春は皆が穏やかに過ごせる季節、そうは言うけれど。
彼女にとっては全く関係の無いことである。
「ったく、何なのよ、あの女はっ!」
私立亜名座阿学園の第二食堂に響くのは、如何にも苛立たしげな色を宿す少女の声。
「何か中村さん……今日は一段と機嫌悪いね」
「ちょっ……遼っ! それじゃ私がいつも機嫌を悪くしてるみたいじゃないっ!」
それに軽い苦笑で答えつつ、上野遼は何度も舌打ちしている彼女の前に座った。
妙なことになったと思う遼である。如何に遼とは同じクラスといえ目の前の彼女、中村陽菜には自分より遥かに仲の良い友人が何人もいるのではないか。それなのに、どうして自分などと一緒に食堂まで来ているのか。女の子との付き合いがあまり無い遼としては、流石に普段より少ないとはいえ周囲から向けられる奇異の目が非常に痛い。
今日は土曜日である故に授業は四時間で終了である。ただ、四時間目のホームルームの議題が未だに決着を見ていないため、彼らのクラスは午後まで残ることになってしまった。当然だが、土曜日に弁当など持ってきているはずも無く、クラスメイト達はそれぞれの場所で昼食を取っている。
そんな中で遼は陽菜に引っ張られて第二食堂を訪れていた。要するに、それだけのことだった。
「……で、どうするのさ?」
「何よ?」
「午後からの会議だよ。……加賀美さんには勝てないでしょ、今のままじゃ」
日替わり定食を乗せたお盆を食堂の長机に置きながらも遼は冷静である。冷めていると言ってもいい。このように女の子が相手である場合に若干の緊張こそすれ、本題に入る場合は一切の余計なことを捨て置けるのが遼だった。
そんな彼だからこそ陽菜が相談相手に選んでいるということを、本人だけが知らない。
「それよ。……ったく、どいつもこいつも夏姫の胸にたぶらかされちゃってさ……!」
「それは、その……残念だよね、中村さんの場合」
「どこ見てんのよっ!」
何事も無かったかのように冷めた瞳で語る遼に、いつも陽菜は妙に調子を崩される。
高校入学と同時に所謂幼馴染といった連中とクラスが別々になってしまった陽菜には、正直に言えば現時点で友人は多くないのかもしれなかった。元来誰とでも打ち解けやすいとされる性分を持つ彼女ではあるのだが、今のクラスでは仲良くなる人間よりも気に入らない女の存在の方が大きすぎて、その女とのギスギスした関係の所為で他の女子からも少々避けられている嫌いすらあった。
その気に入らない女というのが加賀美夏姫という少女である。高校生離れしたプロポーションと身体能力、そして人間離れしたブラコン精神と、あらゆる意味で個性的すぎる女子生徒。四月の始業式から早一ヶ月、似た者同士であり同時に正反対な気質も持つ陽菜と彼女は事あるごとに対立してきた。
そうして今日。六月の移動教室を林間学校にするか臨海学校にするかという議題が行われる今日のホームルームに至ったわけである。
「なになに? 悩み事?」
そんな二人のところに、厨房の奥から楽しそうな顔でやってくる女性が一人。
「あ、竹中さん」
「珍しいCoupleねぇ……どうかした?」
家庭的なエプロンを首から掛けつつも身に纏うのはスパッツとタンクトップという活動的な様相の彼女は、本学園の食堂にて働いている竹中穂波という女性だった。年齢は19歳だから陽菜や遼とも大して変わらない。彼女だけに限ったことではないが、本学園にはこうした年齢や性別に関わらず実力とある程度の素質さえあれば当人の人格に関わらず職員または事務員として採用する、そんな風紀がある。これも偏にルーチェモン理事長の人徳なのだろう。
だからなのだろうか、この学園にて働く者達は生徒達以上の愛校心がある。
中でもこの女性、竹中穂波は昨年度までこの学園の生徒だったこともあって、その愛校心は並大抵でない。昨年度の生徒の中でも大学へ進学すること無く本学園で働くことを選んだのは彼女ぐらいである。尤も、そこには大学受験に失敗したという理由もあるのだが、とにかくそういうことだ。
「あ、聞いてよ穂波さん。今日ウチのクラスでホームルームやってるんだけどさぁ」
「……陽菜ちゃんとこの担任って、確かゴワス君よね」
エプロンを取り払いつつ穂波は陽菜や遼の向かいに腰掛ける。健康的な太股が少々眩しい。
「あれか、もしかして移動教室の話?」
「そう、そうなのよ!」
「それに関連して、ちょっとした話題が……」
陽菜には細かい説明をしようという気が全く無いため、必然的に話を進めるのは遼になる。
「へえ、昔は私も良く……って、誰が年増だゴルァ!」
「……誰もそんなこと言ってないんですけど」
「穂波さん! そんなことより聞いてよ! 私は嫌なんだからね、臨海学校なんて!」
「いや、いきなり言われてもCannot Understandなんだけど、流石の私も」
とりあえず説明をしてくれと言いたげな瞳を陽菜に向ける穂波であったが、陽菜は意にも介さない。
陽菜としては年上の穂波相手だろうと敬語を使う気は更々無い。穂波の方としても下手にそれを強制すると陽菜の持つ本来の良さが失われてしまうかもしれないと考えているため、特に気に留めることはしない。だから同年代の相手に対しては何かと口うるさかったりテンションが高かったりする穂波も、彼女の前では人生の先輩としての態度を崩さない。
こんな感じでも二人の関係は結構上手く行っている。前に一緒に商店街を歩いた時には姉妹に間違われたこともあった。要するに竹中穂波は中村陽菜にとってお姉さんなのである。
「はいはい。……じゃあ、とりあえず経緯を話して?」
「うん! じゃあ遼、説明は任せたから!」
「……だと思ったよ」
どこまでも面倒なことは人任せな友人に、遼はため息を吐く。
数刻前、亜名座阿学園高等部1年A組。
土曜日の三時間目及び四時間目にロングホームルーム、略してLHRを割り振られているこのクラスは、どうした理由からか学年でも教師達に何かと目を付けられる問題児が多く揃ったクラスである。その筆頭が廊下側の最後尾に座る加賀美夏姫と、教室の中央に席を持つ中村陽菜の二人だった。別に彼らは素行が悪いというわけではない。夏姫は基本的には真面目で人の話も良く聞く生徒であったし、陽菜もまた少々うるさい部分こそあるが所謂不良と呼ばれるような行為は何一つしていない。
そんな二人が何故教師に目を付けられたのかといえば、それは互いの仲が頗る悪いということに集束される。この二人は顔を合わせる度に見苦しい口喧嘩をするのである。流石に女子だけに殴り合いにまでは発展しないが、それでも迷惑なことに変わりは無い。そのためか、学園側は彼女達のストッパーとなるべき人間を用意した。
それがこのクラスの担任である武蔵丸雷電、その恰幅の良さから通称ゴワスと呼ばれる教師であった。
『今回の移動教室、概要は以上でゴワス。……何か質問は?』
『はいっ!』
ちらほらと手が挙がる。その中でも最も勢い良く手を上げたのは夏姫である。
『では……加賀美女史』
『関係無い物を持って行ってはいけないってゴワス先生は言いましたけど』
『うむ』
『じゃあ弟も持ち物に入りますよね? アタシの弟ですし』
ズコンッ! そんな夏姫の言葉に快音を立てて額を机に叩き付けたのは、部屋の中央に座る中村陽菜であった。
『……中村女史?』
『夏姫ぃ……あんた馬鹿!? どこの世界に弟を連れてく学生がいるってのよ!』
『馬鹿ね陽菜、ここにいるじゃないのよ』
『違う! 反語表現! ていうか、それ開き直りだから! はい! 私からも質問!』
互いに互いが絡むと自然と厚くなるのが彼女達の悪いところである。
『何でゴワスか、中村女史』
『お菓子は五百円までとか言ってたけど、バナナはお菓子に――』
『……入らないわよ?』
言い終える前に夏姫がボソッと呟く。
『何であんたが答えんのよ!?』
『いや、馬鹿でもわかるでしょ、それは』
『つまり私は馬鹿以下ってことぉーっ!?』
どちらかといえば快活な方である夏姫とて、この元気の塊のような人間である陽菜に対しては自然とツッコミ役になることが多い。
そして売り言葉に買い言葉である。喧嘩っ早い陽菜は夏姫の何気ない指摘に過敏に反応してしまい、反対に夏姫の方も陽菜に何かと絡む。そうなったら二人の口喧嘩はなかなか止まらない。今日も朝のホームルーム直後に二十分近い口論を交わしたばかりである。
『えぇい! 落ち着くでゴワス! これから移動教室の行き先を決めねばならんでゴワスよ!』
『……何ですって? 行き先……?』
『如何にも。臨海学校にするか林間学校にするか、他のクラスの希望は既に出ているでゴワス。それを集計したところ現時点では五分と五分、つまり多数決である以上は我がクラスの希望がそのまま学年の総意となるのでゴワス!』
ゴワス教諭が熱弁しつつ教卓を勢い良く叩く。何気に痛かったらしく、手を赤く染めて顔を顰めている。
自由な校風で知られる本学園にて六月に行われる移動教室の行き先は、原則として生徒達の決定に基づいている。そのため、この時期になると各クラスのホームルームにて希望を取り、学年の総意が決められることになる。そんな中で他のクラスの希望の合計は林間学校と臨海学校が二票ずつで全くの互角と聞く。それ故に陽菜や遼達のクラスの希望が自動的に学年の決定となるのである。
そして、ここでもまた陽菜と夏姫は言い争うことになる。
『林間学校よ!』
『……臨海学校でしょ、普通』
いきり立つ陽菜と冷淡に告げていく夏姫は正反対。
正直に言えば、他のクラスメイト達は移動教室というものにそこまでの興味があるわけではない。ただ、既に恒例行事と化した陽菜と夏姫の言い合いを面白がっているだけである。その所為か、自然とクラスの意見は真っ二つに割れる形となる。
両者が何か言葉を発する度に「あ、じゃあ林間学校にする」とか「やっぱ臨海学校だよな」とか、幾人かの生徒が立場を変えたりもしたが、結局は決定的な変化が訪れない。
『日本は島国だからね、臨海学校の方が行き先にバリエーションが出るわよ?』
『正論だね。……では僕もやはり臨海学校の側に回らせてもらおうかな』
夏姫の言葉に出席番号一番、青山怜治が普段通りの冷笑を以って彼女の後ろに付く。
『怜治、あんた……!』
『……ふふ、相変わらず頭が足りないね、中村さん』
『ああん!? 誰が頭足りないって!?』
容赦の無い口調でどこか挑発的な台詞を吐いていく青山怜治は、このクラスの中でもダントツに成績の良い男子生徒である。何しろ既に海外では大学を卒業しているというのだから驚きである。少々嫌味なところこそあるが、なかなか整った顔立ちをしているため、それなりに学年の女子からの人気も高い。――尤も、陽菜や夏姫には見向きもされていないわけだが。
そんな彼は上野遼のことを何かと買っており、事ある毎に彼に絡んでいる姿が見受けられる。
『何故お題の使用キャラとして選出されていない僕が出ているのかって? ……ふふ、この作者はどうやら僕のことを気に入ったようだからね』
『何食わぬ顔でメタ的な台詞吐いてんじゃねえわよっ!』
『おっと、相変わらず乱暴だな』
とりあえず叩き込まれた陽菜の鉄拳を、怜治はヒラリと避ける。
『ならワイも臨海学校ってことで頼むわ』
『大地、あんたまで!?』
エセ関西弁を用いる長谷川大地もまた徐に立ち上がると怜治に続いて夏姫の側に付く。
怜治と大地の移動によって若干臨海学校派が多くなるが、結局クラスの総意が決められないままチャイムの音色が鳴り響き、異例の土曜日の午後まで残ることになってしまった。
そんなこんなで、陽菜と彼女に強引に付き合わされている遼は、なんとかして午後の会議が始まるまでに逆転の秘策を練らねばならないというわけである。
「――というわけなんですよ、竹中さん」
「うん、そうなのよ!」
「つまり陽菜ちゃん達は、なんとかして林間学校にしたいわけよね?」
「そゆこと! だから穂波さん、一緒に作戦を考えて!」
自分は何も話していない癖に妙に偉そうな陽菜である。
その真正面に座る穂波は数秒間だけ何かを思案するように瞑目していたが、結局のところ何も良い考えが浮かばなかったらしく、ため息を吐きつつ静かに首を振った。やれやれといった表情で首を振る彼女は、どうにも普段の穂波を知る者からすれば違和感を覚える姿だろう。だが実際、陽菜の前では必要以上にお姉さんぶろうとする穂波には、概して今のような面が存在するのである。
彼女が自分に期待していることが表情だけで理解できるだけに、なんとかして陽菜の手伝いをしてあげたいとは思うのだが。
「……じゃあ一つQuestionしてもいい?」
「何ですか?」
「二人は何で林間学校に行きたいの?」
こういう時、素っ気無く「そんなことはクラスの友達と話し合えば?」という尤もな正論を言わないところが穂波の美徳である。ただ、これは常に相手と同じ目線で物事を考えると言えば聞こえは良いが、彼女の場合は単純に性根が単に高校生と殆ど変わらないというだけのことだった。要するに子供なのである。
ただ、そんな穂波の質問に遼はともかく、陽菜は僅かに怯んだようだった。
「き、決まってるじゃない! 臨海学校なんて嫌だからよ!」
「考え方がMinusねぇ……遼君は?」
「僕はあまり山とか行ったことが無いので……」
海に面した地域で暮らしていた遼としては、山中へ足を運んだことは殆ど無い。家族で旅行する時も常に沿岸部であったし、登山やキャンプなどの経験も当然無い。小学校や中学校の遠足で丘陵地帯のハイキングをしたことが関の山である。もちろん小中学校通して修学旅行の行き先は海であった。
尤も、遼が林間学校派に回った理由としては陽菜に付き合わされていることの方が大きいのであるが。
「……できれば山に行ってみたいなとは、思います」
「なるほどねー」
そんな遼の目を見て穂波は少しだけ口の端を上げる。彼の口調から滲み出ている純粋な思いという奴が心地良い。本当に林間学校に行きたいのだと感じさせてくれる。それに引き換え、陽菜の方はといえば。
「海なんて嫌よ! 暑いし直射日光ギンギンだし人は多いし!」
「それじゃ駄目でしょうが……」
「は? 穂波さん、それどういうことよ?」
「あのね陽菜ちゃん、だったら――」
「そんなに林間学校にしたいのなら、ただ臨海学校を嫌だって言うだけじゃ駄目でしょう。……やっぱり林間学校のいいところも挙げていかなくちゃ。……ね?」
「そうそう、私はそう言いたかったのよ……って!」
自分の言いたいことを勝手に引き継がれた穂波が振り返ると、そこには彼女より遥かに年上な大人で(重要)更に遥かに綺麗な(もっと重要)女性がいた。
「人の言おうとしたことを……チョベリバです、吹雪さん!」
「……あら、それはごめんなさいね?」
いっそ清々しいまでの微笑を浮かべたこの綺麗な女性は海山吹雪、名前からわかる通り陽菜や遼の一つ上の学年の中でも稀代のイケメンとして知られた海山煌麒の実の姉である。
弟よりも十歳年上の彼女は、かつては商社のOLだったということもあり、如何にもできる女の風体をしている。現在はこの学園で事務員をしている。弟に似て(逆?)目鼻立ちの整った顔立ちをしているし、背も高いのでモデルにでもなれそうな印象を受ける。前に学年の男子、中でも結構なゲス野郎が多い陽菜のクラスの男子生徒が、事務室に書類を取りに行くという口実で彼女に会いに行こうとしたことは記憶に新しい。無論、その先陣を切ろうとしたのは言うまでも無く、あの長谷川大地である。
ただ、結果的にその目論見は彼女が事務室で二年生の男子とストロベリーな空間を作り出していたことで、見事なまでに失敗に終わったのだが。
「ったく、吹雪さんは相変わらず空気読めないところがあるんですから……」
「……穂波さんに言われちゃ終わりの気もしますが……」
「ふふふ遼君、今何か言った? 穂波ちゃん、ちょっと聞こえなかったんだけどぉ?」
「いえ、別に何も」
にべも無く穂波をサラッとあしらう遼である。
| 覗き、それは純粋なる願いロマン |
同時刻、こちらは山岳部の部室に足を踏み入れた遼である。陽菜がその部室の前で上級生の男子二人と顔を合わせていることなど、当然だが知る由も無い。彼女が如何に底知れなさを感じていようとも、この上野遼とて所詮は高校一年生の男子でしかない。陽菜の目に遼が全く緊張していないように見えたのならば、彼は単にそういうフリが得意というだけで、内心には少なくない緊張が走っていた。
ただ一点だけ遼が陽菜より緊張していない点を挙げるなら、それは山岳部の顧問が彼の良く知る女性だからということがあるだろうか。
「あら? 誰かと思えば、見学者って遼君だったの?」
「こんにちは、浅賀さん」
「学校では浅賀先生……でしょ?」
先程の吹雪とは異なり、多少なりとも着崩したスーツで部室の奥の椅子に腰掛けている女性は遼の現保護者である浅賀という女性だった。彼女は同時に本学園の教師も勤めているため、遼にとっては同級生以上に気心の知れた人間の一人だ。その関係から遼も高等部への繰り上がりと同時に山岳部への入部を勧められていたのだが、曖昧な言葉で誤魔化し続けて今に至る。
隣のクラスの担任でもある彼女はつまり、後々に移動教室へ随伴する教師でもあった。
扉のすぐ傍の椅子でペーパーバックを読んでいる一人の女子生徒に軽く会釈した遼だったが、あちらは気付いてもいないのか何も反応してこなかった。また長椅子の上で一人の男子生徒が盛大な鼾を立てているが、他に部員の姿は見られない。だが山岳部に関しては、浅賀が顧問をしているということ以上の情報を遼は知り得ないので、その意味では少なくとも二名も他の部員がいる状況は少々やり難くもある。
遼は勧められるままに浅賀のすぐ隣の椅子に腰掛けた。
「それで、どうしたの? まさか山岳部に入ろうってわけじゃないんでしょ?」
「……移動教室の件は聞いてますよね?」
「ええ。林間学校か臨海学校かをまだ決めあぐねているのよね?」
我が意を得たりといった表情を浮かべる浅賀。
「そうなんです。……色々あって、まあ結果的に僕らのクラスの決定が学年の総意になるらしいんですけど」
「遼君は林間学校に行きたいってわけだ?」
「流石に全てお見通しなんですね、浅賀さんは」
思わず苦笑が漏れる。殆ど家族のような関係だからこそ、彼女とは話しやすい。明確な言葉で言い表すことはできないかもしれない、けれど彼女は間違い無く上野遼にとって大切な人間なのであろう。
先程穂波にも話した内容を、遼は浅賀にも掻い摘んで話すことにした。クラスで林間学校派と臨海学校派との間で激しく議論を戦わせていることや現時点で林間学校派の自分達は少々劣勢であること、そして何よりもそんな中でも自分は林間学校に行きたいのだということ。その正直な思いを、遼は母親でもあり姉でもあり恋人に近い存在ですらある女性に、ただ真摯な言葉で伝えた。
「じゃあ遼君は山へ行くことの魅力を聞きにここへ?」
またも見透かされたので、再び苦笑しつつ首肯。
「山の魅力……か」
「温泉ニ決まってイるだロウが!」
その時、今まで椅子に寝転んでいた男子生徒が突如として立ち上がり、そんなことを叫んだ。
「なっ……こ、この人は……!?」
制服の襟元を見た限りでは高等部の三年生、つまり遼にとっては先輩である。だが身長こそ高いのだが、その軽薄そうな顔付きや浅賀以上に着崩した制服の所為で、その雰囲気が異様なほどに子供っぽく見える。ギラギラと妖しい輝きを放つ漆黒の瞳は、まるで少年のようだった。
そんな青年の唐突な叫びにも浅賀は全く慌てずに静かに告げる。
「あら前田君、起きたんだ」
「無論だ、浅賀サん。……山ノ魅力といエば豊かな自然に囲まれた岩場、そコに立ち上ル湯気、煌く肢体、そノ最奥に位置する漢達の夢ニマで見た桃源郷! こレニ限ルと相場は決まっテイるノだぁ!」
「お、温泉?」
そこで男子生徒は初めて遼の存在に気付いたようだった。
「むっ、見ネえ顔だナ小僧。……見学か?」
「……ま、まあそんなところです」
「先ニ言っテオくが、浅賀サんは渡サね――ひるでがはっ!?」
何故か両拳を握って力説する男子生徒の頬に、いきなり筆箱が突き刺さった。当然だが彼は大きく弾き飛ばされて壁に激突し、昏倒して動かなくなる。
「天斗君……うるさいわ?」
「は、ハニー……相変わラず激しイ……ぜ……ぐフっ」
「……そう? それは良かったわね」
それ以上の言葉は無かった。筆箱を片手で、それも座った状態から投擲した件の女子生徒は、何事も無かったかのように読書を再開する。遼としてはツッコミを入れるべき箇所が多すぎて逆にツッコミを入れられないので、こちらも何事も無かったかのように対処することにした。
浅賀が軽く説明してくれたところによると、この二人が現在の山岳部の主力ということらしい。
「まあ前田君が言うから変な風に聞こえるけど、確かに温泉も一つの魅力ではあるわね」
「……この学園の保養施設に温泉なんてあるんですか?」
「そりゃね。……理事長がゴリ押しで温泉のすぐ傍に宿舎を立てたものだから」
机の中から浅賀が取り出したパンフレットには、確かに某有名温泉のすぐ傍の住所が記されている。ページを一枚捲ってみると、確かに温泉で戯れる女子生徒の写真があった。良く見ればその写真の被写体は、遼の先輩である渡会八雲の知り合い、長内朱実と皆本環菜ではないか。この二人、特に長内朱実の方は先日のバトル大会で手合わせする羽目になったので良く知っている。
体にタオルこそ巻いているが恥じらう様子も無くピースする朱実と、少しだけ俯き加減ながらも横目でカメラに目線を向ける環菜が対照的だ。――そもそも、誰がこんな写真を撮ったのだか。
「温泉……ですか、確かに」
魅力的ではあると思う。少なくともクラスの女子に上手く話すことができれば、彼女達を味方にすることもできるかもしれない。ただ、それだけでは少し弱いか。
その時だった。唐突にドサッと何かが地面に落ちる音が響く。後ろを振り返れば、そこには学生鞄を取り落としたクラスメイトの長谷川大地の姿があった。驚愕に目を見開き、まるで幽霊でも見たような表情で壁際にて昏倒している前田という先輩のことを見つめている。
彼の姿があったことに、遼は少々驚かされた。まさかとは思うが。
「大地君? もしかして君、山岳部だった――」
「さ、流石は天斗はんや! ワイとて、その発想は無かったわ……!」
どうやら山岳部所属だったらしい大地は、奇妙にワナワナと震えている。
「温泉! そうや、温泉や! 臨海学校なら水着姿まで、だが温泉なら完璧にZENRAや! ぬおおおおっ、燃えてきたでぇーーーーっ!」
「ど、どういうことさ……? 僕には全く意味がわからないんだけど……」
「なんや、つれへんな、センセ。まあいいわ……ワイとお前の仲やないか~」
いつの間にか遼の存在に気付いていたらしい大地は、不気味に手足をクネクネさせながら近寄ってくると、躊躇も無しに遼の首に手を回した。
「覗きや、覗き。……上手くすれば、あの加賀美はんのZENRAが見れるんやで? くくく、それを写真に収めることができれば、少なくとも一週間は困らんがな」
「な、何にさ……」
「嫌やなぁ、わかっとる癖に。……それにな、加賀美はんの写真なら高く売れると思うで? 最低でも五百円はボッタできるわな。くっくっく、上野屋……お主も悪よのぅ、くっくっく……」
「悪は明らかに君だろ!?」
「ま、そーいうわけや。ワイはクラスの男子に知らせてくるから、後は任せてーな」
そんな言葉だけを残し、それは風のように長谷川大地は部室を飛び出していった。
覗き。それはつまり、入浴中の女子生徒の生まれたままの姿を隠れた場所から見るということだろうか。アニメや漫画では良く見るシチュエーションではあるが、実際に存在する行為だとは知らなかった。少なくとも自分が今まで生きてきた中では全く縁の無かった言葉だと思う遼である。
それに何よりも遼にはその手の興味がまるで無いときている。知識としては多少なりとも持っているのだが、それが自分に如何なる効用や影響を齎すのかは全く知らないのだ。だから大地が先程事も無げに告げた『使う』という言葉も意味としては理解できても、何のためにそんな行為をするのか、そもそも何かその行為をすることでメリットがあるのかということはまるでわからない。
ただ、クラスメイトにして友人の冨田有香や犬飼美樹など数名の入浴シーンを覗くことを考えると、少しだけ頬が赤くなるかもしれないとは思った。――残念ながら、その数名の中に先程まで一緒に行動していた陽菜の名前が無い辺り、遼は薄情者なのかもしれない。
「遼君もいい友達を持ったわねぇ?」
「……いい友達ですか、彼は」
確かに決して悪い奴ではないから否定はできないのだが、いい友達かと聞かれれば必ずしも首を縦には振れないとも思う。
「あの積極性は遼君も少しは見習うべきね」
「それは……確かにその通りです」
こういう時、浅賀は遼にとって母になる。その感触は遼からしても居心地の悪いものではない。
「ふふ、覗きかぁ。……ちょっと林間学校が楽しみになってきたかも」
「……毎日風呂上がりに全裸で牛乳飲んでる人が何を言うんですか」
「酷っ!」
壁に掛かった時計を見ると、間も無く昼休みも終わる時刻だ。軽く会釈をして部室を出て行こうとする。
「……待ちなさい」
「はい?」
「餞別。……上野君だったわね」
唐突に遼を呼び止める声は、壁際で小説を読んでいた女子生徒のもの。先程までの無表情さとは打って変わって楽しそうな笑みで遼のことを見つめている。無造作に纏められた髪は乱雑で顔立ちにも男性っぽさがあり、所謂中性的な雰囲気を持つ彼女は、それらとは反対に柔らかな女性そのものといった声で遼を呼び止めた。
その彼女が軽く放った何かが、遼の右手に収まる。果たしてそれは、ボタン程度の大きさを持つ何らかの機械のようだった。何の用途に使うのだろうか。
「私が開発した超小型の盗撮用カメラ。……あなたに託すわ」
「は?」
「……覗き、頑張ってね?」
今日も一つ学んだ。――この学校、今更だが良くわからない人間が多すぎる。
チャイムが鳴り響く直前になって遼は席に戻ってきた。どこか疲れた顔色のようだが、同時に何らかの手応えでもあったかのような晴れやかさもあるように思える。少なくとも先程の遼とは全く様子が違うように陽菜には思えた。自信に満ち溢れている感じがする。
斜め前の方で友人と談笑している加賀美夏姫をチラッと見やる。結局まともな策は見つからなかったが、このままで彼女相手に勝つことはできるのだろうか。
「中村さん、何か機嫌悪そうだね」
「……別に」
「エリカ様? ……古いよ、そのネタ」
「ネタじゃないっての!」
渡会八雲に色々とムカつかされたので、あの後で中等部の加賀美冬梧に会いに行った陽菜だったが、今日が土曜日だということをすっかり忘れていた。当然だが冬梧は既に帰路に着いており会うことは敵わず、隣のクラスの泰祐や静もまた二人でどこかに遊びに行ってしまったということらしいので、遼と別れて八雲と会った後は何をするわけでもなく、ただ淡々と昼休みを過ごすしか無かったのである。
とはいえ、何か妙ではあった。数分前に帰ってきた長谷川大地が窓際の男子達に何かを囁くと、その男子達は突然陽菜の席にやってきて林間学校派に鞍替えする旨を表明し始めたのである。
大地を含む鞍替えした連中を頭数に入れれば、これで人数的には互角。多数決なら負けることは無い。
「どゆこと……!?」
「大地君達、どうやらこっちに付いてくれるみたいだね」
「……遼? あんた、どーいうことか知ってるわけ?」
そう聞いたところでまともな返答が得られるわけも無く、遼は相変わらず「さあね」と取り付く島も無い言葉だけを残して席に戻る。
「ま、いっか……」
そんな彼の態度に釈然としない感覚を覚えながらも、陽菜はそれ以上の詮索を試みようとはしなかった。悔しいことだが上野遼という男は自分より幾分か上手であるようだし、そんな相手の口を割らせるような達者な口を自分は持ち合わせていない。また飄々とした態度で誤魔化されるのが関の山である。そういう意味で、普段こそ半ばパシリのように遼を振り回している陽菜ではあるが、その実こういう時にはむしろ彼が自分を翻弄しているのではないかとも思えてくるわけである。
チャイムが校内に響き渡るが、担任のゴワスが入ってくることは無い。彼も仮にも教師である、土曜の午後はそれなりに忙しいらしく、後は生徒達の間でなんとかしろという方針らしい。
「人数は互角……追い着いたわよ、夏姫!」
「いきり立っちゃって……んじゃ、まあ決戦かしら?」
頭数だけなら互角に持ち込んだ。そうであるにも関わらず、夏姫は相変わらず不敵な表情で慌てる様子を微塵も見せない。何か勝算があるのだろうか。
腕を組んだまま立ち上がった夏姫は、悠然とした動作で陽菜の前まで歩いてくる。なんとなく見下ろされることが嫌で思わず立ち上がってしまった陽菜ではあったが、当然のように元より身長差は凄まじいので結局見下ろされることに変わりは無かった。状況的には全くの五分と五分だというのに、こうして見下ろされているだけで負けているような気になるのは何故だろうか。
だから、そんな思いを振り払うように叫び散らす。
「とっ、とにかく! 決戦ってどうするの! まだディベートするの!?」
「あんた馬鹿? これ以上言い合ったところで水掛け論でしょうが……」
「馬鹿言うなっ! 中間試験だって全教科赤点じゃないんだからね、私ってば!」
そんな彼女の叫びにクラス中から失笑が漏れ、陽菜も数秒後にハッと気付いて顔を赤くする。
「な、何言わせんのよ!?」
「……あんたが勝手に言ったんじゃない?」
嘲笑する夏姫。弟が絡む時には全校生徒が恐れるほどの狂気に走る彼女ではあるが、それ以外の時の彼女はむしろ驚くほどに普通の女子生徒である。適度に快活で適度に冷淡な彼女は、その点では常に明るいどころか暴走気味に振る舞う陽菜とは正反対の生徒とも言えるのかもしれない。
そんな彼女の手からスッと一枚の紙が滑り落ちる。――凄まじくわざとらしい動きで。
「ぬっ……こ、これは、まさか!?」
「加賀美殿の試験でござるか!」
「馬鹿な……ぜ、ゼロが二つ並んでいる!」
「ダブルオー! だ、ダブルオーとでも言うでござるか!」
そんな紙を拾った二人の男子生徒が驚愕の声を上げ始めた。何故か彼らの視線はその試験用紙と思しき紙と夏姫の胸部を行ったり来たりしている。この点は彼女にこそ相応しいでござるとか、まさにダブルオーだとか、そんな良く意味のわからない言葉が二人の口からは漏れていた。
見た目や弟に対する偏執ぶりから良く勘違いされるが、こう見えて夏姫は成績優秀な生徒である。サボることなど論外で授業中は寝ることも無く真面目にノートも取っているし、試験前には熱心に教師に質問にも来る。
だからこの成績は言わば取るべくして取った点数だとも言えよう。要するに、100点満点であった。
「な、何よ見せびらかしちゃって! そんなテストの点なんか今は関係無いんだからねっ!?」
「そりゃそうでしょ。……ったく、あんたは本当にわけわかんないことばかり」
「私からしてみれば、あんたの方が全くわけわかんないから、そーいうこと言わないで欲しいんだけど……」
「はいはい。……それじゃ来なさい? ゴワス先生がグラウンド貸切にしてくれたからさ」
それだけを言うと、夏姫は臨海学校派の生徒達を伴って教室を出て行く。目線だけで示されたから陽菜にも良くわからないが、どうやら一緒に来いということらしい。
そんな彼らの行動に釈然としない何かを感じながらも、陽菜もまた林間学校派の生徒達に軽く目配せをして彼女達の後に続くことにする。何故か大半が男子生徒で占められている林間学校派ではあるが、彼らもいつの間にか自分をリーダーと認めてくれているらしく、特に文句も無く従ってくれた。別段リーダーになろうという気も無かった陽菜なのだが、これはこれで嬉しい感触だ。
そんなわけで高等部1-Aの生徒三十数名は校庭に移動を開始するのだが――
さて。
ここから先は男の妄想が文字通り溢れ出ている、大変痛いシーンである。本来なら惜しみ無く発表すべき箇所であるのかもしれないが、ここはインターネットにおいて小説を公開しており不特定多数、特に女性の方が読まれるという可能性も存在する以上、今回ばかりは自重しようかと思う次第である。無論、作者とて当初は決して書くつもりでは無かったのだが、登場キャラの持つ何かが作者を抑え切れなくしたということだけは明言しておく。勘違いしないで頂きたいのは、作者は決してこの手の描写が嫌いなわけではない。むしろ好きであるが、ここは自重するつもりであった。だが乳が。
……え~、ゴホン。
湯気の立ち上る岸壁。そこを超えた先に漢達の浪漫の源泉、女子風呂はある。
そこに響いているのは、年若い女の子達のキャッキャウフフな声。万が一にもその光景を前にすれば、漢達の脳裏が一瞬にしてピンク色に染め上げられていることは想像に難くない。現に岸壁の向こう側には稀代の女好きとしても知られる長谷川大地他数名の男子生徒が待機しているのかもしれなかったが、そのキャッキャウフフな女の子達には全く気にならないことであった。
一糸纏わぬ姿の女の子(子じゃない人も混じっているが)達の声は、十二分に男達の煩悩を刺激しよう。
『うっは! いい気持ちっ!』
その先陣を切って派手に風呂に飛び込んだのが最も色気の無い少女であることは言うまでも無い。
誰とは言わないが、要するに彼女は子供である。女らしいというのとはまた違った意味で、体付きがまだ全体的に子供っぽい。それが発育途上なのか既に未来が見込めないのかは神のみぞ知ることであるが、普段なら時折見せる大人っぽさも一糸纏わぬ今の状態では全く感じさせず、全く以って彼女は子供であった。――無論、それはそれで需要があることも事実であるのだが。
ある男は言う。見た目は子供、頭脳は大人。――そのギャップがいいのだと。
『ほらほら陽菜ちゃん、温泉なんだから泳いだら駄目よ?』
そう言いながら落ち着いた様子で湯船に体を預けているのは、1-Bの担任である浅賀だった。
彼女の魅力は、何と言っても年齢から来る適度に熟した空気であろう。誰とは言わないが前述した彼女とは正反対な容姿を持つ彼女だったが、濡れて半分ほど透けた手拭いで前を隠すことも無く、ある意味で誰とは言わないが前述した彼女以上の豪胆さを持っているのかもしれない。色々と仕事疲れもあるのだろうが、殆ど肌も荒れていないし逆に余計な肉が付いていることも無い。肩から腰、そして太股に掛けてのラインは何か武道を嗜んでいるのかと思えるほど引き締まっている。これは高校生、言ってしまえば未だに発展途上である少女達には出せないアダルトな魅力と言えよう。
『いいじゃない、クリステルちゃん。……今ぐらいは……ね?』
『吹雪。……まだそのネタ引っ張るわけ?』
『ふふ、まあ気にしないの。……皺が増えるわよ?』
振り返りつつ女の大敵の存在をサラッと示しつつも、海山吹雪は穏やかな笑顔。
浅賀が適度に熟した女の魅力を持っているとするならば、吹雪は年齢に反した若々しい魅力が持ち味と言うべきだろうか。この姉にしてあのイケメン弟あり、まさに血は争えないという奴である。壁際で洗面器にて体を洗っている彼女は浅賀とは反対に手拭いで前を隠しながら、柔らかな微笑を以って湯船の方を見返している。普段はほっそりとした印象の強い吹雪であるが、衣服を脱ぎ捨てた今ではむしろ肉感的な肢体を外気に晒している。所謂着痩せするタイプという奴なのだろうか、彼女は。濡れた黒髪が滑らかな曲線を描く背中のラインに流れている様はどこか扇情的な感覚すら覚えさせる。確かに学園の男子が大挙して事務室に押し掛けるのも頷ける、芸術的な美しさであった。
大人の女二人に挟まれていると、この誰とは言わないが前述した彼女も少々肩身が狭いらしい。
『ぐ、ぐぬぬぬぬ……!』
『中村さん、落ち着いて。あの二人は大人だもの、流石に勝てないわよ……』
『……あんたも少し上から目線よね、千春』
並んで湯船に浸かっている百合原千春もまた、学年では結構な美少女で通った女子生徒である。だがウルトラスーパーデリシャスハイブリッドアミューズメントスターギャラクシーアルティメット心苦しいのだが、この百合原千春は残念ながらお題のキャラではないのでZENRAを描くことは断念しようと思う。同じ理由で今まで登場させようとしていた犬飼美樹及び冨田有香の両名も除外させて頂く。期待した方はいないと思うが、こういったところで奇妙な意地を通すのが作者なのである。
そんなところで、最後に主役の登場となる。
『はぁ、疲れた……』
『……むっ、やっと来たわね夏姫――って、ムネーーーーーーーーッ!?』
『陽菜に……千春? どうしたのよ、そんなデッサンの崩れた顔して』
『どうしたのって、ちょ! おま! メロンが! 有り得ないところにメロンがあるわよっ!?』
そんな感じで陽菜が思わず絶叫してしまうほど、彼女のアレは凄まじかった。無論、制服の時点で十分にその存在を誇示していたわけだから予想はできていたことである。だが衣服という枷を取り払われたソレは、予想を遥かに上回る異様さを見せていた。いや、もう女子高生のレベルではない。この旅館で借りられる中では最大のサイズのバスタオルだというのに、余裕を持って包み切れていない。そもそもバスタオルがバスタオルの意味を成していない。本人もそうだが自己主張が激しすぎるのではないだろうか。
陽菜からすればそれは、別世界の生き物ですらあった。黄金率などクソ喰らえ、胸部だけを極限までに強化されたその生き物は、もう想像を絶する以外の何者でもない。胸の馬鹿デカさに比べて、その尻のなんと慎ましいことか。作者がエロければ勝手にスリーサイズを決めているところである。
どうやらバスタオルの端でも固定できないらしく、少しズレたタオルを『……んっ』と何故か色っぽい声を出して直したりしている。この場に男がいたら、その行為だけで全てが終わることは間違い無いだろう。既にそれは核兵器である、ジェネシスである、メメント・モリである。
『夏姫? ……はしたないから早く体でも洗ってらっしゃいな? ね?』
隣で千春が呟く。――その目障りな胸を早く視界から消しやがれコノヤロウということらしい。
『えっ? まあわかった……ちょっと行ってくるわ』
『……早く行けっ』
『???』
全く意味がわからないといった様子で夏姫は首を傾げ、シャワーの方へ向かう。
そうして吹雪の隣に腰掛けた夏姫が蛇口を捻ると、再び周囲には静かな水の音だけが響き渡ることになる。吹雪は何やら夏姫に話し掛けているようだが、どうせ胸が大きいだの胸が大きいだの胸が大きいだの、そんなことだろう。それよりも誰とは言わないが前述した人及びその隣の千春は自然と静かな水の音だけに傾けられている。
これは髪を撫でる音、これは頬を伝う音、これは胸に当たる音、これも胸に当たる音、また胸に当たる音――胸に当たってばっかじゃねえか!
『ねえ千春。……私の頭、少しばかりハルマゲドンなんだけど』
『あら、偶然ね中村さん。……私もよ』
そうして黙って湯船に沈んでいく。
誰もが気付いたであろう。――作者は馬鹿である。
「へぶあっ!?」
そう、その光景こそが漢達が夢にまで見た、遥か遠き理想郷アヴァロンだった。
「な、何よ?」
校庭に出た途端、後ろを歩いていた林間学校派の男子達が凄まじい奇声(というより嬌声に近い)を上げたので、陽菜は半ば飛び上がるようにして背後を振り返った。そうして見てみれば、彼らの鼻から僅かに赤い液体が漏れだしているように見えるのだが、それは気の所為だろうか。
その中の一人、長谷川大地などは白目を剥いている。
「堪らん……堪らんでぇ……こりゃ、何としてでも林間学校にせにゃならんわ!」
そんな彼らの様子に首を傾げつつも、陽菜は彼らを伴って校庭の真ん中で仁王立ちしている夏姫の元へと向かう。
「で、どーすんのよ夏姫。こんな場所に呼び出してくれちゃって……」
「決戦よ」
「はあ? 決戦?」
この女が何を言いたいのか、結局のところ全く意味がわからない。そもそも、ただでさえ大きな胸を張るな。――何故か見ていてイラついてくるから。
「負けないわ。……あたしは意地でも臨海学校に行かなくちゃならないんだから……」
「そーいや、その理由を聞いてなかったわね。……何で?」
「そりゃ決まってるじゃない……!」
その瞬間、夏姫の瞳がギラリと光った気がして陽菜は内心ゾクッとする。
「臨海学校といえば水着……そうよ、あたしはまず誰が冬梧を狙う泥棒猫なのか確かめなきゃならないんだから……! 臨海学校、それも水着って無防備な状態ならそれも随分と容易くなるってもんよね……くふふ……」
「……いや、一番男を挑発しそうなのあんたなんだけど」
ボソッと呟いてやるが、夏姫には聞こえていない様子である。
しかし合点が行った。夏姫の弟、加賀美冬梧は何故か年上の女性に異様なまでに気を掛けられる節がある。そして独占欲の強い(というレベルではないが)夏姫がそれを快く思っていないのは当然である。弟のことになると彼女は我を失い、平然と犯罪的な行為に身を染めかねない。
はて? そうなると冬梧と何かと関わることの多い自分もまた夏姫にとっては排除の対象なのだろうか? そんなことを何気なく考える陽菜であるが、今まで夏姫からその手のことでちょっかいを掛けられたことは一度として無いはずだ。それは何故だろうと考えて、納得した。――自分が女っぽくないからか。
まあそんなことは気にせずともいいことなので。
「で? 決戦って、何するのよ!?」
「……ふむ、ここは僕から説明した方が早そうだ」
そんな声と共に、地響きを立てて目の前に大柄なサイボーグ型のモンスターが降り立つ。
ダークドラモン。高等部1-A内でも最大級の戦闘力を誇るモンスターであり、同時に青山怜治とそのパートナーであるコマンドラモンが融合した姿。以前のバトル大会でもかなりの戦果を上げたとされ、上級生にも恐れられる存在であった。
「な、夏姫!? どういうつもりよ!?」
「簡単よ。……この学園の基本方針『意を通す時はデジモンで』ってことだけど?」
「それ今作ったわよねぇ明らかに!」
しかし引く気は無かった。挑まれた喧嘩を無視するような行為は、陽菜が最も嫌悪する行為の一つである。
「ど、どうすんだよ中村……ダークドラモンにゃ、俺達じゃ束になっても敵わねえぜ……!」
「わかってる」
「そもそも一対一ってことだよな? そんなのもっと無理だって……」
「わかってるわ」
「くそぉぉぉぉ! 俺達の覗きの夢もここで潰えちまうのか……!」
「わかってるわよ。……って、今何て言った!?」
「中村さんのパートナーは? 確か結構強いって聞いたけど……」
「……うっ。あ、あいつはね……」
それを聞かれると弱い。陽菜のパートナーは先日のバトル大会で少し無理をさせすぎたのが祟り、現在療養中の身なのである。しばらくはバトルなど論外の状態だ。その原因はそもそもあの大会の時のチームメイトだった八雲のデュナスモンに何から何まで頼り切りになることを陽菜が良しとしなかったためなのだが、その事実を彼女は頑なに否定していた。
そう、あれは八雲の所為。あいつが偉そうに私のことを守ろうとなんかするからいけないのだと、そう思うことにしている。
「怜治のダークドラモン。あいつに単体で勝てそうなデジモンなんて……」
「ワイがやってもええで~」
「……いないわよね、こっちには」
「って、ワイは無視かいな!? ……がはっ!?」
すぐ耳元で大地が騒いでいたので、とりあえず裏拳を入れて黙らせておいた。
「だ、誰か自信のある奴……いる?」
恐る恐る聞いてみる。自分でもらしくない声が出たと思う。
無論、手が挙がることは無い。ダークドラモンといえば究極体、対抗できるモンスターがいるとすれば少なくとも完全体のクラスは超えねばなるまい。そして、当然ながらこのモブどもの中にそのレベルまで達している者がいないことは明らかである。
「……じゃあ僕がやろうかな」
そうして皆が諦めかけたその時、最後尾から手を挙げたのは誰あろう上野遼であった。
「遼!? あんた、自信あるの……!?」
「自信は無いよ。……でも、彼に対抗するなら僕が一番いいかなって」
「………………」
「それに僕は、どうしても林間学校に行きたいんだ」
毅然とした輝きを宿す瞳。そこには揺るぎも迷いも無かった。――だから陽菜は。
「頑張りなさい! あんたに任せた!」
バシッと彼の背中に思い切り紅葉の葉を散らせて激励する。
「痛っ! ……いきなり叩かないでくれないかな」
「いいのっ! 応援だってば!」
「おうともさ! 見直したぜ上野!」
「同じく! 拙者達の運命、託したでござる!」
「ああ、行ってこい! お前の全力をぶちかましてやれ!」
そうして次々と遼の背中に紅葉が散る。数秒後には彼の背中は真っ赤に染まっていたことだろう。
けれど、こうした応援が紛れも無い力になることもまた当然。事実、ダークドラモンの前に進み出た遼の顔には普段以上の強さが滲み出ている。それは前々より何かと関わりのあった怜治としても、初めて見る上野遼の本当の意味での強さだったのかもしれない。
「……ドルモン」
「わかった!」
どこからか飛び出してきた遼のパートナー、紫紺の獣竜ドルモン。
彼が激しい光を放ったかと思えば、次の瞬間にはその光が遼の体をも包み込み、互いの体を一瞬にして融合させ更には転身させていく。そうして一瞬の後、そこには重厚なフォルムの鎧を身に纏う漆黒の騎士が降臨していた。その迫力や威圧感は目の前のダークドラモンに勝るとも劣らない。
この学園の中でも最大級の戦闘力を誇るだろう聖騎士、その名はアルファモン。
「遼……頑張れっ!」
祈るような陽菜の声が戦いの火蓋が切って落とされた。――アルファモンとダークドラモン、いずれ劣らぬ究極体同士の戦いの火蓋が。
「上野殿! 勝つでござるよ!」
「勝ったら近場のラーメン屋で特盛り奢ってやる!」
「お前が俺達の最後の希望だぁぁぁぁーーーーっ!」
「実現させようぜ、俺達の望んでいた、林間学校って奴を!」
ぶつかり合う二体を前にして、彼らの応援の声が高らかに鳴り響く。
アルファモンとダークドラモンの力は全くの互角。無論、林間学校派だけでなく臨海学校派が怜治のことを応援する声も同じように響いているのだから、その点でも勝負は互角だった。遼と怜治の二人の間にある奇妙な因縁のことも鑑みれば、少なくともあっさり決着するような勝負ではなさそうである。
「頑張れアルファモン!」
「負けるなダークドラモン!」
激突を繰り返す両者に、それぞれが高らかな応援を浴びせ掛ける。
皆の願いは林間学校もしくは臨海学校に行きたいと思う純粋な思いだけ。先程のディベートとは全く異なり、そこには相手の思惑を払い除けることではなく、ただ己が思いを貫き通したいという強い思い。それを受けているからこそなのか、アルファモンもダークドラモンもいつもより遥かに輝きを増しているように見える。
そう、彼らの願いは純粋であるからこそ、その目的が覗きだろうと何だろうとそれを誰にも責めることはできないはずなのである。――その野望が何度挫かれようと、彼らの望みが如何に罵倒されるべきものであろうと、無垢なる望みは決して潰えないのだから。
「ねえ珠生、歩」
「何かな?」
「あん?」
「この学校って……変な人達ばっかりよね」
「ああ、お前は前のバトル大会で変態にセクハラされたんだっけ」
「どこを曲解したらそうなるっ!?」
「なにっ」
「……た、珠生?」
「八重ちゃんにセクハラ? 許せないな……誰なんだ、その羨ましい人は」
「そこ羨ましいんかいっ! てか断じてセクハラじゃないってのっ! 単にチャック開けっ放しの人と戦ったってだけだってば!」
「しかしご覧よ八重ちゃん、皆が一つの目的に向かって鎬を削り合っている。……ロマンチックじゃないか」
「うっ……あ、あんた相変わらず唐突に話の腰を折るわね……」
「まあ確かにいいもんだとは思うぜ。……俺らも再来年になったら同じことをやるのか?」
「……私はやりたくないんだけど」
「そうか? 俺ぁ燃えるぜ、勝った方が自分の意を通せる、楽しいじゃねえか!」
「危険思想に近いものがあるわよ、それ」
「ほら二人とも、夕日が綺麗だよ」
「は?」
「そう、僕達には無限の未来が待っているんだ。……そして未来、きっと僕らはあの夕日のように輝く人間になれる……いや、絶対になるんだ。僕らは皆生きている、生きているから歌うんだ……」
「勝手に纏めに入らないでくれます……?」
「ふむ。……八重、天才のこの俺が歌ってやろうか?」
「それはいいけど……テンドウ、あんたは林間学校と臨海学校、どっちに行きたいわけ?」
「それは愚問だ、八重ちゃん。樹液を吸いに行ける林間学校がロマンチックに決まっている」
「ふむ。……ならば、君達の今年の移動教室は林間学校で決まりですね!」
「ヴァイス先生!?」
「これで私もまた彼らと同じく覗きが……ふふふ」
「……馬鹿ばっかよね」
<了>