「この眼に写るは無明の世界。されど倖ある希望の世界」
“未来”という概念能力を発生させてしまった少女がいました。
その少女は自分では何一つ理解しないまま、平穏無事な世界から転がり落ちて硝煙と血潮が舞う戦場へとやってきてしまいました。
「この眼に写るのは枝葉の世界。未来に伸びる大樹の世界」
しかし彼女はそんな世界の中でも、諦めず、絶望せず、しっかりと前を見て歩くことができました。
自分の命が狙われる世界で。自分の身体が狙われる世界で。彼女は、いったいどうして諦めず絶望せず、歩いていくことができたのでしょうか?
『我らの眼に移るのは、困難しか無き闇の世界
頼れるものは何もなく、進むべき道すらない
ただこの手には神断つ剣、そして万物視る神眼』
それには、一つの理由があるのです。
少女の隣には、常に一人の男の人の姿が在りました。
その人はとてもじゃないけれど騎士という雰囲気ではないし、少女のことを護ろうとする雰囲気も余りありません。
ただふてぶてしく世の中を睨みつけ、その手に握った刀を振るい、結果として少女を護ってしまったのだと、周りの人は言います。
『だから二人で進み行こう。光なき世界を歩き行こう
未来は常に見えぬもの、二人で探って走り行こう
漬きえぬ誓と穢れぬ誇りを胸に抱き、二人でどこまでも共に行こう』
でもそれは正しくないのです。
少女は、そのことを良く知っていました。
自分の隣に立っていてくれる男の人は、どんなに意地悪な言葉を言っても、どんなに冷たい態度を取ったとしても、でもその奥にはいつだって優しさが隠れていると言うことを。
皮肉屋でリアリストで容赦が無くて、でも暖かくて優しくて、とってもとっても強い人だと、少女だけが知っていました。
だから少女は、男の人と一つの約束をしました。
二人で一緒にいましょう、という約束を。
たとえ少女が傷ついても、たとえ男の人が傷ついても、どんなことがあったとしても一緒にいましょうという、そんな約束を。
少女と男の人は、約束を交わしました。
それは何人に断ち切ることのできない、強い強い約束(きずな)。
世界でたった二人だけの、尊い尊い、愛しい約束(ちかい)。
『我らは留まることは無い。そう――――“死がふたりを分かつまで”』
パラレル・パラドックス
外伝
“それ”は、唐突に襲い掛かってきた。
『護さん! 狙撃されます! 右に逃げて!!』
「……ちっ」
耳元から響いた声に従い、とっさに身体を右横へと投げ出す。
破砕音。
身体を動かした瞬簡に聞こえてきた音の元を見れば、数瞬前まで己がいたその場所が、深く抉られていた。
『二回目、来ます! 前に全力疾走してください!』
「了解、っと……ち、わかっちゃいたが今度はどんな奴だ、まったく」
再び聞こえてきた声に従い、視覚障害者の印が入った杖を片手に持つ護と呼ばれた男は、前方へと全力で駆け出していく。
先ほどの横転で軽くずれた、自らの生命線とも言えるサングラスの位置を左手で軽く直しながら。
果て無き無明のコンチェルト
~死が二人を分かつまで~
「あん? 今日は外出しないほうがいい、だと?」
「は、はい……。今日はというか、今日も襲われます。それも、見えない敵に長距離から」
そこは、簡素なつくりをした二階建ての一軒家に存在する、地下室。
周りがコンクリートの壁で覆われている部屋の中央に置かれたソファーで寝そべっていた男――土方護は、自らが護ると決めた少女の言葉に身体を起こす。
身体を起こした先、向かい合うように設置されたソファーに腰掛けているのは、茶色……というよりも金色に近い髪色のそれを肩甲骨辺りまで伸ばしており、一部を両サイドで小さく結んでいる少女。
護にとってその顔の造形が線で表された凹凸でしか判別できないが、しかしそれだけでも立派に美少女だとわかる、そんな少女。
名を、遠山遥という。
三年前、護が現在属する組織に入りたての時、今目を覆っているサングラスの性能を確かめている際に出会った少女。
とある契約を経て、三年間護がずっと守護し続けてきた少女。それが、彼女である。
「長距離から、か。奴さんも馬鹿じゃないってこったな。ここ数ヶ月で、お前さんに対して近接戦闘を手段として持つ奴を向かわせるのは危険だと漸く悟ったんだろ。久しぶりに、完全長距離の刺客ってこったな」
ソファーで向かい合っている二人の後ろ側から、湯気を立てているカップを両手に持った男が現れる。
半そでのシャツから覗く左腕には幾つものタトゥーが入れられており、両耳はもちろん、顔にまで眉毛を挟むようにして二つピアスをつけている。
どこのちんぴらだという様子の男だが……名を井川という。
護の相棒であり、この三年間、共に遥を護ってきた信頼の置ける相手である。
もう一人シエラと呼ばれる女がいるが――――彼女は数週間前に差し向けられた刺客との戦いで負傷しており、今は戦線を外れている。
「だが、そうだといってネットワークの依頼をサボるわけにもいかんだろう。一応、俺たちが――むしろ俺が食いつないでいるのは、その依頼のおかげであるわけだからな。前にも言ったが、いちいち狙われるという位で仕事をしなかったら食いっぱぐれる」
第一、狙われるのなんて日常茶飯事なんだからな。
そう繋いだ護を見て、申し訳なさそうな表情になるのが一人。
そしてその一人を見てあちゃー、という顔をするのが一人。
更に言えば、それらの反応を“聞いて”口元を歪めたのが、一人。
「……前にも言ったと思うがな、遥。この仕事をしている以上、危険は承知の上だ。それに、その仕事以外の理由でお前を護っているのは俺自身の――ひいては井川やシエラ自身の意思だ。お前が狙われることにお前自身の責任は無いんだから、いちいち他人行儀なため息をもらすな」
「ぁ………………はい――うん。ありがとう、護さん」
「わかれば、いい。とりあえず、今夜は予定通りに出る。井川もそれでいいな?」
「ああ。とりあえず、狙撃されたらそん時はそん時さ。ま、いざとなったら俺が存分に『解析』してやるから、安心してくれよ」
任せたぜ、と口元を歪めていつもどおりに笑う護の様子にそのほかの二人が苦笑を漏らしながらも、頷く。
それが、このチームのあり方であり、今までこのチームが在り続けられた理由であった。
『次――右に飛んで!』
「わかった――ちっ、井川、まだか!」
そして今――――時間としては夜中の二時。護はサングラス越しに聞こえてくる遥の声に従い、姿無きスナイパーの攻撃からただひたすらに逃げていた。
既に最初の攻撃から十分ほど、かれこれ逃げ回っている。
これでは自分はともかく、能力使用による体力の消耗が激しい遥が先にダウンしてしまう。
遥の能力――“未来”の概念能力である“辿り着くべき細い糸(ジューン・ブライダル)”は、要約して説明するならば数多ある未来の中から可能性として拾い上げられる未来一つに確定する能力である。
この場合……護が狙われた狙撃を例に挙げて言えば、“護が避ける”という未来と“護が撃たれる”という未来があったとしよう。
護が避ける未来を選んだ場合“どのように避けたか”というパターンが無数に派生し、護が撃たれるという未来を選んだ場合にしろ、“どの部位をどのように撃たれたか”といういくつものパターンが無数に発生する。
数多ある未来を取捨選択する場合、選択者である遥はその選択肢が多ければ多いほど、限定すれば限定するほどに多量の集中力と体力を消耗する。
護と行動を共にするようになった初期の頃、遥はまだそのあたりの加減をつかめておらず、護が危機に陥るたびに過剰に能力を消耗して倒れることがしばしばあった。
今振り返れば随分昔のことに感じるが、ある時護はそのことについて遥を強く叱責して彼女を泣かせるという“大失態”を演じたわけだが――――それはまた別の話し。
とにかく、遥は護にとって有利な情報を得ようとすればするほど体力及び集中力の消耗が激しくなり下手をすれば倒れる危険性があるということだ。
その一件以降、遥は最小限度の未来だけを見ることにし、今のように護に指示を与えて回避させるという手段を取っている。
すこし未来の話になるが、この作業について「二人で行った最初の共同作業」だなどと“とある席”で発言したことで周りを大いに笑わせて護本人を大いにうんざりさせたという与太話もありえるかもしれないが、それもまた余談である。
ともかく。
そういう事情もあり、遥は今回のような護個人ではどうしようもない場合のみのナビゲーションとしてのサポートに徹しており、普段は井川と共に機械系等でのサポートを行っている。
「おい、井川」
『わかってる。あと少しで弾道からの解析が終わりそうなんだ。第一、高速で変化しているお前さんの“眼”の情報を解析するだけで手一杯だっての。今は遥ちゃんのサポートもないしな!』
「泣き言を言ってられる場合か? 第一なんとなくだが、奴には必殺という意志が無いように思える。暗殺者のわりに、な。これはおそらく、どこかに誘いこまれ――――」
『護さん、左前に避けて!』
「――――っと、誘い込まれてる可能性がある。そこまで遥に視させると負担が大きいからこのまま罠に乗るのも一興かもしれん」
『――――――――』
沈黙。
『お前、ほんっとうにそういうの好きだよなぁ……』
「面倒ごとは一度に片付けたほうがいいだろう。それに、有利な状況になれば奴さんも姿を見せるかもしれん。姿さえ見せれば――敵の数がいくら居ようと、俺たちの敵じゃぁない」
『俺と遥の、だ――――』
「井川!」
『井川さん!』
再度沈黙。
『ぅー、ぁー……頭がキンキンずる』
『ご、ごめんなさい、井川さん』
「自業自得だ。それより――――」
『ん、ああ。ビンゴだ。進行方向およそ五百メートル先に、二十種類程度の異なる魄冥波動が溜まってる。多分そこが奴等の狩場だろうぜ。こんな時間に大して人気の無いはずのその場所にこれだけの、ってことは確定だろう。それに……』
『護さん、今度は右!』
破裂音。
「……それに?」
『撃ち手の魄冥波動も、捕らえたぜ。今はお前さんの進路から見て右方向二千メートルの地点を並走中だ。どうやらお前の予想が当たりそうだ。相手の能力等はアルファから貰ったデータを照合して調べてみるから、少し粘っといてくれ』
「そうか。ならば――――」
二つの破裂音。
そして――――一度の、金属音。
「――――突っ込むぞ」
『――――突っ込むぞ』
スピーカーから聞こえてきた獰猛さを隠そうともし無い声に、はぁ、と井川は一つため息を付いた。
ヘッドマイクをつけてはいっ、と真面目そうな声で返している遥を横目で見ながら、どことなく赤く染まっているように見える彼女の頬を見とめて再びため息。
なんだかんだ、彼女は護の無事を喜んでいる一方で、奴が危険な目に合うのは嫌だがこうしてノっている雰囲気で危険な台詞を言うのを楽しみにしている帰来がある。
この前ふとした弾みに彼女の手荷物を見てしまい、そこに『護さん名台詞集・No.3』などとかかれた手帳を発見した時は、それこそため息以外の何者も出なかった。
「ったく……なんだかんだで、やっぱりお似合いだよ、お二人さんは」
同じ車内にいる遥に届かないような小声で呟き、カタカタと車に搭載されている機器を動かすためのボタンを操作していく。
今、井川と遥が乗っているこの車は、エレメンツ・ネットワーク―――“対犯罪者自警団情報網”と呼ばれる組織から提供された技術をつぎ込んだ改造車であり、護と井川のチームの居城のようなものだった。
移動要塞、である。
この車には様々な部位に魄啓学、化学、物理学などの最先端の技術――ネットワークに加わっている技術者からの提供――が使われており、井川と遥は車に搭載されているそれらの機器を用い、前線で戦う護のサポートを行っている。
遥の主な役割は、今の通り護が察知できないほどの遠くからの攻撃に対する未来予知によるサポート。それに加え、井川の作業などに対するサポートである。戦闘方面とは別に、チームの家事全般を担っている部分もあるが、それは置いておく。
そして井川の役割は、“護の視界”を作り上げること。
土方護。
彼は過去のとある事件でその視力を殆ど喪失しており、現在では一センチ程度先の陰影がようやく読み取れる程度の視力しかない。
そんな彼が人並み以上に動け戦える理由が、井川のサポートによる視覚の確保なのである。
無論、護自身の努力により得た人並みはずれた聴覚、嗅覚、平衡感覚などにより井川のサポートが無くてもある程度戦うことはできる。
しかし、視覚があるのとないのではやはりその差は大きい。
護が持っている視覚障害者を示す印の入った杖。その先端に、ネットワークの技術の粋を集めて創りあげた超小型の魄冥波動測定装置が備わっている。
魄啓能力者――だけではなく、“魂の力”に目覚めている者ならば誰しもが持っている、各々の魂の波動。それが魄冥波動と呼ばれるものであり、今までの研究においてその力には“波動”という言葉が示すとおり波に近い性質があることが解明されている。
音波や光といった波動の物理学の大部分がその性質には見受けられ、そしてそれを利用して人々は様々な機器を作り出した。
その代表的なものは、やはり魄啓量を計測する装置だろう。
詳しい原理を述べると冗長になってしまうので述べないが、ともかく護の杖やサングラス、服などに備えられたその装置を用い、護自身から発せられている魄冥波動の反響を車に詰まれた装置で解析することで情報を立体化し、それを護のサングラスに直接送りサングラスから網膜に直接投射することで映し出している。
無論、個人個人で異なる魄冥波動の全てを観測し解析にかけてしまうため、正確な情報を得るには途方もないでかさの機械が本来必要なのだが、表に出ていない最先端の技術があるおかげで、ある程度の――車に乗せて動かせる程度の小型化には成功している。
ただ、それは護が“通常の動き”をしている場合に限る。
兵器級の心器能力者である護が全力で動くと、それこそその動きの早さゆえに取りこぼす情報、また取り入れる情報が膨大になり既存の機器では処理しきれなくなってくるのだ。
そこで出てくるのが、井川の能力――“解析”の偽身能力、“我が小さき世界(パーフェクトワールド)”である。
護の持つ鞘から得た情報を瞬時に解析、最適化し護へと情報を送る。
コンマ一秒ほどのタイムラグすらない完璧な作業をこなす井川が居るからこそ、護はいつも無茶な戦闘ができるという側面がある。
「井川さん」
「ん? なんだい、遥ちゃん」
「その、今護さんと話していたんですけど……いざとなったら“アレ”を使います。そのときはこの車の未来も視ますので……その……」
「ああ、了解。じゃ、誰にも尾行けられずに家に戻る、ってのは……ちときついかな?」
「ぁ、いえ、そのくらいの条件なら……大丈夫、です」
「そっか。それじゃ、よろしく頼む。俺はとりあえず――――全力で、アイツの補佐をするからさ」
都心の袋小路ともいえるような、そんな場所。
ビルが立ち並ぶ都会の中で、まるで真空地帯のように出来上がった不可思議な広場。
雑多な塵が地面に散らばり、昼間――あるいはまだ宵の口この場所でたむろしていたであろう少年少女たちが置いていった様々な器具や遊具が転がっている、そんな場所。
そんなところに、凡そ三十人前後の人間が集まっていた。
その広場からの唯一の出入り口である路地から姿を見せた護を取り囲むかのようにして、おおよそ十メートルほど離れ半円になりながら様子を伺っている。
「はっ、随分手の込んだ誘導だったが……その先に居るのが殆どBランク程度の人間か。一体どういうつもりだ?」
『さてな。しかし気をつけろよ? 確かに殆どはBランクかそこらだが、中にはしっかりAランクもいる。いくらお前さんが実力者とはいえ、これだけの相手を敵に回して戦うのも久しぶりだろ? 普段は戦闘に関しては素人な連中が多いわけだし、暗殺者連中と戦う時もせいぜい三対一くらいだったしな』
「だが、泣き言を言うわけにも行くまい。それにあの時のように三位一体の攻撃を仕掛けてくる連中ならばともかく、今回の連中は見るからに集められただけの有象無象だ。こんな連中――――敵になりは、しない」
不敵にも、サングラスを片手で治しながら放たれたその言葉に、気の短い荒くれどもが反応しないわけは無く。
手に太すぎる鉄の棒を持ち、背中から大きな翼を生やした男――恐らく何かの式神との共鳴同化を行っている――が、手にしたそれを振りかぶり突進してくる。
そのスピードは通常の人間では考えられないほど早く。
彼が、少なくともBランクを超えた能力者であることを示している。
だが――――
「……遅すぎる」
一閃。
一歩前に出ながら放たれた抜き打ちの一閃は、男の持っていた鉄棒を真ん中から真っ二つに断ち斬り、返す手で男の両足両手の筋を斬り裂いていく。
無様に悲鳴を上げて倒れる男を無視し、さらに一歩前へ。
護の左手には視覚障害者を示す杖――その中心部が細長い空洞になり、最上部がいくらか失われている――が握られており、だらりと下げられた右手には、先ほどまで握っていた杖の上部――握り手の部分が柄となった一本の刀が握られていた。
「おい、貴様ら。一体何のつもりで……いや、いったいどんな条件で釣られたかは知らんがな。だが――――」
ヒゥン、と風を斬り、刀が振られる。
刀を振る。
そう、たったそれだけの動きで。
剣先に合った地面が、軽く七メートルほど斬れた。
「その選択を後悔しろ。殺すことはしない。だが……悪夢と共に一生後悔させてやる」
戦いが、始まる。