短編 穴の中

僕は、心の中に「穴」をもっている。この穴を他の人も持っているのかはわからない。その穴に潜む何かは、僕のゴミみたいな気持ちを穴に投げ込むたびにそれを食べてしまう。
穴というのは所詮イメージに過ぎない。
だけど、そうやって投げ入れる度になんだか心が楽になるのだ。
もしかしたら、穴というのはただのイメージで現実逃避をしているだけで、気持ちを溜め込んでいるだけかもしれない。
けれど、例えイメージであろうとなかろうと、いずれその中に潜む何かは出てくるのだろう。
ゴミみたいな気持ちを食らって、その身の内に溜め込んで、成長して出てくるのだろう。
なにが出てくるのかは僕には皆目見当がつかない。
僕の、負とされる感情を食べ続けてきたこの何かが完全に穴から出てしまった時・・・その何かは、何をしてしまうのだろうか。


「穴の中」



「朝よ、起きなさーい!」
階下から母の声が聞こえてくる。
その声と同時に目覚まし時計のベルが鳴り、目が覚めた。
目覚まし時計を止めて布団の中で学校にいかねばならないと考え、出てきた憂鬱な気分を穴に放り込む。
もそもそと布団から抜け出して起き上がる。
あくびをしながら部屋を出て、階段を下りながら次々と湧いてくる憂鬱な気分を穴の中に放りいれる。
ああ、今日も行かなければいけないのだろうか。
今日、これから起こることを考えながら仕度をしてニュースを見ながら朝食を食べる。
ニュースでは、この近くの場所で連続殺人事件・・・通り魔的な殺人が行われていると言っていた。



学校に到着。下駄箱の中を確認したら今日も靴が消えている。
カバンから即座に予備の靴を取り出して、履き替える。
靴を隠されるのはいつものことだ。
なぜイジメを受けているのか、いつ頃から受けているのかは自分も忘れてしまった。
隠された靴は放っておくと、自分の机や机の中に返却されているので隠されるのにはあまり問題はない。
それでも、やはり少しは怒りや憎悪などが出てくるわけで。
僕は今日もそれを穴に放り込む。
廊下を歩き、階段を登り、自分の教室へと入り込む。
そこではやはりというべきか、机には多量の落書き、いすには大量の画鋲があった。
それをみてすぐさまカバンの中の持参してきたプラスチック製の箱を開き、箒を利用して画鋲を箱の中に入れる。
その箱をカバンの中に入れて、箒と入れ替わりに雑巾をてにもつ。
近くのトイレにて雑巾を水で湿らして机を拭いていく。
落書きがシャーペンや鉛筆によるものであり、油性マジックではないのがせめてもの救いか。
簡単に落ちていく落書きの内容・・・ただの罵倒雑言だが、いつもそれを見ないように・・・見ても、内容を考えないようにしながら拭く。
ふいている途中、何人かの女子が明らかにこちらを指差してキモイなどと言っているが、いつものことなので無視。
よく、こんな幼稚で面倒くさそうなことを毎日やるものだ、とこれを書いた奴らとそれを見て笑っている奴への呆れと怒りを穴の中に放り込む。
こういった相手の行動に対する不快を一々穴に放り込まなくては自分の心は壊れてしまいそうだ。
僕はそんなに強いわけでもない。むしろ日々のこういった積み重ねで慣れていってはいるものの、確実に心は傷つき、脆くなっている。
だから、いつかは出てきてなにかを滅茶苦茶にすることも簡単に考えられる穴に潜む何かに、自分の心が壊れないように・・・いつか、それも意味がなくなるかもしれないことに怯えながら、仕方なく今日もエサを与える。
この穴に居る何かからは良い感じがしない。
なんとなくだが、それは解っていた。
なんだか怖くなって、一心不乱に机の上の落書きが見えなくなるまで拭き続け、10分ほどして漸く席につくことができた。
その頃にはHRが始まっていた。
なんだがこれまでの時間が長く感じてしまう。
授業中にも、休憩時間にも嫌がらせは続く。
そう考えると、憂鬱な気分しかでてこない。
その憂鬱な気分をぽいぽいと穴に投げ入れる。
本当、この穴からは何が出てくるのだろうか。
気になって仕方がない。
そんなことを考えているといつの間にか授業が開始されていた。
急いで鞄から教科書やノートを取り出す。
教師が指定しているページを開き、ノートに黒板に書かれた文字を写しとろうとするが、そこで邪魔が入る。
ぺちっ、と頬に何かが当たる。机の上に落ちたそれを見てみると、消しゴムのかけらだった。
何故こんなことをするのかは全く持って僕には理解できない。
消しゴムがもったいない上に、相手を不快にさせることしかできない・・・投げた当人にとって、デメリット以外の何物でもないのに。
まあ、不快にさせることが目的なんだろうが・・・どうしてこのクラスの人間はこうもコントロールが良いのか。
あちこちから同じようなものが断続的に投げられる。
見事にほとんどの弾が僕に当たり、机の上に落ちていく。
はっきり言って、集中ができない。
いつもこうやって僕の成績は落ちていく。
授業後に、たまりに溜まった怒りや不満を穴の中に放り込み続ける。
それと同時にちりとりを使って、机の上に溜まった消しカスや消しゴムの欠片を集め、ゴミ箱に捨てる。
机に戻ってみると僕の鞄が消えていた。
これもいつものこと。隠し場所のパターンはもう覚えてしまっている。
自分の机の裏側にガムテープで貼られた鞄を剥がし、溜め息をつく。
まだ、一時限が終ったに過ぎない。
似たようなことがまだ続くのか。
そう思うとなんだかやるせなくなってきた。
そんな気持ちすらも穴に放り込んでただ時が過ぎるのを待つ。
昼食時にサイフを隠されるが、それをすぐさま見つけて食堂へと向かう。
中身を確認するが、全く変わってはいない。
何故、サイフを隠している間に中身を抜き取られなかったのかはいつものことだが疑問に思う。
サイフを隠されるのならば弁当を持ってくれば良い、という人も居るかもしれないが前にそれをやったら弁当を隠された挙句、シェイクされて戻ってきた。
勿論弁当の中身は大惨事。
とても喰えたものではなかったが、腹が減るためなんとか食べた。
食堂にて昼食を食べていると、また何かが飛んでくる。
また消しゴムの欠片だ。
昼食の中に入らないように体を使って守りつつ、急いで完食した。
食器を返しに行く途中では、「あんなに必死になってキモイ」とかいう声が聞こえてくるが、気にしない。
今回はばかりは僕のことか他人のことかわからないし・・・なにより、いつものことだ。
食器を返し、午後のことを考えると憂鬱になるが、その憂鬱を穴に投げ入れ、もうすぐで終ると自分で暗示をかけるかのように思い込むと少しは心が楽になった。
午後も、頑張ってみよう。




「ただいまー。」
家の中に入り込み、なんとなく言ってみる。
両親ともが働いている上、僕は一人っ子だから迎えてくれる家族など当然居ない。
そんな虚しさも心の穴に放り込む。
服を着替えて、自分の部屋へと駆け込んだ。
唯一心を癒せる場所。
それが自室。
一瞬、親にいじめのことを言ってみようかと思ったが、やめておいた。
言ったところで両親とも忙しいだろうし・・・なにより、心配をかけたくなかったのだ。
教師にいう、という手もあるが、言ったところで小さな嫌がらせの連続にすぎないため、「我慢しなさい」の一言で片付けられる。
前にサイフが隠され、発見した後に教師に言ってみると、「見つかったんだからいいじゃない。」と一蹴され、相手にしてもらえなかった上にその日からいじめも酷くなった。
この頃からいすに画鋲を置かれ始めた。
そう考えてしまうと、怒りが沸々と湧いてくるがそれを穴の中に流し込む。
こんなに多量のエサをやって大丈夫か、などと考えては見るが所詮はイメージ、ということで考えることを放棄した。
手近にあった漫画を手に取り、ゴロゴロとしながら読み進めていく。
そうしていると母が帰ってきて、それを迎え入れて、宿題を済ませた後に夕飯を食べる。
今までと変わらない。全くもってかわりなどしない日常の流れだった。




だけど、まったく変わらないものなど存在しないようで。
翌日の夜、偶々・・・本当に偶々、父が通り魔に殺された。
父が電車を利用して家に近い駅についた後、気まぐれにいつもと違う道を通れば・・・運悪くその通り魔に刺され、殺された。
それを見ていた近所の人が数人がかりで拘束し、通報をして犯人は捕まったらしい。
父は救急車で運ばれていった。
・・・だけど、すでに遅かったらしく・・・息を、引き取った。
色々な手続きや葬儀などを数日かけて済ませ、落ち着いた頃に学校へと赴く。
父を失った哀しさと、虚脱感はいくら穴に放り込んでも無くなりはしない。
いや、元々穴に放り込もうとはしていないのだが・・・穴に潜む何かが、勝手に食べていた。
学校に着くと今日は靴は隠されては居なかった。
だが、代わりに靴の中に複数の画鋲と・・・「人殺し」、と書かれたテープが貼られていた。
彼らの脳内では父を殺したのは僕だとなっているらしい。
いや、犯人は捕まった、ということは知っているはずなのだが・・・わざと、僕をその殺人犯に見たてて僕の反応を愉しんでいるのだろう。
それを見た途端に激しい怒りと憎悪が湧いて出てくる。穴に投げ入れることもなしに、勝手に穴の中に潜んでいる何かがそれを次々と食べていく。
勝手に食べているということは・・・負の感情を食べて、育っているのだろう。
切れてしまいそうな堪忍袋の緒を必死になって締める。
激しい怒りを静めながら、いつもと同じようにされている机といすを活用できる段階にまでもっていく。
その机の落書きの中にも、「人殺し」や「親殺し」などの言葉がびっしりと書き込まれていた。
それによって増えた怒りや憎悪、そして自分は何をやっているんだろうという虚しさを潜んでいた何かが食らっていく。
すでに、潜んでいたはずの何かはすぐそこにまで出てきていた。
それからはいつもの出来事。朝一番の怒りにくらべれば、いつもやられている嫌がらせなど対して苦にもならなくて。
だけど、いつもと違っているのは、放課後に接点など全くなかった違うクラスの男子に呼び出されたことだった。
いつもは憂鬱な授業をいつまでたってもなくならない虚脱感のせいでボーッとしつつ過ごし、指定された場所にまで赴く。
そこでは髪を金色に染めた、恐らくチャラいという言葉が合っているのだろう男子が三人煙草を吸っていた。
勿論、この三人は同じ学年のため、未成年のはずだ。
だけど、それを指摘する勇気も、気力すらも湧いてこなかった。
「あの・・・僕を呼んだのはあなたたちですか?」
そう言ってみると三人がなにやら小声で話し始める。
小声、といってもチラチラと聞こえてくる程度の声であり、「あいつがあの?」とかいう声が聞こえてきた。
少しすると三人が横に並んで前に出てくる。
「おうよ。俺がてめぇを呼んだんだわ。」
その言葉と共に真ん中に居た男に殴られ、視点が大きく変動されて空を向く。
何が起こったのか理解できなくて、痛みと熱さが残る頬を手で押さえた。
そのまま仰向けになった僕を三人が囲んで、それぞれ殴ったり、蹴ったりなどをされる。
「い、たっ・・・!な、んで・・・なんでこんなことをするのさ!」
痛みを堪えながら叫ぶも、痛みや衝撃は止まらない。
身を丸めて体を守る。
三人がかりで滅多打ちにされているため反撃に出るなどの抵抗などできるはずもない。
「ひひ、はははっ!そんなこともわからねぇのか?人殺し。なぁに、最近ストレスが溜まっててなぁ・・・」
「おっと、それ以上言うんじゃねーぜ?それだと俺らが悪いことになっちまう。コレは人殺しに対する粛清だよ、シュクセー!」
そこまで言われて、理解した。
あんなバカバカしいなんの証拠もない噂を理由にして、こんなことをしているのだ。
どうせ、理由なんてなくても良いに決まっているんだろうが・・・根も葉もない噂に飛びついて、それを理由にして自分を正当化しようとしている。
そんな噂を流したクラスの奴らや、それを理由にして殴ってくるこの三人に対する怒りが堪えきれないほどに高まる。
だけど、その怒りすらも穴に潜んでいた何かに喰われ・・・その穴から、何かが這い出てきた。
今までその穴に放り込んできた、色々な感情がごちゃ混ぜになって、狂気という一つの形をもって出てきた。
その這い出てきた狂気に思考が支配された。
僕が一体何をした?何もしていない。なら、何故こんな目に会わなければならない?それはあいつらが愉しむために勝手に始めたから。
なら、僕はどこにこの怒りをぶつければいい?僕をこんな目にあわせたあいつらにぶつければいい。
僕が一体なにをした!何もしていない僕をこんな目にあわせたあいつらをぼくは赦さない!
ふザけルナ!フざケルな!フザケルナ!何モシテイナイボクヲコンナ目ニアワセタアイツラヲボクハ赦サナイ!赦サナイ!赦セナイ!
ボクガカンジタ苦シミヲスベテ味アワセテヤル!コロシテシマエ!コロシテシマエ!コロシテシマエ!コロセバラクニナレル!ヤツラニフクシュウヲスルンダ!コノ『ツミ』ヲ『シ』ニヨッテツグナワセルンダ!コロセ!コロセ!コロシテシマエ!
殴られ続ける中でどんどん正常な思考が奪われる。
そして、全てその思考に侵食されて・・・僕は、自分の体を制御できなくなった。
目の前で殴る相手に飛びついて、押し倒す。
馬乗りになって、首に手をかけて・・・思いっきり、力をこめた。
その様子を冷静になってみている自分が居る。
でも、殺すのが嫌で、手を離そうとしても体が動かない。
むしろ、どんどん力が篭っていってしまっている。
なんだか、自分の体が自分ではないような気がしてきた。
「このやろッ!離せ!」
突然無抵抗だった相手が反撃に出たため、一瞬呆然としていた残りの二人が僕を殴り始める。
どんなに殴られようと、蹴られようと、引っ張られようと首にかける手の力は全く緩まない。
このままでは、確実に殺してしまう。
それでも、殺してしまえ、という思考にどんどん侵食されていって、自分の体を動かせない。
そのうちに目の前の男は体を痙攣させた。
目はひっくり返り、空気を求めて開けられていた口には力が篭っておらず、開いたままにになっている。
首をしめている手を離し、脈を確認しようとするが全く脈が感じられない。
殺してしまった。
だが、不思議と罪悪感などは感じられない。
なんとか動くようになった首を後ろに振り替えさせると、背中を見せて逃げている二人の男が見えた。
「イカレてやがる」などの言葉が聞こえたことからすると、死を間近にみて恐ろしくなったのだろう。
だが、冷静な思考能力も段々と奪われていく。
コロセ!コロセ!コロセ!コロセ!と、なんどもそれは囁いてくる。
もしかしたら僕は、育ててはいけないものにエサをあげていたのかもしれない。
そのすぐ後、僕は・・・自分の穴の中に潜んでいた、狂気に呑み込まれてしまった。




数日後
『―――○○高等学校の生徒がターゲットにされていた連続殺人事件の犯人が逮捕されました。その犯人はどうやら同じ○○高等学校の生徒だったようで―――』
狂気に囚われた、哀れな少年の顔写真がニュースに流れた。



    忘れてはいけないことがある。
    今回はたまたま、彼がイジメによって狂ってしまっただけで
    誰もが、心に穴を持っている。
    何がきっかけで穴に潜む狂気が成長し、這い出てくるかは解らない
    次に狂うのは、貴方かもしれないし、貴方の近くに居る人かもしれない。
    だから、忘れてはならない。
    誰もが、心の中に狂気を持っていることを。



END




↓できれば感想を書いてください
  • 面白いというか、考えさせられる。本当にいじめや差別は無くなってほしい。何もやってないのにいじめられる苦痛は分かる。自分もそんな体験があるから。 -- (ロイヤルメラルー) 2010-02-03 15:16:41
  • 面白い!!僕も良い作品書きたいです。 -- (怜) 2010-02-12 21:29:19
  • しょうもないコメントでスミマセン -- (怜) 2010-02-12 21:32:47
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最終更新:2010年02月03日 11:33
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