雨がいけないのだ。
ディアナはそう思うことにした。
目の前の男が酷く不機嫌なのは雨のせいだ。
「ねぇ」
「……」
「ねぇったら」
男は手を止めてちらりとディアナの顔を見た、と思ったのはディアナの錯覚かもしれない。
男の手はディアナの上衣を脱がせにかかっている。
華やかな女のドレスではない。固い生地の軍装だ。
今は休戦中だから鎧は身に付けていないが、腰には大振りの剣がある。
至るところで雨漏りがする廃屋で、雨音は全く衰えない。
男の沈黙が、ディアナには痛かった。
この男を怒らせた心当りは、なくもない。
本来、今日は単なる視察の公務だった。
小さな国の第一王女にして帝国軍の一将という立場にいるディアナは、何人かの部下と共に町外れの演習場に騎馬で視察に向かったのだ。
往路は特に問題はなかった。
部下達は皆、王女の護衛にふさわしい精鋭だったし、王女の剣の腕前はその面子に勝るとも劣らないものだった。
しかし、帰路、土砂降りの雨が降り始めた。
もっとも、雨程度を問題にするディアナたちではない。
浮き足立つ馬達を宥め、城を目指した。その道を、襲撃された。
部下達はよく戦った。
しかし、敵は数が多く、ようやく最後の一人をディアナが斬り伏せた時には、五人いた部下は二人が負傷し、動けるのは今ここにいる男を含めて三人となってしまっていた。
負傷した二人は、命に関わるような怪我ではなかったが、馬に乗ることは難しく、怪我のない二人の騎士が城まで運んでやることになった。
ここまでは、まだ、良かった。ディアナ達が城へ向かうため馬に乗ろうとした時。
男が斬り伏せたはずの敵が奇声をあげながらこちらへ向かってきたのだ。
いや、正確にはディアナの隣にいた男をめがけて向かってきた。
敵は完全に錯乱し、とても真っ当な剣筋とは言いがたかった。
が、男はその時、敵に完全に背を向けていた。
「ディアナ様!」
部下の悲鳴が聞こえた。あぁ、斬られたのだと思ったのはその時だった。
男と敵の間に身体をねじ込んだらしい。
後から痛みがやってきた。肩の辺りが熱い。
敵は、振り返った男の剣によって今度こそ倒された。
「ディアナ様……」
部下が慌てた声を出す。ディアナは首を横に振って微笑んだ。
「かすり傷よ」
出血は派手だが深くはない。
弱冠二十歳にして既にいくつかの戦に出ている将軍王女には、経験的にそれが分かっていた。
しかし、そのまま馬に乗ろうとしたディアナを、部下が止めた。
仮にも王家の人間が、負傷しているのに馬に乗って駆けるなどとんでもないというのだ。
今さらだと思ったが、この場の決定権は何故かディアナにはなかった。
部下達は短く話し合い、男を護衛につけてディアナを雨の凌げる場所に残し、怪我をした者を連れた部下達が城に迎えを呼びにいくという手筈になったのである。
そして男は、二人になってから一切口を利いてくれない。
男は躊躇わず、ディアナの上衣を剥ぎ取った。
血に染まったシャツも脱がせて肩の傷を露にする。
男は水筒に口をつけた。
普通、騎士が外出する時の水筒には水が入っているものだが、この男の水筒の中身は強い酒であることをディアナは知っていた。
酒を口に含み、傷口に吹き掛ける。血の匂いに、酒の匂いが混ざった。
「ちょっと、染みるって、ラーク!」
ディアナは思わず文句を言うが、ラークと呼ばれた男は黙ったまま、上着を脱いで自分の剣で自分のシャツの袖を切り落とした。
それを器用に割いていく。やがてそれは包帯となり、ディアナの傷を縛った。
包帯の厚みで自分の固い上着を着られなくなったディアナに、ラークは自分の上着をかけてやる。
ディアナのものと同じように濡れたそれは、ずっしりと重かった。
「失礼しました」
ラークは口を開いたがそれだけだった。
元来無口な男ではあるが、今日は一段と酷い。
ディアナはため息をついた。
「ラーク、聞きなさい」
ラークはディアナの顔を見ない。ディアナは付け足した。
「命令です」
ラークは渋々、ディアナの口元辺りに目を向けた。
ディアナは暗い気持ちになる。
いつからこうなったのだろう。一つ年下の乳母子だったラークとは兄弟同然に遊んだ。
生傷は絶えず、ラークの親はいつも顔を青くしていたが、父王は何も言わなかった。
あの頃、こうして彼に命令し、そして敬語を使われる日が来るとは思っていなかった。
いや、それは嘘か。ディアナは王家の子だ。知ってはいた。ただ、信じたくはなかった。
ディアナは部下となった幼なじみの目を見つめる。子供の頃から変わらない、真っ黒な瞳だ。
「ラーク」
だが、その先は男の言葉で遮られた。
「馬鹿です」
低く唸るような声だった。
呆気にとられるディアナに構わず、ラークは続ける。
「自分が何をやったか分かってるんですか。貴女は王女、俺はしがない貧乏貴族で奴はチンピラだ。
貴女の命と引き換えにするほど高いもんじゃないんです。
まだこんな怪我で済んだから良かったようなものの、貴女が死ぬようなことがあれば、俺は国民全員に斬られてもまだ足りない。
磔に市中引き回しでも甘いくらいです」
「そんな大袈裟な……」
「何が大袈裟ですか。ご自分のお立場というものを考えなさい。
殺し損ねた敵に背中をとられた甘い男など、見捨ててしまえばよかったんです」
「ラーク」
さすがにディアナが反論しようとしたが、ラークの険しい眼光に気圧されてだまってしまう。
「部下思いは結構ですが、こんなのはありがた迷惑です。
今回の件は必ず陛下に報告しますので。
えぇ、ディアナ様や同僚が黙っていても、俺が必ず」
そんなことをしたら、ラークは軍にいられなくなる。
貴族の地位だって剥奪されるかもしれない。
父王は情に溢れた人間だしラークを可愛がってはいるが、公私は分ける男だ。
ディアナが娘であるからではなく、王女であるから、父王はこの事態を許しはしないだろう。
「俺はもう、いいんです。貴女を守るどころか守られてしまった。
王女様に庇われているような情けない騎士は、帝国軍には必要ない」
「そんなこと」
ディアナは無意識にラークの方に手を伸ばした。
傷の治療をする時の大胆な振舞いから一転、ラークはディアナから距離をとって、指一本触れようとしない。
「動かないで。傷に障ります」
拒絶するような言葉とは反対に、ラークはディアナの手をとった。
しかし、それも一瞬のことで、ラークの手はすぐにディアナの手から離れていく。
「ラーク、私は」
ラークは険しい顔のまま、口を開いた。
「最近、子供の頃の夢をよく見ます。
貴女と転げ回って遊んだ日の夢を。
それからその次に、今の貴女が出てきて」
ラークは初めてディアナの目を見た。
「俺に、微笑みかける」
ラークは唇を噛んだ。
子供の頃から、言いたいことをうまく言えない時の彼の癖だった。
「もう、軍にはいられません。貴女の側なら尚更です。
今日、やっと気付いた」
「そんなこと言わないで」
ディアナは思わず声を荒げた。
「ディアナ様。貴女は美しい。子供の頃から変わらない。
貴女が、俺が離れていくのを寂しく思って下さっているのは知っています。
でも俺が貴女の近くにいられないのは、貴女が王女であるからだけではないんです。俺は」
ラークは少し言い淀んだ。やがて息を大きく吐き出し、目を伏せる。
「俺は帝国軍には相応しくない。貴女に忠誠以外の気持ちを持ってしまう。
貴女は王女、俺は貧乏貴族」
その存在には天と地ほどの差があるのに。
「さようなら、ディアナ様。
明日からは、もうお会いすることもないでしょう。
お仕え出来て、光栄でした。それから今日、助けて下さり本当に……」
「嫌!」
ディアナは、あくまで騎士としての態度を崩さないラークの腕を掴んだ。
なりふり構っていられなかった。
「お願いだから、ラーク」
ほとんど泣きそうになっている王女を見て、ラークは目を細める。
そして自らの腕を掴む王女の手を、そっと撫でた。
「では、諦めさせて差し上げる」
ディアナが何か言う前に、ラークはディアナの手を引っ張り、身体を自分の方に引き寄せて抱きすくめた。
「お分かりですか、王女様。
貴女の目の前にいる男は、貴女に対してこのような振舞いに出たいと思っているのです」
耳許で囁かれ、ディアナの顔は赤くなった。
ラークは傷に触れないように慎重にディアナを拘束しているが、動こうとすると痛む。
片腕が使えないディアナが、そこから逃れるのは難しかった。
しかも、いざ密接に身体を寄せ合ってみて気付いたのだが、ラークの身体は大きく屈強だった。
ディアナは小柄な方ではないし、日頃は武術の練習も怠っていないので力もある方だが、細身に見えたラークの力に全く敵わなかった。
「ラーク、離して」
「分からず屋の王女様が俺の話に納得して下されば」
「それは嫌!」
ラークがくすりと笑ったようだった。
「では、これでは?」
視界がぐるりと回り、ディアナは天井を見ていた。
身体の上にはラークがいて、ディアナの動きを封じ込めている。
ぽかんとしたディアナの顔を見て、ラークは薄く笑った。
「貴女は甘い。昔から、変なところで大甘だ。
まぁ、そんなところをお慕いしていたのですけど」
そしてディアナの上から退いて、ディアナを起こした。
「もし、それでラークが近くにいてくれるなら、私は」
ラークは目を見開いた。それから頭を振る。
「何度言えば分かるのです。貴女は王女です。
俺などが夢見て良い人ではない。もう」
続く言葉は、呑み込まれた。ディアナが、片腕でラークの首に抱きついたのである。
「私が同じ夢を見ていないって、どうして思うの?王女様になんて、なりたくてなったんじゃない。
でもラークが側にいると思って我慢してた」
ディアナは最早泣きじゃくっていた。
「抱きたいなら抱けば良いじゃない。
置いていくなら殺しなさい。あの窮屈なお城で、ラークがいないなんて嫌よ」
「ディアナ様」
「様なんてつけないで!」
ラークは溜め息をついた。絶望的な溜め息だった。
「ディアナ様、俺を見てください」
ラークの胸元に顔を埋めていたディアナはその声に顔を上げた。
「何……んっ」
唇に柔らかいものが当たった。
それが何か分かる頃には、ラークの舌はディアナの中に入り込んでいた。
「ふっ……うんんっ………あっ」
ラークの舌は、ディアナの舌を撫でたかと思うと歯列を探り、上顎を触っては頬を味わい、ディアナを翻弄した。
ようやく解放された時には、ディアナの息は上がってしまっていた。
ラークは先ほどディアナに着せかけた自分の上着を剥ぎ取る。
傷に触れないようにあくまでそっと、しかし淀みない仕草でディアナのシャツの中に手を忍び込ませた。
優しく背中を撫でられているだけだ。ディアナはそう思った。何も特別なところではない。
それなのに、ラークの手が動く度、身体から力が抜けるような気がした。
と、その時、ラークの指が軽くディアナの背骨を走った。
「あっ……!」
びくりとしてラークの首に回していた手に力を込めたディアナを見て、ラークは笑った。
それからディアナの顎に手を添えて短く口付ける。その唇はそのままディアナの首筋に向かった。
「う、ああっ……!ラーク!」
奇妙な感覚に堪えられずに声を出すと、ラークは何も言わず、ディアナを反転させて背中を抱いた。シャツの中の指はディアナの腹部を探っている。
「可愛らしい声ですね」
耳許で囁かれ、ディアナの身体は更に熱くなる。
ラークの指はディアナの胸元に走り、シャツの下の下着に潜り込んだ。
「ラークっ……」
物心ついてからは誰にも触られたことのない部分に手が入ってきた居心地の悪さに、ディアナは身動ぎする。
その時、ラークの指が突起に触れた。
「やぁっ……何、あっ……!」
ラークはその柔らかい突起を、そっとつまむ。ささやかな動きだったが、ディアナは目を潤ませた。
「気持ち良いのですか?」
気持ち良いどころではない。
ディアナの身体には名状し難いものが積もっていく。それは今にも、ディアナの身体を駆け巡りそうだった。
「んっ」
思わず下半身に力を入れてしまい、ディアナは赤面する。
「ディアナ様、我慢しないで下さい」
ラークはそう言いながらディアナの耳を舐める。
「ゃっ」
耳に気をとられているうちに、ラークの手はディアナのベルトを外し、ズボンに入り込んでいた。
太ももを少し撫でた手は、そのままディアナの中心に向かう。
とろりと濡れた割れ目に指を這わされて、ディアナはたまらずラークの腕を掴んだ。
「どうしました?……おや、ここは」
あくまで冷静なラークの声が憎らしい。
片手で胸元を、もう片手で女の中心を探られ、ディアナは成す術がなかった。自分の意思とは無関係に腰が動く。
ラークの指はあくまで優しく、ディアナを調べていた。
「ディアナ様」
ラークの指がそっと割れ目に入ってくる。
ディアナは乙女ではあるが、そこを男に許すというのがどういうことなのかは知っている。
それはやがて伴侶となる殿方にとっておくものなのです。家庭教師の言葉が頭の片隅に浮かんで消えた。
ディアナを傷付けないように、そっとその中の浅い所を指が動いた。
ディアナにはその指がどのように動いているのかは分からなかった。
しかし時間が経つにつれて、小さな波がディアナの中に生まれる。
ディアナの呼吸は深くなっていた。
「はぁっ……あぁ、んっ。ラーク」
応えるようにラークは指を割れ目から抜いた。そしてそのまま、すぐ傍にある小さな突起に触れた。
「いやっ!」
突然の強い刺激にディアナは悲鳴をあげる。
これまでの緩やかな波とは全く別の性質の感覚が全身を走ったのである。
ラークの濡れた指は、ディアナの突起に添えられ小さく振動を送った。
「やっ、駄目……」
ラークの片手は未だに胸元で動き続けていて、ディアナの身体に熱を溜め込ませている。
胸からの小さな波と芯からの強い刺激に翻弄され、ディアナは今や大きく全身をくねらせていた。
「ディアナ様。ずっと、俺は」
ラークに囁かれ、ディアナは今の自分をラークに見られていることを思い出す。
きっと呆れているだろう、そんな思いが過るが、ラークの指の動きは止まらず、自分が動くのを止めることも出来なかった。
「あっ、何かおかし……やぁっ、ラーク……」
これまでの波とは違う、明らかに違っている。浚われる。そう思った。
「ディアナ様。力を抜いて。何も考えないで」
出来るわけがない。
こんなに離れたくない人に捕らえられていて。こんな風に触れられて。
それでその男のことを想わずにいられる女など、いる訳がない。
しかし、その思いは言葉にならず、ディアナの喉から出るのは掠れた喘ぎ声だけである。
「ラーク……ねっ、ラーク……!」
どこにも、いかないで。
身体を走る波はディアナを責め立てる。
もっと、身を任せてしまいたい、でも、まだもう少し、私のままでいさせて。
「ディアナ様。好きです。餓鬼の時分から、ずっと」
ディアナはもう耐えられなかった。
「あっ……やぁぁぁっ……!」
そして、気を遣った。
薄れゆく意識は微かに、雨音とラークの声を捕らえていた。
「ずっと、愛しています」
目が覚めたとき、ディアナは王宮の自室にいた。
服は寝間着に着替えさせられ、傷には端切れではなく、清潔な包帯が巻かれていた。
「お目覚めですか」
年配の侍女が微笑む。
東向きの窓からは清潔な光が差し込み、青い空が見えた。
「全く、酷い雨でございましたねぇ。お陰で、ディアナ様をお迎えにあがるのが夜更けになってしまいましたよ」
覚えていない。侍女が首を傾げた。
「それからあの、リッター侯爵家の三番目の坊や。ほら、何と言いましたっけ?」
ラークのことだ。
「ディアナ様のお怪我のことを気に病んでいました。処分は、一週間の謹慎だそうですよ」
「そう」
軍から除籍にはならないと知って、ディアナは安堵の溜め息をついた。
「以前から希望していた南方への留学の準備が整ったそうで、陛下のお許しを得て、もう出発されたと聞いています」
ディアナの表情の変化には気付かず、謹慎ってそんなものでしたかしら?と侍女は笑った。
「そう。南に行くのね」
南には今、もっとも栄えている王国がある。経済的、文化的、それに軍事的にも。
ディアナの国からは馬で半月はかかる距離だ。
さよなら、と言ったラークの声が蘇った。
彼は確かにディアナに触れた。
しかし決して、ディアナを奪わなかった。構わないと言ったのに。
「昔から、馬鹿で意地悪だったから」
その呟きは、侍女には聞こえなかったようである。
窓の外に広がる青が、やけに目に沁みた。
最終更新:2012年05月02日 07:34