***

あれから半月が経った。俺は生きていた、それも尋問もされずに。
てっきり俺を生かしたのは情報を吐かせるとか、そういった理由からだと思ったのだが、
どうやら違うようだ。
あのお姫様は俺を自軍に引き入れたいそうだ。
なんでも「これからは私の失った右手の変わりとなって働いてもらいます」だとか。
正直俺はこの酔狂なお姫様に興味を持った。普通ならば自分を傷つけた人間を引き込ん
だりしないだろう。高名な人物や確かな腕を持った者ならともかく、今の俺は左腕を無く
し、両手のころだってそれほど腕が立つわけではない。なによりも祖国の滅亡とともに
俺の本当の名前を知る人間は数えるほどしかいないのだ。そういったもろもろの理由から
彼女にとって俺は必要な人材とは言いがたいだろう。
しかし今はイエスド王国軍の中のごく一部だけではあるが、自由に歩かせてもらえている。
もっともあまり居心地のいい場所ではないが。
当たり前だ。俺はイエスド王国の英雄たる槍姫様の傷つけた人間なのだ。俺が通りかか
るだけで、すれ違う兵士たちが殺気を帯びた視線を向けてくるのが常だった。それでも誰も
手を出してこないのは、お姫様が俺に手を出さないように厳命を出したからに他ならない。
まったく、あのお姫様は何を考えているかわからない。
俺がそんなことを考えているとテントの中に食事が運ばれてきた。二人の給仕から運ば
れてきたそれは、とても捕虜の食事などではなく、貴族士官が食べるような豪華なものだ
った。最初にこの食事が運ばれてきたときは毒殺されるものだと思い、手をつけなかったが、
その知らせを聞いたお姫様が、「どうして信じてくれないんですか?」と言って、俺の目の
前でその食事を涙目ですべて平らげた、なんてことがあってから残さず食べるようにしている。


そして、毎日食事が終わったころ彼女がやってくる。
「カロさん、元気にしてましたか?」
そう、お姫様だ。それも丸腰で笑顔をこちらに向けて毎日やってくるのだ。ちなみにカロ
というのは俺の偽名である。
「ええ、おかげさまで」
それに笑顔で答える。俺がここまで生きてこれたのは彼女の気まぐれのおかげなのだ。
変に刺激して自らの首を絞めるわけにはいかないのだ。
「そうですか、それはよかったです」
ベッドの横にある椅子に腰かけるお姫様。俺は彼女をじっと見つめた。戦場では兜の中
に隠れていた金髪は、今はランプの灯を受け、琥珀のような透明な美しさを見せている。
口元は笑顔を浮かべ、紅一つ塗っていないはずの唇は瑞々しい果実のごとく煌めいている。
そして何よりもエメラルドをそのまま埋め込んでしまったような、光を集め反射させ光る
緑色の瞳には絶対の“美”が存在していた。
「それで仕官の話は考えていただけたでしょうか」
彼女はここに来るたびに俺に部下にならないかと誘ってくる。俺はこれまでその答えを
はぐらかしてきた。何故ならここで簡単にイエスとでも答えたなら簡単に寝返るやつだと
いう印象を与えかねないだろうし、何よりもイエスド王国に味方してしまえばクルーの民
に刃を向けることになってしまう。クルーの国はもうない、しかしレーネン国に支配され
た後も民は生き続けるのだ。そんな彼らと戦うことはできなかったからだ。
しかし――
「はい、少し条件さえ飲んで頂ければこの身お預け致しましょう」
今日の俺はお姫様にそう言った。
「何ですか?」
初めて色よい返事を貰った姫様はものすごく上機嫌に聞いてきた。
「はい、先日の戦闘に生き残ったクルーの民のことです。彼らは今レーネン国に敵前逃亡
の罪で追われております。彼らを救い出すことができればこの小さな身など幾らでも差し
出しましょう」
そう、俺が逃がしたクルーの民は撤退した後、敗北の理由を押しつけられ追われている
のだ。クエルが上手くやったようで今はどこかに逃げ延びたようだが、捕まるのは時間の
問題だろう。今はイエスド王国との戦争に集中すべき時期であるはずなのに……。この時
ほどレーネン国の無能さを呪ったことはなかった。この話はイエスド王国の兵士たちが話
しているのを聞いて知った。俺が嫌な視線に耐えてイエスド王国軍の中を歩き回っていた
のは、クルーの民の情報を少しでも集めるためだったのだ。
「クルーの民……あの亡国の民ですね。あなたはクルーの民の出なのですか?」
凛とした声が通る。彼女の真剣な目がこちらを見据えている。
「……はい」
彼女と目が合う。言葉を噛みしめるように肯定した。
「わかりました。この私の槍に誓ってその約束を守りましょう」
椅子から立ち上がり、堂々と胸を張って言うその様は、槍も持たず、鎧も身につけてい
ないはずであったが、俺の目には何者よりも勇ましく見えたのだった。



 ***

イエスド王国軍上層部が一堂に会したテントの中、これからの行われる戦についての軍
議が行われていた。そこで俺は何故かエリス将軍の側近として彼女の後ろに控えさせられ
ていた。ちなみにエリス将軍という呼び方は、お姫様に名前で呼ぶように命令されたからだ。
「申し上げます。対レーネン国軍最終拠点、首都ワルーシャについて間諜から詳細が届き
ました」
あの約束からもう半月の時間が経過していた。クルーの民はなんとかまだ捕まらずにい
るようだ。まあ、これについてはイエスド王国の弩濤の攻勢のおかげだろう。この戦での
イエスド王国の勝利はほぼ揺るぎないだろう。そして、今士官の一人が情報を読み上げて
いるところだった。
主な情報はイエスド王国軍の兵力が3万なのに対し、敵方はせいぜい1万5千程度であ
ること。戦場となるであろう場所は城下町の前である見晴らしのいい平地であり、特にこ
れといった障害物がないことなどである。
軍議が進み、作戦の話になった。ここではどうやらいいとこの貴族様の子息であろう見
目麗しい美青年が立案した四つの部隊における包囲殲滅作戦にほぼ決まりかけていたとき
だった。それまで特に声さえ出さなかったエリス将軍は俺に聞いてきた。
「カロ、あなたはどう思います?この作戦」
テントの中の空気が止まった気がした。遅れてここにいるすべての人間の視線がこちら
に向いた。その目には好意など映っておらず、まるでゴミでも見るかのような視線だった。
「そうですね、元々数で勝っていますし、わざわざこのような作戦をとるメリットはあり
ません。こちら側は3万の兵力ですが4分割した場合ひとつおよそ7500となります。
ここで敵がほぼ全兵力をもってして確固撃破しに来た場合、最悪敗北もありえるでしょう」
だが俺は彼らの視線などどこ吹く風といったように、堂々と自分の意見を述べた。俺に
とったらこのような敵意や侮蔑など、何度経験したか数えるのも億劫になるくらいなのだ。
「戯言をぬかすな!この臆病者の裏切り者め!」
そうテントの外に漏れるぐらいの大声で俺を罵った女がいた。マリアンヌ将軍である。
マリアンヌ将軍は弓兵隊を率いる若き将軍で、エリス将軍とはお互いに「エリー」、「マリ
ー」という風に呼び合うほど仲が良かったらしい。しかし彼女の右手を奪った俺を引き入
れると聞くとエリスに猛反対して、それ以来少し疎遠になっているそうだ。



「確かに少し臆病かもしれませんね。しかし私がこのようなことをいうのには三つほど理
由がございます」
俺は彼女の恫喝にも似た大声にひるむことなく言ってのけた。
「一つ、敵は主力である騎兵隊をいまだに多く有してあり、対してこちらは多くの戦力は
歩兵であります。二つ、戦場がその騎兵隊を十二分に活用できる地形であること。三つ、
おそらくこの戦でレーネン国はスレイド将軍を出してくる恐れがあるからです」
スレイド将軍とはレーネン国が誇る名将である。四十をこえたばかりの男ざかりだが、
レーネン国の王位継承権をめぐっての政治闘争に敗れ、今では城の中で幽閉されていると
いう。
「馬鹿な!確証もなしに、それも高々一将軍に怯えるなど!貴様のやっていることは我々
の指揮を下げることにほかならない!!よもやここで我らの腰を引かせることが目的では
あるまいな!」
マリアンヌ将軍が鼻息荒く、血走った眼でこちらを睨んでくる。これではいくら言って
も駄目だな。彼女は理論ではなく感情でものを言っている。こういった者を従わせるのは
ほぼ不可能なのだ。
「……」
「なにか言うことはあるのか!」
俺が呆れて黙っている時も、彼女は相変わらずこちらを親の敵のように睨んでいる。
「マリアンヌ将軍、少し黙っていてください。彼の話が聞けません」
そんな今にも殴りかかってきそうなマリアンヌ将軍を尻目に、エリス将軍が冷たく言い
放った。
「続けなさい、カロ」
「……」
「続けなさい」
もう一度俺に言うエリス将軍、俺は彼女の考えが時々わからなくなる。多分これはこの
テントの中のすべての人がそうだろう。
「いや、結構だエリス将軍。ここは勇猛なイエスド王国軍人が集う場所だ。決して彼の演
説を聞く場所ではない」
俺がそんなことを考えていると、一人の初老の男性が声をあげた。彼はこのイエスド王
国軍の最高権威を持つ白龍騎士団の団長である。小太りの白髪混じりの金髪男は不快そう
に俺を見て、退出するように命じた。俺は黙ってその命令に従った。退出する際、エリス
将軍とマリアンヌ将軍と目が合った。マリアンヌ将軍が勝ち誇ったような目で、エリス将
軍はすまなそうな視線をこちらに向けていた。

結局、例の4隊に分かれての包囲殲滅作戦が採用された。
(まいったな。敵は追い詰められて必死に戦う。一方こっちは揺るぎない勝利に安心しき
っている。ここで本当にスレイド将軍率いる騎馬隊が押し寄せたら……)
スレイド将軍、彼は数少ないクルーの民を平等に扱う将軍だった。人望にも機知にも富
んだ彼の存在は、追い詰められたレーネン国軍を奮い立たせるに十分な人物だ。
(なにもなければいいが……)
そう思う俺の頬を撫でたのはこの季節とは思えない冷たい風だった。




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最終更新:2010年04月24日 21:54