ルナの帰還したときにはもうすっかり深夜になっていて、主人の異変に気がついたのかやたらと唇を鳴らす馬を優しく何度も撫で、厩を後にしたルナは、虫の密やかに鳴く中をどこか弱々しげに、
それでも門にいる兵を睨むように入って無駄に構えたまま歩いていた。
自分に与えられた部屋の前で無意識に息をついたとき、鍵を開けようとして右手の中で弄った鍵を取り落とした、かしゃん、と音を立て落ちたのを拾おうとして、止まる。
視界に影が落ちた、と思うのよりも先に、鍵を拾い上げるものがあった。

「どうした?」

不審げな声を聞いてから、ルナは瞬きをして彼を見、姿を捉え、頭の中の残像と結んだ。
気だるげに言う「ああ、・・・・サクラ」
疲れた体を壁に寄りかからせて、「じゃなかった、リタ中佐」

「何か?」というのに、サクラは、ルナの顔をまじまじと見た。鍵を勝手に差し込んで開けて見せながらも
「お前、どうした?」と訝しげに問う。
ルナは目元をあげ微笑んでいる顔をした「別に、なんでもない」
「顔が、赤いぞ。感昌か?」鍵を返しながら言うのに、
「・・・・・」
背で壁を滑って部屋の中に戻ったルナは、「ありがとう、では」と微笑んだまま目もあわせず扉を閉めた。

サクラ、私を好きだという男。

日がたっても、あの妓楼での始末を付けても、ルナの中から混迷は消えない。
・・・計画、か。
最初からカイヤは、私を陥れるつもりだったことになる。
ルナはじっと照り返す鈍い光を見つめながら、それを指の中でひっくり返した。
なぜ。
これを私に使う必要がある?
当初の計画ではどこまでの予定だったか、という疑問は身を震わせた。
クウリとカイヤ。
ルナは思い出していた、酒や、酌み交わした茶に、仕込まれていた微かな木苺の味。
昔呑んだことのある味だ。
微かな違和感はこれが原因だった、と今になって納得が行く。
ただ、カイヤ。
なぜ。


では、だせ、と立場に任せルナが凄んだとき、「あなたのような人には必要ないのにね」
カイヤは悔恨でもなく怯えるわけでもなく、見るに攻撃的だった。
「使い方も知らないくせに」ここで、鮮やかな笑みを浮かべて、「覚悟しておくのね」
余裕の笑みを浮かべつつ、何気ないような仕草で、それを出した。
この、薬。
中身はあのときのものと同じだと言う。
思ったより簡単に出された薬を見、ルナはいぶかるが、カイヤの次の言葉で納得する。
「使い方一つ。でも教えない」
ルナは、目元をゆがませた。
「道理で素直に渡すはずだ」


クウリとカイヤ。
二人は繋がっている。

それから、「使い方一つ。」
飲ませる以外にない。
それ以外に、何がある?が、あの余裕、負け惜しみにすがった口任せとも思えない。
はるか過去、なぜ置いていった?それも目に見えるように。
ぐるぐると思いは去来する、
クウリとカイヤ。
教えない、と言ったカイヤ。
余裕の笑みは、頭の中の目に近い部分をかじられるような疑問に繋がる。
大佐、と声にした自分を覚えている。
似ても似つかぬ男に対して、そしてクウリの背中。
思い浮かべて「なぜ」なぜ、同じように欲情するのか。
本当に、ツィツァのときに飲んだ、あれ、と同じものだろうか?
ルナはあごを上げて背後の壁に頭から凭れかけた。

解らない・・・ルナは顔を立てた膝にうずめて縮こまる。
どちらかというと、ツィツァの眼差しより、指の熱さを覚えているのではないか。
生きていてください、と私は言った。
本気だと思えば思うほど不安は大きくなっていく。
強く想っていた人と間違え、すがったことに自分自身傷ついているのだった。
思えば思うほど不安に飲み込まれる。
何故、楼主やクウリに?
薬のせいだ、と決め付ければ過去の自分を否定し、薬のせいではない、と思えば今の自分を否定することにもなる、どうしようもなく翻弄されている自分が腹立たしい。

試すしかない、
試して、結果を見たい。
言葉ではなく、感情をも動かす他の何かがあるのかもしれない。
指の間の瓶、それを何度か握りなおして、ゆっくりと目の前まで持ち上げた。


「遠征だ」
そうルナは言って、並ぶ兵士を見回してから続ける。
「メリカの近郊に、ただならぬ動きがある。その調査と、最終的には駆逐が目的だ。
駆逐の後はメリカに入城する」
声を張り上げながら、居並ぶ中に無視できない強い視線を感じて、どうにか逸らしながら続ける。
「隊は、サクラ=リタ中佐率いる一隊、その前衛、後衛を私たちが勤めるが、前衛の隊長にリンツ分隊長、
後方から私が指揮する」
賊なら、大体は後方からの奇襲攻撃であるのだから、このとき、選んだ後衛はルナが指揮するのがもっともだった。
ルナは続けて細かな指示を出しながら、リンツに目を合わせた。

前衛にリンツを選んだのは、彼がクウリの直属であったからだ。

麗しい師弟愛の中、とクウリが表現したとおり、私の下に居れば、二人まとめて狙われる。
私でさえ彼の出自を知らないのだから、リンツはもってのほか、知る由もないはず。
だとしたら・・・これは、賭けだった。
単純すぎることにいささか不安ではあるものの、今は状況を見るしかない。
離れていれば、クウリの言った「一生懸命な名高い」私に庇われることもない、そこで命を落とし、
果たして王妃は納得するのか?
しないだろう、もし是であれば、ルナに知らせないほど狡猾に計画するまでもないからだ。
だから、ルナは、ここでもしクウリを私の元へ、逆に私をクウリの元へ、と画策するものがいれば、
そいつが監視役だ、とめぼしを付ける作戦にでた。
こんなところで負けるか・・・カイヤのあの目つき、「一人勝ちね」
意を決して、ルナは大きく見開いた目で、クウリを射すくめた。
勝ってやる、お望みどおりにね。
一人で、勝ってみせる。
クウリは強い視線を逸らさずにルナを見返したが、祝福に押されたリンツを囲むのにさえぎられ、
人ごみの中に隠れていった。
前に出されたリンツが、思いもよらぬ大役にしり込みしたように、青ざめた顔をしていた。
「私が、前衛の指揮を・・・・?」
ルナは片眉を上げた「何か不満ですか?」
勝ってやるのだ、私一人で。
2列目にいた、クウリの強い視線、怒ったような、すがる様なそれを意識しながら、言った。
「あなたであれば、期待を裏切ることはないと信じています」

第一王子軍、それは権威ある国内軍に比べ、煌びやかであったが現実味のない、
当人たちの意識は他として、いわばお飾りのようなものである、とは世間の評価であった。
出生こそ難あるものの、王子はれっきとした軍人である、と箔をつけただけに過ぎない。
最高司令官は今をきらめく宰相の末の息子であり、彼は実践を伴うこともない。
王子軍の出陣の際には、無謀な、いや暗殺行為だと騒がれるのを恐れたのか、名のある将軍をその下に置くことによって体裁を整えようと各方面に打診を重ねたらしい。
彼はルナに出会う前、何度も戦勝を上げていた、国王にして「この将軍ならば」と言わせしめた男であり、
この時期は次国王となるべき第二王子の軍を任されていた。

この将軍ならばと続く先には国王の側近という輝かしい未来であったものを、
ツィツァは自ら、犬死軍と嘲笑された第一王子軍にに志願した。
みすみす宝の持ち腐れ、自殺行為と本人を知るものは訝り、
本人を知らず噂を信じたものは、軽々しい風評のままに、彼を、犬死軍の頭に据えた権力を思った。
ツィツァは周囲の予想をはるかに裏切る大勝をあげ、征服したメリカにて、最高司令官として采配を振るっている。
その手腕は見事としか言いようがなく、ひいては第一王子の名声にもつながっていた。

第二王子軍としては、どこかに出陣する、と言うことはルナが入隊してこの方、噂ですらなかった。
ツィツァの後任で今指揮を取るのは、彼の同期生だった。以前にルナが抜擢を足蹴にした男、ジルで、
この男はルナを覚えているのやら、めったに姿を見せず、執務室からの命令のみで業務をこなすゆえに「部屋番」と言われている。
たまに肩書き抜きの命令が来るとき、ルナは自分を覚えているのかもしれない、と思った。


ノックの音は、静かな廊下に響いた。
ルナは自分の心臓が震えるのを感じ、
扉が開いたと同時に身を滑り込ませるなり「早く」と言った。
サクラはルナを入れると、様子と口調に驚いたように、言われるがまますぐに鍵を閉めながら、
「何があった?」
と他愛のないように聞く。
ルナは答えず、転がるように部屋に入ったまま、自分の上半身を抱きかかえるようにする。
サクラの閉める静かな鍵の音を聞くと、ルナは彼に背を向けたそのまま「遠征だ」と言った。

「お前と一緒に」
「・・・・光栄だ」

言いながら、裏腹にサクラは扉近くでの会話を警戒して、ルナを部屋の中へと誘導する。
ルナには、サクラは微笑んだように見えたが、打ちひしがれた様子のまま、時折小さくため息をつき、
促され座った長椅子にもたれるなり、「サクラ」と呼んで、「何か、飲みたい」と訴えた。
その目が弱々しげで、座り込んで身を縮めた様子は、まるで怯えた猫のようで、
サクラは、「いい酒がある」と言って明るく頷くと身を翻し、飲み物を取りに消えた。

ルナは、肩身を凭れた肘掛の上に顔を伏せた。
踊るような心臓を抱え、自分を鼓舞するが、不安とせめぎあうのにいたたまれないでいる。
やがて葡萄酒のカラフェとグラスを持ってきた彼に「悪いな」と言い、ルナは身を起こした。

「25年物だ。神の酒、いうだけあって痺れるくらい甘い」
座ると落ち着いた声で彼はいい、とろりとした琥珀の濃い液体をそれぞれに注ぐ。柔らかな仕草だった。
が、とがめるように簡素な支度を見ていたルナに、
「つまみは無花果でよろしいかな、マドモワゼル」
サクラは気まずさをつくろって悪戯気に笑い再度席を立とうとした、ルナは笑みをあわせる。

彼はルナにとって都合のいい誤解をした。
ふ、と微笑を浮かべると宮廷の女性を真似て、小首をかしげる「無花果か」
「実をつけるのは花と限らない。実をつけるものと比べても」と気取って、
「よろしくてよ」
サクラは驚いたように目を見張ってみせ「実をつけるもの、それは」大げさにに手を広げる
「マドモワゼル、あんたのことか?」
サクラは大笑いしながら、用意するために席を外れる。
ルナは微笑みを一瞬にして消し去り息を呑むと思い切った、
ポケットに忍ばせていた小瓶を取り出すと、もどかしくコルクを抜く。

神の酒、結構だ。

とろりとした液体をグラスに傾けると、比重が違うためかそれは何重かの筋になり層を描いていく。
すべて流し込むに、グラスの容量は足りなかった。
カタリ、とサクラのこちらに来る気配がする。
慌てた挙句に思い余って、自分のほうのグラスにルナは、残りを注いだ。
薬を飲まされる彼を、冷静な意識で見たくなかったのかもしれないし、
血迷っただけなのかもしれない、
ただ、自分のグラスに注いだのは、ほんの微量だった。が、ルナの罪悪感をほんの少し軽くした。
本当のところを知りたくない、と防御しただけだったのかもしれない。
真実を知ることこそ必要であるのに。

ルナは背筋を伸ばした、私としたことが、何を弱気になったものか。自分のものにいれるなど。
飲まないでおこう。
二つのグラスに溶けるようでいてあとを残す媚薬を、小瓶を隠しつつルナは眺める。

言葉なのだろうか。
呪文のようなものだろうか。

空の小瓶の入ったポケットを確認しつつグラスを睨んでいたが、
それは底のほうに折りたたまれるように沈殿したままだ。
ルナはただでさえ慌てていたのに、なかなか消えないそれを見て苦々しく舌打ちをした。
「なんだ?マドモワゼル、舌打ちなどなさって」
近づいてくる声に、ルナは慌てて微笑むと、
優雅に「中佐がいらっしゃらない沈黙を埋めて見せただけよ」
と答えた。
マドモワゼル。サクラはこの遊びが気に入ったようだ。

ゆったりとサクラは座った、
ルナのグラスを持ち上げる仕草に、彼はうなずいてグラスを取り上げた。
グラスは、すっかり元通りの色を取り戻している、ルナは口の端を曲げて、
「乾杯」
中佐に、と彼に比べ位の低いルナは礼儀どおりに言った、サクラは微笑んだだけで何も言わない。
透き通った音を立ててグラスを彼のそれに合わせる。
二人は、小さくグラスを掲げて口をつけた。
その後、どちらからも声はない。


この小瓶一つ飲んだら、その後の快楽は身に染み渡る、はずだ。
多分そこに何かがある。何か鍵がある。

「薬で、私は耐えようとした、ねえ、ルナ。
それでも失敗した私を、笑っちゃうかしらね?」

5分たった。
ルナはサクラの無意識な様子をじっと観察する。
サクラに、変化はない。

10分。

黙っているだけにいられなくてルナは指を伸ばす。
無花果にナイフをいれると、熟れた果肉が汁を滴らせた。
ルナは上品な仕草で器用に皮を剥いだと思うと、4つに割ったうちの一つを口元に持っていく。
舌で舐め、味を確認すると、小さな口をあけて指で果肉を押し込み吸い込むように味わっていく。
もし音にするなら、ちゅる、と頬を膨らませて、つぼめた唇を指で軽く押さえる。
淡いピンクの唇がつややかに濡れている、
サクラの視線に気がつくと、ゆっくりと咀嚼しながら、
果汁のついた唇を指でぬぐった。上目遣いに微笑む「なに」

「あ・・・いや・・・・」
サクラはグラスを片手にぎこちなく微笑んでみせ、半量ほどをのどに流す。
顔をしかめてグラスを眇めつ「こりゃ、外れだったか?へんなベリー系の苦味がある」
グラスを口元から離して、傾けて凝視してから、大げさな仕草で言う。
ルナは一瞬ばくんとした。
サクラの視線、いたたまれなく
「ベリー系の苦味?」と自分のグラスを持ち上げ、舌にのせると、潤った声で、
「そうかな?私には蜂蜜系に感じるが」と返した。
ベリー系の苦味と当てた、まさか・・・とルナは、グラス越しにサクラを見て、
「この年は確か、乱作が目立った年じゃなかったかな?」と淡く微笑む。
心臓が波打つのを意識した。

「隣で木苺など育てていたのかもしれないな、さすがは中佐」
「いや、確かに蜂蜜だ」
もう一度こくりと飲み干してサクラは神妙に頷くと、片眉を上げ、
「もし刺されるなら蜂よりも花の棘のほうがいい、と思っただけだ」
気づいている?
ルナはなるべく冷静に、と自身に言い聞かせたが、
意識するあまりに逆に饒舌になっていくのを止められない。

「ベリーの花は、小さくて可憐だとやら?
棘は・・・、ない、と聞いた」
動揺を抑え、ルナはぎこちなく足を組んで、目をそらし、
「可憐な花だから、棘は、ないよ。きっと」

サクラはじっとルナを見つめている。
ルナは無言に耐え切れない、その目の中を探るように見つめ返した「お前は、どう思う」
「棘のある、可憐な花がお好みか?」
艶やかに微笑んでみせる。急にサクラの目が揺らいだ。

いままでとは違う、何か獲りつかれたような目。惑いながら、芯に奥深い闇がある。
彼はルナのグラスを持った手を引き寄せ、強くその唇を求めた。
テーブル越しに舌を吸われて、ルナは応える。
無花果と甘い酒の香りのする舌を絡めとりながら、
「寝室にいかないか」とかすれた声でサクラが誘う。
30分がたっている。
ルナは小さな、成功の始まりを思った。
ここで何か鍵になる言葉を、彼に言えばいい。
彼の欲情は私の選ぶ唯一つの言葉に支配される。
そうであって欲しいような、欲しくないような。
ルナはためらって、のどを鳴らし、彼を見る。
言葉を選び、思い切ったものの、自信はない。小さく告げる。

「私を殺せばいい」

彼女は言った。
サクラがこれから愛する人からは、聴かない言葉。
うかつには決められない一言を彼女は練りに練った、
これならサクラは少なくとも、この先愛する女からは聞かないだろう、
薬の効果に自分を疑うこともないはずだ。

「物騒なことを」彼は言った、ルナは苦笑して左手で両のまぶたをこすった。
寝室に、と促したサクラに頷いて、

「その前に聴きたいことがある」

ルナは息をつき、二人の間のテーブルをどかして、腕を絡める。
言葉など無かったことのように、まるで続く逢瀬を楽しむように。
「答えてくれる?」
「じらす気かよ?」
もどかしそうにサクラが言うのに、事を起こしてしまったとルナは微笑む。
目的だったはずなのに、限りなく自分が卑怯な気がしてくる。
サクラの目が切なそうで、いたたまれない。
「私が、好きか」
サクラは苦しげにして「ああ」と言った。
「本心か」
薬の効果だろう。軽々しく答えてくれれば、もっと納得できるものを。
わざとらしい。
ルナは薬を仕込んだ自分を責める代わりに、そう思った。
サクラは、黙っていた。

ごまかそうとサクラのシャツの裾をつかんだルナを、抱きしめて、
サクラは眉間にしわを寄せる。

「お前が聞きたいことと、俺の話したいこと、多分同じだよ、ルナ
こんなことしなくても、話すつもりだった」

ルナは目を泳がせた。嫌に冷静、嫌に沈着な言葉。
瞬時に察した。

薬の効果ではない。

「愛している」
唐突にサクラは言うと、面白がるようにルナの目を覗き込んだ。
「お前は俺に、同じことが言えるか?」
ルナは急にサクラが大きくなったように思えて怯え体を離す、「サクラ・・・」
「言えないだろう」

戸惑っているところを引き寄せられ、ルナはかすかな抵抗をする。
「俺は、本気だ」
真剣な彼の顔にルナは、顔を見上げた「ベリーの味?」と聞いた。
「そうでなくても話す気だったといっただろ。馬鹿にしてるのか」
困惑したまま、目を閉じる。
「馬鹿にしているわけじゃない」
やはりばれていたか、と思う。緊張の糸は切れ、ルナはなぜだか安心する。
さっき、グラスのそこに描かれる模様を見ながら確かに予感がしていた。
つと体を離し、両手を彼の腕にあてたまま、

「ごめん・・・」
言ってルナはうな垂れたが、突然サクラは低く笑い出した。
「すぐに認めやがって、馬鹿」
惑って目を開けるルナをまた引き寄せて「馬鹿だな」

クックッと笑うたびに頬に当たる胸が動き、ルナはうろたえた。暖かいのである。
「はなして」
ルナは言い、もがいて「はなして」と繰り返した。
「わたしには、お前の恋人になる資格は・・・」顔を伏せてサクラの視線をよけようとするのに、
「資格がないから、この作戦か?」
サクラは言って、ルナの頬を両手で押さえる。「ちがうだろ」
「聞きたいんだろ?」
真剣なこげ茶色の瞳に呑まれ、ルナは瞳を震わせた。
そのまま、沈黙に諦めたかのように、すい、と湖のような透明な目になる。
「私は、お前を」声を詰まらせた。
「薬を使って?」
その先を軽々とサクラは言う。
ルナは言葉も無く、見る間に泣きそうな顔をする。
「いいよ、騙されてやる」
眉根を寄せて、ルナの指は彼の上着を握り、ためらってから自分の頬に当てられた指をつかむ。
「どうして」
「話すよ、ルナ」
どうして、そんなに優しいのだ、と問い詰めたくなる。私は、お前を利用しようとしたのだ、
薬の効果を試すと共に、聞き出したいことがあったのだ。
じわりと潤んでいく目で、「サクラ、怒ってくれ」と言う。
「私は、薬を使って・・・」とルナが贖罪しようとしたとき、下から救い上げるようにサクラの唇を感じた。
あたたかい、柔らかくつまむ様にゆっくりとルナのそれを捕らえ、何度も繰り返す。
熱い吐息のまま、
「不器用なマドモワゼル」
言いながら笑ってしまうサクラ、無防備な、自然な態度。
ルナは困惑ながら何も言えなかった、その唇と言葉を、余すところなく受け止める。
「俺が欲しいと思っていた媚薬、それを与えてくれた女神に、感謝を」
わざとらしく大げさに言ったサクラの手のひらは、ルナの肩に落ちた、
温かく、許されている気がした。
「一晩のご慈悲を」笑いながらも彼はいい、ルナを抱き上げる、彼女は目を伏せる。

「誰に聞いた、クウリのことを」
勢いに任せた行為の余韻を息遣いにのせ、彼は聞く。
ビロードのように暖かくルナを支えるその手、サクラは目を閉じている。
「言えない、か」
続けるのに、ルナは黙ったまま肯定するように、のどの奥に微笑を抑えた。
「言うわけないよな」
彼の口調はいたって真面目だ。
「気になる」
と媚びて聞いて、胸筋に指先を這わせ、おもむろに唇を付け、頬を近づけて、
ルナは、甘い声を意識しながら、
「サクラは誰から聞いた」
とやさしく聞く。
彼は肉厚の唇をきゅっと締めていたが、ルナの柔らかな舌に触れられると反射的に開いて応え、「お前を守ろうとしただけだ」と矛先は避けた。
「誰から?」
他愛無く聞いたはずが、思わぬ強さとなってルナは「自分の身くらいは、守れるよ」と弱く付け足した。
ちらりとルナを見やったサクラの緩やかな腕は、ルナの白い肌に滑り、なだめるように肩を抱きよせた。

「メリカの反派が動きを見せている」
反抗的なクウリ、まるで子供のようにふてくされた顔。
遠征はそのためか。
「メリカの?」
冗談、とルナは軽く言ってみせる。
ルナはクウリの、後ろ盾のなさそうな切羽詰った態度を思い、冗談であっても対応できるような、
口の端を曲げた微笑を真似てみた。
メリカ、反派、動きを見せている。
「そうだ」
サクラに指に一瞬、力が入ったのを肩で感じて、
「反派が・・・何を出来る」
慎重に、意識して微笑を含ませルナは言った「いまさら、覆せぬものを」
暗闇の中で、鋭くルナの目は光る。

黙ったサクラの口元を眺め、ルナは推測する。
見逃せない兆候があるのか。
覆せるのかもしれない、か。
発端は、クウリ、王子である彼。
この遠征で、それを潰せ、とも、存在ごと、ともか。
おそらく、極秘にサクラへ何か指令が出ているのだろう。
くる時がきた、とルナは思い、すがるように肩に置かれた手に目を細めて指を添え、頬ずりをする。
指示を出しているのは、誰だ。
今の情報源はこいつしかいない、これでは足りないかと思い、指を握ってみせる。
サクラの指は、節々も太く逞しかった、華奢な手を絡ませ利用する自分が、限りなく穢れて思えた。

「私を殺せばいい、のに」
ルナは言って、じっとサクラの目を見た。
最後に試すだけだ、と自分に言い聞かせながら。
舌を指に這わせると、サクラはすぐに応え始めた
身を起こし、ゆっくりと忍ばせた舌をルナの奥深くへ覗かせた後、ゆっくりと自身をうずめる。
今真上に顔を見せた彼は、にじむ汗に目をしばたかせて、
「お前は、それで、いいのか」
眉根を寄せながら悲しそうに目を覗き込んで、呟く「何でお前なんだろうな?」
「なんでお前なんだ」

ルナは聞き逃さず、「わたし?」喘ぎながらも聞く、
どこまで知っているのだ、この男は。
「な、ぜ?」
「なぜ、と聞くのか」
呟くなりサクラは無言になり、両手でルナの上半身を抱え込み、激しく口付ける。
唾液が口から糸を引いて、首筋にたれる。
荒い息切れと狭間の低い声が混じりあい、ルナのため息と共に暗闇に吸い込まれていく。

「俺にどうしろと」
耳元で息遣いがする、首筋を吸われるのと、奥にねじ込まれるのとが同時になり、ルナは高い声と共に
天井を仰いだ。
どくん、と腰が跳ね、中心から抜かれたかと思うと、代わりに指で、敏感な箇所をいじられながら
乳首を吸われ、熱い指先で耳たぶをいじられる。
流れるようにうつ伏せにされ、足の間に彼の指が置かれ、自分からそこへ押し付ける形になり、
獣のように動く下半身を意識して羞恥する、いつの間にか指は舌に変わっていて、つき抜ける快感に
陶酔しているまもなく、下から突き上げられる指に逃れようとし、体を伸ばした矢先、乳首に彼の舌を感じて、嘆くようにうな垂れる。
掴まれた腰、そこを彼そのものが貫く。不安定な体のまま、うつ伏せた下から舌と歯に弄られ悲鳴を上げそ
うになり唇を指で捻られて、自分の子宮に繋がるそこに襞があり、刺激されるのに夢中になる。
ふと起こされ、膝の上に抱かれる形で抱き寄せられ、奥の泉をつかれて、
ルナは思わず声を上げて腰を捻る。
うめくサクラの声は、内部で膨らむ彼自身と呼応し、ルナを突き上げる。

 

薬には効果がなかった、というべきだろう。
我を失うことがなかったサクラ、ほとんど情報は得られていない。

情事のあとすぐそう考える自身にあきれながらも、ルナはもう少し粘るか諦めるか逡巡しながら、
仰向けの彼を横から覗き込んだ。
ルナの見下ろす下で彼は微笑んで、手を伸ばし、ルナの髪をかきあげ、低い声で言った。
「逃げよう、ルナ」

ルナは驚き、
「それは、サクラ・・・」

出来るわけがない、とお互いに知っているのだ。指揮官を失った兵隊などありえない。
自分たちはこの兵に規律、指令を守ること、
それから、最重要なこと、責任を果たすことを、教えてきたのだ。
すべて捨てて二人で逃げることは、出来るわけがなかった。
それでも彼は続ける、うわごとのように、何かを見出すように。

「地の果てまで。馬は何頭いるかな、乗り潰して、国境を越えて」
サクラは仰向いてなぞるように、ルナの後ろの天井を見つめる。
「この国の外は、天国に繋がっている」
ルナは遮って、ふわふわと話すサクラの唇を、自分のそれで覆う。
夢見事を言うようになったら、もうおしまいだ。
これ以上、聞きたくない。

サクラの応える舌にルナは絡ませながら、目尻を濡らした。
眉を寄せて、見えないように額を付ける。
この男を、愛したかったと思った。
サクラの柔らかに重ねた唇は逸れていく。
ゆっくりとルナの耳朶に這い、耳たぶを噛む。
吐息を感じた。
「ルナ、逃げよう、いつか、ふたりで」
湿った息、嘆願するような声に、ルナは小さくまばたきをする。
目元に浮かんでいた涙は流れ、ルナの頬を濡らして、零れ落ちた。
ルナは熱く流れるものを枕に吸わせ、黙る。
頬を付けた布が柔らかに自分の湿気を飲み込んでいく。

ルナは、振り切るようにして、サクラとの、このまま分かれ行く宿命を、思った。
宿命とは言いすぎか。サクラを動かしている奴がいるだけの話か、
そして、サクラは、きっと忠実に働くだろう。

なんでお前なんだ。
サクラ、充分だ。

 

あの時結婚していたら、こんな事態にはならなかっただろうか、と考えながら、ルナは合図を送り、
信号兵はゆっくりと旗を揚げる。徐々に隊列を詰めていく独特の圧迫感を背中で感じた。
先を行くサクラのいったいが霞んでき、ルナは目を凝らして時間を計る。

何でお前なんだ。

息切れたサクラの喉、ごつごつとしていた。
単なる呟きとは思えない、あの汗、射るような憎しみの眼。
サクラ、充分だ。
少しだけ核心に近づいた。
お前を愛せたらよかった。

ルナは少し前に出た。
前の馬の蹴り上げる砂埃に目を瞑って、頃合を計ってまぶたを開ける。
一瞬にして城壁の外の光景が、圧倒する勢いで視界に広がった。
逃げ口はいくらでもあるのだ、ルナはあたりを睨んだ。
後戻りは出来ない、と横目に旗を見やって、鞭を振り上げる。
「出発する」
信号兵が勢いよく旗を入れ替え、指示を伝えていく。

行く先はメリカか、望まない師弟愛か。

雨が降りそうだった。

 

 

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最終更新:2008年12月28日 08:09