要約文(途中)旅は私達の心を開かれた、予感に満ちたものにしてくれる。旅先で見たものや聞いたものに対して、私達は新鮮な驚きや強い感動を感じる。そのことから、旅に出ると人は誰でも芸術家になり、詩人になると言われるのも、そのことをさしている。
「芸術家になり、詩人になる」と言ったが、それは特別な力を新しく手に入れると言うわけではなく、むしろ人間が元々持っている生き生きとした感受性を取り戻す、日常生活の惰性から自己を解き放つことである。
「日々新たなり」という人間的生活のありようは、日常生活の中でもいえることである。本来私達はそういうものとして毎日を迎えなければならないのだが、実際にはそれは大変難しいことである。
だが、未知と偶然の要素を多く含んだ旅では日々は私達にとって新ならざるをえない。そのなかで、私達の好奇心はより強く突き動かされるようになる。
好奇心というと、知らなくてもいい事までむやみに詮索する心、あるいは物好きなどといったように、あまりいい意味にとられない場合が多い。それには長い間、情熱そのものがはしたないものとされてきたという事情がある。情熱は人間の心の平成を乱し、心理から遠ざけるものとされてきたが、それは一面的なものでしかない。
人は情熱の悪い面ばかりを見て、これを排斥しようとする。しかし情熱とは一方であらゆる苦悩の源であるだけでなく、同時にあらゆる喜びの源でもある。
「控え目にばかりしていると、自然の偉大さとエネルギーが失われる。樹木を見るがいい。豊かに葉を茂らせているそのおかげで、諸君たちはさわやかに広がった木陰をうることができ、冬がやってきてその茂った葉がなくなるまで木陰を楽しむことができる。およそだれでも、小心翼翼として行き、気持ちが老いこんでしまうと、もはや詩作にも絵画にも音楽にも、優れた仕事ができなくなるのだ。」これはディドロの『哲学的思想』の一節である。
控えめな感情は凡庸な人間を作り、弱々しい感情は最も優れた人間をも台無しにしてしまう。これは行き過ぎた抑制や禁欲的態度が陥りやすい陥穽を示している重要な指摘である。そしてそれは詩、絵画、音楽などの狭い意味での芸術だけでなく、もっと広い人間の知的活動や精神的活動にもかかわっている。だから、日に日に発見や創造の喜びを持って生きていくためには、通常考えられている以上に、知的情熱としての好奇心を生き生きと保っておかなければならないのである。の解析結果【原稿用紙(20x20行)】 2.7(枚)
【総文字数】 1005(字)
【行数】 8(行)
【台詞:地の文】 20:79(%)
【ひら:カタ:漢字:他】 63:0:40:-4(%)
【平均台詞例】 「ああああああああああああ、ああああああああああああ。ああああああああああああ、あああああああああああ」
一台詞:52(字)読点:26(字毎)句点:52(字毎)
【平均地の文例】 あああああああああああああ、あああああああ。ああああああああああああああああああああ、ああああああああああああああああああああああ。あああああ、ああああああああああああああああああああああああああああ、ああああああああ。あああああああああああああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああ。
一行:159(字)読点:29(字毎)句点:44(字毎)
【甘々自動感想】
わー、いい作品ですね!
ショートショートぐらいの長さだったんで、すぐに読めました。
三人称の恋愛ものっていいですね!
個々の文章が長いのもいいですね。もうちょっと区切ってもいいかなと思いますけど。
それに、台詞と地の文の割合もいいですね。
っていうか、地の文だけですね。渋い!
これからもがんばってください! 応援してます!恋愛物って何さ?
あと文章がヒドイっていうなー!
要約文(完成)旅は私達の心を開かれた、予感に満ちたものにしてくれる。旅先で見たものや聞いたものに対して、私達は新鮮な驚きや強い感動を感じる。そのことから、旅に出ると人は誰でも芸術家になり、詩人になると言われるのも、そのことをさしている。
「芸術家になり、詩人になる」と言ったが、それは特別な力を新しく手に入れると言うわけではなく、むしろ人間が元々持っている生き生きとした感受性を取り戻す、日常生活の惰性から自己を解き放つことである。
「日々新たなり」という人間的生活のありようは、日常生活の中でもいえることである。本来私達はそういうものとして毎日を迎えなければならないのだが、実際にはそれは大変難しいことである。
だが、未知と偶然の要素を多く含んだ旅では日々は私達にとって新ならざるをえない。そのなかで、私達の好奇心はより強く突き動かされるようになる。
好奇心というと、知らなくてもいい事までむやみに詮索する心、あるいは物好きなどといったように、あまりいい意味にとられない場合が多い。それには長い間、情熱そのものがはしたないものとされてきたという事情がある。情熱は人間の心の平成を乱し、心理から遠ざけるものとされてきたが、それは一面的なものでしかない。
人は情熱の悪い面ばかりを見て、これを排斥しようとする。しかし情熱とは一方であらゆる苦悩の源であるだけでなく、同時にあらゆる喜びの源でもある。
「控え目にばかりしていると、自然の偉大さとエネルギーが失われる。樹木を見るがいい。豊かに葉を茂らせているそのおかげで、諸君たちはさわやかに広がった木陰をうることができ、冬がやってきてその茂った葉がなくなるまで木陰を楽しむことができる。およそだれでも、小心翼翼として行き、気持ちが老いこんでしまうと、もはや詩作にも絵画にも音楽にも、優れた仕事ができなくなるのだ。」これはディドロの『哲学的思想』の一節である。
控えめな感情は凡庸な人間を作り、弱々しい感情は最も優れた人間をも台無しにしてしまう。これは行き過ぎた抑制や禁欲的態度が陥りやすい陥穽を示している重要な指摘である。そしてそれは詩、絵画、音楽などの狭い意味での芸術だけでなく、もっと広い人間の知的活動や精神的活動にもかかわっている。だから、日に日に発見や創造の喜びを持って生きていくためには、通常考えられている以上に、知的情熱としての好奇心を生き生きと保っておかなければならないのである。
知的情熱としての好奇心とは、特に世界や自然や物事に向ける強い関心のことである。そして知識よりも関心こそがあらゆる文化や学問の原動力である、ともいえる。
例えば、私達人間の文化の根幹を形づくっているのは言語や概念の体系であろうが、それらの体系の精密度は文化によって違う。それはその文化や社会に属する人々の知的能力の差によるものではなく、細部の物事にまでどれだけ関心を示すかという関心の強さの差によるものである。
この事実を説得的に示したのが女性の人類学者スミス・バウエンの体験談である。
彼女はアフリカのある部族の調査に行ったとき、まず最初に彼らの言葉を覚えようとした。その際、現地の情報提供者たちは、植物の見本を用いて言葉を教えようとした。しかし彼女にはそれらの植物を識別することができなかった。それは単に植物が見慣れないものだったからではなく、彼女がそれまで植物の多様性そのものにほとんど関心が無かったからである。それに反して現地人たちのほうは、そのような関心を持っていて当たり前だと信じていたのである。
そこから、物の分類、識別、命名を私達に可能にするには、何よりもそれに対する関心や興味であるということが明らかになる。
もし私達が知的活動を活発的に行おうとすれば、まず第一に対象に対する関心や興味を強く持ち続けることが重要である。の解析結果【原稿用紙(20x20行)】 4.2(枚)
【総文字数】 1568(字)
【行数】 14(行)
【台詞:地の文】 13:86(%)
【ひら:カタ:漢字:他】 61:1:41:-4(%)
【平均台詞例】 「ああああああああああああ、ああああああああああああ。ああああああああああああ、あああああああああああ」
一台詞:52(字)読点:26(字毎)句点:52(字毎)
【平均地の文例】 あああああああああああああああ、あああああ。あああああああああああああああああああああああああ、ああああああああああああああああああ。ああああああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああ、あああああああああ。
一行:123(字)読点:32(字毎)句点:45(字毎)
【甘々自動感想】
すばらしい作品でした。
短い中でうまく話をまとめています。
三人称の歴史物とか日本を舞台にした作品というのはやはり良いですね。
場合によっては、もう少し句読点を使ってもいいかもしれません。少し区切りが少なく感じました。
また、地の文での丁寧に描写も良い。
というよりも、地の文で書いてますね。
これからもがんばってください! 応援してます!