身体的能力の高さには定評のある久住小春だが、もう一つの能力【チャーム】については今ひとつ定かではない。
というわけでわたしは小春を喫茶リゾナントの地下にあるダンススタジオに呼び出した。
このスタジオは愛ちゃんが以前バレエのエクササイズ用に作ったものらしいけど、いまではわたしたちのトレーニングルームになっている。
「なにかご用ですか? 小春忙しいんですけど・・・」
小春は明らかに不機嫌な顔をしながらもわたしの呼び出しには応じてくれたらしい。
「あー、うん、ごめんね。説教とかじゃないんだ。
小春の能力、何って言ったっけ? えーっと・・・チャーム? うん、それそれ、
あれでちょっとわたしと・・・対決してもらえないかな?と。
ほら、どんな技なのか知っておけばいざ戦闘になったとき援護できるんじゃないかなって・・・」
なんか自分で聞いてても苦しい言い訳だ。
わたしこんなんで本当にスパイやっていけるのかなってときどき思う。
「本当にいいんですか?」
わたしの不安をよそに小春はわたしの適当な言い訳をあまり気にしていないようだ。
せっかくやる気になってくれてるのに、ここでまた気が変わっても困る。
「いいよいいよー。本気でやっちゃってね。わたしだって結構強いんですからね」
なんておちゃらけていると、小春がジャケットのポケットから何かを取り出そうとしているので、わたしはとっさに身構えた。
ん、小春の横顔、笑ってる? なんか鼻で笑われた感じがしてヤだな。
すっと伸ばされる右腕。わたしは一歩下がってさらにガードを固める。
だが開いた手の中から落ちてきたのは鈴。
短い紐にぶら下がった鈴が音を立てる。
り───ん♪
ちょっと視線をずらすと鈴の向こう側にわたしをじっと見つめる小春の顔があった。
吸い込まれそうなほど大きくて真っ黒な瞳がわたしを射貫く。
このあといったいどんな攻撃が襲ってくるのかドキドキしながら待っていたが一向に動く気配がない。
「はい、おしまいです」
わたしの期待を裏切るような言葉とともに小春は鈴をポケットにしまい帰り支度を始めた。
「ええっ!? ちょっと待ってよ、小春!」
状況が理解できないわたしは肩すかしを食らった憤りを露わにして出口へ向かう小春に詰め寄る。
だがわたしが小春の肩に手を掛けた瞬間、状況が一変した。
突然強風に襲われわたしは顔を伏せる。
地下室に突風? そんなバカな。
わたしが恐る恐る目を開くと信じられない光景がそこにあった。
「崖? そんなはず・・・ない」
荒れ狂う海にせり出した細長い崖。
数十メートルはあろうかと思われる断崖絶壁の先端にわたしと小春が立っていた。
「さようなら」
小春がそうつぶやくとわたしの肩を軽く押し出す。
無意識にバランスを取ろうとしてわたしの足が一歩後ろに下がったけれど、そこに地面は無かった。
残った足もカクンと膝が折れ、そのまま背中から海に放り出される
宙に浮く感覚に、全身に鳥肌が立つ
─ 違う! これは幻覚だ! ─
わたしは必死に幻覚を振り払おうとした。
ズボッ!
わたしが落ちたところは数十メートル下にある荒れ狂った海の中ではなかった。
感覚では数メートルも落ちていない。
しかも衝撃を吸収するかのように柔らかく何かに包み込まれる。
わたしはゆっくり立ち上がって周りを見渡した。
少なくとも溺れる心配はない。
だってここは見渡す限りの大雪原だったから。
─ これが幻覚? ─
わたしは自分が見ている世界が信じられなかった。
いやこれは幻覚のはずなんだから信じてはいけないのだけど、どう見ても本物にしか見えない。
果てしなく続く雪景色、そしてこの冷たい雪。
寒い。吹雪が全身を打ち付ける。
わたしは両腕で自分の身体を抱きしめた。
─ どうしたらここから抜け出せる? ─
サクッ
背後から聞こえる足音にわたしは振り向く。
そこには寒さなど全く感じていない小春が立っていた。
わたしは迷う前に能力を解放する。
小春の精神を乗っ取り術を解除しなければ凍死してしまいそうだ。
だがわたしの能力は小春の心を捕らえることは出来なかった。
しかも小春の背後、さっきまでなにもなかった場所に巨大な山がそびえ立っている。
そこから地響きが聞こえ雪煙が猛スピードで迫ってきた。
雪崩だ!
次の瞬間、わたしは雪の波に飲み込まれた。
目を覚ますと闇に包まれていた。
身体に痛みは感じないものの手足がやけに重い。
自分の身体が埋まっていることに気付いた。
力を込めてもがくと少しずつ手足が自由になっていくのがわかる。
そんなに深くはなかったらしい。
最後の力を振り絞って身体を起こすとわたしは呆れ果ててしまった。
─ 砂 ─
先ほどから感じていた違和感。
わたしは雪に埋まってたわけではない。
その証拠に今は全然寒くない。むしろ暑い、いや熱い。
今度は砂漠の真っ只中だった。
「はぁ? もうどうにでもしてよ」
半ば負けを認めるような独り言を吐いてみたものの、状況は全く変わらなかった。
焼け付くような日射しと、まるで鉄板焼きの上にいるかのように熱い砂。
わたしはせめて日陰を求めて歩くことにした。
何時間歩いただろうか?
景色は全く変わらず草の一本も見あたらず、太陽がジリジリと肌を焼く。
のどは渇き意識が朦朧としてきた。
そして小さな砂の丘を越えた先にそれはあった。
青々と茂った木々と豊かな水を蓄えたオアシス。
わたしが走り出そうと地面を蹴った瞬間、足下を砂にすくわれ激しく転倒する。
柔らかい砂地はわたしの手足を飲み込み再び立ち上がることが出来ない。
身体はどんどん飲み込まれ、最後は全身が砂に埋まってしまった。
落ちる。
真っ暗な闇の中を果てしなく落ちていく。
いや、もしかしたら昇っているのかもしれない。
既に上下感覚がなくなっていた。
しかも全身の激痛と疲労で動くこともままならない。
─ わたしこのまま死んじゃうのかな? ─
薄れゆく意識の中に過去の思い出が走馬燈のように蘇る。
生まれた家、優しくしてくれたばばちゃん、パパ、ママ、生意気な妹
憧れていた安倍さん、組織、リゾナンター
そして親友の愛ちゃん
そのとき愛ちゃんの声が頭の中に共鳴した。
『なんや、こんなことで挫けるなんてガキさんらしくないやよー』
─ そうだ、こんなところで死んでたまるか! ─
わたしは意識を取り戻すと、ここから出る方法を考えてみた。
やっぱり目を覚ますには痛い思いをさせるのがベストよね。
すでに身体中が痛いけどそれを超える痛みを与えてやればもしかして・・・
なにか道具は?
髪をまとめているヘアピンを外すと、お団子だった髪が解けて風になびく。
わたしはピンを握りしめ太ももに力一杯刺した。
痛 ── っ!
全身に更なる激痛が走った!
それと同時にわたしの意識が外に吸い出される感覚を感じた。
光が戻り全身に重力がのし掛かる。
太ももの痛みに耐えきれずわたしは床に手をついた。
床? これはスタジオの床、わたしは顔を上げスタジオに戻ってきたことを確認する。
─ 帰ってきた! ─
傷は太ももの1カ所だけ。
髪は解けているけど他に傷も汚れも無い。
わたしは小春の幻術を破ることができた。ここからはわたしの攻撃の時間。
今度はわたしの洗脳の能力で小春をこてんぱんにしてやるんだから!
小春を見つけるとすぐさま精神を乗っ取った。
つもりだった。
しかしまるで雲を掴もうとしているかのように、わたしの能力は小春の心を空振りする。
─ なんで? ─
何度も試みるがまったく成功しなかった。
能力が使えない状況がわたしを不安にさせる。
二人が睨み合う形となった。
今度はあの鈴に注意しなければいけない。
だが緊張する二人の間に割ってはいるようにリゾナンターの仲間たちが現れた。
「あ、みんな」
応援に来てくれたものだと思ったが、そんなはずはない。
そもそもここに小春と二人でいることすら誰にも話していないのだ。
だがみんなの反応はわたしの想像をはるかに超えるものとなる。
「ガキさんがスパイやったとはね」
「絵里ガキさんのこと見損ないました」
「さゆみの方がカワイイって報告してください」
「新垣さんがそんなことしてたなんて・・・」
「ソッカー」
「ザンネンデース」
みんながわたしのことを罵り続ける。
─ 嘘っ! わたしの正体がバレてる! なんで!? ─
スタジオの端っこにいる小春を見ると不敵な笑みを浮かべて立っていた。
状況が把握できない。
術にかかってる間に心を読まれたのだろうか?
それとも無意識に自白させられてしまったのか・・・
なんとか取り繕わなければいけないと思いつつも頭がグルグル回って考えがまとまらない。
とりあえず立ち上がると愛ちゃんがわたしの前に立ちはだかった。
「愛ちゃ・・・」
愛ちゃんの顔は涙でくしゃくしゃになっている。
わたしは次に発する言葉が見つからない。
「ガキさんが裏切り者だったなんて。ずっと信じてたあたしがバカだったわ。
本当ならここで始末しなければいけないところだけど、元親友のよしみってやつ?
今日のところは見逃してあげるからさっさと組織のところに帰って!
もう、ガキさんとは絶交やよ!!」
言葉の刃がわたしの心に突き刺さった。
決して起こってはいけないことが起きてしまった。
絶対に聞きたくない言葉を耳にしてしまった。
心は砕け、わたしはふたたび床にぺたんとしゃがみ込んでしまう。
身体にぽっかり穴が空いて虚しさだけが広がっていく。
頭の上でみんなが汚い言葉を使って罵ってるみたいだけど、
耳鳴りが激しくてなにを言ってるのかさっぱりわからない。
「止めて、もう聞きたくない!」
わたしは頭を抱えてうずくまる。
もうこのまま消えてなくなりたい。
そのとき耳元で、ぱん! と手を叩く音が聞こえた。
・・・
・・・・・・
長い夢から醒めたように目が開く。
そこには愛ちゃんも他のメンバーの姿は見あたらなかった。
太ももの傷もなく、頭のお団子もそのままだ。
「・・・え?」
次の瞬間、全身から汗が噴き出し、膝が震え、床に崩れ落ちる。
そう、わたしはうずくまっていたはずなのに、いつの間にかまた立っていたことになる。
「さすが新垣さんですね。あそこまで抵抗できた人はいませんよ。
だいたいその前に発狂するか、ショック死しちゃうんです」
小春の冷たい声がわたしの頭を現実に引き戻す。
解る、ここは紛れもない現実だ。
「あ、あんた、いったい何をしたの?」
わたしは震える声で小春を問い詰めた。
「小春がやったのはちょこっとだけ、最初に恐怖心を植え付けて煽ってあげるんです。
あとは術をかけられた人が自分の深層意識にある恐怖を勝手に引き出してくれるの。
抵抗すればするほど深みにはまっちゃうんで、抜けられる人はまずいません。
もっとも、新垣さんを殺しちゃったら高橋さんに怒られちゃいますからね。
途中で術を解きましたけど・・・」
一呼吸の間を置いて小春が訊いてきた。
「何が見えたんですか?」
思い出したくない。
覚えていても言えるわけない、あんなこと。
わたしは何も答えることが出来ず小春から目をそらす。
もっとも小春も答えを期待してた訳ではなさそうだ。
「お先に」
小春はバッグを肩に提げると振り返りもせずスタジオを後にした。
スタジオの扉から顔だけ覗かせると、それだけを言って再びいなくなる。
一人きりのスタジオにわたしは大の字になった。
ものすごい疲労感。
わたしは静かに呼吸を整える。
その静寂を破るような甲高い声がスタジオに響いた。
「あれー? ガキさんけぇ。鍵閉めようと思ったら明かりが漏れてるから誰が使ってるのかなーと思ってぇ。
そんなに汗びっしょりになるまでトレーニングするなんてさすがやなー」
愛ちゃんの声。
それにつられてわたしの脳裏に先ほどの記憶が鮮明に蘇る。
悲しくなって目から涙が溢れてくる。
それは溢れても溢れても止めどもなく出てきた。
「なにも泣くほど特訓せんかてガキさんは強いってば。ほら上で一緒にお風呂入ろ」
頭の上に立つ愛ちゃんが呆れた顔をしてわたしの腕を引っ張った。
わたしは肯きながら考えた。
いつか本当にあんな日が来るのかも知れない。
そのときわたしはどうしたらいいんだろう、と。
最終更新:2012年11月23日 11:49