上記リンク先より、竹中氏のオフレコ発言。
協調も正しいだろう。しかし、その前に、競争力をつけずに協調という愚かさについて気づくべきだろう。それとも、日本国は衰退していい、日に日に減り続ける富を公平に分担できればいい、問題は格差なんだ。格差の解消をおこなえば、国の成長は目をつぶってもいい・・・というのなら別だが。しかし、私は日本をそんな国にしたくない
僕も日本をそんな国にしたくない。2001年の共著書のなかで僕はこう書いた。
2000年代を迎えてなお、自由主義的改革の圧力は、日本的企業主義自体に変革を迫っているのであり、おそらくは日本的企業主義の克服なしに、日本型《官=業》体制の転換はなく、この転換に失敗すれば、日本の経済社会全体の「平等主義的で民主的な」没落も回避できないのではないか、と筆者には思われる。(高橋肇「日本型《官=業》体制の政治経済学」p.53)
以下、竹中インタビューより気になった言葉
経済の発展段階が低い時点では、“国が何を実現すべきか”という目標は誰でも分かるほどはっきりしています。“開発独裁”という言葉もありますが、そういう時期は資源を集中投下し、官主導で経済成長を導いていくのも、それなりに意味があるでしょう。しかし、経済が高い水準に達した時点では、さまざまな人々のさまざまなノウハウを積み重ね進歩していかなければ発展はできません。民主導は必然的、つまり“宿命”ですね
人口700‐800万人程度の小さな国は、大きな政府により発展可能です。政府というものは非効率的です。人口が少なければ、政府の効率の悪さを国民がチェックし、直ちに修正することが可能です。でも、日本の人口は1億2000万人。いくら人口が減ったとしても、大きな政府が必要な規模ではありません。国民が政府を一つ一つチェックすることも不可能です。
今は改革を続けようという意気込みやモメンタム(勢い)は消えてしまいました。同じ制度でも人が後退すれば進まなくなることがあります。基本的に人の問題です。だから人事が重要なのです
官僚が決めた政策をそのまま実行する人は“政策通”と呼ばれています。官僚たちがそのような人々を指して呼んでいるのです。本当に必要なのは政策通ではなく政策専門家です。官僚の言うとおりにするのではなく、自ら政策を考えられる人のことです。
官僚は国にとって非常に重要な役割をします。政策は国民の経済的厚生・幸福を最大化するためにあるものですから。しかし、政策によっては(官僚たちに)利害が生じます。そうなると(国民の幸福ではなく)官僚の影響力を最大化するため、自身の組織のために政策を作る場合もあり得るのです。・・・これは官僚の“宿命”です。
改革には二つの道があります。一つはリアクティブ、つまり過去の積弊(長年の弊害)を正すための受け身的な改革。もう一つはプロアクティブ、つまり未来を切り開くための攻撃的な改革です。
韓国も日本も、グローバリゼーション(世界化)という名のもと、経済のフロンティア時代に直面しています。フロンティア時代で格差が広がるのはやむを得ません。改革したから格差が広がったのではなく、改革をしても、しなくても格差が広がる時代なのです。格差はないほうがもちろんいいです。ですが“改革したから格差が広がった”と言って改革をしなければ、日本経済全体が活力を失ってしまいます。
最終更新:2008年02月16日 16:23