(24)509 『スパイの憂鬱第10話くらい-里帰りした結果がこれだよ-』

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新垣里沙は悪の超能力組織『ダークネス』に所属する構成員の一人である。
階級や役職など、ない。
マンガならば、間違いなく名前など無いキャラ。アニメならば、エンディングテロップの役名は『構成員A』などと表記されるに違いない。

否、一つだけ肩書きのようなものはあった。
『スパイ』―――密偵、とも言ってもいいが、ともかく、里沙は『スパイ』なのである。
ダークネスと敵対する正義の超能力組織『リゾナンター』へと侵入した里沙。

個性豊かな面々に振り回され、仲間であるはずのダークネス幹部達からは弄られる日々。
今日も里沙の憂鬱が晴れることはない。





『スパイの憂鬱第10話くらい-里帰りした結果がこれだよ-』







「安倍さんに会える、安倍さんに会・え・る!」


今にも歌い出しそうなテンションで、里沙は旅行用バッグに数日分の着替えを放り込んでいた。
スパイ活動に励む里沙は、今日から数日間本来所属する組織である『ダークネス』へと一時帰還する。

この日をどれだけ待っただろうか。今でこそ『リゾナンター』の面々とも…それなりに、
まあ、何とかやれるようになった里沙ではあるが、やはりダークネスが恋しい。
否、『安倍なつみ』が恋しいと言うべきか。

常に全国を飛び回るなつみは、里沙がリゾナンターへと潜入を開始した時から、ただの一度も姿を見せない。
他の幹部達は『戦闘』しに街に現れたり、結構な頻度で様子を見に来るのだが。
リゾナンターと戦闘しない時のダークネス幹部の殆どが、普通の人間と変わらない生活を送っている中、
なつみだけは未だにどんな生活を送っているのか分からない。
天使はミステリアスな存在なのだ、すなわち、安倍なつみはミステリアスなのだと里沙は勝手に思っている。

いつも何処で何をしているか分からないなつみ。
だが、里沙と同様…今日から数日間はダークネスの基地へと帰還するらしい。
数ヶ月ぶりに、こっそり撮影した写真や盗聴した音源や映像(よい子は真似しないでね)ではないなつみに会えるのだ。
俄然、里沙のテンションは上がりまくりである。
否、上がるを通り越してそのテンションは大気圏を突破して宇宙に達している。


「…準備終わった?」

「はい、おかげさまで、って、うええええ?」

「相変わらず、新垣は面白いなぁ」


クツクツと、喉を鳴らすように笑う栗色の髪の美女―――ダークネス幹部の一人、後藤真希である。
『空間使い-スペイシャル・マスター』の能力を行使する、幹部の中でも1、2を争う実力の持ち主。
その堂々とした立ち姿は、先日『運送屋』として現れた時からは想像もつかないくらい、凛としていた。


「準備出来たなら行こうか。
あ、そうそう…うちに一人新人さん入ったから、仲良くするんだよ」

「へ、新人?」

「そ、家事担当兼うちに今まで居なかった頭脳派の子でね。
今後、その子から新垣に色々指示をしてもらうことになるのかな。
新垣とは歳も近いから、すぐ仲良くなれるよ」

「へー、それは楽しみです」


真希とたわいもない会話を交わしながら、里沙は旅行用バッグを肩にかける。
それを見計らったかのように、真希は左腕を空目がけて一閃した。


刹那、空間が“裂ける”。
真希はその空間を、まるで暖簾を潜るかのような動作で広げた。
2人分くらい“開いた”空間の裂け目に真希と里沙は足を踏み入れ―――消えた。


     *    *    *


ものの数秒程度の時間で、真希と里沙はダークネスの基地へと帰還した。
基地、とは言っても…リゾナンターの拠点である喫茶リゾナントからは電車で二駅離れた街の、低層ビル。
曰く付きのビルらしく、たまに誰かが幽霊を見ただの、人魂を見ただのと言っては大騒ぎになることも珍しくない。

真希と里沙は、正面玄関からそのまま二階へと階段で上がっていく。
二階全体を潰して作った広い一室、そこがダークネスのメンバーが集う場所である。
ちなみに、一階は各個人用の倉庫、三階は各個人の部屋という作りになっている。
元々の造りが単身者用のワンルームマンションであるため、どうしたって住みにくい部分があるのは仕方のないことだった。

階段を上った里沙は、見慣れたドアに手を掛けて押し開ける。
ゴン、という、本来するはずのない鈍い音に、里沙の思考は一瞬固まりかけたものの…慌てて、
ドアの向こうにいるであろう人物に声をかけた。


「すいません、大丈夫ですか!?」

「…だ、大丈夫です」


聞き慣れない声が返ってきたことに、里沙は驚きかけて、そういや新人が入ってきたという話を思い出す。
蚊の鳴くような細い声から連想するに、おそらく、『普通』の女の子に違いない。
常識人の仲間が増えたことに喜びを覚えながら、里沙はゆっくりとドアを押し開けた。


目の前に立っているのは、赤くなったおでこを押さえる頬が少しだけふっくらとした女の子。
細く見えるが、出るところはきっちりと出た体型に少しだけ胸が痛んだものの、里沙は努めて明るい声を出す。


「初めまして、あたしの名前は」

「知ってますよー、オマメ・ジュマペール・アナタダーさんですよね」

「違うから!
それ、全然違うっていうか、ねぇ、誰がそんなこと言ったの?」

「美貴ちゃんですよー、そういう名前だから覚えておいてって」

「んの野郎……カリブ海に沈めてやるマジで」


思わずドスの聞いた低い声で呟いた里沙の形相に、目の前の女の子は明らかに引いていた。
それはもう、浜に打ち寄せていた波が一気にサーッと引いていくように。
見てはならないものを見てしまったかのような女の子の表情に、真希が横からフォローを入れる。


「紺野、この子の名前は新垣里沙だから。
ガキさんとか、そんな感じで呼んであげればいいよ」

「へ、あ、はい、そうですね、そうします。
ガキさん…とりあえず、ドア、閉めません?」

「…そうね。
っていうか、何か…焦げ臭くない?」


里沙の鼻孔をくすぐる、明らかに何かが焦げている臭い。
その呟きに、あ、コンロの火かけっぱなしでしたと言って苦笑を零す紺野。
言葉の意味を認識したのと、里沙が中へと飛び込んでいったのは同時のことだった。


「火、火が出てるー!!!!
誰か、消火器持ってきて、早く!!!!!」


部屋の奥にあるキッチン、そこにあるコンロからモクモクとした黒い煙と炎が吹き出していた。
動揺する里沙を横目に、後から駆け込んだ真希は冷静に冷蔵庫を空けて…おもむろに中から調味料を取りだした。
その手に握られているのは、マヨネーズ。


「ちょ、後藤さん、こんな時に何やってるんですか!」

「んー、大丈夫大丈夫」


暢気な声と共に、真希は炎を上げる天ぷら鍋の中へとマヨネーズを放り込んだ。
数十秒程で、炎が収まったのを確認した真希はコンロの火を消し、鍋をそのまま何処かの空間へと消し去る。
一体何が起こったのか理解出来ない里沙と、後から現れた紺野に向かって真希は淡々と言葉を紡ぐ。


「えーとね、これはマヨネーズ消火法っていうんだけどね。
マヨネーズに含まれるタンパク質が高温で膜になって、酸素を遮断して火が消えるって仕組みなの。
あ、でも、鍋から火が出ていない状態でやっても効果が得られないこともあるし、
マヨネーズを入れた後に蓋とかしちゃって後から開けるとかするとバックドラフト現象だっけ、それが起きて危ないんだ。
だから、消火器があったら消火器を使おうね…っていうか、紺野、コンロの火をかけたまま一体何やってたの?」

「…すいません、から揚げステップを踏んでました」

「「……から揚げステップ、って何?」」


真希と里沙の呟きに、紺野の目が大きく見開かれる。
その表情に思わず呆気に取られた二人のことなど知ったことではない、そう言わんばかりに紺野は声を張り上げた。


「ご存じないのですか!
から揚げステップは…から揚げを美味しく作るためのステップなんです!
鍋にお肉を入れてから、ちょうどこのキッチンと出入り口を一往復、ステップを踏むと…いい具合に揚がるんですよ!」


その後、紺野のから揚げステップ講座は二時間にも及んだ。
余りの剣幕に里沙も真希も、途中で部屋に現れた他の仲間達も何も言えず、気がつけば一緒になってステップを踏む有様。
悪の超能力者組織の人間が総出で、から揚げを揚げるためだけにステップを踏む光景は異様であり、壮大なシュールさを孕んでいる。


「はい、1、2、3、4、そこでターン!」


紺野の声がフロアに響く。
延々と繰り返される終わらないステップ。
終わりが見えない上に、今、から揚げどころか何も調理していない。
こんなことに時間を割くくらいなら、早く別なもの作れという思いすら、ステップを踏む内に霧散していく。


から揚げステップ講座が終わる頃には、紺野を除く全員がぐったりしていた。
里沙は一旦自室に荷物置いてきますと、その場から逃げ出す。


(…あの子が家事担当で…大丈夫なの?
っていうか、後藤さん…あの子が頭脳派とか言ってたけど、あたし、あの子から指示されるようになるとか…不安だなぁ…)


しばらくの間使っていない埃くさい部屋を掃除しながら、里沙は心の中で溜息を付く。
少なくとも、スパイ任務の終了が遠のく、それは間違いないだろう。
里沙の心に重いものがのしかかるような圧迫感が広がる。

片付けを終えた里沙は、部屋を出て再び階下のフロアへと移動しようとしたその時。
コンコン、とドアを叩く音。
里沙はどうぞ、とだけ声をあげる。


「ガキさん、久し振りだねぇ。
元気にしてたかい?」

「安倍さぁん…」


里沙の目の前に立つのは、光の粒子を全身に纏っているかのような輝きを放つ、小柄な女性。
安倍なつみ。
里沙をダークネスへと引き込んだ張本人であり、里沙が想いを寄せている女性である。
ダークネス1と言ってもいい実力を持つのに、それを誇示することなく、いつも穏やかな微笑みを絶やさない。
この人がいるからこそ、里沙はダークネスに所属しているのだ。


「何か帰ってきたら皆ぐったりしてるし、ガキさん見当たらないし。
そしたら、圭織がガキさんは上にいるから行ってあげるといいよーって」

「そうなんですか…」


里沙は心の中で、ダークネス幹部の一人『飯田圭織』に向かってメチャクチャ感謝をする。
普段、電波で訳の分からないことばっかり言ってるだけの人、里沙にとっての圭織はそういう認識でしかなかった。
だが、この一件で里沙の中での圭織は電波→神へと一気に昇格した。出世という言葉では表現仕切れないランクアップである。

数ヶ月ぶりに見るなつみ。
質量を伴って目の前に立つその姿に、里沙の心は感動で打ち震えていた。
写真や音源や映像なんかじゃない、今ここにいる、確かな存在。

気がつけば、里沙の頬は濡れていた。


「あら、ガキさんったら花粉症かい?
だったら、マスクとかゴーグルでも買って帰ればよかったねぇ」


的外れにも程があることを言いながら、なつみは里沙の頭に手を伸ばしてそっと撫でる。
その手の感触に、ぶわっと里沙の目から涙が、鼻から鼻水が勢いよく噴き出した。
はっきり言って、相当ぐちゃぐちゃな顔である。


「花粉症、じゃない、から平気です」

「本当にそうかい?
何だったら、なっち、ひとっ走り買いに行ってくるべ?」

「大丈夫です、自分で行きますから。
安倍さん、本当に…ありがとうございます」


別に、目も鼻もかゆくも何ともない。
ただ、心の中にふつふつと湧き上がるものがあった。

その何かに突き動かされるように、里沙は部屋を飛び出していく。


「ぬうおおおおおおおおおお!!!!」


雄叫びを上げ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔のまま商店街を駆け抜けていく里沙。
その狂気を孕んだ、鬼神のような姿に偶然にもその時間に商店街に居合わせた人々は、皆恐れおののいた。
だが、そんなことは里沙にとってはどうだってよかった。

商店街を抜け、そのまま近所の河原へと勢いよく駆け上がり、なおも里沙は走り続ける。

ジョギング中の男性が目をひんむく。
愛犬と散歩中のおばあちゃんの入れ歯が外れる。
サイクリングしていた女性は、自転車毎宙を舞う。

それでも、里沙は止まらない。
雄叫びをあげながら、運悪く里沙の目の前に立ち塞がってしまった人をなぎ倒しながら里沙は河原を駆ける。


「あっ!」


小石に蹴躓いた里沙の体は宙を舞い、そのまま河原を転がり川の方へと転がり落ちていく。
勢いよく転がった里沙は川の中へと落ちた。
深さの無い川だったため、溺れることなく里沙はその場に立ち上がる。


「…ぬぅおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


夕日の差し込む川の中で、咆吼を上げ続ける里沙。


(やっぱり、安倍さんは天使…!
あたしのことを気遣って、優しい言葉をかけてくれて、心配してくれて…。
安倍さんのためにも、あたし、頑張らなくっちゃ!)


里沙の心は熱く燃えさかる。
スパイ、上等。
個性の強いヤツらが何だって言うんだ、そんなの関係ねぇ。
一日でも早く任務を完遂して、ダークネスへと戻ってやる。


里沙の咆吼は、通報を受けて駆け付けた警官が声をかけるまでの間続いたのだった。


     *    *    *


束の間の帰還は、想定外の出来事によって楽しいものから一気に疲れるものへと変わった。

まず、なつみが急用が出来たからといって再び出ていった。
それだけでもブルーだというのに、連日連夜酔っぱらい達に絡まれ、切れられ。
大事にしていた熊二郎のフィギュアは、紺野のどじっ子発動によって無残な姿に変わった。

折角里帰りしたというのに、安らぐどころか憂鬱がより深くなった里沙。

新垣里沙の憂鬱がいつ晴れるのか。


―――少なくとも、近い未来でないことだけは確かであった。




















最終更新:2012年12月02日 08:34