作:歌詞主 絵:絵の人
第一夜
「メェーンッ!」
場内に生茶の透き通る声と、竹の衝撃音が響き渡る。
生茶が繰り出した一刀は、見事相手の頭の頂を捕らえていた。
「面あり、一本!」
審判役の学生が手を上げ、勝敗が決したことを知らせる。
それと同時に二人は構えを解き、間を開け、一礼した。
礼が終わり、離れてから、二人は兜をはずす。
生茶に一本を取られ敗れた者、その兜の中からは端整な顔立ちの女生徒が現れた。
額に汗を浮かべつつもさわやかな笑顔を浮かべる彼女はピザラ。
一年生にもかかわらず部内でトップクラスの実力はすでに皆が認めており、いつも先輩達に混じり、練習に励んでいる。
現在の練習は手合わせ、相手は顧問の生茶が請け負っていた。
ピザラの実力は前述したとおり目を見張るものがある。
だが、生茶はそのさらに上を行っており、長年剣の道を歩んできた技術は年齢差による体力の違いをカバーして余りある能力だった。
その生茶に先ほどの手合わせの意見を仰ごうと、ピザラが近づく。
「先生」
「ああ、相変わらず踏み込みは迷いがなくていいが、もっと手首の返しを早くした方がいい」
「はい! ありがとうございます!」
的確な指示を受け、ピザラは頭を垂れた。
剣道部に入って半年が過ぎた。
夏の大会後に3年生が部を退き、部内が2年生とピザラ達1年生だけになってからはピザラも大会で先鋒や次鋒を任されるようになった。
そんな一年生エースの位置にいるピザラも、1つの悩みを持っていた。
それが今の練習だ。
別に練習が辛いとかいうわけじゃない。彼女はどんな練習であってもいやな顔一つせず真剣に取り組むし、その姿勢こそが彼女が周囲から認められている理由だった。
ただ1つ、この手合わせの練習でピザラは生茶に勝った事がなかった。
もちろん生茶の実力が高いと言うのもある。だが、周りの先輩は毎回とはいかずとも、生茶から一本を奪っている。
そんな先輩達とさして変わらない実力を持つピザラだけが何故勝てないのか。
ピザラは思い切って生茶に聞いてみた。
「先生、某は未だに先生から一本を頂いたことがありませぬ。何か某に決定的な弱点でもあるのでしょうか?」
ピザラがそう聞くと、生茶は顔を強張らせ少し考えたが、すぐに返答してきた。
「そうだな。これは弱点と言うわけではない、むしろ褒めるべき事なのだが……お前は真っ直ぐすぎるんだ」
真っ直ぐすぎる。何のことかがピザラにはわからなかった。
「真剣なのはいいことだし、正々堂々勝負するのは当然だ。しかし、お前は余計な手を使わず速さと力だけで勝負に挑む、故に動きが読みやすいんだ」
「某の動きが単調であるということですか?」
「悪く言えばそうなる。身体能力を鍛え上げるのも重要だが、もう少し柔軟な動きができるようになったほうがいい」
「なるほど……ありがとうございます!」
ピザラが礼を言うと、生茶は片手を挙げ、部長に二、三指示を飛ばした後、道場の外へ消えていった。
柔軟な動き。ただ一心に強くなることを目指し修行を積んできたピザラにとって、それは未知の世界だ。
何せ考えたことも無かったので見当がつかない。
どうしようかと悩んだピザラは、ある人に相談することに決めた。
星が飾る夜空に浮かぶ丸い月。
まだ完全な丸になるには後数日が必要だろうが、美しいことに変わりは無い。
その月を校舎の窓から見上げる
イヤホン。
月光に照らされた黄緑を基調とした着物が、開かれた窓から入る秋風に揺らめく。
優雅に月を眺めるイヤホン。彼女がいる教室の扉がゆっくりと開かれた。
「御免」
開いた扉の先には、袴姿のピザラが、手にビニール袋と水筒を持ち、立っていた。
「いい月夜でありますな」
そう言って近づいてくるピザラへ、イヤホンがゆったりとした動きで視線を向ける。
「どうした?」
イヤホンが問う。
「いやなに、月が美しい故、月見でもしませぬか?」
ピザラは何気なくそう答え、近くの机にビニール袋から取り出した月見団子を置いた。
「ほぅ、満月ではないがそれもまた一興じゃの」
ピザラが水筒に淹れてきた緑茶を紙コップに注いでる間に、イヤホンは近くの椅子に腰掛けた。
「某、修行中の身故、酒を嗜めぬ。ご容赦を」
「相変わらずカタいのぉ。まぁ構わぬ、それでは頂こう」
イヤホンは僅かに微笑むとそう言い、団子を1つ手に取り、ほおばった。
「ほぅ、なかなか美味じゃ」
「それは良かった。では、某も」
こうして、月光が差し込む教室の中、二人の月見は進んでいった。
「秋風に 揺れる茶の湯に 浮かぶ月」
イヤホンがコップの中に映った月を見て一句詠む。
「風流ですなぁ」
「うむ、主の奴も呼んでやればよかったかのぉ。どうせまたTVに齧り付いておるのだろうし」
「そうですな」
笑う二人。しかし、すぐにイヤホンは真剣な目でピザラを見た。
ピザラもその視線に気づき、姿勢を正す。
「如何なされた?」
「それはわらわの台詞じゃ。何か相談があるのであろう?」
「うっ……」
見事に図星を突かれたピザラは一瞬のけぞる。
「何年ここで学生の相手をしてると思っておる。部屋に入ってきた時から気づいておったわ」
「さすが、イヤホン殿。試したわけでは無かったのですが、お見逸れ致した」
「それで、何の悩みじゃ? 成績か? 恋か?」
少し意地悪そうな笑みを浮かべるイヤホン。
それに対し、ピザラはいたって真面目に答えた。
「剣術の腕が上がらず難儀いたしております。何かご助言を頂けませぬか」
「……そなたらしいな。しかし、わらわは剣術を嗜んだことが無い。生茶の方が詳しかろう?」
「先生に聞いたところ、真っ直ぐすぎると言われまして……」
「ふむ、なるほどの。それで、そなたはどうしたいのじゃ?」
「某は……強くなりたいです!」
「……よかろう、ならばその願い、これに託すといい」
イヤホンはそう言って、袖の中から数珠のようなものを取り出した。
赤、青、黄、それぞれ色の違う3つの真珠ほどの玉。その玉を黒い刺繍糸が通ってまとめ、輪を成した後、再び玉を通してある。
「願玉の腕紐(がんぎょくのうでひも)といってな、今の言葉でいうならミサンガといった感じのものでの」
ミサンガ、サッカー選手がよくつけている手首の装飾品で、糸が自然に切れるまでつけていると願いが叶うと言われているものだ。
「まじない、ですか?」
ピザラが少し訝しげな顔をする。
「まぁそのようなものだな。鰯の頭も信心からというし、騙されたと思ってつけてみよ」
「はぁ、それなら……」
占いやまじないの類のものを信じないピザラは、頭を傾げながらも右手首にイヤホンからもらったミサンガをつけた。
「うむ、よう似合うておる」
「はぁ」
「それではの、願いが叶う事を祈っておるぞ」
イヤホンはそう言うと怪しげな笑みを浮かべた。
第二夜
玉のついたミサンガに最初は違和感を感じたピザラだが、すぐそれにも慣れた。
というより、まじないに興味のないピザラがミサンガを意識しなくなった。
そんなある日、ピザラはミサンガの力を知ることになった。
朝、剣道部の朝練へ向かおうと通学路を歩くピザラ。
早朝なので人通りもまばらだが、道行く人は毎日変わらない。
新聞配達の兄ちゃん、公園で青空を眺めるおばあちゃん、ジョギングするおじさんに、犬と散歩するおばさん。
いつものように挨拶を交わしながらピザラは学園への道を進む。
すると、交差点に差し掛かったところで声をかけられた。
「ピザラちゃん、おはよ~」
少し気の抜けた声。ピザラが振り返るとそこには厚着のじゃがいもがいた。
クラスメイトの姉である彼女は近所のハンバーガーショップで働いている。
「おお、じゃがいも女史。お早うございます」
「いつもこのぐらいの時間に学校に行ってるの?」
「はい、剣道部の朝練があります故。じゃがいも女史は今日は……?」
「バイトが長引いちゃってね~。今から帰るとこなの」
じゃがいもはそう言うとため息を一つついた。
「そうでしたか。お疲れ様です。お気をつけて」
「うん、ピザラちゃんも部活がんばってね」
「ありがとうございます。では、失礼」
ピザラが一礼すると、じゃがいもも手を振り二人は別れた。
じゃがいもは青信号の横断歩道へ向かい、ピザラはそのまま歩道を行こうとする。
その時、ピザラの進行方向の車道から、猛スピードで車が走ってきた。
車は赤信号に気づいていないのか減速すること無くこっちへ向かってくる。
車の進む先、交差点の横断歩道をじゃがいもがゆっくりと歩いている。
「危ない!!」
思わず叫ぶピザラ。
その声に気づき、じゃがいもも振り向き車を視認した。
しかし、すでに車はピザラの横を通り過ぎており、間に合わない。
(ダメだ、間に合わない! 頼む、止まってくれ……!)
じゃがいもを救うにはあまりにも遠すぎる位置から手を伸ばしたままピザラはそう願った。
歩道の上のじゃがいもは体がすくんでしまい動けない。
車は減速することなく、じゃがいもへ向かう――。
ピキ。
何かがひび割れるような音が、小さく聞こえた。
しかし、その音を辺りをつんざく破裂音がかき消した。
その直後、車は進行方向を大きく変え、歩道の電柱へ激突していた。
歩道の上のじゃがいもに当たる前に。
じゃがいもは何が起こったのかと目を見開き、その場に座り込んだ。怪我は無い。
間も無く車から運転手も飛び出してきた。歩き方がぎこちないが大きな怪我ではないようだ。
フロントが原型をとどめていない車を見てみると、右の前輪が破裂していた。
酷使しすぎたのか、破裂したタイヤによりバランスを失った車は直進することができず、急激に右折、電柱に激突したのだ。
早朝にもかかわらず、騒ぎを聞きつけた野次馬が集まってきた、その中心では運転手がじゃがいもの安否を気遣っている。
その姿を唖然として見つめるピザラ。すると、小石を落としたような音が足元から聞こえてきた。
見てみるとそこには、小さな黄色い光が散らばっていた。
しゃがんでそれが何かを確かめるピザラ、つまみ上げてみるとそれは小さな玉が砕けたような欠片だった。
何かに気づき、袖をまくるピザラ。
露出された白い腕には黒いミサンガがしっかりと巻かれていたが、そこには赤と青の2つの玉しかなかった。
「まさか、願いが叶ったのか……?」
ピザラは呆然と空を見上げた。
その後、ピザラは仮説を立てた。
(このミサンガは、ミサンガが切れる事で願いが叶うのではなく、玉が砕けることで叶うのではないか)と。
もしそうだとすると、玉は残り2つ、つまり後2回は願いが叶うという事になる。
さほど欲が無いピザラはとりあえず、その仮説が正しいのかどうかを調べるために1つ使うことにした。
「浮かべ!」
武道場の裏、地面に置いた空き缶に向かって、ピザラは力いっぱい広げた両手を向けている。
「う~か~べ~!」
自分が浮かべと願ったら空き缶が浮くはず、ピザラはそう考えたのである。
よって朝練の後、半時間ほどの間ピザラはこうして必死の形相で空き缶に念を送っている。
しかし、傍から見るとその姿はあまりにも滑稽であり、しかも缶は浮くどころか浮く気配すらない。
それでも諦めずに念を送り続けるピザラの下へ、一人の男が近づいてきた。
「何してんだ?」
「ひゃあ!」
驚き飛び上がるピザラ。熱中しすぎて人が近づいてきたことに気づいていなかったようだ。
声をかけた男の方を振り向いてみると、そこには顔の赤い生茶が徳利を持って立っていた。
「なんだ? 新しい修行でも始めたか?」
ピザラの後ろの空き缶を見る生茶。
「え、ええ、まぁ」
頭を掻いてごまかすピザラ。
「ふぅ~ん、まぁ基本も忘れないようにな」
「は、はい! 先生も酒の飲み過ぎにお気をつけて!」
ピザラは笑ってそう言うと逃げるように去っていった。
「……なんだったんだ?」
取り残された生茶。酒を一口煽ると、先ほど目に止まったものが気になった。
「あの腕飾り……どこかで……あ!」
何かに気づいたのか、生茶は校舎の方へ駆け出した。
図書室。
ほのかに温かい陽光の差し込む室内には生徒達が本を読んだり、ペンを走らせたり、小声で談笑するなど喉かな空気が流れている。
その図書館の司書、
コンコンもハードカバーの本に目を落としている。
読んでいるのはグリム童話。その21番目の物語。言わずと知れた『シンデレラ』である。
読みつつコンコンはため息を一つつき、呟く。
「はぁ……王子様かぁ……」
視線を宙に浮かべ、想像にふけっていると図書館の扉が勢いよく開かれた。
驚いてそこの視線を走らせると、そこには息荒く、顔を朱に染めた生茶の姿があった。
「な、生茶先生?」
先程の想像も相まって、少し慌てるコンコン。
そんな彼女の下へ、生茶は一気に近づいて、こう言った。
「コンコン先生、付き合ってくれ!」
空気が固まった。
図書室内の全ての生徒の視線が二人の下へ注がれ、全員が固唾を呑んで見守る。
急激な展開に唖然とするコンコン。
「あ、あの、いや、その、きゅ、急に……そんな……」
事態が飲み込めたのかコンコンの声は尻すぼみに消えていった。
「付き合うって、この事だったんですね……」
コンコンはため息を一つつく。
「え? 何か言いましたか?」
本棚の向こう側から生茶の声が返ってくる。
「いいえ、何でもありません!」
少し語尾を強めて否定するコンコン。
二人がいるのは図書館の書庫。
ここには古い文献や貴重な資料、過去の新聞などが保管されている。
生茶が頼んだのはもちろん、ピザラの腕に巻かれたミサンガについて書かれた文献探しだった。
「あ、これじゃないですか?」
コンコンが本の端がすでに黄色く変色している文献を開いて指差した。
生茶が慌てて近づき、本を覗き込む。
「そうだ、これだ! この本少しお借りしても構いませんか?」
「え、ええ。校外に持ち出さなければ……」
「ありがとうございます!」
生茶は本を受け取り入り口に向かう。
扉を開ける直前、生茶が振り返った。
「あ、今度お礼に食事でもいかがですか?」
「え……は、はい! よろこんで!」
快い返事に生茶は笑顔を向け、書庫を後にした。
宙を舞う折り紙。
別に紙飛行機や鶴などに折られるわけでもなく、ただの1枚の紙として折り紙は宙を舞っている。
ピザラはゆったりと降りてくる紙に睨みつけるような視線を送る。
そして、一瞬。
ピザラは腰の鞘から刀を抜き、切り上げた。
空間を断つように一閃を放つ刀がすぐさま宙を舞う紙と交差し、離れる。
しかし、舞い落ちる紙は何事も無かったかのように、同じような紙が落ちている地面へと降りていった。
「ふぅー……」
刀を鞘に戻しながら大きく息を吐くピザラ。
昼休み、ピザラはいつものように修練に励んでいた。
宙を舞う紙を切る。それがピザラの目標の1つだ。
ひらひらと不規則に動く紙、振った刀が起こす風、斬れる一瞬を見抜く眼力、その他様々な条件をクリアして宙を舞う紙は切れる。
「こんな事では、先生に某の一太刀が届くわけがない……」
ピザラは呟き、次の紙を宙へ舞わせる。
「もっと強くならねば……」
放たれた紙は似たような、しかし全く違う動きで降りてくる。
同じ降り方をする紙は無い。
その紙の斬る一瞬を見極めようとピザラは再び紙を睨みつける。
(もっと強く……)
風に弄ばれながら紙は降りてくる。
(今だッ!)
ピザラは目を見開き、腰の刀を一気に振り上げる。
(もっと強く!!)
紙と交差する刀。
そして、舞っていた紙が、2つに分かれた。
別れた紙はそれぞれが違う動きでゆっくりと地面へ落ちていった。
「や、やった……!」
刀を納め、切れた紙を拾おうとするピザラ。
その腕から、赤い光が零れ、切れた紙の上に落ちた。
第三夜
(きっと勝てる……)
防具をつけながら、ピザラは考える。
(きっと、勝てる……)
胴をつけ、面をかぶり、小手をはめる。
(きっと……勝つ!)
竹刀を掴むと勢いよく前を見据え、ピザラは戦場へ足を踏み出した。
緊張の糸が張り詰める場内。
物々しい雰囲気に引かれ、2年だけでなく素振りをしていた1年までもが固唾を呑んで見守っている。
その中央で向かい合うのは生茶とピザラ。
お互いを見据える二人の間には火花が見えそうなほど、一触即発の空気が流れている。
ピザラは生茶の顔を見る。
そこにはいつもより鋭く自分を睨む目が輝いていた。
思わず生唾を飲み込むピザラ。
しかし、自分も負けまいと視線を送り返す。
(大丈夫、勝てる)
ピザラは自分を落ち着かせるために紙を切った感覚を反芻する。
そして、ただならぬ空気の中、ついに号令がかかった。
「始め!」
審判役の生徒が手を上げる。
それと同時に二人は互いの竹刀を軽く触れさせ、立ち上がった。
(勝つ!!)
ピザラは強く誓った。
「メェーン!」
重い打撃音。
勝負は一瞬だった。
二人が立ち上がり、気合を1ついれた次の瞬間、ピザラが目にも止まらぬ素早さで1歩を踏み出し、生茶の面を真上から打っていた。
あまりの速度に生茶は身動きひとつ取れなかった。
面を打ったままの状態で止まる二人。
永遠に感じられる時間を再び動かしたのは小石が落ちた音だった。
二人の間、ピザラの手首の下に青い光が細かく瞬いていた。
「め、面あり。一本!」
場内にどよめきが走る。二人はそのまま一礼を交わし、互いに背を向ける。
二人が試合の枠を出た瞬間、生茶の体が沈んだ。
倒れそうになる所を、なんとか竹刀をついて体を支える生茶。
大きな刺突音に振り向くピザラ。
そこには杖に全体重を預けてようやく立っているが、視線の殺気は変わらない生茶の姿があった。
「お前は、それでいいのか?」
警告するような生茶の声が場内に響く。
どよめきが一気に静まった。
あまりの殺気に一瞬たじろぐピザラ。
「な、何のことでしょうか」
「……好きにしろ」
生茶は低く言い放つと、部員に支えられて武道場を後にした。
「やっと勝てたんだ……これでいい」
ピザラは小さく呟いて、青い欠片を拾った。
その腕には黒い糸だけが巻かれていた。
満月の夜、イヤホンはいつもと変わらず月を見上げていた。
そこへ、静かに生茶が入ってきた。
「失礼します」
「……そろそろ来ると思っておったよ」
さして驚きもせず言うイヤホン。
「やはり貴女でしたか。あれを彼女に渡したのは」
すぐにそう返す生茶。今度はイヤホンも少し驚いた。
「ほぅ、あれが何か知っておる者がいたとはな」
「昔に文献で見つけました。うろ覚えだったので最初は気づきませんでしたが」
「それで、わらわに何用じゃ」
今更とぼけるイヤホン。
「言わなくてもわかっているでしょう」
段々と力強く話し始める生茶。
「どうやら、ピザラは願いを叶えたようじゃな」
「ええ、しっかりと叶えてしまいましたよ」
「ならば良かったではないか」
「良くはありません!!」
怒鳴る生茶。
「簡単に叶ってしまった願いに価値はない! 彼女はきっと後悔することになる!」
力説する生茶。それを尻目に、イヤホンは月を見上げる。
「……願いを消せるのは新しい願いだけじゃ。ただし……」
言葉を止めるイヤホン。
「ただし、何ですか」
次の言葉を待つ生茶。
そんな時、窓の外に一筋の流れ星が見えた。
「流れ星に願いを3回告げると、願いが叶うと言うのぅ」
「イヤホンさん!」
話がはぐらかされるのを防ごうとする生茶。しかし、イヤホンはそれを軽くあしらう。
「まぁ聞け。何故流れ星に願いを託すと叶うと思う?」
生茶の目を見るイヤホン。
「神様が……とか言わないでしょうね」
生茶はそれに訝しげな目線で応えた。
「わらわがまだ生身の頃だったならそう言っておっただろうな。しかし、そうではない」
再び月を見上げる。生茶もそれに習う。
「流れ星は一瞬で消えてしまう。その間に願いを3回など言える筈がない」
だが、とイヤホンは言葉を続ける。
「そんな短い間に3回言えるほどの強い願いならばきっとその願いは叶うであろう。わらわはそう思うぞ」
不敵な笑みを浮かべるイヤホン。
「それほど強く願わないと叶わない。と言う事ですか?」
「そう言うことじゃ。特に、最後はな」
「なるほど……ありがとうございました」
一礼し、教室を後にしようとする生茶。その背中に、イヤホンが声をかける。
「そう言えば、コンコンがえらく上機嫌だったぞ。……あまり無茶をするなよ」
言葉を返さず、生茶は教室を出た。
ピザラが生茶に勝利してから数日が経った。
あの日以降、ピザラと手合わせをする者が減っていった。
何せ目にも止まらぬ速さで何よりも重い一撃を放ってくるのだ。
折れた竹刀は数知れず。気分が悪くなり、倒れるものも少なくなかった。
そして、ついにその日は訪れた。
「おはようございます!」
はつらつと、ピザラは挨拶をし道場に足を踏み入れた。
すると、重い空気が場内を支配している事に気がついた。
挨拶も全く返ってこない。
「……? どうかしましたか?」
不審に思い、訊ねるピザラ。
すると道場の奥で固まっていた2年生の一人が口を開いた。
「も、もう部活に来ないでくれるか……」
怯えきった声でそう伝える2年生。
周りの部員も頷く。
「!? どういうことですか!」
あまりの急な通達に声を荒げるピザラ。
「もうこの道場で暴れるな。と言う事だ」
部員の声を肩代わりするかのように言い、防具をつけた生茶が更衣室から出てきた。
「な! 暴れるとは失礼な! 某の剣を侮辱するのはいくら先生であっても容赦しませんぞ!」
「……言葉で言ってもわからんか、ならばいい。来い!」
生茶はそう言うと、竹刀を上段に構えた。
「うおおおお!」
その生茶へ向けて、ピザラは竹刀を取り出し、駆け出した。
結果は圧倒的だった。
防具もつけていないのに無傷で立つピザラ。
対照的に、生茶は床に片膝をついてしまっている。
生茶は再び竹刀を掴み、それを杖代わりによろよろと立ち上がった。
ふらつきながらも再び竹刀を上段に構える生茶。
「やめてください、先生」
「ふ、ふふ。俺をあまり舐めるな、よ」
足はおぼつかないものの、しっかりと上段特有の威圧を放っている生茶。
ピザラもそれに負けまいと、上段に構える。
「どうした? お前が得意なのは、脇構えだろう?」
攻撃を早く繰り出せる一般的な上段に対し、剣を右脇に下ろす脇構えは相手との間合い、動きなどを正確に読み取る技術が必要になる。
現代剣道で使う人は少ないが、ピザラはそれを得意としていた。
「それとも、俺の一太刀を受ける自信がないか?」
生茶の言葉に返事をせず、ピザラは上段に剣を構える。
「まぁいい、行くぞ。てぇあー!」
大きく一歩踏み出し剣を振り下ろそうとする生茶。
しかし、それよりも早くピザラは身をかがめ、がら空きの胴に一太刀を浴びせた。
「ぐ、ふ」
横腹に衝撃を食らい、一瞬息が止まる生茶。
しかし、すぐさま身を翻す。
「ま、まだまだぁ!」
「も、もういいですよ先生!」
慌てて止めるピザラ。しかし、生茶は向かってくる。
生茶が剣を振り下ろす。
またもや、それよりも先にピザラの剣が生茶を捕らえていた。
もう生茶とやり合う意思はないピザラだが、攻撃されると体が反応してしまうのだ。
「先生、もうやめてください!」
「ま、まだだ!」
生茶は再び向かってくる。
それをピザラはすぐさま返り討ちにしてしまう。
「もういい、もうこれ以上向かってこないで!」
悲痛に叫ぶピザラの声を、生茶は聞かず、何度も向かってくる。
(もう、もういい! こんな力は必要ない!)
目を強く閉じるピザラ。
それでも上段で向かってくる生茶に、今度は面を入れようと剣を振りかぶるピザラの腕。
(元の体に戻ってくれ、頼む!!)
二人の剣が交差した。
乾いた音が場内に響いた。
部員が唖然と見つめる先、先程まで常人離れした動きを見せていたピザラの剣は、生茶の肩に当たっていた。
対して生茶の剣は、防具をつけていない頭をしっかりと捕らえていた。
剣を交わらせる二人の手。
その片方から、黒い糸が離れ、落ちていった。
満月を過ぎ、再び欠け始めた月。
それが照らす教室をピザラが訪れた。
額には大きなガーゼと、それを包むネット包帯が目立つ。
「願いは叶ったかの?」
少し意地悪に、イヤホンが問う。
「ええ、4つも叶いました」
ピザラが手を差し出す。そこには赤、黄、青の小さな欠片と切れた黒い糸が乗っている。
「だが、最後の願いでほとんどが無効になったであろう? 惜しいことをしたな」
イヤホンがにやりと笑う。
「そうでもありませんよ」
ピザラはそれにさわやかな笑顔で返す。
「お陰で気づくことができました。大切なのは"強くなること"ではなく、"強くなっていく"ことなのだと」
「そうか」
「ええ。あ、この破片、頂いてもよろしいですか?」
「構わんよ。もう願いを叶える力もないしのう」
「ありがとうございます。では、失礼」
去ろうするピザラをイヤホンが呼び止める。
「あ、今家庭科室には行くなよ。包丁持ったコンコンに追いかけられるぞ」
「? ああ、保健室で寝ている生茶先生に。と言う事ですか。馬に蹴られて死にたくはないですからなぁ」
そう言うと二人は笑いあった。
そんな二人を、少し欠けた月が照らしていた。
完
最終更新:2007年12月24日 19:24