作:謎のインド人
購えないものは、世の中にはいくらでもあると思う。
生命や過去などという、大仰なものの事を言うつもりは無い。
ただ、こうして傍らにある人の気配を身近く感じるているだけで、何もかもを許せる気分になる。
これは、決して何かで代用できるものではないな、と彼は思い、目を開けて眼前で身を縮めている
杜を眺めた。
いつもそうだが、今日も果たして、柔らかな曲線を描く頬に薄く血の色を逆上せている。
恥ずかしがり屋の恋人は、他人の目に触れそうな場所での接触はいつも避けたがり、時として、
彼はその様子を見たいがために、書類などを渡す時にわざと座る彼女の背に己の胸が重なるように
して目の前に置いたりもする。
よく「ヤバいくらいにやらしい声」「年齢より絶対中身は年とってる」「タラシ」等といった
評価を受けている己の稚気を、彼は良く知っていた。
しかし、その稚気を指摘されても、自分はきっと
「だからどうした」
と笑って返すに違いない。
この時間。
午後の面談室で、共にこうして過ごしていられる時間と引き換えなら、そんな瑣末な事実など
恥にもならない。
己に向けられるものならばいくらでも黙殺できる。
だが、それを原因としてこの恋人が無意味に揶揄されるのは良しとはできない。
この世のどこにこんなに可愛いものがある?
彼女が喜ぶのも、恥らうのも自分ゆえでならなくてはいけない。そんな奇妙な執着すら感じる、
愛しい無意識の誘惑者。
窓から入ってくる、どこか煙ったような冬の光に照らされる姿に、彼は興を覚えて立ち上がった。
「えっ…何?」
そんな一挙動にすら驚いたように顔を上げるのにゆったりと微笑みかけ、彼女が座るソファの
隣に腰を落ち着ける。
「後5分」
「…うん、後、5分」
はにかんで頷く様子に満足し、彼は腕を延べて抱き寄せた。
後5分だけ、独占。
そして4時間経ったら、後はずっと、独り占め。
だってそうだろう?あったらあっただけ欲しくなるのが、性というものじゃないか。
最終更新:2007年11月19日 04:03