生誕

「ぁ…………ぁあ……」





 それは最期の瞬間。
 もう、たすからないと、ワカッテしまった。

 このときほど、
           じぶんの、
                  のうりょくを、
                          うらんだことは、
                                    なかった。



「泣くな……アホが……俺の…………最期の、勇姿を………………」


 己が存在の、狂乱の王として今まで生きてきた男の最期の、”家族”を守る光景。
 狂乱の王で在りながら、その力が最大限に発揮されるのは”タイセツなヒト”を守る、というその一点。


 その間合いに座すものは、歯車を狂わされる。
 黒の剣匠とは違いながらも、だがその空間の中では狂気の神と変貌す。

 数億の弾丸の雨も人知れず。
 閻魔の豪華すらもその鎌で。
 血塗られしその身を刃にし、我が眷属を、仲間を護る為だけに在らんその狂気の世界。

 膨大な熱量をその身で”守り”。
 轟く焔をその刃で”狂わせ”。

 害をなすものを全て屠る、狂乱の神。


 世界を狂わせる、三日月の軌跡。
 その一瞬に世界は唸る。
 彼の間合いだけは、世界のものではなく、彼の絶対なる支配。
 世界が泣き喚き懇願しようとも、彼はその意を無視し、哂うことができる。

 神すら堕ちたその場所は、刹那すらその存在を存在せしえない。
 黒の地図は蒼に染まり、光は闇と化す。



               闇は咆哮――――やめてくれ!
                                    光は慟哭――――消えたくない!

 狂乱の神は嘲笑す―――――知るかよ。


 生を受けて数百年にしてようやく、その鎌を自在に操ることができた彼の、最期の姿。

 三雲武司――――其の結末を根源へと刻み忘れるな!
 三雲桜――――其の終焉を己が魂魄へと焼き付けろ。!





                        その身を捨て、己を救い給える死

の神を、魂魄に刻み付けろ!


「ぅ…………あああああ!!!」

 怨嗟の奔流を声を荒げることで振り払う。
 最早身体は震えるだけ。彼を救うことも、彼を助くこともできない。


 ――――健やかなるときも、病めるときも。



  アイツは俺と私たちを護ってくれるんだ――――


「ぐああああああああ!」
「いやあああああああ!」

 武司と桜の声が重なり、解け、混ざり、溶けていき――――彼の生まれ落ちたときの姿へと変えていく。

「…………お前…………」

 翔也の呟きが遠い。
 己が変革されていくのが、回帰していくのがわかる。
 肉体の苦痛は鳴く、精神の苦痛は泣く。

 人間と定義されていた己が啼く。

 茶の髪は純白へ、短き髪は永遠に伸び続け、其の身体は少年のように幼く、其の瞳はただひたすらに呆けていて、

 三雲武司であった名残は無く。
 三雲桜という欠片は砕け散る。

「……鬱陶しいんだよ…………どこの誰だかしらねぇけどよおおおおおおおおおおおおおおお!」

 彼は疾走する。
 心臓を穿たれた、風前の灯とも呼べないその矮躯で、空色死銘は直走る。
 親友の変革に苦渋を舐めながら、降り注ぐ地獄の元凶へと。

 ―――――それが失敗だった。


 所詮、彼の命は泡沫のものなのだ。
 そこで親友を護れただけでも奇跡だったのだから。

「ジョ゛……う゛…………Ya゛……」

 誰かは知らぬ”彼女”はその隙を逃さない。
 均衡を崩してしまった愚かな死神を赦さない。

 左腕が弾け飛ぶ。
          右腕が消え盛る。

          右足は潰れ砕け。
 左足は溶け失う。


 左目が飛来してくる針に侵食され。
                 右目だけが辛うじて残る。

 血塊を吐く。
 臓物をぶちまける。


 何故死なない。
 狂っているから。

「もういいよ……もういいから……」

 ”自分”の言葉は届かない。呟かれた言葉が幽かで、空ろであるから?
 違う。

 届いたとしても、彼は死んでいく。
 彼は、既に狂っている。己が身にその鎌を突き刺し、自分という存在を狂わせていた。

 最期の奇跡。

 四肢が潰え様とも、彼の意志だけは揺るぐことなく、一つの危害も加えずに、未だ”

三雲”の彼を祓う。

「――――――」

 彼の言葉は、もう人間のものではない。
 宛ら地獄から這い出た亡者のように、未練が晴れずに残留し続ける亡霊のように。
 蒼を纏いひたすらに立ち塞がる。


「…………もう、休んでいい」

 変革の痛みも嘆きも苦しみも無視する。目の前の男は自分以上の苦悶を浴び、尚立ち

上がるというのに。

 そう。

 今度は、自分が彼を安らかに看取る番なのだから。

 だから、もういいんだ。


 恐らく、今この次元、時間。
 匿名希望が産まれた。

 複製製品でもなく、三雲の姓を持つことすらしない、名前を有さないただの人形。


 そして、今この時間だけ。
 世界で最も恐ろしく、冷ややかに世界を見つめ、全てを殺せるモノになっていたのであった。


 そうして、全てが終わった後。

 未だにその魂を世界へと繋ぐことができていた佐倉翔也に別れを告げる。
 幽かな声にも、もう匿名希望は表情を変えない。

「せめて…………最期に…………その顔……」

 言葉が続かないのだろう。だが彼の言葉の意味を理解した匿名希望は顔――――身体すら覆いつくす、その穢れ無きされど染まりやすい、永遠に続く白髪を掻きあげる。

「………………a……りぇ…………が…………つ」

 ありがとよ。

 そして、もう一言。

 彼は言った。
 匿名希望にだけ届く、その言葉を。

 そして返す。

「私は、貴方を愛していた。今まで、本当にありがとう」


 がくり、と。
 翔也はその言葉を聴くと安堵の表情で衰退し、死んでいった。


「本当に、ありがとう」

 涙は流れない。
 顔も変わらない。
 全身が震えることすらない。





 匿名希望は歩く。
 その歩みは今の楽園ではなく、かつての楽園へと赴いている。

 その背には、佐倉翔也を。
 笑顔で死ぬことのできた、佐倉翔也を背負い、匿名希望は闇の中へと消えていった。








 ――――自由に、生きろよ……親友。

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最終更新:2007年07月06日 02:24
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