佐倉翔也。
彼の人物像は見る相手の立場等によって著しく異なっており、彼がどういう人間であるかを一言で説明するのは難しいと言わざるを得ない。
彼は幼き頃は妹にとっての良き兄であり、それより数年後は『空色死銘』と称される無認可の何でも屋でもあり、情け容赦のない復讐鬼でもあった。
情状酌量の余地はあるものの、非合法に受けた仕事と内容に関する犯罪行為すべてを数え上げれば軽い罰則で済まないことに弁解の余地はないと思われる。
しかし彼は復讐に我を忘れる場にあってさえ、家族を守ろうとする優しい死神であった。
並の者では決して得られぬ程に強い守護の意思。
これは民警として活動を行うにあたって得難い才であり、復讐を終えた彼がその意思を社会に還元するというのならそれを減ずる行いは避けるべきと思われる。
よってここに、彼に罪科を負わせることなく民警隊員として受け入れることを提案するものである。
~八雲乙葉の『佐倉翔也に関する免罪嘆願書』より抜粋~
「これはまた、懐かしいものが出てきたな……」
十年以上前に書いた嘆願書――――その写しを見つけ、書類整理をしていた乙葉は僅かに目を細めた。
今になって思えば、当時はつくづく無茶ばかりしていたものだ。
自分とて民警史上に残りそうな大騒動をしでかした直後だというのに、裏社会で名を馳せていたほどの逆心者を免罪した上で隊に加えようとしたのだから。
幸い団長を始めとして同部隊の隊員はこぞって協力してくれたし、乙葉のもう一つの立場のこともあってその要望は無事通ったわけだが……その後しばらくは周囲の視線が痛かったことを覚えている。
「なんじゃニヤニヤしおって。そんなに面白いことが書いてあるのかや?」
同じく書類整理に悪戦苦闘していたホロがめざとく見つけ、問いかけてきたので無言で紙を渡してやる。
「どれ……なんじゃ、あやつが入ったころぬしがせっせと書いておったやつかや。なにがそんなに面白いんじゃ?」
上から下までざっと目を通し、内容を理解すると同時に当時を思い出したのかホロは呆れたような息を吐くが、乙葉としては苦笑するしかない。
別に乙葉も書類自体やそれにまつわる記憶が面白かったわけではなく、
「なに、最初の『彼がどういう人間なのか~』のくだりが少し、な」
それだけでホロは察したのか、なるほどという顔で同じように苦笑する。
「確かにあれじゃな。今のあやつなら一言で表すのに実に適切な言葉があるからの」
「まったくだ。誰だって言うだろうな、佐倉翔也を一言で表すなら――――」
「大変です!」
乙葉の言葉を遮って扉が吹き飛びそうな勢いで開き、その向こうには息せき切った青年が立っていた。
「夕馬か、何があった?」
その様子からただ事でないことだけは話を聞くまでもなく分かった。
乙葉とホロは緊急出動用に用意してあった装備をそれぞれ手に取り、身につけていく。
しかし、
「隊長が……隊長がっ……」
「翔也が!?」
藤島夕馬――佐倉翔也が隊長を務める4番隊隊員の言葉に思わずその手を止め、
「娘さんがイジメられたって、キレて学校に殴り込みに行きました!!」
続く言葉に盛大にずっこけた。
佐倉翔也。3●才。
どこから誰がどう見ても、問答無用の超弩級大親馬鹿、である。
道路が抉れていた。
街灯が砕けていた。
塀が崩れていた。
――――街が、蹂躙されていた。
サイレンが鳴り響き、しかし疾駆するはずの車両は抉られた大穴や積み上がった瓦礫の前で立ち往生している。
奇跡的に怪我人は出ていないようだが……それも二次災害が起こってしまえばどうなることやら、である。
「……ふむ、まるで神話の獣が暴れたあとじゃな」
「積極的に人を襲っているわけじゃないのが救いか……くそっ、始末書程度じゃすまないぞこれは」
遙か天空を駆けるホロとその背にまたがる乙葉の目に映る光景は、まさに神話級の迷走魂魄が暴走した後の様子に酷似していた。
かろうじて正気が残っているのか、人をはねることこそ無かったようだが――――
「本気で駆けただけで街を破壊するとはの。やれやれ、つくづく非常識なことじゃ」
「そうしないための歩法くらい身につけているはずなんだがな……」
――――それを使わぬ程に我を忘れているというのなら。
「最悪、力ずくになるか……」
「むぅ、やはりわっちもやらねば駄目かや?」
「ああ……出来れば避けたいところだがな」
心底面倒くさそうな口調のホロに、乙葉は苦い口調で答える。
例えば乙葉一人が格下相手に戦うならば、相手がどれだけいようと周囲に被害を及ばさずに済ます自信がある。
だが相手が翔也とあっては乙葉一人での無力化は難しく、直接戦闘タイプの翔也とホロが結界の張られていない場所で争うとなると……想像したくもない。
「人に手出しさえしてなければどうにか出来る。まずは無理矢理にでも落ち着かせて――――」
「ふむ……ぬしよ、残念じゃが言わねばならぬことがある」
音速を超える飛行と会話の最中、乙葉の視力ではまだ豆粒ほどにしか見えぬ目的地をホロの鷹の目が捉える。
そしてその口調は、まるで末期ガンの患者に病状を告知しなけらばならない医師のように沈んでいた。
「ああ、とても聞きたくないが……なんだ?」
「人が倒れておる。警備員らしきものが十名じゃ」
「……………………」
「…………………………………………」
沈黙する二人だったが、目的地は見る見るうちに近づいていく。
やがて乙葉の目にも警備員が倒れ伏す様子が映り――――おそらくは素手の翔也の足下にすら及ばなかったせいだろう、怪我をした様子がないことにほんの少しだけ胸をなで下ろす。
――――が。
「ぱぱぁ……ひっぐ……」
「どどどどどどどどうした椿ぃっ!?」
「ひっぐ……っぅ……イジめらえたぁ……うええええええん!」
「………………うん、後でパパが一緒に遊んでやるからちょっと待ってろよ」
――――イマ、ソイツラコロシテクルカラヨ?
錠を外し、スーツに着替え、スーツの中には暗器やら銃器など詰め込んで。
「って阿呆かあぁぁぁっ――――――――!!」
伝わってきた翔也の思考に絶叫し、ホロが制止する間もなくその背から飛び降り、
「いいからガキを出せってんだよコラガタガタぬかしてっとまずはテメェかぶげらぁっ!?」
その勢いのまま翔也の後頭部にドロップキックをぶちかまして地面にめり込ませ、
「おま、おま、お前というやつは、いったい何を考えているんだこの大馬鹿者ぉぉぉ!!」
翔也の胸倉つかんで引きずり起こし、バババババババッと絶え間のない往復ビンタを繰り出して、
「あああああああああの、ど、ど、ど、どちら、さま、で?」
「この馬鹿の身内ですっ!」
ドン引きしながらも辛うじて問いかけてきた教師に間髪入れずに返答し、
「お、乙ねぇっ!? 離せ、こいつらは俺の娘にぐはぁっ!?」
佐倉渚(旧姓:牧内渚)と共同開発したファントムペインの応用、メモリーペインで過去に経験した内臓ごと腹を抉られた際の記憶を痛覚限定で“共感”させ、
「いてえいてえ――――だが俺の椿への愛はこれぐらいじゃごぼぇっ!?」
足りなかったかと反省し、腕を折られて180度ほどゴリゴリ捻られた記憶を追加し、
「あくまでいたっ! 離さねぇっていうならぼへぇっ!?」
まだ足りなかったかと、傷口を焼いて塞いだ時の記憶も追加して、
「いつだったか」
「励起するな馬鹿!」
魂魄励起してレジストしようとした翔也の首をやばい角度まで回して無理矢理気絶させた。
「…………」
「……………………」
「……なんじゃ、一人で十分ではないか」
冷たい空気が流れる中、ホロが呟く。
どこからかドナドナが聞こえてくる気がした。
「申し訳なかった。本当に――――」
あの後。
警備員が叩きのめされた時点で警察に通報した教師がいたらしく、すぐに駆けつけたパトカーに気絶した翔也を放り込み、拘束具で縛りあげて独房にぶち込んで。
「言われたとおり捕縛結界と反転封陣の二重封印かましておいたけどよ……意識戻った途端ガン睨みしてきやがったぞ。よく飼ってやがるなあんな危険人物」
「重ね重ね申し訳ない……あれでも普段は優秀な隊員なんだ。ただ少し娘のこととなると頭がおかしくなってしまうだけで……」
取調室で乙葉は平謝りの真っ最中だった。
「まあまあ、阿笠くんその辺で。八雲さんも頭を上げてください。幸い怪我人は出ませんでしたし、直接被害に遭われた警備の方達にも大事はありませんでした。それに佐倉君にはウチもたびたび協力してもらっているわけですから――――」
「いや課長、そいつは分かってます。分かってるんですがね……一般人にどう説明しろってんですか!?」
そう言って阿笠は机に積まれた紙の山を掌で叩く。
それは今回の騒動で寄せられた苦情やら被害届やら――――おおよそ30cmに及ぼうかという書類の山だった。
「あそこの警備主任は俺の知り合いでしたから、後で説明するって言ってなんとか被害届を取り下げさせましたがね。こっちはどうにもなりませんよ! しかもあの野郎、毎度の事ながら始末書書く気が皆無ときた!!」
書類仕事は嫌いなんだよ、というのが本人の談――――相当駄目な大人である。
「いや、今回はなんとしてでも書かせる。被害届と請求はこっちに回してくれていいし、学園への説明も私が行く。だから今回ばかりは……」
必要ならば土下座も辞さないと、机に擦り付けんばかりに頭を下げていた乙葉が立ち上がったところで、
「ぬしよ、大変じゃ!」
扉をぶち破ってホロが飛び込んできた。
重厚な扉が蝶番ごとひしゃげて吹き飛び、壁にぶつかって騒々しい音を立てる。
「ああっ、てめえなんつーことしやがる! そのドアは塗り直したばっかなんだぞ!」
「ええい、それどころではないわ! あやつめ、わっちが団長に連絡をしている隙に拘束を引きちぎって逃げおった!」
ぶちり
「じゃから、ぬし、よ……」
なおも言いつのろうとしたホロの言葉が尻すぼみに消えていく。
阿笠もその上司も、立ち上がろうとした姿勢のまま凍り付いていた。
動くなと。
本能が全力で危険信号を発していた。
誰もが動きを止めた中、時計の秒針が一回転するほどの時間が過ぎる。
「…………ふ」
声が聞こえた。
それは顔を伏せた乙葉の、つり上がった唇から漏れていた。
「ふふ、ふふふ、ふっふっふっふっふ」
口元は笑っている。
その声も笑っている。
だというのに何故だろう、その場に居合わせる三人の身体からは冷たい汗が噴き出して止まらなかった。
「そうか……そう来るか翔也……人がなんとか穏便に済まそうというのに、お前はそれが気に入らないというわけか……」
ニゲロニゲロと声がする。
ニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロ――――――――
三人が動かない足を叱咤し、なんとか部屋から出ようとしたところで乙葉が顔をあげた。
「ホロ、団長に再連絡」
一分前がまるで嘘だったかのように、乙葉の顔に表情は無かった。
怒りも、悲しみも、憎しみも。
何もかもを捨て去ったような完璧な無表情だった。
「1番から5番まで手空きは全員甲種装備で集結。4番は私に付けて残りの指揮は3番隊隊長に一任。作戦内容は――――」
そこまで言って乙葉はニコリと笑う。
目だけが決して笑っていない笑顔で宣言する。
「――――――――人狩り(マンハント)だ」
警察署の屋上に佇み、乙葉は目を閉じて知覚の網を広げる。
距離にして半径300メートル程度の能力範囲。目標が未だそのような近くにいるとは始めから思っていないし、事実そういった反応はない。
だが。
「行け、我が同志」
その一言で、範囲内にいた人間以外の生命体の意志が上書きされる。
犬が。猫が。鳥が。虫が。
『佐倉翔也を見つけ出す』という意志の元、一斉に動き始める。
「なんとしてでも見つけ出せ……あの馬鹿に今日こそは特大の灸を――――」
言いながら乙葉は、知覚範囲に覚えのある気配を感じて目を開く。
意識を二つに分割――――片方で端末にした動物達から絶え間なく送られてくる情報の処理を続行。
もう片方の意識で視線を屋上の扉へ向けた途端、扉が開き民警の戦闘服に身を包んだ四人の男女がなだれ込んできた。
「八雲隊長!」
「来たか……お前達、やることは分かっているな?」
「はいっ!」
藤島夕馬。山川大輔。日向つくし。代水あとり。
翔也直属の部下、銃器級の4人組は乙葉に向き直り、それぞれ口を開く。
「今日こそ……今日こそは…………」
夕馬は闘志を燃やし、己が心器――――明鏡を見つめる。
「佐倉隊長をぶちのめすんスね? 勢い余って殺っちゃいますっていうか殺す!」
大輔は目を血走せ、荒々しい力を漏らす。
「八雲サンがいるなら勝ち目も――――あははは、アタシの靴を舐めさせてあげるわ!」
天照の神術士であるつくしは、天照大神もヒくような高笑いをし、
「隊長はんの言ってたとーり、つくしはんは滅茶苦茶サドなんやなあ……」
ぴーひゃらひゃー、とホイッスルを吹きながらあとりが感想を吐いた。
4番隊隊長、佐倉翔也――――部下からの人望はあまり無いらしかった。
「結構。行くぞ」
2ランク差がある相手に怯む様子がないのは、果たして翔也の教育の成果と言うべきか。
無謀ではある。だが脅えて使い物にならないよりはマシだと判断し、乙葉は頷いて踵を返す。
放った“目”の一つが、翔也の痕跡を発見していた。
「地下下水道……ですか」
「ああ、空からの目を警戒したのだろうな。匂いが続いている」
開けた跡のある裏路地のマンホールの前。
それを発見した犬の頭を撫でながら乙葉は能力をカット。共感状態から解放された犬は戸惑ったように辺りを見渡していたが、やがて不思議そうな顔をしながら去っていった。
「行くぞ」
「「「「はいっ!」」」」
汚いだとか臭いだとか泣き言を言う軟弱者はいない。
マンホールの蓋をこじ開けて乙葉は飛び降り、躊躇うことなく4人もそれに続く。
「うわ、さすがに暗い……」
水路横の通路に降り立った藤島夕馬が辺りを見渡して口を開く。
光源はぽつぽつと点在する作業用の灯りのみだ。足を踏み外したら下水に落ちかねないとあって、次々と降りてきた4人は自然とすり足気味になる。
そんな中、ひとり乙葉は常と変わらぬ足取りで暗闇に向かって歩を進め――――歩みを止めた。
「八雲隊長?」
「静かに」
短い制止の声に4人は押し黙る。
静寂が流れ――――なかった。
カサコソと、ガサガサと生き物の立てる音がする。
「動くな。決して声を立てるな。この悪食共にかかったら数分で骨も残らんぞ」
「――――――――っ!?」
暗闇の中で幾十、幾百の瞳がギラリと光った。
鼠だ。それも一匹や二匹ではない。
群れを成して次々と暗闇から飛び出してきたそれらは、まるで津波のような音を立てて走り去っていく。
その数は軽く百を超え――――合間に存在する黒く光る虫も合わせれば、千を超える大群となって恐怖のあまり声も出ない4人の足下をすり抜けていく。
「探せ。追いつめろ。そして――――食らえ」
乙葉は駆けていく群れの背中を見送り、4人に向き直る。
「ふぅ、さすがにこの数だと少しキツいな……と、なにを固まっている」
「や、八雲サン……今のって……」
皆がばっきばきに硬直している中、かろうじて日向つくしが口を開く。
「攻撃色を強くしただけでさっきと一緒だ。ほら、ぐずぐずしてないで奴らの後を追うぞ」
「いえ、そうじゃなくて……ミッ○ー君の間で黒く光ってたのは……」
「明言してほしいのか?」
「…………ゴメンナサイ。やっぱいいです」
この人だけは絶対敵に回してはいけない。
決意を新たに、4人は群れを追う乙葉に続いて走りだすのだった。
「さっきから疑問に思ってたんですけど、隊長はここを使ってどこに出ようとしてはるんでしょう?」
「学園の敷地内に繋がっているルートがあるからな。今までの道順からして直接そこに出るつもりだろう」
「って、隊長も乙葉ねぇさんもこの迷路みたいな下水道を把握してるんでっか!?」
てっきり鼠達の後を追っているだけだと思っていたあとりは驚愕の声を上げる。
「ああ。この仕事を長くやっていると、地下に潜る必要が一度や二度は出てくるからな」
それが比喩的な意味か、実質的な意味かはさておき。
「なんというか、ごっついでんなー。ウチには真似できそうもありませんわ」
「知っていて損になることでもないからな……例えば、そこだ」
そう言って乙葉は前方の分岐を目で示し、
「そこを曲がればあとはほぼ一直線だ。直進すると少し複雑になるが、結果的に距離は短くなる」
「隊長はどっちに行ったんでっか?」
「曲がったようだな……しめた、奴らが接触したぞ」
干渉用に伸ばしていた糸が次々と断絶されていくのを感じ、乙葉は群れが翔也に追いついたのだと悟る。
時間にすれば3分も保たないだろうが――――
「夕馬、大輔、お前達が先頭になって奴らが全滅する前に追いつけ。私は最短のルートを使って先回りする。手は出さなくて良い、私が翔也の前を塞ぐまで時間を稼ぐんだ」
「は……い?」
「ちょっと――――どういうことですか!」
「まさか仕掛けるなと? ならば何故、わざわざ我等を呼び寄せたのですか?」
次々とあがる不平の声。
日頃の恨み辛みを発散させられると意気込んできた彼らとしては、至極当然な意見のつもりらしいが――――
「あの馬鹿……まだこいつ等の前で本気を見せていないのか……」
ここに来て未だそのような発言が出るということは、そういうことなのだろうと乙葉は自分を納得させる。
「――――好きにしろ」
持ち駒が次々と減っている最中としてはこの問答の時間も惜しい。
僅かばかり譲歩し――どうせ結果は目に見えているのだ――乙葉は4人を置き去りに速度を上げ、分岐路を直進した。
記憶を頼りにいくつかの分岐を駆け抜け、曲がり、学園に繋がる最短ルートを走破し、
「……よし、上手くやってるようだな」
先のルートとの合流地点に到着。気配が後方にあることに満足して、翔也を挟み撃ちにすべく逆走を開始。
ほどなくして、積み重なった死骸と鮮血の中で佇む翔也と、その向こうに立つ3人が見えてきた。
何故かあとりの姿がなかったが、勘の良い彼女のことだ。一人逃げたのかもしれない。
普段だったらありえないことだが、それくらい翔也から発せられる雰囲気は剣呑で、その殺気に容赦はなかった。
「ちっ……そういうことかよ。俺様の可愛い部下共を囮に使うたぁなかなか外道な真似してくれるじゃねぇかよ、乙姉」
間合いより遥かに遠く、互いの声がなんとか届く距離で乙葉はその足を止める。
「人聞きの悪いことを言うな。私が命じたのは足止めだけ、仕掛けようとしたのはそいつ等の判断だ。余程人望が無いらしいな?」
「ふん、そんなクソの役にも立たないモンいるかよ。んなことより乙姉、そこに立つって事はアンタも俺の敵ってことでいいんだな?」
「愚問だな。まさか害獣駆除を押しつけただけとでも思ったか? お前をこの手で止めるためなら手段を選ぶつもりはないぞ」
そう言うと乙葉は巨大な拳銃を引き抜く。
「邪魔は来ない、一対一だ。いつかの決着を付けようか、佐倉翔也」
「はっ――――いいぜ八雲乙葉。そっちが本気だってんなら、こっちも手加減は無しだ」
翔也の手の中の心器が形状を変え、大鎌より遥かに戦闘に適した形――――刀へと変化する。
「修正してやるぞこの愚弟っ!」
「やれるモンならやってみやがれ馬鹿姉っ!!」
乙葉が銃を乱射しながら突っ込み、翔也はその全ての弾丸を切り払い、打ち落とす。
「おおおおおおっ!」
「はあぁぁぁっ!」
切り終わりの隙にその間合いより更に内側に入り込もうとする乙葉に、翔也は刀の軌道を無理矢理変えてそれを阻む。
狙いは首筋。
峰を返した刀で打ち据えて気絶させるべく――――
「――――っ!!」
驚愕の声は果たして誰のものか。
完全に死角からの攻撃だったにも関わらず、乙葉は正確にその一撃を銃口で受け止め、そのまま発砲。
刀が跳ね上がり、銃口が翔也を向く。
弾丸が発射される刹那、しかし瞬時に引き戻された刀が銃身を弾きその照準を外す。
後は繰り返しだ。
目にも留まらぬ速さで、互いに振るう拳銃と刀は致命的な一撃の寸前に、手首を、肘を、銃身を刀身を軽く弾かれギリギリで外される。
「刀と、拳銃で……チャンバラ?」
「隊長格の人外ぶりは知ってるつもりだったけど……」
「ていうか、八雲サンって偽身能力者じゃなかったの?」
完全にギャラリーとなっていた3人が思い思いに呟いたとき、弾けるように乙葉と翔也が距離をとった。
荒く息を吐いている乙葉とは対照的に、毛一筋ほどにも息の乱れていない翔也。
そこには2人の純粋な戦闘力の差がハッキリと現れていた。
佐倉翔也は直接戦闘に特化した心器能力者だ。
いくら共感能力で乙葉が攻撃を先読みしても、偽身能力者の身ではおのずと限界があった。
「5回……チャンスが、あったな。何故止めた?」
「うち3回は確実に囮だったろ。『魔獣』の乙姉とやるつもりはねぇよ」
しかも翔也は微塵の油断もしていない。
乙葉の手札を知る故に対処法と対策も分かっており、それをしてのける実力が翔也にはあった。
「確実に一撃で気絶させてやる。汚れるくらいは大目に見ろよ?」
「出来るものならな。言っておくが翔也、私は――――」
翔也は抜き打ちの構えをとり、乙葉は両足に魄啓を集中させ、
「――――嘘つきだぞ?」
突撃するかと思われた乙葉が大きく横に飛びのき、空いた空間を人間大の何かが凄まじい勢いで飛来して翔也に向かう。
「でえぇぇぇっ!?」
抜刀。切断。
運動エネルギーを“狂わせ”られたそれは、勢いを完全に消失させて翔也の足下に落ちた。
ごろりと転がるそれは――――
「氷? ってまさか――――!」
「第二射用ー意」
暗闇の奥、乙葉の後方から間延びした声が聞こえる。
「一対一で勝てると思うほどお前を過小評価してないよ――――夕馬達は目くらまし。実は私こそが、時間稼ぎの囮だ」
壁にぴったりと張り付いた体勢で乙葉が言う。
そして、
「ふぁいあー」
再び間延びした声が聞こえ、再度飛来する氷の弾丸。
「ひゃっほーーーう!」
「WAooooo――――――!!」
「こんの、馬鹿翔也ー!!」
しかもその中には、翔也にとって見覚えがありまくる隊長格の同僚達(兵器級+~神話級)が混じってたりした。
おまけに誰も彼もが共鳴同化したり神術兵装を纏ったりの完全戦闘モードで。
この手で止めるとか邪魔は来ないとか一対一だとか。
「この、大嘘つきがあぁぁぁぁ――――っ!!」
恨みの籠もった絶叫と悲鳴が下水道に木霊するのだった。
そして数分後。
鼠やらなんやらの死骸であまりにも酷い惨状だったので、とりあえず全員地下からは脱出して。
「まったくもう……いくらなんでも、一般人の子供に手を出したりしたら庇いきれないって分かってる?」
隊長格数名の能力と結界で身動きを封じられた翔也を見て、団長こと藤宮静――実動班総隊長――は頬に手を当てながらやれやれと息を吐いた。
高位能力者であればあるほど、能力を悪用した犯罪に対する罰則は大きい。
ましてや法を守る立場である民警隊員がそれを行ったとあれば、社会的批判という意味でもただでは済まないだろう。
だというのに――――
「はっ、知ったことかよそんなの。犯罪者上等じゃねえか、椿の為なら俺は迷わず手を汚すぜ」
反省の色が全くないどころか、一般隊員とあわせて総勢30名の囲いを今すぐにでも破る気満々の翔也だった。
実際、拘束を解けばすぐにでも実行しそうな雰囲気だ。静が問うように乙葉を見ると、疲れた顔をして頷いていた。
「どうする? 渚ちゃん呼んで記憶改竄してもらうしかないかしら?」
そう言って静は携帯を取り出すが、
「いえいえ、それには及ばへんですよー。ウチが愛の力で隊長を止めてみせますさかい」
それを阻むように声を上げたのはひょっこりと現れたあとりだった。
皆のいぶかしげな視線を受けながら、何かを隠すように手を後ろに回したあとりは翔也の前に進み出る。
「あぁ!? 寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞあとり。誰が何と言おうと――――」
『……そっか、お父さんはわたしより椿の方が大事なんだ』
あとりの後ろから聞こえてきた声に、翔也の口が凍り付いた。
「堪忍しておくれやす。愛する隊長と同じ職場にいられへんようになるなんて、ウチには耐えられんとですわー」
よよよ、と嘘らしく泣き崩れるあとり。前に回した手には通話状態の携帯電話が握られており、声はそこから聞こえていた。
『わたしにもお母さんにも会えなくなっちゃうのに、椿のためならそれでもいいんだ。うん……わかってたよ、本当は、お父さんはわたしのことなんてどうでもいいんだって』
「か、かっ、かかかっ、かもめ!?」
思い切り動揺しつつ、翔也はテメエこの野郎なんてことしやがるとばかりに電話の持ち主を睨み付ける。
あ、ちなみに事情は全部説明済みですーとか朗らかに言ってくる顔に本気で殺意を覚えるが、
『椿の方が素直だし、可愛いもんね。どうせわたしは2番目なんだよね。椿さえ幸せならそれでいいんだよね』
「ち、ちがうぞかもめっ! パパはかもめも同じくらい大事だぞっ!!」
『じゃあ…………どうするの?』
もう一人の娘――母親は佐倉つばめ――の声に翔也は動きを止める。
この場の全員を振り切る、あるいは機会を待って椿をいじめた子供に『思い知らせて』やった場合、今度こそ乙葉達は本気で敵に回るだろう。
当初はそれでも構わないと思っていたわけだが、そうすると逃亡生活か刑務所暮らしとなるわけで、椿やかもめと自由に会うことは出来なくなる。
そしてそれが椿のためにやったことだとすると、それはかもめの言葉の肯定となってしまうわけで――――
「うう……あああ…………」
『ねえ、どうするの?』
「……ごめんよ椿……パパはお前もかもめも同じくらい大事なんだ……」
ガックリと膝をついた状態で項垂れる翔也。
超弩級大親馬鹿佐倉翔也。愛娘のためなら手段を選ばない彼が、もう一人の愛娘のため敗北が決定した瞬間だった。
今日のMVP――代水あとり
決まり手――――「かもめちゃんカモン(サモン・ザ・ヤンデレ風味美少女)」
「大穴キタ――――――――!!」
「マジか!? いるのか賭けてたヤツ!?」
「ちっくしょう、佐倉の根性無しがーーー!!」
「――――誰だ、根性なしって言った奴ぁ。今すぐDLチケット三枚以上買ってこないと黒箱に突っ込むぞ?」
紙吹雪が舞い、辺りの一般隊員からは怒号と嘆きの声が連鎖する。
翔也が冷静に悪口を拾い上げてたりするが、まあそれはさておき。
「…………何事だ?」
「誰が佐倉を止めるか賭けてたんですよ。本命は八雲隊長、対抗は佐倉の嫁さんとつばめちゃんだったんですけど、まさか代水が来るとは……これは親の総取りかな?」
乙葉が手近な隊員を捕まえて聞くと、あっけらかんとした表情で答えが返ってきた。
故人曰く――――人は慣れる生き物である。
こんな馬鹿な騒動も慣れてしまえば日常になるのだな、と乙葉は一体こんな事が何度あったのか思い出そうとして……頭が痛くなったので止めた。
かくして第十三次、親馬鹿翔也の大暴走~~彼方より愛を込めて~~は一応の決着を見ることとなる。
めでたくなしめでたくなし。
最終更新:2007年07月07日 00:45