(23)865 『復讐と帰還(2) 目覚め』

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吉澤は、薄暗いリングの上に立っていた。
普通のリングではない、ダークネス本部の地下闘技場だ。
四方をロープではなく金網で囲まれている。床はコンクリート。
主に、実戦の訓練や、造反者を見せしめとして血祭りにあげる際に使用される。
吉澤は黒の革ジャンに黒のレザーパンツといういでたちで、目の前の男をじっと見つめていた。

でかい。

吉澤より頭一つ分以上背が高い、身長は190センチを超えるだろう。
そして肉が分厚くがっしりとしている。プロレスラーか、重量級の柔道選手のようだ。
その男に常人と明らかに異なる点がある。目だ。
目がうつろというか、ただ目の前の光景を映すレンズとしてしか機能していないように見える。
表情というものがまるっきり欠落している。

「来い」

吉澤は短く言い切った。
その声に反応して、男が間合いをつめる。
ぶうん、と右の拳を吉澤の顔面めがけて繰り出した。
吉澤がそれを首を傾けかわした瞬間、男が左足を跳ね上げる。恐ろしく重そうな蹴りだ。
木製バットの二、三本軽くへし折ってしまいそうである。
蹴りが、吉澤の頭をすり抜けた。紙一重を見切って、吉澤がかわしたのだ。
同時に男の軸足を刈った。
どすん、と音を立てて男がしりもちをつく。

「立て」


男がのっそりと立ち上がろうとしたとき、吉澤の右膝が男の鼻にめり込んだ。
続けてこめかみに拳を叩きつけ、さらに回し蹴りがあごを貫く。
目にもとまらぬ連続技で男の巨体がどうっと吹っ飛んだ。

「おい」

吉澤は金網の向こうでたたかいを見つめる一人の男に声をかけた。
年は三十代の半ばを過ぎたくらいだろうか。痩せている。
黒縁の眼鏡によれた白衣、ネクタイはしていない。
眼鏡の奥から濁った水のような眼光を放っている。
ダークネス生物化学研究室、主任と呼ばれる男だ。本名は吉澤も知らない。
ただ、主任と呼ばれている。

「そろそろ本気で来させろ」

主任が合図を送ると、男が異様な咆哮を上げた。
人間の声帯から出る声ではない。獣が発するものだ。
ぐうっと男の口と鼻が前にせり出し、体中を黒い毛が覆っていく。
内側から溢れ出す力に押し出されるように男の肉体が一回り膨張した。
太く、鋭い二本の牙が顎から姿を覗かせている。
両手からぬらぬらと光るナイフのような鉤爪が飛び出した。自然界のどこにもこのような牙と爪を持った獣はいない。
異形である。
人を殺すために生み出された獣、という表現が最も似つかわしいであろう。
禍々しい殺気が獣の全身から放たれている。
吉澤は二歩下がって構え、深く息を吸った。
突風のように黒い塊が突進してきた、鉤爪が空気を切り裂いて吉澤に襲い掛かる。

―速い!


吉澤は空中に飛び上がって間一髪でそれをかわし、頭上から獣の後頭部へ蹴りを叩き込んだ。
凄まじく堅い。
右足に軽い痺れが走る。
岩を蹴ったような感覚だった。
着地して獣に向き直る。のっそりと、獣も吉澤の方を向いた。
見たところ、いささかもダメージは入ってないようだ。

―随分頑丈な奴だな…狙うならば目か。

すっと目を細め、腰を落としたところで「それまで」と、主任の声がした。
吉澤は不満そうな顔で、金網の外へ視線を向ける。

「もう少しやらせろ」
「十分性能は御覧頂けたと思いますが」
「やっと体がほぐれてきたところなんだ」
「せっかくの新兵器を壊されてはたまりませんよ。粛清人Hと、お呼びすればよろしいので?」
「吉澤でいい」

そう言いながら革のジャンパーを脱ぎ捨てた。胸のところがざっくりと切り裂かれている。
獣の爪がかすめたのだ。
獣は人間の姿に戻り、その場に突っ立っている。先ほどまで放っていた殺気は微塵も感じられない。

――戦獣部隊

粛清人の直属の部下として新たに結成される精鋭部隊の試作一号が、
吉澤の目の前に立っているこの男なのだ。


「いかがでしたか?ご感想は」
「まあ、大体分かった」
「では、詳しい説明をさせていただきます。ご覧の通り戦獣とは獣化能力を持つ兵士でありまして、
 単純な腕力だけなら、獣化状態の共鳴者李純を凌駕しております」
「実際の戦力としてはあのパンダに劣るだろうな」
「あちらは天然物ですからな…こちらは言うなれば養殖物。人造兵士ですから」
「人造兵士?」
「まあ平たく言えば、たんぱく質で出来たロボットです」
「どうりで精神が空っぽなわけだ」
「触られたので?」

あの短い攻防の中で、
吉澤が精神干渉能力を発動し戦獣の心を覗いたという事に主任は驚きの色を隠さなかった。
確かに吉澤は粛清人AやRほどの身体能力は持っていないし、
安倍なつみや後藤真希のような他を圧倒する超能力があるわけではない。
しかし、身体能力と超能力のバランスという点では、彼女に並ぶものはいない。
だからこそ諜報機関の長から粛清人への転身という無茶な要求に答えられるのだ。

「数は揃えられるんだろうな?」
「十日もあれば十数体は可能です」
「一週間で用意しろ」
「かしこまりました」

主任は目を軽く伏せて言った。口元に歪んだ笑みが貼り付いている。
戦獣の力を吉澤が認めたと受け取ったのだろう。
事実、吉澤は認めていた。使える、と。


戦獣は単純な命令を実行する程度の知能しか持たない代わりに、自我も持たない。
新垣里沙の精神干渉能力も、干渉する対象がなければ全くの無意味だ。
戦獣の強靭な皮膚の前では粛清人Rの命を奪った鋼線も十分な効果は得られないだろう。
それを、十数体、かつて里沙の直接の上司だった自分が指揮する。

―負ける要素がない。

ふつふつと、どす黒い衝動が胸の奥から湧き上がってくる。
あいつの恨みを、新垣の精神と肉体に刻み付けてやる。
闇に歯向かった者がどのような悲惨な末路を辿るか、思い知らせてやろう。

いつの間にか、自分の頬に目の前の男と同じ歪んだ笑みが浮かんでいる事に、
吉澤ひとみは気が付かないでいた。









高橋愛が目覚めると、白い天井が見えた。
ベッドに横たわっている。病院だろうか。
開かれたカーテンの向こうから明るい午後の日差しが差し込んでいる。
随分長い間、眠っていたようだ。まだ頭がぼんやりとしている。
何故自分が病室のベッドに寝ているのか、
愛はゆっくりと己の身に起きた事を思い出す。

――町外れの工場跡での粛清人との決闘。


強い、敵だった。愛がこれまでたたかってきたどの相手よりも強かった。
ヨーヨー、体術、駆け引き、超能力。そのどれをとっても超一流の水準を誇っていた。
追い詰められた。死力を尽くしてなお、届かない相手だった。
そして、極限まで追い詰められた時、愛は『光』を発動したのだ。
獰猛な『光』によって粛清人に深手を負わせ、勝利をその手に掴みかけたその時、
後藤真希の強大な念動力が愛の右腕を引きちぎった。
そこで、意識が途絶えて、それから…それから、ん?右腕?

―そうだ、私の右腕…

左手で触ってみると、腕は何事もなかったかのように繋がっていた。
さゆみが治癒能力でやってくれたのだろうか。
右手を動かそうとしたとき、その手を誰かが握っている事に気が付いた。
視線を送ると、光井愛佳が愛の右手を握ったまま、ベッドの脇で眠っている。
ずっと付き添っていてくれたのだろう。
愛は、傍らで眠る少女に、優しく声をかけた。

「愛佳」

その声で少女は夢の世界から現実へと帰ってきたようだ。
目をこすりながら、辺りを見回す。
愛と眼が合った瞬間、あっ、と小さく声をあげて、その後、泣いているような、笑っているような表情になった。

「やっと、目が覚めたんですね…」
「ごめんなあ、心配かけて」

上体を起こそうとしたが、力が入らない。かなり衰弱しているようだ。
愛佳が、手を差し伸べて、愛を抱き起こす。


「何で体が動かんのやろ」
「一週間も眠ってたんですから、無理もないですよ」
「一週間…道理で」
「道理で?」
「お腹が空くわけや」

見つめ合ってふふっと笑った。
一応点滴は打ってあるが、それで空腹が満たされるはずもない。

「オムライス大盛りで食べたいなあ」
「いきなりそんなん食べたら胃がびっくりしますよ」

そう言って愛佳は鞄から魔法瓶を取り出した。

「田中さんがスープを作って持たせてくれましたから、これ飲んでください。まだ温かいですよ」
「れいなが?」
「来る途中にリゾナントに寄ってきたんで」
「あんた学校はどうしたの」
「重いインフルエンザにかかってる事になってます」
「いかんよそんなズル休みなんか」
「うちらに黙って危ないたたかいに行く方がもっとあきません」
「…」
「大馬鹿です。本当に」

真剣なまなざしで見つめる愛佳の瞳に、愛は胸を締め付けられた。
この少女にどれ程の心痛を与えたのか、仲間達にどれ程の心配をかけたのか…
愛も、そして里沙も、決して考え無しにたたかいに臨んだという訳ではないのだが、
それでも軽率と言われても仕方がないのかもしれない。
真っ直ぐな瞳に見つめられて何も言えなくなっていた所に、
愛佳がスッとスープの入ったカップを差し出した。

「早く元気になってください」


一口、口に含んだ。
美味しい。
心と体に温もりが染み渡るような、優しい味わいだった。

「れいな、いつの間にか料理の腕あげたなあ…」

ぽつりと、呟いた。

「お店は田中さんと道重さん、それに亀井さんの三人でちゃんと切り盛りしてますから、
 心配せんで大丈夫ですよ」

愛ならば、きっと自分がいないからといって店を休んで欲しくないと言うだろうと、
れいな達は考えたのだ。
リゾナントを訪れる客達も、愛にとってはかけがえのない宝のはずだからである。

「ちゃんと、分かってくれてるんやなあ」

と、しみじみとした口調で言った。
仲間がいるということのありがたみと喜びが、弱りきった愛の肉体に力を与えてくれるようだ。

「そうだ、愛佳」

ふと、大事なことを思い出す。


「ガキさんは、どうしてる?」
「え?新垣さん、ですか…元気にしてますけど」

そう答える愛佳の顔に、一瞬暗い影が差したのを、愛は見逃さなかった。

「ガキさんに何があった?」

愛の声に張り詰めるような響きが宿る。
里沙は粛清人Rに勝利したはずだ。
ダークネス幹部後藤真希の口からそう聞いたのだ。間違いない。
なのに、何故愛佳の表情にかなしみの色が宿っているのか。

「それが…新垣さんは…」

愛佳は、ぽつりぽつりと、言葉を選びながら口を開く。
愛が眠っている間に里沙の身に何が起きていたのか、
その事を少女は愛の目を見つめながら静かに語りだした。
それは、何かとても脆いものを傷つけまいとするような口調だった。




















最終更新:2012年12月02日 07:41