噂が在る。
巷を種々様々な噂が飛び交う中、尚も異彩放ち跋扈する一つ噂。
ある種、伝説――――と言っても過言では無いほどの、確固たる信憑性と恐怖を孕んで蔓延るソレ。
“首提げ幽霊(ラストスペル)”と、人は言う。
曰く、絶世の美女、とも。
曰く、冥府の死人、とも。
曰く、死別の言葉、とも。
ゆぅらりぶらりと現れては、目に付いた全てに不明の恐怖を齎すのだとか。
その美貌に目を奪われれば忽ち、代価としてその命までをも獲られるのだとか。
数え上げればキリが無いが、もしもそれらを当の本人が聞いた所で、おそらくは何の影響も与えられないのだろう。
運良く生き延びた者達は皆、口を揃えて言う。
「アレは、違うのだ」、と――――
例えば彼らの場合。
彼らはここら一帯で幅を利かせている、何処にでも居る“普通”のクライム集団だ。
それなりの悪事を働き、そこそこの暴力と恐怖を以ってシマを治め、時には目的も無く戦って勝って欲を満たす。凡そ自らの力が許す範囲内で居座る暴君。
とある裏界隈で何となく駄弁っていた彼らは、偶々そこを通り掛った女に目を付けた。
この寒空の下、口元を首に巻いたマフラーで覆い隠して防寒し、しかしながら窺える造詣は至極美麗。その身体も文句無しの上物で、線の解り難い冬服の上からでも大いに主張する悩ましげな胸と肢体。
丁度良い、これで暇を潰そうと。
下卑た思惑と猛る欲望の侭にその腕を引っ掴み、自分達の下へと引き寄せた。
きゃ、とは女の小さな悲鳴。似合わないスポーツバッグを手放され押し倒され、あっという間に取り押さえられた彼女は、状況を理解していない様子で目を見開いていた。
「な、なんですか? あ、あの、私なにかしましたか?」
「いんや、何にも。寧ろ何かすンのは俺らの方。ちょっち付き合ってくれよ、すぐ終わるからさ」
言うや否や、女の服に手をかけ、勢いざまに破り剥ぐ。心器能力者特有の、他能力者よりも強靭な身体能力によって侵され晒された身体は、彼らの感嘆と賞賛を誘う。
そうして漸く事態を理解した彼女は、命乞いや拒絶の抵抗――――ではなく、彼らの内一人が取り上げたスポーツバッグに向けて手を伸ばした。
「っ!? ダメっ、返して、返してくださいっ!!」
「るせーな。何だってんだよンなもん。おい、それどっか放っとけ」
「いやいや、もしかしたら見られたら恥ずかしーモンでも入ってるのかもよ? ではちょいと拝見――――ってうわっ、何だコリャ?!」
「アァン? 何だァ?」
「い、いいいいいやだってコレ――――!!」
男が放り投げたバッグから転げ落ちるソレは、随分と重い音を響かせこちらを向く。
ソレは紛れも無いヒトの首――――僅かに腐り異臭を放つ、自分達と同年代の男の首の、死顔の視線と目が合った。
途端、誰かの悲鳴。
それを皮切りに恐怖が広がり、彼らをパニックが襲う。
「あ、ああ、ァア……っ!!」
お前が持て、いやお前何とかしろと、腫れ物を触るが如く乱暴に跳ね飛ばされる首に、何よりも顔を蒼褪めさせていたのは、他でも無い女自身だった。
その表情は、罪を暴かれその報いに怯える咎人の――――ではない、無理矢理例えるならば、最愛の者を目の前で無惨に捌かれるような、表情とも言えない様な負の表情。
静止の声も届かない。しかし思いあぐねている彼女への、決定打となったのは
――――誰かが、鋭利な刃物で首を傷付ける光景だった。
「誠君っ!」
終幕は突然だった。
女がそう叫ぶと同時に、今現在首を持っていた男の腕が、肩口から一気に切り落とされ鮮血が吹き出たからだ。
「え? あ、あああ、ああああああアアアアアっ?!!?」
一瞬遅れて男は気付き、更に大きな悲鳴を上げる。
だが女は意にも介さない。首が彼の手元を離れるを確認するや、それを受け止めるカタチになった男の、今度は首を刎ねる。
ごろりと転がる二つの首。その内一つ、今しがた逝った方ではない首を女が追い、何人かが彼女に立ち向かった。
「こ、ンの、アマァアアアアアっ!?」
「誠君」
脚を落とす。腸がはみ出て惨たらしく死んだ。
「ぶっ殺してや――――」
「誠君」
口腔を境に切る。脳が丸ごと飛び出てグシャリと潰れた。
「この――――」
「誠君」
天辺から股間までを一気に引き裂く。断面から一連の臓腑が垣間見え、直ぐに乱れて雑になった。
「誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君誠君――――」
そして、一人残った。
要りもしない気味の悪い首を押し付けられ、気味の悪い女に刃を向けられることとなった彼は、しかしながら唯一の幸せ者であっただろう。
「返して下さい」
「何なんだよお前……」
一歩進む。一歩下がる。
「返して下さい」
「何だってんだよ……っ!」
二歩進む。二歩下がる。
「返して下さい」
「クソッ、クソッ、こん畜生がッ!!」
三歩進む。三歩下がる。
背中に感触。行き止まり。――――詰んだ。
「返して下さい」
「解った、返すっ! 返すからァアアっ!?」
首筋に感触。それは刃。しかし決して人に向けるものではない、幾多の刃で木材等挽ききる道具――――鋸。
だがそれだけでは済まない“力”が込められたそれを向けられ、なおも抵抗を向けれる程彼は気丈ではなかった。そしてそれが、この場では一命を取り留める鍵となった。
破れかぶれに首を突き出し、目を瞑り歯を食い縛って結果を待つ。
だが何時まで経っても死は訪れず、意を決して目を開くと、既にソレは己から視線を外し、首を愛おしげに胸に抱いて汚れを拭っているだけであった。
「誠君、大丈夫ですか? こんなに汚れちゃって、ホラここにも傷が。ああ後でちゃんと処置しないといけませんよね。あ、誠君目にゴミが付いちゃってますよ? 取ってあげます」
見開かれた眼に舌を這わせ、妖しく不純物を取り去る女。既に物言わぬ骸を前にして、おそらくはその事実をも理解していながら、なおも“在る”ものとして語り掛けるその狂気。
矛盾以外の何物でもない行為を当然とし、自分だけの信仰を善しとするその在り方。
一部始終を目に焼き付けた彼は、今この瞬間を生涯忘れ得ぬように誓った。後で悔やむも生きてこそ。まずは生き残れたことを感謝した。
数少ない遭遇者として、そして生還者となった彼は、暫しの養生と更生を終えた後にこう語る。
――――「触らぬ神に祟り無し」、と。
「ずっと一緒です、誠君。ずっと一緒、邪魔者は許しませんから。うふ、ふふふ、あはっははははははははは――――」
愛した者は 既に亡く されど言葉 いつまでも
その日寂れた裏道に、一人彼女の笑い声だけが絶え間なく響いていた。
最終更新:2007年10月08日 13:45