(02)650 『共鳴トライアングル』



「絵里ー、大変大変!ビックニュース!」
今日もさゆみは病室に駆け込んでくるなりかばんを放り投げた
いつも通りの笑顔
しかし、今日の登場はいつものお決まりの台詞とは違っていた

「どうしたの?」

さゆみはベッドの傍らにあった椅子を引き寄せた
が、そこには座らず絵里の目の前にグッと顔を寄せる

「今ね、ロビーが大変な事になってたの」
「ん?なんで?」
「おっきな事件があったんだって!」
「ふーん・・・」
「あれ?絵里、興味ない?」
「うん。あんまりー」
「なーんだ、つまんないのー」

さゆみは頬を膨らませて、ドカッと椅子に腰を下ろした

「興味はないけど、話は聞くよ?」

すっかりいじけてしまったさゆみを見て、やっぱり年下なんだなと納得した絵里は優しく声をかけた

「あのね、50人対ひとりの大喧嘩があったんだって!」



それは街外れの河原での事

“湾田橋近くの河原で不良達が大人数で喧嘩をしている”

近所の住民の通報で警察が現場に駆けつけた時、それは既に収束しつつあった

倒れたまま動かない者
痛みに堪え切れず喚いている者
腰を抜かしてもなお逃げようと地を這い蹲う者
河原に生い茂る草花にこびり付いた大量の血痕

異様なその光景のむこう側で体を小さくしてうずくまっている少女

その少女の腕の中には小さな黒猫が一匹

その黒猫は息をしていなかった



「って、看護婦さんが言ってたの」
「うそだー、その女の子がひとりで50人をやっつけたって事ぉ?」
「って警察の人が言ってたって看護婦さんが言っての」
「えー、絶対嘘だってぇ」
「じゃぁ絵里は、誰がやったと思うの?」
「そんなの絵里、知らないってばぁ」

こんな些細な話題でも絵里にとって、さゆみとの会話のキャッチボールが心地良かった

「絵里ちゃん?ちょっといいかしら?」

会話に夢中になりすぎて、看護婦さんのノックの音を聞き逃していたようだ
いつの間にか部屋の入り口には絵里の担当看護婦が呆れた表情で立っていた

「はい、なんですか?」
「今晩から、絵里ちゃんの隣のベッドに女の子が来ることになったのね」

2,3日前から空いたままになっていた絵里の隣のベッドを指差す

「外科の患者さんなんだけどさ、ベッド足りないからとりあえずこっちで面倒みることになったんで」
「わかりましたぁ」
「絵里ちゃんのひとつ下の女の子だから仲良くしてあげてね」
「はぁーい」
「じゃぁ、さゆみと同じ年なの」
「そうね、じゃぁ今から連れてくるから」

そう言い残して看護婦は静かに扉を閉めた



「どんな子だろうねぇ」
「かわいい子がいいの」
「さゆの基準はそこだけぇ?」
「そこは重要なの」

やっぱりこの時間は心地良い
絵里とさゆみがしばらくの間、楽しい時間をすごしていると

先程の看護婦が猫をつれて戻ってきた



寝苦しい
その夜、絵里はめずらしくなかなか寝付けずにいた
隣のベッドからビリビリと何か不思議な感覚が伝わってくるから
物音はしないけれど隣のベッドの猫もまだ眠っていない
そう確信した絵里は思い切って声を掛けた

「あの・・・ちょっとお話しませんか?」



少しの間が空いて、モゾモゾとシーツがこすれあう音が部屋に響く

「なん?」

ぶっきらぼうな返答に多少面食らった絵里ではあったが、なんとか言葉を返す

「あの・・・いや・・・なんだか今日は寝付けなくって・・・だから・・・」
「ふぅん・・・」
「あ、あの・・・私、亀井絵里って言います」
「れいな。田中れいな」
「あの・・・怪我・・・大丈夫ですか?」
「こんぐらい大丈夫。ってか、そっち行ってもよか?カーテンとか邪魔やし」
「うん」

と、答えると同時に勢い良くカーテンがめくられる

「わっ!」
「ちょっ、シッ!声デカいし!」
「そう言う田中さんも声おっきいよぉ」
「うっさい」
「あー・・・年上にそんな事言うんだぁ」
「あんた、れなより年上とね?」
「疑ってるー!本当だもん!看護婦さんに教えてもらったんだから間違ってないもん!」
「しゃべり方が年上っぽくなか。アホっぽい」
「絵里はアホじゃないもん!!」

今度は部屋の扉が勢い良く開いて、ふたりは看護婦さんにこっぴどく叱られた



「で、その田中れいなちゃんは?」
「今診察に行ってる。肋骨にヒビが入ってるんだってー」
「50人相手にしてそれだけ?」
「あと、顔とか腕とか怪我してたよ」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
「どんだけ~~」
「あはは!さゆおもしろーい!」

「あいかわらず絵里、うっさい」

扉から不機嫌そうな顔を見せるれいな

「おかえりー。どうだったぁ?」
「ん。ヒビもたいした事ないから4,5日で退院やって」
「えーそうなんだぁ・・・つまんないのぉ」
「絵里。そこ、残念がるんじゃなくて喜ぶ所でしょ?」
「だってぇー」

ふくれっ面の頬をつつきながらさゆみは立ち上がる

「絵里の幼馴染で、道重さゆみって言います」
「あぁ・・・田中れいな。コイツ夜も朝も昼もうるさいけん黙れってあんたからも言っといて」
「絵里はうるさくないもん!」



絵里は自身の病気のせいで周りに迷惑を掛けているという負い目を感じているせいか
さゆみ以外の人間の前では素直で従順で大人しい年相応の振る舞いで過ごしてきた
なのにどう事だろうか
この田中れいなという猫の前での絵里は、さゆみとふたりっきりの時の絵里そのままだった

「うっさい」
「うっさくないぃ~」
「絵里は寝てる時以外はうるさいの。」
「うえぇぇ~」
「そしてそろそろ時間だから、さゆみは帰るね」
「えー、もうそんな時間?」

「なぁ、ミチシゲさん・・・」
「ん?」
「あんた、毎日ここ来よるん?」
「・・・来てるよ?」
「ふぅん・・・仲いいんやね、あんたたち」

そう言って、れいなはカーテンを勢い良く閉めてしまった
絵里とさゆみは無言で顔を見合わせた



また、今夜も眠れない
昨晩と同じようなこの不思議な感覚に絵里は身を委ねてみる
嫌な気はしない
何かが何かを静かに掻き立てる、そんな感覚
その感覚を丁寧に辿って行った先をにあるものは・・・隣のベッド

「田中さん・・・起きてる?」
「・・・起きとる」

聞き覚えのある物音がカーテン越しに聞こえてくる

「お話してもいい?」
「ん」

今日はゆっくりと開かれる白いカーテン
その隙間からのぞくのは目を細めて少し眠たそうな顔
昼間とはまったく違うその無防備な表情に、絵里は思わず笑みをこぼした

「何笑っとーと?」
「んー?田中さん・・・猫みたいだなと思って・・・」

その言葉にれいなの目がかっと見開かれる


「え?どうしたの?」
「・・・・・・・・・」

れいなは眉間に皺を寄せて絵里から目を逸らす
明らかに不機嫌になっているもののゆっくりとさゆみの指定席である椅子に腰を下ろした

「ねぇ、田中さん・・・絵里、なんか悪いこと言った?」
「・・・悪いことは言っとらん。ちょっと嫌な事、思い出しただけやけん・・・」
「・・・ごめん」
「いや、あんたは悪くないけん」

絵里の弱々しい謝罪の声に、やっとれいなは顔を上げた
その目にはうっすらと潤んでいるように見えた
慌てて絵里は体を起こして、真正面かられいなを見据える

「田中さん・・・ごめん・・・やっぱり絵里、変なこと言った・・・」
「や、違うけん」

そう言ってれいなは俯きながら目を手の甲でグシグシと荒っぽく拭った


先程から感じていた不思議な感覚
それが絵里の中でより一層大きく、はっきりとしたものになった
が、依然として正体は不明な感覚
しかしその感覚に導かれるように、絵里は右手を差し出してれいなの頬を優しく撫でた

「泣かないでよ・・・」
「泣いとらん」

れいなの頬に触れた掌から、れいなの涙が染み込んで来るような感覚に襲われる

「でも、泣いてる・・・」
「やけん、泣いとらんって」

絵里はその感覚に導かれるまま、れいなを片手で抱き寄せた
いきなりの絵里の行動に不意打ちをくらったれいなは、体のバランスを崩して絵里のベッドへと倒れこむ

「ちょっ・・・何すると?」
「泣けばいいじゃん」
「何?」
「泣きたい時は泣けばいいじゃん」
「・・・・・・・・・」

れいなの返事も抵抗もないことを確認した絵里は、抱き寄せる腕にさらに力を込める
優しく、ゆっくり、静かに

「絵里はね、泣きたい時は泣いちゃうよ?」
「・・・・・・・・・」



出会いは遠い昔
れいながまだ幼く、弱く、押しつぶされてしまいそうでもがいている頃
学校からの帰り道、ひとり橋の下で雨宿りをしている時だった

その黒猫もまた、幼かった

その日かられいなは、半分残した給食のパンを持って毎日欠かさず黒猫に会いに行った
休みの日は施設を抜け出して、自分の食べ物を分け与えた

それが何年も続いた
黒猫と過ごす時間が、唯一れいなの心休まる大切な時間だったから

最近では黒猫も年老いてきていたのか、動きも鈍く食欲もない
しかし、れいなが現れると必ず草むらの中からゆっくりと歩み寄ってくるのだった

そして昨日
その日もいつものように、黒猫との約束の場所へ向かっていた

そこで待っていたのは

れいなと黒猫が長い年月をかけて築いてきたものが無残にも壊された残骸だった
複数の人間が黒猫を殴り、蹴り上げ、笑い転げるその光景

大切なものが壊された


ならば  壊した人間を  壊してやる



「そっからは、あんまり覚えてなか」
「うん・・・」
「無我夢中やったけん・・・」
「そっか・・・」

一通り話終わったれいなは派手な音を立てて鼻をすすった

「その猫は、警察の人がちゃんと供養してくれるって言うてくれたけん・・・退院したら墓参りに行くと」
「ねぇねぇ、絵里も行きたい!」
「へ?なんで?」
「なんででも!あ!さゆも一緒に連れてくからさぁ・・・3人で行こうよ!」
「なんで?」
「だからぁ、なんででも!絵里が行きたいから行くの!」
「はぁ・・・まぁそこまで言うなら行ってもええちゃけど・・・」
「今度、絵里の外泊許可出たら行こうね!」
「絵里、外泊できんの?」
「できるよ。たまにだけど・・・よし!決まりぃ~」

今度はグッと力一杯れいなを抱きしめた



病院の正面玄関から駆け込んできたさゆみは、ロビーの待合に似つかわしくない派手な格好の人物を見つけた

「れいな!」
「おぅ、さゆ!」

ここ数日ですっかり打ち解けた絵里、さゆみ、れいな
お互いを名前で呼び合う仲になった
が、しかし、今日れいなは退院する

「退院おめでとうなの」
「ありがと。まぁ、まだ痛かったりするんやけどね・・・」
「あんまり無理しちゃダメだからね!」
「わかとーよ」
「で、絵里は?」
「まだ検査から帰って来とらん」
「ふーん・・・」
「れいなだけで申し訳ないですー」
「そーんなこと思ってないよ?れいなちゃんと二人っきりだなんて、さゆみうれしいなー」
「さゆ、棒読みやし」

軽口を叩き合えるまでに3人の距離は縮まっていた
れいなにとってそれは初めての感覚だった
だけど居心地は悪くない、いや、心地良かった



「ところでさー、ねこちゃんのお墓参りなんだけど」
「あぁ、絵里から話聞いたと?」
「聞いた聞いた。れいなって見かけによらず、優しいんだって思っちゃった」
「ほっとけ」
「まぁまぁ怒らないの。でもさー、さゆみもれいなの気持ちすごくわかるの」
「・・・・・・・・・」
「さゆみもね、小学校の頃、ダンゴムシが友達だったの・・・」
「・・・・・・・・・はぁ?」

それからさゆみはダンゴムシとの思い出をとうとうと語り始めた
ダンゴムシとの出会い、ダンゴムシとの楽しい時間、ダンゴムシと一番盛り上がった会話―――
れいなは静かに頷くしかなかった・・・

「でもね、ある日・・・クラスの男子がさゆみのダンゴムシを教室の窓から投げちゃったの!」
「外に?」
「そう!で、もうさゆみ泣いちゃって・・・」
「・・・はぁ・・・」
「だってお友達が窓の外に投げられちゃったんだよ!しかも、その時の教室が3階!」
「3階・・・ですか・・・」
「酷いよね!でもさゆみ、泣いてるだけでその男子に何も言えなかったの」
「・・・・・・・・・」
「だから、れいなはすごいなって・・・偉いなって・・・絵里と話してたの」
「いや、偉いとか・・・そんなんやないけん」
「ううん、偉いの。もしね、あの時れいながさゆみの傍にいてくれたら、さゆみのこと助けてくれた?」
「・・・あぁ・・・たぶんその男子、殴っとったやろね」
「あはっ、れいならしいー」


「さゆーー!れーなぁー!」

大きな声で呼ばれた二人は声のする方へと反射的に視線を移す
ロビーの入り口で大きく手を振る絵里

「絵里!おかえ───
「キャーーーーーッ!!!」

さゆみの返事は絵里の近くに居た女性の叫び声にかき消された

何事かとその場に居合わせた全員がその方向に目を向ける
そこにはれいな以上に、病院に似つかわしくない集団

「田中れいなぁ!退院おめでとーー!」
「この前のお礼に来てやったぜ!」
「もういっぺん入院しろや!」
「ってか、二度と退院できねーようにしてやっからよぉ!」

それはれいながつぶしたグループの残党だった
あの黒猫を殺した奴らだった

「どけ!」

その中の一人がこちらへ近づいてくると同時に近くにいた絵里を突き飛ばした

「キャッ!」
「絵里!」

さゆみは弾かれたように絵里のもとへ駆け寄る

「大丈夫?」

さゆみはその場に倒れこんだ絵里を抱き起こした
しかし、絵里の視線はさゆみの肩越しに送られていた
さゆみもつられてその視線の先にあるものを確認しようと振り向いた

「ぅらぁぁぁあああっ!!」

れいなは絵里を突き飛ばした男の襟首を掴んで、外へ投げ飛ばした

「ぐわぁぁっ!」

派手に転んだ男の腹に鋭い蹴りをぶち込む
後ろから殴りかかる男の右腕を振り返りざまに避けて、カウンターをくらわす
れいなの拳をモロに受けた男の顎から鈍い音がして崩れるように倒れこんだ
残りの男達が束になってれいなに襲い掛かる
しかしれいなは流れるような動きでかわしていく
男達が次々に倒れていく
誰もれいなの動きを止められない
誰もれいなに触れられない
それは荒々しくも、とても美しかった

「ダメッ!」

そんなれいなの動きを止めたのは絵里の一声だった

「れいな、ダメだから!」
「何?なんで止めると?!こいつらは・・・」
「わかってる!そんなのわかってる!」
「わかっとらん!こいつらは平気で命を奪うような奴らやけん!」
「でも、ダメ!」
「なん?」
「れいなはね・・・れいなのその強さはね・・・人を傷つけるためのものじゃないの!」

絵里の目に涙が溢れ出す

「なっ・・・ぇ・・・絵里・・・」

泣き出しそうな絵里の肩をそっと抱きかかえるさゆみが続ける

「その強さは人を守るために使わなきゃダメなの・・・そしてれいなはそれができるはずなの・・・」
「さゆも・・・何言うとーと?」

刹那の沈黙の後、パトカーのサイレンが風に乗って流れ込んできた
倒れていた男達がその場を去ろうと、ダメージの大きい体を起こし始める
れいなも身の危険を感じて、ロビーのソファに置いたままのかばんの元へと走り出す
れいながすばやくかばんを肩に掛けた時、パトカーは病院の正面玄関に到着し、男達を取り押さえていた

「れいな!」

さゆみが叫ぶ
れいなが振り返る
続けて絵里が小さく呟く

「れーなぁ・・・」

れいなは口元に薄い笑みを浮かべた

そして、猫のように身を翻して裏口の方へと駆け出した

「あの女だ!追え!」
「裏口だ!」
「パトカーを裏口に回せ!」

取り押さえられた集団の罵声と駆けつけた警察官の怒号が響き渡るロビー
その中で静かに佇む絵里とさゆみ

「行っちゃった・・・」
「ま、いいじゃん・・・また近々会えるんだし」
「でもぉ・・・」
「お墓参り行くんでしょ?」
「絵里、れいなの連絡先・・・聞いてない・・・」
「え?ちょっ・・・バカ?」
「バカじゃないもん!今教えてもらおうと思ってたのにこんなことになっちゃったんだもん!」
「フツー、もっと早く聞いておくよね?」


「絵里が悪いわけじゃないもん!!」
































最終更新:2012年12月17日 11:47