温石を浴槽の底に沈めると、セシリアはひどい有様になった服を脱ぎ、
リボンと一緒に脱衣室にある籠に入れた。
それから洗面台の上に置いてあった濃い緑色の石鹸を手に取り、
時間をかけて丹念に身体の隅々を磨いた。
あの男が触った部分を、すべて洗い流さなければ気が済まなかったのだ。
しまいには石鹸はほんの欠片しか残らなかった。
そこで、セシリアはエルドの石鹸をこんなに使ってしまったことを後ろめたく思った。
けれど、自分がエルドの浴室にいるなんて本当に不思議だ。
私だったら、自分の浴室を誰か他の人に使わせるなんて御免だわ、とセシリアは考え、
認めるのは癪だがエルドの寛容さを思い知った。

湯船の中に、身を沈めて暖めると、セシリアはようやく安心した。
そして、先ほどまでのメソメソしていた自分を恥ずかしく思った。
仕方ないわ、たった一日で、あまりもたくさんの出来事が起こり過ぎたのだから。
刺繍が完成し、結婚話を盗み聞きしてしまい、悪漢が不法侵入し、危うく襲われかけた。

のぼせたせいなのか、セシリアの身体は熱くなり、次第に怒りがこみ上げてきた。
それは自身の利益ばかりに目がくらみ、
考えなしに娘の結婚相手を決めようとしている父親に対してなのか、
それとも壮大なる未来予想図を胸に秘め、
祖国の風習を娘に教え込んだ母親に対してなのか、
はたまた己の快楽のためにセシリアの身体を蹂躙しようとした男に対してなのか、
わからなかった。
まだ見ぬ婚約者に対しても、不当だと思うが憤りが沸いてくる。
皆、私の意思などこれっぽっちも尊重しないで、まるで物のように扱っているのだ。
しかし、いちばん憎らしいのは、
感情を割り切ることができない自分自身だった。

いつのまにか、脱衣室にはバスタオルと替えの着替えが置いてあった。
まったくエルドは用意周到すぎて、
文句の付けようがないのだから、とセシリアは苦々しく思った。

タオルで身体を拭きながら、
どちらにしろ、自分がいくら拒んでも、
いつかは結婚しなくてはいけないんだわ、と思った。
セシリアは、結婚した自分を想像してみた。
どこかの男性の妻として従順に仕え、子どもを産み育て、
そして夜はベッドの上で――――。
そこで、さきほどの強姦魔の下品な笑い声がよぎり、セシリアは想像をするのを止めた。
あの男の圧倒的な力に比べ、自分はあまりにも無力だった。
もし結婚したら、あんな風にいつも夫に、押さえつけられ従わされ支配されるのだろうか。
そんなの地獄だわ。
マリアンヌや他の少女たちのように無条件に結婚生活を夢見ることは不可能だ。

エルドが用意した服は、飾り気のない質素な服だった。
これは、侍女か女官の私服だろうか。
エルドにも懇意にしている女性の使用人がいるのね、とセシリアは考えた。
王子を始め、名のある貴族の子弟の中には、
使用人を愛妾として扱う輩が多々いるという噂を聞き及んだことがあるが、エルドもそうなのだろうか。

セシリアは、首を振り、どうも、思考が変な方向へ偏っている自分を戒めた。
しかし、自分が結婚生活に恐怖と不安しか抱けないのは、
具体的な性知識と経験がないせいだというような気がしてならなかった。

脱衣室から寝室を覗くと、エルドはベッドの上に寝そべり、本を夢中で読んでいた。
予想通りだ。一度、読み出すと止まらないのだから。
「エルド、今出たわ」
「ああ」
上の空でエルドは相槌を打った。こちらの方を見ようともしない。

「図書室の後始末は済んだのかしら?」
セシリアは寝室に足を踏み入れ、エルドのもとへ歩み寄った。
「とっくに終わったよ。リアが風呂に入っている間に。
 全く一日中、入っているのかと思ったよ」
どうせ、エルドはカラスの行水に決まっているわ、とセシリアは心の中で毒づいた。
しかし、できるだけ可愛らしい声を出すように努めた。

「そうだったの。ありがとう、エルド。
 私、あなたにはとても、とても感謝しているわ」
「やけに殊勝だね」
そう言いながら、エルドは本のページをめくった。
「君が、いつもそうだといいんだけどね、リア」
「私、あなたにお礼がしたいのよ」
「お礼? そんなの必要ないよ」
相変わらず、本に顔をうずめて、エルドは生返事をした。
「いいえ。どうしてもお礼がしたいのよ」

「リア?」
そこでようやくエルドは異変に気づき、顔を上げて振り返った。
彼は、セシリアを見て、驚愕の表情のまま固まった。

エルドの目の前にいたのは、用意された服に袖を通さずに、
裸にバスタオルを纏っただけのセシリアだった。
タオルの隙間からのぞく素肌からは、まだ湯気が上がっていた。

あんなに驚いたエルドの顔を見るのは、初めてだ。
常日頃から、エルドを出し抜くことに骨身を削っているセシリアは、
ついほくそ笑んでしまうのを止められなかった。

「あなたに、私を差し上げるわ」
厳かに告げると、エルドの顔は微かに引きつったように見えた。

「差し上げるって……リア、お前、気でも狂ったのか」
「まあ、失礼ね。私、正常だわ」
「じゃあ、言っている意味を本当にわかっているのか?」
「ええ、つまり私と婚前交渉をしてくれないかしら、と言っているのよ」
「はあ?」
その頃には、エルドは手にしていた本を放り出して、上半身を起こしていた。
「何が何だかまったく理解できない。説明してくれないか。
 リアの行動には矛盾がありすぎだ」

「おそらく、説明すれば理に適うことが、よくわかってよ」
セシリアはため息をついて、エルドのベッドの右端に腰を下ろした。
警戒したエルドはベッドの反対側まで下がり、セシリアから用心深く距離を置いた。

「今日、偶然、お父様たちの話を聞いて、知ったのだけど、
 私、一年後に結婚するんですって」
「結婚?!」
エルドは再び驚きの表情を作ったが、何だかセシリアは白けてしまった。
「お相手は、ノイス国の王族ですって、おまけに年が二十九も上らしいのよ」
「それはまた……」
もっと気の利いたことが言えないのだろうか。

「ね? 私の気持ちもわかるでしょう」
「いや、全くもって理解できない。
 他の男とベッドを共にすることが結婚前の女が取る行動なのか?」
「それは……普通だったら、愛する夫に純潔を捧げるでしょうね」
セシリアは純潔という言葉を口にしたとき、ほんの少し顔が赤らんだ。
ああ、どうかエルドが気づいていませんように。
「でも、私の場合は違うわ。これは、完全なる政略結婚なのよ。
 これから、彼が死ぬまで、奉仕しなくてはならないのよ」
「奉仕……」
「そんな知りもしないおじさんだけが私の唯一の相手なんて耐えられないわ。
 ねえ、エルド、わかるでしょう?」
「―――ああ、ものすごく腑に落ちないのに、何となく理解できる。
 疑問が二つほど残るけどね」
「あら、なあに」

「まず、第一に、図書室であんな目に遭っておいて、怖がっていたはずなのに、
 どうして、急にそんな気になれるのか」
「だから、あれこそが契機だったのよ。
 あれで気づいてしまったんだわ。
 どちらにしろ、合法か非合法かの違いだけで、
 女性はいつか男性に侵食されてしまうのよ」
「侵食……」
「性交渉は、圧倒的に男性側が優位な立場なのよ。
 それにうまく耐性を付けるには、どうしても実践的な知識と訓練が必要だわ」
「訓練……」
「あら、どうかしたの?」
いつのまにか演説に熱が入りすぎて、
セシリアはどれが口にするのに恥すべき言葉なのかわからなくなっていた。
さっきからエルドをセシリアの言葉尻を捕らえるだけだ。
「いや、もういい。
 で、二番目の質問なんだが、
 どうして俺がリアとそういうことをしなくちゃならないんだ?」

セシリアは、瞬きを繰り返した。
どうしてエルドが、相手でなくてはならないのか!
―――そんなこと考えもしなかった。
ただ、思いついたとき、いちばん近くにいた男性がエルドだったのだ。
加えて言えば、セシリアは、エルドが生物学上、男に分類されることを、
今日まで、気づいてなかったのだが。
しかし、さすがにそのことを正直に話すのは賢明ではないだろう。

「それはね――――そう、つまり、私たちが、お互い、好意を抱いている同士ではないからだわ。
 相手に何の幻想も抱いていなければ、
 ややこしい情愛関係に発展することもないでしょう。
 私たちは、後腐れのない理想的な関係を築けるに違いないわ。
 いわば、教師と生徒だわ」

「教師と生徒……」
エルドは呆然と呟いた。
「その論理で行くと、俺が教師側をやらなくてはならないのか」

「もちろんよ。でも、安心して。
 エルドの教え方が上手いとは誰も期待していなくってよ。
 あなたに教わったせいで、いまだに算数は苦手科目なのだから」
そこまで喋り終えると、セシリアは、
どうも自分は要らぬことを言い過ぎると思い、口を噤んだ。

エルドは、はぁと重いため息をついた。
「お前は、生徒の資質を考慮するのを忘れている。
 だが、どちらにしろ、俺たちは教師と生徒になれっこないんだ」
「あら、どうして?」
「あいにくと、俺は女性経験が一度もないのでね」
「何ですって!」

セシリアはエルドをまじまじと見つめた。
「信じられないわ。あなた、十六歳でしょう」
「ああ、確かリアと同じ年齢だったはずだよ」

「成人の儀も済ませて、十六歳にもなって、女性と肌を合わせたことがないなんて。
 ―――あなた、もしかして…女嫌いなの?」
セシリアは、危うく同性愛者なのと尋ねそうになって、すんでのところで押し止めた。

エルドは不愉快そうに、胡坐を組んでいた脚を伸ばした。
「違う。でも、そろそろ女性不信になりそうだ。
 誰かさんのせいでね」
エルドの疲れたきった目を眺め、
ようやくセシリアは自分がひどくデリケートな問題に干渉していることに思い当たった。

「まあ、ごめんなさい。私、少し無作法だったわ。
 でも、マリアンヌたちの話では、たいていは王子というのは、
 権力を笠に着て、女性をなぶり者にすると聞いたものだから」
「なぶり者……
 まあいいけど。
 女は、こうやって耳年増になっていくのか」
エルドは気が抜けたように、ベッドの上に仰け反った。

「でもね、エルド、あなた今までにそういう機会はなかったの?
 つまり、貴族のお嬢さんとか、身近に仕えている侍女や女官とか」

「あいにく、俺の周りは男の従者や小姓ばかりなんだ。
 兄上たちの前例があるから、父上がたいそう心配してね」
そうだった。彼は父王から溺愛され、甘やかされた傍若無人な息子だった。
自然と周りの環境も、他の王子たちと一線を画するのだろう。

「あと、そういう火遊びを進んでやりたがる貴族のお嬢さんには、
 今までのところ一人しか会ったことがないな」

「まあ、それって、どなた?」
驚いて尋ねてみると、エルドは黙って背中を向けた。

何だか雲行きが怪しくなってきたわ。
セシリアは自分の計画が不発に終わるのを感じ取ると、
ベッドの片隅に倒れこみ、シーツに頬をよせた。
慣れないことをしたせいか、疲れていたのだ。
それに、湯冷めもして寒くなってきた。

「ねえ、エルド」
「……………」
「ねえ、エルドったら!
 ごめんなさい。考えてみたら、
 私、少し先走り過ぎていたのかもしれないわ」

「……今度から、せいぜい、よく考えることだな、リア。
 一つ忠告しておくが、女が積極的になるに比例して
 男の気持ちは萎えていくことが多いんだ」
セシリアは新しい情報に驚いた。

「あなた萎えているの?」
エルドは身体を反転させて、セシリアの方を向いた。
「何だか、とてつもなく、疲れているよ」
「実は私もなのよ。おまけに少し眠くなってきたわ」
「頼むから、ここで、そんな格好で寝ないでくれ」
「大丈夫よ」

セシリアは必死で、欠伸をかみ殺した。
その間にエルドは起き上がって、随分近くまで寄ってきた。

「ところで、リア、さっきの話はまだ有効か?」
「何の話かしら?」
「もちろん、君と俺が。婚前交渉をする話さ」
「何ですって!」

一気に目が覚め、跳ね起きようとしたセシリアの左肩を、
有無を言わさぬ雰囲気でエルドが押さえこんだ。

「だって―――あなた、したことがないんでしょう」
「そうだけどさ、よく考えてみたら、教師役になる必要なんかないし
 少なくとも、リアよりは、知識があると思うな」
エルドは肩肘を突いてセシリアの真横に寝そべると、不敵に笑った。
慌ててはいけないわ、とセシリアは考え始めた。
おそらくエルドはさっき驚かされた分だけ、反撃しようと試みているのだ。
「あなたは女性に興味があるの?」
「ああ、生物学の本で女性の裸体を何度も見たが、
 本物は一度も見たことがないからな。
 今の今まで、リアが女だということも忘れていたよ」

まるで今、気づいたとでもいうように、
エルドはセシリアの胸から下肢にかけて視線を往復させた。
そうなると、急に、バスタオル一枚しか纏っていない自分の姿が
恥ずかしく思えてくるのだった。

「前に、何かの本で読んだんだけどさ。
 お互いの相性を調べるのに、楽な方法があるんだ。
 それを試してみないか」
そうセシリアに誘いかける口調は、いつもより、
ぐっとくだけていて、それだけ彼が本気だという証だった。

「相性って、占いのことかしら?」
「バカ、どうして、ここで占いをするんだよ。
 身体の相性だよ。
 いいか、まず俺がリアの臀部を触る」

そう言うと、エルドは右手を伸ばし、シーツとセシリアの太腿の隙間に入り込んだ。
そして、太腿の付け根から膝の後ろにかけて、何度もまさぐった。

「エルド、止めて」
セシリアは堪らず笑い声をもらした。
「くすぐったいわ。お願いだから止めてちょうだい」
「わかったよ」
エルドが手を引っ込めても、セシリアはしばらくクスクスと笑い続けていた。

「ああ、面白かったわ。それから、どうするの?」
「それから、リアの胸を触るから、
 どちらの方が触られて、気持ちいいかを選択するんだ。
 俺もどっちかを選ぶから」

そう言うと、エルドはバスタオルの上から、セシリアの胸を撫でた。
今度は、セシリアは身を固くして、愛撫が終わるのを待っていた。
「どうだ、気持ちいいか?」
「わからないわ」
セシリアは緊張しながら考えた。

「でも、やっぱり、さっきの方が、楽しい気持ちになったと思うわ。
 ねえ、もう触るのを止めてちょうだい。
 あなたは、どうだったの?」
エルドは、なおもしつこくセシリアの胸を弄った。
「俺は、どちらかというと胸の方がいいや。
 リアの脚はガリガリで、触り心地が悪かったからな」
そう言いながらエルドの長い指は、タオルの奥の隙間に侵入しようとしていた。
慌てて、セシリアは飛び起きる。

「それじゃあ、私たちって気が合わないってことじゃないかしら?」
「その通り」
「でも、そんなこと、わかりきっていたわよね」
「まあね。しかし、リア。
 お前の未来の夫君は、もしかしたら胸の方が好きかも知れないだろ
 身体の相性が合えば運がいいが、いつも最悪の場合を考えた方がいい。
 つまり、相性が悪いときは、双方の努力により、乗り越えるものなんだよ」
「わかったわ。道は険しそうね
 でも、もう仰向けに寝たままは御免だわ。
 さっきの……図書室でも、ずっと仰向けにされて、
 何度もしつこいくらいに胸を揉まれたのよ」

するとエルドも起き上がり、考え込むような表情をした。
「そうか。悪かったな。
 あの色ボケ馬鹿のことは早く忘れたほうがいい」
そしてセシリアの長い髪を手で優しく梳いた。
助けてもらったせいなのか、
エルドの側にいると、あの男のことを思い返しても不思議と怖さは半減した。

「あの男は、結局、何が目的だったのかしら?」
「―――そうだな。
 結局のところ、ただの強姦魔だったんじゃないのか」
「いいえ、最初に襲われたのは、エルドよ。
 あなたが目的だったのではないかしら。
 でも何のために――――きゃっ!」
セシリアが考え込んでいる間に、エルドは彼女のバスタオルを奪い去った。

「エルド、返してよ」
胸元を手で覆いながら、セシリアがにらみつけると、エルドは愉快そうに笑った。
「こんなもの邪魔なだけだろう」
そして、セシリアの両手を取り、自身の膝の上に乗るように促した。
エルドは、あの男についての情報を、ごまかそうとしているわ。
しかし、自分の胸や腰を往復するエルドのいやらしい手を捕まえるのに精一杯で、
深く考える暇は与えられなかった。

エルドの手は、決して不快というわけではなかった。
むしろ、冷たい手が肌に触れるたびに、セシリアの身体は熱くなり、
奇妙なことに、もっと触って欲しくなるのだ。
これは、もしかすると双方の努力が実を結んだのではないだろうか。

「ねえ、エルド」
セシリアは夢心地で言った。
「あなたって、想像していたより、傍若無人ではないのね」
「……それは、光栄の至り。
 リアは思っていた倍以上に、無鉄砲で向こう見ずだな」
 エルドは、セシリアの手を自分の頬に当てた。
「ハーブの香りがする。あの石鹸を使ったのか」
「そうなの。ごめんなさい。
 かなり、たくさん使ってしまったわ」
「別に構わない。
 そこまでケチじゃないから」

 ふとセシリアは、図書室で言ったことを思い出した。
「ねえ、エルド。
 私って、そんなにプライドが高いように見えたのかしら」
「まあな、二言目には、
 ノイスの伝統がああだ、リヴァーの風習がこうだ騒ぎ立てるんだからな。
 俺からみたら、王家の伝統なんかどうでもいいことだよ」
「ほら、あなたって、そうやってすぐに人を見下した目をするわ。
 だからとても冷たい人間に見えるのよ。
 ―――ねえ、ところで、私はもう処女じゃなくなったのかしら?」

エルドの愛撫はピタリと止まり、水色の瞳がこちらを真剣に見ていた。
「本気で言っているのか?」
セシリアは冗談ではないことを示すため、大きく頷いた。
「リア。……残念ながら、まだ半分も終わっていない」
どうやら道は険しくて、果てしなく遠いらしい。

 

「ええと、リア。まず、整理しよう。
 何故、自分は処女ではないと思ったんだ?」
「だって、エルドに身体中、触れられて、とても気持ちよいと思ったんですもの。
 双方の心が努力によって繋がったんだわ」

「―――まあ、それはいい徴候かもな
 だが心が繋がるだけじゃ駄目なんだ」
ぶつぶつと呟くエルドにセシリアは苛々し始めた。
「ねえ、それなら早く正しい方法を教えてちょうだい」

エルドは何を話すべきなのか迷っているように見えた。
「そうだ。リアにとっては辛いかもしれないけど、
 あの男に何されたのか覚えていることを
 全部、話してくれないか」
セシリアはエルドの手を握りしめ、図書室での記憶を掘り起こした。

「あの男は―――私を両手を縛って、仰向けに押さえつけて、首筋を撫でて、
 私の服を破いて、―――信じられないわ。気に入っていたのに―――
 胸をしつこく揉んで、段々、お腹のあたりを触ってきたの」

冷静に振り返ると、セシリアはもうあまり怖くなかった。
ただ腹立たしいばかりである。

「それから、どんどんあの男がどんどん下の方に行くから、
 私はずーっと上の天井を見つめていたの」
「天井を……」
「ええ、天井のあの模様は何なのかしら、花模様なのかしら。
 それとも幾何学模様なのかしら。それとも老朽化に伴う染みなのかしら、
 とずっと考えていたのよ」
「それはまた……」
「その内にこのまま死んだ方がマシかもしれないと考え出したら、
 あなたが助けてくれたのよ。
 どうして、もっと早く助けてくれなかったのかしら、と思ったわ」
「わかった。もういいよ。
 つまり、肝心なところは、何も見ていなかったんだな」
「肝心なところ?」

「だから―――あの男は下半身だけむき出しだっただろう」
「そうだったかしら。そちらの方はできるだけ見ないようにしていたから」
「それで、リアの脚には、あいつの―――精液がついていただろう」
「ええ」
セシリアは自分の脚に日に纏わりついていた汚らわしい液体を思い出し、顔をしかめた。
「あれが何だか知っているのか」
「知っているわ。男性が、性的興奮により分泌する体液でしょう」
「―――それが、どこから分泌されるのかは?」
「さあ? でも、あなたの話し振りによると、下半身のどこからしいわね」

エルドはセシリアを膝に乗せたまま、そっくり返り、上半身をシーツに預けた。
「エルド?」
「俺は、教師に向いてないし、なりたくもないな」
それが彼の出した結論だった。

「まさか、ここまで、温度差があるとは……」
「ねえ、エルド」
セシリアは心配そうに彼の顔を覗き込んだ。
「私はあなたに純潔を捧げられるのかしら?」

エルドの何とも形容しがたい表情を見た限りでは、
セシリアの言葉は彼を余計に追い詰めたらしい。
今日一日だけで、エルドの印象はどんどん変化しているとセシリアは感じた。

「つまり、性交渉について、リアは何も知らないということか」
「最初から、そう言っているわ。
 だから教えてちょうだい、って」

「わかった。教えるよ。ただし、条件がある」
エルドはのろのろと起き上がった。
「なあに?」
「どんなに疑問に思うことがあっても、絶対に口を挟むな。
 お前が質問すると、すごく萎える」
「固く約束するわ」
「それから、俺も初めてだということを忘れるな」

セシリアはそれまで、その事実をすっかり忘れていた。
考えてみれば、女性はただ男性がすることを待っていればいいのだ。
それは案外、楽なのかもしれない。
そして男性は男性で大変なのだということを、セシリアは遅まきながら悟った。

「ねえ、でもエルドって、本当に初めてなの?
 とても慣れているように見えたのだけれど―――」
そこで、セシリアはエルドの鬼のような形相を見て、すぐに口を閉ざした。
しかしながら、自分の饒舌さを反省しつつ、
エルドのペースを精一杯乱してやったことに、罪深い勝利を感じてしまうのだった。

 

エルドはセシリアを膝から下ろすと、服を脱ぎ始めた。
セシリアはどうしてエルドがそんなことをしているのか、
聞きたくてうずうずしたのだが、約束を思い出し、固く口を結んでいた。
多分、エルドは正しいわ、私たちが喋り合うと、ちっとも前に進まない。
それでも、セシリアはエルドが服を着たままだったらよかったのに、と考えた。
おかげで彼を直視できなくなってしまった。

エルドは全ての衣類を脱ぐと、セシリアに向き直り、彼女に立て膝をつかせた。
その間、セシリアはエルドの顔だけを見続けて、首から下には決して視線を落とさなかった。
口を利かないと約束したことを、セシリアは早くも後悔し始めていた。
なにしろ彼が次に何をするのか見当も付かないのだから。

そして次の瞬間、エルドはセシリアの胸に顔をうずめた。
セシリアは息を呑んだ。
エルドはセシリアの右胸をキスし、右手で反対の乳房を揉みほぐした。
彼の左手はセシリアの太腿の付け根を執拗になぞっているが、
先ほどのように、笑うことはできなかった。
セシリアは所在無い自分の手を、エルドの頭に置き、彼の栗色の髪を撫でた。
とにかく声を出してはいけない。
それでも、彼が乳首を吸い上げ、指の腹でもう片方の乳首を弄ばれたときは
全身を電流が駆け巡ったような気がした。
身体は不思議なくらい火照っていて、立っているのがやっとだった。
必死で声を殺し、エルドにしがみつくと、腿の辺りに異物が当たった。

思わず彼の下半身に視線をすべらせると、股間に隆々としたペニスが見えた。
セシリアは、今までそんなふうに大きくなった男性器を見たことがなかった。
まるで生き物みたいだわ、と思った。

エルドはやがて腰を屈め、セシリアの恥骨に口をつけた。
「ううっ」
たまらずセシリアは声を漏らした。
エルドが顔を上げ、セシリアを見上げた。
「声を出してもいいよ、リア」

「エルド―――」
セシリアは喘いだ。いつのまにか普通の声が出せなくなっていたのだ。
「お願いだから、もうそこには触らないでちょうだい」
しかし股間を隠そうとするセシリアの手を取り、
エルドは茂みの奥の割れ目に舌を這わせた。
とうとうセシリアは立て膝をついていられず、エルドの胸に崩れこんだ。

エルドの唇で何度も首筋をなぞられたあと、
セシリアは仰向けに寝かせられた。
「大丈夫か?」
と尋ねられたが、よくわからないまま、セシリアは頷いていた。
実際、何が起こっているのか、わからなくなっていた。
エルドはセシリアの両膝を立たせて足を開き、
奥のいちばん敏感な部分を、指を使い丹念に撫で回した。
止めて、とセシリアが涙声で呟いても、エルドは手を休めることはなかった。
彼は指と舌を使い、秘所を何とか湿らせようとしていた。

「もっと、濡れないと、入らないな」
エルドの呟きを、セシリアは聞きつけた。
「何を入れるの?」
しかし、エルドは答えなかった。

「リア、今から入れるから言うけど、かなりの激痛だと思う」
「……痛いの?」
「とにかく俺のせいではない。
 初めての時は、痛いものなんだ」

了承したわ、とセシリアは頷いた。自分から進んで、ここまで来たのだ。
少々の痛みは我慢しなくてはならないだろう。
しかし、この段階にきても、セシリアは何が入るのかよくわかっていなかった。

エルドはセシリアの腕を自分の背中に回させると、彼女の膣口に自身の先端をあてがった。
セシリアは先ほどよりさらに膨張し、尖らせたそれを見て、目を丸くした。
「エルド、それは入らな…」
セシリアが言い終わる前に、ペニスが膣を貫いた。
あまりの痛さに声も出なかった。
もしかしたら死んでしまうかもしれない、とセシリアは思い、涙が頬を伝った。
エルドは彼女の涙を優しく拭ってくれたが、
膣の中でどんなに押し返しても、容赦なく奥底まで突き上げた。

やがて、エルドはゆっくりと腰を動かし始めた。
「…エルド?」
痛み自体には慣れてきたセシリアだったが、
出したり入れたりするエルドの行動はよくわからなかった。
しかし、エルドの瞳を覗きこんで驚いた。
それはいつもの冷たい目ではなく、燃えるように輝く獣のような目だった。
エルドは快感を得ている、とセシリアは察知した。
自分は、こんなに苦しんでいるというのに!
せめてもの仕返しに、セシリアはエルドの背中に思い切り爪を立てた。
しばらくすると自分の中に、熱い何かが注ぎ込まれるのを感じ、意識が途切れた。

 

「―――終わったよ、……リア」
エルドはセシリアの耳元で囁いてから、その隣に倒れこんだ。
セシリアは安堵のため息をついた。
股間はどうしようもなくヒリヒリして痛んだが、達成感が身体中を覆っていた。

しばらくの間、二人はベッドに沈み込み、静かな時間を味わっていた。
しかし、部屋の中が暗くなっていくのに気づいたセシリアは起き上がった。
何時間ここにいたのだろう、帰らなくては。

「エルド、お風呂をまた借りてもいいかしら?」
「ああ、もちろん」
エルドの横を通り、ベッドから降りようとしたとき、
セシリアは先ほどの情事の余韻を残す白いシーツに、
赤黒い染みが付着しているのを見つけた。
「まあ、何かしら?これは」
セシリアの呟きにエルドは顔を上げてシーツの汚れを見た。

「ああ、血だよ」
「あら、どこか、怪我したの?」
「いいや、これはリアの血だよ。
 初めてのときは、血が出るものなんだ」

「まあ、じゃあ、もしかして、これが『緋色の勲章』なのかしら」
「は?」
訳がわからないという顔をしたエルドに、セシリアはにっこりと笑いかけた。
「マリアンヌが教えてくれたのよ。
 乙女が純潔を殿方に捧げたとき、彼女は『緋色の勲章』を得るんですって」
「それはまた……。
 いかにもマリアンヌが考えそうなことだな。
 ただの赤い血じゃないか」
「それもそうね」

でも、血が出るほど痛かったということなんだわ、とセシリアはしみじみと思った。
それから、隣で欠伸をしているエルドをにらみつけた。
「―――何だよ、リア」
「ねえ、エルドは、やっぱり初めてではなかったんでしょう」

エルドはがっくりしたように、肩を下げた。
「何で、そう思うんだよ。
 ―――認めたくないけど、本当に初めてだったよ」
「だって、あなた痛がってなかったじゃない。
 それどころか、とても気持ちよさそうだったわ」
「ああ、それはさ……
 つまり、最初に痛いのは女だけなんだ。
 男は別に痛くならないんだ」

「まあ、本当?」
セシリアは大いに憤慨した。
「それって不公平じゃないかしら。だいたい、エルドはいつも―――」

セシリアの抗議が始まろうとしたとき、
エルドは彼女を引き寄せ、その唇をふさいだ。
それは、初めてのキスだった。
セシリアは微かに抵抗を示したが、やがてエルドの腕の中で大人しくなった。
しばらくの間、二人はお互いの唇を貪った。
どちらともなく唇が離れると、
セシリアは、先ほどの憤りが消えていることに気づき、
エルドの計略にまんまと引っかかってしまったことを知ったのだった。

エルドはにやりと笑った。
「つまり、あの痛みに、我慢強く耐えることにより、
 女は、栄誉ある『緋色の勲章』を得るんだな。
 それは男では、どうしたって、手に入れられないものだよ」

 

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