(22)489 『戦え!ボン キュッ!ボン キュッ!BOMB GIRL』



「凡奇湯?」

小春が頓狂な声をあげた。定休日の喫茶リゾナントにゆるゆると午後の日差しが差し込んでいる。
宝塚の公演を観劇しにいった愛と、まだ店を訪れていない里沙を除いた7人がそこでいつものように談笑していた。

「ハイ、そこに入ったヒト皆、ボン!なります」

と、ジェスチャーを交えながらハキハキした口調でリンリンが言った。

「えー、本当?」

小春が疑いの視線を投げかける。確かにちょっと、信じがたい話ではある。
が、珍しくリンリンが感情的に声を荒げた。

「久住サン!ワタシが今まで嘘、言ったことありますか!」

テーブル越しに何かグイグイ来るリンリンの迫力に、流石の小春もたじろいだ。
コクコクと頷いて、「分かった」という意思を伝える。

「ワタシの故郷、浙江省の奥地に、伝説があります。聞いてください」

リンリンは詠うような口ぶりで、朗々と言葉を発した。

―天地未だ分かれず、陰陽未だ分かれざる古に、奇泉湧きいずる。
―即ち凡、即ち奇、即ち凡奇湯。
―凡奇湯にその身を浸せし者、ボンキュッボンとなるであろう――

最後のくだりがあからさまに怪しいのだが、前半部分でリゾナントの面々の
大部分が付いていけなくなった為、そこはスルーされた。

「という訳デース」
「え?つまりどういうこと?」


久住小春の話聞かない力はちょっと、想像を絶するものがある。

「だから!凡奇湯に入るとボン!なりマース!ワタシさっき言いました!」
「そうだうんゴメンゴメン確かに言った…えええ!本当!?本当にボンってなるの?」
「ハーイ」

小春の問いに、リンリンは悪~い笑顔で答える。そんな顔どこで覚えたのだろうか。
それまで厨房のカウンター越しに二人の話を聞いていた田中れいなが会話に加わってきた。

「よし!じゃあ早速行こう!」

れいなの瞳にきらきらしたものが宿っている。
きっと何か、いいこと、を想像しているのだろう。夢見る少女の顔をしていた。

「でも、中国の奥地にあるんでしょう?どうやって行きはるんですか」

愛佳が高校の課題を解きながら言った。
確かに、外国のしかも奥地である。おいそれと行けるようなところではない。

「それは…」

れいなが返答に詰まったその時、喫茶リゾナントの扉が開かれた。

「話は全部外で聞かせてもらったわ」

入り口のベルの音とともに、里沙の声が店内に響いた。

「ガキさん…別に中で聞けばいいのに」
「癖なのよ」


スパイとしての習性が体に染み付いてしまっているのだ。そんな事より、と里沙は人差し指を立てて言葉を続ける。

「凡奇湯に行く方法が、一つだけあるわ。愛ちゃんに頼むのよ」

―テレポーテーション。それは夢への道を開く扉。

「その手があったか!」
「でもみんないっぺんには無理。愛ちゃんと一緒に飛べるのは、一人だけ」
「じゃあ誰が…」
「決めるのよ、その一人を。これで」

指をもう一本立てて、手の甲を前に向ける。ピースサインを裏返した形、つまりこれは…

チョキ

ジャンケン――古来より伝わる最も公平で、最も非情な勝負。
夢の扉を開けるのは、この過酷なたたかいに勝ち残ったもの唯一人。
敗者の夢の残骸を踏み越えていける剛の者だけが、その資格を持つ。

「やるか、やらないか、二つに一つよ」

れいなの、小春の瞳に炎が宿った。

「やろう」

二人が返答したのは同時であった。両者、絶対に譲れない思いがある。


「何かおおげさやな…」

思わず、愛佳が口を滑らせた。里沙の視線が彼女に絡みつくように向けられる。

「勝負の前に一つだけ言っておくわ。別に行きたくない人は辞退してもいいのよ。
 ――もう一回だけ言うけど、辞退しても、いいのよ。いい?辞退しても、いいのよ」

里沙の視線は愛佳からリゾナントの面々一人一人にゆっくりと巡り、そしてもう一度愛佳の瞳を捕らえた。

「そうっちゃ!やる気のない人はやらんでよか!」
「そうです!半端な気持ちでやられちゃ迷惑です!」

れいなと小春が高々と正論を掲げるような、めんどくさい学級委員のような口調でまくしたてる。

「あ、じゃあ…うち、辞退します…」
「他には?」
「じゃあ、私もいいや」
「私も…」
「興味ネー」

三人の迫力に押されてか辞退者が続出し、決戦に参加するのは四人に絞られた。
里沙、れいな、小春、リンリンの四人である。

―?
―リンリン?
―貴女は別に、凡奇湯の必要は…

「あ、別に凡奇湯はどうでもいいんデスけど、久しぶりに故郷見てみたいんデース」

ハツラツとした声で、リンリンが言った。
人は時として、全くの悪意無しに、他者の神経を逆撫でする事がある。このときの彼女がそうだ。


「ほう…どうでもいいと…」

里沙の眼がすっと細められた。カミソリのような鋭さがある。
厳正な抽選の結果、一回戦(準決勝第一試合)は里沙対リンリンに決まった。
テーブルを挟んで、両者が対峙する。
ルールは唯一つ、能力の使用の禁止。後は、勝つか負けるかだ。

「頑張りマース」

里沙は無言である。無言で眼を閉じている。彼女の周りの空気が異常な緊張に満ちていた。

ジャン、ケン…

かっ、と眼を開き気合と共に目にも留まらぬ速さで手を振り下ろす。


―ぬぅん!


ジャンケンぬぅん!である。凄まじい気合だった。これではリンリンもたまったものではない。
完全に、里沙に気を呑まれてしまった。

リンリンの手は赤子のように開かれたパー。何のひねりもないパーだった。
一方、里沙が繰り出したのは恐るべき鋭さのチョキ。グーですら切り裂いてしまいそうなチョキであった。
少女の望郷の思いは、新垣里沙といういっぴきの龍の逆鱗に触れたことで、無残にも断ち切られた。

「負けました…残念デース」

がっくりと肩を落すリンリンを里沙はにこりともせず見つめていた。微塵も気を緩める様子はない。
これからが正念場なのだという実感がある。背後かられいなの声が聞こえてきた。


「予想通り、ガキさんが勝ったっちゃね」
「――」
「でも、頂点に立つのは私やけんね。悪く思わんでよね、勝負の世界は情け無用やけん」



準決勝第二試合の結果、決勝の対戦相手は小春に決まった。

「田中さん貧弱ゥ!イェイ!」
「う~~~うううあんまりだ…」
「やっぱり、勝ち残ったのは小春か…」

―小春はツキを味方に付けている。

ジャンケンにおいて運というものが大きな比重を占める以上、まともにやれば里沙の不利は明白だ。

決勝戦は、異常な光景とともに幕を開けた。
勝負が始まる前から既に、里沙が右拳をぐっ、と前に突き出している。どう見てもそれはグーだった。

「…何のつもりですか?新垣さん」
「このままでいい」
「何のつもりですかって聞いたんですけど」
「聞こえなかった?このままでいいって言ったんだけど」
「小春がパー出したら小春の勝ちですよ?」
「そうね、あんたがパーを出せるんならね」

里沙の口角がついっと吊り上げられる。
小春の脳裏に戦慄が走った。瞬時に思考が駆け巡っていく。


―!パーを出せるんなら?私がパーを出せないと言いたいの?何故?
―ありえない、私はパーを出す。出せないなんて事…
―まさか…マインドコントロール?馬鹿な、心を触られた感触は無かった。
―ひょっとして…パーをチョキに変えるくらいなら気付かれないでやれるというの?
―だからずっと外にいた?いや、でも

「新垣さん、ひょっとして能力を」
「さあ、何のことだか、分からないわね」
「ルール違反ですよ」
「ルールを破るつもりは無いけど、私の手が本当にこのままかどうかは保障しないわよ」

―そうか私がパーを出した瞬間にチョキに変える気か。
―だったら私は…いやおかしいそんな事わざわざ言うわけない。
―どういうつもり?グーのまま?それともチョキ?
―意図が読めない。…そうだ!ならば、こちらもグーを出そう。そうすれば悪くしてもあいこだ
―新垣さんがチョキならそれでよし、グーだったとしてもそれで少しは意図が読める。ならいける…!

たたかいの火蓋は切られ、運命が交差する瞬間が訪れる。


ジャン、ケン、ポン!


「そ、そんな…」

小春の手はグー。
それに対する里沙の手は…パーであった。

「どうして…」
「小春、あんたまだまだ甘いわね」


このたたかいで里沙の採った策は一つ。小春に選ばせる、という事だ。
もし運まかせでやっていれば小春が勝っただろう。ツキは向こうにあったのだ。
そこで里沙は事前に手を晒すという奇策と、さらに精神干渉能力の存在を匂わせることによって
小春に勝つか負けるかの二つに加えて「様子を見る」という選択肢を与え、心理戦に持ち込んだ。
様子見、とは本来ジャンケンには存在しない不純物である。
一見合理的に見えるその心理の隙をものの見事に突いた。
小春の不安が生み出したグー。
言うなればこの勝負から一歩引いたグーを、里沙の狙い澄まされたパーが絡め捕ったのだ。
精緻にして豪胆。この駆け引きの巧みさこそが、新垣里沙の戦士としての真骨頂であると言っていい。

「勝った…!遂に…」

激闘を制した里沙の瞳にうっすらと光るものがある。

『究極新垣里沙―アルティメットガキさん―』の誕生は間近に迫っていた。

―いざ行かん、伝説の奇泉、凡奇湯へ!
―さようなら昨日までの私!こんにちは『ボン キュッ!ボン キュッ!BOMB GIRL』!



「あっひゃー、中国までなんて無理無理。そんな遠くまで飛べんよ。そんな事より
 聞いて聞いて!あたしもうすっごい感動したんよ――」

舞台鑑賞から帰った愛の言葉は、ここまでしか里沙の記憶にはない。
ここから先は、何やら目の前が真っ暗になったような感覚だけが残っていた。



その夜、里沙の枕を濡らした涙がどれ程のものか、これもまた、知る由のない話である。




















最終更新:2012年12月01日 17:13