***

スレイド将軍は祖国が滅亡寸前の状態にも関わらず、ゆったりと風呂に入り、髭をそり、
髪を整えていた。それを部屋の隅で見守る女中は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
何故ならばスレイド将軍は先ほど国王に呼び出されていたからだ。通常国王に会うに身嗜
みを整えるのは普通のことである。しかし彼が呼び出されてもう彼是三時間以上の時が過
ぎ去っていたのだ。あの気まぐれで傲慢な国王の性格を見れば、なんと叱責されるかわか
ったものではない。
「あの……そろそろ……」
これでこの女中がスレイドをせかす言葉をかけるのは七度目となった。過去六度はいず
れの言葉も受け流されてしまっていた。
「ああ……そうだね」
そう言ってスレイド将軍はアイロンがかけられたばかりの軍服に袖を通した。
「行きますか」
そう言って悪戯小僧のようなニッと白い歯を彼女に見せて、彼は部屋から出て行った。
その時女中は、彼が自分の顔色を見て面白がっていたのだということを知った。

スレイドが王の間にたどり着くと、彼を迎えたのはヒキガエルのよりも醜い声だった。
「遅い遅いぞ!今の今まで何をしておった!」
王を震える手でワイングラスを持ちながらスレイドを睨んでいる。周りは人の影は三人
の護衛の兵士と二人の文官だけだった。おそらくその国の滅亡を悟り、ほとんどの高官た
ちは逃げだしたのだろう。
「いえね、ずっと臭い場所に押し込められていたので臭いが移ってしまいまして、そのま
までは陛下に失礼だと思いまして風呂に入っていました」
スレイドはたっぷりと皮肉の音を込めて言った。それを聞いた王はスレイドにワイング
ラスをその中身ごと投げつけた。スレイドはそれを避けもせずただ黙って右手で受け止めた。
しかしグラスの中の液体まではそうはいかず、白シャツはワインで赤く染まってしまった。
「もうよい!貴様はこれからわが軍を率いて敵と戦え!」
王が吐き捨てるように言った。
(なんと傲慢な王だろう。これではレーネン国は滅びるはずだ。ここでこの王の首を取り
敵の差し出してみてはどうだろうか、……なんてな)
スレイドは自笑気味に笑った。
(そのようなことは私の性に合わないな。まあこんな場所にいるよりも、戦場を駆けまわ
った方が気分が良いに決まっている)
「わかりました」
そう言って礼もせずままスレイドは王の元を去って行った。王はそれを見て顔を歪め、
新しい酒を持ってくるように命令した。



 ***

イエスド王国軍右翼、7,500の内1,500の騎兵隊を率いるのが槍姫ことエリス将軍だった。
俺は今彼女の後方についている。
やがて戦いは始まった。敵は中央に向かってきた。俺たちは彼らを包囲すべく陣形を変
えていく。
しかしどうも敵兵の様子がおかしい。敵があまりにも速すぎるのだ。敵は一切止まるこ
となく中央右側に押し寄せた。この速さでは右翼と左翼とで挟み撃ちに浴びせるはずだっ
た弓が届かない。今撃つと味方にも当たってしまう。
敵軍の真ん中へと突っ込むほど今のレーネン国には士気はなかったはずだ。やはりこれ
は彼がこの戦場にいるということなのだろう。そうなればもう中央右の軍は救援に向かっ
たところで無駄足になるだけだろう。
「カロ、どうやら敵が中央を破るのは時間の問題のようです。あなただったらどうします?」
あえて中央右でなく中央と言ったのは、おそらく私と同じ考えだからだからだろう。
(中央右の次は中央左の軍が食い破られる。ここで中央左の軍が左翼と合流してくれれば
問題ないのだが……)
中央左の司令官は軍議で俺を不快そうに退出させた例の白龍騎士団の団長なのである。
ああいった手合いは目の前の味方を良いようにされて黙っている性分ではない。
「手は二つあります。ひとつは一刻も早く左翼の軍隊と合流し、数の上で五分の勝負に持
ち込むこと、そしてもうひとつは……」


 ***

馬に乗って戦場を駆ける。私たちはついに敵中央の両陣を破ることに成功した。次は左
翼と右翼だ。この二つの距離はかなりある。そうそう合流などできまい。つまりこの戦は
ほぼレーネン国の勝利だ。スレイド将軍についてきて本当に良かった。そう一兵卒の俺が
思っていると、仲間たちが突然騒ぎだした。
「城が……!城が……!」
見るとワルーシャの城には我らのレーネン国のではなく、敵側のイエスド王国の旗が靡
いていたからである。



 ***

戦いは終わった。タネを明かしてみれば簡単なことだ。敵がこちらの中央に気を取られ
ているうちに、エリス将軍率いる騎兵隊が敵の城を落としたのだ。
右翼と左翼が合流するには時間がかかり過ぎる、かと言って味方の救援に向かっては確
固撃破されるだけ、ならば敵の戦う理由を奪ってやればよい。つまり守るべき城さえどう
にか出来ればもうこの戦いは終わったも同然なのだ。この状況で居残りをさせられている
守兵ではエリス将軍率いる騎馬隊は止められるはずもなく、城はあっけなく落ちた。
そして、城が落ちたのをみとめた後、スレイド将軍は少し寂しそうな表情を浮かべ、イ
エスド軍に投降した。
このようにしてイエスド王国はレーネン国との戦争に勝利した。

 ***

ワルーシャの城では連日戦勝パーティが開催されていた。
俺もエリス将軍に引っ張られるような形で無理矢理参加させられていた。もっとも俺を
連れてきた本人は様々な人物から社交辞令のあいさつを交わされ、ダンスを申し込まれと
目も回るほど忙しいようだ。俺はひとりバルコニーでパーティの様子を、ワインを傾けな
がら見ていた。
「おい、貴様」
そうしているとおもむろに声をかけてくる女がいた。知らない女だった。
「カロと言うらしいな……その、なんだ……」
女は桃色のドレスを纏い、頬を染めて言い淀んでいた。化粧はあまりしていない褐色の
肌に、白く美しい髪が映える。
「その……この間はすまなかった。もし貴様がいなかったら我々は負けていた」
この間、この間……? ああ、なるほど。ようやく目の前の女性が誰であるかわかった。
「いえ、気にしてませんよマリアンヌ将軍」
目の前にいたのは軍議で俺のことをずっと睨んでいたマリアンヌ将軍だった。
「そうか……」
そう言うと彼女はずっと黙ったまま俺の隣に立ち続けた。やがてパーティも終わりに近
づき最後のダンスとなった。その時マリアンヌ将軍が絞り出すような声を出した。
「私と踊ってくれないか?」
彼女は俺の前に手を差し出す。彼女は耳まで真っ赤にしていた。
「その、この間の謝罪も兼ねてだ」
そして取り繕うように言う。
「ええ、喜んで」
俺は少し考えた後彼女の手を取った。ここで断ったら彼女に失礼だと思ったからだ。

ゆったりとした音楽と共に男女が回っている。
マリアンヌはこういったことにあまり馴れていないようだ。動きがいちいちぎこちない。
「マリアンヌ将軍、もう少し肩の力を抜いてください。ダンスなんて所詮遊びですよ」
俺は彼女の耳元でそう言う。
「ああ、わかった」
そう言うが彼女の動きは一向に良くならない。
「ほらほら、もっと笑ってください。せっかくの綺麗な顔が台無しですよ」
「―――ッ!」
俺がそう言うと彼女は更に身体を固くして、俺の足を思いっきり踏んでしまった。
結局俺はこのダンスが終わるまで彼女に三度も足を踏まれるのだった。

皆が楽しそうにダンスに興じている中、その様子を憎々しげに見つめている一人の女がいた。
女の左手は強く握り過ぎたために血が滴っている。
「それは私のだ」
女の口から呪詛のような響きが漏れた。その言葉を知る者は誰もいない。
「私のだ!」
彼女の眼は魔物のように緑色に光っていた。


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最終更新:2010年04月24日 22:08