百官が居並ぶパルティア王宮の大広間に、異国の一団が跪いている。
彼らは東のシンド国からやってきた大使たちだ。
『全ての王たちの王』を自称するアルダシールは昨年、東国へ使者を送った。
その返礼のために訪れたのが彼らだ。
ただし、国と国との威信を賭けた外交戦は、時に詰まらぬ意地の張り合いの様を呈することもある。

「さて繰り返しますが、シンド王よりの貢物は、
 『おぞましく、人に害毒をもたらす物、
 されどその中にあるは、大陸に二つと無き虹の果実』にございまする。
 叡智の誉れ高きパルティアの賢者がたには、遠慮なさらず中身をお当て下されよ」
「うぬぬ……」

持ち込んだ献上品をダシに、大使は謎掛けを仕掛けてきた。
こういった座興は珍しくない。
先年アルダシールがシンドに使者を送った時も、彼らを試す意味で謎掛けを付けて贈った。
贈ったものは、『王侯から貧民まで、誰にも無くてはならぬ物。
そして罪人の如く炎に焼かれたる物。されどその実にあるは、王が王へ送るに相応しき物』だ。
だが仕掛けられる側にとっては、答えられなかったら面目を失う。
特に、周辺国に平素から文知の栄えを誇るパルティアやシンドの様な国にとっては尚更だ。
前回の意趣返しの意味も込めてあるのだろう。
シンドの王はパルティア宮廷に挑戦を仕掛けてきた。

「皆の者遠慮はいらぬ。この謎解けるものが居れば、遠慮なく申し出よ!」

国王アルダシールの声に、やや焦りが見える。
もとよりこうした当て物は、出題者の方が有利なものだ。
だが、前回そうしてシンドに使者を遣って、相手側は見事に答えたという前歴がある。
ここでこちらが答えられなければ、シンドの智恵にパルティアが及ばないということになる。
世界の中心を自認するパルティア人にとって、それは耐え難い屈辱だ。
ざわざわと、近くに坐する者同士で相談する声が大広間を騒がす。

貴族から大臣まで、互いに顔を見合わせてこの謎を解こうとしているが、
一向に回答へたどり着けそうにない。
その様を苦々しげに眺めているアルダシールは、玉座のすぐ下にある王族の席へと目をやった。
本来そこに坐るべき三人の息子のうち、二人は欠席している。
ならば、残った一人に期待をかけてみたいのだが……

「ファルハードよ、答えは見つからぬか?」
「父上、申し訳ございません。未だ皆目見当も付かぬ次第で……」

面目なさそうに、第三王子は頭を下げる。
その様子を見たシンド大使は、すかさず声を発する。

「重ねて申しますが、『簡単に答えてしまっては我らの面子が立たぬだろう』
 などといったご配慮は無用ですぞ!」
「ぬ……」
「しかし、こうして貴顕高官のお歴々にお目通りが叶いましたが、
 他の王子がたのお顔が見えぬのが残念至極ですなあ。
 第一王子殿下は学芸に秀で、第二王子殿下は相当の知恵者と聞き及びますのに」
「……余の二人の王子はちと病でな。こうした場への出席は見合させておる」
「ははあ、それはお気の毒。一日も早いご快癒をお祈り申し上げまする」

深々と頭を下げる大使一行だが、傍から見てもその仕草がわざとらしい。
第一王子の不行跡と、第二王子が父の不興を買ったのを知った上での当て擦りに、
ファルハードは腹の底が煮えた。

大使たちの態度を見るに、シンド王の意向が明らかになってきた。
既にこれは座興ではない。
パルティア王国を貶め、王に恥をかかせようという心算なのだろう。
父はまだ鷹揚に笑って見せているが、自分同様この振る舞いに怒りを覚えている筈だ。
この無礼者どもを切り捨てることなど、近衛兵に一声命じれば済む。
しかし、それで落着するなら父もとっくにそうしている。
そんな事をすれば、謎掛けに答えられなかった愚さと、座興も受け入れることの出来ぬ狭量さを
自ら宣伝するようなものなのだ。

「シンド王は名うての変わり者、一筋縄でいく代物は送ってこないだろう」
「いや、あれは占術狂いの変人と呼ぶ方が妥当さ」
「かなりひねくれた貢物だろうな」
「おまけに昨年の事がある。仕返しにどんな裏をかいた物を送ってきたのやら」

昨年シンド王に送ったのは、パン生地に貴金属や宝石の類を包み、野火で焼いた物であった。
王侯から貧民まで、パンがなければ生きてゆけぬ。
その誰にも必要な代物に、王に相応しき重宝を仕込んでおくという、一風変わった贈り方をしたのだ。
ただし、どうやらその手の諧謔は、シンド王の気に入るところではなかったようだ。

「うーぬ……」

使者の膝の前に置かれている大箱を穴の開くほど見つめるファルハードであったが、
もとより視線で穴が開くことなどないし、透けて見える訳でもない。
それでも何か手がかりが掴めぬかと凝視し、必死に頭を巡らす。
その時であった。
何処からともなく、鈴が鳴るが如き玲瓏とした声が彼に聞こえてきたのは。

(おほほ、お困りですか? 愛しいファルハード様)
「シャフルナーズ?」
「……どうしたファルハード、何か判ったのか?」

思わず、場所柄も弁えず口に出してしまった。
大声でなかったのが幸いだが、隣に坐っていた従兄弟が不思議そうにこちらを見ている。
彼の耳には、その声が聞こえた様子は無かった。

「い、いや…… 何でも無い。やっぱり思い違いだった」
(ほほほほっ、口を覆って小声でお話下さいませ。
 小さな声でもわたくしには聞こえますし、
 シンド人の一行に、唇の動きが読める輩が潜んでおらぬとも限りませぬゆえ……)

慌てて取り繕う彼の耳に、再び女の声が響いてくる。
その言葉に従い、ファルハードは思案する振りをしながら口元を掌で覆った。

『何の用……その前に、何でこんな時に表れるのだ? シャフルナーズ!?』
(何って、わたくしは愛しいお方がお困りの時には、いつ何時であれ参上しますわ)
『ここは謁見の間だぞ!?』
(ふふふっ、天地の間に魔族多しと言えど、
 日の明るいうちから王宮に忍び込める程の者は、世界に五名とおりませぬわよ?)

自慢げに、だがとぼけた答えを返すシャフルナーズの対応に、ファルハードは眉を吊り上げる。
呟きながら何を怒っているのかと、訝しそうに従兄弟が横目で覗いているのに気付きもしない。

(あの高慢なシンド人の鼻を折ってやりたいのでしょう? ファルハード様)
『む!?』
(箱の中身を教えて差し上げましょうか?)
『判るのか? あやつらの謎掛けの答えが』
(ほほほ…… この程度の知恵比べ、何で判らない事がありましょうや?
 でもその代わり……)
『また我と一晩過ごせと言うつもりか?』
(ご明察、)

眉を顰ませつつ、妖の姫に小声で答える。

『我の身体は売り物ではないぞ』
(存じておりますが、こうでも言わないとわたくしを可愛がって下さらないでしょう?
 おっほほほほっ……)

時と場所さえ許すなら頭を抱えたくなった第三王子であったが、生憎そんな事が許される場面ではない。
ぶつぶつと一人で何やら喋っている王子を、従兄弟のさらに隣に坐る大臣までが
不思議そうに覗き込み始めた。
この謎掛けの手がかりでも掴みかけているのなら、下手に声を掛けぬ方が良いのだろうが……
そんな王族席の様子を尻目に、使者の口上はさらに熱を帯びてゆく。

「おやおや、皆様どうなされましたかな? 世界の王を称されるアルダシール大王のご宮廷に、
 まさかこの程度の謎々遊びを解ける賢者さえ居らぬとでも?」
「はっはっは…… 使者どのよ、口が過ぎようぞ」
「やっ、これは失言。お許しあれ」

卑屈な態度を見せてそろって床に額づくが、その動作のどこかが芝居がかっている。

『くそっ、調子に乗りおって』
(けれども、奴らの心底が見えぬままでは斬れぬのでしょう?
 非礼を詰って使者を殺すことが、シンド王の策の内であったら……)
『その通り…… 合戦を厭う我ではないが、奴らの思う壺に嵌ってやるのは業腹だ』

貢物を持参した使者を殺す。
これ以上開戦の口実に都合のいい事件も無いだろう。
ファルハードも誇り高きパルティア人である。
平和こそ至上と考えはしないが、敵の罠に引っ掛かるよりはそれを躱すことで見返してやりたい。
これまで父王が我慢をしているのも、きっと自分と同じ考えをしているからだった。
ただし、これから先も使者の侮辱に耐えられるという保証はないのだが。

(ならば、わたくしの智恵をお借りなさいませ)
『先程の言はお前についても同じだ。我がいつまでもお前の目論み通りに動くと思うなよ』
(おほほ…… お聞き届け頂けない時は、諦めて次の機会をお待ちしますわ。
 愛しいファルハード様は英雄の星の下に生まれてきたお方。
 困難と試練には事欠かぬ宿命で御座いますもの)
『ちっ、お前と出会ってしまった以上の苦難がこの世に有るのか、我は本気で疑うな』
(とんでもない、わたくしと出会ったのは大幸運でございますよ)

そんな風に、王子と妖姫が人知れず言葉を交わしている間に、
シンドの使者は左右に並ぶパルティア人たちをねっとりとした目で見回す。

「う~む、皆様どうやらお分かりにならない様でございますねえ。
 しかたありませぬ。こちらから種明かしをするのは本当に興冷めで御座いますが、
 そろそろ箱を開くと致しましょうか?」

その言い草が、目つきが、実に人を小馬鹿にした雰囲気であったので、
ファルハードの辛抱の糸はぶつりと切れた。

『シャフルナーズ! 箱の中身を教えろ』
(取引に応じて下さるので御座いますか?)
『ああっ! お前を抱くのは一晩の辛抱だが、あの下種をこのままにしておくよりはマシだ!』

「なんともまあ、名高きパルティア王宮の賢者方の智恵がこの程度とは、
 こちらもちと買いかぶっていたようですなあ。
 もう少し簡単な謎掛けを用意してくれば良かったものを…… いや、真に申し訳ない」

列座する貴族高官を見下した言いっぷりで、大使は箱に手を伸ばした。
だが、妖の姫の声はファルハードの耳にまだ届かない。

『どうした? 取引すると言っているのだぞ!?』
(教える前に手付けと言ってはなんですが、「美しい上に賢い、愛しい麗しのシャフルナーズ。
 お前の働きにはいつも感謝に耐えぬ。どうか今日も我を助けると思って箱の中身を教えておくれ……」
 そう仰って頂けませんか?)
『何だと!?』
(わたくしも女の意地というものがありますからねえ。
 『お前を抱くのは一晩の辛抱だ』とか言われては、少々傷いてしまいました)
『ぐぅ……畜生め』
(フフフッ、わたくしの出自は今更言われるまでもありませんことよ?)
『くそっ…… 賢くて美しい麗しのシャフルナーズ…… お前の働きは感謝に耐えぬ。
 今日も我を助けると思って箱の中身を教えてくれ』
(「愛しい」が抜けましたわよ?)
『負けろっ! そのくらいっ!!』

ファルハードの表情が益々険しくなり、呟きもますます要領を得なくなってきているので、
従兄弟や大臣は顔を見合わせて怪しんでいた。
だが、大使の指がするすると箱を封じていた紐を解き始めると、彼らも第三王子の不審な行動など
忘れたように目をそちらに向けた。
大使が箱に手を掛けると、全員固唾を呑んで大広間が静まり返る。

「いやはや、残念至極。ほんの座興がパルティアの叡智が噂ほどでは無いと明らかにしてしまうとは。
 我らが主になんと復命すればいいのやら? 今から頭の痛いことでござる」
「……」
「さて、『おぞましく、人に害毒をもたらす物、されどその中にあるは、大陸に二つと無き虹の果実』
 シンド王よりアルダシール大王に贈りますのは、この宝でござりま──」

まさに開こうとした瞬間であった。

「シンドの大使よ。まさかその中に入っているのは、『蛇に飲ませた大真珠』ではあるまいな!?」

ファルハードの声が、沈黙を破って大広間に響いた。

「!!?」

その場にいる全員の視線が声を発した者へ、ついで箱を開けかけていた大使の方へ向かう。
大使の腕はガクガクと震え、それ以上蓋を持ち上げる事が出来ないでいた。
その僅かに空いた隙間から、するりと這い出したモノがある。
それを認めた瞬間、列座するパルティアの貴顕は一人残らず驚嘆の声をあげた。
ぬるりとした、手足を持たぬ胴体。
大理石の床を這い回るその姿は、紛れも無くシンド南部の密林に生息する大蛇であった。
ただし、その胴体が一部異様に膨らんでいる。

「フム……」

にやりと笑ったアルダシールが顎をしゃくって近衛兵に合図を送ると、
心得たりとばかりに兵士は大蛇に近寄った。
鎌首をもたげて威嚇する蛇であったが、近衛兵は重たい腹の所為で動きの鈍い獲物の首を一刀で刎ねた。
そして胴を割いて、胃袋の中にあった物──大蛇の腹を膨らませていた卵型の物体を取り出す。

「あっ…… あ……」

言葉さえ出せない大使に代わって、近衛兵は血塗れの異物を手に取り、
白く塗られていた外枠の金具(卵に似せて蛇に飲ませると共に、胃酸の対策であろう)を割って、
中身をその手で高く差し上げた。

「オオッー!!」

どよめきが謁見の間に満ちる。
それは少年の頭ほども大きな、浴びた光を虹色に反射する巨大な真珠であった。
これほどの珍品を持つ者は、大陸広しと言えども二人と居まい。
しかし、このどよめきは宝物の見事さに送られた物ではない。
謎を解き、まさに正解を言い当てた第三王子の見識の素晴らしさに向けられた物だった。

「ファハッハッハッハ! まことに素晴らしき献上品であることよ!!
 シンドの大使よ、王によしなに伝えてくれい。
 かような重宝を送られて、アルダシールは実に満足していたと!」
「は、ははーっ……」

大使一行は揃って頭を下げたが、先程までの傲岸な雰囲気は何処へやら、
全員恐れ入った風に額を床に付けた。

パルティア王を怒らせるという彼らの任務は失敗に終わった。
彼らの主君の思惑を実現するためには、『贈答品が大王に相応しくない』という
シンド側に非の有る形で謁見を進めるわけには行かなかったのだ。
そこで彼らの王は、パルティアで忌まれる蛇をわざわざ南方より取り寄せた上、
王宮の秘宝『巨大真珠』を惜しまずに使ったのだが、
策を躱されてみれば、ただ敵に重宝を送り届けただけだった。
任務を遂行できなかった大使一行をどのように扱うかは、シンド王の胸一つであろう。
それはファルハードの心配する領域ではない。

「しかし殿下のご慧眼の見事さよ!」
「うむ、まるで千里眼じゃ」
「武勇に優れた方とは存じておったが、智謀も王国一ではあるまいか?」
「普段は兄君たちにご遠慮なさっておいでだったのだろう」
「こうなると、やはりお世継ぎに相応しいのは……」
「それは気が早い。けれども他のご兄弟より一頭抜けておられるのは間違いあるまい」
廷臣たちのざわめきがまだ大広間に満ちている。
ファルハードにとっても、畏敬と崇拝の視線を集めるのは悪い気はしない。
軽く微笑んで彼らに応えてやるファルハードであったが、
耳元に囁くような可憐な声が彼を現実に引き戻す。

(うふふ、約定お忘れなく…… 愛しい方)
「ぐっ!」
「?、どうなさった、殿下?」
「いや、ちょっとむせただけだ……」

何とか誤魔化そうとするファルハードだが、
従兄弟と大臣は『今、どこにむせる様な要因があったのだ?』と再び顔を見合わせた。
彼らの疑念はさて置いて、第三王子の思考はあの姫君の事へ向かう。

(やれやれ…… 我もあそこに転がる蛇の如く、あの女を一思いに斬ってしまえれば簡単なのだが)

そう思っても、肌を重ねた女を切るというのは中々出来るものではない。
まして怨敵ザッハーグの血を引くとはいえ、あちらが自分に好意を持って──否、
害意を露にしていないことは事実なのだ。
もし斬るとしたら、出会ったあの夜に勢いに任せて殺すべきだった。
こう身体を交えて情が湧くと、なまなかに思い切る事は難しい。
ただ、どうもあちらはわざと此方を煽って、
殺すか殺すまいか煩悶させることに悦びを感じている節がないわけでもないが。

おそらく、ニ三日の内にまたシャフルナーズは忍んで来るだろう。
借りは必ず返す── それがパルティア人である。

(とりあえず、今日の借りは返さねばなるまい。そしてこれを最後にするの…… いや待てよ?)

ふとあることに気が付き、急に険しい顔に変わる。
王子の急転ぶりにももう慣れたのか、従兄弟と大臣は驚きもせず呆れている。

(あいつは我のことを『英雄の星の下に生まれてきた、困難と試練には事欠かぬ宿命』と言った。
 つまり、これから先もあいつに頼らなければならない事態が山のように来るという事か?)

これまで、シャフルナーズはファルハードに嘘を吐いた事が無かった。
英雄の星の下に生まれたと言ってくれるのは有り難いが、
反面、これから先もあの姫に付き纏われるというのは、どうにも心安らげる話ではない。

(今宵は、そちらの件について口を割らせなければなるまいな……)

美姫との閨事を思えば、普通は頬が緩みそうなものだが、
シャフルナーズとの房事の場合は逆に引き締まる。

(全く…… 父祖カイクバードは英雄だが、女で苦労したなどという話は聞いたことがないぞ)

すごすごと王の御前を引き下がるシンドの大使を尻目に、
ファルハードは己の運命に思いを馳せるのであった。


(終わり)

 

 

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最終更新:2016年05月15日 18:00