──どうして、こんなことに。
幽州行きは、とにかく最悪だった。
メイファの卒院試験が終わったら、外出許可を取ってあげて二人きりでどこかへ
遊びに行こう──そう密かに計画していたはずなのに、急に拉致同然で連行されて、
勅命ですと仕事を押し付けられた。
幽州総督府内で組織的に書類を改竄して、朝廷に上納する租税を着服していたのだから、
当然関わった部署も多岐に渡り、関わった者もかなりの人数に登っていた。
むさいおっさん達に裁定が速いとか、神懸かっているとか褒められても全然嬉しくないし、
むしろ雑音。
どのくらい汚職に関わっていたかくらい、対面して表情読んで、引っ掛ける質問の
二、三もすれば大体のところは見えるだろう?! と言ってみても無駄らしいので、
黙っておいた。逆に彼らに、何故それが出来ないのか、簡潔に説明して欲しいくらいだ。
まあ、その話はいい。終わったことだ。
色々と調査人員や手順なんかも工夫して、早く終わるよう努力してみたのだけど、
さすがに卒院式には間に合わなかった。メイファが珍しく華やかな格好をするのを
楽しみにしていたのに、まさかこんな事で邪魔されるとは。
それでも、逢えなかった時間は、メイファの気持ちにも少し変化をもたらしたみたいだ。
幽州から帰ってほぼその足で逢いにいくと、もう会えなくなるのが寂しいと言って、
しどけなく泣いたりして。随分と、色っぽい表情をするようになったものだ。
軽く口づけるだけではなくて、もっと先までしそうになったけど、反応があまりにも
初心(うぶ)なので、止めておいた。正式に婚約もしていないうちから泣かせてしまうのは、
色々と得策ではない。
結婚を申し込んだときも呆然として、顔を赤らめて、まんざらでもない様子だったし、
何より今までになく可愛かったから、まあまあ気分も直ったな、と思った矢先。
宮中では、とんでもない話になっていた事を聞かされた。
──今年の学院の首席は、異国から来た姫君だそうだな。わが国の男達も不甲斐
なくなったものだ──
今年の卒院者について皇帝陛下がそう発言されたと聞いたのは、メイファに逢いに行った
後だった。
平民については大規模な官吏採用試験が行われているが、貴族の子弟向けにはそういった
ものはない。
唯一、学ぶものを選抜して高等教育を行い、成績をつける王都の学院のみが、貴族の子弟の
能力を測る物差しだった。そして卒院者は毎年居るとはいえ、選抜者の中の学業首席とも
なれば、平民の試験における首席及第にも匹敵する扱いなのだ。
通常、朝貢国からの『留学生』には、特別な指導官はつくが選抜はなく、言葉も不自由で
特に上位成績を取る必要もない場合がほとんどであり、成績自体は低調な者が多かった。
それでも、辺境国に帰れば、間違いなく最上級の教育を受けた者となるのだが。
そんな中でも、メイファは凄く頑張っていた。好成績を取る事に、妙な使命感さえ持って
いるようだった。異国から来た彼女が最終的に主席を取ったのは、掛け値なしに凄い。
誰でも、どれだけでも、褒め称えるがいい。僕のメイファを。
そんな気分だった。陛下の、次の言葉を聞くまでは。
──このまま、祖国へ帰すには惜しいな。誰か、我が皇子のうちで、これを娶るものは
居ないか──
「は? 『誰か』?」
『誰か』って何だクソジジイ。
という言葉は、いくら私室で侍中しか居ないからといって、口に出すのは寸前で思い
止まった。ついでに、うっかり話していた侍中を締め上げてしまう事も、途中で思い止まった。
いくら歳でもうろくしているからといって、六年前には確かに自らの手でハリ国との
内約に調印しているのだ。つい最近も、間もなく正式に婚約を申し込む為の書類をいくつも
提出しているはずで。
まさかそんな大事なことを、忘れるはずが。
「忘れるはずがないだろう? これは、仕切り直しということだよ。」
数日後、僕の私室を訪ねた十二歳も年上の兄は、鷹揚に笑った。
笑い事じゃない。
つまりあれか。その場で異議を唱えられないように、わざと僕が王都にいないときを
狙っての発言だったわけか。
「わざわざ私などの房室まで御足労頂いて、申し訳ありませんね、皇太子殿下。」
僕は思い切り嫌そうな表情でそう言った。皇太子でもあるこの兄は、御歳三十一歳。
年長ではないのに、実力で押しも押されもせぬ第一位と認められているだけあって、
一対一で対面したときの威圧感は相当なものだ。
「兄上、と呼んでくれて構わないのだよ? 弟よ。」
「いいえ、滅相も無い。殿下に対してそのような馴れ馴れしい口など。」
親しくする気なんて初めっから無いんだよ。分かれよ。
僕はこの兄が物凄く苦手だ。温厚といわれるその笑顔は何を考えているのか全く読めず、
かつて継承権争いを制したその手腕は大胆にして緻密、この宮中での権勢の様子から
言って、かなりの腹黒さを感じさせるが、他人からは清廉潔白とか人格者だとか
褒めちぎられているのも気持ち悪い。
「おまえの意中の姫君も、六年前に比べて随分魅力的になって、良い成績も残して
図らずも名を上げたことだしね。相手は、二十二番目でも誰でもいいというわけにも
いかなくなってきた。
彼女はとても努力家のようだね?
一度剣を交えた事があるが、丁寧で集中力のある、なかなか良い太刀筋だった。
才能もあるが、並の努力ではああも見事には磨き上げられないだろう。」
「そういえば殿下は、彼女の在学中に学院にいらした事がありましたね。」
顔を合わせるのが嫌で、そのときはさぼったのだ。
というか、勝手にメイファの事を見に来るな。見られると減る。ああ減った。
どうしてくれる。
「そういうわけで、既に何人かの皇子が候補者として名を連ねているよ。
おまえの名を連ねるのは、意向を聞いてからということで、帰ってくるのを
待っていたのだが。」
「名を連ねるというか…、私のほうが先約です。当然、優先されるべきものと
考えておりますが。」
「私もその先約のことは知っているが、確か正式な婚約には至っていない、
内々のものではなかったかな?
まあ、正式な約束であったとしても、そういうものを踏み潰せるのが
権力というものだ。おまえも、知っている通りにね。」
彼は聖人君子の笑みを浮かべたままあっさりとそう言い放った。本当に嫌な奴だ。
「ちなみにその候補には私の名前も入っているからね。おまえが名を連ねなければ、
私に決まるかもしれないね。」
「畏れながら、殿下は既に三人もの妃殿下がいらっしゃるのでは? メイファとは、
歳も開いておりますし。」
「まだ三人、だよ。皇后は無理でも、私が即位した暁には最上級の正一位の貴妃の
座が用意できる。この国の貴妃の座ならば、悪くない条件だと思うがね。
年齢差については、政略結婚ではよくあることだし。
美しくて賢くて努力家の姫なら、私も好きだよ。」
何言ってんだこのオッサンがっ!! 十三歳差がよくあることか?! 近頃では、
滅多に無いぞ?!
「正一位なら、殿下の御母上と同じですね。」
あなたも皇后の息子ではない、とあてこすったつもりなのだが、とっくに言われ
慣れているのだろう、彼は腹黒さを隠した柔和な笑みで返した。
「候補者は、陛下の御前で剣を交える事になっている。
私達に見せた事はなくとも、おまえも、腕は磨いてあるのだろう?
『候補者』以外の手慣れも何人か参加するし、下々の者には、その目的まで知らせる
事はしないから、存分に闘うといい。」
「メイファを、賞品扱いするのですか。」
「美姫を巡って争うのは、最も美しい闘い方だと思うよ。
少なくとも、戦功や名誉のために闘うよりずっと有意義だと思うがね。
陛下もそろそろ、おまえの腕がどれほどのものか、見たがっておいでだ。
優勝ほどでなくとも、それなりの闘いを見せてくれれば、姫君の件も考慮すると
仰っていたよ。
そう、…おまえの言う『先約』のことも、あるわけだしね?」
うわあ、苛つく。この人は、人を苛つかせるのの天才じゃあるまいか。
「それはどうも…結果の審査には手心を加えていただける上に、皇太子殿下自ら、
不肖の弟を挑発するためにお越しいただけるとは、恐悦至極でございます。」
精一杯の皮肉を込めてはみたが、この兄は、顔に貼りついたような完璧な笑みを
崩そうともしなかった。
「では、第二十二番目の皇子、シュンレンも名乗りを上げるということで、相違ないな?
私も、おまえと手合わせできるのを、楽しみにしているよ。」
負けるわけにはいかないし、絶対に負けたくない──そう、思った。
いつでも、切実に強さを求めてきた。宮中の者達には隠してきたとはいえ鍛練自体は
欠かしたことは無い。
身分の高い者の振るう剣というのは、基本的にただの教養だ。貴族達の試合を
見ていても、他の皇族の稽古風景を見てみても、皇太子以外なら負ける気はしない。
ただ、あの兄だけは、小さい頃から別格だった。
文武の両道に秀でているだけでなく、どんなときにも油断がなかった。何人もの
武術指南役がついて、三十を越えた今も常に精進を続けている事も知っている。
おそらくあの人は、常に一番であることを求められてきたのだ。
僕があの人より有利な点があるとすれば、手の内を知られていないことと、速さくらいか。
相手の隙を突く戦術は僕の最も得意とするところで、絶対に勝てない相手、とは限らない。
「美姫を巡って争うのは、最も美しい闘い方」と言ってしまえるほどこの国に戦乱が少なく、
互いに実戦経験が無いのも救いだ。
剣を振るうときには、いつも教えられた通りに、神経を研ぎ澄まして、ぴんと張った
弦のように、波ひとつ無い湖面のように、心を平静に保って。
──結果。
試合には勝った。
そして多分、勝負には負けた。
最も強敵と怖れていた、十二も年上の皇太子には、意外にあっさりと勝った。
というより、不自然なほど、手ごたえがなかった。
加えて試合が終わったときに見せた、あの表情の読めない、腹黒そうな笑み。
見た瞬間、背筋に冷たいものが走って、『しまった』と思った。訳もなく。
そこから先は、もう僕の口を挟める展開ではなかった。
滅多に顔を合わせることさえ無い、この国で最も尊い人である父が、勝利者を白々しく
讃えるのを、どこか遠くで起きている他人事のようにぼんやりと聞いていた。
その後、僕が配属されていた戸部で一年かかって調べ上げた数々の不正の証拠も、
組織の不備を指摘するための書付も、大小全て吐き出さされた。一番効果的なところで
使おうと、隠し持っていたのに。
かわりに受け取ったのは、僕の皇位継承権を変更するという勅令。
二十二位から三位へ。
うわあ、物凄く嫌。
小さい頃からの積み重ねが水泡に帰すという悲劇が、こんなに簡単に起こるのか。
あれほど静かに大人しく、目立たないよう過ごしてきたのに。
何だこれは。誰の策略だ。
何かが、仕組まれていた。巧妙に。
そして僕は、それにまんまと嵌ってしまったらしい。
継承順位が上がったことで、政(まつりごと)の中枢に関わる頻度も増え、格段に
忙しくなった。それはひどく、不本意なことだったけれど。
それから、当然のことだが、シン国からハリ国へ、僕とメイファの婚約の申し入れが行われた。
もちろん、順位の高い皇子の婚姻に相応しく、儀式も盛大に行われる事だろう。面倒だけど。
そんな中、内宮の私室の方に訪問客があった。ジン・ツァイレンだ。
彼女は跪いて正式な所作で礼を行った。
「姫君と婚儀がお決まりになったこと、寿(ことほ)ぎ申し上げます。
本日は婚儀のお祝いの品を、お持ちいたしました。
近頃はお忙しくなられたようで、わたくしのところへもめっきり足が遠のかれて…」
彼女が持ってきたのは、女性用の宝飾品一式だった。
「姫君が金銀宝石の類をあまり喜ばれないからといって、用意しておくのが書物ばかりに
なられませぬよう…。こういったものも持っておかねば、女の方は困る事もあるのですよ。」
箱を開けて宝石類の説明をしようとするツァイレンに、僕は出し抜けに訊いた。
「ツァイレン…僕を、売ったかい?」
彼女はあけた木蓋をゆっくり置いて、中身の方を僕に見えるよう差し出した。
「なぜ、そう思われます?」
質問に質問で返すこの宮女に、僕は重ねて言った。
「たかが僕一人を表舞台に引っ張り出して便利に使うためにしては、巧妙に仕組まれて
いたなと思って。
僕の習性もこだわりも秘密も、色々と把握されていた気がするよ。
僕ならこういう場合、対象をよく知る人物を抱き込むようにする。
そして、僕の親しい人物なんて限られているし、貴女なら頭も良いから情報を得るには
うってつけだよね?」
彼女は泣きぼくろのある切れ長の目を細めて悠然と微笑った。
「わたくしは貴方様の幼少の頃より、貴方様の母親代わりであったと、自負しておりますよ?
そのわたくしが、貴方様を売るだなんて…とんでもない、無償ですよ。」
彼女が何の気負いもなく当然のように言うので、危うく最後の一言の意味を
取り損ねるところだった。
「…問題は有償か無償の話かな? ツァイレン」
「厳密に申しますと、後宮は陛下の持ち物でございまして、わたくしはそこで禄を頂いて
おるわけですから、そういった意味でなら金銭の受け取りもございますな。」
「で、ツァイレンは僕を陥れる策略に加担したわけ。」
「まあ、陥れるなんて、人聞きの悪い…。
継承権は、順当な位置に戻しただけかと存じます。」
「余計なことを…。結婚したら、西の端の方の土地を所領として拝領して、メイファと
一緒に引っ込むつもりだったのに。」
「姫君の祖国にほど近い田舎で、静かな領主生活ですか…。それはそれは、楽しそうですね。
シュンレン様はそう望まれるだろうと、思っておりましたよ。
私のしたことといえば、加担したと申すほどでもない、ただ、色々と黙っておりました
だけのこと。」
「ふうん、色々と?」
こういう、広い意味に取れる言葉がこの女官の口から出てくるときは、特に注意しなければ
ならない。
「まずはシュンレン様に関することは、陛下には事細かに報告しておりましたよ、最初からずっと。
父親であらせられるので、当然でしょう? 貴方様が後宮の一室であるわたくしの居室に
出入りする事を許されたのも、陛下の計らいでございますし。」
「…はあ、最初から。」
あまりに大きな事実をさらりと告白されて、僕はやや気の抜けた返事しか返すことが出来ない。
最初からというと、僕が五歳の頃からか。
「まあ、貴方様のお小さい頃は、後宮内の空気も不穏でございましたので。陛下が特別に
気にかけているというだけで、何かと危険でありましたな。」
「特に、リウ徳妃がね…。あのひとには何度、殺されかけた事か。」
リウ徳妃は、現皇太子の生母だ。ひどく野心的な女性で、後継者争いの中心的人物だった。
そのやり口は強引で、何人かの皇子、皇女の事故死と病死が、彼女のせいではないかと
噂されていた。
「誰が犯人かも分からない事件で、特定の方を犯人と決め付けてお話しになると、貴方様の
お立場の方が危うくなりますよ。」
「犯人を特定させない巧妙なやり方そのものが、あの人の特徴だったじゃないか。」
「それももう過去のこと。現皇太子殿下が、母君であらせられるリウ徳妃をお諌めに
なられてからは、随分と落ち着きましたでしょう。」
「単に、前の皇太子が病死して、自分の息子が立太子したから、大人しくなったんじゃないの」
「いえ、前皇太子殿下がおかくれになる随分前からですよ。
そのこともあって殿下は、皇太子としての資質を認められたのです。」
「それは…、でも、当然の事じゃないかな。」
「当然の、ことでございます。
しかし、周りがすべて異常でも、当然のことをあたりまえに為すことが出来る、それが
王の資質というものです。」
「うわ…褒めるね。ツァイレンがそんなに素直に褒めるのなんか、初めて聞いた気がする。」
「おや、わたくしは、陛下の事も、名君だと思っておりますよ? …ただ大切なものを奪われた
ために、ちょっとわだかまりがあるだけで。
下々の者達にとって、政(まつりごと)の良し悪しは生き死にに直結いたしますからな。
私たちのように力ない者達は、常に、良い政治を熱望しておるのです。」
「地方政治も大切だと、貴女は常々言っていたと思うけど…。わざわざ皇太子殿下まで出て
きて、こんな大掛かりなことまでして陥れなくとも、僕一人くらい、辺境に引っ込んでも
問題ないんじゃないかな。」
「地方の事は貴方様が人をお選びになり、正しく御指導なさればすむことで御座います。」
ツァイレンはぴしゃりと言った。
「貴方様はご自身で考えておられるより、抜きん出ておられますよ。
イェンの言った通り、幼い間は少し隠しておいたほうが良いくらいには。しかし貴方様も
もう成人しておられます。
年長の兄上様方を押しのけてでも上位に座るだけの価値が、おありです。
皇帝陛下も、皇太子殿下も、貴方様のお力を必要としておいでです。
良い政治というのは、たった一人の名君によって作られるものではありません。
多くの能臣によって支えられる必要があるのです。
どうか貴方様のお力を、この国の為に、お使いくださいませ。
貴方様の眼で人を御覧になり、多くの能臣をお選びくださいませ。
このわたくしめも、伏してお願い申し上げます。」
そのままツァイレンは膝を折り、静かに額を床につける叩頭礼を行った。
それは臣下が主に対して行う礼で、確かに身分の上下としては正しいのかもしれないが、
僕の前でツァイレンは常に年長の助言者として振る舞い、今まで一度としてそのような事を
したことはなかった。そして、ここまであけすけに人を褒める事も。
「顔を上げて、ツァイレン。貴女らしくもない。
今日はやけに褒め言葉を安売りするね?」
彼女は正式な所作で、ゆっくりと顔を上げた。
「ふふ…。貴方様はじきに御結婚なさって、この内宮をお離れになります。
その後も依然、出入りを許されているとはいえ、宮廷の外から後宮に出入りするのは、
敷居の高いものなのですよ。
本日は、これが最後になるやもしれぬと思って、参りました。」
その声には今までに無い、決然とした響きがあった。
「僕のほうでは最後にするつもりは無いけど…。
そう、貴女は後宮からはおいそれと出られない身、『選べない』のだったね?
言い残した言葉が褒め言葉だというなら、それも貴女らしいかもしれない。」
「たとえ直接はお会いできなくとも、この王都におられて、朝廷に出仕なさる以上、
噂話くらいは聞こえてまいりましょう。
遠くからでも、ずっと見ておりますよ。シュンレン様。」
「ツァイレン、あなたは、僕の弱さも苦しみも秘密も、全て知っていた。
そして自分の弱さも望みも限界も、いつも目を逸らさず見ているんだね。
僕を陥れるのが貴女なら、僕は屈するしか無いな。
貴女は確かに力ない存在で、それがゆえに強いのだろう。
憶えておくよ、貴女の強さと弱さを。」
「過分のお褒めにございます。」
ツァイレンは両手を前で組んで、一礼した。
「僕のほうでは最後にするつもりは無いから、最後の言葉は、言わないでおく。
まだ、貴女の助けが必要になりそうな気がするから。」
「いつなりと。わたくしなどが貴方様のお役に立てることがあるのなら、
それは望外の喜びでございますよ。
では最後にもうひとつ…。貴方様がこれから妻にお迎えになる姫君は、貴方様とは
全く違った資質をお持ちです。姫君が、貴方様の欠けた部分を補ってくださり、互いに
助け合う御夫婦になられることを、願っております。」
それから婚儀までの期間は、雑事に忙殺された。
細かいことは、側近にまかせっきり…にしようとしても、決定はこちらでせねばならず、
すぐに差し戻されてしまう。
特に、念願の宮廷外に邸を構える手続きは煩雑だった。
宮廷の中では、何もかもが決められていた。囲われていた。止まっていた。
対して宮廷外では何も決まっていない…ように見せかけて、僕が皇族である以上、やはり
煩雑な決まりごとがあるらしかった。
隣で、手伝ってくれる娘が居たらいいのに。
メイファは真面目だから、仕事がどんなに煩雑でも、黙々と、或いは嬉々として、こなして
いくんだろうなあ、などと思いながら。
メイファ。今は遠い国に居る君が、僕の隣に来るのを、待っている。
───続く───
最終更新:2010年09月02日 14:42