隊列はつつがなく進み、当初の予定よりも早く、既に旅程の中ほどまで来ていた。
ルナは馬上から、前を行く歩兵の背をぼんやりと見つめていた。
サクラの一隊は緋色をところどころにあしらった兵士服を揃って身にまとっていたが、ルナの前にいる歩兵3人は他の歩兵よりは少し位上なのか、背に鮮やかな緋色の短いマントをつけていた。
もともと分隊長さえ信用しないルナは、ほとんどの場合、自分の目前に護衛を置きはしなかった。
いまも彼女の両脇と後方をを固めるだけに留め、よって彼女はサクラ一隊後陣のすぐ後ろを進んでいた。歩兵たちは鍛えられた脚で一時間に16キロほど進み、その後ろでルナたちを乗せた馬が続く。
揺れる彼らのマントのひだを見つめながらルナは、隊の中央にいるであろうサクラを思った。
彼も馬上の人である、その周りにはいまのルナとは数倍近くの人数の護衛がいるはずだ。
当初の計画通りに前衛隊を率いるリンツの後方、本隊であるサクラ一隊の前あたりにクウリはいるはずだ。サクラ一隊のすぐ前、ルナの前衛隊最後方にいるはずである。
彼に与えた任務は、前方に襲撃があった場合にルナの元へと報告するというもので、役柄して当然、彼も騎乗している。
彼らに前方は任せるとして、あとは奇襲のみだ。
視界一杯の草原の中には、所々に大きな岩があり、そこに刺客が隠れられなくもない、と思うと右や左、どこかしこも怪しくも思えてならなかった。
ルナは点在する岩や木立、雲にまで休むまもなく目を走らせ、蹄の音以外のものに耳をそばだてる。
「中佐が入城されたご様子」
わかった、とルナは二人連れの連絡兵、その片割れ、クウリをちらりと見やった。
クウリは黙って下を向くままで馬をなだめていた。
ルナは疲労を飲み込んであごを上げて見せ、報告の続行を促す。
聞きながら、薄く煙るメリカを遠く見やった。
王宮は、大部分がメリカの古典様式と思われる白亜のものだった。そこに増築されたと見える独特の様式、それは異彩を放ってルナの目にも、ましてクウリの目には映る。
今前にして記憶にない姿を呪うような眼差しで、彼は視線を外さない。その横でルナは、サクラの隊が入場していく様子を厳しい目で見ていた。
「ご苦労だった。クウリ、後ろの人数を調べろ」
ルナは鋭く言い放ち、自分の馬を落ち着かせながら、
「エリゼ、入城まで頼む」
言うと、エリゼと呼ばれた男は勢いよく敬礼をした。かと思うと、与えられた前衛から後衛までを自分が指揮するという晴れやかな任務に向けて、城門へと軽やかに戻る。
クウリは軽く馬を操ってすぐに戻って、人数に異常のないことを告げた。
ルナは遠く門扉から目を離した。
再びクウリを見やったが、憎憎しげに王宮を見る彼を認めると、すぐに前を向いた。
「ずいぶんと粋な歓迎振り」皮肉らしく彼の顔は歪んで、低い笑い声はまるで呻き声のようだった。
ルナは手綱を引いて、緩やかに進んでいた愛馬を止める。並んだ者が止まり、後の者も倣う。
王宮へと続く下って上る緩やかな坂を、自分たちの視界下方を遮っていた前の兵が進んだ。
続くルナたちの目に、次第に王宮の全貌が見えてくる。
ルナは眉をゆがめながら、もっともらしく言う。
「融合するものだ。国と国との文化は、いつでも」
独り言のように言いながら、ふん、と笑う「だが、第一王子は、歪んだ審美眼をお持ちだ」
さらりと言って見せたルナにクウリは少し驚き、「王子がお嫌いなんですか?」とまた浅薄な質問をし、
ルナを「事実を言っているだけだ」と不機嫌にさせる。
頃合を見計らって「よし、いくぞ」と馬に軽く拍車をかけようとして、一度城門に入ったサクラの兵が駆けてくるのが見えた。
「もとい、少し待て」と彼女が片手で指示するのと、兵が声を上げるのはほぼ同時だった。
彼はルナの前で止まるなり、上がった息をものともせず、声高に言った。
「シレネ少佐、申し上げます」
勢いに警戒しながらも、なんだ、と馬上から眉を上げて見せると、
「中佐からのご伝言であります、至急、入城を」
「何?」
「至急、入城を」
ルナは不可解ではあったが、上官からの指令に逆らうこともできず、すぐさま後ろを振り返った。
「先に行く、後は」とクウリを見たとき、サクラからの使者はすばやく「クウリ様もご一緒に、と」
ささやいた。ルナはますます訝しげに使者を凝視したが、彼は目を伏せている。
クウリと自分を近づける者。
「リンツ分隊長!」
少し後ろにいただけのリンツはすぐさま、馬上からも敬礼をしてから、全て了解したかのように、
「は」
とうなずいて見せた。
リンツを目で確認しながら、ルナは出発を促す。
どういうつもりか、サクラ、と思いつつ手綱を引き寄せ「急ぐぞ」と言ってルナは馬に拍車をかける、
困惑していたクウリは、その後にかろうじて続く。
待ち淀んでいた数十人の横を抜けて、二人は速度を緩めずにまっすぐに走った。
城の入り口、豪奢な門構えを抜けるとき、エリゼが唖然とした顔をしたのが目に入ったが、火急とあらば仕方ない、ルナは速度を落とさず同じように何人もを追い越し、よく手入れされているであろう花園を抜けた。
張り切っていたエリゼは、自分よりも大きな任務を与えられたらしいクウリを口をあけて見送ったが、ふと我に返ると毅然と厳重な身分確認を行い始めた。これは彼の悔しさそのまま、まるで嫌がらせのようなものだったのは言うまでもない。
ようやく、大理石に敷き詰められた城の入り口に着く、そこには、苦く笑ったサクラがいた。
「着たか」
サクラは言い、「馬はここまで。で、俺らは徒歩で入場するんだそうだ」
先に行く、とサクラは背を向けた。翻したマントが鮮やかだった。
私とクウリを近づける者。
ルナは、小さくため息をついた。
サクラと共に案内された部屋は、高い天井と大きな窓がやたら目立つ他は、メリカ独特ともいえないありふれた内装だった。
そうそう長旅立ったわけではないが、城内に入るには着替えなど最低限の身づくろいは済ませたルナが見上げながら息をついたのを見計らってか、サクラは
「ここへ通された意味、わからないでもないが・・・」と苦笑した。
見慣れた鎧姿ではなく、澄んだ藍のマント、銀のジレと一般に夜霞と言われる重ね着を纏ったルナは、その灰紫の目とあいまって一種悪魔的な美しさだった。
眩しそうに見たクウリは、唇を引き結んだまま黙っている。
サクラはそんなクウリと差別を図るように、「お前は、いつもその格好だ」と笑った。
ルナは目を見開いて見せただけで笑いもせず、
「クウリと私を近づける者があれば、と思っていた」
一句一句はっきりと口にした。
「サクラ」ルナは目を合わせず名を呼んだ。
なんだ、サクラは目を伏せ、笑ったように問い返す。
「殺されないぞ、お前なんかに」合わせてか、急に笑みを含んだ口調でルナは軽く言い放った。
横で、息を呑む音が聞こえた。クウリの目が光っている。
「なんか、とはまたお言葉だな」
サクラは眉間にしわを寄せるようにして無理に笑い、ルナから目をそらす。
クウリ、とルナが呼んだとき、扉前で衛兵のかかとを合わせる音が響いた。
サクラに問うような目線をやったが、彼も何も知らないと言ったように小刻みに首を揺らした。
貴賓のための短いファンファーレが鳴る。
咄嗟にわけも分からないまま三人は腰を落として膝を付き迎える姿勢になった。
ひときわ大きな踵の音がして、張り上げる声を聞いたルナは心底戦く。
「王妃様のお成りです」
王妃。
一瞬にして緊迫し、ルナは反射的にクウリを一瞬見た。
蒼白な顔で目元が赤らんでいる、彼も緊張しているのだろう。
王妃。
クウリの母、メリカにおいてただ一人侵略軍と融合した女性。
彼は、こうなることを知っていたのだろうか?ふと疑問になり逆のサクラを見やる。
まったく予期してなかったようで、張り詰めた様子で状況を飲み込もうとしていたのが見て取れる。
なぜだ、めまぐるしく動く頭の中で、稲妻のような残像が何度も脳裏に浮かんでは消えていった。
王妃が私たちにお会いになる。
ルナの推測ではありえない展開だった。
影ながらクウリを想い、ひっそりと暮らしているような印象があった。
彼女は表立って何かするような女性ではないと思い込んでいた。
「サクラ=リタ中佐、でしたね」
ビロードのような滑らかな声が響き、サクラの返答する声がする。
どういうことだ?
母として、クウリへの慕情が抑え切れなかったのかも知れぬ、それにしては突飛過ぎはしないだろうか、サクラを呼ぶ理由は、私がここに呼ばれた理由は。
目まぐるしく考えながら、ルナは自分が呼ばれたのに顔を上げ、王妃の顔を初めて見た。
するりとしたうりざね顔で、切れ長の目、薄い頬、柔らかそうな唇、絹のようなさらりと柔らかな印象を気の強そうな眉がきりりと引き締めている、確かに美しい人だった。
「あなたが、シレネ・・・?」
優美に微笑んだ王妃の表情に吸い込まれるようだった、ルナはかろうじて口上を述べた。
王妃は悠然と応え、サクラ、ルナ両隊の労をねぎらった。
同性でありながら、王妃のしぐさや身のこなしは素晴らしかった。
クウリが横で目を潤ませて震えている。目のふちにどうしようもない歓喜が浮かび、名を呼ばれるのを、王妃の顔を拝するのを、言葉を交わすのを、思ってもみない僥倖を待ちかねていた。