(23)494 『蒼の共鳴番外編-グレイス・ウィンディア-』

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「ここ、何処?」


亀井絵里は降り立ったホームで思わずそう呟いた。
台風が来たら半壊しかねないような、古びた駅舎…否、駅舎と呼べるような立派な建物ではない。
申し訳程度の日除け兼雨除け、色あせた木製のベンチは座ったらギシッと嫌な音を立てそうだ。
当然、自動販売機なんてものはなく、駅員も存在しない―――所謂、無人駅。

ホームでしばし呆然とした表情を浮かべた絵里は、とりあえず、といった感じでベンチに座る。


「あっつ!
何これ…」


座って数秒もしないうちに、亀井絵里はその場に立ち上がる羽目になる。
申し訳程度の日除けでは、日差しが高い時間はベンチに直接日の光が当たる、
すなわち、熱されたベンチに絵里は座ったのだ。

とんでもないところまでやってきてしまった、と今更のように後悔しても遅い。
強烈な日差しが降り注ぐホームで、亀井絵里は何故こんなことになったのか反芻する。

きっかけは、些細なことだった。
亀井絵里が住む賃貸マンションのエアコンが壊れてしまった、さぁ、これから寝ようという時間に。
防犯という観点から窓を開けて寝るわけにもいかず、亀井絵里は非常に寝苦しい夜を過ごした。

よく眠れないまま朝を向かえた亀井絵里は、早速管理会社に連絡した。
そこで、備え付けのエアコン自体がかなり古い物であったため、どうせなら新しいのに取り替えようという話になる。
難しい話はよく分からなかったが、新しいエアコンの代金や業者へ支払うお金は大家持ちで、
亀井絵里は一銭も払わなくていいらしい。


新しい物になるのは嬉しい、しかもタダだと喜んだのも束の間。
業者の手配、エアコンの取り外し及び設置作業に丸一日かかるという。
そんなに長い間、暑い部屋で見知らぬ業者と過ごすのは耐え難い、
亀井絵里の心情を酌んだのか、管理会社の人間が代わりに見てくれると言ってくれた。

おそらく、エアコンついでに部屋の状態を見ておこうということだろう。
その言葉に甘え、亀井絵里は家を出てきた。

最初は、“仲間達”の集う喫茶リゾナントに行こうかと、そう思っていたのだ。
だが、そうしなかったのは…向かう途中に見た広告が原因だった。

“避暑地で過ごす、快適な夏!”というキャッチフレーズに、亀井絵里の心は高鳴った。
空調の効いた部屋で過ごすのもよいが、たまにはこうした所で過ごすのも悪くはない。
患っていた病気もほぼ完治し、普通の人のように過ごせるようになった亀井絵里はその思いつきのままに駅に向かう。

そこまではまだ、よかったのだ。

亀井絵里はかなりルーズな性分だ。
ちゃんと調べてから行動に移す、という概念が皆無と言ってもいい。
待ち合わせ時間には平気で遅れてくるし、適当というのが座右の銘ではないかと仲間達には言われる始末。
そんな亀井絵里が最初から避暑地に向かえるわけがなかったのだ。

大して考えもせずに切符を買い、二度乗り換え、約三時間半。
その結果が、辺り一面田んぼが広がり、遙か遠くの方にポツンポツンと民家があるような田舎だった。

亀井絵里は溜息を付くと、一旦ホームから出て反対側のホームへと向かう。
反対側のホームは若干影こそあるものの、やはり暑かった。
額から伝う汗をハンドタオルで拭きながら、亀井絵里は時刻表を確認する。


「ちょ、次の電車来るまで二時間とかありえないんですけど…。
こんなとこいたら絵里干からびちゃうよー」


情けない声を上げながら、亀井絵里はしばし考え込む。
このまま、ここでじっとしているか、涼を求めて僅かながらに見える民家の方へと行ってみようか。

まだまだ日は高く、微風一つ吹かないこの状況。
迷う亀井絵里を後押ししたのは、折角ここまで来たのだから何か収穫がなければという“焦り”。

亀井絵里はよし、と一言気を吐くと炎天下の畦道を歩き出す。
所々に小石が転がる畦道は真っ直ぐ民家のある辺りまで伸びているようだ。

遠く見えるけど、歩いてみたら案外近いに違いない。
あの辺りまで行けば、自動販売機とか商店とかあるかもしれない。
都会じゃ見れないような、珍しいものもあるかも。

色んな想いを胸に歩き出した亀井絵里の足取りは、
五分、十分と時間が経過するうちにどんどん鈍くなってくる。
期待していた風が吹く気配はなく、空は雲一つない快晴。
ジワジワと亀井絵里の体力が奪われていく。

無理もなかった。
最初、喫茶リゾナントに行くつもりで帽子の一つすら被らずに出てきたのだ。
気休めにハンドタオルを頭の上に乗せてみたものの、
小さなハンドタオルでは保護できる範囲が狭く、まさに焼け石に水とはこのことである。
容赦なく照りつける日差しが恨めしい、と思う気力すら奪われるほど暑い。

出発する際に購入した500ミリリットルのペットボトルの中身は、残り僅かとなった。
もう随分歩いてきたというのに、まだまだ民家や緑の見える場所は遠く、
亀井絵里は再び決断を迫られる。


このまま民家の方まで歩き続けるか、大人しくホームまで引き返すか。
迷いながらも、分かっていることが一つあった。

どっちにしたって、もの凄く体力を消耗する。


「皆、今頃、リゾナントでアイスティーとか飲んでゆっくりしてるんだろうなぁ。
…あー、絵里に風を吹かす“能力”があったらなぁ…」


愚痴と共に亀井絵里は立ち止まり、どうしようか考え込む。
そうしている間も、日差しに体力を奪われ、
余りの暑さに目眩すら覚え始める。

睡眠不足、それに加えてうだるような暑さ、
すなわち…熱中症になりやすい条件がしっかり揃っている。

亀井絵里の世界が歪む。

ゆらゆら、ゆらゆら。
世界が揺れる、輪郭がぼやけていく。
朦朧とする頭、あ、ヤバいなという危機意識とは裏腹に、体はまるで他人の物のように思うようにならない。


(…こんな所で倒れたらマジヤバイよ…携帯は…あ、リゾナントだから置いてきたんだっけ…
あー…マジ、どうしよ…)


歩かなければ、このままでは崩れ落ちてしまう。
分かっているのに、体は自分の意思とは無関係にゆっくりと崩れ落ちていこうとしていた。


微風でいい、吹いてくれれば。

亀井絵里の“祈り”は何処にも届かず、その世界が闇に包まれていこうとしたその刹那。

ゴウッという音と共に、亀井絵里の体を突風が薙いだ。
突然の風に、堕ちかけていた亀井絵里の意識が覚醒する。
世界が色を取り戻し、ぼやけた視界がはっきりとしてくる。

涼しい。
気持ちいい。

突風の後、辺り一帯に吹き始めたのは柔らかな微風だった。
気温が高いため、けして涼しいとは言えない微風ですらも今の亀井絵里は心地よい。
その風は消耗していた亀井絵里の体力を、再び歩き出そうと思えるくらいまで回復させる。

サァ…サァ…と、亀井絵里の耳に届くのは風に吹かれた稲穂が奏でる音。
その音に耳を傾けながら、亀井絵里は天を仰ぐ。

眩しい太陽の日差しを遮るように、雲が少しずつ少しずつ風に流れて広がってきた。


     *    *    *


あの後、亀井絵里は結局ホームまで引き返した。
風と、空を覆い始めた雲のおかげで随分楽になったとはいえ、いつまた風が止むかも分からない。
手持ちの飲み物の残量もないことから、今回は大人しく戻ることにしたのだった。

僅かな影に身を置き、電車が来るのを待つ亀井絵里。
何も考えずに適当に乗り継いでやってきたおかげで、帰り着く頃には夕食の時間になっていることだろう。
食欲はあまりないが、とりあえず今一番やりたいことは…思う存分涼しい部屋で水分を取って横たわりたい、それだけだ。


よく考えないで行動に移す癖を直さないとな、と思いながら亀井絵里は小さく微笑む。

散々だったけど、でも、悪くない。

普通、幾ら自分が悪いとはいえ、見知らぬ田舎で行き倒れそうになって
そのように思える人間は、ごく少数派だろう。

亀井絵里はかなりルーズで、適当が服を着て歩いているような奴だと周りから評される。
だが、普通の人間なら嘆くような場面でも前向きに物事を捉え、
事態を打開するために力強く前進していこう、そう思えるタイプだ。

病気で入院していた頃は、前向きとは程遠い暗い少女だった亀井絵里。
亀井絵里が今こうして明るく前向きな性格になれたのは、仲間達と出会い、
本来の自分を取り戻すことが出来たからだろう。

ぼーっとしている亀井絵里の視界に、ようやく電車が現れた。
ゆっくりとホームに進入してきた電車に乗り込んだ亀井絵里は、窓際の席へと陣取って車窓を開ける。

動き出した電車の車窓から入ってくる風が心地よい。
目を細めながら景色を見つめる亀井絵里の意識は、少しずつ少しずつ微睡んでいく。

亀井絵里はついに気付くことはなかった。
あの時、突如吹いた突風、そしてホームに向かうまでの間もずっと吹いていた微風、
それは己が新たに得た“超能力”によるものだということを。

強烈な日差しに崩れ落ちていく刹那、亀井絵里は無意識のうちに、
己の脳にある“超能力を司る領域”に新たなチャンネルを加えた。
今まで“傷の共有-インジュリー・シンクロナイズ-”以外の能力を有していなかった亀井絵里が、
危機的状況下で得た能力は―――“風使い-ウィンド・マニピュレート”。

自らの能力で危機的状況を切り抜けたことに気付くことなく、亀井絵里は眠りの淵に沈む。


亀井絵里が再び覚醒したのは、乗換駅兼この路線の始発駅。
駅員に起こされた亀井絵里は寝惚け眼をこすりながら、再び路線を乗り換える。

家に帰り着いた頃には、夕食を取るには少々遅い時間だった。
とりあえず、何か食べようと思いながら亀井絵里は、
あ、と大きな呟きと共にベッドの脇へと駆け寄る。

置いていった携帯電話に残る着信履歴、メールの山。
疲れた亀井絵里は休息を取るよりも先に、仲間達への連絡に忙殺される。

皆、もの凄く怒っていた。
でも、その感情は絵里に対する心配からくるものだと分かるから、亀井絵里は何度も謝る。
亀井絵里が最後の仲間と話し終える頃には、すっかり日付も変わっていた。

シャワーを浴び、亀井絵里はようやく長い一日を終える。
新しいエアコンの効き具合は上々で、布団に横たわった亀井絵里は小さく微笑んだ。


(今度また行く時は…ちゃんと準備してから行こうっと)


瞼を閉じても、今も尚鮮明に思い出せる。
抜けるような青空と、広がる水田の緑が眩しかったことを。
そよぐ風の心地よさと、あの場所に漂っていた、都会にはない温かな雰囲気を。

今度は皆で行きたいな。

それが、亀井絵里が眠りに落ちる寸前に思ったことだった。


―――己が得た新たな能力に亀井絵里が気付くのは、もう少し先の未来のことである。




















最終更新:2012年12月02日 13:12