(22)228 『蒼の共鳴番外編-Iのオムライス-』

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午後3時15分、遅めのランチを終えた客が店を出て行った。
これから夕方になるまでの数時間“喫茶リゾナント”はしばし、穏やかな時間が流れる。
この店のマスターである“高橋愛”は、若干の疲れを顔に出しながら出入り口のドアへとプレートを掛けに行った。

“喫茶リゾナントは夕方5時から営業再開します”

プレートをかけ、愛は店の中へと戻る。
パッヘルベルのカノンが流れる店内は愛以外に誰もいない。

厨房へと移動した愛は業務用冷蔵庫の中を確認し、適当な材料を取り出した。
手に取った食材の量から察するに、おそらく愛はこれから自分が食べる遅めの昼食を作ろうとしているのだろう。

小さな溜息を一つ、二つ零した後に愛は頭を振って材料を持って調理台へと、けしてきびきびとは言えない速度で歩く。
朝から今まで、休憩を取る暇もなく調理に接客にと動き回る、それが定休日を除いて毎日続けば疲れるのも無理はない。
ましてや、この喫茶リゾナントには愛以外の従業員はいない、すなわち愛がマスターであり、コックであり、ウエイトレス。

だが、愛の表情を年齢よりも大人びさせて見せているのは、けして疲れのせいだけではない。
材料を調理台の上に置いたまま、愛の思考はほんの少し前―――最後の客が店を出て行ったところまで遡る。


『…美味しいんだけどね、何か足りないんだよ…。
グランマが作ってた通りにマスターが作っていないわけがないけど、でも、何か物足りないんだ。
マスターには悪いけど、今のままじゃ通ってまで食べたいとは思えない』


客が残していった言葉が、愛の思考を、心をグルグルと回って、行き場のないまま耳の奥に残っていた。
昔…愛がマスターになるよりも、遥かに昔、愛が小さな頃から通ってくれている馴染みの客、それだけにその言葉は言葉以上に重みがあった。

まだ成人していないが、愛は喫茶リゾナントの二代目マスターである。
客が親愛をこめてグランマと呼んでいるのは、愛の祖母であり喫茶リゾナント初代店主。

―――つい数ヶ月前、愛を残して病気でこの世を去ってしまった、愛にとってはかけがえのない大切な存在。


祖母の遺言に従い、愛はこの数ヶ月ひたすら働き続けてきた。
元々、祖母は病気のことがなくてもいずれは愛に喫茶店を継いで欲しいと考えていたようで、
愛は16歳の頃からウエイトレス兼将来のマスターとして、祖母から喫茶店の経営に関することは教わっていた。
そのため、経営面で分からないことは殆どない、それだけが愛にとって唯一の救いだった。

だが、未だに愛にはどうしても自分の力ではどうしようもないことがあった。
それは、祖母が作っていた料理を彼女と同じように作っても何故か同じ味にはならない、ということだった。

作り方は完璧だったし、小さな頃からずっと祖母の料理を食べて育ったというのに、祖母の味が再現出来ない。
幼いマスターにとってその事実は重く、苦しいことだった。

祖母は昔からよく愛に語って聞かせていた、常連を…“家族”を増やせるような料理を作らないと駄目だ、と。
喫茶リゾナントは昔からある、地域に根付いた小さな喫茶店である。
たまたま一見さんが入ることがないわけではないが、常連客に連れられてやってきて、そのまま“家族”となる客の方が圧倒的に多い。
家族が足繁く通ってくれるおかげで、贅沢とまではいかないが祖母と二人、普通に生活して来れたのだ。

だが、祖母の死後は、一人、また一人と顔を見せなくなる客が出てきた。
顔を見せなくなる前に、必ず皆は同じような言葉を残して去っていく、そう、先程の客と同じような言葉。

美味しいことは美味しいのだろう、稀に入ってくる一見さんが料理を残したり、顔をしかめたりするようなことはなかったし、
会計の時には愛にまた来ますねという言葉をかけてくれる。

だが、一見さんはなかなか“家族”にはならない。
昔からの家族が減っていっているのに、新たな家族が増えない、それはすなわち、いずれは喫茶リゾナントを閉店しなければならない、
そういう暗い未来に向かって進んでいるということである。

今はまだ何とかやれている、でも、3ヶ月後はどうか、半年後はどうか、一年後は一体どうだろうか。
祖母が愛ならやれる、そう言って託してくれたこの店の未来が、将来が今の愛には全く見えなかった。


我に返った愛は、厨房に置いてあるタイマーと兼用の小さな時計を見て慌てて調理を開始する。
大分長い間、物思いに耽っていた。
早く食事をとって、夕食の時間に向けた仕込みをしなければならない。

トントントントンという、まな板と包丁が奏でる音。
ちゃっちゃという、ステンレスのボウルと泡立て器が奏でる音。

十数分後、真っ白な皿の上にのったのは―――仄かなバターの香りがするオムライス。

洗い物を流し場へと放り込み、手を洗った愛はオムライスののった皿とスプーンを持って、お決まりの定位置へと移動する。
厨房の中が覗ける、店の奥側に位置するカウンター席。

―――祖母が料理を作る姿がよく見えた、家族の誰にも譲ったことのない特等席だった。


「…いただきます」


耳を揺らすカノンの音色以外、何の音も聞こえない静かな店内。
愛はスプーンを手にとり、一口分すくい取って口へと運ぶ。

確かに、いつも祖母が作ってくれたように作ったはずなのに。
口の中に広がる味は、美味しいのに“何か”が欠けていた。

まるで砂利を噛んでいるかのように顔をしかめながら、愛はもう一口すくって口に入れる。
何が変わるわけでもない、むしろ、最初の一口目よりもその“何か”が気になって仕方がなくなる。


「…何でかなぁ、何でばぁばと同じように作ってるのに…」


それ以上は、言葉にならなかった。
スプーンを持つ手に力が入らなくなり、スプーンはカウンターテーブルへと転がる。

愛の口から漏れるのは、押し殺した呼吸。
愛の瞳からこぼれ落ちるのは、大粒の涙。

物心付いた時に両親に捨てられた愛を、喫茶店の経営をしながら立派に育ててくれた祖母。
観劇が趣味で、定休日は必ず愛を伴って有名無名問わず舞台観劇へと連れ回し、愛が悪いことをすれば叱り、
我が儘を言えば諭し、でも、けして愛にとって祖母は怖い存在ではなかった。

愛が泣けば、優しく頭を撫でて抱き締めてくれた。
笑ったら、一緒に笑ってくれた。

友達のようで、それでいて確かに祖母として、愛を温かな愛情で包んでくれていた祖母。
愛を育てなければと、愛が止めるのも聞かずに病気の体で喫茶店を切り盛りし、最後の最後まで
喫茶リゾナントのマスターとして、愛の祖母として生き続けた。

―――もう、祖母には会えない、この地球上の何処を探してももう、彼女はいない。


「っく、っ、あああぁぁ…!」


祖母が亡くなった時、通夜と葬式を終えた時に、もう涙の一滴も出ないくらいに泣いたはずなのに。
壊れた蛇口から水が漏れ出すように、愛の瞳からは涙が消えることがない。

泣いても泣いても、どれだけ泣いても…もう、祖母は自分の涙を拭いに現れることがない。
どれだけ呼んでも叫んでももう、祖母は自分の所には帰ってこない。
いないのだ、死んでしまったのだ、愛とリゾナントを残して灰になってしまったのだ。


その事実が余りにも悲しすぎて、辛すぎて。
愛はただただ、泣くことしか出来ずにいた、その時だった。
カランカラン、と出入り口のドアを開けたときに鳴るドアベルが音を奏でる。


「こんにちわー、って、え…」


ドアを開けて入ってきたのは、先日知り合ったばかりの友人“新垣里沙”だった。
声を上げて泣く愛の姿に、里沙はその場から動けない。

愛が泣いているところを初めて見たということもあり、また、何故泣いているのかも分からない。
何と声をかけたらと、里沙が言葉に詰まったその時―――愛が里沙の方を向いた。

涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を隠そうともせずに、愛が里沙の方を向いて口を開く。
里沙ちゃん、とだけ動いた唇が何か言葉を紡ぐよりも早く、里沙は反射的に愛へと駆け寄り、その華奢な体を抱き締めた。

里沙が抱き締めたことにより、より激しく、狂ったように泣き始めた愛の背中をさすりながら、
里沙は言いようのない感覚に胸を強く締め付けられる。

“共鳴”と名付けた感覚、それは愛と里沙…そして、未だ見ぬ将来の“仲間達”とを繋ぐ、目には見えない“繋がり-リンク-”。
口に出さずとも、互いの思っていることが瞬時に伝わり合う。
困惑する里沙の元に届く、愛の想いは何処までも深く重い海の底のような暗すぎる青い悲しみ。


(ばぁば…)

(会いたいよ…)

(寂しいよ…)

(悲しいよ…)

(どうしたらいいの…)


壊れたラジオのように、途切れ途切れに伝わってくる愛の想い。
一つ一つが悲しみに溢れ、共鳴によって繋がれた里沙の心までも暗すぎる青へと染め替えていく。

その想いに飲み込まれてしまわないように、歯を食いしばりながら、里沙は愛が落ち着くまで背中を撫で、
頭を撫で、時には大丈夫だよと言葉をかけ続けた。

どれほどの時間が経っただろうか。
愛の口から嗚咽が漏れなくなったのを確認して、里沙は優しく声をかける。


「どうしたの、愛ちゃん。
お腹空いたからリゾナントで何か食べさせて貰おうかと思って来たら、愛ちゃん泣いてるし」

「…そうやったんや、待ってて、今から何か」

「そうじゃないでしょーが。
―――何でそんな泣いてたのよ」

「…共鳴、か。
本当、隠し事の一つも出来ん、ある意味では厄介な“絆”やな…」


自嘲しながらの呟きに、里沙が何か答えようとするよりも早く、愛が言葉を紡ぎ出す。

今日もまた一人、常連客の一人が最後の言葉を残して帰っていったこと。
昼ご飯として、いつも祖母が作ってくれたオムライスを作ってみたけど、祖母と同じ味がしないこと。
このままじゃ、祖母が託してくれた店を手放さなければいけなくなる日が来るだろうということ。

時折、涙を堪えるせいか声を裏返らせながら、拙い言葉を紡いで、一生懸命に里沙に伝えようとする愛の姿。
自分よりも年上だというのに、その姿はどこか迷子になった小さい子供を思い起こさせる。

こういう時、何と言葉をかけたらいいのだろう。
里沙はまだ、自分の肉親や肉親同然の付き合いがある人間を亡くしたことがない。
そういう経験があればまだ、こういう時にかける言葉の一つくらいは容易とまではいかないが、思いつくだろう。

だが、何も言わなければ愛は再びふさぎ込み、無理に笑い、何も変わらない。
変わらないまま時が過ぎ、気がついた時にはもう、戻れないくらい悪い方向に進みかねない。

それは、里沙にとっては非常に困ることだったし、何よりも…辛いことだった。
共鳴という感覚がある限り、愛と里沙は繋がってしまう。
自分が悲しいわけでもないのに、まるで自分がその想いを味わっているかのような悲しみが、苦痛が胸を裂く。
そして、そのまた逆も然り…“心の痛み”がどれほど辛いものかは愛と出会う前…“過去”に嫌と言うほど味わって知っている。


そう簡単に癒えるような悲しみではないかもしれない。
人に何かを言われたからといって、それで方向が変わるような簡単な悲しみではないかもしれない。
愛には今、その苦しみから、悲しみから一歩踏み出すためのきっかけが必要なのだ。

かつて、自分を救ってくれた“あの人”のように上手く言えるかは分からない、だが、里沙は意を決して口を開く。


「愛ちゃん…あたしは未だ、家族とか家族同然に仲のいい人を亡くしたことがないから、
愛ちゃんがどれだけ苦しいのか、悲しいのかは全部は理解出来ない。
でも、これだけは言わせてほしい―――おばあさんのことを、今まで過ごしてきた温かい時間を、
全てを悲しみの色に染めちゃったら駄目だよ」

「…里沙、ちゃん」

「思い出して、おばあさんが亡くなったことはとても辛いことだと思う、悲しいことだと思う。
でも…愛ちゃんとおばあさんが今まで過ごしてきた時間は、けして悲しいことばかりの時間じゃないでしょ。
温かくって、かけがえのない、宝物のような時間だった…でしょ?
今、愛ちゃんはおばあさんと同じ味が作れないって悩んでるみたいだけど、大丈夫だよ、
その温かさを覚えてるのなら、忘れていないのならきっと…おばあさんと同じ味をお客さんに提供できるはずだよ」

「…出来る、かな、あーしに」


そう呟いて、眉をハの字にする愛の眉間に里沙は手を伸ばして―――デコピンをかます。
驚いたような顔を見せる愛に、里沙は柔らかく微笑んで再び口を開く。


「だって、そこにはおばあさんがいるでしょ―――出来るよ、絶対」


デコピンした腕をそっと降ろしながら、言葉と共に里沙が指さしたのは、愛の胸の辺り。
その微笑みが、その優しさが暗い深い悲しみの色に完全に染まりつつあった愛の心を、温かく照らす。


すぐには変わらないかもしれない。
だけど、暗闇に閉ざされたような心に…たった今、一筋の光が、蜘蛛の糸のように今にも切れてしまいそうだけど、
縋らずにはいられないだけの強烈な“何か”を持って愛の前に今、確かに存在する。

終わらない悲しみなどない、この世に耐えられぬ悲しみなんて、数えるほどしかない。
時が過ぎれば、どんな思いも形を変え、色を変え、いずれは万物平等に訪れる永遠の眠りと共にこの世界から消え去る。

苦しい、悲しい、いつまで続くのかとあがき続けるしかなかった自分。
だが、里沙は全てをその色に染めてはいけないのだと言った、深い悲しみや辛さから目を背けずに、
何もかもを塗り替えてしまわずに、真っ直ぐに向き合わなければならないのだ、と。

今はまだ、難しいけれど。
でも、そうすることが出来なければ、守りたい物を守れずに、託された想いを裏切ることになってしまう。

まだ目の奥は熱くて、今にもまた涙が溢れてしまいそうだけど。
愛は里沙の微笑みに、小さく微笑み返して…ふと、壁に掛けられた古ぼけた掛け時計に目をやって大きな声を上げる。


「ああああ、もうすぐ5時や!
まだ何も仕込みもしてないのに…」


さっき泣いていたカラスが、笑うとまではいかないが普通になった。
そのことに里沙は小さく微笑みながら、鞄の中から携帯できるゼリーを取り出して愛に手渡す。


「それなら、食べながら仕込み出来るでしょ。
あたしはこっち貰うから」

「え、それもう冷えてるし、美味しくないよ。
せめてレンジでチンするとか」

「愛ちゃん、余計なこと言ってる暇あるならとっとと仕込みに入りなよ、このままだと間に合わないよ」


里沙の言葉に愛は慌てて携帯用ゼリーの栓を開けて、口に吸入口を咥えながら厨房へと急いで戻る。
せわしなく動き回り始めた愛の姿を見つめながら、里沙はもう冷めてしまったオムライスを食べるために、
テーブルに転げたスプーンを拾い上げ、紙ナプキンで拭く。

一口、掬い上げて口に入れたオムライスは、確かに愛の言う通り、美味しくなかった。
だが、里沙の口元に浮かんだのは柔らかな微笑みだった。

深い悲しみが、辛さがその色を変えるには時間がいる。
愛はすぐにはおばあさんが作っていた味を作れるようにはならないだろう、だけど、愛ならきっと、
おばあさんが作っていた料理と同じ味を作れるようになるはずだ。

―――祖母の愛情を一身に受け、心身共に健やかに成長してきたのだ、愛という名前に違わずに。


愛は光のようだ、と、そう思う。
最も、本人にその自覚はないだろうが。

“能力者”と知れただけで、虐げられ、傷つけられ、苦しみから逃れられずに生き続けるしかない人間もいる。
その中で、愛は羨んでも羨みきれない程恵まれた環境で育ってきたのだろう、里沙はそう推測する。

温かな愛情にくるまれて、能力者でありながら限りなく一般人として育てられてきた愛。
彼女は分かっていない、否、多分自分の知らないところでそういう暗闇の世界が広がっているなどと思いすらしていない。


それ故に、その光が羨ましい反面、憎らしくもあり…でも、惹き付けられずにはいられない“何か”を感じる。
その何かが何なのかは、共に時を過ごす内に分かるのかも知れないし、分からないまま彼女と“永久”に離れ離れになるのかもしれない。

ただ、この、今という時がどれだけ続くのか分からないけれど―――愛を見ていよう、里沙はそう思いながらオムライスを平らげていく。

里沙ちゃん、表のプレート取ってきてという、何とも勝手な愛の言葉に苦笑いしながら、里沙はドアへと歩き出した。


後日、喫茶リゾナントのメニューに新たなメニューが加わった。
数日ぶりに訪れた客は、先日、愛にこのままでは通えないと言った客。


「マスター、このメニュー何?」

「あー、それは先日あーしが加えたんやよ。
その名前の通り、食べたら思わず涙が出ること必至なオムライス」

「じゃあ、それで」

「あいよ、“泣いちゃうかもオムライス”一丁、入りまーす!」


喫茶リゾナントに響く、愛の威勢のいい声。
今までとは違う愛の様子に、客は思わず呆気に取られながらも…目を細めて微笑んだ。

喫茶リゾナントに生まれた新たなメニュー“泣いちゃうかもオムライス”。
これが、離れていた常連客を呼び戻し、新たな客を家族として定着させるだけの強力なメニューとなるのは、そう遠くない未来。


―――あなたも、一度食べに来ませんか?




















最終更新:2012年12月02日 13:10