長い洞窟の終点には、岩肌いっぱいに嵌め込まれた門が待ち構えている。
 門衛が一人、退屈そうに扉にもたれかかっていた。
 俺の姿を認めると、鼻を鳴らしながら、やはり退屈そうに口を開く。

「よう兄弟。仕事探しかい」
「いや、一仕事終えて、帰ってきたところさ」
 それだけで十分だった。
 薄汚れたマントに、背負い袋。革のベルトと金属片をつぎはぎした粗末な鎧を身につけ、
腰には段平。俺の装いはどこからどう見ても流れ者の売剣のそれだった。そして、そうした
連中に対しては、この街の門は常に開かれているのだ。

 門衛は「入りな」とばかりに無言で顎をしゃくって見せる。
 俺も無言で扉に手をかけ、耳障りな軋みに顔をしかめながら門を開く。
 一歩を踏み出せば、そこはもう、無法の街「ホッグスティ」だった。

 天を振り仰げば、アーチ状の岩盤がどこまでも続いてゆくのが見える。
 左右には、広大な地下道を埋め尽くすようにみっしりと住居が立ち並んでいた。堅牢な
石造りのものも僅かに見られるが、大半は泥壁の粗末な小屋だ。
 通りの脇にはまばらにかがり火が焚かれ、昼夜を問わず街を照らし続ける。赤く、
薄ぼんやりとした灯りが目に優しい。ここと比べると、外の街は眩し過ぎる。

 ホッグスティは、廃棄されたドワーフの集落を利用して作られた地下都市だ。
 幾本かの主要な地下道と接続していることもあり、交通の要衝でもある。自然と、各地から
戦士や手配師が集まり、宿場町となった。
 腕に覚えのある者はホッグスティに集う。そして、ここで斡旋を受け、各地に散り、仕事を
終えるとまた戻ってくる。俺もそうした戦士たちの一人というわけだ。

 かがり火の熱気と、生活の臭気がむっと鼻腔を突く。
 それが不快でないどころか、懐かしくさえ感じる。この街を発ってからまだ一年も経ていない
というのに、すっかり里心がついてしまっていたようだ。
 久方ぶりに目にするみすぼらしい町並みを楽しみながら、俺の足は自然と「怒れる棘々獣亭」
へと向かった。

 表通りの脇に突然現れた巨大な厩舎。
 信じ難いことだが、「怒れる棘々獣亭」の入り口はこの中にある。騎兵の利用客も多い
ことからこうした構造にしたそうだが、いやしくも飲食を供する店の入り口が狼の糞尿に
塗れているというのはひどくいただけない。
 せめて入り口を分けてはどうかと、何度もアラガンに忠告したのだが、締まり屋の店主は
そんな改築工事に金をかけるつもりは更々ないらしい。

「いらっしゃい!」
 悪臭を我慢して店の扉をくぐると、甲高い金切り声に迎えられた。
「あれ、バルドさんじゃあないですか。お久しぶりです」
 テーブルを布巾がけしていたウェイターが、そう言って満面の笑みを浮かべながら近づいて
きた。早くも懐かしい顔に再会でき、思わず頬が緩む。
「よう、キール。なに、まだ一年経っちゃいないがね」

 キールはもう何年もこの店でウェイターを続けている、働き者のゴブリンだった。
 チビで貧弱で、骨と皮だけに痩せこけている。ゴブリンというのはつくづく醜悪な種族だが、
俺はキールのことは気に入っていた。
 この街には異種族の住民はほとんどいない。人の往来が激しい宿場町だけに、ある種
おおらかな気風はあったが、それでもやはり異種族への偏見は根強い。そんな中で立派に
客商売を勤めているのだから、見上げたものだった。

 カウンターに腰を下ろすと、キールは何も言わずにパンと大盛りのシチューを運んできて
くれた。俺の装いから、旅帰りでここに直行したことを見抜いたのだろう。賢いウェイター
だった。
 食欲をそそるシチューの香りが、空っぽの胃を刺激する。俺は皿が置かれると同時に手を
伸ばしていた。
 パンの切れ端でたっぷりシチューをすくい上げ、口に運ぶ。
 実に美味かった。この店には様々な欠点があるが、シチューに入れる茸の量をケチらない
ことだけは評価できる。

「たしか、西ツァンクの方へ行ってらしたんですよね?」
 俺がガツガツと一皿平らげたのを見計らうと、キールはシチューのおかわりを注ぎながら
問いかけてきた。
「そうさ。地下迷宮の衛士の仕事でね」
「それは長旅でしたね。でも無事で良かったですよ……と、そうだった」
 給仕を終えたキールは、突然何かを思い出した様子で前掛けを外す。
「こうしちゃいられない。バルドさんが戻ったって知らせてこなけりゃ」
 そう呟いたかと思うと、止める間もなく店の外に走り出して行ってしまった。

「おいおい、客を放り出してどこへ行くってんだ」
 独り愚痴ってみても始まらない。もう少しキールと他愛のない話を続けたかった俺は
腹を立てたが、新たに注がれたシチューの香気にすぐに気を取り直す。とりあえずは
腹ごしらえに集中してもいいだろう。

 ところが、二皿目にとりかかったところで、キールと入れ違いになるように、店の奥から
新たな人物が現れた。
「生きてやがったか。バルド。しぶとい野郎だぜ」
 禿げ上がった頭。たるんだ頬。口元にはヤニ焼けした黄色い歯がのぞく。
 アラガンだった。この「怒れる棘々獣亭」の主人であり、同時にそれなりに名の通った
手配師でもある。
 手配師とは、この街に集まった戦士たちを、傭兵やら護衛やら用心棒やらとして雇主に
斡旋する連中のことだ。アラガンは相当な額をピンハネすることで悪名高いが、その分、
雇う側に対しても雇われる側に対しても誠実な仲介をすることでも知られていた。
 かく言う俺も何度となく世話を受けている。今回の西ツァンクの地下迷宮の仕事も、
アラガンの手配だった。もっとも、だからといって、帰ってきて真っ先に拝みたい顔かと
いうと、そうではないが。

 アラガンはカウンターを挟んで俺の顔を覗き込むと、腑に落ちない様子で問うてきた。
「ずいぶん早いじゃねえか。グリムズレイドとの契約の期間は、たしか二年だったはずだぜ?」
 自分が斡旋した戦士がクビになったとか、契約途中で投げ出してきたとなると手配師の
信用に関わる。アラガンが気を揉むのももっともであった。
「仕事はきっちり済ませてきた」
 シチューの残りを最後のパン切れでこそげとると、それを口に放り込みながら答える。
「というか、雇主が死んじまったんだから、契約はつつがなく終了さ」
「なんだって?」
「あの黒エルフ野郎、とうとう討伐されちまったのさ。俺も危うく殺されかけたぜ」
 地下迷宮の主が死んでしまったのだから、衛士の仕事も糞もない。俺は巻き添えに
殺されないようなんとか逃げ延びて、ほうほうの体でこの街に帰ってきたのだ。

「またあっさりと死んだもんだな」
「死ぬときは誰だってあっさり死ぬもんさ」
「だがあれほど力を持った妖術師だぞ」
 アラガンは信じられない、という様子だった。
「たしかに力はあったぜ。半年ほど前だったかな。長年の研究が完成したとかで、
グリムズレイドの奴、とうとうリッチになっちまいやがった」
「リッチだと!? そいつは……たいしたもんだな」
「だが、奴さん、それで自分を見失っちまったのさ。やる事なす事どんどん派手になって
いってね。しまいにゃ名のある冒険者どもに目をつけられちまった。そうなったら、もう
終わりさ。昼も夜もなく、次々と新手が押し寄せてきやがる。とうとう便所で用を足してる
隙に……」
「おい、ちょっと待てよ」
 アラガンは訝しげに言葉を挟んできた。
「リッチも用を足すのか?」
「……足すんだから、しようがない。出すモノはないが、生身を捨ててしばらくは生前の
癖が抜けきらないらしい。とにかく、ローブをたくし上げてる隙に滅ぼされちまった」
「へええ」
 俺が話を終えると、アラガンは毒気を抜かれたように間抜けな相槌を打った。
 少なからずショックを受けたようだった。まあ、上得意を一人失ってしまったのだから
無理もない。

 やがて虚脱から醒めたアラガンが、目元をぎらつかせて口を開いた。
「……財宝は、どうした?」
「財宝? なんのことだ?」
「おい、隠すなって。あの黒エルフ、ごっそり溜め込んでたって噂じゃねえか」
 とぼけようとしたが、アラガンは執拗だった。
 たしかにグリムズレイドは財宝の収集家としても著名だった。世にも珍しい魔法の品々を、
あの西ツァンクの地下迷宮に蓄えていたのである。それが冒険者に目をつけられた一因でも
あったのだが。

 主が死んで宝の行く末がどうなったか、関心が向かうのは当然だ。とはいえ、妙な噂を
立てられても困る。俺ははっきりと否定しておくことにした。
「おいおい、アラガン。そんなもの、冒険者どもが残らず持って行っちまったよ。あの
『肥食らい』みたいに卑しい連中が見逃すはずがないだろう? 生き延びただけでも
儲けものさ」
 アラガンはしばらく押し黙り、値踏みするように俺を見つめていた。
 だがこちらが涼しい顔で通してやると、やがて諦めたように首を引っ込めて、「まあ、
いいがね」とだけ呟いた。

「それはさておき、だ」
 仕切り直すようにそう言うと、アラガンは俺の前に白鑞の杯をことりと置いた。
「とにかくお前さんが生きて帰ってこれたのはめでたい。一つ、祝杯をおごらせてくれ」
 カウンターの奥から見慣れぬボトルを取り出し、杯の半ばくらいまで注ぐ。
 俺は締まり屋のアラガンらしからぬ物言いに不審を感じ、おそるおそる杯を手に取った。

 すると、どうだ。
 杯から立ち上る鮮烈な樫の香気が、俺の嗅覚を包み込んだ。
「火酒か」
 反射的に杯を持ち上げ、中身を一口含み込む。
 舌先にじんわりとした痺れが生まれた。それが徐々に口全体に広がり、同時に強い渇きと
なって俺を襲う。堪えきれず呑み込むと、焼け付くような喉越しとともに、胃の腑に向けて
炎の道が走った。
 咄嗟にと胸を押さえそうになるのを耐え、ゆっくりと鼻から呼気を洩らす。
 すると、芳醇な麦と泥炭の香りが抜けていった。
 後には気だるい余韻が残る。気がつくと俺は勃起していた。

「いい酒だ」
 熱い吐息とともに、俺は呻くように呟いた。
 極上の麦火酒だった。
 だいたい火酒自体が珍しい。滅多に口に入るものではないのだ。この店の名物である、
狼の小便で薄められているともっぱらの噂の、酸いエールなどではない。本物のスピリッツだ。
おそらく銅貨では買えない代物だろう。
 こういうやり方は卑怯だ。売剣は皆、酒に目がない。俺だってそうだ。旨い酒を飲むと、
それだけで機嫌が良くなって、なんでも安請け合いしてしまいそうになる。

「畜生、どういうつもりだ」
 俺はなんとかしてその言葉だけを搾り出した。
 アラガンの野郎はそんな俺を、にやけ顔で見つめる。
「ドワーフどもが戦支度を始めたらしくてな」
 クソッタレ。なんでも遠回しに言いたがるのがこいつの悪い癖だ。手を振って先を促す。
「近いうちに、北の坑道あたりで小競り合いがありそうなんだ。守備隊からの依頼で、
ウチの店からも十人ほど腕利きを出すよう言われててな。あと二人ほど足りなかったんだが」
 聞いていく内に俺はみるみる不機嫌になった。
 いや、嘘だ。本当はだらしなく頬を緩ませていた。アラガンが空になった杯に再び麦火酒を
注いだからだ。だが、俺の理性は「ここは不機嫌になるべきところだ」と命令している。

 当然だ。ドワーフとの戦なんて、冗談じゃない。
 冒険者は、宝が目当てだ。こっちが逃げれば追ってはこない。それに、命を惜しむ。ちょいと
二、三人も斬り殺せば、裸足で逃げ出していく。だからお互い無駄に命を落とさずに済む。
 ところが、ドワーフどもは違う。一度あいつらとやりあったら、どちらかが全滅するまで
戦いを続けなければならなくなる。ドワーフは俺たちを憎んでいるし、俺たちはドワーフを
憎んでいる。
 俺は臆病者ではないが、無駄死にはごめんだった。

「こっちは長旅から帰ったばかりだぜ。少しくらいは休ませろよ」
 俺はのぼせた頭でなんとか断る算段をつけようとした。
 といっても、言っていることは泣き言に近い。それはそうだ。手配師に面と向かって
ノーと言える戦士などいはしない。対等なようでまるで対等でないのが、戦士と手配師の
関係なのだ。
 俺は自分がいかに疲れていて、すぐには使い物にならなそうであるか訴えようとした。
しかし、海千山千のアラガンには通じなかった。
「頼むよ、バルド。お前さんなら安心だ。いや、いいところに帰ってきてくれた」

「俺が受けるとして、あと一人、アテはあるのか?」
 かわし方を変えることにした。どうせ十人のノルマを達成できないなら、八人でも
九人でも一緒だろう? そんなニュアンスを込めてアラガンを見つめる。
 ところが、これは自分で自分の首を絞めるような、馬鹿な真似だった。
「なに、お前さんが首を縦に振ってくれるなら、もう一人も断りはしないだろうさ」
 アラガンは自信たっぷりに答える。
「どういう……」
 どういうことだ、と、問い返そうとしたときである。

「バルド!」
 キンキンと、神経質に俺を呼ばわる女の声が聞こえた。
 聞き覚えのある声だった。
 こいつはきっと、博打打ちの女神が俺に向けて発信した投了の合図に違いない。
 俺はげんなりとして酒場の入り口振り返った。

 肌も露な格好をした極上の美女が、腰に手を当てて立っていた。
 燃えるような赤毛の、いい女だ。目鼻立ちは整い過ぎるほどに整っていて、かえって妙な
ちょっかいをかけるのを躊躇わせるほど。ビールを切らした岩悪魔みたいな表情を浮かべて
いなければ、もっと美人に見えただろう。

 服装は半裸、いやさ全裸に近い。
 胸と腰にまとわりついている黒革の切れ端を、服と呼ぶべきか紐と呼ぶべきかは悩ましい
ところだった。
 おかげで女らしい丸みを帯びたラインがはっきりと見て取れる。
 今は正面から見ているからわからないが、背後では、食い込んだ腰紐から、たわわな尻肉が
はみ出し、ほとんど露出しきっていることを俺は知っている。
 肩と胸に申し訳程度の小さな金属片が張り付いているが、あんなものは鎧と呼べない。
鋲打った黒革のベルト部分とあいまって、どちらかというと露出過多の拘束具にも見える。
全体として、特殊な店の踊り子のような卑猥な格好だった。
 しかし、その道の女でないことは腰の物を見ればはっきりする。
 腰の後ろに交差するように吊り下げられているのは、ぞっとするほど剣呑な二丁の手斧だ。
いずれかが予備の武器だというのならまだ納得できる。そうであったらどんなにいいことか。
だが、残念ながら、この女はこいつを両手にそれぞれ一丁ずつ握って振り回すのだ。

 その絶世の美女が口を開いた。
「バルド。この馬糞野郎。こんなところで何、油を売ってるのさ。帰ってきたならまず
真っ先に顔を見せるべき相手がいるだろ? 忘れたってんなら、ケツの穴に斧を突っ込んで
思い出させてやろうか?」
 俺は頭を抱えた。
 なまじ見てくれが良いだけに、その口からぽんぽんと罵詈雑言が飛び出すのを聞くと
本当にうんざりさせられる。

「やあ、ガラタ」
 なるべく刺激しないよう、慎重に言葉を選ばねばならない。
「久しぶりだな」
 だが、ガラタは不機嫌そうに鼻を鳴らして応えた。
「ハッ、『やあ、ガラタ。久しぶりだな』? あたしはそんな間抜けな言葉が聞きたくて
ここに来たんじゃないよ。婚約者を一年近くほっぽり出した挙句、帰ってきても顔も見せや
しない。いったいどういう了見かって聞いてるんだよ。この玉無し野郎」
 自分自身の言葉に興奮して、更に怒りを増しているのがわかる。声が震えていた。ひどく
呼吸が荒い。良くない兆候だった。
 一方の俺は、麦火酒の恍惚もすっかり消え失せ、実に暗澹たる気分に陥っていた。

 ガラタは売剣仲間だ。
 だがもちろんそれだけではない。こいつの言葉を借りれば、「婚約者」、ということに
なる。したたかに酔った上での約束が有効ならの話だが。

 ガラタはすこぶる付きの美人だが、同時に厄介極まりない女でもある。とにかく粗暴で
嫉妬深く、情緒不安定なのだ。
 こいつの戦士としての腕は買っていたし、相棒としては頼りにしていた。ただ、女としては
話は別だった。だからこいつの露骨過ぎるアピールに対しては、のらりくらりとかわし続けて
いたのだ。
 ところが一年ほど前、上等な酒が手に入り、いつになく泥酔していた俺は、ガラタの
熱烈な求婚に対してつい安請け合いをしてしまった。
 翌朝、目を醒まして自分の失態を悟ると、俺は交渉中だった西ツァンクの仕事の話を
無理矢理まとめ、逃げるようにこのホッグスティを後にしたというわけだ。

 冷静に考えれば、ガラタの怒りは、こいつにしては珍しく正当なものだといえる。
とはいえ、俺としてはまだ結婚するつもりなど更々ないし、酒の上での言葉にまで責任は
負えない、というのが正直なところだ。
 だったら逃げたりせず話し合うべきだった、などというのは、ガラタという女をよく
知らない人間の戯言だ。そんなことをしていたら、間違いなく俺の首は二丁斧の餌食に
なっていただろう。

「……聞いてんのかい? バルド。キールが教えてくれなきゃ、あんたが帰ってきてること
さえ、気付けなかったところさ」
 あの野郎。
 視線を走らせると、それまでガラタの後ろに隠れていたキールが、こっそり店の奥へと
消えていくのが見えた。
 すっかり忘れていた。このゴブリンは、頭が回るし好ましい男ではあるが、同時に
ひどいお節介焼きでもあるのだ。おかげで心の準備というやつをする間もなく、ガラタと
対面するという目に遭っている。

 それでも、俺は、なんとかこの場を切り抜けるという考えを捨てられなかった。
「なあ、その、ガラタ。ちょっと、ちょっと待ってくれ。今、アラガンと仕事の話をして
いるんだ」
 そう切り出した俺を遮ったのは、当のアラガンだった。
「仕事の話ならもう終わるぜ」
 カウンターに両手をついて背筋を伸ばすと、ガラタに向けてこう言った。
「この前言った、ドワーフ相手の傭兵の話さ。お前さん、どうするね?」
「バルドが受けるなら、あたしも受ける。当たり前だろ」
 いささか憤然とした様子でガラタが答える。
 それを聞いたアラガンは、視線を俺の上に戻し、おぞましいことに片目を瞑ってみせると、
にやりと笑って言った。
「だとさ」
「バランの炎に焼かれちまえ」
 呻くように悪態を吐く。今の俺にできることはそれくらいしかなかった。

 つかつかと歩み寄って来たガラタの手が、俺の首根っこを掴む。こうなってはもう駄目だ。
なにしろガラタは俺より腕が立つのだ。力づくで来られたら諦めるしかない。
「上の部屋、空いてるんだろ?」
「もちろんさ。休憩なら銅貨五枚だ」
 ガラタがカウンターに叩きつけるようにして銅貨を置く。
 アラガンは素早くそれを数えると、「毎度」と言って満面の笑みを浮かべた。

 *  *  *

 「怒れる棘々獣亭」の二階には寝床付きの小部屋が並んでいる。
 ホッグスティに滞在している間のねぐらにしても良いし、下の酒場で交わすのが憚られる
類の、少しこみいった話をするのにも向いていた。

 そのうちの一つに力づくで放り込まれた俺は、まず、数え切れないほどの平手打ちを
食らった。
 そして奥歯がガタガタし始めたところで、突然ガラタが泣き崩れたので、これを必死で
なだめすかす羽目になった。
 ところが、なだめる俺の言葉の何かが逆鱗に触れたらしく、突如ガラタが雄叫びと共に
二丁斧を振り回し始めたので、今度は服や鎧をずたずたにされながらも、狭い部屋の中を
逃げ回らねばならなかった。

 そうして最終的にどうなったかというと、俺は今、何故かベッドの上で丸裸で組み伏されて
いる。四つん這いでのしかかるガラタも、裸同然の卑猥な服装を脱ぎ捨てて、正真正銘の裸に
なっていた。

「……畜生……犯してやる……畜生……畜生ッ……」
 うわ言のようにブツブツと呟くガラタの目は完全に血走っていた。
 肩を大きく上下させ、唇からは荒い呼気を洩らす。斧を振り回していたときの激情が続いて
いるようだったが、同時に別のスイッチも入ってしまっているようだった。
 俺はというと、両手を降伏の姿勢で押さえつけられていて、文字通りお手上げである。

 ガラタは座った目で俺を凝視しながら、ゆっくりと顔を近づけてきた。
 熱い吐息が鼻にかかる。
 バイパーに睨まれたジャイアント・トードの心境を味わっていると、突然、唇が重ねられた。
歯と歯が打ち合うカチリという不快な衝撃が走るが、ガラタはそんなことにはお構いなしに、
俺の唇に吸い付いてきた。
 唾液に濡れた唇の粘膜が押しつけられ、蠢くように俺の口元を這う。
 舌が割り入って来たかと思うと、口腔がねぶりまわされた。
 じゅるじゅると水気のある音を立てながら、猛烈な勢いで唾液がすすり上げられる。

「ンンッ……じゅぱ……ン、ン……じゅっ……じゅるっ、ン、……」
 ガラタは発情しきっていた。唇を激しく吸いながらも、俺の下腹の上では悩ましげに腰を
くねらせていた。
 半勃ちの状態で反り返っていた俺のペニスに、ぐいぐいとガラタの股間が押し当てられる。
濡れそぼったそこを擦りつけるような動きだった。裏筋にねっとりとした粘液の感触が伝う。
「ん、ん……フーッ、フーッ……んんあっ……ンフーッ、フーッ」
 洩れる息に艶が混じり始めた。無抵抗のままベッドに磔にされている俺を他所に、ガラタが
急速に「できあがって」いくのがわかる。腰の動きもねっとりとまとわりつくようで、まるで
俺のペニスを使ってマスターベーションをしているようだった。

 ぷはっ。
 唇が離れた。ガラタは悠然と上半身を起こすと、肉食獣の目で俺を見下ろす。
 だが、自分の股座に手を伸ばし、俺のペニスを掴んだところで、アテが外れたように狼狽
し始めた。
「ち、畜生っ、なんで勃たないんだよっ……」
 無茶を言う。
 ついさっきまで命の危険を感じていたのに、そんなに直ぐに気分を切り替えられるわけが
ない。この状況で半勃ちになっただけでも、自分を褒めてやりたいくらいだ。

 ガラタは恨みがましい目つきをしたかと思うと、俺の上でくるりと向きを変えた。
 そしてそのまま、今度は俺と逆向きに重なり合うようにして上半身を倒す。
 目の前に、ボリュームのある尻肉が突き出された。かと思うと、ペニスが熱と水気を
持った何かにすっぽり包み込まれる。

 じゅぽっ、じゅぽっ、じゅぽっ。
 ガラタは俺のペニスを咥えこんだまま、激しく上下に頭を振り始めた。
 力任せに吸い上げて無理矢理エレクトさせようとするような、稚拙な動きだった。だが
まるで気持ち良くない、というわけでもない。
 ガラタが出鱈目に頭を振る度に、俺の目の前で、たわわな尻がくねくねと揺れる。
 おそろしく扇情的な光景だった。ついつい頭に血が上りそうになる。ペニスに感じる
直接的な刺激よりも、この視覚的な刺激の方が問題だった。

 地下迷宮の衛士をしている間も、別に禁欲していたわけではない。
 グリムズレイドの払いは悪くなかったから、女を抱く金には困らなかった。
 ただ、鶏がらのように痩せこけた商売女しか抱くことができなかったせいで、はちきれる
ような女の肉に飢えていたのは事実だ。
 目の前の尻は、豪腕の戦士の持ち物らしく、むっちりと肉付きが良い。正直に言えば、
ひどくそそる。もともと、ガラタは顔も体もまさに俺好みなのだ。

 股間に血が集まっていくのを感じる。
 それを察知したガラタが、ここぞとばかりに口の動きを早めた。俺の反応を引き出せた
ことが嬉しいのか、従順な雌犬のように尻を振って喜びを表す。

 俺は女に押し倒されて喜ぶような趣味はないが、美女にのしかかられて何も感じないほど
禁欲的な人間でもない。腹の上に跨る女が、さっきまで本気で俺を殺そうとしていたことを
忘れたわけではないが、こうなっては俺も収まらない。

 俺は突き出された双臀に手を伸ばした。
「ひゃふっ」
 ガラタの体が小さく跳ねた。その動きを押さえ込むように、がっちりと尻たぶを鷲掴み
する。
 じっとりと汗をまとわせた肌は掌に張り付くようだった。爪が食い込むほどきつく力を
こめると、指と指の隙間にむにりと尻肉があふれる。俺の手の動きにあわせて自在に形を
変えるほど柔らかなのに、しっかりと押し返してくる弾力があった。

 その上等な触り心地を堪能しながら、両手でぐいと押し開く。
 すると、たわわな果実の狭間に大輪の肉の花が咲いた。
 尻肉を揉み込むと、それにつられて、まるで食虫花のように蠢く。その妖しい動きは、
まるでこちらを挑発しているかのようだった。
 卑猥な形状の肉びらは、時折自らの意思でひくひくと震えて見せた。芯はてらてらと濡れ
輝き、だらしなく蜜を吐き出す。

 湧き上がる欲求に従って、俺はその肉弁にむしゃぶりついた。
 肉襞に鼻先を埋め、淫核に舌を這わせ、溢れ出る愛液をすする。
「んっ! ……んんん、ンフッ……じゅる、じゅる……んんっ! ふううん……じゅぽっ」
 ガラタの体が打ち震えた。
 ペニスをしゃぶり上げる淫らな音の合間に、切ないような荒い喘ぎが混じる。
 鼻を鳴らして甘い呻きを洩らしながら、それでもガラタの口はペニスを離さない。むしろ
俺の愛撫に応えるかのように、舌と唇でもっていっそう激しく俺の物をしごき上げた。

 ぴちゃ、じゅぽっ、ぴちゃ、じゅぽっ。
 もはやお互いがお互いの性器に没頭していた。他のことは頭に入らない。相手の股間に
顔を埋めることしか考えられなかった。
 時折、ガラタの腰に疼いたような震えが走る。責めれば責めるほど、その間隔は短くなって
いくようだった。

 俺は間隔が十分に詰まってきた頃合を見計らって、一息に淫核を吸い上げた。
 にゅぽっ。
 ガラタの口がペニスから離れた。
「あ、あ、あっ、バルド、バルド、バルド! うあ、うああっ、ああああ―――っ!!」
 ガラタの上体が弓のように反り返ったかと思うと、その口から絶叫が迸った。
 尻たぶが、ぶるんと震えたかと思うと、愛液が飛沫になって俺の顔に降りかかる。
 どうやら達したようだった。

 二度、三度そうしたかと思うと、突然ガラタの脚から力が抜けて、俺にくたっと体重を
預けてきた。ガラタの体が緩く上下を繰り返す。深呼吸で火照った体を落ち着けているよう
だった。
 俺はささやかな達成感とともにしばらくその心地よい重みを愉しんでいたが、やがて身を
ずらしてガラタの下から抜け出す。
 上体を起こして脇のガラタを見やると、依然として横倒れにベッドに突っ伏したまま肩を
波打たせていた。ふと、これで満足しきってしまったのかという不安がよぎる。ほんの
前戯のつもりだったが、それにしては偉く派手な気のやり方だった。

 だがそれは杞憂だったようだ。
 ガラタはゆるゆると身を起こすと、四つん這いになって再び俺に向けて尻を突き出し、
こう言った。
「ああ……あ、バルドぉ。まだ、収まらないんだ。イッたのに、まだ切ないんだよぉ。
バルドの……デカいのが、欲しいんだ。早く、あたしの中に挿れてくれよう……」
 鼻にかかった甘ったるい声だった。
 一度達したせいで、ずいぶん素直になったようだ。普段の粗野な女戦士からは想像もできない。
いや、ついさっきまでの様子と比べても、別人のようだった。だが、「馬糞」だの「玉無し」
だの言われるよりはずっと良い。

 高く突き出された尻たぶに手を添え、ぐいと引き寄せる。
「あんっ」
 ガラタは背中越しに俺を振り返り、ねだるような視線を送ってくる。可愛いやつだ。ずっと
こうでいてくれたら、何も問題はないのだが。まあ、今は余計なことは考えまい。

 見下ろすと、女にしては広いガラタの背中にうっすらと背筋が浮かび上がっていた。手練れの
戦士らしい、鍛え抜かれたいい体だった。抱き心地だって申し分ない。背骨に沿ったくぼみに
わずかに汗が溜まり、室内の薄灯かりをてらてらと照り返していた。
 身をかがめて、その光の道にゆっくりと舌を這わせる。
 それだけで、ガラタの体はあわれなほどガクガクと震えた。

「はっ……はやく、じらさ……ないで……くれ、よ」
 耳に心地よいおねだりを聞きながら、そのまま腰をずらして照準を定める。
 ペニスの突端が、複雑な形の肉びらのすぼまりにぴたりとはまる。ぬっとり、としか形容の
しようがない粘度の高い感触がまとわりついた。
「入れるぜ」
「ん、うん……ん、んんん、……ふぅー……ん、……んふぅー」
 ゆっくりと捻じ込むように腰を進ませると、ガラタは息を吐きながら少しずつそれを受け
容れる。ガラタの中はけっしてきついわけではないのだが、挿れた側からきゅうきゅうと
食らいついてきた。
「ふあ、あ、……お、奥まで……きて、るっ」
 苦しげな、しかし幾分の媚びを含んだ声が、ガラタの唇から洩れた。
 根元まで飲み込まれた俺のペニスが、たまらず一、二度脈打つ。膣肉がみっしりと絡んできた。

「バルドぉ」
 ガラタは体をよじらせて俺を見上げる。
 薄く開いた唇が物欲しげだ。
 顔を寄せてその唇をついばむ。ペニスを埋め、体を密着させて、口付けを貪った。
 無理な姿勢のため唾液が零れ、ガラタの顎を伝ってゆく。だがガラタはそんなことは気にも
留めず、必死で舌を絡ませてきた。

 上と下の口でつながってもなお飽き足らず、俺はもっとガラタを貪りたくなった。
 空いた手をガラタの両脇から挿し入れ、熟れた二つの果実をまさぐる。
 乳房はずっしりと重みがあった。すくい上げようとすると、豊か過ぎるふくらみが掌から
溢れて零れ落ちそうになる。引き締まって弾力のあるガラタの体の中で、そこだけは頼りない
ほどにひどく柔らかだった。

 指先が乳首のしこりにさしかかると、「ん、ん」という呻きとともに、腕の中のガラタが
小さく震える。デカいだけでなく感度も良好のようだ。
 例の猥褻極まる服装によって常に強調されているガラタの胸だが、実際の感触は見た目を
さらに上回るものだといえる。巨大で、だらしなく、そしていやらしい。

 俺は最高級の乳房をほしいままに揉みしだきながら、ゆっくりと腰を使い始めた。
 覆いかぶさるような姿勢なので、大きくは動けない。股間を小刻みにずらして擦り合わせる
ような動きだ。
 抜き差しではないから、俺の快感はさほどではない。だが、ガラタはずいぶん感じている
ようだった。全身を密着させているから、それがわかる。
 深く嵌まった状態で腰を使うと、挿入の角度が微妙に変化する。体の奥をじっくり愛撫して
やると、ガラタは面白いように反応した。
 内臓をこねくり回される度にびくびくと震える。俺の腕の中で、ガラタはゆっくりと蕩けて
いった。

 腰を動かしながらも、他の部分も手は抜かない。舌を絡め、乳房をこね回し、乳首をしごく。
 やがて膣内の締め付けがだんだんときつくなってきた。
 波を迎えようとしているのだ。俺はガラタの体をきつく抱き締めた。
「んんんっ! ふうんっ! ん、んん、んんっ!!」
 ガラタは再び達した。
 雁字搦めに体を押さえつけられているから、絶頂を外に逃すことができない。口も塞がれて
いるから、喘ぐことさえできないのだ。小刻みに震えることしかできずに、体の中で快感を
荒れ狂わせ、悶える。
 腕をばたつかせるが、俺は逃さない。しばらくそうしていると、背すじがびくっ、びくっと
二度ほど痙攣した。
 そこでようやく解放してやると、ガラタはぐったりと崩れ落ちた。

「は、はあ――っ、はああ――っ、あふ、あふあぁぁっ」
 ガラタは尻を突き出したままベッドに突っ伏し、荒く肩を上下させる。
 焦点の合わない瞳をさ迷わせて懸命に呼吸するその様子を見ているうちに、俺の中で
むくむくと嗜虐心が沸き起こってきた。
 こっちは斧を持って追い回されたのだ。もう少しくらい、苛めてやってもいいのではない
だろうか。何より俺はまだイッていない。

 俺はガラタの腰をしっかりと掴む。俺たちはまだ、つながったままだった。
「ふあ? ……や、ま、まだっ……!」
 二度の絶頂を経たガラタの道具は、きついほどに俺に絡み付いている。
 ゆっくりと腰を引くと、それにつれて引きずり出された陰唇が、名残惜しそうにまとわり
つくのが見えた。実に淫らでそそる光景だった。
 間髪入れずに腰を打ち付ける。
「あ……あ、う、あ」
 体の芯に杭を打ち込まれたガラタは、うまく息を吸い込むことができずに、徒に口の
開け閉めを繰り返す。

 そこに追い討ちをかけるようにして、素早く腰を引いた。
 充血した膣襞がカリに絡み付いて、引き抜かせまいと締めつける。その力が余りに強く、
十分すぎるほど濡れていてもなお強い摩擦が起こった。
「うあ、うあああ――っ、んはあっ、あっ、ああっ、ああ――っ!!」
 ガラタが喉を限界まで反らして咆える。
 俺は構わずに激しい抜き差しを始めた。

「や、い、いいっ、いいのっ! うあ、ふっ、んはあっ、いいい、いいよぉっ!!」
 ガラタは泣き叫んでいた。
 あたり憚らずひたすら喉を震わせる。もはや絶叫といってよい。
 全身から汗を迸らせ、狂ったように頭を振る。
 ベッドに爪を立ててしがみつき、四つん這いの格好のまま、全身の筋肉を強張らせる。
 その姿はまさに獣だった。それも、とびきり美しく力強い猛獣の雌だ。

「ひい、やっ、いく、いっちゃう、またいっちゃうっ! バルド、バルド、バルドぉ!!」
 ガラタの肉壷はいつまで経っても愛液を垂れ流し続け、ぬちゃぬちゃと淫らな音を鳴らした。
 腰を引くたびに零れ落ちた蜜で、シーツには水溜りができている。
 赤毛を振り乱して絶頂の到来を告げるガラタ。一方の俺もまた限界に達しようとしていた。
「くっ……いくぞ」
 それだけ口にして抜き差しの速度を上げる。
 ガラタは声を張り上げて答えた。
「ああ、きて! きてっ! あたしの中にぃっ!! 愛してるッ! 愛してるのッ!!
 うああっ、んああああっ、バルドっ! バルドっ! バルドぉ―――っ!!」
 かつてない締めつけが俺を襲った。
 分け入るようにガラタを貫く。最奥に達したところで、ペニスが弾けた。
 俺たちは同時に達した。

 *  *  *

「最高だったよ」
 そう言ってガラタは上機嫌で俺にキスをしてきた。
 俺はというと、脱力しきってベッドに仰向けに倒れていた。もう指一本動かせそうにない。

 複雑な気分だった。
 事後の倦怠で、もうどうにでもなれ、という思いが大半を占めてはいた。だが、流される
ままに事に及んだ後ろめたさや後悔の念が、まったくないと言ったら嘘になる。

 ガラタは俺の腕を枕にして、ごろんと横に寝そべる。
 そして、添い寝したまま俺の胸に指を這わせて、かすれるように呟いた。
「……もう、黙って消えたりしないでくれよぉ」
 普段のタフさを忘れそうになるほど、か弱くしおらしい声だった。ガラタにこういう一面が
あることも、俺は知っていた。感情の豊かな女なのだ。問題は豊か過ぎることだが。

 俺はガラタに気付かれないよう、心の中で溜息を吐いた。
 そして最後にもう一度だけ自問してみる。
 そうとも。こいつはいつだって最高の戦友だった。女としての魅力も、申し分ない。それは
十分過ぎるほどわかっていた。たが、これだけ情の激しい女を愛し続けることが、俺にできる
だろうか。わからない。それ以前に、首と胴が離れ離れになる公算の方が高かった。
 クソッタレ。
 なんにせよ、俺は逃げ出したが、こいつは一年近く待ったのだ。

 顔を横に向けると、ガラタが投げ捨てた俺の持ち物が部屋中に散乱していた。
 だが背負い袋だけは思いのほか近くに転がっていた。
 手を伸ばし、紐をつっかけて手繰り寄せる。口を開いて腕を突っ込むと、底の方に目当ての
物が見つかった。布きれにくるんであったそれを取り出す。
 西ツァンクでの仕事の、唯一の報酬だった。

 グリムズレイドの断末魔を聞いたとき、まず最初に奴のコレクションのことが頭に浮かんだ。
 主を失った財宝の山。退職金代わりに一つくらいくすねて行ってもいいはず。
 とはいえ、ぐずぐずと物色してる暇はなかった。あのグリムズレイドを倒した程の腕利きの
冒険者が、やはり財宝を探してうろつき回っているはずだからだ。

 結局、持ち出せたのは指輪一つきりだった。
 銀の台座に黒真珠を嵌めた高価そうな指輪。それが魔法の品であることを、俺は知っていた。
生前の(といっても既に不死者の仲間入りはしていたが)グリムズレイドがよく自慢していた
からだ。
 嵌めた者をより美しく、絶世の美女に変える魔法の指輪。たしかそう言っていたか。

 眉唾ものだった。そんな魔法など聞いたことがない。
 グリムズレイドは名の通った収集家だが、実際には相当ガラクタも掴まされていた。
 間近でそれを見てきた俺に言わせれば、この指輪は中でもとびきり胡散臭い。おそらく、
たいしたことのない祝福の魔法がかかっただけの指輪だろう。
 ただ、効果の程はどうあれ、あのグリムズレイドのコレクションといういわく付きなら、
高く売れるに違いなかった。実際、宝飾品としての価値もそれなりにありそうだった。
 惜しいといえば、惜しい。

 俺は指輪を握り締めた。心の中で再び溜息を洩らす。
 こんなもので罪滅ぼし、というわけではないが、何もしないよりはマシだろう。
 こいつのファッションセンスはいまいち掴みかねるところがあるが、なに、光物を送られて
不機嫌になる女はいないはずだ。

「ガラタ」
「……ん?」
「こいつをやるよ」
 ガラタは突き出した俺の手から布切れを受け取り、中から指輪を取り出す。
 しばらく呆けたように見つめていたかと思うと、突然、何か奇妙な声を発して俺の首に
しがみついてきた。俺の顔にキスの雨を降らせながら、泣いているのか笑っているのかよく
わからない嗚咽を洩らす。
 そうして首を絞める怪力に窒息しそうになったところで、ようやく解放された。
 とりあえず喜んではくれたようだった。

 ガラタは震える手つきでそれを嵌めようとしていたが、何か思い至った風にその手を
止めると、俺をじっと見返してきた。
「ね、ねえ、バルド。これ、バルドが嵌めてくれないか?」
「……んあ? なんでわざわざ」
「お願い、お願いだよ。いいじゃないか。頼むよう」
 余りにしつこく頼むので、俺も折れてやることにした。
 指輪を嵌めてやるくらいどうということはないし、何よりせっかくの上機嫌を損ねるのは
得策ではない。

 おそらくエルフの指に合わせて作られたであろうその指輪は、ガラタには少し小さ過ぎる
ように感じられた。
 しかし、いざ嵌めようとしてみると、なんの抵抗もなくするりと嵌まった。
 まるであつらえたかのようだった。

「綺麗……」
 ガラタはうっとりと、自分の指を飾る黒真珠に見入っていた。
 そうしていると、ことあるごとに二丁斧を振り回すような女には見えなかった。
 そして、らしくなく頬を染めてみせると、小さく「ありがとう」と呟いた。
 俺も悪い気はしなかった。

 *  *  *

 俺はガラタと二人でその部屋に一泊した。
 翌朝、毛布を被ったままなかなか起き出そうとしないガラタを置いて、俺は階下の酒場へと
降りてゆく。朝食にありつくためだ。それに、うやむやになった仕事の話について、こちらの
意見をきっちりアラガンに伝えておきたかった。

 カウンターに腰を下ろすと、なぜか上機嫌のキールが野菜くずのスープを運んでくる。
 昨日のことを思い出した俺は無言で睨みつけてやったが、お節介焼きのゴブリンは少しも
こたえず、むしろにやけ顔で生暖かい視線を返された。

 塩味の効いた、別の言い方をすれば、塩味しかしない野菜スープをすすっていると、奥から
アラガンが顔を出してきた。
 やはり勝ち誇ったように見つめてくるアラガンに対し、俺は不貞腐れた表情で口を開く。
「……昨日の仕事の話だが、まだ受けるとは言っていないからな」
「何をいまさら」
 アラガンは片眉を跳ね上げて答える。負けを認めようとしない俺に対して腹を立てた様子
だった。だが、俺としても一言言ってやらないと気が済まない。ガラタとのことは、それは
それとして、仕事の話は別の問題だ。
「金に困っているわけでもないしな。もうしばらく、ゆっくりさせてもらうぜ」
 実際、傭兵の仕事なんてゴメンだった。ドワーフの洞窟戦士たちと殺し合いをするなんて、
考えただけでゾッとする。

 それに対して、アラガンが何か口を開きかけたときのことである。
 二階から奇声が響いてきた。
 腸捻転を患ったハーピーがのた打ち回りながら発するような奇怪な音声だった。何か驚くべき
不幸に遭遇したガラタが、その怒りを周囲にぶつけ出す前に上げる雄叫びにも似ている。
 嫌な予感がした。

 次いで階段を駆け下りてくる音とともに、一番聞きたくない類の声が聞こえた。
「バルド!」
 憤怒をこめて俺の名を呼ばわるガラタの声だ。
 だが、おかしい。いくらガラタが情緒不安定だからといって、怒り狂う要因がまったく思い
当たらなかった。昨夜はあれだけ幸せそうだったのだ。聞き違いということもあり得る。
 俺は恐る恐る声の主を振り返った。

 そこにいたのは一人の女だった。
 燃えるような赤毛と顔の作りにどことなくガラタの面影がある。いや、あの黒革の拘束具を
思わせる破廉恥な格好は、ガラタ以外には考えられぬように思える。

 しかし、それ以外はまったく変わり果てていた。
 つんと上を向いていた可愛らしい豚鼻は、奇妙に間延びしていた。頬はこけ、肌の色は抜ける
ように白い。ぽってりとしていた唇も薄く、耳は尖っている。
 肉感的だった乳房や尻は哀れなほど貧弱な代物にボリュームダウンしていた。それ以外の
部分も痩せぎすで、女らしい丸みはどこにもない。いっそ病的ですらあった。
 これではまるで……。

 女は色白の顔を更に蒼白にして、震える手元で自分の顔を撫でていた。
 そして信じられぬ、という風に口を開く。
「……バ、バルド……あ、あたし、こんなに醜く……エルフみたいに……」
 紛れもなくガラタの声だった。
 そう、声はガラタだが姿かたちはまるでエルフのような、いや、エルフそのものだったのだ。
 なんということだろう。極上のオークの美女が、たった一晩で醜いエルフに変わり果てて
しまったのである。

 と、そこでようやく俺はこの怪事の原因に思い至った。
 あの、黒真珠の指輪! あれは本物だったのだ。
 グリムズレイドはなんと言っていたか。「嵌めた者をより美しく、絶世の美女に変える」。
 なるほど、絶世の美女に変える。美貌を増すとかそういうチンケなものではなくて、完全に
別物に変身させてしまう。
 しかも、グリムズレイドは黒エルフだった。指輪が生み出す「絶世の美女」というのが、
奴好みのものだとするなら、それはエルフの、エルフ基準の美女を指すに決まっている。
 つまり、あの指輪は、嵌めた者を「絶世のエルフの美女」に変えてしまう指輪だったのだ。

 指輪の由来は知らぬなりに、ガラタも原因がそれであることに思い至ったのであろう。
 唇がわなわなと震え出した。流麗な眉が吊り上がり、憤怒の余り顔が正視に堪えぬほど
歪む。
「バ、バルド……この、この、この、玉無しの蛆虫の馬糞野郎! ……あんたなんかを信じた
あたしが馬鹿だった。ゆ、指輪、あんなに嬉しかったのに……畜生、畜生、畜生! あたしの
美貌をどうしてくれるんだっ!」
 怒りに任せて黒真珠の指輪を引き抜こうとする。
 しかし、指輪はまるで魔法的な力が働いているかのように、ガラタの指に食い込んでしまって
いた。

 傍から見たら愉快な見世物だったろう。
 エルフの、おそらくエルフ基準ではたいそう美しいであろう女が、悲嘆に暮れたり激怒したり
している様は、俺たちオークの目には滑稽に映る。
 アラガンは失笑を堪えきれぬようだった。キールでさえ、同情と苦笑の間で揺れ動く複雑な
表情を浮かべていた。

 アラガンは笑いを噛み殺しながら口を開いた。
「そいつが正真正銘グリムズレイドの指輪なら、並みの呪い師の手にゃあ負えまいよ」
 この手配師は、俺がグリムズレイドの宝をくすねてきたこと、そして、それを呪いの指輪と
知らずにガラタに贈ってしまったことを見抜いていた。
「腕の立つ呪い師を紹介してやってもいいが、そうだな、銀貨百枚くらいは取られるだろう」
 その言葉に、ただでさえ蒼白だった俺とガラタの顔から、さらに色が抜け落ちる。

 銀貨百枚だって?
 それはまったく手の届かない金額ではなかったが、即座に用立てられるような金額でもなかった。
もとより、その日暮らしの売剣に銀貨の蓄えなどあるはずもない。
 かといって、じゃあ銀貨百枚が貯まるまで、一年やそこらガラタにこの姿でいてくれなどとは、
口が裂けても言えなかった。そんなことを口にしたら、俺は今度こそ、あの二丁斧の餌食にされる
だろう。

 猶予はなかった。ガラタの手が腰に伸びつつあったからだ。
 救いを求めて視線をさ迷わせる俺に、アラガンがとぼけた調子で言った。
「まあ、それくらいならわしが立て替えてやってもいいがね」
 もちろん、この締まり屋が無償で手を差し伸べてくれることなどあり得ない。このパターンには
もう飽き飽きだ。だが、いつもそうであるように、俺には他に選択肢などないのだ。
 アラガンは続けて言う。
「で、例の仕事はどうするね? 守備隊長は『給金ははずむ』と言っていたが」
 クソッタレ。
 俺は内心で毒づきながらも、とうとう首を縦に振った。
「受ける。受けるとも。受けるさ。だからガラタをなだめるのを手伝ってくれ!」

 そんな俺を悠然と眺めると、アラガンは勝ち誇ったように言った。
「だから、最初からわしに指輪を見せておけばよかったのさ。どうせお前さんには魔法の品物の
価値などわからんのだからな。ほら、諺にも言うだろう? 『ナントカに真珠を与えるな』とね」

 

(おわり)

 

 

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最終更新:2009年03月04日 22:18