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 ハーメルンの笛吹き男という伝承をご存知だろうか?


 これはドイツの街ハーメルンで起きたとされる“史実”である。
 13世紀末、当時大量発生していたネズミに困らされていたハーメルンに、自ら「鼠捕り」と自称する奇妙な装束を纏った男が現れ、高額な報酬と引き換えにネズミの駆除を持ち掛けたのである。ハーメルンの人々が男に報酬を約束すると、男は手にした笛の音でネズミの群れを惹き付け、近辺のヴェーザー川に誘い出し、ネズミを一匹残らず残さず溺れ死にさせた。
 だが問題が起きた。ネズミ退治が成功したにも関わらず、ハーメルンの人々は約束を破り、笛吹き男への報酬を出し渋ったのである。
 それに怒った笛吹き男はハーメルンの街を去ることになったが、数日後に再び戻って来たのである。そして住民が教会にいる間に男は再び笛を吹き鳴らし、ハーメルンの子供達を街から連れ去った。優に百人を超える少年少女が笛吹き男の後に続き、洞窟の中に誘い入れられた。そして洞窟は内側から封印され、笛吹き男も洞窟に入った子供達も二度と戻って来なかった。
 神の悪戯とも悪魔の復讐とも魔法使いの力の誇示とも言われている。


 その“史実”から七世紀以上が経った今でも、男の正体は全く明らかにされていない。








 それは学校からの帰り道であった。
 最寄りの駅から降りた後、皆本環菜は家路を急いでいた。いや、急いでいたというのは正確ではなかったのかもしれない。彼女の歩くスピードは普段と何ら変わらずに緩やかだったし、表情からも変わった様子は見られない。常に仏頂面を浮かべている印象の強い彼女であるが、今日もまたそれと全く変わらないはずだった。
 だから急いでいるというのは、他に用事も無く真っ直ぐ家へ向かっているということに他ならない。
「……はぁ」
 けれど、彼女と本当に親しい者が見れば、今の環菜の様子がどこか日頃と違う色を帯びていることに気付いたはずだ。環菜自身は認めないだろうが、あの渡会八雲や長内朱実なら一瞬で気付いただろう。彼女の一足一挙動、第三者から見れば全く変化の無いように見えるそれが、ほんの少しだけ普段とは違っていたのである。
 心ここに在らずという言葉がある。端的に表すなら、今の彼女の状態はそれだった。
「何だって言うのよ……!」
 苛立ちの混じった声が漏れる。それを聞いて初めて、第三者はその違和感に気付くだろう。
 いいのか悪いのかも良くわからない天気の中、次第に環菜の歩く速度が上がっていく。意識などしていない。だから自分ではそのスピードを緩めることはできない。どうしようもない苛立ちだけが環菜の胸を締め付ける。
 愚かだと思う。矮小だと思う。それでも――自分にはどうしようもない。
「何で……何で……何でなのよっ!」
 薄暗い路地裏で、環菜は珍しく絶叫した。だがその絶叫の前に周囲に人がいないかを確認する辺り、自分という人間は本当に狡猾にできていると思う。
 そう、ズルいのだ。常に自分が傷付かない道を、常に自分が気分の良い方を選んできた。苦難の先にある何かを掴もうとはしなかった。自分が気に入らない全てを否定し、その感覚の赴くままに行動してきた。渡会八雲は自分のことを不器用だと言っていたけど、そんなことは断じて無いはずだ。
 そう、皆本環菜という人間は、嫌になるぐらいに器用だと思う。ある人間と付き合うことの損得がわかってしまう、出会いの先にある関係がなんとなく予測できてしまう。
 そんな人間になってしまったのは、ちょうど一年前ぐらいからだろうか。あの三上亮と付き合い始めて半年近くが経ち、初めて彼の家に泊まった日、つまり深くは語らないがそういう・・・・日だったのだと思う。
 尤も、友人にその手の経験のある人間は一人もいなかったので、他の人間がどうなのかは知らない。ただ、自分はその日を境に少しずつ変わっていったのだ。
 いや、正確に言えば前からその兆候はあった。高校入学して約一ヶ月の後、あの長内朱実と音楽室で再会した時だ。間違い無く自分にとって得にならないだろう彼女との付き合いを、自分は最初から否定して対応した。自分を巻き込むなと、自分はあなたとは違うのだと、そんな露骨に負のオーラを出していたはずだった。
 けれど、その明確な境はあの日だ。自分が少女から女になった日から、環菜は確かに大人になった。相手の本質を一瞬で見抜き、その本質が自分に善となるか悪となるかを一瞬で判断、その結果で付き合い方を決める、狡賢い大人に。
 無論、長らく付き合った彼氏である。嫌いになったわけではなく、むしろ好ましいと思えるほどだ。それでも、そんな三上亮と自分が疎遠になっていくことは、ある意味では当然だったのかもしれない。当の三上亮がさばさばした人間で、あまり自分に執着しなかったのもあり、半年以上続いた自分達の恋人関係は同じく半年近くの時間を以って、自然と消滅していくことになった。
 そんな時、環菜は出会ったはずだった。損得とか打算とか関係無く、ただ救いたいと思った少年と。
「誰……誰よ……誰なのよ……!」
 けれど、それが思い出せない。
 喉まで出掛かっている。脳が彼の名前を口にしろと命令してくる。それなのに、肝心の彼の名前だけがどうしても思い出せないでいる。穏やかな時に見せていた能天気な笑顔、怒りとも悲しみとも取れる必死な形相、そして最後に見せた寂しげな表情。環菜が知っているはずのそれらが、全て霧が掛かったようにハッキリと思い出すことができない。
 いや、そもそも何故そんな彼と自分が出会ったのかさえ思い出せないのだ。彼とだけではない。あの渡会八雲にしても同様だった。単に小学校が同じだったというだけの気に食わない男子生徒。その彼と学校すら違う自分が、どうやって知り合ったのか、どのように親しくなったのか、その全てが全く記憶に無い。
 知っているはずなのに、知らない。覚えているはずなのに、記憶に無い。
「教えて……誰か教えて……教えてよ……!」
 搾り出すような声だった。渡会八雲が見たら本当に目を丸くするのだろうと、他人事のように思う。
 そう、彼女は忘れていたのである。自分があの奇妙な世界に巻き込まれ、これまた奇妙な生物と契約などを交わし、その世界で渡会八雲と再会を果たし、その八雲や長内朱実と共に戦わざるを得なくなった日々の記憶を。そして、その世界で彼女が最初に守りたいと誓うも、結局は悪意と絶望の中で死ぬことになってしまった少年の存在を。
 理由はわからないし、彼女はその問題すら忘れている。けれど、これだけは確かだ。


 彼女は断ち切られていた。あの世界との繋がりを、綺麗に断ち切られていた。







 ここで話は数時間前に遡る。


 今日は3月14日、所謂一つのホワイトデーである。
 とはいえ、環菜が通っているのは女子高だけに、その手の話題がそれほど幅を利かせることは無い。むしろ返却される試験のことばかり気にしている生徒が殆どだ。この二宮女子高校とて結構な進学校、受験まで一年を切ったことを考えれば、まあ当然とも言えるだろう。今日も朝のHRでそのようなことを担任が言っていた気がする。
 実際、環菜も周囲と同様に熱心に答案用紙を見返しているわけである。
『ねえ皆本』
『なに?』
 不意に後ろから右肩をシャーペンで小突かれる。――地味に痛いんですけど?
 露骨に嫌そうな顔をして振り返ると、後ろの席の長内朱実が妙に楽しそうな顔をしている。恐ろしく長いポニーテールを窓から吹き付ける風に揺らして、相変わらず悩みなど何も無い様子だ。この時期に試験の答案を紙飛行機にして教室の外へ飛ばしている生徒など、彼女ぐらいだろう。それにしても、いつにも増して嬉しそうだが、何かいいことでもあったのだろうか。
 そんな怪訝そうな環菜の様子に気付いたのか、朱実は首を傾けて。
『あんた、何点だった?』
『……どうかしらね。少なくともあなたよりはいいと思うけど』
『ふ~ん、平均より何点ぐらい上なわけ?』
『ごめんなさい。……その物言いだと、あなたが平均以上に聞こえるわ』
『喧嘩を売るのが上手いねぇ、あんたは相変わらず』
 普段なら目付きを鋭くするところだが、今日の朱実は何故か顔色を変えなかった。そのことに違和感を覚えながらも、環菜はそれ以上の追及を行わなかった。
 そうして何の滞りも無く授業が終わり、放課後となった。帰宅部である環菜は友人達に別れを告げ、駅の方へと歩いていく。普段なら済し崩し的に一緒に帰ることになる朱実は、六時間目の途中から爆睡していたようなので、環菜も担任も放っておいた。結局、どうして彼女が妙に明るかったのかはわからずじまいではあったが、まあ大したことでは無いだろう。
 歩くこと数分、程無くして二宮駅に到着する。駅前商店街は土曜日ということもあり、随分と混み合っているようだ。
 そちらを一瞥した時、環菜は見知った顔を見つけた。
『……八雲君?』
『皆本か。……おっす』
 少しだけ表情を和らげて手を上げたのは渡会八雲だった。相変わらず不景気そうな顔(自分に言えた義理ではないが)だったが、いつも一人でいる彼にしては珍しく同伴者がいる。それも二人だ。
 それぞれ八雲よりも二、三歳は年下に見える少年と少女だった。違う高校に通いながらも八雲が帰宅部であることは環菜も知っており、故に元々人付き合いが得意でない彼には付き合いのあるような後輩はいないはずだったが。
 少年は穏やかな外見だった。まだ純粋で穢れ切っていない、都会っ子といった感じ。
『偶然だな。今帰りか?』
『……この子達は?』
 八雲の質問には答えず、環菜は聞き返していた。女性への耐性が無いのか、その男の子は環菜の存在に少しだけ気後れしている様子である。
『こいつは小学校時代の後輩だ。……上野遼ってんだけど』
『は、初めまして』
 おずおずと頭を下げる上野君とやら。だが八雲の小学校時代の後輩ということは、つまるところ環菜の後輩でもあるわけだ。
『ちょっと八雲! 私のことは無視なわけ!?』
『待てよ。……そそっかしいな、お前は』
 もう一人、短めの髪を持つ女の子が唇を尖らせている。この年齢にしては小柄で中学生以下の身の丈しかない子だ。如何にも快活そうな外見を持っており、その瞳の輝きが世間に汚れ切ってしまった環菜には少し眩しい。
 彼女の方は親しげだが、八雲の方はどこか気まずげだ。むう、これは――?
『こいつは……すまん、何だっけ、お前の名前?』
『!!』
『悪い、マジで忘れ……がはっ!?』
 八雲が言い終わらない内に、少女の拳が彼の頬を捉えていた。思い切り仰け反る八雲。
『馬鹿ぁーっ!』
 それだけを叫び、少女は走り去っていってしまった。――風のような女の子だ。
『いってぇ……くそ、マジで殴りやがった……』
『今のは先輩が悪いです。……失礼ですよ、本当に』
 上野遼が冷静に突っ込んでいるが、確かに環菜もそう思う。
 それにしてもこの少年が、まさか小学校時代の後輩とは。着ている制服からして、この上野遼は近所の高校の一年生である。つまり自分や八雲とは一学年したということで、小学生の時期の学年の違いといえば結構大きな差だろう。その中で年下の子が八雲と知り合うような機会があるのだろうか――そんなことを考えて納得した。八雲とその幼馴染の長内朱実は校内でも有名人だったのだから、無いことも無いと言える。
 どうやら彼は環菜のことを少し意識しているようで、そのことが彼女の嗜虐心を少なからず煽る。
『でも偶然ね。私も同じ相葉小学校の出身なんだけど』
『そ、そうなんですか?』
 ちょっとだけ彼の興味を引くように形だけながらも笑顔を取り繕うと、上野遼は更に顔を赤くした。
『こいつは怖い女だから、あまり関わらない方がいいぜ、上野』
『……ちょっと?』
 それを先読みしたのか、とんでもないことを言い聞かせている八雲の肩を、環菜は軽く掴んでやる。
『冗談だ、気にするな。俺は気にしてないぞ』
『私は気にするわよ。……で、こんなところで何してるの?』
 上野遼のことは知らないが、少なくとも八雲の家はこの近くではない。
『たまたま先輩に会ったんです。それで久し振りに一緒に遊ぶことになりまして』
『遊ぶって言っても、実際に用があるのはここだ』
 そう言って八雲は今まで自分達が眺めていた店の看板を親指で示す。
 カードショップ・海山。この店は環菜も知らないわけではない。この界隈のオタクどもが結構お世話になっていると聞く店だ。その手の趣味に全く興味の無い環菜には理解できないことであったが、やれレアカードが入ったとか、やれ高値で買い取ってくれるとか、やれ店員がイケメンだとか、そんなゴシップ染みた噂話に事欠かない店だった。無論、環菜は足を踏み入れたことすらない。
 どこかの貧乳メイドが泣いて喜びそうだと思った読者諸兄は正しい。感動した!
『八雲君……あなた』
『なんだよ、その露骨に蔑みを込めた目は』
『呆れたわ。あなたもそんな趣味だったわけ? そうして七年後、未だにDTも捨てられない八雲君は電車で酔っ払いに絡まれる美女を助けようとして、逆に返り討ちに遭うのよ……』
『負けるのかよ! 少しぐらい夢を見させろよな! ていうか、俺は電○男じゃねえ!』
『そして某巨大掲示板に「酔っ払いに喧嘩で勝つ方法を探るスレ」を立てる八雲君……トマトと幽霊が苦手な八雲君、夜中にトイレに一人で行けない八雲君』
『早くも趣旨が変わってるよな!? そもそも何か可愛くないか、そんな俺!?』
『私や長内さんに頼っても無駄よ。私達はボー○ロイドじゃないから、いつまでも八雲君だけのアイドルではいられないの。……そうね、あなたをカッンカンやアッケアケにはしてあげられないのよ』
『最早意味がわからないぞ!? しかも皆本お前、それ怒ってるみたいだよな!?』
 ぜぇぜぇと息を吐く八雲だったが、やがて後頭部を掻きながら言った。
『上野がカードを売りたいんだってよ。売買には親の許可が要るんだが……でもこいつの家、ちょっと事情があって許可が取れなかったんだ。だから代わりに俺が義雄さんと浩子さんに頼んで許可を貰って売ってやる、それだけのことだって』
『義雄さんと浩子さん……ねぇ。ま、いいわ』
 相変わらず義理の両親を名前で呼ぶ八雲には苛立つが、今は気にすることでもない。
 急いで帰るほどの用事も無かったので、店に入っていく八雲と上野遼の後に環菜も従った。男の子が面白がるようなカードに興味など無かったが、少なくとも学校の女子が何度か噂をしていたイケメンの店員というのは気になっていたから。
 そうして店に入ると、そのイケメン店員はいた。
『……いらっしゃいませ』
 少し挨拶が無愛想な気もするが、そんなことは隣の奴も変わらないので気にしない。
 その店員は確かにイケメンだった。目鼻立ちが整っているし、如何にも利発そうな雰囲気を漂わせている。年齢は自分や八雲と大して変わらなく見える。アルバイトという線もあるが、ネームプレートに記されているのが海山という苗字、つまり店の名前であることを考えると、恐らくこの店の一人息子なのだろうと推測できた。
 彼は海山煌麒というらしい。八雲や環菜とは違う高校に通う、同じく二年生とのことだ。
『ども、ちょっとカード売りたいんですけど』
『畏まりました』
 八雲が声を掛け、煌麒が応対する。どちらも慣れていないのが丸わかりだ。どうにもぎこちない。
 カードの売買という奴にも色々と手間が掛かるらしく、煌麒はレジ横に用意してあったラミネート加工済みのシートを取り出して説明を始めたようだった。実際のカードの持ち主は上野遼なのだから彼も通すべきなのだろうと環菜は思うのだが、良くも悪くも責任感の強い八雲はそんなことなど考えてもいない様子だった。
 だから環菜は手持ち無沙汰な上野遼に話し掛けることにした。
『上野君が売りたいカードって、どんなカードなの?』
『そ、そうですね。……デジモンって知ってます?』
 相変わらず顔を赤くしながら、彼はその単語を口にした。
『……でじもん?』
 何故か違和感があった。けれど、その正体はわからない。その単語にも聞き覚えは無いはずである。
『やっぱり女の人は知らないんでしょうか。……あ、ここにありますから見てみます?』
『え、ええ……』
 差し出されたのは透明なカードケース。デッキ入れという奴だろうか。
 ざっと見て百枚程度だと思う。ちゃんとスリーブに入れてある辺り、保存度はバッチリなのだろう。デッキ入れから取り出したカードをトランプのように持ちながら、流れるように目を通していく。このキラキラ光るカードがレアカードということでいいのだろうか。流石にレアカードで無ければ売れないということなのか、そのデッキ入れは全てがそのキラキラ光るカードか、名前に箔が押してあるカードで構成されているようだった。
 だが何故か一枚だけ普通のカードが混じっていた。黒いウサギのような生物のカードだ。ふと環菜は目を留めた。
『ぶらっく……らぴっどもん……?』
『あれ、おっかしいですね? キラカードだけしか持ってこなかったと思ったのに……』
 首を傾げながら上野遼が環菜の持つカードの束に手を伸ばしてくる。
 ズキッ。その瞬間、何故か環菜の脳裏に微かな痛みが走った。その所為で環菜の体が少しだけ流れ、手を伸ばしてきた遼の指と環菜の指が引っ掛かり、彼女が手にしていた百枚程度のカードの束が盛大にカードショップの床にぶちまけられた。
『……あっ』
『ご、ごめんなさい……』
 思わず謝ってしまっていた。何故かわからないが、自分でも本当に悪いと思っていたのである。
『皆本、お前何やってんだよ……』
『俺も手伝う。傷物にするわけにはいかないしな』
 そんな無愛想な声が二つ。
 カウンターの方から八雲と煌麒も呆れ顔でやってくる。互いに無愛想で無口という良く似た気質を持つ彼ら二人は、どうやら店員と客という関係での初対面にも関わらず、あっさりと打ち解けたらしい。そんなわけで、カードショップ・海山の店内では四人が四人、床に散らばったカードを拾うという奇妙な光景が繰り広げられることになる。
『うおっ……お前、本当にレアカードばかり持ってるのな』
『……そうですね、自慢ではありませんが』
『アルファモン、ダークドラモン、スラッシュエンジェモン……今じゃ手に入らない奴ばっかりだ!』
 拾い集めている途中、煌麒が時々歓喜の声を上げ、上野遼がそれに落ち着いた声で答えている。
 手伝いながらもそんなに凄い代物なのだろうかと環菜は思う。女だから理解できないと言ってしまえばそれまでだが、自分には単なる紙切れにしか思えない。少なくとも歓喜するほど凄い物では無いと思ってしまう。
『なあ……レオモンは無いのか?』
『え? さ、流石にレオモンのキラカードは無いですよ……』
『おいおい、レオモンこそ最高のデジモンだろ! あの筋肉に彩られた肉体美、完全体のスカルグレイモンの骨を戦利品に持つオーガモンと互角以上に渡り合い、アニメでは主人公以外の味方側デジモンの中で唯一の究極体に到達するって栄誉を成し遂げた奴だぞ! 必ず死ぬって不遇な役割だけど、それは強さが際立つからこそなんだよ、わかるか? レオモンこそ最高の――』
 先程まで無愛想だったはずの煌麒という店員、何故か急に取り乱し始めた。そんなにもレオモンとかいう奴のことが好きなのだろうか。男の子って奴は、本当に良くわからないと環菜は思う。
 それから煌麒は延々と上野遼にレオモンの魅力を語って止まらなかった。そんな中でも八雲と環菜は黙々と作業に徹し、程無くして環菜が最後のカードを手に取ったことで回収は終了する。うんざりした表情で煌麒の話を聞いている上野遼にそのカードを返そうとした瞬間、環菜はそのカードの表面に描かれている黒いモンスターに気付いた。
 両手に剣を持っている。赤い剣だ。まるで血に塗れたように真っ赤な――?
『ダスク……モン?』
『っ!?』
 デジャヴという奴だろうか。何故か自分はその名を知っているような気がした。先程のブラックラピッドモンの時よりは薄い、けれど明らかに異質だとわかる違和感だった。恐らく夢か何かで自分はこのモンスターに似た存在を知っているのだろう。そう思うことにした。
 だが自分がその名を告げた途端、顔色を変える者がいた。渡会八雲である。
『そのカード、見せてくれ』
『ちょっ……!』
 文句を言う間もない。殆ど毟り取られるようにして、八雲にそのカードを奪われてしまう。そして、そのカードを凝視している八雲の顔が、なんとなく驚愕に満ちていくように見えた。
『……八雲君、どうしたのよ?』
 思わず問い詰めていた。彼の様子がおかしかったから、こんな彼は珍しいから。
 けれどカードから顔を上げた八雲は、むしろお前の方がおかしいのだとでも言いたげな瞳を見せる。何故そんな目で自分が見られなければならないのか、環菜には全くわからない。それなのに八雲の瞳は揺るがない。
 そして静かに紡がれる言葉。
『お前……あいつのこと、忘れちまったのか?』
 その言葉を聞いた時、環菜は自分でもどんな顔をしたのか覚えていない。
 けれど、その言葉を呟いた八雲の顔だけは嫌というほど脳裏に焼き付けられた。失望とも怒りとも悲しみとも付かない顔。まるで皆本環菜の顔に皆本環菜でない何かを見ているような、そんな顔。八雲が今まで環菜には一度として見せたことの無い、本気の絶望の色。泣きそうな顔というのは今の彼のような顔を言うのだろうと、他人事のように思った環菜である。
 それから後のことは知らない。彼のそんな顔が嫌で自分は逃げ出した、それだけが事実だ。
『レオモン最高ぉ!』
 後ろから響いてくる海山煌麒の声が、妙に鬱陶しかった。







 そうして時間は舞い戻り、路地裏で苦悶の声を上げる環菜である。
 ダスクモン。その名を自分の口が紡いだ時から、そして八雲にあんな目で見られた時から、自分の頭が締め付けられるように痛い。脳からマグマが噴き出してくるような激痛、絶え間無く襲い来る記憶の混濁と違和感。
 どれくらいそうしていたのか。いつの間にか、環菜の背後に音も無く立つ影。
「お困りのようですね。……マドモアゼル」
「マドモアゼル……?」
 歯の浮くような単語に環菜が振り返ると、そこには一人の少年が立っていた。
「まあ……無理も無いことですが」
 160cm弱の環菜よりも随分と低い身長、恐らく先程の上野遼よりも小さいだろう。その身に纏う奇妙な帽子と黒装束が印象的なコスプレマンである。右手には杖を持っており、どこか魔法使い然とした雰囲気も感じられた。
 今日ってハロウィンじゃないわよね? そんなことを思う環菜である。
「あなた……誰?」
「私はウィザーモン、長いのでウィズで構いません。……よろしくお願いします、マドモアゼル」
 恭しく礼をするウィザーモン改めウィズだが、その仕草はどうにも胡散臭い。
 しかしウィザーモンとは? どこかで聞いたような名前だし、そもそも彼の姿をいつか自分は見たことがある気がする。先程のブラックラピッドモンとかダスクモンとかの時と同じ感覚だ。体は覚えているのに頭は覚えていない、そんな感じ。
 そういえば、それらの末尾には須らく○○モンと付くが、それが何か関係あるのだろうか。
「時に環菜さん」
「……何?」
 思わず聞き返してしまっていたが、そもそも自分は名乗った覚えが無いのだが。
「あなたは全ての人が幸せに暮らす世界を見てみたくないですか?」
「全てが幸せ? そんなの……」
「有り得ない、ですか? ふふん、有り得ないなんてことは有り得ないのです」
 けれど、環菜に質問する間も与えずにウィザーモンは言葉を続ける。
「何か偉そうね、あなた。でもまあ見てみたい……かな」
「素直で結構。では……ビビディバビディブゥ! 全ての世界の幸せよ、一つにな~れ♪」
 掲げられた右手の杖が激しく発光する。呪文こそ心底適当だと思えたが、その杖から放たれた輝きは確かに魔法と信じるに値すると思えた。――無論、それは本当に全ての世界の幸せとやらが一つになったらの話ではあるのだが。
 当然のことながら、環菜の周囲は薄暗い路地裏のまま。何も変化は無かった。
「……何も起こらないんだけど?」
「ふふ、全ては今この時から始まるのですよ」
「え?」
「皆が幸せに暮らす、全てのパラレルが一つになった世界……私がお見せするのは、そのほんの断片にすぎません」
 彼の呟きと共に周囲が光に包まれる。その光に吸い込まれるようにして、環菜とウィズはその場から姿を消す。


 そうして、一つの世界の物語が幕を開ける――。







~「絆」~  それはまた幸せな世界で
著:夏P(ナッピー)







 亜名座阿学園。小学校から高校まで一貫教育の有名校であり、そのためか郊外の大学クラスの広大な敷地を持つことでも良く知られた学校だ。プールや体育館や講堂はそれぞれ二つずつ存在し、野球場とテニスコートが存在する上にサッカーやラグビーが同時に行えるほどにグラウンドも広い。
 どうやら「学生たる者、体を動かさんでどうする」という理事長の考えによるものらしい。
 そんな現理事長の方針もあってか、亜名座阿学園には運動系の行事が多い。体育祭やスポーツ大会に球技大会、そして間も無く行われる校内バトルロワイアルだ。
「お前達、もうチームは決まっているのだろうな? 大会は明日だぞ」
 高等部2-B。その教壇で赤髪の担任教師、クラウドが落ち着いた声で呟く。
 校内バトルロワイアルとは、初等部から高等部までの全校生徒が各々の相棒と共に二人ないしは三人でチームを組んで戦う、第六十八番プログラムかとでも言いたげな戦闘を学校の敷地内を舞台として行う危険極まりない行事である。去年から始まった年間行事の一つであった。
 これもまた理事長が考案した行事だ。レンタルビデオ屋で偶然思い付いたというのだから恐れ入る。
「究極体持ちの奴は注意しろ。コスト制だからな、それに反したらその時点で失格だ」
「……ちえっ」
 最前列に座る園田靖史が舌打ちしている。なお、その一つ後ろの席では長内朱実が盛大な鼾を掻きつつ爆睡していた。
 クラウドが言うところのコスト制というのもまた、究極体持ちが単純に優勝するのでは面白くないと考えた理事長による考えだった。恐らく理事長自身が完全体だからだろうと大半の生徒は勝手に予測しているわけだが、口に出して言うような愚かな奴はこの学園にはいないだろうと思われる。
 各チームに与えられたコストは6。究極体を4、完全体を3、成熟期を2、成長期以下を1として、二人ないしは三人のチームを作る。そのため、極端に言えば究極体一人と成長期二人でも構わないし、成熟期の三人チームも可能だ。バランス的な問題も考えると、一般的には究極体と成熟期、完全体と完全体の組み合わせが最も妥当だと言えよう。
 なお、一部の生徒の相棒には戦闘中の強制進化や退化が可能な者もいる。そうした連中は、コストの空いている分までは進化できるというルールだ。例えば長内朱実の隣で同じように爆睡している金髪、柚木黄太のパートナーは成長期のアグモンだが、究極体持ちの者とチームを組んだ場合には成熟期のグレイモンまで、完全体持ちなら同じく完全体のメタルグレイモンまで、そして相手が成熟期持ちなら究極体のウォーグレイモンまで進化させることができるわけである。
 戦術が広がるという点で、こういった強制進化&退化能力を備える相棒を持つ者は重宝される。普段はお世辞にもモテモテとは言えない黄太であるが、この時期にはクラス中の女子から声を掛けられるという異常な事態になっている。
 尤も、それは同じく究極体持ちである園田靖史も同様らしい。
「園田君! 私と、私と組んで!」
「ちょっとぉ……あんたのダーリンは海山君でしょ、園田君は渡しなさいっ!」
「やーよ、だって海山君ってレオモンじゃない。間違い無く死ぬっての!」
 昼休み、また女子に囲まれる靖史である。少なくとも悪い気分ではない。ただ、話にも出ている海山煌麒が後ろの方で俯いているのを見ると、凄まじく悪い気分にもなるわけだが。
 この海山煌麒、普段はイケメンな上に運動もできるためモテモテな男子生徒である。だが相棒絡みの話になると、どうにも調子を狂わせる男でもあった。別に相棒のレオモンは弱くないし、むしろ成熟期としては破格の強さなのだが、何故か常に「近い内に死ぬわね」と噂されている不幸な奴だった。
 詳しい理由を靖史は知らない。推して量るべきというところだろう。
「お、俺なんかでいいの? 他にもっと強い奴は沢山――」
「園田君がいい!」
「うわ、嬉しいな。俺のこと、そんなに思って……」
「だって園田君だったら扱いやすそう――おっと、本音が」
「俺は大した奴ですよっ! うわぁぁぁぁん!」
 泣いて駆け出してしまった靖史である。ちなみに、哀れと思う者は誰もいなかった。







 同じ頃、こちらは同じく高等部2-A。
「皆本さん、明日の作戦だが……」
「……ええ、わかってる」
 真剣な面持ちで話し掛けてくるのは、皆本環菜が組むことになった柚木蒼太だった。苗字からもわかる通り、彼は隣のクラスの柚木黄太の双子の兄である。外見的には眼鏡の有無と髪の色以外の違いなど無いのだが、中身は大分違う。有り体な言い方をすれば月とすっぽん。そんな彼と組むことを知られた自分は、クラスの女子から結構恨まれているらしい。
 彼のパートナーはガブモン。完全体まで進化できるというから、ブラックラピッドモンを相棒に持つ環菜とはコスト的にも見合っていると言えよう。
「……あら?」
 そこで奇妙な感覚がある。ブラックラピッドモンを相棒に持つ、そんな自分に環菜は微かな違和感を覚えた。何か記憶が混乱しているのだろうか。まあ大したことでは無いだろうが。
 蒼太は直感よりも理屈を第一に生きている人間らしく、こういった作戦や戦術の考案に余念が無い。環菜としてはその場の考えで柔軟に行動していくことも大切だと思うわけだが、今回ばかりは彼に従うことにしている。少なくとも女子に人気のある男子にリードされている気分は、悪いものではない。
「それでは。……明日は共に悔いの残らないように頑張ろう」
「ええ。よろしく、柚木君」
 蒼太が席に戻っていくのを見届けると、彼の隣の席である渡会八雲の姿が無いことに気付いた。昨日の時点でまだ組む人が決まっていない様子だったが、今いないということは探しに行ったのだろうか。学年別という区切りは無いから下級生や中等部の生徒と組むことも許されてはいるが、彼にそんな後輩がいるとも思えない。
 そんな時だった。
「馬鹿ぁーっ!」
 教室の外から響く声。……さっき、どこかで聞いたような?
「ぐはぁ!」
「げふぅ!」
 奇声が一つと悲鳴が二つ。それと共に教室に転がり込んでくる影が二つ。渡会八雲ともう一人は見たことの無い男子生徒だ。制服の襟に留められたバッジからして高校一年生だと思われる。確か上野遼とかいう少年だったか。
 うん? そこで再び環菜は違和感を抱く。見たことの無い男子生徒なのに、自分はその名前を知っている。初めて見る少年のはずだが、上野遼だ。前にどこかで八雲が紹介してくれたような気もするが、そうではない気もする。商店街のような場所で、八雲と共に歩いていた彼の姿を、自分は見たような気がしないでもない。
 ううん、今日の自分はどこか変だ。環菜は頭を振って、それ以上考えないようにした。
「八雲に遼、あんた達ね……!」
「お、落ち着け中村! 話せばわかる!」
「そうだよ、中村さん!」
 まるでボ○・サップの如く重苦しい足音と共に教室に足を踏み入れてきたのは一人の女子生徒。彼女のことは違和感も覚えること無く覚えている。
 中村陽菜。上野遼と同じく高校一年生で、クラスメイトの加賀美夏姫と共に乱暴さと過激さで上級生にも名の知られた少女だ。実際に教師達には長内朱実の再来とまで言われていると聞く。ただ、夏姫もこの陽菜も現時点ではまだ停学や校長訓戒を受けていないだけ、あの長内朱実よりは遥かにマシだと言えないこともない。
 そんな少女だ。最近は校内を忙しなく歩き回っているのを良く見るが、何をしているのだろうか。
「言ってみなさい! 私のどこが不満だってのよ!」
「……そーいうところが」
「……そーいうところが」
「ハモるな!」
 八雲と遼、自分より大柄な男二人の胸倉を掴み上げながらガクガクと揺さぶる陽菜。
「明日は絶好の機会なのよ! あの牛乳女を合法的に抹殺する絶好のね!」
「……中村、今のは聞かないでおいてやるから、今すぐ病院に行け」
「どういう意味よ!?」
「お前、今この場で選手宣誓してみろ」
「スポーツマンシップに則り、正々堂々と加賀美夏姫を殺すことを誓うわよ!」
「違うだろ! それ宣誓したら先公どもに捕まるからな!」
「ふんっ、ノロマな先公なんかに私が捕まると思う?」
「大した中村さんだ……って、そういう問題じゃないよね!?」
 教室の片隅でギャーギャー騒ぎ続けている三人。昼食中の身としては凄まじく耳障りだ。
 話を聞く限り、中村陽菜と加賀美夏姫の仲は頗る悪いようだ。それで陽菜は夏姫を合法的に抹殺する――本気かどうかは知らないが、些細な問題だ――ために強力なチームメイトを探していたということなのだろうか。そうなれば最近の彼女が校内を歩き回っていたのにも納得が行く。その中で目を付けたのが八雲と上野遼ということなのだろうか。
 八雲は究極体のデュナスモンを相棒に持っているし、環菜は知らないことだが上野遼のパートナーであるドルモンもデュナスモンと同等以上のアルファモンへの進化能力を持つ。確かに組むとなれば破格の頼もしさである。
 不意に上野遼が思い付いたように呟く。
「あっ、あれって雪見大福?」
「なに! どこだ!?」
「えっ! どこよ!?」
 何故か同時に反応する八雲と陽菜。二人が周囲を見回そうとした瞬間、陽菜の力が弱まった隙を突いて上野遼は彼女の手を振り解いて拘束から脱出する。身体能力は明らかに八雲以下の彼だが、そうした手際の良さは流石に究極体持ちの生徒と言えよう。
 ちなみに雪見大福に他意は無い。単なる思い付きである。
「は、謀ったわね、遼!」
「君の父上がいけないのだよ、はっはっは! というわけで渡会先輩、お願いします」
「う、上野! お前まさか戦友を見捨てるのか!?」
「情けは人のためならず。時には心を鬼にすることも大切ですよ、先輩」
 呆然とする八雲と陽菜を尻目に、勝ち誇ったような悠然とした足取りで廊下へ出て行く遼。
「ま、いっか。……あんたがいれば私は幸せだしね、八雲」
「……少し嬉しいけど今だけは絶対に言われたくない台詞だ……! その手の台詞はお前のことを好きな男に言ってやれよな」
「はっ! 私にそんなのがいると思うわけ!?」
「………………ああ、確かに相当な物好きだな、そいつ」
「何かムカつく反応ね。……てなわけで大丈夫よ、遼。手間取らせて悪かったわね」
 そんな陽菜の笑顔は遼から見れば天使の微笑、八雲から見れば悪魔の嘲笑。
「お互いに頑張りましょう、二人とも。僕もこれからチームメイトを……アッー!?」
 刹那、八雲と陽菜の視界から遼の姿が掻き消えた。まるで忍術でも使ったかのようだった。
 人並み外れた動体視力を持つだろう八雲や陽菜ですら、何か黒い影が遼を連れ去ったのだろうと予測することしかできなかった。それぐらい常識の範疇を超えたスピードだった。陽菜が廊下に顔を出してみるも、そこには談笑する他の生徒達の姿しかない。
「……何よ、今の」
「さあな。……それより中村、早く手を離せ」
「ああ、ごめん。忘れてたわ」
 そこでようやく胸倉を開放され、八雲は大きくため息を吐いている。
 そんな彼の様子を何か別のことをするでもなく眺めていた環菜は、あの上野遼って男子を連れ去った女の子、胸が随分大きかったなーなどとぼんやり考えていた。あれが件の加賀美夏姫って子なのかな、そんな他人事のような感想を、いつの間にか八雲をも超える動体視力を身に付けた環菜は抱いていた。
 翌日、一人のヤンデレ少女と強引に組まされた後輩の姿に八雲と陽菜が驚愕するのだが、それはまた別の話だ。







 そして大会当日である。ルーチェモン理事長の簡単な話の後、既に生徒達は学校中に散り、バトルロワイアル開始の時刻が近付いてくる。
 昨日の蒼太との話し合いで、環菜達は開始と同時に校舎側に移動することになっている。二人の相棒であるブラックラピッドモンとワーガルルモンは共に素早い動きを生命線としているため、入り組んだ場所の方が戦い易い。大柄な恐竜型デジモンなどを狭い場所に追い込み、至近距離での格闘戦とミサイルで各個撃破できれば理想だろう。
 ただし、そうなると小型の究極体を持つ者を相手にするのは困難だ。それは蒼太の弟である柚木黄太の相棒のウォーグレイモンであるし、環菜の友人である渡会八雲の相棒のデュナスモンである。他にも究極体持ちはいるだろうが、思い付くのはこの二人だ。
『それでは第二回、亜名座阿学園バトルロワイアル……スタートだ!』
 校内に響き渡る理事長の叫び声。それと共に、学校中でモンスター達の咆哮が上がる。
 突如として環菜の視線の先、ちょうど向かおうとしていた校舎の上空に巨大な竜が舞い降りる。その竜は恐らく校舎付近からスタートしようとしていた生徒達が集まっているはずの場所に、容赦無く背部から放つレーザーを叩き込んだ。
「ポジトロン……レーザァァァァァァーーーーッ!」
 響き渡る重苦しい声は、あの竜が放ったものか。
「え、Aカップを脱出する夢が……こんなところで絶たれるとはああーっ!」
「ローストビーフにはなりたくないいいいいいいいいいいいいいいいーっ!」
「神様仏様七海様! あばよ、キルスメリスうううううううううううーっ!」
「父さん、僕はここまでみたい……! ぎええええええええええええーっ!」
「大泉だ。冬梧君、僕のHDは中身を見ずに処分して……ぐおおおおーっ!」
 その方角からは多数の生徒の悲鳴が聞こえてくる。流石の環菜とて戦慄した。あんな化け物に勝てる自信は、悪いが全く無いのである。まさに阿鼻叫喚、恐らく今あの場所には志半ばで倒れることになった生徒達と相棒達の無残な屍が転がっているのだろう。自分達が向かうはずの場所がいきなりこんな事態になるとは。
 だが隣の蒼太は冷静な様子で状況を分析している。
「あれが優勝候補の筆頭……武藤七海さんのインペリアルドラモンか」
「……随分と冷静ね、あなた」
「皆本さんこそ変だと思うぞ。……俺達はあいつに勝たなきゃならないんだからな」
 確かにそうだ。悔しいが蒼太の言葉で迷いが晴れた。







「あはははは! 弱い、どいつも弱すぎるよ!」
 一方、グラウンドでは長内朱実の奇声が響いている。
 彼女の相棒は自由自在に伸びる刃を閃かせ、周囲から迫り来る生徒達を一人、また一人と薙ぎ倒して校舎の方へと向かう。その様は文字通り長内朱実無双。まさに千切っては投げ、千切っては投げ状態である。
「イケメン、あんた遅れてるよ! シャキッとしな!」
「イケメンって呼ぶな!」
 そんな彼女のチームメイトは海山煌麒。相棒のレオモンと共に朱実の後方を走っている。既に彼女達(というより九割以上朱実だが)は二十以上のチームを叩き伏せている。しかし敵の撃破数が加算されない今大会では、如何に敵チームを倒したところで生き残らなければ意味は無い。そのため、考案者であるルーチェモン理事長でさえ隠れるチームが大半で、むしろ戦闘など殆ど起こらないまま時が過ぎるのだと予想していた。
 それなのに、朱実と煌麒は次々と敵に襲われている。それというのも。
「おっ、レオモンだ! 死ぬことで有名なレオモンだ!」
「奴なら確実に倒せる! 覚悟しろぉぉぉぉ!」
「我らの中で随一の死亡属性ぃぃぃぃ! その首取ったりぃぃぃぃ!」
 そんな迷惑極まりない理由だったりするのである。そしてレオモンに誘い出された烏合の衆は、朱実の相棒によって一瞬で駆逐される。そんな状況が続いていた。
 だが朱実と煌麒があと僅かで校舎に辿り着こうとした時だった。彼ら二人の前に、巨大なオレンジ色の壁が立ち塞がったのである。いや、壁ではなく恐竜だ。煌麒は一瞬、自分の知り合いが持つグレイモンかとも思ったが細部が異なる。頭部の兜は全体的に鋭角化していたし、爪や尻尾もどこか攻撃的になったように見える。
「奏のグレイモンじゃ……ない?」
「メガバーストォ!」
 そのグレイモンの亜種、ジオグレイモンはいきなり火炎を吐いてきた。狙われたのは相棒達ではなく人間である朱実。生徒自体を攻撃することは禁じられている中で、何ら迷うこと無く人間の朱実を狙ってきたのである。
「ちっ、レオモン!」
「獣王拳!」
 後ろからレオモンの放った光の拳が迫る火炎を相殺する。
「大丈夫か、長内!」
「やるじゃん……助かったわ、イケメン」
「だからイケメンって呼ぶな!」
 そんな言い合いをしていると、ジオグレイモンの影から一人の少女が姿を現す。
 制服のリボンの色からして恐らく高校一年生だと思われる。髪が長く目鼻立ちもハッキリしており、総じて自分ほどではないにせよ――と朱実は思っている――なかなかの美少女だろうが、特筆すべきはその胸部であろう。制服であるにも関わらず、その布地を容易に押し上げる様は、むしろ下手に裸でいるよりも扇情的であると言えた。健全な男子生徒にとっては飛び道具である、こんな代物を常時ぶらさげられていたら堪らないだろう。要するに、人間が子孫を残すために不可欠な欲望を必要以上に刺激してくるのである。邪な心を持つ男子の妄想の中で何度汚されているのかわからないその熟れた果実、実際には恐らく未だに無垢なのだろうなと勝手極まりないことを考える朱実である。
 そこまで考えて、朱実はチラッと後ろのイケメンの股間を見たが、ズボンにテントはできていない。
「ちえっ、面白くないねぇ……」
「長内!? お前、今どこ見たよ!?」
 煌麒にとっては心外らしい。ん? だがレオモンのズボンが少し――いや、やめておこう。
 しかし胸である。思わず女の朱実ですら鷲掴みにしたくなるサイズの胸である。これはもう揉んでくれと言っているとしか思えない。このサイズなのに重力に負けていないというのだから驚きだ。もしやミノフ○キード○イブでも積んでいるのではないかと思うほどだ。ホワ○トベースが空を飛ぶのと同じくらいの空想科学だ。
 まずい、興奮してきた。いつの間にか両手の指を握ったり解いたりを繰り返している自分がいる。
「くけ……くけけけけけけっ!」
 だが目の前の牛乳女が突如として奇声を上げた。後ろの煌麒が「げっ!」と明らかに引いたような妙な反応をする。
「女! あんた女ね!?」
「……なるほど、そういう趣味ってわけ?」
 明らかにその牛乳女は朱実の姿を認めて喜んでいた。
 ちっ、同性愛者とは。今の今まで奴の胸を揉みたいとか考えていた自分に相手のことは言えないが、もう少しまともな恋愛感を持てというのだ。その胸ならもっと他に使い道があるだろうに、それにも気付かず愚かな過ちを繰り返し、最後には萎びて垂れて(以下自主規制)。
「くけけけけけっ! 殺せちゃう! 合法的に殺せちゃう! この学園の全ての女をぉ……私は合法的に殺せちゃうっ! くけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけっ!」
「その上ヤンデレかいっ!」
「くけけけけけけっ! さあ撃ちなさい燃やし尽くしなさい嬲り尽くしなさいダグザ! 中に誰もいませんよバーストォォォォーーーーッ!」
 再びジオグレイモンが火炎を吐いてくるも、同じようにレオモンが光の拳でそれを凌ぐ。
「やばそうな奴だな……!」
 煌麒が舌打ちしながら呟く。
 しかし彼の言う“やばい”と自分が思う“やばい”は全く違うのだろうなと、朱実は他人事のように考えていた。それにしても、相手のチームメイトの姿が見えない。これはチーム戦、相手が成熟期ということは少なくとも他に一人はチームメイトがいて然るべきなのだが。
 そうなると――ふむ。朱実は僅かに思案する。
「続けて行くわ! 鉈を持って嘘だフレイムゥゥゥゥーーーーッ!」
「迎え撃て、レオモン!」
 煌麒の叫びと共に勇ましい唸り声を上げてレオモンが動く。
 ジオグレイモンが放った火の玉。右足を軸に全身を回転させ、レオモンはその火球を弾き返す。だがそれより一瞬早く行動を開始していたジオグレイモンは、回転を止めて一瞬だけ全身を硬直させたレオモンに肉薄する。
 右腕の鋭い爪を振り翳し、それをレオモンに叩き付けようとする。
「レオモン、飛べ!」
「グレートアントラー!」
 煌麒の声に反応してレオモンが跳躍するのと、ジオグレイモンの爪が大地に叩き付けられるのは殆ど同時だった。だから振り下ろされた鋭い爪はレオモンの体を掠め、宙を舞うレオモンの脇腹から鮮血が舞い散る。煌麒には苦悶の色を浮かべるレオモンの表情が一瞬だけ見えた。恐らく相当の痛みが走っているはずだ。
 だがレオモンはそれを気力だけで押し留め、ジオグレイモンの頭上を取ると、全ての力を右拳に集束させる。
「獣王拳!」
 放たれた光の拳が竜の脳天を直撃する。だが奴は二歩か三歩ほど後退するも、驚くべきことにレオモンの必殺技の直撃にも耐え切ってみせた。既に完全体に匹敵するほどの一撃である。それを何ら問題無く耐え切るとは、奴もまた単なる成熟期の範疇に収まる敵ではない。慎重に行かねば、こちらが負けることになる。
 とはいえ、それはこちらが一対一で戦っているならの話だ。実際、煌麒には強力すぎるぐらいの味方が付いている。
「長内、援護を!」
「……やだ」
「なんだとぉ!?」
 振り返って見てみれば、朱実は自分の相棒と共に校舎の脇に立つイチョウの木の下に口笛を吹きつつ呑気に座り込んでいる。
 我関せずと言わんがばかりの不遜な態度である。むしろ煌麒達の戦いをアミューズメントパークのアトラクションの一環とでも言いたげな瞳だ。このジオグレイモンとレオモンの戦いに参戦する気は全く無いらしい。それはそれで煌麒の良く知る長内朱実らしいと言えるのだが、この化け物のような女を相手にしている以上、少しは手伝って欲しいのだが。
 そんな風に煌麒がため息を吐いた瞬間であった。――彼の頭上がキラッと妖しく輝いた。だが煌麒は気付いていない。まるで流星のように自分の真上から落下してくる新たな敵に、ジオグレイモンとの戦いに専念せざるを得ない彼は全く気付かない。
「来たね!」
 だから、それに真っ先に反応したのは朱実である。相棒と共に素早く木陰から立ち上がり。
「……頼んだよ!」
「承知!」
 朱実が指し示した先に、彼女の相棒が神速のスピードで突撃する。
 果たして、その落下してくる敵とは漆黒に彩られた騎士である。丸みを帯びた重厚なフォルムは騎士という形を成していながらも、どこか禍々しさを見る者に抱かせる。だがその瞳に邪気は無く、むしろ清爽な輝きだけがそこにはある。その身から放たれる聖なる波動は、下手をしたらあのエセ神父の相棒であるオメガモンと互角かもしれない。
 それが急降下しながら煌麒とレオモンに右腕を向ける。その手に集束する聖の力。
「させませんよ!」
「なっ……!?」
 けれど、それを朱実の相棒が自らの身を弾丸と化した体当たりで防いだ。二体の騎士は空中でもつれ合うようにして落下してくる。
「もう一体かよ!?」
「……そりゃいるっしょ、チーム戦なんだし」
 驚いている煌麒の隣に並び立ち、再びジオグレイモンと相対する。
「気を引き締めな、イケメン。あいつは究極体、アルファモン……とんでもなく強いからね」
 それと同時に自分達の後輩でもあるのだが、敢えてそれを朱実は口にしなかった。
 あのアルファモンはモンスターであると同時に人間としての生命も備えている。この学園にも何人かいる十闘士とは異なる意味でのハイブリッド体とでも言えばいいのだろうか。人間とモンスターの融合進化、マトリクスエヴォリューション。上野遼とドルモン。一人の人間と一体のモンスターが融合することで生まれた、未知なる究極体。
 この進化をする者は本校には他にもいる。柚木黄太とアグモンのアグラがそれだ。
「ま……気を引き締めなって言っても、あいつはアタシ達で引き受けるから」
「俺らはあいつとの戦いに集中していいってんだな?」
「そうだね。……へえ、随分と調子が出てきたみたいね?」
 どうやら煌麒も乗ってきたらしい。珍しく不敵な笑顔を朱実に見せる。
「いい顔になったじゃん。それじゃ行こっか。……相棒」
「イケメンの次は相棒か。……ああ、やってやるよ」
 長内朱実と海山煌麒、意外と馬の合う二人である。







「は~い、こちらは中継ヘリで~す。今大会の実況は私、浅賀クリステルと!」
「ウッチー吹雪がお送りしま~す!」
「お二人ともキャラが違いすぎますよねぇ!? 大泉君、大丈夫かな」
「……いつものことだ。まっ、淳姉がいないだけマシだが」
「パートナーがいないからって、何もこんな場所に連れてこなくても……」
「こちらのノリが悪い三人は今回の特別ゲスト、加賀美冬梧君と星野静君、それから犬飼美樹ちゃんで~す!」
「ノリが悪いとか言わないでくれるか? 俺達だって来たくて来てるわけじゃ……」
「そんな文句タラタラの静君は置いといて」
「置いとくのかよ!?」
「どうですか、冬梧君。やっぱりお姉さんを応援してるのかな?」
「そ、そうですね。文句もありますけど、二人だけの姉弟ですし……」
「おっと、ここで新しい情報が入ってきました。……おおっ! なんと冬梧君のお姉さんである加賀美夏姫さんは、一年前まで弟君と一緒にお風呂に入っていたとか! ……弟?」
「それ完全に僕のことですよねぇぇぇぇーっ!?」
「羨ましいな。あんなダイナマイトバデーの姉ちゃんと一緒に風呂に入ってたってのか」
「あら、意外ね。静君もそういうことに興味があるの?」
「ほ、星野君……!」
「俺も男だぞ? ……無い方が気持ち悪いだろうが。おい犬飼、何で顔を赤くする」
「へえ? でも静君が好きな女の子のタイプって、このデータによると……」
「……ちょっと待て。あんたら、そんなのどうやって調べた」
「それは言えないわね」
「何故だ」
「禁則事項です♪」
「……あんたらな、年齢を考えろ、年齢を。正直言って気持ち悪……がはっ!?」
「ウッチー。この子、ここから叩き落としちゃおうか?」
「そうね、私も同感よクリステルちゃん。……こういう子は我が校には相応しくないわよね」
「ちょっ! お二人とも冗談ですよね? あ、あの……冗談ですよねぇぇぇぇーっ!?」
「さて、ウチの煌麒も頑張ってるようで何よりだわ……」
「でも遼君を相手にしたら負けちゃうんじゃないかしらね」
「あぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁーっ!?」
「ほ、星野君ーっ!」
「星野先輩、ヘリから落とされちゃったんですけどぉぉぉぉーっ!?」
「……ふふ、ウチの弟を舐めないでくれるかしら、クリステルちゃん?」
「そちらこそ遼君を過小評価しているようね、ウッチー」
「丸っきり無視ですかねぇぇぇぇーっ!?」
「でも煌麒君のパートナーってレオモンよ? 死ぬことで有名な」
「あら、ドルモンだってゼヴォで死んだじゃない。……良くわからん展開で生き返ったけど」
「……やる気?」
「へえ、やる気なのね!?」
「あ、浅賀先生も吹雪さんも……お、落ち着いて! 落ち着いてください!」
「こんな狭いところで喧嘩しないでくれますかねぇぇぇぇーっ!? そもそも星野先輩は生きてるんですかねぇぇぇぇーっ!?」







 そんなギャーギャーと騒がしい中継ヘリから少し離れた、同じく上空100メートルほどの場所で。
 この大会が行われている間、教職員は大層暇である。凶暴だったり乱暴だったりする連中が多いこの学園ではあるが、実のところは結構な優等生ばかりが集まっているのだ。最低限度の道徳や倫理観は持ち合わせていると言っていい。だから戦いが発展して殺し合いになったりすることはまず有り得ない。あれでも限度や節度を知っている生徒達が大半なのだ。
 当然、例外は存在する。必要以上の人間への攻撃はルール違反であり、そんな凶行に及ぼうとする生徒を取り締まるための役割、それこそが今日の教職員の仕事だった。
「明音さん~、次は何します~」
「何がえ~んかな~。二人で大貧民やってもおもろないしな~」
 だが暇なことに変わりは無い。この二人の女性は生徒達が激しい戦いを繰り広げている遥か上空で、なんとも能天気な会話を交わしていた。僅かなりとも空気が薄くなる上空だけに、至近距離にいるにも関わらず彼女達は互いの声が聞き取り辛く、自然と間延びした大声になる。
 保険医の水仙明音と食堂のお姉さんの竹中穂波。この二人は現在、穂波の相棒であるシャイングレイモンの肩の上でトランプに興じていた。
「……そっちじゃ大貧民ってCallするんですか~?」
「なんや~、あんたんとこじゃ大富豪なんか~? ほれ、キミタロー! トランプが飛ぶやないか~、ちゃんと押さえとかんかい~!」
 明音が隣にいるエンジェモンに呼び掛ける。同じようにシャイングレイモンの右肩に立っている彼ではあるが、上空の乱気流でトランプが舞い散るのを防ぐべく結界を張る役を任されているのだ。なお、このキミタローとの愛称を持つエンジェモンは普段ならパタモンの姿をしている。つまり、そのトランプを吹き飛ばさない役のためだけに進化させられたのである。
 それが流石に不満だったのだろう。僅かに覗く口元は不満げである。
「僕は~、究極体とも戦える凄い奴だってのにさ~、馬鹿にしすぎじゃない~?」
「あはは~、ウチは全く信じてへんで~。あんたがこの社員さんと互角に戦えるわけあらへんや~ん」
「言ったな~! あはははは~、いつか思い知らせてやるよ~!」
 キミタローは真剣に腹を立てているようだが、どうにも締まらない会話である。そんな中でも乱気流を防ぐ結界だけは張り続けてくれているのだから、この相棒はいい奴だと思う明音ではある。それに口では馬鹿にしているが、自分だって彼の強さは認めているつもりだ。流石に究極体と互角というのは言いすぎだと思うわけだが。
 そんなことを考えていると、前方から蒼い獣騎士とその肩に乗る体格の良い男性が近付いてきた。
「あっ、ゴワス君」
「ゴワスやないか~! どや、下の具合は~!」
「……能天気な娘どもめ。もう既に生存者は三分の二に絞られたというのに……」
 武蔵丸雷電、通称ゴワス。日本史の教師であると同時に、この学園でも強豪の相撲部と柔道部の顧問を兼任している男である。優れた身体能力を持つ彼は、凄まじい強風が吹き荒れる上空でも何ら問題無く直立不動の体勢を取っている。
 単に体が重いだけと言ってはいけない。
「マジで~!? 去年よりRapidなペースねぇ~!」
「……あれか~、またあの武藤七海って子が頑張っとんのか~?」
 それは去年の同じ大会での出来事だ。強力すぎるインペリアルドラモンの攻撃を乱射する武藤七海、当時中学三年生だった彼女は、二時間ほどで全校生徒の四分の一を駆逐した。ただ、その攻撃方法があまりにも容赦が無かったので見かねた担任教師、ヴァイスが彼女を止めるために皇帝竜の前に立ち塞がったのだが、オメガモンの力を見せる前にヴァイス自身が消し飛ばされ、結果的に彼女を止めることはできなかった。
 その出来事の所為か、今年は教職員の中にも下手に生徒を止めようとする者はいない。――ヴァイスのように返り討ちにされ、生徒への威厳が失われることが怖いから。
「ゴワス君が一人で頑張っときゃいいでしょ~? そもそも私、Teacherですらないし~!」
「そやな~、ウチらもあのエロ神父のような目には遭いたくないしな~」
 能天気な二人の女性の言葉に、ゴワスは大きくため息を吐いた。







 こちらは中等部の教室が多数存在する校舎の屋上。
「注意して! 敵よ、珠生君!」
 凛とした女性の声が響き渡る。
「ゲス!?」
 それを受けた機械竜は奇妙な掛け声と共に空中で身を逸らし、回避に成功する。
 機械竜、ライズグレイモンが一瞬前までいた場所を通過したのは、何者かが放った巨大なレーザーである。完全体の中でも上位種といえるだろうライズグレイモンですら、まともに喰らっていたら一撃で倒されかねない威力と思われる。それから推測すれば、その一撃を放った者はどんなに弱く見積もっても完全体を優に超える存在であることは間違い無い。
 そんな強敵の奇襲だ。手傷は負わずとも動揺は隠せないだろう。
「大丈夫かい、ヘリアン!」
「あ、アッシは問題無いでゲス!」
 だがライズグレイモンから返ってくる声は普段通り。心理的ダメージも無いようだ。
 次弾が来る様子は無い。それでも究極体クラスの敵ならば、奇襲をただの一度の失敗で諦めるようなことは無いだろう。決して油断すること無く周囲を見渡しながら、その長い前髪を持つ少年はすぐ隣に立つ女性に話し掛ける。
「すみません、おかげで助かりました。……でも高品先輩は何故気付いたんです?」
「う~ん、それはね……」
 その少年、日向珠生の疑問に背の高い女性、高品紗綾は気まずそうに苦笑する。
 珠生の相棒、ライズグレイモンはメタルグレイモンの亜種ともされる。故に同じサイボーグ型であるメタルグレイモンと同様に敵をロックするための機能が機械化された半身には満載のはずなのだ。それを掻い潜る形で敵が攻撃を仕掛けてきただけでも驚きだというのに、更に驚くべきことに高品紗綾はそんなライズグレイモンのサーチ機能すら凌駕する反応で、敵の接近や攻撃に気付いたというのだ。
 それにしてもこの珠生と紗綾の二人、並んでいると年齢の差もあって姉弟に見えないことも無い。
「なあタイスケ。実は俺達って、役立たずじゃないのかー?」
「役立たずは君だけだろ? 俺を一緒にして欲しくは無いんだけど」
「言ったなぁ!?」
 そんな二人から少し離れた場所でもう一人のチームメイト、山里泰祐とその相棒(?)であるガブモンのラックがのんびりと会話を交わしている。珠生達のチームは三人編成である。構成としては珠生のライズグレイモンと泰祐のガブモン、そして紗綾のテイルモンの三体。完全体と成長期と成熟期という変則的な構成だ。その上、この三人は学年が全く被っていないということもあって、概して珍しいチームだと言えよう。
 少しだけ顔色を悪くしながらも、珠生の疑問に紗綾が答える。
「悪寒がしたのよ」
「……悪寒?」
「近くにゲス野郎がいる……ってね」
「あ、アッシでゲスか!?」
 心底気味の悪そうな顔で呟く紗綾にライズグレイモン、ヘリアンが仰天していが、今の彼女の視線はヘリアンに向けられてはおらず、ただ屋上の出入り口に立っている青年にだけ向けられている。
「ゲス野郎タぁゴ挨拶ダな、ハニー!」
 制服のバッジからして紗綾と同じ高校三年生である。ボサボサの髪は、これでもお洒落に気を使っている珠生から見れば全く整っていないように見える。制服はそれなりに着崩しているが、自分の友人である桃山歩に比べればずっとマシだろう。総じてイケメンなのだろうが、常にヘラヘラと笑っていそうな軽薄さを湛えた瞳の所為で大分損していると思えた。
 そんな青年の右肩には一体の猫のようなモンスターが乗っている。恐らく成長期だろう。
「うげ、予想通り。……今一番会いたくない顔だわ」
「お知り合いですか?」
「当然だロ! 俺とハニーはオ尻合い……ふゲぇーっ!?」
 唐突に下劣な台詞を吐こうとした青年であったが、横合いから接近していた紗綾の相棒、テイルモンの存在に気付かず、面白いぐらいに殴り飛ばされた。
「相変わらず下品ね。……そんなんだから嫌だったのよ、あなたと組むの」
「い、イきナり暴力トは! 愛情表現にしては、度が過ギテるんじゃねエのカ!?」
「誰の誰に対する愛情よ……」
「ソりゃハニーの俺へノ愛情に決マッて……ひぎゃはぁーっ!?」
 やれやれと体を起こした瞬間、再びテイルモンの猫パンチを喰らって吹き飛ばされる青年。
「げ、げえっ! こっ、こっちに飛んで……ぎゃん!?」
「た、タイスケぇーっ! がふっ!」
 青年が吹き飛ばされた先には何故か泰祐とガブモンが立っていた。なんとも迷惑極まりないことに、それなりに大柄な青年の体は泰祐やガブモンを巻き込んで転がっていき、屋上のフェンスに激突した。言うまでも無いことだが、泰祐とガブモン諸共である。
「な、何で俺達まで……!」
「君のラック(=Lack=幸運値)の不足の所為じゃないの……? ガクッ」
「流石はタイスケ、頭いいぜ……ガクッ」
 不幸にも巻き込まれてしまった泰祐とガブモンが気絶したにも関わらず、その青年だけは足を情けなく震わせながらも気力を振り絞って立ち上がった。右肩の上で無様に目を回している彼の相棒、レオルモンが妙にラブリー(死語)である。
「さ、流石ダぜ、ハニー。今のパンチ……結構効いタぞ」
 流れ出る血が彼の顔を真っ赤に染めていく。額が割れているようにすら見える。
「だガなハニー。お前ノ愛を手に入れルまデ俺は死ナな――」
「猫パンチ」
「ふっ、こレが愛……か。ぐフっ」
 右肩に乗っている相棒、レオルモンと共に再び吹き飛んだ後、派手に大地に叩き付けられた青年は、そんな呟きと共にやがて動かなくなった。
「前田天斗君。物凄く女に軽くてね……学年じゃゲス野郎って有名だわ」
「アッシの仲間でゲスか!」
「違うよ、ヘリアン。君はゲス野郎じゃなくてゲスゲス野郎だからね」
「同じでゲス! 三国藤吉でゲスか!?」
「それにしても、こいつ一体何人ハニーがいるのかしらね……」
 古典的に目を渦巻状に回して気絶している青年、前田天斗の頬を足で何度も小突きながら、紗綾はそんなことを呟いている。
「んっと……あれ? 山里君はどこ?」
「気付いてなかったんですか」
 彼にしては本当に珍しく、呆れたような声を上げる珠生。ただ、そういった声の中にも少なからず今の状況を楽しんでいる色があることを忘れてはならない。日向珠生という人間には、このようにして常日頃より物事を直接見たり聞いたりして感じる珠生と、どこか離れた第三者的な視点から事象に接する珠生という、二人の珠生が存在する。それは解離性同一障害、端的な言葉で表すなら二重人格などでは断じて無く、言わば彼の内包する二面性と言えよう。
 普段はその奇行から変態と称される珠生ではあるが、この二面性もまた彼が変態であることの証左。
「山里先輩なら……せ、先輩!」
「なに……きゃっ!?」
 刹那、頭上から先程のレーザーが迫り、珠生は咄嗟に紗綾を横倒しにして事無きを得る。一瞬前まで彼らが立っていた場所に光の刃が突き刺さった。
 明らかに人間である自分達を狙ってきた攻撃だった。その事実に一人目の珠生は戦慄し、二人目の珠生は冷めた目で状況把握に努めていた。敵は一体、ほぼ間違い無く先程ヘリアンを襲った攻撃の主なのだろう。そして今なら迷い無く言える、確実に究極体レベルの敵だ。いや、先程の大会開始と同時に中庭を火の海へと一変させたインペリアルドラモンですらこの校舎には傷一つ負わせられていないことを考えれば、今の一撃は屋上を容易く撃ち抜いていることから見ても、一点に凝縮された攻撃力は皇帝竜をも凌ぐのかもしれない。
 程無くして珠生達の眼前に舞い降りたのは、そんな敵だった。5メートル前後と意外にも小柄だが、禍々しい容姿を持つサイボーグ型のモンスター。
「ダークドラモン……究極体だね」
「ゲス!? 泰祐とラックが捕まってるでゲス!」
 珠生のすぐ隣に舞い降りたヘリアンが、珠生の言おうとしていたことを代弁してくれた。
 ダークドラモンの片腕には先程の痛みからうんうんと唸っている山里泰祐と黒いガブモン、ラックが捕まっていた。それもダークドラモンのもう片方の腕に装備された鋭い槍状の武器を突き付けられた、所謂人質の状態で。奴は究極体、本気を出せば自分達を倒すことなど容易いだろうに、それをしてこない辺りに性格が現れている。
 捕まった泰祐達を嘲笑するつもりは無い。むしろ、この状況をどう切り抜けるか、どうやって彼らを傷付けずに格上の相手を倒すのか、それだけを考えている自分がいる。
「珠生君」
「……ええ、任せてください」
 よろよろと立ち上がった紗綾は不安そうな目。究極体が相手となれば当然か。頬がほんのりと赤く染まっているのは自分が強引に押し倒してしまった所為だろうか。流石にレディに狼藉は良くなかった、これは反省材料にしよう。
 相手の正体は知っている。パートナーであるはずの人間がいないこと、それと現状の冷徹なまでに確実な勝利を求める戦い方、そしてダークドラモン。
 そう来れば十中八九間違い無いだろう。恐らく敵は海外で既に大学を卒業して博士号を取得していると言われる俊英、高等部一年生の青山怜治。少し軽薄な部分もあるが文武両道、成績優秀で非の打ち所の無い本学園期待の星である。中等部の珠生も名前ぐらいは聞いているし、廊下ですれ違うことも何度かあった。ただ、友人である桃山歩や佐倉八重が彼のことを何か気に食わないと言っていたことの方がどちらかといえば記憶には残っている。
 動じない珠生に何らかの興味を持ったのか、ダークドラモンの首が僅かに動く。
「へえ……面白いな、君は。仲間が捕まったっていうのに全く怯まない、動じないなんて」
「賞賛の言葉はありがたく受け取っておきます」
 そんな敵の言葉には軽口を返しつつ、珠生はヘリアンに目配せする。それだけで意思は伝わった。
 ライズグレイモンの能力を珠生は頭の中でトレースする。――駄目だ、どの攻撃も範囲が広すぎる。完全体のヘリアンには囚われの身の泰祐達に当てずに、ダークドラモンだけを撃ち抜くような器用な必殺技は存在しない。小柄な究極体というのは、こういった面で相手にするのが最も厄介な敵と言える。なまじ大きいばかりに攻撃を当てるのが容易な大型の敵の方が、まだ作戦を立てやすいと思う。
 そこまで考えて、自分でもわからぬ内にフッと笑っていた。――面白い。
「面白い……?」
 それに驚いた。どうやら自分は今の状況を楽しんでいたようだ。
 その理由はわかっている。これは単なる学校行事の一環でしかない。何かを賭けているわけでは無い、負けたところで死ぬということも無い。要するにスポーツと同じというわけだ。正々堂々と戦った上で敗北という結果が待っていたのだとすれば潔く受け止める、それだけの話。優勝者には豪華景品が贈られるとも聞くが、去年の景品は図書券二千円と言われていることからして、この学園の規模からして豪華景品と呼べるほどではあるまい。内申点が貰えるという話もあるが、それとて同じことだ。少なくとも現在受験とは程遠い自分達には縁の薄い景品でしかない。
 無論、欲しいか欲しくないかで聞かれたら珠生は前者である。これでも苦学生の身、書籍代も馬鹿にならないし、内申点だって貰うことに少なくとも損は無い。けれど、だからといってそこまで真剣になる理由があるだろうか。数秒間の思考の後、果たして疑問は氷解した。当然だが、答えは是である。
 負けたくないから。――そう、理由はそれだけだ。
「……行こう、ヘリアン」
 ただ、全力で助ける相手が年上の男というのはロマンチックなんだろうか? そんなことを思っている自分もいた。







 薄暗い校舎裏。食堂の裏手でもあるためか、噴き出す煙で噎せ返るような場所だが、ゴキブリが多数生息しているとの噂の場所。
「なんともまぁ……締まらぬ大会だな」
「閉まってないのはあんたのチャックじゃああああーっ!」
「げふぅーっ!?」
 呑気な声を上げた青年の横っ面に、大きく跳躍した少女の膝が突き刺さる。
 見事なフライングニーの直撃を受けた青年は激しく弾き飛ばされ、まさに前述の通り汚らわしいとの噂には事欠かない泥だらけの地面に頭から突っ込んだ。思わず彼の二体のパートナーがその口を手で覆ってしまうほどの哀れさである。
「わ、若ぁ……」
「だ、大丈夫かい?」
「無論だ」
 キリッとした格好良さで立ち上がった青年ではあるが。
「若ぁー、ダンゴムシ! 顔にダンゴムシが!」
「なにっ!」
「動くんじゃないよ。アタイがこの槍で」
「俺ごと殺す気か、貴様は!」
 そんな風にギャーギャーと騒ぎ出す一人と二体。
「和むなぁーっ!」
「ぐはぁーっ!」
「いやん♪」
「あふん♪」
 再び蹴りとチョップと地獄突きが決まり、青年は相変わらずの悲鳴で、女天使と女悪魔は妙に色っぽい声を出して崩れ落ちた。
 この女天使と女悪魔はそれぞれ完全体なのだが、そんな連中をただの一撃で、それも生身で倒してしまったのは中等部二年生の少女である。何故その少女が完全体を倒せたのかということに理屈など必要無い。ツッコミは無敵なのだ。
 佐倉八重。日向珠生の友人その1である。
「はあっ、はあっ……! どいつもこいつもボケばっかり……!」
「流石は俺の女だ。やはり八重、お前も天才だったか。フッ、だがそうでなければ俺のパートナーは務まらんとも言えるのだがな」
「俺の女とか言うの、やめてくれません?」
 すぐ隣に立つのは彼女のパートナー、カブテリモンのテンドウ。そんなテンドウに八重はジロリと嫌そうな視線を向ける。テンドウは並みのモンスターではない。体調さえ万全ならば、完全体とすら互角以上に戦えるだけの力を持っている。だから強さという点では八重も彼に対して全幅の信頼を置いているわけだが、この性格には未だに慣れない。どうにも調子を狂わされてしまう。
 本人は気付いていないことだが、こういった面は保険医の水仙明音とパタモン、キミタローの関係に良く似ている。
「あはは……私、進化したのに意味無かったね……」
「す、すいません」
 隣に立つのは刃で全身を包んだ天使。その名も究極体、スラッシュエンジェモン。
「気にしないで。別に八重ちゃんの所為じゃないから」
 そんな言葉と共にスラッシュエンジェモンの体が淡く輝き、一瞬の後にその姿は人間となっていた。髪の長い女の子だ。名前を富田有香、本人も理由は知らないのだが、友人達からは何故かエンジェルという愛称で呼ばれる、高等部一年生の少女。あの上野遼や青山怜治、そして犬飼美樹のクラスメイトでもある。
 ただ、彼女の存在は少々特殊である。遼や怜治のようにパートナーと融合して究極体になるわけではない。
 遼はドルモンと、怜治はコマンドラモンと融合することで、それぞれアルファモンとダークドラモンに進化する。だが有香はスラッシュエンジェモンへの進化にパートナー、悪い言い方をすれば触媒たる存在を必要としない。彼女単独でスラッシュエンジェモンへの進化が可能なのだ。付け加えるならば、スラッシュエンジェモンへの進化を可能とするスピリットなど存在しない。
「でも有香さん、デジモンになるって……どんな感じなんですか?」
「……気になる?」
「そりゃまあ、それなりには。アタシの知り合いにも似たような人がいますし」
 泥塗れになって気絶しているチャック青年と二体の天使及び悪魔を、有香がどこからか調達してきたロープで雁字搦めに縛りつつ、八重はそんなことを言う。彼らの体を動かす度に周囲の泥が跳ね回り、思わず「うわ、汚い」と言ってしまう八重である。
「安心しろ、八重。俺と融合するなら温かいに決まっている。俺は天才だからな」
「……はぁ」
 そんな戯言を抜かしているカブテリモンを一瞥し、八重は大きくため息を吐いた。ツッコミを入れる気にもならなかった。
 テンドウは頼もしいし、確かに格好良いと思う。それは認めるしかない。けれど、失礼ながらも少しエイリアン染みたカブテリモンと融合することを迷い無く承諾できる気持ちは、ちょっと年頃の女の子としては持ちたくない気がする。珠生のヘリアンとか歩のモユルだったらマシなのだけど、虫と融合するというのは生理的な嫌悪感が先に来てしまうのだ。
 ただ、なんとなくトカゲと一つになる珠生や炎と合体する歩の姿も想像できなかったが。
「んんん? 炎と合体する歩……? それ、少し燃えるかも」
「実際に燃えているからな」
「あんたはくだらないツッコミするんじゃないわよ!」
 流石に見上げるほどのカブテリモンを吹き飛ばすツッコミは無いので、憎まれ口だけを返しておく。
「き、貴様ら! 何のつもりだ!?」
「わあーっ、若と一緒に縛られてるですぅ!」
「馬鹿なっ! アタイまでかい!」
 そんなことをしていると、拘束された仲良し一人+二体が目を覚ました。三者三様に喜びや怒りの声を上げている。――喜び?
「有香さん、縛ったのはいいけど……どうします?」
「置いていってもいいんじゃない?」
 有香は冷めた瞳でサラッと怖いことを言う。普段は物静かな分、この人にもちょっと怖い面があるなあと思う八重。
「貴様ら……こんな不衛生な場所に俺達を置いていくだと! 言語道断にも程があるわ!」
「エミィ自慢の白装束が汚れちゃうのですぅー!」
「まあアタイは元々黒いから問題無し……って、んなわけあるかいっ!」
「敵に情けを掛けるほど私達、余裕無いので」
 有香は取り付く島も無い。戦いを吹っ掛けられたことを未だに怒っているらしい。
「嘆かわしい……貴様らのような女を細君に持つ男はさぞ苦労するだろうな」
「……あ゛?」
「大和撫子など今の世には存在しないか。……日本女児たる者、もう少し慎みを――」
「あんたが開放的すぎるんじゃああああーーーーっ!」
 思わずプッツンしてしまった八重は、背後から青年の腰を思い切り掴むと一緒に縛られている天使と悪魔ごと彼の体を高く持ち上げ、思い切り体を反り返らせる。
「わ、若ぁ! 世界が廻る、廻っちゃってますよぅ!?」
「馬鹿な……この貧相な体のどこに、そんな力が!」
「ま、待ちなぁ! 少なくともアタイは何も悪くないよねぇ!?」
 そんな三人の悲鳴と共に、彼らの体は後頭部から大地に叩き付けられる。
 ドラゴンスープレックス。90年代初頭、ゲームセンター界を席巻した名作ゲーム、ストリートファイターⅡにて最強キャラとして名を馳せたガイル少佐が得意とする投げ技の一つである。威力こそ高く設定されているが、距離を取って待つ戦法が主体だったガイルにとっては技の後にあまり敵が離れないこの技は実用性に乏しく使用されることは少なかったが、コミック版にてザンギエフとの決着にこの技を用いたことは記憶に新しい。
 全くの余談だが、このガイルのモデルは「あ、ありのまま起こったことを――」の人だということを聞いて驚いた作者である。
「流石は俺の女だ」
「そんなフレーズを気に入るなっ!」
 とりあえずテントモンに戻ったテンドウにも拳を叩き込んでおく八重である。
 頭から大地に突き刺さっている青年及び他二名。下半身だけが大地から生えているので、彼の言うところの開放的な部分が丸見えなのが凄まじく嫌である。初心な少女にとってはそれだけでトラウマになりかねないが、だからといって自分達が閉める気にもなれない。
 どうしたものかと思っていると。
「俺に任せろ、八重。俺はチャックを閉めることにおいても、頂点に立つ男だ」
「言っとくけど、それ言うならあんたはスコピオモンに進化しなさいよ」
「プチサンダー・カラミティ!」
「それ天才じゃなくて天災だからね。あんた北岡さん?」
「天才っていうのは、天才になろうとした瞬間に失格なのだ。何しろ俺は天才だからな」
「それあんたよねぇ!?」
 こうして収集が付かなくなりましたとさ。







 柊シンスケが目を覚ました時、周囲は惨劇の場だった。命こそ奪われてはいないようだが、視界には倒れて呻いている生徒達やその相棒達が無数に転がっており、本当に酷い惨状だ。それこそ比べること自体が不謹慎かもしれないが、自分が一度も経験したことの無い戦争という奴は、このような場所を無数に作ることなのかもしれないなと他人事のように思っていた。
 最後に聞いたのは重苦しく威厳を有する巨大な声。皇帝竜、インペリアルドラモンの唸り声だった。
「マジで半端ねえな……!」
 しかし妙に視界が暗い。脳でもやられたのか?
 自分が即座に意識を回復できたのは偶然だろう。何せ自分達はあの皇帝竜の放ったレーザーを何ら防ぐ手立ても無く、まともに喰らったのだ。蒸発しなかっただけ儲け物である。無論、それは件の攻撃を放った者が最低限の手加減をしていたからなのだが、そのことに気が動転していたシンスケは気付かなかった。
「おっ……」
 どうやら自分は無意識の内にチームメイトを守っていたらしい。うつ伏せの状態から立ち上がろうとすると、腹の下に柔らかい感触がある。
「大丈夫ッスか、陰山さん? 陰山さん?」
「う、うん……あっ、柊君……」
 シンスケが軽く肩を掴んで揺すると、チームメイトの陰山奏が大きく息を吐きながらも目を覚ます。全身は煤だらけだが目立った外傷は無い。それが自分の身を挺して彼女の盾になった行為のおかげだとしたら悪い気分ではない。とりあえず手を差し出して立ち上がらせてやる。
 陰山奏。シンスケと同い年の中等部二年生の女子生徒である。極度の人見知りである彼女と組む羽目になったことを少なからず恨みもしたシンスケであったが、過ぎ去った出来事でくよくよ悩まないことが自分の性分だと感じてもいる。これも何か一つの縁、色々な女性と知り合っておくことも決して無駄にはならないと思う。
「奏、無事~!?」
「グレイモン……?」
 不意に頭上から声がした。奏のパートナー、成熟期のグレイモンだ。
「げっ。そういや、お前がいたッスね……」
「お前とは何さ……」
 露骨に不服そうな顔で鎌首を擡げるグレイモン。どうやら先程から視界が暗かったのはこいつの所為らしかった。つまり、奏があのレーザーの前に殆ど傷を負わなかったのも、偏にシンスケが庇ったからではなく、グレイモンが盾になったということか。
 確かにグレイモンの脇腹には軽く焼かれたような跡が残されている。
「ちえっ」
「……柊君?」
 思わず舌打ちしてしまったシンスケの横顔を、奏があどけない表情で覗き込む。普段はこちらが少し顔を近付けるだけで赤面する彼女なのに、こういう時の彼女は逆に無防備すぎて少々対応に困る。彼女と組むことになってからというもの、その本質が掴めずに後手に回っている気がする。元々その手のことに慣れていないシンスケではあるのだが、それにしたって同級生の女子はここまでではないと思う。
 調子が狂う。多分その表現が一番良く合っていると思う。
「なんでもねえッスよ。……早く離れた方が良さそうッスね、ハイエナどもが来そうだ」
「ハイエナ……?」
「まともに動けない奴らを甚振りに来る、最悪な連中のことッスよ」
 それを卑怯だとは言わない。ある意味で当然の考えだからだ。つまるところ、自らの身を隠すことでサバイバルイレブンを生き残った某ガンダムの戦法と相通ずる部分がある。わざわざ正面切って戦いを挑むよりは余程賢い考えだと言える。――シンスケ自身は無論、そういった手を好まないわけだが。
 とりあえず戸惑う奏の背中を強引に押してグレイモンの右肩に乗せる。
「ひ、柊君は……?」
「俺もすぐ追うッスから、先に行って待っといてくれッス」
「シンスケ……大丈夫?」
 グレイモンが不安そうな瞳を向けてくる。それにシンスケは首を振って答えた。
「お前に心配されるほど、俺は弱くねえッスよ」
「それならいいけど……」
 それでも安心はできないといった様子だったが、やがてグレイモンは迷いの残る表情ながらも重厚な足音と共に奏を乗せてそこから走り去っていった。
 心配性な奴だと思う。尤も、そういうところは彼女からの影響なのだろうかとも思う。そうした感覚はシンスケには理解できない。シンスケには共に戦うパートナーがいない。頼れるのは託された光の魂と己の意思のみだから、この学園の大半の生徒とは全く異なるスタンスでこの大会に臨んでいる。他の生徒達は普通に参加する限りでは自身が傷付くことは無い。だがシンスケは自らの意思で、自らの身を武器として戦うのだから。
 けれど、それが自分には合っている。自分のために誰かが戦い、誰かが傷付く。そんなことは真っ平ごめんだ。
「おい、大丈夫か!?」
「あん?」
 後ろから声を掛けられたような気がして振り返ったシンスケだったが、その声の主が駆け寄っているのは周囲に倒れている他の生徒達だったようだ。
 既に惨劇の場と化した中庭に現れたのは、二人の男女だった。無愛想な表情を今は少しだけ焦燥に染め上げた高等部二年生の男子と、そんな彼の後ろに心底嫌々付き従っているように見える高等部一年生の背の低い女子生徒。なんとなく対照的な二人だと思った。そんな彼らはちょうど死角にいるシンスケの存在には気付いていない。
 男子の方は倒れている何人もの生徒達を揺り起こそうとしているようだった。それに女子は不満そうである。
「あんたねえ……お人好しもそこまで行くと気色悪いわよ?」
「別にお人好しってわけじゃ……少しは待てよ。後で何か奢ってやるから」
「えっ? じゃあ雪見大福がいいな! ……って、そんなことで懐柔されるかっ!」
「はい、雪見大福な。……お、大丈夫か?」
 女子の言葉を盛大に受け流しながら、男子は倒れている生徒に声を掛け続けている。
 大方、彼らはあのインペリアルドラモンの攻撃を見たのだろう。それでこの場所に様子を見に来た、そんなところだ。けれど、だからといって既に脱落したであろう他の生徒の心配までしている男の方は確かに女の言う通り、お人好しすぎて気色が悪い。実際、この大会の優勝者には多大な内申点が与えられるということで一部の生徒達は躍起になっている。裏では陰湿なイジメや血みどろの抗争が行われていると言われるほどに。
 それなのに、その男は呑気に他の者のことなど気遣っている。それがシンスケにはどうしようもなく苛立つ光景に見えた。――だから。
「リヒト・クーゲル!」
 素早く木陰から飛び出し、光の弾丸を叩き込んでやった。
 シンスケの体は既に光の闘士、ヴォルフモンへと進化を遂げている。これが柊シンスケの力である。相棒に頼ること無く己の身一つで戦う、十闘士のスピリットを持つ者としての力。マトリクスエヴォリューションとは異なり、他の誰とも溶け合うことも交わることも無い、ただ純粋な力なのだ。
「うおっ!?」
「っ!」
 だが完全に不意を突く形で放ったヴォルフモンの弾丸を、その男は避けた。いや、避けたというのは正確ではない。
 そもそも、シンスケにはあの男に当てる気は無かった。人間への故意の攻撃はルール違反であるし、何よりシンスケとて当然の道徳や倫理観は持ち合わせている。だから今の弾丸は飽く迄も威嚇射撃だ。あの男の肩を掠めるか掠めないか程度の場所に撃ち、彼を驚かせてやろうと思っただけの攻撃。
 けれど、それでも驚きは隠せなかった。少なくとも今の瞬間、あの男はヴォルフモンの攻撃に反応するだけの余裕があったのだから。
「だ、誰だ……!?」
「……あんたこそ何者ッスか」
「あっ、敵ねぇ!」
 女の方は楽しそうな表情を見せているが、今は無視した。そこでようやくシンスケ、つまりヴォルフモンはその二人の男女と正面から対峙することになる。二人とも自分より明らかに年上なのだが、今はそのことを考えている余裕は無い。
 男の方は何故か自分の姿に驚いているようだ。
「ヴォルフモン……ジャンヌ、いや違う……?」
 ジャンヌというのは自分と同じ光のスピリットを持つ、もう一人の光の闘士のことか。
「違うッスよ、先輩。……俺は柊シンスケ、中等部の二年生ッス」
「柊シンスケ……」
「今の不意打ちは単なる威嚇だ。次は……次は外さねえッスよ……!」
 少しだけ嘘が混じっていただろうか。最初から当てるつもりは無かった、けれど少なからず不意打ちに反応されたことに対する焦りがあったからこそ、そんな言葉になってしまったのだと思う。心理的に少しでも有利に立とうとしたからこそ、自分にとって都合の良いように上手く今の出来事の顛末をすり替えていく。反応されたことは然したる問題ではない、重要なのは次だ。次に確実に当てることなのだと自分に言い聞かせて。
 けれど、男は戦う気など微塵も見せない。
「ま、待てよ。今は周りの怪我人の方が大事だろ?」
「……それ、マジで言ってんスか」
 うぜえ。その綺麗事に彩られた言葉や少なくとも今は戦いたくないと露骨に示す態度が、容赦も無くシンスケを苛立たせる。
「とりあえず、こいつらを保健室とかに運んだ方が――」
「それがうぜえって言ってんスよ、偽善者!」
 もう我慢ならなかった。シンスケは神速の動作で二本のリヒト・シュベーアトを抜き放つ。それに男が反応するよりも早く、ヴォルフモンの体は二足で至近距離まで踏み込み、その光刃を何ら躊躇うこと無く一閃させる。
 威嚇ですら無い。自分は本気でこの男をぶっ飛ばそうと思った。それだけだ。――だが。
「なに、あんたは……!?」
「良い太刀筋だ。だが……そうはさせん」
 振るわれた光の刃は、突如として舞い降りた一体の騎士によって止められていた。
「デュナスモンって奴ッスか……!?」
「如何にも。ここは退け、光の闘士よ。今の我らに戦う意思は無い」
「揃いも揃って……あんたら、本当にお似合いの偽善者チームなんスね」
「ちょっ……私は違うからねっ!?」
 恐らく人間の姿だったら、そんな台詞は吐かなかったと思う。だからシンスケがこんな捨て台詞染みた言葉を言い放った理由は、ヴォルフモンとしての本能的な部分でこいつには勝てないと、今の自分が戦えば敢え無く敗北すると理解していたからでしかない。それほどの相手なのだ、このロイヤルナイツの一員であるデュナスモンというモンスターは。
 けれど、嫌な気分より喜びの方が大きい。――倒したい敵ができたから。
「だけど……あんたらはいつか俺が倒す! 倒してやる!」
 それを最後の台詞として、シンスケはそのまま走り去っていく。
「……追うか?」
「いや、必要無い。……それよりこいつらを……ごはっ!?」
 シンスケが去ったその場所で、デュナスモンの問いに答えた瞬間、後ろから殴り飛ばされる男子。
「な、何すんだ!」
「それはこっちの台詞でしょ? 何で逃がしちゃうのよ、あいつを!」
 その言葉は後ろの女子から。明らかに怒っています的なオーラがある。
「だから言っただろうが。今はこいつらをなんとかしなきゃ……ぐはっ!?」
「あんた馬鹿ぁ!? あいつがまた不意打ち仕掛けてきたらどうするのよ!?」
「うっ」
 それは正論だ。確かに先程のように死角から狙撃されたら、避ける自信は無い。先程は直感に任せて横っ飛びしたわけだが、相手が本気で当てるつもりだったなら確実に自分は死んでいたのだ。学校行事で命の心配をするというのも妙な話だが、とにかくそういうことだ。
 なんとなく、隣の女の顔を見下ろしていた。
「何よ、文句ある?」
「そんなこと言ってないだろうが……」
「別にね、あんたのこと心配してるわけじゃないのよ。でもあんたが途中でくたばって私ごと失格になったら困るわけ。あんたって敵を作りやすい性格じゃない? だから、そこら辺は私がフォローしなきゃまずいかなぁって思うのよ」
 一気に捲くし立てられて困惑するが、どうやら柄にも無く彼女は自分のことを心配してくれているらしいのだが。
「だから心配なんてしてないっての! 人の話、ちゃんと聞いてんの!?」
「……人の心を読むなよな、お前こそ」
「ほら、早く行くわよ八雲! あのシンスケって奴を叩き潰しに行かなきゃ!」
「物騒なこと言うなよ、中村……だから、最初にこいつらを……げはっ!?」
「そんなのは先公どもに任せなさい!」
 年下の女の子にフォローされる高校生男子というのも情けない。そう思う渡会八雲である。







 そうして渡会八雲と中村陽菜がその場を後にした数分後。
 校舎に向かう途中の中庭。相変わらず先程のインペリアルドラモンの攻撃による生徒達の屍が転がっている中、それまで順調に格下や下級生の敵を凌いでここまで来た環菜と蒼太は、初めて真剣に対峙すべき強敵と相対する。
 中庭の半分を埋め尽くす巨体。闇の王、究極体のガルフモンである。そして、その相棒は環菜も良く知る少年だ。
「か、環菜ちゃん!?」
「あら園田君。……久し振り、二日と三時間二分ぶりね」
「そんなことまで覚えてないでくれよ!」
 少しだけ挑発するように言ってやると、靖史は明らかに狼狽した。本当に扱いやすい男だと思う。
「園田か……早くも厄介な相手と出会ってしまったな。だが――」
「俺達は勝たなければならない……でしょ?」
「違いない。ふっ……皆本さんも意外とノリがいいんだな」
 さあ、どうかしら? 口の動きだけでそれを伝えていく。
 どうやら靖史が組んだらしいチームメイトは、彼のすぐ隣で澄ました表情をしている高等部一年生の少女のようだ。どこかで見たことがある顔かと思えば、あの問題児として有名な加賀美夏姫と良く一緒に行動している女子生徒だ。そんな女子と靖史の間に繋がりがあるということ自体、環菜としては驚きの対象である。
 その女子生徒のパートナーは大きな犬だ。データによれば成熟期、ガオガモン。
「ガオガモンか……あいつは俺達が戦うべき相手らしい」
「柚木君」
「三分以内に片付ける。……それまで持ち堪えてくれ、できるか?」
「当然だろぉ!」
 そんな蒼太の言葉に答えたのは環菜ではなく、頭上に滞空しているブラックラピッドモンだった。
「元気がいいわね、今日のあなたは」
「へへっ、何でかさぁ……環菜と一緒に戦えるってことが凄く嬉しいんだよね!」
「そう? ……ありがとう、私もよ」
 彼の顔を見ていると自分も自然と明るくなる。だから正直な言葉を返すことにした。
「そちらは問題無さそうだな」
「俺達も進化だ、蒼太」
「よし……成熟期に進化するぞ、カク」
 蒼太の隣から歩み出たガブモン、カク。蒼太の言葉と共に淡い光に包まれた彼は、一瞬にして自身の電子骨格を大型化させていく。自らが纏う毛皮のデータを抽出、それを全身に被せるようなイメージ。爬虫類だった四肢は雄々しき獣のそれへと、そして大型化した体躯にはそれに見合うだけの硬質な毛皮が纏わされる。
 疾風の餓狼、ガルルモン。カクの進化した姿、成熟期である。
「お、俺はどうすればいいんだ……長らく憧れ続けてきた同級生の環菜ちゃんか、俺のことを理解してくれる優しい後輩の百合原さんか……か、神はこんな残酷な選択を俺に強いようとするのか……! 残酷だぞ、神様よ!」
 だが一方の靖史はそんな、意味不明な言葉を呟いていた。
「や、優しい後輩だなんて……!」
「言っておくが園田、今のお前は全く格好良くないからな」
 ちょっとだけ乙女チックに時めいている靖史のチームメイト、百合原千春を無視して、蒼太が冷たく言い放つ。
 次の瞬間、蒼太はまるで戦国武将が愛馬に跨るような優雅さでガルルモンの背に飛び乗る。動揺していた所為か、それに一瞬だけ遅れる形で千春も同じようにガオガモンの背中に乗り込む。疾風の餓狼と青き猟犬、奇しくも良く似た意匠を持つモンスター同士の対決となった。
「カク、往くぞ!」
「……あ、アーディル!」
 両者が激しく吼える。相手を威嚇するためではなく、ただ自身を鼓舞するような唸り声。
『私でも知ってますよ! ルールを守れない人、そういう人は馬鹿って言うんです!』
『竜乃は賢いな……』
 なお、中庭に面した理事長室からはそんな赤い彗星のようなルーチェモン理事長の声が聞こえてきていた。
『それに引き換え貴様達は……!』
『はっ! 俺達の攻撃はバーニング! 誰にも止められねえんだぜ! なあモユル!』
『そうだぞー!』
 どうやら説教やら訓戒やらが行われているらしい。響いてくる快活そうな少年の声が、蒼太にはどこかで聞いたことがあるようにも思えたのだが。
『嘆かわしいですねぇ……私ならもっと上手くルールを破りますよ』
『そこは威張るところじゃないからな、ヴァイス』
『この神父と聖騎士は置いておくにしてもだ、だからといって女子生徒の服を取っ払うためだけに炎を行使するとは……』
『ちょ、ちょっと待て! それはそいつだ、そこの柚木とかいう奴だ!』
『お、俺!?』
 今度こそ蒼太の耳に飛び込んできたのは恐らく人生で最も聞いている声である。
「黄太……? あいつ、何を……」
 蒼太の双子の弟、柚木黄太。決して悪い奴ではないのだが、何をするにも自信が無く、現在戦っている園田靖史と同様に学年ではヘタレ扱いされていると聞く。兄貴としては何か手助けをしてやりたいところではあるのだが、高校生ともなればそうも行くまい。そんな状況が二年近く続いており、蒼太としては歯痒かった。
 そんな弟が問題を起こしたというのか。
「どこを見ている! スパイラルブロウ!」
「くっ……! 戦いに集中しろ、蒼太! フォックスファイアー!」
 敵が発生させた真空の竜巻と、ガルルモンの放つ紺碧の火炎が激突し、凄まじい衝撃が周囲を襲う。あのガオガモンという奴の力量は同じ成熟期である以上、ガルルモンのカクと戦闘力の面では大差無いと思われる。そして奴は現時点ではその進化までが限界であるようだから、完全体への進化を温存している自分達の方に分があると見ていい。
 けれど、自分達は今日一日を生き残ると決めた。そうなれば消耗の激しい完全体への進化は可能な限り温存しておくのが得策だ。
「このままで行く! 同じ成熟期、勝てない相手ではない!」
「わかった! 早く片付けて彼女と合流しよう!」
 皆本環菜がどれくらいの力量を持っているのかを蒼太は知らない。今回チームを組むことになったのも単なる偶然だったし、元々あの女にはそうした内面を知らさせぬ雰囲気がある。だから自分が彼女と組むことになったのは、そうした内面に少なからず興味を持ったからだと、そう思うことにしている。
 ただ、そんな彼女でも究極体、ガルフモンには勝てまい。ならば自分達は一刻も早くガオガモンを退け、万全の状態で環菜と共に奴に挑まなければならない。そのために完全体への進化は取っておかなければ。
 だが程無くして、そんな自分の考えが甘かったことを蒼太は知る。
「くっ……意外と!」
「ああ、こいつは強い!」
 何かおかしい。蒼太は次第にそんな考えを抱き始めた。
 その特性上、カクは通常の成熟期なら一蹴できるレベルの戦闘力すら持っているのだ。あらゆる身体能力において、彼らの突発的な進化は従来種を凌駕している。その理由が何故かと言えば、それは彼らの進化が特殊な進化であるからに他ならない。
 アーマー進化、スピリットによる進化、ジョグレス進化。本来の進化とは異なる形で行われる進化の最大の特徴といえば、それは進化して一定時間を経過すると元の形態へ戻ることが挙げられる。その点においてそれらは全うな進化ではなく、言わば擬似進化とでも呼ぶべき代物なのだろう。
 そして蒼太のカクや黄太のアグラなどの進化もまた、通常の進化ではありながらもそれは擬似進化と呼んで差し支えない。何せ戦闘後には自動的に成長期に戻るばかりか、パートナーが望めば自由自在な退化すら可能としているのだ。
 明らかに異質な進化。だが皮肉にも、それ故の瞬発力こそが、彼らに従来種を上回る力を与えているとも言えた。
「だが……まさか奴は」
「お前も気付いたか……カク」
「てことは蒼太もか」
 それに首肯で答える。蒼太とカク、両者が敵の正体に気付いたのは殆ど同時だった。
「アーディル!」
「わかっている、お嬢!」
 ガオガモンが大きく跳躍、落下速度を上げて飛び掛かってくる。そうして振り下ろされる鋭利な爪をカクは身を捩じらせて回避する。猟犬と餓狼、両者の体が空中ですれ違うその瞬間、蒼太はガオガモンの背に乗る女と目が合った。
 その切れ長の瞳に思わず吸い込まれそうになる。そこに在るのは、ただ真っ直ぐな光。
「同じか……!」
「……そうよ」
 そうして二人の距離が離れる。交わす言葉は、それだけで十分だった。
 あのガオガモンもまた、自分達と同じく突発的な進化能力を持つ者。だから同じ成熟期同士の戦いでは互角になるのも当然だった。カクが目の前で進化したこともあり、最初からその事実に気付いていた彼女と、それに気付くこと無く己の優位を確信していた自分達。今までの戦いはどちらに分があるのかといえば、それは。
「……認めたくはないが」
 千春という少女に油断は無い。先程の園田靖史の言葉に僅かながらも赤面していた少女と同じ人物とは思えないほど、その目に宿る輝きは真摯だった。
 ならば。
「全力で戦うまで。……カク」
「……わかっている」
 静かに溢れ出す光は、第二の進化を告げる鐘の音。――すまん皆本さん、少し遅くなる。


 そう、まだ戦いは始まったばかり。尤も、それを最後まで見届けることは無いのだけれど。


 見上げるような巨体。ガルフモンと対峙していると、まるで校舎が動き出したかのような錯覚すら覚えてしまうのが困る。
 実際、下半身だけで軽く15メートル近くある奴の体は、高さだけで言えば間違い無く校舎と同等の大きさがある。あのインペリアルドラモンといい勝負だ。この二体が戦えば怪獣映画も真っ青な一大スペクタクルになるに違いない。市街を破壊して回るガルフモンの前に、正義と平和を守るために出撃したインペリアルドラモンが立ち向かう――そんな他人事のような考えが、今の環菜の脳内には流れている。
 しかし、それこそが違和感の元凶である。
「手応えが……無さすぎるわ、園田君」
「……そうか?」
 ガルフモンは殆ど攻撃を仕掛けてこない。ブラックラピッドモンがミサイルを鬼のように乱射したところで、奴はそれを全く意にも介せずに大欠伸をするだけだ。時折、自分と全く関係の無い場所へ向かうミサイルを気紛れに放つ闇のエネルギー弾で相殺させるという謎の行動すら取っている。
 そう、別のことを考えていても余裕で対応できるぐらい、ガルフモンの行動は稚拙で、攻撃する意思すら希薄だった。
「ったく、かったりぃ……おい靖史、いつまでこんなことしてればいいんだぁ?」
「待てって。もう少し、あと少し……」
「何を考えてるのかしら」
 それが読めない。蒼太には足止めを任されていたが、この調子なら倒せないまでも持ち堪えることなど容易い。
 ガルフモンの巨体に隠れて、その背後にいるだろう靖史が今何をしているのかは環菜からは全く見えない。そもそも、何故先程からそんな場所にいて顔を出さないのか、そのことが妙に環菜の調子を狂わせている。それに時折聞こえてくる靖史の声が妙に荒いのも気になるといえば気になる。
「俺はよぉ……あのデュナスモンの野郎にリベンジできるって聞いたから、こんな幼稚な大会に出てやったんだぜ? それなのに、こんなことに終始させやがって……」
「だから落ち着けって、八雲と戦う機会は絶対来る。だから今は我慢だ、我慢」
 けれど彼らは間違い無く勝つ気でいるのだ。自分や蒼太を倒し、八雲と戦おうとしている。
「よし、待たせたなガルフモン! 全員運び終わったぞー!」
「運び終わった……?」
 環菜がその言葉を不審そうに呟き返した、その瞬間だった。
「おっしゃあ! てなわけで、俺様の力は全面開放! オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラーーーーッ!」
「わっ! わわわっ!」
 ガルフモンが猛々しい叫びを上げ、それと同時に彼の下半身の巨大な口が開放された。そこから高圧の闇のエネルギー弾が続け様に放たれる。その連射ぶり、まるでマシンガンの如く。その一発一発が完全体クラスのモンスターを軽々と吹き飛ばす威力なのだから、まさにとんでもない化け物だ。
 それらがブラックラピッドモンに雨霰と襲い掛かる。
「きゃっ!?」
 容赦は無い。ブラックラピッドモンはビームの雨の中を潜り抜けるMSの如く全ての弾丸を回避していくけれど、その流れ弾が校舎や環菜の近くにも次々と着弾するが、ガルフモンに攻撃を止める気など更々無い。
「そ、園田君! 何を……何をしたのよ!?」
「何をって聞かれてもなぁ……ここらで倒れていた連中を全員校舎内に運んだんだけど」
「……何ですって」
 そこで初めて気付いた。あのインペリアルドラモンにやられたのであろう、先程から周囲で倒れ伏していた十数人の生徒達の姿が、今は無い。つまり靖史はガルフモンの無差別射撃の流れ弾による被害を防ぐために、無関係な第三者達を全て戦場から遠ざけたということか。
 奇妙な感覚だった。――これがあの園田靖史?
「ブラックラピッドモン! ゴールデン・トライアングル!」
「ガルフモン、デッドスクリームだ!」
 そんな思いを隠して指示を出す環菜と同時に、靖史の声も飛ぶ。
 そうしてブラックラピッドモンが迫る闇の弾丸を掻き消すように放った黄金の弾丸は、同じくガルフモンの腹部に発生させられたブラックホールによって掻き消されてしまう。完全体とはいえ、ブラックラピッドモン最大の攻撃である。それを物ともしないどころか、蚊に刺された程度にも感じていないというのか、究極体という化け物は。
 その動揺を待っていたかのように、再び一発の弾丸が放たれた。
「ぐっ!?」
「ブラックラピッドモン!」
 咄嗟に体勢を立て直そうとしたブラックラピッドモンの右脚を弾丸は掠め、その部分を容易に溶解させた。恐るべき威力だ。全て回避に成功していたから良かったが、あの機動性が無ければ今頃環菜の相棒は跡形も無く消え去っていただろう。究極体と完全体の間には、これほどまでに埋め難い差が存在するのか。
 しかし呆然とした瞬間、環菜は気付いた。ブラックラピッドモンを掠めて僅かに軌道を変えた弾丸が向かう先に。
「あっ……」
 環菜が目を向けた先には、彼女達の後方100メートルほどで対峙しているガルルモンとガオガモンの姿がある。完全体をも容易に消滅させることのできる威力を持つ闇の弾丸が、よりにもよって背中を向けていてその接近に気付かないガオガモンとその背に乗っている千春に迫っている。あんな代物を成熟期と人間が喰らったら、もう取り返しの付かないことになることは想像に難くない。
 助けなければ。一瞬でその結論を叩き出した環菜だったが、どうやれば助けられる?
 ブラックラピッドモンはダメージが激しく、もう空中でまともに動くことはできない。ガルフモンは見た目から判断しても、そこまで素早い動きができるとは思えない。そして残る人間二人、環菜と靖史の内で今現在そこへ最も近いのは靖史なのだ。
 だから、そんな理由でしかない。けれど、環菜は思わず叫んでいた。
「園田君!」
「えっ?」
「彼女を守りなさい!」
 それは唐突すぎる叫びだったはずだが、環菜には靖史が僅かに頷くのが見えた気がした。
 百合原千春を乗せたガオガモンに迫る闇のエネルギー弾。多分、渡会八雲や海山煌麒なら生身で彼女をガオガモンの背から押し倒すなり突き飛ばすなりして助けることができたのだろうが、少なくとも彼らより鈍足な靖史では無理だ。彼もまた普段からすれば素早い判断から走り出し、必死に彼女の傍へ駆け付けようとしているが、どう見ても間に合わない。
 これでは彼女を守ることなどできない。――だから。
「何してるの!? 使いなさい、あなたの力の全てを!」
「……! わ、わかった!」
 そう言っていた。今戦っている最中の相手に向けて、環菜はそう叫んでいた。
 次の瞬間、疾走する靖史の体が漆黒の光に包まれる。その中で彼の肉体は禍々しい輝きと共に、次第に変貌を遂げていく。その力強い四肢には奇怪で巨大な目玉を備えた、邪悪さと高貴さを内包した暗黒の戦士へと。
 闇の闘士、ダスクモン。園田靖史がスピリットを纏い、進化した姿をそう呼んでいる。
「だあっ!」
 漆黒の戦士が大地を蹴り、一瞬で千春やガオガモンを庇うようにエネルギー弾の前に立ち塞がった。そして瞬時に両腕から巨大な真紅の剣を出現させると、迫るそれらに向けて一閃させる。剣から衝撃波でも飛ばしたのか、剣の軌跡には微塵も重なっていないにも関わらず、その一閃だけで飛来していた闇の弾丸が激しい爆発を起こす。
 守り切ったのか。園田靖史はダスクモンの力を以って、一人の少女を守り切ったのか。
「大丈夫、百合原さん!?」
 自分の後ろを振り返りつつ心配そうに呼び掛けるダスクモン、園田靖史。最も邪悪な存在とすら呼ばれる闇の闘士の、けれど邪悪さなど何も感じさせない姿。恐らく環菜自身が最も見たかった、守護者としてのダスクモンの姿。
 尤も、当の千春の方は自分が危なかったことすら気付いていなかったようだが。
「えっ……せ、先輩?」
「悪い、巻き込んじまった」
「どういう……こと」
「俺もまだまだ甘いってことかな? ……情けないけど」
 ダスクモンから漏れるのは優しい声だった。その姿を見て、なんとなく思い出した。いや、それよりも何故忘れていたのだろう?
「ああ、そうだったんだ……!」
 思わず呟く環菜は、既に全て理解していた。この世界で今まで感じていた違和感の正体を。
 そう、この世界には全てが存在しているのだ。ブラックラピッドモンも、渡会八雲の友人である園田靖史も、そして何かを守る守護者としての、真の十闘士としてのダスクモンも、何もかも。欠けている物など何一つ無いのだ。そんな幸せだけれど、どこか歪な世界こそが、今のこの世界だった。いるはずの無い者と出会い、共に在るこの世界の正体だった。
 それが不思議と心地良い。
「そっか、園田君……やっぱり、この世界では――」
 その先は口の中で呟くのみ。――あなたは、誰かを守る者になれたのね。
 嬉しいのか悲しいのか辛いのか。けれど、環菜は満足だったから自然と顔を綻ばせていたのだろう。こんな世界が見たかった。そして自分が望んだからこそ、皆本環菜はこちらの皆本環菜と意識を共有することができた。誰も悲しまない、誰もが幸せに暮らす世界を、ほんの一瞬だけれども環菜は垣間見ることができたのだ。
 だから後悔は無い。少しずつだけれど、意識が遠くなる。
「今のあなたなら……きっと」
 私に勝てるかもしれない。かつてのように私如きに無様に負けないかもしれない。
 この世界はこれからも続いていく。もう自分には関わることはできないのかもしれないけれど、この歪で奇妙で不自然だけれども、誰もが願うだろう平和な世界は確かに存在している。それを環菜は見ることができた。元の世界の路地裏で出会った、ウィズと名乗る奇妙な魔法使いの力で。
 だから躊躇いは無い。中庭の外れ、木陰で佇む奇妙な魔法使いが微笑んでいる。
「では参りましょうか。あなたの世界……元の世界に」
「ありがとう……」
 そんな感謝の言葉と共に、皆本環菜はこの世界での意識を手放した――。













 そんな、夢を見た。


 そうして気付いた時、環菜はウィズと共に元の通りに路地裏に立っていた。腕時計を見ると時間は先程この場所でウィズと出会った時から全く進んでいないらしい。つまり、あちらの世界での数日間はこちらの世界では一分にも満たないということだ。それなのに数日分の記憶が頭の中には流れ込んでいるため、その矛盾で頭がパンクしそうである。
 けれど、それは夢ではない。ブラックラピッドモンと共に戦った記憶も、園田靖史と戦った記憶もある。――そう、どうして忘れていたのかさえわからない彼らの記憶が、今の自分には残っている。
「どうです? なかなかの世界でしょう?」
 自慢げに語るウィズ。確かにその通りだが、認めるのも癪である。
「……でも結局は夢でしょ?」
 そこには全てがあったと思う。こちらの世界では今日初めて出会った上野遼や海山煌麒、更にこちらの世界では名前も聞いていない少女、中村陽菜の姿さえあった。しかしだからこそ、それは同時に夢でしかない。自分と出会うはずの無い人間までもが現れ、ただ世界に在るというだけの、夢の世界でしかないのだ。
 けれど、ウィズは尚も笑って続ける。
「甘い、乙女の肉体並みに甘いですねぇ環菜さん」
「……味を知ってるわけ?」
「私が見せた世界は、ほんの“可能性”にすぎません。こういう世界もあるのだと、こういう世界もありなのだと、その程度の“可能性”でしかないのです。それは確かにあなたの言う通り、夢と切って捨てられる程度の世界なのかもしれません」
 その瞳は真剣だった。おどけた様子など微塵も無かった。
「でも……楽しかったでしょう?」
「!!」
 そうなのだ。どんなに夢と断じようが、所詮は妄想だと切り捨てようが、あの世界が楽しかったことまでは否定できない。海山煌麒は後輩の女の子との関係に悪戦苦闘し、上野遼もまた元気な学園生活を送っており、そして渡会八雲と園田靖史は元通りに友人で、そんな彼らの傍に自分がいる。――尤も、あの長内朱実だけはこちらの世界と変わらず馬鹿をやっていたが、それでも誰もが不幸など感じずに日々を過ごしている、そんな世界。
 だから環菜も楽しかった。それを否定することはできなかった。
「……わかるの?」
「昨日、あなたと同じ制服を着たポニーテールの女の子もそうでしたから」
「長内さん……道理で」
 なるほど、思わぬところで答えを得てしまったようだ。今日の学校で見せていた長内朱実の楽しそうな理由はこれか。彼女もまた今の自分と同じようにウィズと出会い、あの奇妙な世界に生きる夢を見せられたのだろう。あの彼女のこと、やはり楽しげにあちらの世界でも生きていたに違いない。だからこそ今日の彼女はあんなにも楽しそうだったのだろうと思うから。
 ショーウィンドウに映る自分の顔が自然と綻んでいるのを見て、環菜はそう思った。
「夢に逃げることは弱さではありませんよ。夢や空想はあなたが寂しい時、悲しい時の必ずや味方になってくれるはずなのです。……だから人には、想像という力があるのだと、私はそう思います」
「弱さじゃ……ない」
「それにですね、あなたはもう……あの世界の一員なのですよ?」
 そうして最後にウィズは悪戯っぽく笑った。
「どういうこと……?」
「あなたはあちらの世界の少年少女達と共に学び、共に語り、共に笑い合ったはずです。……世界が違うから何だというのです。たとえ離れていても、会えなくなっても、世界が違ったとしても、心だけは繋がっている……違いますか?」
 上目遣いで環菜の顔を覗き込むウィズ。そこから醸し出される不可思議な迫力に圧され、環菜は思わず頷いてしまった。
「そうです。……それが、あなたとあの世界の“絆”です」
 その言葉を最後に、ウィズは風のように姿を消した。
 けれど、環菜に驚きは無い。恐らく彼は最初からああいう存在だったのだ。その存在自体が夢のようとは良く言ったものだと自分でも思う。あの誰もが幸せに暮らす理想の世界という、確かな“可能性”を見せることで彼は間違い無く自分を救ってくれたらしいから、そのことに関しては感謝をしておいてやろう。それで終わりだ、もう彼とは会うことも話すことも無い。
 まずは八雲と遼に謝らなければ。あのままでは気まずいだろうから。
「八雲君、今日はケータイを携帯してるんでしょうね?」
 自分でも矛盾した物言いに苦笑しながら、環菜は携帯電話を取り出して駅へ急ぐのだった。













 これは全くの余談なのだが。


 この環菜達の世界の他の五つの平行世界にも、時を同じくしてそれぞれの世界にて思い悩む少年少女達の前にウィズと名乗る小柄な魔法使いが姿を現したのだという。シルクハットと黒装束を身に纏ったボロボロの姿で。
 魔法使いは彼らに幸せな夢を見せたのだろう。そうして夢を与えたのだろう。
 彼が見せたのは六つの世界を一つに集約させた、誰もが望むだろう理想の世界。そこでは悲しみなど無く、ただ幸せな人々の笑い声が響くのみ。その世界で出会った仲間達は、たとえ近い将来に元の世界へ戻ることがあったとしても、確かに心と心で繋がっている。
 それが絆。一人の魔法使いによって紡がれた世界で生まれた、奇跡の繋がり。それでも、その世界を作った当の本人は苦笑して言うのだ。







 どうやって幸せな世界を作ったのかって? ――試しに混ぜてみただけですよ。












 さあ、共同企画「プレ・ジャム」――ただ今より始まり始まり~♪













最終更新:2010年01月12日 16:28