婚儀の誓いを済ませ、コリーナ皇女は第三王子宮に入っていた。
南国の赤い太陽は沈み、涼しい風が窓から入り込んで来る。
だが、この国はルームの地とは空気まで違う。
人も、建物も、植物も、全てが生まれ育った土地とは違う。
それでも彼女は嫁いできた。
彼女は今、自分を悪魔のような巨竜から救い出してくれた愛しい殿方を待っている。
一目で恋に落ちた、絵物語に語られる勇者のように精悍で凛々しいあの若き騎士を、
妻になるなら彼以外に無いと、心に定めた貴公子を待っている。
待つうちに、かすかに肌が震えた。
それは風の冷たさの所為ではなく、新床の儀を迎えようとする乙女の不安のためであった。

「コリーナ姫」

不意に、部屋の中から己を呼ぶ声が聞こえた。
その声は忘れもしない、あの山で自分を救い出してくれたあの騎士の物だった。

「ファルハード様?」
「取次ぎも通さずに、驚かせてしまったかな?」
「いえ、そんな事は……」

男の声が部屋の柱の影から聞こえてくるものの、皇女の坐る位置からは王子の姿は見えていない。
部屋の外には、母国から連れてきた侍女や娘子兵が居るはずだが、
彼女の夫はそれらを通さずに、まるで抜け道でも使ったかの如くこの部屋を訪れた。

「パルティアはお国のルームとは気候も何も異なるゆえ、身も心もさぞ疲れたことだろう」
「あ……、お心遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。
 ファルハード様と一緒になれると思えば、そんな事全然平気です!」
「フフ、嬉しい事を言ってくれる…… だが、姫──」
「どうか、もう婚儀の誓いを済ませたのですから、私のことはコリーナと名前で呼んで下さい」
「──コリーナ、」
「はい、ファルハード様」

名前で呼ばれ、皇女は莞爾と微笑んだ。
まだ少女の雰囲気が抜け切らぬコリーナであるが、花のほころぶようなその笑顔には
誰しもが愛しい気持ちを抱くであろう。

「この国は君たちの国とは習慣やしきたりが違う。
 特に王族の婚姻ともなれば、色々ややこしい習わしがあるのだ……
 悪いが、少しの間目を瞑っていて貰えるかな」
「?」

首をかしげるコリーナであったが、夫になるべき者の言葉に素直に従い、その瞼を閉じた。

「閉じましたよ?」
「うむ、私が良いと言うまで、目を開いてはいけないよ」
「はい、分かりました」

柱の影から、かすかに人の気配が動くのが感じられたが、皇女は約束どおり瞼を開かなかった。
その気配がそっと自分の隣に近付くと、彼女の顔に何やら布地が当てられたのが判った。

「あ……?」
「もう目を開けていい…… と言っても、その目隠しでは周りが見えないだろうが」

厚く重ねられた絹布で視界を覆われ、彼女には目の前に居るはずの新郎の姿さえ見えない。

「これはパルティアのしきたりだ。
 王族の婚姻では、新床で妻は夫の姿を見てはいけない事になっている」
「そうなんですか?」
「もう一つ、新婦は新床での出来事を誰にも喋ってはいけない。
 例えコリーナの侍女や乳母であっても話さないように。無論、話してはいけない事も秘密だ。
 もし誰かに教えたりしたら、婚儀は無効とされる」
「は、はい……」

ずいぶんと変わったしきたりだと、コリーナは思った。
あらかじめパルティアの習俗については宮廷の博士や侍女から聞いてはいたものの、
こんなしきたりは初めてだった。
しかし、そうして人に話さない習慣だからこそ、
乳母たちも自分に教える事が出来なかったのだろうと、自分を納得させた。

「フフッ、怖いかい?」
「……」

目隠しをされたまま、彼女は首を横に振った。
その肩に、男の手がそっと乗せられる。
周りが見えない分だけ、その仕草はなおさら優しく感じられた。

「安心して、我に全てを委ねていればいい」
「ファルハード様……」

皇女の唇に、男はゆっくりと唇を重ねる。
触れ合った瞬間、僅かに皇女は身を震えさせたが、そのまま男の行為を受け入れた。
互いに馴れ合った恋人同士の啜りあうような口付けではなく、
相手に自分の温もりを教えるかの如き優しい接吻。
抱いた皇女の肩から固さが抜けるまで、男はそのまま口付けを続けていた。

「ぁ……ふぁぅ」
「そろそろ目隠しに慣れてきたかな?」
「はい、ファルハード様……」
「我もこんな慣わしは愚かしいと思うのだがな。
 古くから謂れのある慣習なので、我にも如何ともしがたいのだよ」
「昔からなのですか?」
「その通り。
 折角だから、この目隠しの由来も教えてあげよう──

 ずっと昔、パルティアにあまり顔立ちのよろしくない王がいた。
 彼は治世の術に優れ、軍は精強、民は勤勉。
 その威光は遠く海を隔てた国々まで届くほどだったと言う。
 しかし、彼の顔が余りに醜いので、なかなか縁談に応じてくれる姫君がいなかった。
 だけれども、ようやく彼の顔の事を知らない国から姫君を連れてきて、
 なんとか婚姻の儀を行う事が出来たそうだ。
 さて、そうして迎えた花嫁がヴェールを取って、夫の顔を見た瞬間……」
「見た瞬間?」
「夫の余りの醜さに、花嫁は泣き叫びつつ窓から逃げてしまった。
 花嫁に逃げられた王様は、恥ずかしくて二度と妻を娶ろうとしなかったそうだ。
 それ以降、パルティアの王族は初夜の儀が済んで、花嫁が逃げ帰れなくなるまでは、
 新妻に顔を見せてはいけないということになったのだよ」
「うふふふ、面白いお話ですね」

その小さな手を口に当て、コリーナは笑った。
自分の緊張を解そうと、王子が面白い話を聞かせてくれているのだという事が、彼女にも判った。

「そういうことなら、目隠しも仕方ありませんね」
「我も馬鹿らしいとは思うのだがな。
 第一、もうコリーナは我の顔を見知っている訳だし」
「でも、ルームにだって色々慣わしやしきたりがありますもの。
 こうしてパルティアに嫁いできた以上、こちらの習慣に従います」
「いい子だ、コリーナ…… ちゅっ」
「んっ……」

改めて、コリーナは頬に口付けを受けた。
男がいつ何をするのか、視界を塞いだままでは判らない。
まるで、子供の時遊んだ目隠し鬼をしているかのようだ。

「ルームでは、男女が一つの寝床で何をするのか、嫁に行く娘に教えているか?」
「え……! そ、それは……」
「それは?」
「一応、ばあやに聞いています…… けど……
 そっ…… その、詳しい手順などは、夫となる方に従っていれば良いからと……」
「フフフッ」

顔を下に向けて、恥ずかしそうにコリーナは言った。
その身体を抱き締めるように、男は手を彼女の背に回す。

「あっ、ファルハード様……」

不意に抱き締められて、コリーナは思わず身を強張らせる。
彼の腕に抱かれるのは、あの山から助け出された時以来だ。
花婿衣装の所為だろうか?
甲冑を着込んでいたあの時に比べると、今の彼の抱擁はとても柔らかく、優しい。
平たい胸板に顔を埋めていると、心に甘い喜びがとめどなく溢れてくる。
今宵、彼女は愛する殿方の妻になるのだ。

そんな新妻の身体を抱きつつ、一方の手で婚姻用に結い上げられたコリーナの艶やかな髪を、
男の手は優しく撫でる。
そして、彼女の耳元でそっと囁いた。

「では、寝台へ行こうか」
「はい……」

小柄な身体を両腕で抱き上げ、男は初夜の儀を迎えるために整えられた寝台へ花嫁を運ぶ。
最上の綿を純白の絹布で包み、気高い香を放つ花びらを敷き詰めた新婚用のベッドに、
ゆっくりとコリーナの身は降ろされた。
柔らかい寝具に沈んだ花嫁の唇に、もう一度男はキスを与える。

「ぅんっ……」

今度の口付けは、先程よりもほんの少しだけ深かった。
その行為にようやく慣れたのか、もうそれでコリーナの身体が震えることは無かった。
唇と唇が重なり合い、小さく蠢く。
男の口が離れた時、二人の唇の間をほんの僅かに唾液の糸が繋いだ。

「では、コリーナ? 我はこれから君が泣いても国に逃げ戻れなくするのだが、
 心の準備は出来ているかな?」
「で、出来ています……」
「そうか」

花嫁の衣装の帯へ、男の手がかかった。
しゅるしゅるという衣擦れの音が、目隠しをしたコリーナにも聞こえた。
身体を閉めつけていた衣服が緩められると、皇女は目隠しの奥で瞳をきつく閉じた。
蠢く指が手際良く自分を裸にしていく事に、彼女の頬が紅色に染まる。

「恥ずかしいかい?」
「……少し」
「恥ずかしがる必要は無いのだぞ。もう夫婦の誓いを交わしたのだから」
「はい、ファルハード様…… でも」
「でも?」
「その、殿方に…… 肌を見せるのは、はっ初めてなので……」

下穿きだけになったコリーナ姫の、その無垢な戸惑いの様子を愛でながら、
男は己の帯も緩め、しなやかな肉体を晒す。
そして、花嫁のまだ育ちきっていない乳房に掌を乗せると、確かめるように軽く揉んだ。
可愛らしい喘ぎ声が、皇女の口から漏れる。
今宵の事は、全てが初めての体験であった。
胸に置かれた手の平の感触に、彼女は男女の閨事を実感した。
やわやわと、新妻の乳房を揉む手は止まらぬまま、続いてコリーナの首に男の熱い吐息がかかる。
視界を失っている皇女にとって、声と肌に感じる温もりだけが頼りだ。
彼女には、相手が何処に何をしようとしているかさえ知るすべが無い。

「はぅぅ……」

柔らかい肉が、首筋の肌を啄ばんだ。
こそばゆいような口付けに、コリーナは堪らず声を上げた。
音を立てて、男の唇は花嫁の穢れ無き肌を吸い、跡を付けてゆく。
下着をはだけて露になった首筋から、小さな鎖骨を経てその下へ。
皇女の双丘の裾野を唇が侵した瞬間、彼女の手は絹のシーツを握り締めた。

「ファ、ファルハード様ぁ……」

理由もなく、コリーナは夫の名前を呼んだ。
目で見えぬ相手の存在を、言葉で感じようとしたのかもしれない。
男は、彼女の胸乳の上にささやかに膨らんだ乳首に甘噛みを加えることで、花嫁の声に応える。

「ぁん!?」
「痛かったか?」
「いっ、いえ…… 吃驚しただけです」

胸への愛撫に、コリーナは健気に耐えた。
だが、肌を苛む口付けは痛みこそないが、彼女の羞恥心を甘く責め立てる。
そして、彼女の意識が乳房に向いている隙に、男の手は彼女の下半身へ進んでいた。
手は下穿きの中へ潜り、太腿と太腿の間に差し入れられる。
そこは、物心付いてから誰にも触らせた事のない乙女の秘め所であった。
何をされているのか、目隠しをしていても判った。
頭では理解していたものの、それは実に衝撃的な事であった。
皇女は今、他人に自分の性器を触られているのだ。
しかも、これはこれからの行為のための下準備でしかない。

脚を閉じようとするコリーナの抵抗を無視して、男はそこから手を離さない。
繊毛に覆われた秘所の鳥羽口をほぐす様に指が蠢く度、
未だかって味わった事の無いわななきが生まれてくる。

「ひゃわぅぅ!?」

下穿きの奥で、秘裂の頂にある核に指がかかった瞬間、小さな叫びが上がった。
驚きに跳ね上がりそうになった身体を押さえ込み、
はしたない声を出しそうになった自分に恥じ入りながら、コリーナの頬は赤く染まった。

「ぁぅ……恥ずかしいです」

ゆっくりと、捏ねるように陰裂を撫で回す指戯の巧みさに弄ばれる。
次第に皇女の肉体はその行為に慣れつつあった。
そして動揺が収まれば、指のもたらす感触に陶然となりそうになる。
心のどこかで、もっと強い刺激を欲している事に気付き、
それを相手に悟られまいと、彼女はそっと歯を噛み締めた。

そんな中、不意に指が股間から離れた。
目隠しをしているコリーナには、男がどんな行動を取っているのかは把握できない。
だが、彼女にも、ベッドが軋み、クッションが傾く感触から、
男が自分の下半身の方に座る位置を直した事は判った。

「あっ!」

太腿に突如として感じた熱に、コリーナは思わず声を上げる。
男の股間の肉が、彼女の内腿に当たったのだ。

「大丈夫か?」
「おっ、お気遣いなく! 聞いていたよりも熱かったので、驚いてしまっただけです。
 ……本当にそれだけですからっ」

花嫁は新床で泣き叫んではいけないと、コリーナは教えられていたのであろう。
必死に怯えを隠し、気丈に振舞おうとする新妻の頬に、男は優しく口付けした。

「チュッ」
「あ……」
「フフフッ、コリーナは可愛いな」

男はコリーナの腰を持ち上げ、彼女の纏っていた最後の布地を剥ぎ取る。
そして、花嫁の雪のように白い裸体に、己の身体を重ねた。

「力を抜いているように」
「はっ、はい!」

先程腿に当たった熱い肉槐が、股間に宛がわれるのを感じると、
言葉とは裏腹にコリーナの身体は固く強張った。
しかし、最早男の身体は留まろうとはしなかった。

『はうぅぅ!』

身体の一部が千切られる痛み。
それは、彼女が乙女の純潔を捨て、愛しい人の物になった証である。
目隠しの奥で眦をきつく閉じ、唇を噛み締めて、コリーナは泣き叫びそうになるのを堪えた。
ゆっくりと、男は腰を進めていく。
こなれていない秘道は、固い肉塊をもってしても一息に穿ち抜けるものではなかった。
あるいは、必死に耐える花嫁の身体を慮って、あえて急ごうとしなかったのか。
だが、時間を掛けつつも男根は確実にコリーナの中へと入っていく。
初めて異物の侵入を受け入れる彼女には、それがどれほど中に入り込むものなのか想像も出来ない。

「ふぁ、ファルハードさまぁ……」
「痛いか? コリーナ」
「い、痛いですけど、我慢できます。だって、これで私はファルハード様の妻になったのだもの……」
「……では、もう少しだけ我慢してくれ」

破瓜の痛みに耐える新妻を励ますように、男はコリーナにキスをした。
そして、今までよりも強く性器を突き立てた。
コリーナは、抱き締めるように相手の背に両手を回し、その装束をきつく握り締めた。
見えぬ代わりに、そうやって花婿の存在を確かめようと、
渾身の力を込めて彼女は抱き締める。
正面から抱き合うようにして、二人は身体を重ねる。
そして、小さな叫び声がコリーナの唇から漏れた。
もはや彼女の身体では、それ以上深く受け入れることが出来ぬ所まで、
男の肉塊は貫き通していた。

「よく耐えたな。しかし、聞いてはいるだろうが、男女の交わりというものはこれで終わりではない」
「は……い」

コリーナは頷く。
装束を握る指に、一層力が篭った。
彼女の決意を感じ取り、そっと男は身体を動かし始めた。

「ぅ……」

開かれたばかりの女陰が、まだ性の悦楽を味えるほどに成熟している筈が無い。
むしろ、引き裂かれ、押し広げられた痛みに気が遠くなりそうであった。
それでも、コリーナは耐える。
次第に、男の動きは強く激しくなっていったが、彼女はその痛みに必死に耐えた。
肉を肉が弾く小気味よい音が鳴る。
さらに固く、皇女は男の装束を握り締める──
そのか細い腕で、少しでも夫の身体を抱き寄せようとするかの如く。

破瓜の血が男の性器に塗れ、それが潤滑油となって動作を滑らかにする。
一層強く、大きく腰が振られ、花嫁の膣内を衝く。
これまで懸命に耐えてきたコリーナであったが、彼女の肉体にとうとう限界が訪れようとしていた。
時を同じくして、男にも限界が近付いていた。

「うっ……」
「あっ、ああぁんっ!!」

胎の奥で熱い体液が迸るのと、堪えきれずに意識が遠のくのがほぼ同時であった。
コリーナは愛する人と結ばれた至福の悦びを感じつつ、
そのまま引き込まれるように眠りに落ちていった。


・・・・・・・・・


「──コリーナ姫?」
「あ……」

耳元で囁く声に、コリーナはまどろみから目覚めた。
瞼を開けると、そこには愛しい王子が微笑みを浮かべて自分を見つめていた。
眠っている間に目隠しは外されていたらしい。

「ファルハード様?」
「婚姻の儀式が長引いて、疲れていたのか? 気持ち良さそうに眠っていたぞ」
「あっ! 申し訳ございませんっ。こんな時に寝入ってしまうなんて……」
「構わない。同じように我も疲れた」
「あれ?」

ふと気が付けば、いつの間にかコリーナは装束を着直していた。
下穿きまで脱いでいたはずなのに、今は新郎が訪れる前の衣装をきちんと纏っている。
目の前に居る花婿も、衣装を直してベッドに腰を掛けていた。

「ファルハード様も、お召し変えなさったのですね」
「ん? ああ、流石にあのような装束で床入りする訳にはいかないからな」

花嫁の言葉を、ファルハードは儀式の間に着ていた過剰に豪奢な花婿衣装の事だと思ったが、
コリーナの言いたかった意味とは少々異なる。
彼女が言いたかった事は、先程自分が握り締め、
装束を皺だらけにしたのを恥じ入っての事である。

ファルハードの手が、新妻の頭を撫でた。
竜すら屠る戦鎚を振るう、力強く逞しい指だが、花嫁に触る仕草は非常に優しい。

「侍女は起こそうかと言っていたが、姫の寝顔を見てみたいと思ってな。
 直接部屋に入らせて貰った」
「うぅ…… お見苦しい所をお見せしまして……」

顔を赤らめるコリーナに、ファルハードは顔を寄せる。
唇と唇が触れ合ったが、王子は軽く触れ合うだけに止め、花嫁の様子を伺った。

「はう…… やっぱり、こうして見詰め合ってして頂くのが一番嬉しいです」
「?、そうか」

コリーナにとっては、相手の姿を確かめながらする始めてのキスであった。
陶然と微笑む花嫁を、ファルハードはそっと抱き締める。
その熱い胸元に、コリーナは身を預けた。
目隠しをしていないからか、男の逞しさが先程よりもはっきりと感じ取れる。

「コリーナ姫……」

王子の指が、新妻の髪をそっと撫でた。
その仕草は、肌を重ねる前と変わらない。
彼女の耳元で、ファルハードはそっと囁いた。

「そろそろ儀式ではなく、本当の夫婦の契りを交わそうか」
「はい、でも、ファルハード様?」
「何か?」
「二度目の時は、もう目隠しをしなくてもよろしいのですか?」

その問いの意味が、ファルハードには判らなかった。
さっきから、何やら二人の会話が噛み合わない。
だが、彼がふと寝台の上に目をやると、抜け落ちた一本の髪の毛が視界に入る。
艶やかなその髪は、色も質感もコリーナ姫の物とは違う。
彼は、それの持主に心当たりがあった。
否、糸屑一本さえ残さずに整えられていたはずの初夜の新床に忍び入り、
髪の毛を残して去れる人物には、一人しか心当たりが無い。
改めて真白なシーツを見れば、そこには明らかな鮮血の染みがあった。
全ての不審が、この一本の長い髪で繋がった。

「ファルハード様?」
「姫、済まぬがやり残した事があって、我は一度戻らねばならない。
 もう少しだけここで待っていて呉れるか?」
「?、はい。何時まででもお待ちしておりますけど……」
「うむ、直ぐ戻る」

そう言い残して、どこか引き攣った笑いを浮かべつつ振り向くと、
ファルハードは早足で二人の新床を後にする。
内心、パルティア王族の婚姻は色々ややこしいのねと首を傾げつつ、
それでも幸せそうな表情で送り出すコリーナであった。

・・・・・・・・・

怒声が第三王子宮に轟く。

「シャフルナーズ! 出て来いっ!! 居るのは判っているのだぞ!? シャフルナーズ!!?」

祝宴の夜に浮かれる後宮の屋根の上。
老いた小鬼とともにそこへ立つのは、見目麗しき美青年。
誰の目にも写らぬ王宮の死角に潜む彼らであったが、
細身のその姿形は、例え王都広しと言えども累を見ない秀麗さである。
身なりはまるで神々しき糸杉、顔立ちは白玉を名工が入魂の技で彫り抜かいたかの如く、
女たちを一目で虜にしそうな美男子であった。
長く美しい髪を風にたなびかせ、彼は咆える新郎の声を屋根の上で聞いていた。

「愛しの君が、ひい様を呼んでおるが?」
「ハハハッ……爺や、例え恋人同士でも、顔を合わせない方が良い時があるのだよ」
「確かに、あの調子では顔を出した瞬間戦鎚で撃ち殺されそうじゃわい。
 ひい様は、次にどの面下げてあ奴に会うお積りかの?」
「心配は無用。どうせあの方の事だから、直にとてつもない事件や難事に巻き込まれるに決まってる。
 その時お助けするついでに、今回の件も詫びを入れれば良いさ」
「奴もそう簡単に許すかの? なにせ新床の花嫁を寝取ったのじゃもの」
「孕む訳でも無し、そこまでお怒りになるとは限らぬだろうが……
 容易い事ではお許し頂けぬとしたら、再びこの国を揺るがす大事件が起きてもらわねば困るかもな」
「ぺっ、難事が起きなければ、御身様はご自分で奴を大難へ突き落とす腹積もりじゃろ」
「フッ……」

毒づく小鬼の言を、美青年は否定しなかった。
その代わりに彼は、まるでシンド国の身体苦行者の如く身体をよじり、ねじり、ひねり始める。
人の骨格では通常成し得ない程に大きく関節を折り曲げ、かつ筋骨を蠢かす。

「ふっ……んっ」

するとどうだろう。
次第に体格も肉付きもそれまでとは別の形へ変わっていくではないか。
ポキポキと関節が鳴る音に合わせる様に、引っ張られ、寄り合わされて、
あるべきであった所に無かった肉、ありうべからざる所にあった肉が、
見る見るうちに移動していく。
たおやかな肩、引き締まりくびれた胴回り、丸みを帯びた臀部、そしてふくよかな乳房。
雄豹の如くであった青年の肉体は、奇怪な運動とともに変形を遂げ、
先程まで存在した筋肉の逞しさは、今や何処にもない。
服の下に隠れて見えない部分も、本来の形を取り戻していた。
仕上げに首筋に掌を当て、喉仏の膨らみを押し込む。

「ゔん゙…、んー……、あー、あー、おー……」

第三王子の声色に似せるてあった喉の調子を確かめ、いつもの声に戻す。
全てが終わってみれば、そこに残ったのは男装をした絶世の美女の姿だった。

「変化の技は魔族の基本とは言うが…… 変成男子の術、お見事じゃ」
「おほほほほ、小さい頃からお前たちに厳しく教え込まれたものね」
「御身のご性根を厳しゅう撓めて差し上げなんだは、儂が一生の痛恨事じゃがな」
「うふふ、のびのび育てて貰って、本当に感謝していてよ」
「じゃが、先には女楽師に化けて兄を陥れ、今宵は弟に化けて嫁を誑かすとは、
 古今稀に見る悪行ぶりじゃ。蛇王さえ御身の非道には感心するわえ」
「おほほ。何のこれしき、朝飯前にもならないわ。
 むしろ義兄上の時と似たような手管を使ってしまい、我ながら恥ずかしい位よ」
「ひぃえっ! これで朝飯前なら、本気になられたらどんな災悪をもたらす事やら、
 妖魔の身ながら身が震えるわい」
「あらあら気の弱い事、爺も歳を取ったわねえ。
 それに、予めファルハードさまは借りは後で返すと言ってくださっていたでしょうに?
 私は只それを取り立てただけの事よ。おおっほっほっほほほほほーーー!」

夜の王宮で高らかに女は哄笑する。
しかし、宴の参加者たちの喧騒に掻き消されて、ファルハードの耳に入る事は無かった。
この後、第三王子ファルハードは父王アルダシールより正式に王太子に冊立される。


(終わり)

 

 

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最終更新:2008年12月28日 07:51