矜持

 午後九時。

 淀んだ水溜り、端に落ちている腐った木材、退廃して寂れたオフィスビル。彼女が今歩いているその場所は水羽市でも郊外に位置するところで、“表”の華やかさとは対照的な場所である。
 壊れた街灯だけが頼りとなる場所で、彼女は気持ち嬉しそうに歩いていた。
 常人には見て取れない彼女の表情は、しかし見るものが見れば高揚しているのがわかるだろう。
 理由は明快。
 彼と遊びに行くというその一点だ。
 いや、正確に言えば彼が誘ってくれたというのもあるのだが、まあそれは置いておく。

 早く向かわなければ。
 いや、敢えて遅れていくのもいいかな。

 そんな事を考えながら、彼女は―――――藤代希は細い裏路地を抜けようとして、次の瞬間に自分の気分が打ち砕かれ、その感情が殺意となって再構築されていった。
 自分の大切な人の心器を模倣している青年を見て。

―――――藤代希が三雲武司に抱いた第一印象は、彼女にとっては珍しくもあり、当然のように、苛立ちでもなければ怒りでもなく、敵意でもなければ、殺してやる、という物騒すぎる単語であった―――――

 もし、彼女と彼の出会い方が違う形であったのならば、藤代は彼に何の感慨も抱かず、ただ通りすがって終わったのだろうが、生憎とこの出会いのおかげで藤代希――――或いは四天滅殺と、三雲武司――――或いは空色死銘と“縁”が出来た。
 それは幸運と呼ぶか不運と呼ぶかは彼ら次第なのだろうが、少なくとも今の藤代希にとってはある意味幸運で、ある意味不運な状況であったのだ。

 何度も言うようだが、そのときの藤代の気分は良かった。
 彼女の一番の“お気に入り”と遊びに出かける事になっていたからだ。
 しかし、そんな彼女の気分は数秒と持たずに崩れ落ちる事となった。

 灼剣四節“爆龍大顎”

 彼じゃない、とすぐにわかった。
 声が違う。
 空気が違う。
 雰囲気が違う。
 その全てが違う。
 赤星勇吾ではない。

「―――――」

 その場に立ち止まり、声が聞こえてきたほうを振り向く。
 そこには、背の高い青年が右手に“草薙”を持ち、彼の剣技を振るっていた。いつまでも奇麗事を言い続ける、藤代希の最大のお気に入りの彼の剣技を。
 その剣技はどこまでも彼の動きを模倣し尽くしていた。剣を振るうときの表情や、僅かに残る癖、体捌き、踏み込みの力強さ。
 彼女だから知り尽くしている、赤星勇吾という存在の性質を模倣しつくしていて、彼女は殺意を増加させる。

「グレイ、殺る」
『はい』

 従者である“彼女”も主人である彼女の行動を止めない。
 “彼女”もまた、彼女と同じ気持ちを抱いているのだから。
 “彼女”の角を剥ぎ取り、それを己の得物とし、殺意を己に孕み。

 能力で殺そうとは思わなかった。
 あの餓鬼を殺すならば私の手で。
 藤代はそう決意し、己の従者と共に彼に襲い掛かった。









 三雲武司に。



























 暴竜から吐き出される火炎が唸り、相手の式神を食い散らかそうとしているのを見て、武司は咄嗟にその技を中止する。相手を殺すつもりはないからだ。遠目で見ていてその威力はわかっていたはずだったのだが、それを更に修正しなくてはいけないなと戒めた。
 そして、きっと翔也ならばこの竜のベクトルを変更する事も可能だろうなぁ、と翔也にとって無茶な事を呟きながら、

「         !?」

 肌が総毛立つのを感じ、その場を大きく離れる。
 瞬間。
 空気を切る音と共に、自分の服が破れたのを実感し、振り向き様に小さな罠を仕掛けて、更に前へと走り出す。

 冗談じゃない!
 試技どころの話じゃなくなってるじぇねぇか!

「女?」

 疑問はそれだけ。女だろうが強者は強者。それが馬に跨る騎士であろうとも、武司は精一杯殺されないように抵抗するだけ。決して相手を殺そうなどとは思わない。思わないが、無力化できるのならばそうしたいとは思う。が、無理だとそれを否定し、隙を見て逃げ出そうと決意した。
  一撃ではなく一瞬で燃え滓となった“草薙”を余所に、武司は新たな武器を懐から出す。それは自分で作った、未だ才能の見えない“素材”であった。

 模倣の際に必要となる、頑丈な道具。

 概念武装の素材にも遠く及ばない、その道具だが、五、六回は”模倣”に耐えられるだろうその素材。
 武司は名前を知らない。
 だけど、武司はそれを創る事ができる。
 全てを模倣しつくす武司には出来ない事などないのだから。
 匠の技術を盗むのでもなく、学ぶのでもない。
 技術を模倣する技術を武司は有している。

(相手に隙を促す能力。オレが今まで見知った人の中でそれは誰か……)

 探す。
 頬を掠める彼女の剣戟とそれを避ける事を前提に発せられた爆裂を、咄嗟に引き出した“壁”で防ぎ、防ぎきれない衝撃に顔を顰めて。
 反撃にも攻撃にも移らずに、ひたすらに自分の脳内を模索する。 

「お前、死ね」

 単語で話す彼女は、怒りすらも怯える殺意を用いて武司に肉薄し、瞳に向けて唾を放つ。自分たちの領域では唾すらも小さな針になる事を理解している武司は、それを首の捻りで回避。回避したと同時に、異常なまでの跳躍力で、空へ跳ぶ。
 刹那の瞬発力では己のほうが勝っているかもしれないが、彼女の式神は馬だ。“走る”という幻想を孕む、疾き足だ。

「く…………が……っ」

 彼女が口を歪めるのを見つめ、武司は咄嗟に空中に“壁”を展開し、それを台としてもう一度“跳ぼう”として、爆裂を真正面から受けてしまう。
 思わず意識を失いそうになってしまい、自分を叱咤して態勢を整えようとするが、それを赦すような彼女ではなかった。
 爆裂。

「――――――――」

 ぶちん。
 箍が外れる。
 その爆裂で武司を抑えていた“規則”が吹き飛び、武司は鬼の形相で空から彼女に、藤代希に殴りかかる。
 それは技巧も能力も何も無い、単なる殴打に過ぎない。
 が。
 それは三雲武司という人間の技でもあるのだ。

「いい加減にしやがれっ!!!」
「ちっ」

 爆裂を食らったとは思えない速度で空から降りると同時に攻撃を放つが、彼女は眉を顰めただけでそれを避け――――式神ともどもバランスを崩す。。

「!?」『!?』

 相手に疑問を発せられるよりも疾く、武司は藤代の腹部を思い切り殴り、着地した足とは逆の足でグレイの腹を膝で蹴り―――――離れる。
 武司の打撃に何の反応も示さない一人と一匹は、距離をとった武司を睨み付ける。

「馬鹿か」
「てめぇが馬鹿だろうが。冗談じゃねぇ」

 血の混じった唾を吐き、武司は素材を変化させる。
 瞬間、彼女からの殺意が更に重くなったような気がするが、もう知った事ではなかった。

「あたしの草薙。使うな、殺すぞ」
「黙れよ。オレが何を使おうがオレの勝手だ。第一、これはお前のじゃねえよ」
『…………止めろ』
「黙れよ、角生やした馬風情が。行き成り殺そうとして、“止めろ”だ? ふざけた事ばっか言ってるんじゃネェよ。精々殺してやるからありがたく思え」

 儀礼のようにその剣を掲げ、武司は炎の密度を増やし―――――呟く。


 ―――――灼剣四節“爆龍大顎”


 生憎と武司は。
 “草薙”を用いた技能は、それしか知らない。

「効くか」
「だからどうした」

 “圧力”…………いや、“爆裂”か? と声に出さずに呟き、素材の限界が近いことを悟る。

「翔也に言われたから黙って避けて―――――」
「―――誰それ。雑魚?」
「――――――――」

 武司の行動が止まる。
 藤代は殺意だけを抱き、武司の心臓を切り裂かんと近づき、
 ―――――離れた。

「――――――――――――――」

 言語とは一線を介す音。
 それを咆哮と呼ぶのかは定かではないが、武司は言葉ではない言葉を叫ぶ。

「殺してやる、女」「殺してやる」




 呟きも、意思も同じ。


















「此処に確固たる己を刻む。 
 概念が虚ろな我が己を―――――」

 魂魄励起。


「善は善で悪は悪。光は光で影は影。
 命や夢は尊くて、死や幻はそうじゃない」

                             互いが互いを殺すために。
 彼らは此処に誓う。


「窮屈な世界の中で産まれて堕ちた、蠢く肉塊に名前は無く。
 無罪ではあるが不実である、この生命はひたすらに不自然で」

「だとして、私には興味が無い。
 この身は善でも悪でもなく、唯々に空洞であるが故――――」



 彼らは止まらない。
 呟き続ける。
 お互いを殺すために。
 その力を得るために。

 二人は三節目を同時に終え、四節目を同時に呟く。



 或いは、同属嫌悪かもしれない。
 それは、二人にはわからないことだけれども―――――




 二人には、汚してはならない人がいる。
 佐倉翔也。
 赤星勇吾。

 お互いがお互いを貶し、怒り、戦い、紡ぐ。


 もう彼らは後の事など考えてはいない。
 同時に、今のことも考えていない。

 故に。








「武司」「藤代さん」


 彼らは周囲の状況を省みていなかった。
 だから気付かなかったのも当然かもしれない。

 赤星は藤代の口をその手で塞ぎ、翔也は武司の頭を拳骨。
 対処に差がありすぎだった。

「なんかこのバカがそちらのお嬢さんを怒らせるような真似をしちゃってたみたいで……」

 決して視線を逸らすことなく、翔也は抜刀術の構えで言う。咄嗟に心器の形状を一段階戻してしまい、失敗したと眉を顰めていた。
 或いは。
 こっちで正解だった、とも笑みを浮かべていたかもしれない。
 何せ、相手は彼の四天滅殺《トランプ》の一人なのだから。

「いや、まあ…………そうなの?」

 赤星は戸惑いながら、草薙を構えて言う。
 視線は翔也からズラさない、直接会ったことは無いが、恭也から聞いた人物に相応する。
 空色死銘と。

「――――――――」
「――――――――」

 未だ怒りの収まらぬ二人。
 当然といえば当然だった。

「落ち着けバカ」
「藤……クイーン、落ち着いて……」


 怒る二人を宥める二人。が、相も変わらず視線は外さない。
 赤星は翔也の刀から。
 翔也は赤星の刀から。

 紙一重の均衡。

 何かのきっかけがあれば、ここは戦場になっていたかもしれないが、戦場にしないのが二人。
 風が吹く。
 と、お互いがお互いの友人を思いっきり殴った。
 藤代と武司が同時に頭を抑え、恨みがましそうにお互いの親友を振り返り――――空気が変わったことを察知し、翔也と赤星は同時に刀を納めた。

「始めまして、クラブと……クイーン……か?」
「お前がスペードの言ってたゴースト……だな」

 言葉は同時。
 そして、次の言葉も同じタイミング。

「準備も何もできてねぇから、今日は尻尾巻いて逃げてぇんだが?」
「今日は挨拶ということだけで止めておかないか?」

 翔也は首を鳴らし、
 赤星は拳を握る。

「それでも俺たちを殺したいっつーなら構わねぇけどよ?」
「冗談じゃ―――――」「翔―――――」
「コピー、黙ってろ」「クイーン、黙ってて」

 二人の制止に、二人がかちんときながらも言われたとおりに動かない。が、武司と藤代は相手に対して殺意を向けていた。
 翔也と赤星はそれぞれの相方を見やり、同時に溜息を吐いた。
 そして、

「……クラブや俺はともかくとして、この二人を放っておくと勝手に殺し合いそうだから、帰ってもいいか?」
「ああ」
「後ろからザクリとかドカンとかは止めてくれよ? そうなるとここらへんを巻き込んだ戦闘になっちまうからよ」

 ――――神様《クソヤロウ》、二度とこいつらと遭遇することがありませんように。

 そう告げて、翔也は武司の耳を引っ張りながら去っていった。


































「三雲さん?」
「胸糞悪い夢見たなぁ……ウンコ女の夢かよ」
「ウ、……っ!?」

 昼寝から目覚めるや否や下品な単語を呟いた武司に、弥生は言葉を詰まらせる。思わず自分も呟いてしまうところではないか、と弥生が思ったかどうかは定かではない。
 文句を言おうと鞭を振りかぶりながら、武司を見てみると、彼は酷く珍しいことに、苛々しているようだった。学校内で見かける限り、彼が怒っている表情は一度しか見たことがないし、その一度は自分たちに向けられたときでもある。
 その表情にズキン、と胸が痛むのを感じながら弥生は彼に濡れたタオルを差し出した。

「あ、ありがとう葉月……ございます弥生さん」

 誰だと思ってたんDeathか?

「え、ええと……あ、そういや、起こしてくれたって事はもう晩飯の時間ですか?」
「……まあ見逃しましょうか。……ええ、その通りですよ?」

 前々話の鬼ごっこを結局逃げ切り、部屋に戻った彼は部屋の前に張り紙をおいて眠っていた。
 “晩飯の時間になったら起こしてください”と、紙に書いて。
 葉月とその紙を見つけて部屋に乗り込んでみれば、ぐーすか眠りこけた武司がいた。しかも何故か用意されたベッドではなく、絨毯で、更には上半身裸、下ジャージというわけのわからない格好で。
 葉月は顔を赤らめながら怒りを顕にしていたが、自分はといえば存外冷静であった。と、いうよりも何故に晩飯の時間に起こさなくてはいけないんですか、みたいな感情だったので。
 いや、起こしますけどね?

「じゃ、飯でも食いに行きましょうっていうか腹減ってるなオレってば!?」
「………………」

 はあ、とため息しか出てこなかった弥生であった。

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最終更新:2007年07月17日 21:35
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