スピードレフレックス
栗林のカメラ第一号として、スピードレフレックスが発売されたのは1926年(大正15年)と考えられる。
この年に発行された雑誌、カメラ(ARS)にスピードレフレックスの新発売を示す広告が掲載されている。
カメラ(ARS) 1926年3月号広告
カメラ(ARS) 1926年4月号広告
カメラ(ARS) 1926年5月号広告
(以上の広告は国立国会図書館所蔵資料から許可を得て転載した:国図利1401065-7-28号)
三月の広告では「ESヂュニオルレフレックス」という名称のカメラが三月中旬にできると予告されている。
四月の広告ではこのカメラが新発売され、五月の広告でカメラの名称が「スピードレフレックス」に変更されている。
ペトリの歴史ではスピードレフレックスは1919年に製作と記されることが多いが、これはカメラの発売までに
かなりの時間を要したことを示すか、あるいは記録の間違いであるとも考えられる。
スピードレフレックスを発売したのは神田の三栄堂本店であった。店主の二川栄介は1928年に「写真機全集」を出版している。
この本の中に栗林製のカメラの広告がいくつか掲載されているので、当時の雑誌広告とあわせて紹介する。
「写真機全集」(昭和3年)のダウンロードはこちら
ファーストカメラ
(二川栄介著 写真機全集 1928年広告)
広告の下部に「第一写真工業社」と記載がある。栗林製作所との関係は現在のところわかっていないが、
翌年のアサヒカメラに掲載された同名のカメラの広告にはFirst Camera Works の記載がある。
(アサヒカメラ1929年5月号広告:写真提供ジャンク大帝様)
ミクニカメラ
(二川栄介著 写真機全集 1928年広告)
広告の下部に "Tokyo Minagawa"と記載がある。翌年のアサヒカメラに掲載されたこのカメラの広告には
「ミクニカメラ製造元 皆川カメラ店」の記載がある。皆川カメラ店(皆川商店)は後に栗林製作所の
カメラを「ファーストカメラワークス」のブランド名で販売している。
(アサヒカメラ1929年5月号広告:写真提供ジャンク大帝様)
ルビースハンドカメラの謎
(二川栄介著 写真機全集 1928年広告)
ところが、芙蓉堂のホトデルックス、ルビースハンドカメラの広告にも東京博覧会受賞の記載がある。
これらのカメラも栗林製のカメラである可能性があるが、現在のところ情報不十分である。
Baird著の Collector's Guide to Kuribayashi/Petri Cameras の栗林製カメラのリストにはこれらのカメラは含まれていない。
1958年10月のPHOTO35という雑誌には栗林庸夫氏(当時常務)の話として、栗林が芙蓉堂にカメラを提供していたと記載されている。
イーグルハンドカメラ
カメラ(ARS) 1930年3月号広告
(上記の広告は国立国会図書館所蔵資料から許可を得て転載した:国図利1401065-7-63号)
カメラ(ARS)1930年6月号ではレンズにメーヤーアナスティグマットF4.5、シャッターにコンパー、イソプール付モデルが追加されるとあった。
全日本クラシックカメラクラブ(AJCC)の2015年5月の研究会で、小林昭夫会員により栗林の乾板カメラの発売年を検証した研究講演が行われた。
多くのカメラの発売年が訂正されているのでぜひ参照されたい。
リンク許可を戴いたAJCCと小林会員のご厚意に感謝します。
最終更新:2016年09月21日 05:48