暑い。

さすがの北城も、夏の間は暑く過ごしにくい。
森に囲まれているからか、湿度も高い。
日中は熱を避けて人々は屋内で過ごし、活気があるのは明け方から昼までと、夕方から深夜、ということになる。

厩舎で馬たちに水を与えている手を止めて、アビゲイルは照りつける太陽を仰ぎ見た。
アビゲイルはこの夏のはじめに、特に命じられて新兵の訓練を担当した。
もともと兵を錬ることについては定評があった。
今度の城主は合理的な考えの持ち主らしく、適材適所であれば身分関係なく配置転換行うようである。
敬愛するロクは隙のない警備を買われ、北東の要、岩場の出城主として配置転換され、アビゲイルは中隊長に昇格し、北城を拠点として短期の野営野戦の実践訓練を行う日々を送っている。

涼しい山の砦が恋しい。
この次の野営訓練は山岳地帯を選ぶことにしよう。

2日後には国境偵察をかねて森林地帯に経験のない歩兵を50人ほど連れて行かねばならない。
すでに50人すべてを面接し、小隊にわけ、さらに5人単位の組を作り、中堅兵を指導者として用意した。
アビゲイルは新兵の経験値を上げるだけでなく、指導者となる中堅どころの更なるレベルアップを狙っている。
物資は受けとった。あとは、北東方面の実務に携わる責任者数名と哨戒ラインの打ち合わせを済ませるだけだ。
擦り寄ってくる愛馬の額をかるく撫で、アビゲイルは厩舎を後にした。

アビゲイルは今度の野営訓練の場を北東方面の森林地帯に設定した。
ここは針葉樹が多く冬場も緑が絶えないうえ、岩場も多く、身を隠しやすい地勢である。
秋から冬にかけて、山岳民族が侵入するルートと考えられている。
責任者会議の意見が割れた。
一方の意見は・・・新兵には重い。相手は容赦してくれない。主に後方支援を担当するサガエラ大隊長と部下マサトグ中隊長などの主張である。
もう片方は前線の哨戒長ナナ―クハと近隣の砦主ボロドが中心であった。いわく、この時期50人からの兵がうろうろしていれば、うかつに進入することはないだろう・・・
前線をあずかるナナ―クハと後方支援のサガエラはもともと仲が悪い。
会議は白熱し、予定時間を大幅に過ぎてしまったが、結局、山岳方面に深入りしないことを条件に、ほぼアビゲイルの設定どおりの訓練を行うこととなった。

責任者会議のあとは、酒席となった。・・・どの世界でもよくあることだ。

この国の軍人が好んで飲む蒸留酒は、度数が高い割に無味無臭で、飲み手の好みによって果汁や他の飲み物と混ぜて飲むものだ。
訓練の指揮を2日後に控え、アビゲイルは自重していたが、周りの者は徐々に酔いがまわり始める。

帰砦を明日に控えたボロドが部下とともに退出したのを機会に、アビゲイルも退出しようとした。
が、マサトグに引き留められた。
仲の悪いナナ―クハ哨戒長との舌戦の後でもあり、上司のサガエラ大隊長のご機嫌が悪い。
軍議の後の酒席に女を呼んでごまかすわけにもいかず、聞き分けのないサガエラを持て余して、マサトグは心底困り顔であった。
アビゲイルとマサトグはお互いに中隊長に立てられる前、ロクの部下として共に働いていた旧知の仲だ。
訓練所でも数ヶ月一緒に訓練をうけた先輩だ。
宥め役として酌をたのまれると、無下にことわるわけにもいかず、ずるずると酒を飲むことになってしまう。
サガエラ大隊長に勧められた酒を飲み干せば、次はナナ―クハ哨戒長の酒・・・強い酒をしこたま飲まされ、次第にアビゲイルにも酔いが回ってきた。

暑い。

サガエラ大隊長から珍しい南方の酒をすすめられて飲んだあたりから、本格的に酔いが回ったのだろう。
暑く感じられてしょうがない。
アビゲイルは夏だというのにきっちりと着こんだ制服の胸元を少し緩める。

ほっそりとした首元から垣間見える鎖骨のくぼみに、釘付けになったのは一人や二人ではなかった。
ゴクリ、と生唾を飲む音が聞こえたのは気のせいではない。
上気した頬を、手であおぐアビゲイルを心配したのか、マサトグが声をかけた。
「そんなに飲んでも大丈夫か?」
上目づかいにマサトグを見上げるアビゲイルは、首筋まで赤く染まり、目はうるみ・・・その部屋にいる誰もに煽情的に映る。
「・・・弱いほうじゃないんだけどなぁ。」
小首を傾げるしぐさも気だるげで、普段は見せない色香を感じさせた。
「この訓練が終わったら、気楽にのめるかな」
にっこり笑いかけて、マサトグに返杯をついでやると、マサトグの顔がアビゲイル以上に赤くなる。
アビゲイルの笑顔と酌を求めて、皆が酒を注ぎに群がり始めた。

気が付くと、いつもより饒舌な自分がいた。
問われるままに、城砦での生活のこと・・・父のこと、弟のことを話してしまった。
南方の酒のせいか。自制がきかなくなるまで酒をのんだことはないが、そろそろ退席しよう・・・
ぼんやりと考えているさなかに、ある問いが投げられた。

「今は特定の男がいるのか?」

誰から発せられたのかはわからない。普段のアビゲイルなら、聞こえないふりをしてその場をやり過ごす。
ところが。
「いませんよ」と、口が勝手に答えを出してしまう。
おお、と男たちがどよめく。
「親が決めた婚約者とか?」
軽く流そう、と思っても、真実が口を付く。「そんな家柄ではありません」

なにか、おかしい。
深酒とはいえ、心拍が上がりすぎだし、体温も異常に上がっている。

「好きな男はいないのか」
ちらり、とある男の顔が浮かんだ。春の終わりに別れたきりの、口にすることができない秘密の男。
「・・・別に」かろうじて、耐える。心臓が爆発しそうなほど苦しい。
「男がいないなら、俺、立候補しようか?」「結構です」
素直に答えれば苦しくはないが、自制すると心拍が跳ね上がる。

・・・薬物か。
これ以上、おかしな質問に答えてしまうまでに退席するべきだ。

「赤鬼と関係があったのはほんとか?」ナナークハが興味津津に聞いてきた。
「仕方がありませんでした」
事実なのだからしょうがない。正直に口に出した。
「赤鬼はどうだった?」周りの男達の目の色が変わった、と感じる。オスの本能が透けて見える。

「おっしゃることの意味がわかりません」心拍が戦闘中のように跳ね上がる。
マサトグでさえ、興奮を抑えきれていないことが見て取れる。
「抱かれごこちはどうだった、と聞いてる。」下卑た笑いとともに聞いてきたのはサガエラだった。
「別段どっうてことありません。」
熱気を帯びた男たちの視線に、鳥肌がたつ。
「城主は女を殴ったり縛ったりすると聞いたが、本当のところどうなんだ」
欲望の渦巻く視線にさらされることで、逆にすこし覚めることができた。

・・・城主のことをこれ以上聞かれるとこまる。

ふらり、と立ち上がると、めまいがした。
「どうした、アビゲイル」
「・・・酔いました。手水に」

酒のせいか薬のせいか判断できないが、相当、足にきている。
支えたのは、見知ったマサトグだったので、アビゲイルは安心して肩をかりた。
困り顔で不安げなマサトグにあごで早く行け、と促すサガエラや取り巻きの好色な笑顔を、アビゲイルが見ることはなかった。
手近な水場で、胃の中のモノを無理やり吐いて、大量に水を飲む。
こんなことで吸収された薬物が抜けことはないのだが、アビゲイル水を飲んでは吐き続けた。
アビゲイルの背中をさするマサトグが、不意にアビゲイルに問いかけた。
「・・・ハザウエイと関係があったってのは、本当なのか?」

真剣なマサトグのまなざしにたじろぎ、思考が一瞬停止した。

茶髪の丈夫。かすんだ頭の中で名前と顔が一致するのに時間がかかる。とても遠い出来事なのだ。
「なりゆきで・・・一度きりだ」
あんな冷めた情事はもうまっぴらだ。
めまいの中で吐き気がこみ上げ、生暖かい水を少量もどし、咽た。

背中をさする手を止めずにマサトグがつぶやいた。
「その・・・なりゆきが、俺の上に訪れる可能性はある?アビゲイル」
真意を測りかねて、咳き込むアビゲイルが目を細めマサトグを訝しげに見上げる。

「このままだと、俺は・・・大隊長の部屋にあんたを連れて行かないといけない」
マサトグは手を止めない。
傍目には酔った同僚を解放するいい奴にみえるだろう。
「アビゲイルの答え次第で」
再度の吐き気で、先ほど飲んだ大量の水を全部吐き戻してしまった。
苦々しさは胃液のせいだけじゃない。
・・・もう、好きにしろ。
肉体的なくるしさと覚束ない思考に何もかもが面倒になったとき、頭上から声がふってきた。

「はい、そこまで」
底抜けに明るい声は、介抱するほうにもしない方にも聞き覚えのあるものだ。
「だめだなぁ、アビゲイル。こんなになるまで飲まされちゃってさぁ」
ごく自然に二人の間に語り笑いかけた。
通りすがりの人間には同じ宴席から抜け出てきた仲間に見えただろう。

夢かもしれない。
ひどくなる一方のめまいの中、夢でもいいか、とアビゲイルは男にしなだれかかり、首に手をまわした。
思いのほか肌がひんやりとしていて、気持ちがいい。
額を男の首筋に当て、ため息をつく。

夢のようだ。
いとおしい女が、自から手を差し伸べてくれるなんて。
一瞬、課せられた役目を忘れてこのままこの女をどこかの部屋につれこんでしまおうか、などと考えている自分に苦笑する。
女が背中に回した手指の感触と、首筋に当てられる吐息をたっぷりと楽しむ。

それは誰が見ても恋人同士の抱擁に見えた。

まるで悪夢だ。
アビゲイルはさっきまで手の内にあった。
宴席で決まった男も好いた男はいないとアビゲイルは確かに言った。薬はきいてなかったのか?
この男も見たことがある・・・たしか訓練所でわりと優秀だった奴だ。アビゲイルと面識が?

混乱する男を尻目に、二人は抱擁を楽しんでいる。
男がよしよしと女をおとなしくさせた後、人懐っこい笑顔をマサトグにむけた。
「だめだなあ、マサトグ。女に薬なんか飲ませちゃってさあ」
これ以上はない笑顔なのに、目が、笑っていなかった。
あまりの眩しさにマサトグは気が遠くなり、現実感を失った。

暑い。

生暖かい夜具の感触が気に入らず、寝返りを打つ。
上着を取ってしまおうと無意識に服を緩めた。

ふいに、冷たい水が口に流しこまれてくる。
強烈なのどの渇きを感じて貪るように飲み下す。

たりない。
気持ちがそのまま言葉になったようで、今一度、水が与えられた。

まだ、たりない。

霞がかかったような思考を奮い立たすように、2・3度頭を振って上半身を起こした。
暗い部屋の中には細い灯火が揺らめいている。
「・・・ここは」
ゆっくりと、灯火が近づき、アビゲイルは眩しさに目を伏せる。
「俺の宿舎」ひかりの持ち主が、おずおずとアビゲイルを抱き寄せる。
「会いたかった、アビゲイル」
つつみこまれる暖かさは不快な暑さとは違って肌に馴染んで心地よく、アビゲイルはうっとりと目を閉じた。
「・・・私もだ、タイロン」

「もう一仕事残ってる、おとなしく寝ておいで」
言われるままに横になり、離れていく男の背中を目で追った。
いつになく素直なのは、盛られた薬か酒のせいにしておこう。

かちゃり、と音がしてドアが開き、熱に浮かされたようなマサトグに先導されて、サガエラが入室してきた。
寝台に横たわるアビゲイルの姿に、涎を落とさんばかりだ。灯火の反対側に佇むタイロンには気づきもしない。

「気分はどうだ、アビゲイル中隊長」寝台の上ににじりよりながら、早くも自分の下帯を解きにかかっている。
「悪くない・・・な」
夢を見ているような口調のアビゲイルは、サガエラのことなど眼中になく、ぼんやりと横たわっている。
いまからもっと気持ちのよい目にあわせてやる、などと益体もないことを口にしながら無遠慮に手を伸ばしてきた。

「マサトグ、サガエラ大隊長どのを拘束しろ」低く抑えられた声に、聞き覚えはなかった。
アルコールと性欲に支配された大隊長は抵抗することもできず、部下の手によって羽交い絞めにされ、身動きが取れなくなった。

「マサトグ、お前はこの男に命令されて、女に薬を盛ったな」
「はい」

「うそだ!マサトグ、だまれ!」喚き声を、部屋にいる誰もが取り合わない。

「どんな薬だと聞いている?」
「媚薬だ、と聞きました。正直になり、房事が病みつきになる薬で、人体に害はないと。」

サガエラは、姿の見えない声の主を求めて暗闇を透かし見る。

「今まで何人ぐらいに飲ませた」
「10人はくだらないと思います。」

命令に忠実な部下の口から悪事が零れていく・・・
「こいつが勝手に言ってるだけだ。証拠は何もない!」

ふ、ともう一本灯火が灯る。「証拠などいらんよ」
細い灯火が見る見る大きくなり、満月のような真円の輝きがサガエラに近づいてくる。
「アビゲイル、俺の名前を」

「・・・タイロン・ツバイ・イエ」

サガエラが白目をむいて昏倒した。

「・・・人が悪い」

腕の中に抱き込んだ愛しい女が、上目遣いに睨みつけている。
「なんのことだ」しらばっくれてみる。
「天眼を持ってすれば、何事も苦もなく詳らかになるだろう?」
タイロンも最初はそのつもりだった。
今回の標的がアビゲイルと分かって、しかもマサトグの欲望もアビゲイルに向けられていると知って完全に逆上したとは、本人にはとてもじゃないが言えない。
「俺、未熟者なんだよ」耳を甘く噛み締めてささやき声を流し込む。
アビゲイルの喉元が脈打つ。

「耳をこうされるが好き?」「・・・くすぐったい」
そっと衣の中に手を差し伸べて、ゆっくりと脇腹をなでる。
ぴくり、と引き締まった腹筋が痙攣した。
「・・・ふ・・ぅ」与えた快楽で押し出された声に満足し、だめ押す。「これは?」「・・ぁ・うん」
ゆっくりと、アビゲイルの首筋に血が上り、頬が上気してきた。
胸元に手を伸ばし、巻き絞めている布を取り去る。
快楽への期待ですでに頂が尖っている乳房がまろびでた。

「・・・お前を今抱きたい」
お互いに、潤んだ瞳で見詰め合う。
「私もタイロンに抱かれたい」
愛撫の必要がないほど準備が整ってしまったお互いに、苦笑を交わしながら貫き、受け入れた。

 

 

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最終更新:2008年12月28日 08:05