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@でつツ
4 日前
魚豊さんが、マンガ関係のイベントに出演した際の、観客からのとある質問に対しての返答は財津の講演並に感動した記憶がある。
質問は忘れたのけれども、「なぜマンガを描くのか?フィクションに拘る理由は?」みたいなものだった思う。
以下、長いけどその時の返答。


答えになっているかわからないですけれども、僕が漫画で一番おもしろいと思うのは、テンパりきったやつが開き直る瞬間なんですね。その「これでいいんだ」って瞬間が、一番カタルシスがある気がして。僕自身、テンパりきって開き直って漫画家になった、あの瞬間を肯定したくて描いているところがあります。

それで、なぜフィクションを描くのかといえば、フィクションの方がノンフィクションよりも「現実」に近いと思うからなんです。

まさに、フィクションとノンフィクションが渾然一体となって、理由がわからなくなった瞬間。これマジなんじゃねえか、って思う瞬間。そこが一番おもしろいし、刺激を受けるんです。アリストテレスも言っていますが、歴史は「起こったこと」を書くけれど、フィクションは「起こりうること」を書く。普通は「起こらなかったこと」だと思われがちですが、本当は理由がわからなくなった瞬間のような、その境界線の渾然一体となった領域こそが、一番「到達できる」場所なんじゃないかと。

というのも、人間の人生っていうのは、そのよくわからない境界線のところにこそあると思うんです。
たとえば、自伝を書いたとして、何年に結婚して、何年に子供ができて……というのは確かにノンフィクションですよね。でも、本当はその人は、頭の中で「あの人と結婚する人生もあったな」とか「あの職業についていたらどうなっていただろう」とか、起こらなかったことをずっと妄想しているわけじゃないですか。

誰かに会ったときだって、「その服いいですね」と口では言っても、心の中ではそう思っていなかったりする。でも、その「言っていないこと」や「やっていないこと」、つまり自分の内側にしかない気持ちのほうが、その人にとってはよっぽどリアリティがある。

人生って、そういう事実と妄想が渾然一体となったところに立ち現れてくるものだと思うんです。だから、自分じゃない誰かの物語(フィクション)が、自分の主観に入り込んで救いになったり、大きな影響を与えたりする。僕はそういう理由がわからなくなった瞬間の力を信じて、フィクションを描いています。













最終更新:2026年05月07日 09:15