アットウィキロゴ

 日暮れ、夕暮れ、時雨時。凍える様な視界の悪い雨の中で、3つの影がぶつかりあっていた。否、実際にぶつかり合っているのは内2つ。残りの1つは、自分だけ安全地帯に逃れて高みの見物を決め込んでいる。
 それが吠えた。
「なにやってんだよポンコツ! さっさと切り伏せろ!」
 まるでそれに応える様に、獣人を取り囲むようにしていた風が疾くなる。自らの軌道に裂傷を残し、縦横無尽に飛び交う鎌鼬だ。
 否、その鎌鼬には実態がある。刃が煌めく毎に獣人からは血飛沫があがり、赤黒い毛が飛び散っては雨の薄闇の中に消えて行く。目で見た時には避けられない。耳元で唸る風には、益々の恐怖を駆り立てられるかのようだった。
 だがしかし。
「人間風情が……良い気になるなよ!?」
 その細い体育館裏のスペースで、獣の咆哮が鳴り響いた。そのガタイに見合った耐久力で、巨体を疑うスピードで、獣人は飛び交う刃を無視して人間を直接狙う。
 焦り。それが、この場で初めて人間に窺えた。
 眼前に迫った肉体は、少年の遥か頭上にあった。気づいた時には既に、視界を覆う程の身体は振りかぶって身を引き絞り、拳を振り下ろすところだ。
 ――マズい!
 見上げるというアングルから、予想以上に降り注ぐプレッシャー。まさに押し潰されそうになるそれに、咄嗟に出たのは保身の言葉だ。
「俺を守れ! キルスメリス!」
 それまで獣人を切り刻んでいた風は、その言葉に一転、身を翻して獣人と少年の間に割り込み――

「〝クラブアーム!〟」

 獣人のパワーの餌食となってしまう。デジクロンゾイドが飛び散り四散し、雨と共に地に降り注ぐ音が辺りに響いた。本体も、自らの身体を投げ出される。しかしそれでも飛び上がろうとしているのか、試みては再び崩れ落ちるという行為を繰り返していた。
「なにやってんだッ!」
 彼の口から漏れ出た言葉は、相棒を心配したからではない。次に襲われるのが自分だけになってしまうからだ。その声音にはむしろ、性能の低さの嘆きや使えなさへの憤りすら窺えた。
 雨が降り注ぐ音が響く。
 その中で一際大きい水音は、獣人が水溜りを踏みしめた音だ。一歩一歩、水面が揺れる音と共に、それはゆっくりと少年に近づいて行く。1度吹き飛ばされた疾風の刃も、主人を守らんと矢の様に飛び出した。そして――

「それまでだ!」

 良く通る声がその場に響く。共に現れた少年は長身痩躯でメガネをかけ、長い髪を後ろにまとめていた。そして傍らに従えるのは、2匹の仔猫。黒と白、色が違う以外はそっくりだった。彼が叫ぶと共に漏れ出た吐息が、雨の中で白く浮かび上がっているのがハッキリと見えた。
 今日は冷える。さっさと終わらせよう。
「生徒会副会長、二階堂秋哉だ。これ以上暴れる事はこの俺が許さん! ――エミィ、マリィ! 取り押さえろ!」
「あいよ!」
「了解ですぅ~!」
 その小さな身体を利用して、可愛い猫達が薄闇から獲物に飛びかかった。それに対応しようと動いた時には既にその場に姿はなく、素早く背後に回り込まれている。

「「猫パンチ!」」

 マリィが獣人を。エミィが刃を。それぞれ拳で殴り飛ばす。刃は簡単に薙ぎ払われたが、やはり獣人はそうもいかない。
「エミィ、そいつはもう動けない。余計な手は加えず、逃がさないようにだけ注意しろ! 後は任せる。 マリィ、集中しろ。パワーには要注意だが、お前の実力なら進化なしでも十分だ」
 広い視野で状況判断。そして的確な指示を飛ばして行く。彼の様な二刀流テイマーは豊富なデジソウル量も必要とされるが、こういった判断力も不可欠。その点では、彼の能力あってこそのパートナー達である。
 エミィの様子を返事と目で確認すると、秋哉はマリィの後ろについた。例え同じ成熟期で、デジソウルがある分こちらが有利。だが、油断はできない。
「例えパワーでは分が悪くとも、スピードはこちらが勝っている。マリィ、奴の拳には決して触れるな。足を使って攪乱重視で攻めていけ!」
 返事をする間も取らずに黒猫は一足飛に獣人へと肉薄すると、殴っては距離を取るというヒットアンドアウェイを繰り返す。その素早さについて行けない獣人は、反撃しようと拳をの振るうのにすら、できた隙に付け込まれる。まさに踊らされていた。
「おっと。暴れても無駄ですぅ」
 背後からの声で確認するに、エミィは既にもう1人を取り押さえた様だ。そのまま放置してしまっては、犯人で遊び出しかねない。そう判断した秋哉は、ここで一手に終わらせようと考えた。
「足場を崩せ! その後は――」
「オーケー!」
 言わずとも意志は伝わる。心は繋がっている。
 マリィは素早く獣人の足元に駆け寄ると、蹴りで太く逞しい足を払いのける。身体が傾いでぐらつき、たたらを踏んだその隙に拳を叩き込もうと飛び込んだ。
 しかし、その拳は途中で鈍った。

「うわぁぁぁぁぁぁ!」

 一体どこから迷い込んだというのか。場に不釣り合いにも程がある。――現れたのは、ヒトリの幼年期。トコモンだった。

「――ビッグゲストだ」

 獣人の陰った表情に、歪な三日月が顔を出した。危ないと思った時にはもう遅い。ウェンディモンは崩れた体制ながらも、無理やり背中から弾丸を放出した。1、2、3……数えきれない凶器の群れは、無防備なトコモンを一手に襲う。
「チィッ!――マリィ!」
 秋哉の指示より早く、マリィは動いていた。突き出していた拳を腹の前で抱え込み、柔らかな身のこなしで身体を丸める。空中で前転すると片足を踏み出し、眼前に迫っていた獣人の顔を踏み台にしてトコモンの元へと滑りこんだ。
「大丈夫かい!?」
「……!」
 恐怖の為だろう。それとも極度の安堵の為だろうか。マリィの呼びかけにも、トコモンは震える事でしか返事が出来ないでいた。だが、腕に抱えているトコモンに傷はない。それを確認して安心した。
 いや、してしまったというべきであろう。今この現在の状況では。

「しまった!」

 秋哉の叫びにハッとした。踏み台にした獣人を振り返ると、まさにその姿が揺らぐところだった。景色と体との境界が曖昧になり、術師本体の色身も薄れて行く。
「空間移動か……!」
「させないよ!」
 苦しげに吐く秋哉。それでもマリィは諦めなかった。トコモンをそっと地面に下ろし、自分は全力で獣人を追いかける。だが――

「口で言うのは簡単だな。簡単だ」

 ニィっと口を歪める獣人の、その歯列、歯茎までもが見えた。だが、そこまで近づいておきながら、その手で捉える事は叶わなんだ。振れたと思った瞬間にすり抜け、残ったのは先行した焦りと焦燥感のみ。
 そしてフタリは、既にもう1つのミスを犯していた。
「マリィ、若!」
 こちらの異変に気づいたのだろう。エミィが、心配してこちらを振り向いていた。決して油断をした訳ではない。全ては偶然という名のアクシデントと、取り抑えていた相手の性根が腐り過ぎていただけである。

「はっはぁ! 後ろがガラ空きだぜ!」

 先程まで踏みつけられていた少年が、途端に喜々とした声を上げる。それに応えるのは、彼に従順なサイボーグ。風の音が響くより早く、見せられた背中を容赦なく切りつけた。
 白い毛皮が、一瞬で真っ赤に染まる。
「――エミィ!」
 力なく地面に転がされた相棒を見るなり、秋哉は血相を変えて駆け寄り抱きかかえた。その隙を犯人は逃さない。元よりそれを狙って切りつけたのだから。
「指導なんざ御免だ。アバヨ! せいぜい仔猫ちゃん達と遊んでな!」
 後ろから切りつける。致命傷を負わせる。その行為に、罪悪感なぞ微塵も感じない。ただ自分が逃れられる事だけを考え、そいつは走り去って行った。ボロボロになり、壊れかけてしまっている相棒を気遣う様子も全く見せずに。
「ク……ッ!」
 追おうと思えば追える。だが、秋哉にその選択肢はなかった。そんな事よりも、エミィの治療が最優先だ。

「畜生……!」

 雨の音の中、時雨と共に小さな呟きが零れ落ちた。







【生徒会日誌】









 校舎という巨大建築物特有の、長く無機質な廊下。そこに規則正しい足音が鳴り響いた。側面に設置された掲示板には、誰が足を止めるのか。それを疑う情報が貼り付けられている。やれ、お酢に卵を漬けた実験結果だの、くしゃみや咳で飛ぶ飛沫の早さなど。
 この時の秋哉も例外ではなく、足早にその前を通り過ぎて行く。窓から入った光でできた影が、一瞬遅れて真似をした。
「若。そんなに急がなくっても大丈夫だって」
「そうですよ~。もうちょっと私達とSMプレ――遊んで行っても十分間に合いますって」
「五千歩譲ってそうだとしても、断固お断りだ」
 冷たく返しながら、足元で並走する相棒フタリに目をやった。マリィはもちろんだが、その様子を見るにエミィも回復はできたらしい。痛々しく包帯を巻いてはいるが、歩く分には不自由しないようである。彼女達には気付かれないように、秋哉は小さく安堵のため息をついた。
 それを知ってか知らずか、キャッキャと楽しそうな笑い声と共にいつも恒例イジリが始まる。
「もう、若のツンデレさん♪」
「誰がMだ!」
 即座に返したそのツッコミは、自分の性癖を肯定している様にも取れる。と、秋哉自身は気づいているのだろうか。クスクスという仔猫二匹の笑い声が廊下に反響し、不気味な音色を奏でていた。
「……残念だか、お前達と遊ぶとしても目の前の用事が済んでからだ」
「え? その用事が終わったら、若の事本当に好きにしていいんですか?」
「誰がそんな事を言った!?」
 都合の良い無邪気な――見方によっては邪気盛り沢山の台詞を吐いたのは、純白の天使ことエミィである。いつもある部分だけを除いては隙のない秋哉は、叫んだ後に盛大な溜息をついた。
 彼女達パートナーの事は大切に思っている。これは確かだ。だからどんな事をされても無碍にする事はしない。そしてエミィこうして無事だった事にもは心底安心している。が、それとこれとは話が別。公私混同は避けて然るべき、当たり前の事である。
「むぅ~。副生徒会長になってから、若冷たいですぅ」
「家庭と両立できないなら辞めなよね?」
「……そうだな、俺が悪か――って、お前らはいつから俺の奥さんになった!?」
「酷いです、エミィ達はいつも若の事をお世話しているのにぃ」
 埒が明かない、と思った。哀しいのかな、これ位――どころかこれ以上の事は日常茶飯事ではあるのだが。無意識下で溜息が洩れていた。彼女達とのやりとりは楽しくないと言ったらウソになるが、疲れないかと問われてNOと即答できる自信もない。ちょっとスキンシップが過剰かな、とは……鞭や蝋燭以上のモノを持ち出される度に少しくらいは思っていたりする。
 用途については言及されませぬよう。このお話の紡ぎ手が困るというのもありますが、恐らく馬に乗ったり灯りを付けたりするのに使うのでしょう。そうでしょう。と、言うよりそう言う事にして置いて下さると大変ありがたい。
 その時吐いた溜息は、ともすれば呼吸の一部とも取れそうなほど小さいモノだった。だが、そこは流石はパートナーだろう。
「若……疲れているんですか?」
「エミィも、マリィも、心配です」
 言葉遊びはどうやら、副生徒会長という重役についた秋哉への気遣いだったらしい。――実際は彼女達が愉しむ為だけ、という事も考えられるが。――秋哉はそう解釈し、急いでいた歩みを一度止めてしゃがみ込んだ。フタリの頭を撫で、固くなっていた表情を和らげる。
「なんて事はない。俺が天才だという事を忘れたのか?」
 そう、彼は天才である。とてつもない天才である。文武両道、どちらにも秀でていた。過ぎる、と、本人がそう思う程に。
 何に取り組もうと、そう思った矢先にその才能はあらゆることを自身のモノにする。無論、努力がなかったとは言わない。望まぬ努力を強いられ、勉強でも、スポーツでも、彼は何でも1番だった。――そうならざるを得なかった、とも言えるだろうか。
 孤高。
 秀で過ぎているが故に、何をしても張り合いがない。
 いくら不遜な物言いと言われようが、彼自身は平凡な方が人生楽しかろう、とすら思っていた。だってそうだろう?
 例えば9回裏、ツーアウト。後1本のホームランが命運を分ける。そこで自分の打順が回って来た。――打つと分かっているのに、燃えられる筈がない。

「ダメです!」

 そんなに深く考え込んでいただろうか。その声に気がつくと、いつの間にか生徒会室の前に来ていた。他の教室とは趣が違う、分厚い木製の扉。それ越しに自分の到着が分かったのだろうか。秋哉は訝しみ、その場で耳を澄ませて中の様子を窺った。
 いや、窺わずともくぐもった声はただ漏れだ。
「あぁ、そんな! やめて下さい。――人が来たらどうするんです!?」
「………………」
 その声はどこか切羽詰まっているようで、余裕の無さが窺えた。懇願、という言葉が相応しそうな声音。
 この場を去ろうか、去るまいか。
 そう迷っている間にも、生徒会長ウィズの言葉は続く。まるでこちらに聞かせようとしているかの様でもあった。

「そんな! やめっ! 恥ずかしいです……っ!」

 どばーん!
 耐え切れず、秋哉はとうとう分厚い扉を思いっきり開け放った。その先、薄暗い室内にいたのは両手で顔を覆ったウィズがヒトリ。隠し切れていない耳や頬が、多少なりとも赤くなっているのが見受けられた。――ヒトリ?

「あ、秋哉さん。社会の窓が大胆に開いているので閉めて貰えませんか? 見ているこっちが恥ずかしいです。ヨッシーさんが来たらどうするんですか」

 そのセリフは、まるで風が吹いたかの様に爽やかで。まるで身を包みこむような温かい慈愛を感じた。だがしかし、内容はそうでもないのがとてつもなく残念である。残念過ぎる。

「しまったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? 何故だ? いつ開いた!?」

 彼の名前は二階堂秋哉。その1点だけは油断も隙もない天才である。その1点だけは。
「いえ、先ほど大魔法チンカラホイの練習をしていまして。その拍子に――要するに、魔法事故です。運がありませんでしたね」
「貴 様 の 所 為 か !」
 秋哉は素早くチャックを上げると、キッと犯人を睨みつけた。睨みつけるという動作だけならまだしも、腰より下に伸ばした両手の所為でなんとも間抜けなワンシーンだった。てか魔法を使えるのか。コスプレ芸人ではなく本物の魔法使いだったのかこのオトボケデジモンは。
「えぇ、魔法は不思議です。そして私はオトボケではなく天然です。お間違えなく」
「人の心を読むなぁぁぁぁぁぁ! それもあれか、不思議な魔法とやらなのかオイ!?」
「先程も貴方――読者の方も含め、私の言葉に邪な事を考えましたでしょう? まるっとお見通しです。みんなのエッチ」
「……誰と話している?」
 このデジモン生徒会長、抜けているようで抜け目ない。ボーっとしていると思いきや、その実ちゃっかりしていたり。いやいや本当にボケていたりする。外見や雰囲気、言動に惑わされてはいけないかもしれない。
 その時だ。2度、短く乾いた音が室内に響いた。フタリが入口振り仰ぐと、そこには男子生徒が1人。開きっぱなしの扉に拳を打ちつけノックをしたようだ。
「入っていいっスか?」
 会計の龍介である。今日は会議があると聞いて、指定の時刻に赴いてみればこれだ。こちとら、折角部活真面目に足を運んだというのに。しかし、「なにやってんだか」と呆れた表情は最初だけ。彼はすぐになりを潜めさせると、今度は陽気に笑ってみせた。
「ま、このまま仲良く喧嘩するってなら俺は部活行きますけど?」
 やんわりと喧嘩を注意しながら「俺は早く部活行きたいんだこのヤロー。早く初めてとっとと終わらせやがれ」と含ませてみる。笑っている分余計に怖い。うん、怖い。
「失礼します」
 そこにヨシノも入って来た。腕時計を覗くと、指定した時間ぴったりである。メンバーも彼女で揃った。早く終わらせたいというのは皆の願いだろう。それならば。

「では、会議を始めましょうか」

 ウィズが姿勢を正した拍子に、黒張りの椅子が小さく鳴いた。






 現在、その部屋にいるのはロクニンだ。人間が3人、デジモンもサンニンという比率である。学園内にあって「○○教室」と名のつかないその部屋はやはり、他とは異なる点が多かった。
 細かな細工を施された木製の分厚い扉。それを潜った先では、フカフカの赤い絨毯が客人を出迎え、壁際には資料を収めるガラスケースが立ち並ぶ。中央にあるテーブルを囲う様にソファーが腰を据えていた。そして、それを見渡せる一番奥には高めの机と革張りの椅子が鎮座して、部下達を見下ろしているかのようだった。
 この部屋こそ生徒会室。メンバーが集まる一室だ。
 一見して居心地の良さそうな空間ではあったが、このときばかりは誰もが難しそうな表情をしていた。それもその筈、今現在は会議中であるし――
「以上だ」
 そう秋哉が締めくくると、誰ともいわず溜息が洩れた様だ。発言した秋哉だって漏らしたい気分だった。己の、つい先日の失態となればなおさらである。
「現場にあったいくつかの備品が、前回及び半壊。体育館の壁自体にもひび割れや切り傷が入り、その他木々や草花にも甚大な被害。なるほど。――エミィさんは……お怪我がをされたようで。大丈夫でしたか?」
 雨が降っていたあの日。校舎破壊をしてまで喧嘩をしていた奴等の事件。その報告書を読み上げていたウィズだが、途中で顔を上げてそう言った。それはつい昨日のことである。保険室のお姉さんの治療の甲斐あってか、デジモンの再生能力故か、エミィは歩けるまでに回復していた。
「その節はご心配をおかけしましたですぅ。あの時は若に力強く抱かれちゃって――キャッ☆」
 最後は言い切る前に、グローブをはめた大きな手のひらで顔を覆う。うむ、病みあがりながら大丈夫なようである。
「すまない。現行犯はおろか、証拠も回収できなかった。名前は分かっているも同然だが、これでは踏みきれないな」
「トコモンを無傷で救い出した。それだけ出来ただけでも勲章ものです。――ありがとうござした」
 そんな言葉と共にすぐ笑顔が返ってきたのは、ウィズが元から用意していた訳でなく人柄――デジ柄、と言おうか。からだろう。柔和なそれに、秋哉は少なからず肩の荷が下りた気分だった。
「龍介君、予算から修繕費を回しておいて下さい。秋哉君もご苦労様でした。そしてヨシノさん。……とても美味しいです」
 自分専用の湯呑を手の平で包み込み、熱いお茶に口をつけたウィズは、まさに一息ついたといった風。これで会議も終わりだろう。そんな雰囲気が漂いつつあった。

 が、そうは問屋がおろさない。

 一応空気を読み取っているのか、恐る恐る、といった風に龍介が手を上げたのだ。彼がこれから発言する内容は、メンバー全員が既知の事実ではある。だがしかし、それは暗黙の了解というよりも、誰も口に出したくないというのが本音だろう。
 だが、無視はできない状況なのだ。
 そこで敢えて口にするのが彼等の為――否、学園の為であると、会計・龍介は意を決して発言した。

「今期、もうヤバイっスよ?」

 やはり、というか。分かっていた、というか。予想通り生徒会室の空気が凍りついたのを肌で感じた。
 ウィズは相変わらずお茶を飲んではいたが、その動きは少しばかり固まったようであるし、秋哉も整っているその顔をやや歪めた。ヨシノも、発言を書きとめていた手を一端休めてこちらを見て――エミィとマリィだけは相変わらずか。
「コ ン キ 、も う ヤ バ イ っ ス 」
「分かっている」
 根絶丁寧に発音する事で繰り返し、龍介は皆に危機を告げる。秋哉は簡潔に相槌を打って、しかし容赦のない言葉で返した。
「だが、それをどうにかするのが会計だろう?」
 責任転嫁、ではない。事実を述べたまでである。
 それに龍介は1度押し黙り、少しばかり逡巡してから口を開いた。
「じゃ、じゃあ……誰か良案ないっスか?
 普通に考えて、この学園は修繕費――デジモンが暴れて校舎破壊ってのが多すぎると思うんで。とりあえずそれをなんとかしたんでスけど」
 そう言いながら、龍介はあからさまに嫌そうな顔をして書類とにらめっこした。紙面には信じたくない金額がのさばっていたからだ。機会があるのならば、是非とも他の生徒達にも見せてやりたい。そして出来ればこの役所を変わって欲しいものである。
 視界の端で上げられた手に気がついた龍介は、その人を名指して発言権を与えた。
「どうぞ」
「……力ある者にない者が合わせるのは不可能です。――デジモンの力を制約するという手もあるかと」
 ヨシノである。彼女は淀みなく意見を発表していく。そうしていく間も無表情だ。
「具体例を挙げるのならば、デジモンの力を弱める類の術具を作り、その装着を義務づける。または二階堂副会長の様にデジヴァイスに収納する機能があるのならば、必要以上に外に出さないというのも効果的――」
「却下だ」
 が、最後まで言い切る事は許されなかった。秋哉がそれを遮ったのだ。彼は険しい顔をヨシノに向けると、組んだ足に両手を乗せてハッキリと言い返す。
「他の奴等がどう思っているかは知れないが、俺にとってエミィとマリィは半身同然。そのパートナーの動きを制限するなど考えられん」
「若……!」
 それに応えるように、他の面々も。
「煌麒……俺の友達は、デジヴァイスっスか? そんなややこしいもん持ってねえと思いますし」
「私にはテイマーがいませんしねぇ。それに、不思議な魔法を使えなくなってしまうのは不便でしょうがないです。血中不思議成分が不足して禁断症状が出る恐れもあります」
 三者三様の意見が出た。ヨシノはそれに「そうですか」とだけ返事をすると、興味がなさそうに自らの仕事――発言を記録する作業に戻る。案が通らなければそれまで。「意見を言え」と言われたから、発言しただけらしい。
 が、反論されないというのも寄ってたかっていじめているようだ。龍介はなんとなくそんな事を思って、軽く頭をかきながら他のメンバーを見回した。
「えーっと、他にないっすか?」
「1つ。思いついた」
 秋哉だ。彼は指名されると、ソファーにうずめていた身を起して姿勢を正した。そうした一挙一動でさえ、彼にかかれば絵になってしまう。才色兼備という4字が、彼にはとても良く似合うのだ。
「下手に制限して時や場所を選ばず爆発させるくらいなら、定期的に発散させてしまうというのはどうだ?」
 戦う事はデジモンにとって本能である。例え大人しいパートナー関係であっても、血気盛んな者達が組んでいたとしても、いずれにしろ衝突が起きるのは避けられないというモノだ。
「つまり、万全に場を整えてから戦わせる。――そんなイベントを催そうと言う事ですか」
「その通りだ」
 進んで行く会議に、無駄な発言をする者はいない。各メンバーの発言を書きとめるため、ヨシノがペンを走らせる音が室内に響いた。
「派手ならば派手な方が、大規模ならば大規模なほど良い。むしろ戦う気すら起きないよう、とことん疲弊させてしまえば暫く静かになるだろう」
 秋哉の案は的確に見えた。そう、校内で暴れる生徒達を鎮めるには確かにそれは有効な手段だ。しかも、規制して無理やり押さえつけるのではなく、満足させておさめようとするもの。良案である。あるのだが。
「ちょい待った。……それも、結構出費がかさむんじゃねえか?」
 結局はそこである。
「だが、こちらはイベント費から出せばいいだろう。いくら修繕費が底をついていても――」
「問題はとっくに底をついてて、他から回してるって事なんだよ」
 そう、会計が管理する予算なぞ、とっくの昔に修繕費に割り当てられた金額など振り切ってしまっている。だから龍介は他の費用からいくらかを流量し、なんとかしているというのが現状であった。
 2人が唸っていたその時、椅子がきしむ音が響いた。ウィズである。
「学園が運営するのに必要な資金は、主にどこから得ているのでしたか」
 今までこちらに背を向けて聞きに徹していたウィズが、革張りの椅子を回転させて。
「――あ、お茶のお代わり頼めます?」
 その発言のついで、とでもいう風に漏らした。ヨシノは立ち上がると、沢山ある書類の中からひと束を選んで取り上げ、内容を読み始める。
「我が学園の収入は大半が理事長先生からの投資ですが、100%と言う訳ではありません。――他にも、寄付という形で入ってきているようです」
 後半はページをめくり、ヨシノは淀みなく質問に答えると、こちらも流れるように湯呑を取り上げ給仕室へと入って行った。会議が長引いて、メンバーのお茶はみんな冷めてしまっていた。ヨシノの行動はそのどれもが事務的である。が、無駄がないというのも確かである。
「だ、そうです」
 それを待つ間、暇だからだろう。ウィズは空いた時間を利用してそう締めくくった。要するに何が言いたいかというと、寄付のくだりか。ルーチェモンが金銭面で全てをカバーしてるという訳ではないという事。確かに、足りない分を誰か前にある方に補ってもらえるのならばそれほど嬉しい事はない。現在の会計は既に火の車なのである。
「でも、そんなに都合よく寄付してくれるとこなんて」
「どうにかする。それが理事長の教育方針だ」

 龍介のセリフにかぶせるように、再度秋哉がそう言った。鋭い視線を飛ばし、返答に反応した龍介のものと重なる。それが意味する事とは、つまり――
「えーっと?」
 同意を求める疑問に、答えてくれるメンバーはいなかった。

「強請ってとってこいって事っすかね?」

 言い難そうにではあるが、自然な発音で龍介が問う。秋哉は溜息を吐いた。
「……皆まで言うな」
 秋哉の言葉は肯定以外の何物でもない。彼はなんでもない風にそう呟くと、丁度帰って来たヨシノから茶を受け取り口をつけた。家柄が良いからだろうか。落ちついた雰囲気を醸し出す暗めの照明の中で、その動作は優雅である。と、龍介はなんとなくそう思った。
 生徒自身に考えさせ、どうにかさせるのが教育方針。
 頭を使うのが苦手な自分が何故会計に選ばれたのか、それを今更理解した。この学園は生徒会メンバーを生徒が選ぶのではなく、理事長が選出するのだ。この場にいるメンバーの中で、ニンゲンとデジモンが混在しているのもそんな理由なのだろう。その能力がある者だからこそ、使命を担わせ全うさせる。切磋琢磨させると、そういう訳か。
 龍介は難しい顔をして、少しだけ俯いた。しかしそれは一瞬で、今度はふざけた調子でその顔を秋哉へと向ける。
「じゃ、手ぇ貸してくんねえか? 秋哉」
「何故俺が」
 が、あっさり断られる。取りつく島もない様子ではあったが、それでも龍介は食い下がった。
「いいじゃねえの。大事な同級生の頼みだぜ~? な? このとーり!」
「どこにそんな同級生がいるのか、教えて欲しいもんだな」
「―― うっわ、面白くねえ」
「……その評価、そっくりそのまま返してやる。寒いぞ、〝お前の〟今のそのキャラはな」
 大袈裟に顔の前で手を合わせていた龍介だが、諦めたのか自ら興した茶番にうんざりしたのか、だらんと垂らしてつまらなそうな顔をする。
 そして、今度は真剣な顔をしてこう言った。
 「――じゃ、叔父貴のよしみでお願いしますよ。〝二階堂〟副会長」
 特に苗字を丁寧に発音され、副会長秋哉の動きが僅かに止まる。それがどう言う意味か、正確に捉えているようだ。
 秋哉は家柄が良い。とある有名な資産家の出身である。――が、その二階堂という名前には、知る人ぞ知るもう1つの顔があった。それは一部の者しか知らぬ筈。逆に知っている者からすれば恐れ戦く類のものである。
 何故、この少年がそれを知っているのか。理由はシンプルだ。その方面へのパイプを持っているからである。
 何と言ったものか。縁とは不思議なもので、彼は樫山修介という人物と面識があった。表向きの肩書は金融会社であるが、その本業は――今ここではぼかしておこう。
 兎にも角にも。龍介は彼の口からそんな話聞き、あの有名な二階堂家の裏を知った。たまたま生徒会に同じ名字で資産家の息子がいたから聞いてみれば、至極あっさりと肯定されたという訳である。隠すつもりはないらしかった。が、考えてみれば一個人がどうこうできる相手ではないのだ。二階堂という家は。……必要ない、という訳らしい。
「……どうするつもりか、具体的な内容を聞こうか」
 二階堂家第17代目当主は頬杖をつき、品定めするかのように龍介を見据えた。彼が繋がりのあるという弱小一派なぞ、二階堂家の立場からすれば取るに足らないというのが本音だ。仮に彼が「寄付をしてくれ」と要求したとて、はいそうですかと渡す義理も道理もない。
 それは分かっているのだろう。龍介の要求は金品に直接かかわるモノではなかった。
「ちょこっと手伝って貰えればいいんだ。あぁ、いや。何も二階堂家の方に寄付してくれってんじゃなくて。――ネタ、が欲しいんだなここは」
「……えげつないな」
 誰にだって、どんなに綺麗に見えるものであっても、人に、世間に知られたくない情報は1つくらいあるモノだ。しかもそれは、1度知ってしまえば持ち運び自由、何度でも使える。
「セオリーだろ? 勿論、学園のため以外には使わねえから」
 このときばかりは、書記のヨシノも手を止めていた。残らない方が良い類の内容である。
「ネタならば、二階堂家に関わらない――つまりノーリスクのものを提供すれば良い訳か……」
「その通り。後は、叔父貴を通して信頼してる情報屋を使って――」
「だが、却下だ」
「なんでだよ!?」
 話が振り出しに戻った。が、その理由は至極簡単だ。
「ノーリスクでも、動く以上はリターンがなければ。……商売とはそう言うモノだろう?」
「あー……それかぁ。参ったな。これはホントは持ち出したくなかったんだけど」
 秋哉は自らの台詞に押し黙ると思っていた。が、龍介はただ歯切れが悪くなっただけですぐにそう返してくる。その事に訝しんだ。なにか手を持っているのだろうか。
「エミィ、マリィ、ちょいといいっスかね?」
 彼が呼んだのは秋哉の従者。まずはそこから懐柔しようというのだろうか。秋哉はそう考えたが、すぐに否定した。無駄だ。彼女達は自分の欲望に忠実である。他人になにを言われたとしても、なびく筈が。――欲望に忠実?

「――なんすけど。……何に使うんだか? まぁいいや。入荷しましたよ」

 ボソボソと、不審な声が聞こえてくる。龍介は時折こちらを盗み見ているし、聞かせているというのが正しいだろうか。

「いやぁ~ん。これでまたレパートリーが増えますわ」
「良い仕事してるじゃないか」


 コラコラコラ、なんだその手に持っているものは。手錠? 本当に何に使う気だ。龍介お前、どっからそんなもん入手した? 伯父貴か、伯父貴経由なのか?――って、それ以前にいつそんなに仲良くなったお前ら!?

「報酬はいつものでいいかい?」
「いえ、あぁ~っと。今回はオフタリのコレクションから1枚もらえればそれでいいっス」


 …………。

 待つこと数分。やりとりを終えたフタリはほくほくとした顔で定位置に戻り、龍介はウィズやヨシノの位置からは自らの身体で死角になるように注意しながら、例のブツ――早速手に入れた〝リターン〟を見せつけた。自分はそれを見ないようにして。
「たかだ写真1枚。されど写真1枚。要らないのならそれでいいし、欲しいのならば売りますよ? お客さん」
「!?」
 要するに、〝ネタ〟である。そこには、秋哉が他人には絶対に見られたくないモノが写っていた。どんなものかは、入手元と現在の彼等の様子を見ればお分かりだろうということで省略させていただく。
「えげつないな」
「セオリー、だろ?」
 あくまでもすがすがしい笑顔に、対する秋哉は冷や汗と共に表情を歪めていた。
 2人はやりとりを繰り返すと、秋哉は写真を奪い取るようにして自らの懐に収めた。誰にも見られないよう、完璧に処分するつもりだろう。
 つまるところ、取引は成功か。
「んじゃ、お願いします」
「……心得た」
 満足そうな表情が1人とフタリ分。苦虫を噛み潰したようなのが1人。無表情が1人に、生徒会長の顔がヒトリ分。その場には存在した。
「では、龍介君。そのイベントを立ち上げるにあたって見込める予算案をまとめて下さい。詳しい内容については秋哉君が。2人で書類をまとめましたら、ルーチェモン理事長にお伺いを立ててみましょう。全てはそれから、ですね」
 本日はこれまで。時間を鑑みて、最後にまとめに入る。そうでもしなければ終わりが見えない。記録ばかりを取っていたヨシノだが、ここで初めて自主的に自分の意見を口にした。
「しかし、その案が通らなかった場合はどうするのでしょう?」
 飽く迄も書記の立場としてだろう。最終的にはどうする見込みなのか、それが分からねば記録できない。
 出来なかった場合、どうするか。または通るまではどう行動するか。
 いかんせん、新案をどう形にするかに手いっぱいで、そちらは考えていなかった。秋哉と龍介は、安心して緩んだ表情を再び苦渋に染めた。いい加減、集中力も限界である。
「それは……」
「……」
 龍介が室内のメンバーを見回すが、目を合わせてくれる者などおらず、唯一視線が重なったのはヨシノであった。しかし彼女が質問したのであって、それに質問で返すのも無礼であろう。秋哉は、ソファーに腰掛けながら足を組み、うつむいて1人考えていた。
 と、そこへ降ってきたのはウィズの一言。
「出来だけ早く現場に駆けつけて、出来るだけ最小限で被害をとどめるしかないですねぇ」
 真理をついた。とどのつまり、考えは1番最初に戻り、今まで通りに活動するのが現時点での良案らしい。しかし、巡り巡った会議の最終結論がそれとは……龍介と秋哉の2人が、心底深いため息を吐いてその場に崩れ落ちるかの様だった。
 が、風雲急を告げる。学園の生徒は、彼等の披露などお構いなしに事件を起こすものである。
「な……!?」
 実際に声を上げたのは龍介だけだった。だが、その場の誰しもが感じた筈だ。足元が揺れる感覚を、思わず耳を覆う程の鼓膜の震えを。連続的な爆発音は頭上から。――地震では、ない。

「アイツら……!」

 秋哉が、その表情を苦渋に染めた。窓から覗いた先に見えたのだ。屋上で踊りステップを踏む獣人と、共に戯れるナイフ型の成熟期デジモンを。間違いない。この間、自分達が取り逃がした者達である。それを確認した秋哉は、無論すぐさま飛び出そうとした。が、それは叶わなかった。
「チンカラホイ☆」
「ぬわっ!?」
 どこかで聞いた事のある呪文。それが唱えられたその瞬間。まさに足をすくわれたという状態で、秋哉は顔面から床に滑りこんだ。痛い。地味に痛い。――知ってるかい? 眼鏡をかけいる人間にとっては、それ自体が痛みを増幅させる為の凶器になり得るんだ。こう、鼻止めの部分がだな、上手い具合に鼻に食い込んで――
 と、いうのはこの際どうでも良い。こんな摩訶不思議な所業をしでかし、秋哉を転ばせられる者はヒトリしかいない。

「あ、成功した」

 ウィズである。
「何をふざけているんだ貴様は!? 遊びならば他でやれ、今は時間が――」
「ないないと焦るあまり、お忘れですか? それともリターンマッチの為ならばそんな事は関係ない、ですか? エミィさんの状態は」
 気がつくと、秋哉はウィズの胸倉を掴んでいた。
 ゆっくりと、しかし真っ直ぐに投げかけられた呪文に、秋哉は冷静になる事が出来た。そうだ。エミィは彼等によって傷を負っていたのだ。視線を下げると、そこにいたエミィと目が合った。まだ全快はしておらず、白い身体にさらに白い包帯巻きつけている。話す分には支障がない。日常的な運動もまた、十分にこなす事は出来るようだ。しかし、戦闘となれば。
「しかし……! ――あいつらは俺が取り逃がしたんだ。それに、オレを除いたら――ウィズ、お前ヒトリでは手が足りないだろう? マリィだけでも俺は行くぞ」
 ヨシノはパートナーを連れているところを見た事がない(そもそも、こういった事件で共に行動した事はないのだが)。龍介はいないとはっきり分かっている。そして、今回の相手は成熟期が2体だ。適任者なのは自分しかいない。ならばその力を発揮しないでどうすると、秋哉はそう考える。能力がある者は、それを存分に発揮するべき。上にある者はそうあるべきだ。と。
 しかし、それすらも許されなかった。
「マリィさんも、連日の仕事で疲れている筈です。――これは会長命令です。貴方を行かせる訳にはいかない。
 龍介さん、ヨシノさん。貴方達に一任します。あの場を収めて来て下さい」
「――!」
 その決断も、采配も、秋哉には信じられなかった。何故この時あの相手に2人を向かわせるのか。制止しようとしたが、既に手遅れだった。
「了解っス」
「今すぐに」
 2人は短くそれだけ答えると、すぐさま部屋を出て行った。その後ろ姿をどれだけ見つめても、デジモンの気配はどこにも感じない。頼もしさよりも心配。心配よりも焦燥が、秋哉の胸を焦がすようだった。
「待――」
「止めても無駄ですよ。2人はもう行ってしまいました」
「……何故あんな指示を! アイツら2人だけに任せるなんて――」
「荷が重すぎる、ですか。……しかし、そう言って貴方だけが走り回っていてもいずれ限界が来てしまうでしょう? これまで抱えられたからと言って、これからもそうだとは限りません。それに」
 凄まじい気迫で迫る秋哉を、ウィズは平然と受け止めた。そして、またゆっくりと呪文を紡ぐ。最後の最後は間を作り、自らも2人が向かった方向を目を細めて見つめながら丁寧に繋いでいった。

「大丈夫です。彼らもまた生徒会のメンバー……貴方が思っている以上に、実力は備えていらっしゃいますよ」

 ふわり、とした笑みは帽子と口布に隠されてしまったが、それでもその瞳は柔らかく微笑んでいた。









「デートの誘い。――寄越したのはやはり、貴様だったか」

 亜名座阿学園の校舎はとにかくでかい。つまりその屋上の位置する高度もこれまた高い。強風が吹き荒れる中、獣人はしっかりと地に足付けて仁王立ちし、白茶けたデートコースへエスコートした張本人を睨みつけた。

「どーしても決着、つけたくてなぁ。お前もだろ?」

 前触れはなかった。――否、その言葉自体が前触れか。耳元近くで不自然な風の音が響いたかと思うと、焼けつくような痛みが頬に走った。昨日アレだけ痛めつけてやったというのにこのスピード。まったく落ちていないどころか、速まっているようにすら感じた。
 一晩でそんな芸当ができたトリックは簡単である。獣人がまだ怪我をおして出向いたのに対し、相手はサイボーグ。部品を交換さえすれば完治するという便利な身体。早くなったように感じるのは恐らく、自分が鈍っているだけの事だろう。これほど早く喧嘩を売りなおしてきた事は少々驚いたが、成程。こういった裏があったらしい。
 そんな事を考えてはいたが、その実、ウェンディモンにそんな余裕はなかった。
 僅かな風の音を残し、それは縦横無尽に空を切り取る。こうして1つ瞬く間にも、頬には鋭い痛みが走って血潮が上がって行った。いや、それを感じた次の瞬間にも、もう一閃。刃が煌めくのを瞳に映した時点で、もはや手遅れだ。
「どうしたよウスノロ!? ホラホラホラァッ! グズグズしてっとその首落とすぞ!」

 優越感。

 自分より遥かに大きな身体を持つ者が、自分の〝力〟を前に成す術なくひざま付く。それの光景を目の当たりにし、自分でも知らぬ間に口の周りに舌を這わせていた。
 ――いいぞぉ……!
 彼の想い――〝デジソウル〟に呼応するように、従順な殺人マシーンは素早さを増して行った。1つ傷ができる度に素早く鋭くなり、益々手をつけられなくなるブレイドクワガーモン。別名をキルスメリス。
「……っ!」
 ウェンディモンはその巨体を屈めて長い両手をしっかりと地につけ固定すると、背中から弾丸を打ち出した。正確無比に。狙って発射されるそれらは次々に鎌鼬の正体を追いかけるが、あちらの方が僅かばかりに速さで勝る。そのナイフの軌道に沿うように爆発していき、破壊されるのは屋上の白いコンクリートだけだった。細かく砂の様な状態になってしまったそれらが穿った穴の中に降り注ぎ、まるで昨日まで時が戻ったかのような錯覚を起こしそうな雨の音を奏でた。
 殴るにも、小回りの利くブレイドクワガーモンが有利。身体に張り付くように飛びまわられては、リーチの長さ故に反撃できないというのが現状だった。
 ――否、こうも耳元で唸られるとイライラする。叩き落としたいのに落とせない。羽虫にも通じる感情が、ウェンディモンの中に湧き上っていた。この間もそうだったのだ。だから本体を叩いて終わらせようとした。それを思い出し、ウェンディモンは一足飛びに剛太に接近しようと両足に力を込めた。
「おっとぉ? そうはさせないぜ!」
 主人の言葉に従い、殺人サイボーグが切りつけたのは脚――それも腱の部分だった。
「アァァァァァァァァァ!」
「これでもう下手には動けねえな? いいぜぇ。このままじわじわといたぶってやる。近くになんて寄らせるかよ! その拳にどれだけ力があっても! 当たらなきゃ意味がないんだからなッ!」
 彼が楽しげに口笛を吹くその様も、ウェンディモンの瞳には憎らしさしか映らない。剛太は殴り殺したくて仕方ない奴ではあったが、その最後の言葉にだけは同意出来た。何故なら、それは今自分が1番痛感している事なのだから。

「あぁ、そうだな」

 だからだろう。そんな肯定を意味する言葉が漏れたのは。
「当たらねば、な――」
 その巨体で夕日を背負い、シルエットとなった獣人。その、唇が半月の形に歪められた。

「〝デストロイドボイス!〟」

 それは、歌。ウェンディモンは大口を更に大きくこじ開けて、戦いの終わりを告げる歌を歌った。その振動は岩をも砕き、遠く高みの見物をしていた剛太に耳を塞がせ顔を顰めさせた。そうしている間にも、肌で強く感じる大気の異変。
 流石に、そのナイフは音速を超える事は出来なかったらしい。足元の固いコンクリートからも反響し、2重3重と襲いくる凶器の歌に、キルスメリスは聞き惚れてしまった。1番の特等席で鑑賞する事となった彼は、感動のあまり止まりはせずともそのスピードを落としてしまう。
 だが、獣人にはそれで十分だった。
 歌のフィニッシュを飾ったのは、金属が砕け散る派手な音。そして、それら細かい欠片が雨あられと地面に零れ落ちる音だった。動きを鈍らせたキスルメルス、をウェンディモンは正確にその拳で打ち抜いたのだ。その事によって破片が飛び散り、彼自身も刃によって拳を傷つけたが、そんな事はどうでもいい。
 拳から流れる血をウェンディモンは自らの舌で拭い、また笑った。彼はいつも、笑う時にはハッキリと笑う。限界まで引き上げられた口角、そこから覗く白い歯列は、こうして眺めている間にもこぼれて落ちそうなくらいだった。
「後は、お前だけだ」
「なん……!」
 そもそも、始まりはなんだったろう。
 今日は確か、自分で呼び出したからだ。だが、昨日の喧嘩はどうだったろう。その理由はもう、誰にも分からない。――始めからなかったのだろう。そこから始まった喧嘩だったが、キルスメリスがデジクロンゾイドの塊からコクワモンへと退化した今、ウェンディモンが拳を向ける相手は剛太しかいなくなっていた。
「ま、待てっ! 待ってくれ!」
 自分が優位に立っていた時の威勢はどこへやら。身の危険が迫ると、剛太は途端に態度を変えた。痛いのは嫌だ。傷つくのは嫌だ。嫌な事は嫌だ。その為だったら何度だって頭を下げられる。土下座だってしてやる。その場その場が気持ち良ければいいのだから。相手が納得しなかろうがどうだっていい。いざとなったら、親の七光を使えばいい。
 だが、彼にとっての不幸がこの場には存在した。この学校はそんな事を気にしない連中――

「初めに喧嘩を売ったのはお前だ。……そうだろう?」

 ――デジモンも存在する学園で、他でもない喧嘩を売ってしまった。相手自身がそれだったのだから。
 何を叫んでも歩みを止めない獣人に、剛太はとうとう背を向けて逃げ出した。だが、そんな事は意味をなさない。
「逃がさぬ」
 人間とデジモンとの身体能力には、絶望的なまでに差があるのだから。
 足の健だけを切れば十分と思っていた。だが、それは油断以外の何物でもなかったらしい。ウェンディモンは身体に不釣り合いなその両腕で身体を支えると、次の瞬間跳躍して見せたのだ。
「〝クラブアーム!〟」
「ひぁっ!」
 すぐ後ろで聞こえたその声に、剛太は間抜けな悲鳴を上げて盛大に転んだ。足が竦んで動けない。腰が抜けて立ち上がる事も出来ない。精々、その身を竦ませ近い未来に来るだろう拳の衝撃を待つ事しか――まだ、殴られていない?

「〝学園内での喧嘩を禁ず〟――亜名座阿学園学則第3条11項」

 蹲る剛太の頭上から、凛とした声が降って来る。
「学生手帳2ページにきちんと記載されています。お忘れですか? 昨日も、生徒会の者が貴方に忠告した筈ですが」

 その声にふっと顔を上げると、少女の後ろ姿が目に入った。女子だとしても決して大きくはないだろう身体でウェンディモンとの間に立ち入り、まるで剛太を守るかの様に獣人に薙刀を突き付けていた。台詞を並べるのに連動し、頭頂部でまとめられた黒髪が小さく揺れる。
「――生憎と、聖書を持ち歩くほど信仰深くはないのでな」
 ウェンディモンは弾かれた拳をもう一方の手で握り、手首から先をグルグルと回していた。あの薙刀で弾かれたのか? それを疑う。腕には痺れが走っていた。
 成熟期と、人間。普通ならば身体能力の差は明らか。――少女自身の身体能力が異常なのか、それとも武器に……?
 この場に、ウェンディモン自身とキルスメリス以外のデジモンの気配を感じない。つまり、目の前の少女にはパートナーがいないのだろうか。
「ならば生徒会として警告します。貴方の行為は明らかに学則違反です。――止めて下さい。
 従わない場合は、この騒動を力づくで鎮圧させて頂きますので予めご了承を」
 それは、「出来れば止めて欲しい」とか、「取りあえず止めないと」といった類の言葉出は決してない。明確な意思が込められた〝命令〟であった。真っ直ぐに向けられた視線は、まるで射抜くかの様な錯覚すら起こされかけた。見降ろしているのはこちらだというのに。恐怖を感じるのは相手。それが道理だろうに、この圧力は一体何だ?
「パートナーも持たぬニンゲンが……良い気になるなよ!?」
「パートナー? ツールは関係ありません」
 先手必勝とばかり、ウェンディモンが動いた。どんな仕掛けや種があっても、発動させる前に潰せ済む話だ。獣人が拳を握って振りかぶり、再び振り下ろす動作はまるで流れるかのようだった。手慣れているからこそのそれ、歴戦が物語る、ある種の〝業〟。
 だが。

「――貴方相手ならば、私1人で十分です」

 いくら油断したからと言って、懐に潜り込んだ相手に急所を晒すとは。呆れてものも言えない。そんな相手に、パートナーを使う必要もない。
 少女は突きつけていた薙刀の、先をまったくぶれさせる事無く獣人の喉を突く。それに相手がひるんだ隙に、自らの身体を回転させる要領で肩口から脇腹にかけて刀を一閃。撫でつけた。

「……ご安心を。刃は落してありますので」

 ボソリと呟かれた囁きは、ウェンディモンの巨体が沈む音でかき消されて誰の耳にも届かない。すっとヨシノが目を向けた先にいるのは、打ち砕かれてコクワモンに退化したキルスメルスと、その主人剛太のみだ。いや、そう表すのは語弊があろう。キスルメルスはもう動けない。――実質、標的となるのは剛太だけだ。
 空気を切り裂く音がした。
 ウェンディモンが元々出血していたため、刃を落としていたとはいえ切りつけた事で血液データが付着していた。ヨシノは薙刀を振るう事でそれを払い、一歩一歩足音を響かせながら剛太へと近づいていった。逆光の所為でメガネが光り、いつも無表情な彼女の感情は、さらに窺い知るのが難しくなる。風にたなびくポニーテイルとスカートだけが、彼女という存在の中で唯一の、激しく動くアクセント――そんな切り絵の様だった。赤い生地の髪に黒一色で表現さている。綺麗、ともいえる。だが、今の剛太にとっては恐怖の対象でしかなかった。
「来るな……来るなよ!」
 ウェンディモンに襲いかかられた際に腰を抜かしていた剛太だったが、同じ人間が近寄ってきているというのにそんな情けない悲鳴を上げるので精いっぱいだった。ヨシノはなんの言葉も発さない。その感情も伺えない。――何を考えているのか分からない。その事が、より一層恐ろしかった。

「――ヨシノ先輩! 置いてくなんて酷いじゃないっスか!」

 その時、叫び越えと共に屋上入口の鉄扉が耳障りな悲鳴を上げた。幻想にとらわれていた剛太は、その事にハッと意識を取り戻す。自分がいるのはただの屋上、そして相手はただの少女だ。そして新手は――ウェンディモンを倒した奴よりも弱そうな、武器も持たぬ丸腰の少年。
 このとき、武器を持たぬというだけで「自分よりも弱い」と判断してしまったのは何故だろう。まっこと、人間の脳はそのように都合の良い解釈をするのは早いらしい。特に、剛太のように自己中心的な者ならばなおさら、か。
「どけ!」
 丁度、龍介が出入り口から現れてしまったのも、剛太にとっては不運であった。逃げる事と突破口を見つけた少年は一転、ヨシノのリーチから逃れて全力疾走を始める。少女より弱そうという事はつまり、自分よりも。と、1度持ってしまった考えに、彼は疑問を持つ事無く突っ込んで行った。龍介を倒せば行ける。逃げられる。
 結局のところ、彼の考えはそれに起因する。その時その時の自分が気持ち良ければそれで良い。その後は知らない。周りがどうなろうかなんて、知った事ではないのだ。
 後4歩。
 龍介との距離を縮めた剛太は、走る勢いそのままに突っ込んでいった。右腕にスピードを乗せ、タックルする要領でぶつからんとする。
 その様子を目の当たりにして、龍介は始め動かなかった。向かってくる剛太に塞がれ、僅かに見える光景はウェンディモンが倒れている様と、ボロボロのコクワモン。そしてヨシノ。――彼女と目を合わせると、やはりと言おうか。その表情は無表情からなんの変化も寄越さなかった。

「――了解っス」

 つまり、こいつが件の生徒か。肯定と受け取った龍介は、立ち向かってくる剛太の拳を身を屈める事で回避した。が、それくらいは予想されていたのだろう。目の前には剛太の蹴りが迫っていた。
 避けられない。
 いや、避ける必要などない。龍介は回避を諦めた。

「――フッ!」

 代わりに攻めに転じる。短く息を吐き、無防備な鳩尾にカウンターの要領で肘鉄をくらわせた龍介は、剛太が動きを止めた隙に首根っこを掴んで思いっきりコンクリートに叩きつけた。不届き者の身体は1度バウンドして再び自重で叩きつけられ、今度は言い訳をする事無く静かになる。
「……って、事で良かったっスか?」
 恐る恐る、といった風に、龍介は事後承諾を取る。もし勘違いだったら、ごめんなさいとしか言いようがない。しかし、どうやらそれは杞憂らしかった。ヨシノからは返事がない。彼女は、必要最低限しか言葉を発しない。訂正がない限りは返事がないのがデフォルトなのだ。この場合も、そう。彼女は必要なことを呟くにとどまった。
「困りました。……これでは指導を受けされられません」
「ヤッバ! 俺も忘れてました」
 つい癖で、というと彼がそんな場面に立ち会う機会が多々あるように見えるが、事実そうだから仕方ない。思わず手加減なしに叩きつぶしてしまった。もしもーし。倒れている剛太の傍らに座りこんで小さく呼びかけてはみるものの、見事に反応は皆無だった。ダメだこりゃ。もしかしたら意識が戻るのは日付が変わってしまうかもしれない。
 素人相手に悪かったか、とも思ったが、その考えはすぐに改めた。剛太の名前は悪名高くて有名である。きっと1つや2つ、裁かれていないものもあるに違いない。――それは例えば、つい昨日の校舎破壊の様に。
 なんて事を思いつつ、今日の被害も大概であるが。何も備品がなかったとは言え、まっ平らだった屋上は今、所々がデコボコだ。それを見回した感想である。自腹で弁償しやがれコノヤロー俺がどんだけやりくりに苦労してると――それはさておき。

「……ま、自業自得って事で」

 彼にしては珍しく苦笑を洩らすと、龍介は上着の襟を静かに正した。










「言ったでしょう? 彼等も強いと。これで信じて頂けましたか?」

 1つの事件が一段落し、秋哉とウィズは現場に赴いた。コクワモンは自力での移動が可能そうだが、剛太はそうもいくまい。秋哉と龍介はそれぞれ担架の端を持って重たい野郎の身体を運び、ウィズは得意の魔法でウェンディモンの巨体を浮かび上がらせていた。ただいま、生徒会一行は保健室へ移動中である。
 龍介は何を話しているのかついて来れていないらしく、キョトンとした表情でこちらを窺っていた。勘づかれるのはなんだか癪だったので、秋哉は沈黙を返事とした。それが肯定と取られてしまおうと、それはそれ。ウィズが勝手にそう取っただけ。仕方のない誤解である。
 あ、笑いやがった。違う、違うからな。断じて違う。言っておくが、成熟期2体がいる場に人間2人で立ち向かおうとした事自体は無謀以外の何物でもなくてだな――
「あー! 畜生。無駄に重かったぜこいつ」
 ゴチャゴチャと考えている間に到着していたらしい。龍介は途端に担架の端を投げ出すように手を放すと、報告書製作の為の書類を取りに行った。よもや、この場で書くつもりではあるまいか。見上げた根性だ、と秋哉は空いているベットに腰掛け溜息を吐いた。
「疲れましたか? ――気苦労というのは不思議です。自分が動いた訳でもないのに、精神的に疲れれば、それは身体にも及びます。
 え? そんな。今度は私の所為じゃないですよ。不思議だからって、そんな。魔法なんて使っていません」
「……そうだな。自分で動いた方が、よっぽど気が楽だ」
 秋哉は前半にだけ肯定して、膝の上に乗ったエミィの頭を撫でた。デジモンの再生能力は、戦闘が常の種族らしく人間のそれをはるかに凌駕する。先ほど包帯を変えたところ、既に傷は塞がりかけていた。明日には全快出来るだろう。
「自分でやった方が早い。――そう思って自ら動けば、今度は身体そのものが疲れます。疲れは判断力を鈍らせ、いずれミスへとヒトを誘導する。……とても難しい問題です」
 何を言いたいのだろう。その真意が知れなくて、秋哉はすっと顔を上げてウィズを見た。一方の彼はこちらを向いてはおらず、呆けたようにも見える表情でどこかを遠くを見つめているかのようだった。独り言、だろうか。
「前回のミスの事なら謝罪する。ハプニングがあったとは言え、それをカバーできなかった俺の責任だ。すまなかった」
「いいえ、違います。昨日のミスは、貴方1人で現場に行ってしまった事。その1点だけです。しかしそれでも、トコモンは救出できた。それは貴方の能力の高さ故だと、今日の会議ではそう言ったのを覚えていますか?」
 覚えているなにも、それから数時間も経っていない。忘れている筈がなかった。
「貴方は天才です。そして天才過ぎて孤高とも聞きました。――確かに、個人競技では貴方は飛び抜けた存在でしょう」
 視線を向けると、ウィズと目が合った。微笑んでいるのか企んでいるのかよく分からぬ顔で、ようするにいつも湛える表情で、生徒会長はこちらを見ている。
「さらにそれは、この生徒会においても同じことです。恐らく葉っぱを使っても、私は貴方達サンニンが本気を出したら敵いません。――しかしいつも個人的に動くと言うのならば、そもそも生徒会という団体を作る必要はないのです。有志の者達が、バラバラに現場へ赴き対処すればそれで事足ります」
「――そうする者が1人もいなかったらどうする。その為の生徒会だと思っていたが?」
 それは秋哉の本心ではない。この学園には必ず、少しやり過ぎて問題を起こす生徒もいれば、それをたしなめる生徒も存在する。そう信じてはいたが、万が一、である。
「そうですね。その意味合いもあるでしょう。なにより役割を決めておくことで、対応が迅速になる事は確実です。しかし団体である事はそれよりも大切な意味を持つと、私はそう考えます」
 そこでウィズは一端間をおいて、壁に掲げられた時計を見上げた。そうしてから、今度はその視線を秋哉に向けて言葉を続ける。

「何より、1人は寂しいじゃないですか」

 ウィズの笑顔を見ながら、秋哉はその返事に面食らったような顔になる。とても意外な答えだと思ったのだ。
「貴方がエミィさんやマリィさんといると心強く思うように、2組以上で現場に行けば絶対に、緊張はわずかでも和らぐはずです。――全てをさらけ出す必要はありません。しかし、もう少しメンバーを信じて頼ってはくれませんか? 同じ生徒会の仲間でしょう?」
 仲間だけが見えないところで任務についている。それだけ、でヒトはとてつもなく気苦労するとウィズは言った。
 しかし、自分1人だけが現場に赴いても、疲れていずれミスをするとも注意された。
 では、どうすればいいのか。それも今諭された。
 見えないから心配だというのなら、自分も共に行けば良い。自分1人で捌き切れないのならば、少し負担を預けさせてもらえば良い。今まで1人で気負い過ぎていたのだろうか。――そうかもしれない。
「若。若は副会長になってから、疲れがたまってる様にも見えたけど――」
「――反面、イキイキしてるって、エミィもマリィも思っていましたです」
「おや、そうなのですか?」
 3対6つの瞳に見つめられ、流石の秋哉も言葉に詰まった。詰まって……詰まって? どう答えたものかと考えているうちに、タイミングを逃してしまった。しまった。今日何度目のミスだろう。
「会長、お待たせしました」
 そんな間に滑り込んでくるように、ヨシノがお盆にお茶を載せて入って来た。姿が見えないと思ったら、どうやらウィズの要望で隣の給湯室でお茶を湧かしていたらしい。助かった――ウィズはさっき、時計を見ていたように思う。もしや計っていた訳ではあるまいか。
 そう思ってしまうのは、彼が不思議な「魔法使い」故の邪推だろうか。
 香り立つお茶の湯気に、僅かでも感じていた緊張が軟いでいく様だった。熱いそれに口をつけると、中からもじんわりと温かさが身体をほぐしていく。精神と身体がどうの、とウィズはそう言っていたが、これがそう言う事だろうか。お茶のお陰で体温よりもいささか暖かくなった息を吐き、秋哉はそっと呟いた。

「――まぁ、下手な部活に入るよりはやりがいがあったのかもな」

 気付けばそれは生徒会を、ひいてはメンバーを肯定した一言だったが、不思議と悪い気はしなかった。足手まといになるのなら――どうせ自分について来れないようならば、共に行かない方が迅速に片付けられる。そう思っていたが、今度は誰かと一緒に事件を担当するのも良いかもしれない。ウィズ曰く、メンバーは皆強いそうなのだから。
「ただいま戻りました。――あ、どうもっス」
 龍介が帰って来た。どうせこれからみんな生徒会室に戻るだろうに。わざわざ引き返して来るとは熱心な奴だ。
 ヨシノから新しいお茶を受け取る様子を見て、秋哉はぼんやりとそう思った。ここ最近の精神的なつかえが取れた反動か、それとも飲んでいるお茶があまりにも美味しいからだろうか。何を見ても好ましく感じた。色ボケしてるとも言えるだろうか。――〝ボケている〟とは確実に言えると、後々の自身がそう思うだろう事を、今の秋哉はまだ知らない。
「報告書……誰が書くんすか? 俺、もう部活行かなきゃなんで開いてる人に頼みたいんですけど」
「ならば行って良し、です。龍介君。思いっきり女の子の水着を――じゃなかった。水泳を楽しんで来て下さい」
「どうもっス。じゃ、これ置いて行きますんで」
 1人が抜けた。龍介はお茶を飲み干すとお礼もそこそこに、すぐ荷物を持って部活へ向かう。彼から1番近いテーブル――に、現在1番近いのは秋哉だ。――の上に、1枚の書類が残される。
「そしてヨシノさん。本日は上がって下さって結構です。美味しいお茶をありがとうございました」
 ウィズが、ヨシノにいつも言っている言葉で彼女を業務から解放する。ヨシノは素直にそれに従って、恐らく綺麗に洗って返してから帰るのだろう。完飲されていた湯呑を回収して去って行った。残ったメンバーはあとフタリ。
「………結局、この報告書は誰が書くんだ?」
「決まっているじゃないですか」
 そう言ってウィズが書類に手を伸ばした。紙切れ1枚を取り上げ、それをすっと自分の方へ寄せる――
「私は銀髪先生のDVDを観なくてはならないので」
 ――途中にある秋哉の膝の上に、必要事項が真っ白な報告書が落された。

 ちょっと待て。

 いやいやいやいや? これはつまり……ちょっと待て!
「貴方が私達を頼って下さるように、私達も貴方を頼りますので。では!」
「待て!」
 と、叫ぶ間もなかった。言い切るうちにウィズの映像はおぼろげになり、瞬きを1つする間に消えてしまった。魔法って不思議だね。便利だね。伸ばした腕が、虚しく空に掲げられているままに固まった姿勢。今の秋哉はまさに、そんな恰好をしていた。
「頼ろうとした次の瞬間この仕打ちか貴様等ぁー!」
 1人虚しい叫び声が保険室に響き――
「うっさいわ!」
 ――愛情という名のハリセンツッコミに、撃沈されたのは言うまでもない。







「ほう――」
 とある一室で、小さな呟きが漏れた。声の主が手に取っている書類に記載されている情報は、とても興味深いものだったのだ。学期の始まりから途絶える事のない校舎破壊。それを食い止めようとして、さらに破壊が進む様な行事を催そうと言うのか。
 よくよく目を通すと、修繕費削減から発生した案らしいのが良く分かった。

「――面白い」

 校舎破壊を免れようと、さらに破壊するような真似をして。コストを抑えようと、さらに投資をしようとする。その発想が面白い。
 限られた条件の中で、新たな可能性を発現させる。殺してはいけない、だが生かし過ぎてもいけないのだ。ギリギリの環境。そこに僅かの抜け道を与えてやることで、人間はどんどん進化して行く。
 ルーチェモンは傍らのハンコを取り上げると、朱肉のついたそれを紙面に落とした。良かろう。どこまで行くか、この際とことんまで見せてみろ。










「つぅ……! あれで本当に校医なのか? まだ痛むぞ」
 秋哉はハリセンがクリーンヒットした頭をさすりながら、机に向かっていた。報告書はどうせ、今日中には終えられない。しかし、珍しくヨシノが日誌を書き忘れているのを見つけてしまったのだ。会議内容はどうでもいい事まできちんと書き込まれているのに、どうやら解散地点がいつもと違っていたのがいけないらしい。案外、生徒回で1番抜けているのは彼女かもしれない。
 さて。最後の最後。フリースペースには何を書こうか。
 必要事項を書き終えた秋哉は、ふと真っ白いスペースに筆を止めた。ヨシノは何を書いているのかとページをめくると――彼女らしい。「自由」な空間なのだから、書かないという選択を取っていた様だ。他はビッシリと文字が詰め込まれているに、そこだけはいつのページも空白だった。

「…………」

 自由に書いていいのならば、こういう事も良いだろう。秋哉はそう判断して、最後に一言を付け加えると日誌を閉じた。彼女が探してしまわぬよう、いつものところに戻しておく。
「若。なんて書いたんですぅ?」
「さぁな」
「いいじゃん、ウチらにだけは教えなって!」
 最後は楽しげに言い争いながら、サンニンは生徒会室を出て行った。今まで、あの日誌はヨシノ以外が開いている所を見た事がない。つまり、見られたとしても彼女だけだろう。
 そう思ったのは、いささか甘かったとしか言いようがない。

 「『今後の生徒会目標:メンバー同士の連係を高め、ミスを減らす』ですか。――素直じゃないですねぇ」

 いつも最後まで残って仕事をこなす生徒会長が、資料を収めるガラスケースの前でヒトリ微笑んでいた。




最終更新:2009年08月27日 01:48