座らせると、いそいそと白いポットを手にとり、お茶の準備を始める。

「紅茶でいいよねえ? …そうだ、ガキさんお腹減ってないの?」
「なっちねえ、今よくオムライス作ってるんだ…。昨日はチーズを入れてみたんだよ。ガキさんもチーズ好きだったでしょ…?」

たっぷりとミルクの入ったミルクティーのカップを里沙に渡し、なつみは微笑みながら話し続ける。
温かいカップの温もりを手のひらで確かめながら、里沙はとりとめのないなつみの話を聞いていた。


「…ね、遅くなったし、やっぱり御飯食べて行きなよ…。さっき言ったオムライス作るからさ? 昨夜のシチューもあるし…」

なつみはキッチンに立ち、慣れた手つきで調理をはじめる。
ほどなく里沙の前には、オムライスの皿とシチューのカップが並んだ。

高橋愛が作る、喫茶「リゾナント」のものとは違い、やや彩りも地味で素朴に見える料理…。だが、それは『家庭料理』としての滋味に溢れていた。

「安倍さん、おいしいです…」
「そう? よかったあ~」

なつみは里沙の隣に座ると、そっと里沙の左手に手を重ねる。

「なっちバカだからさあ…。なにもわからないんだけど、ガキさんが今すごく大変なのはわかるよ…」
「なっちが助けてあげられたらいいんだけどねえ…」

里沙は不覚にも涙をこぼした。いけない…。と押さえようとするが、重ねられた手のひらから伝わる温もりがそれを許さなかった。

涙をこぼし続ける里沙を背後から抱きしめ、なつみは
「ごめんね…」
そう言い続けていた。

… … …


なつみの部屋を後にし、薄暗い施設の廊下を歩きながら里沙は思い出していた。

…あの部屋は白すぎる…。まるであの日の空のように…。

『あの日』から、なつみの『神』とまで呼ばれた強大な『能力』は失われていた。そして同時になつみの精神も破壊され、今は『能力』に関する記憶も、『組織』の活動に関する記憶も、なつみには無い。

ある程度以上の複雑な思考力さえも既に失い、なつみは常に童女のような純粋さを持って、里沙の前にいた。

『組織』の精神的な支柱であるなつみに起きた重大な変化を、『組織』は極秘事項とし、一部の幹部以外に、この事実を知るものはなかった。

… … …

あの日…。

なつみと里沙は、南海の孤島の上空、高度数100mの空に浮かんでいた。

なつみの背には天使を思わせる銀の翼が、ゆっくりと羽ばたいていた。
隣にいる里沙の背にも、なつみの『能力』によって与えられた、申し訳程度の小さな翼がぱたぱたと羽ばたいている。

「ほんとは、羽根なんか無くてもいいんだけどね…。ま、イメージだよね」
その方が、『能力』を制御しやすいのだ、となつみは言った。

蒼い海の上、雲ひとつ無い青空の中に浮かぶ二人の白い姿は、さながら天使と、天使見習…。そんな風に見えていた。

「来たね…」
眉をひそめながらなつみが言う。

… … …


「我々は『能力者』の為の新世界を創る」
『組織』の宣言は世界に重大な波紋を呼んだ。

常人をはるかに上回る『能力』を持った、いわば『超人』たちの組織…。
それが既存の社会、いわば現在の『世界秩序』全てに対して突然牙をむいたのだ。

『世界秩序の番人』をもって任じる大国がすぐに動いた。
巨大空母1隻を含む大規模艦隊を『組織』の本拠、南海に浮かぶ島へと差し向ける。それはまさに大規模な国家間戦争に匹敵するものだった。

巨大空母を囲むように、駆逐艦4隻、フリゲート艦3隻を擁し、ミサイル巡洋艦、ドック型揚陸艦、哨戒艇、および多数の武装高速艇を含む艦隊が、今、海上の彼方から姿を現してきていた。

空母から、強襲揚陸作戦用ヘリコプター CH-46、攻撃ヘリコプター AH-1W が次々と飛び立つ。
その姿は、見る見るうちに大きくなり、なつみと里沙のもとに迫って来ていた。

… … …

「悲しいねえ、ガキさん…」
なつみが言う。
「みんな、私たちのこと『バケモノ』だって思ってるよ…」

「みんなの為…、そう思って今回も参加したけど…、つらいね…、こういう仕事は…」
「でも、みんなを守らなきゃ…。きっと来る、幸せな新世界の為に…」
なつみは祈るように手を組み、眼を閉じた。

ちいさな声で、しかしはっきりと、なつみは言葉を放つ。

「 … be a 『 white snow 』 … 」



シャリィィィン…! …天空に鈴の音にも似た音がこだました。

一瞬にして里沙の視界が真っ白に染まる。

さっきまでの青空は銀鼠色の曇天に変わり、はるか彼方の海上まで、まるでダイヤモンドダストのようにきらきらと輝くパウダースノーが降り続けている。
はるか下の、緑豊かだった孤島の地表にも、パウダースノーが分厚く降り積もっていた。

そして、目前に迫っていた艦隊は、この大量の雪へと昇華されてしまったのか…? その姿は、既にどこにも無かった。

“発した言葉通りの出来事を現出させる”
あまりにも強力な、安倍なつみの『言霊』の『能力』であった。

「…これは…! 安倍さん…! すごいです! これはもう『神の力』ですよ…!?」

今までに見た事もない、巨大な『能力』の発現を目の当たりにして、里沙は全身が総毛立つような戦慄をおぼえながら、なつみを見る。

しかし、なつみは真っ白に蒼ざめた顔を両手で覆い、肩を震わせていた。

「ガキさん…。 これが『神の力』なら…、神様には心がなかったのかな…?」
「…え…?」
「聴こえるの… 今…、なっちが“消して”しまった…、人たちの声が…」

強力な『精神感応』の『能力』も併せ持つなつみは、空中に残された、“消してしまった”人々の『残留思念』をも感知してしまったらしい。

「みんな… 愛している恋人や… 家族がいる…。 あたし達が仲間を愛しているように…」
「すごく恐れてる… 憎んでる… あたしたちを…」
「どうしてこんなことになっちゃったのかな…? …こんな…こんな『能力(チカラ)』のせい…?」



そして、おそらくはなつみは『禁断の言葉』を口にしてしまった…。

「こんな『能力(チカラ)』なんて… あたしの心なんて…」

“…壊れてしまえばいいのに…”

その最後の言葉は里沙の耳には届かなかった。

しかし、二人の背にあった翼は突如消失し、二人は数100mの高さから急速に落下しはじめる。

まわりは真っ白で、どちらが下なのかさえわからない。風圧で満足に眼を開ける事も出来ず、里沙はただ空中をもがくように落下し続けた。

数秒の事だったのだろう、だが里沙には数分のようにも感じられた。
激しい風圧で次第に呼吸もままならなくなる。遠のく意識の中で、背後から誰かに包み込まれたような感覚をおぼえたのを最後に、里沙の意識は途絶えた。

… … …

目覚めた時、里沙は『組織』の医療施設にいた。

分厚く降り積もった雪がクッションとなり、奇跡的な軽傷で済んだという事らしい。
そして、病室を訪れた『組織』の先輩、保田圭が教えてくれた。

「あんたさあ、なにやってんのよ。なっちのほうがあんたをかばって下になってたらしいじゃない」
「そんであんたは軽傷で、なっちの方が重傷ってさ、あんたどんだけ役立たずなの?…って話よ」


「…すみません… 知りませんでした…」
「…まあ…、重傷ってのはウソだけどね…。なっちも心配いらないよ。 …でも、あんたをかばってたのと、なっちの方が怪我が重いのはホント」

「ちょっとあんたに嫉妬しただけ…。 だけど、一体何があったの? なっちもどうも様子がおかしいんだよね…。 記憶が混乱しているみたいで…」

「保田さん… “神様”って、人の心は解るんでしょうか? …というより、“神様”には“心”はあるんでしょうかね…?」

「 …あんた…。 何言ってるの? …あんたまでおかしくなってきちゃったの?」

… … …

薄暗い施設の廊下を歩きながら、里沙はあの時の自分の問いを思い出していた。

『ノアの洪水』を起こした神…、あるいは『ソドムとゴモラ』を焼き尽くした神…。
滅び行く人々の嘆きの声は、神には届かなかったのだろうか…?

…もし“神”に人の心が解ったなら…。人々の嘆きが伝わったなら…。

いや、それとも…、本当に“世界を変える”為には、そんな『人間の感情』は捨てさらねばならないのだろうか?

そして、『人間の感情』を捨てさらねばならない、里沙の『任務』は明日もまた続く。

…『能力者たちの新世界』への道程は未だ遠い。




















最終更新:2012年12月01日 17:10