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 『生命とは化学的反応の一種に過ぎない』という学説は有名だが、ポリゴンの
場合にもそれが適用されるのだろうか?ポリゴンの状態を映し出すディスプレイを
見つめながら、俺はその事について考えていた。

 ポリゴンにはもちろん感覚や死や苦痛の概念などは無いが、こいつは確実に
一つの整然とした行動プログラムで動いている。そして科学的には、ある種の
条件を満たした反応の連続ならば、それは生命と定義づけることが可能だ。
 つまりポリゴンとは、一種の『生命』だと言えるのだ。

 そして俺の手には、砂鉄入りの袋が握られている。これをもしパソコンに
ぶち撒ければ、パソコンは壊れポリゴンのデータも消滅する。つまり生命を
形作る反応の塊が、この世界から一つ減じるのだ。

 設計者が緊急回避機能などを実装している可能性もあるが、これはノートパソコンだ。
通信機能も止めてある状態だから、物理的に破壊すれば復帰できる可能性は全くない。

 怖いか?恐ろしいか?俺はポリゴンにそう問いかける事を妄想しながら、
ディスプレイを指でつついた。

 もちろんポリゴンが俺に答えるはずもない。返事を返す機能など積んでいないし、
注意勧告機能も切ってあるからだ。指で押しては離すのを繰り返すと、液晶の画面は
柔らかくへこみ、圧力をかけられた部分が黒ずんだレインボゥに染まっては戻る。

 しかしポリゴンには効いていない。これでは意味がないのだ。全く無駄な行為に
自分で笑いながら、俺は砂鉄袋から買ってきたホームセンターのシールを剥がした。
そして袋の口を開くと、それをキーボードの上に持っていった。

 「あははははっっ!!これでも食らえぇっ!」
 俺はそう叫びながら、ボードの上に黒々とした砂鉄を容赦なくひっかぶせた。
 すぐさまポリゴンの表情、いや、画面そのものが歪んでいく。そして断末魔の声が
低く部屋の中に響いた。
 「ブゥンッ…」

 あっという間に、ポリゴンは絶命した。こいつは死の瞬間に何も感じなかったかも
知れないが、少なくとも俺には、一つの生命の最後を支配しきった快感がある。

 創造主には創る喜びがあるが、そうでない者にも破壊の快楽は存在する。 自分と同じく
生きている物を、圧倒的優位から消滅へと追いやるのだ。この気分はとても心地よく、
背骨から抜けていく電気信号は、射精や自慰の快楽よりも素晴らしい所がある。後者が
じわりとした快楽ならば、前者は一瞬の雷鳴のような感覚だ。

 俺は余韻に浸りながらも、次の殺し方を考えていた。水を流し込んでショートさせて
やろうか。それとも彫刻刀で、基盤自体から切り刻んでやろうか?考え始めると
居ても立ってもいられなくなった俺は、札の詰まった財布を掴むと外出の用意をした。

 俺の後ろには砂鉄まみれのポリゴンの墓が残されたが、面倒なので後で
考える事にしよう。

 これで計70万くらいの損失だが、新型パソコンを破壊した喪失感と、無駄遣いを
したという爽快感も、これはこれでとても良い。心のどこかが凍るような虚脱感と、
焼け付くような焦燥感が堪らなく楽しい。そんなことを考えながら、俺は自転車
置き場へ歩いていった。

 俺の快楽を満たすために、また何十万もの金を使うのか。そう思いつつも、
俺は新しいPCを買いに、電器屋へ自転車を走らせた。
最終更新:2021年05月25日 11:48
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