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生暖かい風の吹く夜であった。
こんな晩は、シャーシュタールに住む者は、貴きも貧しきも窓を開けて寝る。
物騒だが仕方が無い。
締め切ったままでは、寝苦しくて仕方が無いのだ。
王宮では噴水や打ち水で気温を下げるため数々の工夫が凝らされているが、
それにしても生暖かい夜だった。

「……ん、」

可愛らしい寝顔を浮かべ、王太子妃コリーナは眠っていた。
ファルハードは、新妻を起こさぬようにそっと寝台を降り、ガウンを羽織る。
静かに寝室を後にした彼は、ついて来ようとする宦官兵を制して一人夜の王太子宮を歩き出した。
人の気配もなく、深夜の宮殿はひっそりと静まり返っている。
聞こえてくるのは庭園の茂みに住む虫の鳴き声と、
篝火の松明が燃え、パチパチと爆ぜる音ぐらいだった。

彼が警邏の兵が立つ廊下を通ると、王太子のいきなりの出現に驚き、兵士達は即座に威儀を正した。
すわ、宮の主人自らが衛士の勤務状況を査察に来たかと、全員緊張した面持ちで彼を迎える。

「……異状はないか?」
「はっ、ございませぬっ!」

慌てた彼らの様子がおかしくて、ファルハードはつい声を掛けてみた。
普段は直接命令を受ける事さえない王太子の謦咳に接し、彼らの大仰な返答ぶりが面白かった。
軽く頷くと、彼らの前をそのまま通り過ぎてゆく。
背中で、兵士達の安堵の吐息を聞いたような気がした。

ファルハードには、夜歩きの癖はない。
今夜の一人歩きは特に意図があった訳ではないが、寝所で目を閉じていても中々寝付けなかったのだ。
ひょっとしたら、彼はこの夜風に含まれていた怪しい気配を、
無意識のうちに感じ取っていたのかも知れない。

(ん……?)

円柱の並び立つ廻廊を歩いていた時だった。
彼はふと、夜空に目を向けた。
兄達の宮殿の丸屋根が、松明の微かな灯りに照らされて薄く浮き上がっていた。
それは、何の変哲も無いいつもの光景のはずだった。
だが、彼の目は宮殿上に舞う四体の影を見逃さなかった。
帯に挿した短剣の存在を手を伸ばして確かめる。
余人であれば、ただ蝙蝠の類が飛んでいるのかと思うだけだろうが、
暗がりの中であっても、ファルハードはそれが何であるかしっかりと認めた。
それは、三匹の鬼と一人の女の姿であった。


・・・・・・・・・


(ベッ!)

鬼の口から自分に向かって涎が吐き出されたのを、女はひらりと飛び退いて躱した。
壁に糊の様に貼りついた涎が、不気味な煙を放つ。
白大理石の天井を蹴ったはずなのに、女の身ごなしは物音一つ立てなかった。
しかし、それは三匹の鬼たちも同様だった。
背中から生えた羽で飛び跳ねる際も、爪牙を振り回す際も、もちろん涎を吐き出す際も。
一切の物音を立てぬ、無音の戦いが屋根の上で繰り広げられていた。
三匹の鬼は、一見していずれも同じ顔に見える。
但し、禿げ上がった頭から生えた角の数が、一本から三本までそれぞれ違う。
背は人並みだとしても、一糸纏わぬその裸形は、裏路地で飢え死にしかかった貧民より痩せている。
そんな彼らの指先から伸びた鋭い爪と、唇からはみ出した長い乱杭歯が今、
目の前に居る女を餌食にせんと同時に襲い掛かる。

(フフ……)

微笑を浮かべながら、女は肩に掛けていた領巾の端を掴み、それを彼ら目掛けて振り回した。
すると、三匹はそれに触れるのを怖れるが如く、彼女に近寄る事が出来ない。
飛びかかろうとしても、目の前で音も無く翻るその領巾を前にすると途端に退いていった。
一人と三匹の間に、再び距離が保たれる。

(……)

退かされた三匹が、互いに顔を見合す。
すると一本角の鬼が、女に向かって顎をしゃくって指図した。
それを合図に、二匹は跳んだ。
女の方ではなく、脇の方へ。
保った距離は変わらぬまま、女を中心とした輪に、正三角形になるように宮殿の屋根の上を跳んだ。

おぞましく醜い鬼たちの顔が、必勝を確信した笑いでニタリと歪む。
どちらを向いたとしても、獲物は必ず一匹に背を向けなければならない。
だが、女はただ領巾を構え直しただけで、顔からは微笑みは消えていなかった。
三匹も、爪と牙をむき出しにして構える。
彼らがまさに必殺の攻撃を開始しようとした、その時だった。

「ギャッ!?」

ニ本の角を持つ鬼の背中に、鋭い短剣が突き刺さった。
その叫びを聞き、思わず三本角の鬼が声を出した一瞬だった。

「兄じゃ……グェッ!!」

女の領巾は背後の鬼に襲い掛かっていた。
それまでの数倍の長さに伸びて、矢よりも速く飛来した領巾を避ける事も出来ず、
鬼の首は領巾に巻き付かれた。
だが、次の瞬間には、領巾は鬼の頭から離れる。
三本角の鬼は、そのまま死んだ。
瞬時に引き戻された布地に巻き取られ、首は独楽のように一回転していた。
頚骨を捩じり外された骸は、仰のけに倒れた。

その有様を見ていた一本角の鬼であったが、まだ微動だにしなかった。
うかつに動けば自分もやられるという事を知っての事だ。
代わりに、自分の弟達が屠られる様を見せ付けられる事になったが、一本角は耐えた。
三本角の鬼が殺された瞬間、愚かにも二本角の鬼は、
『自分の背中に短剣を投げつけた奴は誰だ』とばかりに、憎しみを込めて振り向いていたのだ。
それが、その鬼が行った最後の動作だった。

(ギ……?)

頭に何かが乗ったのだけは、鬼にも判った。

「ッ!?」

もし手を伸ばしてそれを掴む事が出来たのなら、あの女のサンダルだと二本角の鬼にも判っただろう。
しかし、その時間は与えられなかった。
瞬く間も無く、鬼の身体は潰れた。
まるで路上で踏み潰された蛙の様に、内蔵を撒き散らして二本角の鬼は死んだ。
その平たい骸の上に、女の脚が抛ったサンダルは乗っていた。

鬼の目は、獲物である女から一瞬たりとも離れなかった。
二人角の弟が死んだ刹那、一本角の鬼は女に向かって飛び跳ねていた。
サンダルを抛り飛ばしたため、獲物は体勢を崩している。
既に勝機はここしかないと、鬼は理解していた。

三本角の弟を屠った領巾は、まだ手元に戻りきっていない。
崩れた体勢では、もう一方のサンダルを飛ばすのは無理だ。
捨て身の攻撃が、女を襲う。
鬼は勝利を確信した。
指と顎を限界まで開き、渾身の爪牙で攻撃を放つ。
その速さは隼にも勝る。
一直線に、鬼は女に迫った。

だが二匹を仕留めた女も、一本角の鬼から顔を逸らしていなかった。
鬼は、女の唇から自分に向かって何かが吐き付けられるのを見た。
それが棗椰子の種である事と、種が胸板── 心臓の上にぶつけられた事は知覚できた。
一本角の鬼もそこで死んだ。
両者の動きからより正確に云えば、鬼の身体が棗椰子の種に当たりに行ったのだが。
ぶつかった瞬間、拳ほどの穴が鬼の胸板に穿たれたのだった。
穴から、鬼の背後にある風景が覗いて見えた。
鬼の身体を貫いた種は、宮殿の屋根をころころと音を立てて転がっていった。

背中を刺された二本角の鬼が、沈黙を破って叫び声を上げてより、
三匹を屠るのに女は一瞬づつしか使わなかった。
鬼たちの骸は、見る見るうちに塵となって夜風に攫われて行く。
二本角の鬼を踏み潰したサンダルも、タイルに僅かな皹一本でさえ入れなかった。
宮殿の屋根の上には、何の痕跡も残らない。
この静かな死闘は、一人の目撃者を除いて誰にも知られぬまま消えるのだろう。
女は婀娜めいた笑みを、短剣の主に向けた。

「助太刀かたじけのうございます。ファルハードさま」

薔薇の様に紅い唇を綻ばせて、女── ザッハーグの血を引く妖姫シャフルナーズは微笑んだ。
その声に応じるように、のそりと、暗がりからファルハードの姿が現れた。

「つい短剣を投じてしまったが、はて本当に助けが必要であったかな」
「無論でございますわ。この六本角兄弟鬼は、魔族の中でも名うての強者。
 一匹一匹はそれほどでもありませんが、三兄弟が集まるとなかなか油断の出来ぬ相手になりますの」
「それにしては、随分余裕ありげに見えたが…… おっ!」

女の側に近寄ろうとしていたファルハードだったが、屋根の丸さに足を滑らせた。
すかさず、女の領巾が飛ぶ。
先程は鬼の頚を捩じり外した領巾が、ファルハードの腕に巻きついて彼の身体を支えた。

「お気をつけなさいませ、ここは平地とは違いますのよ」
「……ちっ」

舌打ちの音が暗がりから聞こえる。
だが、その姿は見せない。
残念ながら、彼の主が入れ込む色男が、屋根から落ちてくたばってくれるという幸運は起きないようだ。

「平原で馬を奔らせるのは我も得手だが、夜間王宮の丸屋根の上を飛び跳ねるのは初めてなのでな」
「まあ、そうでしたの?」
「当たり前だ。誰が好き好んでこんな屋根の上に登るものか」
「あらあら、私は高い所は大好きでございますけれども、おほほ……」

夜の宮殿の上に、二人は並び立った。
コリーナ姫が輿入れするきっかけとなった、あの竜の巣穴で別れて以来、暫くぶりの再会だった。
ここ最近、アルダシール王の治世に波乱も無く、妖の姫が訪れるきっかけが無かったためであるが、
シャフルナーズ自身が姿を見せるのを控えていた故もある。

「いつもと立場が逆になりましたわねえ、ファルハードさま。
 今宵こうしてお助けいただいた以上、わたくしから御身にお礼を致さねば……」

男の肩にしな垂れかかろうとしたシャフルナーズの手を、彼はそっけなく払いのけた。
その厳しい眼差しは、まだ女に対する怒りが解けていない事を教えていた。

「生憎と、我は謝礼が欲しくて手を出した訳ではないからな」
「あん、つれないお方……」
「お前が仕出かした事を思えば、短剣の的は鬼の背中にするべきでは無かったかもしれぬ」
「なんと酷いお言葉! 御身を一途に慕う女心を、その短剣よりも冷たく鋭い言葉で苛みますのね。
 ファルハードさまの御為に、わたくしはこうして人知れず危険に身を晒しているというのに……!」

妖姫は悲しみに顔を歪め、両手でその顔を覆った。
これほどの美女が見せる悲哀の姿には、ファルハード以外の人間ならば必ず騙されていただろう。

「嘘泣きは止めろ」
「……お見通しでございましたか?」
「望んでの事ではないが、お前との付き合いも長いからな。いい加減に此方も慣れてくる」
「おほほ……」

既に何度も騙されているので、彼も今更引っ掛かる事はない。
ただし、女の側も相手が引っ掛からないと知ったうえで、こうして空泣きをしてみせたのだが。

「シャフルナーズ、あの鬼どもは一体何者だ? そして何故お前とこんな所で殺し合いを始めた?」
「気になります?」
「先程、我の為に危険に身を晒しているといったな。それはどういう意味なのだ」
「言葉どおりの意味とお取りいただいて結構ですのよ。
 都に来てこのかた、私は御身の一門に害をなしそうな奴輩を、この手で追い出して差し上げているのです」
「何だと?」
「ご存知ないでしょうけれども、シャーシュタールにはあの鬼たち以外にも、妖魔や怪物が色々住み着いておりますのよ?
 闇に紛れて赤ん坊を攫い、婦女を辱め、墓を暴いて屍を貪るのが闇の眷属の生業。
 そんな小さな悪事なら、目こぼししてやらぬ事もありませぬが、王族や国家に災い成すほどの大物どもは、
 残らずわたくしが追い払っていたのです」
「……」
「ほほほ、言わばわたくしは、王都の守護女神の役を果たしておりますのよ。
 あの三匹も一度は都から追い出したのですが、性懲りもなくわたしくしに挑んでまいりましたの」
「……けっ」

闇の奥で、こっそりと老小鬼が毒づいた。
守護女神とは言いも言ったりである。
外面だけ見れば、主の言葉に嘘はない。
確かにシャフルナーズは都や王宮に潜む魔物の類を追い払った。
しかし、その理由は王国の安泰を守るためではない。
単に、自分以外の者が自分の思い人を苦しめるのは許せないのだ。
結果としてそれが王家の為になっているだけであって、恩に着せることでは毛頭ない。
闇の眷属として、利敵行為以外の何物でもない妖姫の所業。
これが主君でないのなら、洗いざらいカヤーニ家の小僧にぶちまけて台無しにしてやりたい所だが、
流石にそんな真似をしたら主の怒りを買ってしまう。
老小鬼は、ただ密かに王宮の屋根に唾を吐くのだった。

「ですから、御身がわたくしを救って頂いたことは、御身にも王国にも善き事でございましたのよ。おほほ……」
「ならば、今宵はその借りの一端を返せたわけだ」
「ああ、お気になさらずに。こちらが勝手にやっている事ですから」
「……では此度は貸し借りなしとして、我は帰るとしよう」

そう言うと、ファルハードは女に背を向けた。
あっさりと地上へ戻ろうとする男に、シャフルナーズは声を掛ける。

「お待ちになって下さいませ。折角の逢瀬、このままお別れするのは寂しゅうございます」
「残念だったな。我はこんな所でお前と睦言を交わすつもりはないのだ」
「あん、こういう所で契りを交わすのも面白うございますのに…… それなら、河岸を変えて致しましょうか?」
「断る」
「ならば、このごろ都を騒がす首なし死体のことについて、お耳に入れておきたい事がございますけれど」
「いらん。それは判官たちが取り扱うべき事だ」
「そうお言い下さいますな。これは王家にも些か関わりが……」
「シャフルナーズ、我はお前を許していないのだぞっ」

振り返り、厳しい顔を緩めぬままファルハードは宣告した。

「あら、何のことでございましょう?」
「とぼけるのも大概にしろ。コリーナの事だ!」
「おほほ、すっかりあの小娘に骨抜きにされてしまいましたのねえ。
 どこにそんな取り得があるとも思えませぬが……」
「舐めるなよ、蛇めがっ! パルティアとルーム、両王家の通婚を汚したお前だ。
 我が戦鎚の錆にせぬだけでもありがたいと思うがいい」
「まあ怖い…… しかしファルハードさま、左様に目くじらを立ててお怒りになる事でございますか?」
「何だと!?」
「事は、しがない女の嫉妬でございます。
 奴隷女も王侯の娘も、男を取られて腹を立てぬ女子は居りません。
 愛しい男に裏切られた女は、顔は天女でも心は邪鬼。
 叶うのならば、憎い恋敵を縊り殺してやりたいと願う女が、今宵の王都にだって何千人いるとお思いですの?
 耐え忍ぶ以外に許されぬ力なき女の無念、殿方には判りますまい。
 そんな彼女達に出来るのは、恋敵へのささやかな復讐ぐらい。
 花嫁衣裳に針を埋め、あるいは花束に蜂を潜ませ、晴れの婚礼を邪魔してやりたい。
 慶事の陰で成される哀れな女の諍い、浅はかなとお怒りなさいますな。
 わたくしどもに出来るのは、所詮その程度なのでございますから……」

一気呵成にまくし立てられて、ファルハードは言葉に詰まった。
彼も口下手な方ではないのだが、この蛇の姫を前にしては相手が悪すぎる。

「しかし、コリーナの……」
「あの姫は、私が御身をお連れしなければ死ぬまで悪竜に囚われていたはずの娘。
 私には、彼女から借りを取り立てる権利があります。
 その分際も弁えずに御身に懸想するなど、看過し得ることではございません。
 白雪の如き肌を蟇の様にしてやっても、再びどこぞの竜の元に連れ去ってやっても宜しかったのですが、
 ファルハードさまのご将来の事を考えて思いとどまったのですわ」
「それでも、神聖な初夜の儀を……」
「あの娘の処女を散らした事をお怒りならば、幾重にもお詫びしましょう。
 でも私の純潔は、既に誰かの所為で失われてしまいましたから、同じものを返すとはいきませぬけれど」
「ぐ……」

言葉の先の先まで読み、先回りするシャフルナーズの能弁に、抗する術もない。
おまけに、自分の過去の過ちを持ち出されると、どうしても弱い。
ファルハードは再び女に背を向け、もはや何も言わずにこの場を去ろうとする。
それを見て、シャフルナーズが再び領巾を飛ばす。
領巾はまるで蔦の様に屋根から壁にと張り付いた。

「お気をつけてお戻りくださいませ、愛しい方。足元が暗うございますからね」
「……」

降りる時に危険が無いように相手が配慮したのは判る。
だが、相手の物言いに言い返せずに帰ろうとした挙句、帰り方にまで気を使われて気分が良かろう筈が無い。
憤然として礼も言わず、ファルハードは領巾を伝って天井から降りていった。

ファルハードがいなくなると、いつの間にか老守役が現れていた。
その染みだらけの老いた身体は、主が屠った鬼たちに比すれば子供のように小さい。
彼は抛り飛ばされたサンダルを拾うと、亡骸の余燼を払い落として主の足元へ差し出した。

「ひい様、お履物を……」
「ご苦労ね、爺や」

シャフルナーズの眼は、王太子宮へ戻るファルハードの背中に注がれている。
建物の陰に隠れて見えなくなるまで、ファルハードは一度もこちらを振り向かなかった。

「……ひい様や、いい加減あいつに愛想尽かしをしたらどうじゃ?」
「何故かしら、あれほどの殿方を?」
「創世の時に人と魔族が別けて創られたのは、身に負う宿命の異なるが為よ。
 奴らの苦しみは儂らの悦び、儂らの悦びは奴らの苦しみ。
 幾ら御身様が思いを注いでも、あ奴らと儂らは生き方が違い過ぎる。
 所詮実らぬ愛なのじゃ。
 魔族の衆にこうして恨みを買ってまで、あ奴に尽くす事は在るまいが」
「爺や、本当に人を好きになるとね、報われるかどうかは関係なくなるのよ」

妖姫は、嫣然と微笑んだ。
その美しさには、守役の老小鬼でさえ圧倒される。
女になってから、主は明らかに変わった。

「……」
「お前の言う報われるという事は、あの方が妻として迎え入れてくれる事でしょう?
 でも私は、私が愛したいようにファルハードさまを愛する。
 私の存在を、あの方の心に刻み付けたい。
 片時も、忘れ得ないようにして差し上げたい。
 喜び、苦しみ、愛、憎悪、肉欲、侮蔑、ありとあらゆる気持ちで想って欲しい。
 私はいつもあの方の側に居る。私が常にあの方の心に居る。誰にも邪魔はさせはしないない。
 それが私の望みだわ」
「ひい様……」

普段ならば、ここで嘲弄めいた哄笑を上げる筈だったが、何時になく真剣な口調に老守役が戸惑う。
どんあ言葉を掛ければいいか判らぬ老小鬼が、思わず声を掛けた時だった。

「うぐッ……」
「ひぇ? ひい様、いかがなされた?」

急に口元を手で覆い、シャフルナーズはうずくまる。
吐瀉物が、王宮の丸屋根に零れた。

「うぷっ…… げぅ……」
「ま…… まさか……、あの六本角ごときに妙に手こずっておられると思うたが……」
「その、まさかが起きてしまったみたいねえ。
 でも参ったわね…… よりによってこんな時期にとは…… おほほほほ……」

シャフルナーズは口元を拭いつつ、何時になく力なき笑い声を発するのだった。


(終わり)

 

 

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最終更新:2008年12月28日 07:53