テセウスの船について
ここでの「テセウスの船」とは、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題のことについてである。
㊟ここでのパラドックス
正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉のこととしています。
話の内容
テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウス の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。
テセウスの船は航海をする度に傷つきボロボロになってしまいます。
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船が損傷すると、代わりの木材で継ぎ接いでいきます。
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数多の航海を経て元々あった素材は全て海に流れ、今では後から足した素材のみとなってしまいました。
さあ。この船はテセウスの船といえるでしょうか。
目に見えているもの
この話が難しいのは実体が目に見えているからなのです。
ある人は「流れてしまった元の素材全てを拾い集めれば、それがテセウスの船なんじゃないか」と言いました。
果たして本当にそうでしょうか。
これ以上は皆さんで考えてみてください。
ではまた。
最終更新:2020年05月16日 11:34