(22)561 『禍刻IX―A bloody stray cat―』



「なん?れいなに何か用でもあると?」

自分の前方に、行く手を遮るようにして立つ人影を認めて、田中れいなは不機嫌な声を出した。

 ―囲まれよう・・・いつの間に?

同時に、周囲に同じような人影がいくつもあることにようやく気付き、れいなは唇を噛む。
ここまで包囲されるまで気付かなかった自分が腹立たしかった。

 ―やけど、なんか普通やない・・・こいつら何もん?

本来であれば、このような状況になる前に絶対に気付いていたはずだ。
いくら考え事をしていたからといっても警戒を解いていたつもりはない。

それに、視認できるほど接近しているというのに、相変わらず人間らしい気配はまったく感じない。
そう、まるで・・・

「やっと気付いたか?そうだよ。こいつらはあたしのかわいい人形たちだ」

背後から聞こえた声の方へ、れいなは不機嫌な表情をそのままに体ごとゆっくり振り返る。
数体の“人形”に囲まれ、一人の女が立っていた。

「噂どおり凶暴そうな面構えだな、田中れいな」

振り返ったれいなに向かい、女は揶揄するように呼びかける。

「れいなのこと知っとーいうことは・・・“そういうこと”やと思ってよかと?」
「まあ“そういうこと”だ」

そう言ってニヤリと笑いかける女に、れいなは同じ種類の笑みを返す。
れいなの体内の血は、すでにふつふつと沸きあがり始めていた。


「もちろんそれなりの覚悟はできとーやろね?れいなにケンカ売るいうんは」

ゆっくりと腕を組み、れいなは女に視線の刃を突きつける。

「ふん、これまた噂どおり好戦的だな。・・・もちろんできているさ。ここを血の海にする覚悟は」
「血の海に沈むんはあんたの方やけどね」
「その減らず口・・・いつまで続くか見ものだな」
「で?どうやってれいなと戦う気ぃなん?この“人形”とかいうの使うと?」

顎を動かして自分の周囲を取り囲んでいる“人形”を指しながら、れいなは小馬鹿にしたように軽く肩を竦める。

「その通りだ。“傀儡指揮(パペット・コマンダー)”――それがあたしの能力。そして・・・お前を血に染めることになる能力だ」
「人形遊びでれいなに挑もうなんて命知らずやね。悪いけど手加減せんよ?」
「くっくっ・・・そうか。まあこっちは手加減してやるから安心しろ。この国では短機関銃の一斉掃射なんてことはさすがにできないからな」
「ふ~ん。なるほど、その気になればそういうこともできる能力いうわけか」
「どうした?顔色が変わったぞ?30対1・・・ようやく勝ち目がないということが分かりかけてきたか?」
「はぁ!?30もおると?・・・めっちゃ面倒くさいやん」
「・・・面倒くさい?どういう意味だ。まさかとは思うが・・・」
「全部ぶっ壊したろうと思っとったけど30もおるんやったら面倒やけんやめた」
「・・・いい加減笑う気も失せるな。ここまで状況が飲み込めないバカだったとは」
「れいなは50人相手に1人で戦ったこともあるけんね。疲れるけんあんまやりたくないけど」
「底の浅いハッタリだな、田中れいな。こっちが50体用意したら『100人相手に戦った』とでも言う気か?」
「信じれんのやったら別にそれでもいいとよ。どうせあんたが死ぬことに変わりはないけん」
「くだらない話を聞くのにも飽きてきたな。そろそろ死ぬか?」
「あんたがもうこの世に未練ないいうんやったらこっちはいつでもええっちゃよ」
「そうか。楽に死ねると思うなよ?せっかくの機会だから思う存分遊ばせてもらうからな」
「お人形さん遊び?あんたにお似合いやね。・・・やけど残念ながらそれはできんよ?」
「・・・ほう、何故?」
「“増幅能力(アンプリファイア)”――れいなのチカラは相手の能力を封じることもできるけん」

そう言うと同時に、れいなは自身の能力を解き放った。


 ―・・・・・・!?

だがその直後、れいなはかつて経験したことのない違和感を覚えて戸惑った。

 ―なん?この感じ・・・?

まるで“手ごたえ”がない。
空中に向かって手を突き出したように、何の感触もなくチカラがすり抜けていくような――

「そうそう。一つ言い忘れていたな」

瞬時、困惑の表情を浮かべたれいなに対し、女は優越感を隠し切れない様子で噴き出した。

「あたしは生まれつき“特殊体質”なんだよ」
「は?特殊体質?・・・なんそれ?」
「“能力透過体質(サイコ・ペネトレイター)”――つまりそういうことだ。お前の能力が相手の能力を封じることも織り込み済みなんだよ」
「・・・よう分からんけど要するにこっちのチカラはあんたには効かんいうことか」
「まあバカにしては上出来な理解だな」
「あーもうありえん!あんたほんま面倒くさいっちゃね!」
「こういう状況には“絶望的”という言葉を使うのが正しい日本語の在り方だな」
「正しい日本語とかどうでもいいし」
「それもそうか。死んでいくお前にはどうせもう関係のないことだからな」

その声に呼応するように、1体の“人形”がゆらりと動く。

「なん?1匹だけでれいな倒す気ぃ?」
「釣りがくるくらいだ。自分の身体能力によほど自信があるようだが、人間を相手にするのとはわけが違うぞ?」
「めっちゃムカついた!久々に本気出すけんね!」
「せいぜい頑張って長生きするんだな。まあすぐに『もう殺してくれ』とお前の方から言い出すだろうが」

怒気を露わにするれいなをそう嘲笑うと、女は軽く腕を動かした。


 ―迅い・・・!

一瞬にして間合いを0にした“人形”の右手にコンバットナイフを認め、れいなは撓めていた全身のバネを解放した。
日が没して急激に冷え始めていた空気が鋭く切り裂かれる。

「くっ・・・!」

ナイフによる斬撃を辛うじて躱したれいなの服が切り裂かれ、耳障りな音を立てた。
続けざまに第2撃を放とうとした“人形”より一瞬早く、振り上げられたれいなの脚が“人形”の鳩尾辺りを捉える。

 ミシッ――

軋むような音とともに“人形”は僅かに後退した。

 ―効いとらん・・・!

今の自分の攻撃がダメージを与えていないことを瞬時に悟り、れいなは大きく飛び退った。
直後、れいなのいた空間をナイフを持った“人形”の腕が一閃する。

 ―次ッッ!・・・・・?

当然続けざまに攻撃が来るものと思ったれいなは、それに備えて飛び退ると同時に体勢を作っていた。
だが、“人形”は先ほど最後に攻撃した場所に静かに佇んでいる。

「やるじゃないか。思った以上だったよ。まさかあの攻撃を無傷で避けきるとはさすがに予想外だ」

感心したように・・・しかしどこまでも上からの目線で、女はパチパチと手を叩く。

「無傷・・・・・・?これ・・・れいなのめっちゃお気に入りの服やったのに・・・・・・愛ちゃんに買ってもらった大事な・・・・・・」

だが、れいなを最も怒らせたのは、女のその見下した態度ではないようだった。


「愛ちゃん?ああ、i914のことか。たかが服ごとき、もうすぐ死ぬお前には・・・・・・」

馬鹿にした冷笑を浮かべていた女の表情が、言葉の途中で凍りつく。
そうさせられてしまわざるをえないほどの殺気が、れいなの身体から立ち昇っている。
いや・・・飛散していると言った方が正しいかもしれない。
事実、その殺気に突き刺されたようになって、女は言葉を失ったのだから。

直後、本能的に身の危険を感じた女は先ほどの“人形”を再び“指揮”した―――つもりだった。
だが、“人形”は全く反応を示さない。

「何故・・・・・!?」

思わず取り乱して叫んだ女の顔が、次の瞬間驚愕に歪む。

「あんたの能力・・・対象が“人形”――つまりちゃんと“人の形”をしとらんやったら使えんみたいやね」

女が見た信じられない光景。
それは、もぎ取った“人形”の首を、ボールを玩ぶように片手でポンポンと上下させるれいなの姿。
先ほどまでの余裕の笑みとはまた全く種類の違う、凄みのある笑みを浮かべた―――

「バ、バカな!素手で?“人形”を!?ありえない!こんな・・・・・・」

擦れた声で喚く女の頬を風圧が掠め、何かがひしゃげるような音が耳に届く。
女がそれらの意味を認識したとき、れいなの投げた“人形”の頭部はすでに、自分の隣に立っていた“人形”の胸部を陥没させていた。

「惜しい。もうちょい左やったと」

続いてその冷静な声が女の耳に届いたとき、恐怖は完全な戦慄となって女を支配した。

頭部を失った“人形”が“血液”を噴き出しながら今さらのようにゆっくりと倒れる。
それが地面にぶつかる音は、女にとって絞首台の床が開く音と同じように思えた。


「これで2匹。あと・・・28匹?やっぱ全部壊すんは面倒っちゃね・・・」

右手をブラブラとさせながら、れいなが呟いている。

「な、な・・・なんだ、おっ・・・お前は!?お前はほ、本当に人間なのか!?」

半ば無意識に疑問を投げかけた女は、れいなの視線が自分に向かったことに怯えて「ひっ・・・」と小さく息を吸い込んだ。

「あんたほんまムカつくヤツっちゃね。・・・人間?どやろね。化け物――かもしれん。そう言われたこと何度もあるけん」
「そ、それは・・・あ、あたしだって・・・・・・だ、だけど・・・だけどお前は・・・・・・」
「ふ~ん。化け物から見てもれいなは化け物に見えるんか・・・・・・」
「お前・・・お前の能力は一体・・・・・・」
「さっき言ったっちゃけど?“増幅能力(アンプリファイア)”やって」
「しかし・・・・・・」
「あんたは勘違いしとう。“増幅能力”いうんは別にいわゆる“異能力”だけを増幅するもんやないけんね」
「な・・・・・・?」
「れいな自身の身体能力も増幅できるとよ?ガキさんは“身体増強能力(フィジカル・エンハンサー)”とかなんとか言うとったっちゃけど」
「身体能力の増幅・・・だと・・・?そんなことが・・・・・・?バカな・・・・・・」
「今見せたやん」
「だが・・・・・・そんな報告は・・・・・・」
「あんたもサイコペスカトーレ・・・やっけ?とかいうの隠してたんやけんこれでおあいこっちゃろ?」
「ぐ・・・・・・」
「能力通じん人間がおるとは思わんやったけど・・・れいなには関係ないけんね。直接ブッ殺すけん」
「ひ・・・・・・」
「じゃ、そろそろ始めると?最初に言うたけど手加減せんけんね」
「あ・・・うあ・・・・・うああああぁぁあぁっっっ!!!死ね!死ねええええぇぇぇっっっ!!!!」

半ばそれが無駄だということを心のどこかで悟りながら、女は残り全ての“人形”を“指揮”した。

28体の“人形”が一斉にれいなへと向かう。
或いはナイフを手に、或いはサイレンサー付の拳銃を手に、或いは何も持たずに―――


     *   *   *

「あー・・・愛ちゃんにどう言えばいいと・・・?」

半泣きになりながら、れいなは自らの服を見下ろして情けない声を出した。

愛に買ってもらったグレーのパーカーもパープルのミニスカートも、ところどころ“返り血”で緋に染まっている。
これはもう着ることはできそうにない。

 ―服を切られてキレたくせに、自分で完全に着られんようにするなんてれいなほんまアホやん・・・

愛はそんなことで怒ったりしないだろうが、やはり申し訳ない思いは拭えない。

そう、自分が悪いのだ。
その気になれば“返り血”を浴びないような戦い方もできるはずなのに、一たび戦いに没入してしまえばいつもそんなことは忘れてしまう自分が。

目の前には自分の築いた死屍が累々たる様相を呈している。
“31体”の“人の形をとどめなくなったモノ”が折り重なり、散らばり、血の海に沈んでいる。

視界に広がるその光景を前に、れいなは深いため息をついて空を仰いだ。


星ひとつないその闇空には、血のように赤い月だけがただ静かに浮かんでいた―――




















最終更新:2012年12月01日 17:16