「どのような意味でしょうか、陸軍大臣」
はっきりとした意思を感じさせる声音で、女は鋭く深く発言する。
「そんなあいまいに言われては、意味を分かりかねます」
あえて具体的な指示を避けていたのは周知の、暗黙の了解であった。
そこで突然、当の大臣に面と向かって糾弾したのに、辺りは戸惑いさざめき――
女だけが口はしに皮肉な笑みを浮かべる。「具体策を」
苦虫を噛み潰した表情で彼女を威嚇する大臣を余裕の表情で追い討ちする様子に、
何人かの重鎮が咳払いをし彼女に自粛を進めたものであるが、彼女はまったく意に介さない。
大臣は深くため息をつき、実に下らぬ、と首を振り、
「わからぬか、私は以前より報告が足りぬといっておる。
足りぬ報告で指示を求めるとは…あきれたものだ」
女はゆっくりと瞬きをしたが、やがてわが意を得たりといわんばかりに瞳をきらめかせた。
「お言葉ですが、大臣。
以前より私の提出した報告書は、承認も押されぬまま文机の隅に置かれたままとか。
私の報告したアイル地方の情勢および奴隷制度の継続に関しての報告内容をご存じないのはなぜなのか、
ご説明いただきましょう。
なお、この件についてはすでに私のほうから陛下に申し上げてありますので、どうぞ、ご安心を」
深々と礼を尽くすものの、その表情はまるでいたずらっぽく、淡々と述べる様子には辺りを払うものがあった。
それは、この女将軍、ミュゼが次なる後ろ盾…今度こそこの国の最高職の寵愛を得たことを暗示するものだった。
息の詰まるような重苦しい空気に押しつぶされたかのように大臣はうめき声を上げる。
何かを訴えるように何度か空咳を繰り返し、喘いで、
「将軍、私を差し置いて上官に報告とは。
順序を履き違え己の越権行為と恥ずべきではないのか」
鼻息も荒く、顔を赤らめいらぬ嫉妬、憤怒やるかたなき様子そのところどころ裏返った声がなくとも動揺は明らかだった。
「はあ」ミュゼは可愛らしく首をかしげとぼけてみせ、急に口を尖らせると、
「以前、大臣は褒めてくださったではないですか…、私、今回も国のためと思えばこそ。
お忙しい大臣に代わり、至急の案件のみ陛下に申し上げた由にございます。まさか、大臣にそのような叱責を受けるとは」
心外でございます、といってミュゼは袖口で目元を抑える仕草をし、きっとした表情で、
「私の本位がお分かりになりますまいか」
この場合において、本心とは、大臣に対し用無しだと突きつけるより他の意味はない。
ミュゼの立場など大臣の一息です、と男心をくすぐっては身を捩じらせ歓んでいた女は、どこ吹く風といった様子で、
もう虫けらの存在としても意識されないまなざしを向けている。
「ミュゼ」苦しそうに、大臣は言った、許しを請うような、悲哀のこもった声だった。
「将軍と、お呼びくださいませ」
ミュゼはそう言って、また深々と頭を下げた。
お前の本心が分からぬ、そう呟いて王は背を向けたのにミュゼは流れるような仕草で身を寄せると
「お知りになりたいですか?」ほんの少し顰めた眉、彩のよい目元にのせた陰。
ミュゼの様子はまるで儚げでどちらかというと陰深く、繊細で、どこか現実感のない実体とでも言えばいいだろうか、
掴んでも掴んでも掴みきれず、触れても触れただけ消えていくような、そんな印象だった。
陛下、と呼ばれる彼はラムディス、若くしてこの国を継いだ前国王の嫡子だったが、本来継ぐはずの長子の夭折による
位揚げであり、彼に国の何たるかを指導するにはあまりに少ない前国王の余生だった。
ゆえに彼は、王子ではなく陛下でもなく「血筋」の意味であるデイーノと呼ばれ続けていた。
ミュゼはその慣習を一笑に付した女である。
いわく、彼女の得意な娼婦だの揶揄されるその色気極まりない流し目をもって
「血縁があればこそのデイーノでありますね?王家にとってこれ以上の認証はない、
お喜びくださいませ王子、国民皆があなた様を王の子だと、認めております。
神授説から言って、これほどまでに民に認められしは君こそでありましょう。敬いし拍手を」
そういって、デイーノ、と騒いだ一隊を含めた群衆に流し目をやり、挙句には彼らを追うの親愛なる親衛隊として表彰までしてやったのであった。
群集のなかで晴れ晴れと己の愚行を読み上げられる屈辱、まるで見合わない評価に対する報酬、
やればやるほど、軽い笑みの中で認められてしまう、それは彼らの粗雑で半端な反骨心をそぐのには十分だった。
最終更新:2011年04月16日 17:01