聖戦の勃発まで-序章-
公暦1144年5月9日-森林伐採事件発生
エストリア国は千年樹の森の開発に着手するため、エストリア国軍200名を派遣した。
が、千年樹の森に入った部隊は連絡を絶ち、全員が消息不明となった。
連絡が途絶えてから一週間後、付近の街道を通りがかった行商人が矢を受け傷つきながらも草地を
這うエストリア兵を発見。
エストリア兵は救助されるも、森に潜んでいた
森の民の攻撃を受けて部隊が全滅した事を告げ、死亡。
この報告を受けたエストリア国王は激怒し、千年樹の森を必ず制圧し、報復する事を宣言した。
公暦1149年4月18日-教会が侵略を開始
唯一神と称される神を崇拝する教会はその勢力を広げんと画策していた。
教会の最高権力者である"教皇"はルディエン帝国の第六代皇帝、リヒンヴァル・ルディエンに
「神の土地を取り返す」為の派兵を要請。これを受けたリヒンヴァルは約70万名を派兵する。
そして教皇は前線に程近い都市、レイングラードの大司教を務めるルフィオ・ラインシュテッドに
指揮権を委ねる。ルフィオはすぐさま進軍を開始し、隣接する小国を3ヶ月で完全に制圧した。
公暦1149年7月13日-防御同盟発足
この知らせを受けた大陸東に位置する大国、エストリア国の国王は近隣の諸国に防御同盟を打診する。
と同時に、地域が各々崇める神々をもまとめて仲間であると称し、エルスエル・ランペルトを預言者として
国家を挙げて祭り上げる。
結果、諸国の国民はエルスエルを受け入れ、神の使者として崇拝し始める。
そしてエストリアは近隣の諸国を次々と傘下に加え、エストリアに与する勢力は大陸東半分全てに至った。
公暦1149年12月25日-両軍の対峙
十字軍は破竹の勢いで進軍していたが、エストリア側の連合軍がルミオール川手前に布陣しているのを
確認すると、一時行軍を停止。両軍は国運を賭けて対峙することとなった。
広がる戦火-第一章-
公暦1150年1月30日-国境の戦火
異教の熾烈な抵抗に業を煮やした十字軍は兵力を結集し、連合軍の野営地へと大攻勢を仕掛けた。
一方、連合軍は十字軍が進軍してくる前に千年樹の森を制圧し、これに備えるべく、軍を進めた。
そして森の民は森のすぐ傍に建てられた十字軍の前哨基地を攻撃し、大陸中央部はその戦火を広げていた。
公暦1150年2月20日-異教の勝利
十字軍は火攻めで野営地を混乱に陥れ、門を突破したが連合軍は奮戦。被害の拡大を懸念した
十字軍は一時本陣まで退却した。
一方、森の南東部では連合軍の猛攻の前に森の民は敗走し、一帯はエストリアの支配するところとなった。
また、前哨基地は森の民の襲撃を受けていたが、指揮官などの機転もありこれを撃退した。
公暦1150年3月14~17日-迎春祭の開催
中立都市国家であるオーフェンベルクにて、新年の春を祝う迎春祭が行われ、各勢力の
将兵は一時の休戦で心身を休めた。
延べ380,000人が国境を越えて祭りへ参加したが、大した問題もなく、無事に終了した。
反撃の兆し-第二章-
公暦1150年5月1日-反攻の一手
野営地の修復を終え、軍備を整えた連合軍は前回の戦闘での勝利の勢いを利用し、十字軍の本陣である
ピリュール砦への攻撃を決定。野営地の部隊を割き、侵攻を開始した。
対する十字軍は主力部隊を素早く結集、迎撃の態勢を整えて連合軍の侵攻に備える。
一方、森の民は精鋭の自警団を編成、奪われた森を取り返すべく伐採場へ攻撃を開始するのであった。
公暦1150年5月31日-十字軍の勝利
十字軍は迫り来る連合軍を撃破し、勝利した。砦の中に潜り込んだ工作員により、大司教の暗殺が試みられるも
護衛の騎士や警備兵による妨害により阻止された。結局は砦自体に連合軍の部隊が入ることはなかったが、警備
態勢の脆弱さが浮き彫りになり、より一層の警戒を呼びかけるようになった。
一方では自警団は精鋭部隊を編成し、伐採場へと猛攻を仕掛け、戦線を分断させる事に成功。
加えて兵糧庫が謎の爆発を起こした事で恐慌状態に陥った兵士が逃亡を開始し、連合軍は撤退を余儀なくされた。
最終更新:2010年07月01日 01:33