「バルタヴィール=モードニアス=エル=シルム! 御前に出ませい!」
「はっ!」
名を呼ばれ、僕は白亜の式典の間をゆっくりと進んでゆく。
目の前に立つ魔法王の横に、僕の師匠を含んだ三十人の大導師が揃っている。
彼らはめったに人前に姿を現すことの無い、世界最高かつ最強の魔法使い達だ。
片膝を着いて王の前に畏まると、肩にずしりと杖が乗せられた。
魔法王のよく通る美声が、式典の間に響く。
『グランドマスター・バルディナが門下、
バルタヴィール=モードニアス=エル=シルム。
汝が魔道の発展に尽くした多大なる貢献、
並びに大導師会が授けしクエストを成し遂げた事により、
今日ここに汝を、三十一人目のグランドマスターに相応しい力を持つ者として正式に認める』
「はいっ!」
「魔法王国の成立以来、十代半ばでのGM位は例が無い。
だが、慢心せぬよう精進し大魔道を極め尽くす事を、一先達として望むものである」
「誓って諸先人の偉業を継承し、真理の希求に弛むことなく、グランドマスターの名を穢しませぬ」
「ではグランドマスター・バルタヴィール、これよりは己の目で見、足で立て」
肩に掛かった重みが外され、僕は立ち上がる。
この瞬間、僕は魔道の世界で最高の存在である大導師、
八十年ぶりの、新たなグランドマスターになったのだ。
・・・・・・・・・
それからどんな式典が続いたか、周囲からの祝福を受けたかは、
あまり語る必要がないだろう。
嫌がらせのように長いお披露目や挨拶周りを終えて、
僕は書物のインク臭と瓶詰め標本から漏れる薬品臭のする、
我が懐かしき自室にようやく戻ってこれた。
「……グランドマスター・バルタヴィールか」
改めて自分で口に出してみるが、なかなか響きが良いじゃないか。
師匠のも悪くはないけど、僕の方が数倍良いな。
ペンを握ったまま、思わずにやけてしまう。
短かった下積みの時代ももう終わりだ。
これからは自分の研究の為に、自分の全ての時間を使うのだ。
自然にペンを走らせる手も伸びやかになる。
しかし、そうやって気分が乗っている時には、往々にして邪魔が入る。
「ウィル!? 帰ってきたなら一声掛けなさいよっ!」
いきなりドアを開けて入ってきたのは、同門のリシィだった。
本当はアレクシーナという名なのだが、僕らが七歳の年に同時に弟子入りして以来、
互いにウィル、リシィと呼び合う仲だった。
黙っていれば見た目は可愛い女の子なのだが、騒がしいのが欠点だ。
もう少し落ち着いて勉強すれば、遠からず導師になれる位の才能はあるのに。
「リシィ…… 人の部屋に入るときは、ノックぐらいしようよ」
「なーに? 独りでやらしーことでもシてたら恥ずかしいっての」
「いや、デリカシーの問題としてね……」
「あれ? なによ、認定式が終わったばっかりだっていうのに、もう次の研究に入ってるの?」
相変わらずの事だが、人の話を聞いてない。
許可も得ずにずかずかと入り込んだ挙句、机の上に並べた数々の図面を勝手に摘み上げる。
「なにこれ? 魔法建築の論文でも書く気?」
「……違うよ、それは僕がこれから住むことになる塔の設計図さ」
「えっ?」
「僕はグランドマスターになったんだよ。自分の研究施設くらい持つのが当然じゃないか」
「えええっ!?」
何を今更ビックリしているのかと、こっちが聞きたい。
大導師になってからも師匠のところで部屋住みをしているなど、それこそ前代未聞だ。
まあ僕のように、普通はようやく本格的な修行を始めるような若年で
グランドマスターになったケース自体が存在しないのだけど。
「そっ、それって…… ここから出て行くってこと?」
「そうなるよね」
指をパチリと鳴らし、指先から出た火花を設計図の上に落とす。
すると僕の魔力に呼応して、紙の中に描かれた図面が立体に浮かび上がる。
「塔の基礎部分の直径は二百五十歩。第一段階では地上六十階まで建てる計画だけど、
将来的には百八十階までの増築が可能なように、魔力炉をかなり大きめに設計してあるんだ」
「そんな資金、どっから手に入れたのよ」
「大導師会が出した試験を解くうちにね、自然とそういった類の物は手に入るんだよ」
僕は伊達にグランドマスターになったわけじゃない。
ある時は実験に使うために竜族の卵を盗み、またある時は密林の奥池に生える希少な植物を探し、
地上とその他の世界においてありとあらゆる冒険を達成したからこそ、
大導師会は自分たちに互する力を持つ魔法使いと認定してくれたのだ。
そうした冒険の最中に集まった貴重な宝物は、師匠に預けたり洞窟に隠したりしているが、
一番いいのは手元に置いておくことだ。
そのためにも、僕は独立した自分の住まいが欲しい。
第一、自分の塔を持つというのは、全ての魔法使いにとって普遍のロマンなのだ。
……と思っていたが、リシィは違うのかな。
なんというか、非常に微妙な顔をしている。
少なくとも、僕が塔を持つのを歓迎してくれてはいないようだ。
「無理に出て行かなくっても、お師匠様のこの塔を引き継げば良いじゃないの」
「あのね、リシィ? 引き継ぐって、師匠がお隠れになるまで、あと何百年かかると思ってるの?」
「うぐっ、」
魔法王国建国時のメンバーであり、数え切れぬ程の齢を重ねた偉大なる大導師バルディナが物故するには、
ひょっとしたらあと数千年紀かかるかもしれない。
先達が残した塔や洞窟を、所蔵物ごと引き継ぐというのは無い話でもないけれど、
そもそも僕はそんなに待つ心算はない。
「……いつ、出てくのよ」
「もう場所は決めてあるし、実は内定を貰ったときから建設の準備は始めてあるから、
明日から荷物を移していこうと思うんだ」
「でもまだ完成してないんでしょ? そんなに急がなくっても」
「いや、僕は自分の手で直接工事を進めるつもりなんだ。
誰の力も借りずに、文字通りの僕の塔、『タワー・オブ・バルタヴィール』を建てるのさ」
「……」
指をパチリパチリと鳴らして、内装の図面も立体化させる。
机の上は書斎、実験室、動植物園、宝物庫…… いろんな部屋が形になる。
もうじきこれらを幻像ではなく、実体の有る物にするのだ。
リシィと話してるうちに、何だか『塔持ち』になるんだという実感が湧いて来た。
なんだかんだ言って、やっぱリシィと話すのは楽しいな。
「ふっ、ふーんだっ…… 背伸びして豪勢な塔を設計しても、かえって失敗するんじゃないかしら?
鳴り物入りでグランドマスターになったは良いけれど、塔が崩れちゃったりしたら大恥かくわよ!」
「お生憎さま、そんなミスはありえないよ。僕が天才だって事忘れてるでしょ?」
「ぷんっ、何よこの寝室は? 童貞の癖に天蓋付きのダブルベッドなんて意味ないんじゃないの?」
リシィが指差したのは、僕が寝起きする予定の寝室の立体図面だった。
そりゃ建ててすぐに誰かと同衾するって訳じゃないけれど、ちょっとした事実誤認があるらしい。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「?」
「僕もう童貞じゃないんだよ」
「!!?」
その時のリシィの表情といったら、まるで世界が終わったかのような顔だった。
それとも『ドラゴンの胆汁を舐めたみたいな』と言ったら良いのか、
残念ながらこの僕の語学力でさえも、あの顔を言葉で表現するのは難しい。
「いつ…… したのよ」
「去年の今頃かな」
「誰と!?」
「ミグリファーさんと」
僕とリシィより先に入門していた兄弟子の弟子の弟子だから、
二人にとっては姪孫弟子とでも言うべきなんだろうか?
僕達二人に歳も近いし、リシィも彼女とは仲がいい。
面倒見がいい所が特徴で、サラサラの銀髪を後ろで纏めた髪型が素敵な、なかなかの美人さんだ。
おまけに結構おっぱいが大きい。
彼女は自分の師匠が亡くなったのを機に、大導師バルディナの元に身を寄せることになった。
才能は上の中といった所だけど、魔道士特有の奇矯な性格や偏屈さが無く、
バルディナ一門の導師の中では、一番親しみやすい女性だった。
「好きだったの……? ミグリファーさんの事」
「ううん。冒険に出る前に、女の身体について知ってた方が良いわよって言ってくれたから、
実地で教えて貰っただけ…… って、何するんだよリシィ!」
いきなりリシィはそこら辺のインク壷や本を手当たり次第に掴んで、僕に投げつけてきた。
慌てて魔法の壁を展開し、それらを凌ぐ。
「バカバカバカバカっ! ウィルのバカ!!」
「何が馬鹿なんだよっ」
「バカだからバカって言ってるのよっ! アンタなんかとっとと出てっちゃえっ!!」
罵るだけ罵って、部屋を荒らせるだけ荒らして、嵐のようにリシィは去っていった。
何だっていうんだよ、一体……
この僕を馬鹿呼ばわりするなんて、今や世界にあいつ一人だぞ?
それから暫くの間、リシィは僕と顔を合わせようとしなかった。
僕の方も、独立の準備が忙しくて彼女を気遣う所ではなかった。
理由も言わずに部屋で暴れた彼女に対して、僕なりに腹も立っていたのだ。
飛竜の背中に荷物を山ほど積んで何回も往復したから、
この部屋に残っているのは、身の回りの物だけになった。
空っぽの本棚と薬棚を見ると、なんだか一抹の寂しさを感じなくも無い。
きっと僕の後にも、誰か新しい弟子がここを使い、魔道士としての研鑽に励んで行くのだろう……
そんな感慨を抱きつつ、椅子に坐っていたときだった。
誰かがドアをノックする音が聞こえ、僕は扉の方へ意識を向ける。
「どうぞー?」
「……」
「珍しいね、ノックして入ってくるなんて」
「良いでしょ別にっ!」
リシィだった。
だが、どうしたことだろう。
ノックも変だけれど、心なしか顔が赤い。
風邪でも引いてるのだろうか?
「あっ、あのねウィル……」
「なーに?」
「この間は、馬鹿なんて言ってご免なさい」
「……わぉ」
正直言って、僕は心底驚いた。
そりゃノックして入ってくるなんていうレベルの椿事じゃない。
彼女が自分から非を認めるなんて……
「で、でもアンタが悪いんだからねっ。
私に内緒で、好きでもないのにミグリファーさんとえっちな事しちゃうのがいけないんだからっ」
と思ったら、またいつも通り論理が跳躍した。
僕がえっちな事するときには、リシィに一々認定して貰わないといけないのか? それは初耳だ。
「大体、いつもウィルはズルいのよ……
私が精一杯追いつこうとしても、どんどん手の届かない所に行っちゃうんだもの」
「仕方が無いじゃないか、僕は天才だし」
「……置いていかれるたびに、私がどんな気持ちになるか、考えた事ある?」
「一回も無いよ」
「そこはっ、たとえ無くってもありそうな事を言うべき所でしょ!」
「そうなの?」
「そーよ!」
僕は天才だから、天才以外の人の悩みや苦悩を経験した事が無い。
上手に嘘を吐けと言うのならそれなりにやってみるが、なかなか難しそうだ。
けれども、考えてみればリシィだって歳の割りに昇級は早い。
四十前に導師になれたら立派というこの世界だ。
二十歳までには導師位に手が届きそうな彼女については、同情するまでもないだろうに?
まあ、十三の誕生日を迎える前には導師位を手に入れていた僕とは、最初から比べる事は出来ないけれど。
「……」
「……」
なんというか、話題が切れてしまった。
謝りにきただけならば用事は終わったはずだが、リシィはまだ何か言いたげに壁に背を凭れかけている。
「ねえ、ウィル」
「ん?」
「アンタ、ミグリファーさん以外の女の人と寝た事あるの?」
「うん、地上で何人かと」
「ぐっ……」
冒険を重ねるうちに、そういう事態にめぐり合ったことが何回かあった。
そういう事を見越していたミグリファーさんの先見の明には、今も感謝だ。
だが、僕の女性経験に、リシィは何の興味があるというのだろう?
「じゃ、じゃあ、その中に、し、し…… しょ…… しょ、しょ……」
「しょ?」
「しょ、処女だった娘はいた?」
また不思議な質問をしてくれる。
ヴァンパイアでもあるまいに、生娘か否かなんてあんまり関係ないんじゃなかろうか?
でもまあ、聞かれたからには正直に答えておく。
「ううん、居なかったよ」
「そ、そうなの…… ところでウィル? グランドマスター認定のお祝いを、
私まだアンタにあげてなかったわよね」
心なしか、安心したかのような表情になったリシィは、またまた話題を変えてきた。
認定式から大分経っているので、本当に今更って感じだ。
「そういえば、貰ってなかったね」
「でも、アンタは私と違って地上のあちこち廻って、色々な物を集めたりしてる訳だから、
私があげれられる物なんてたかが知れてるわよね」
「気を使わなくっても良いよ、只でさえ荷物は一杯あるんだから」
「う、ウィル?」
「ん?」
「わ、私がアンタと、ねっ、寝てあげるっていうのは、ど……どうかしら?」
「……」
「ウィルは、まだ処女を抱いたこと無いんでしょ? だったら私が…… その、経験させてあげるわよ。
グランドマスター認定の、ご、ご祝儀にっ!」
つっかえつっかえ、やっと口から言葉を紡いだって感じで話すリシィ。
こんなに吃っていたら、魔法詠唱の実技で落第確実だ。
「かっ、勘違いしないでね。あくまでご祝儀よ、ご祝儀っ。
それに、アンタは経験してるのに私はまだってのが気に食わないから、その……させてあげるんだからっ」
「ご祝儀にしては、随分贈る側の態度がデカイね」
「うっ、うっさいわね! どうするのよ。私と寝るの? 寝ないの?」
真っ赤に頬を染めた上、顔をこちらから背けつつもリシィは言い放った。
しかしまた突飛な祝儀の申し出だ。
リシィの『処女を抱く体験をさせてくれる』という提案からして、まだ彼女は未経験なのだろう。
僕は、じっと彼女を見詰める。
特にその一部分を。
「……何処見てんのよ?」
「リシィの胸」
「ちょっ! いやらしい目で見ないでよ、バカッ!!」
そんな事言われても、実物を見もしないで寝るか寝ないかを検討するのは難しい。
そもそも、そっちからいやらしい事をしないかと聞いてきたのではないか?
まあ、さておき彼女の胸はかなり平坦な形状をしている。
これが彼女の肉体的成長の遅さからくるものなのか、はたまた今後もこのままなのか、
女体学に造詣が深くない僕には予測できない。
個人的な性的嗜好から言って、胸の大きな女性の方が僕の好みに合致するのだが……
「うん、決めた」
「えっ?」
「ご祝儀して貰うことにする」
「ウィル……」
どんな事であっても、未経験の事象を経験するということは一つの進歩である。
それに躊躇するのは、魔道を志す者としてあるまじき怠慢だ。
第一ここで申し出を断れば、彼女の心意気を無駄にする事になる。
この際胸のことはさておいて、同年代の処女の女の子との性交渉というものに挑戦することにしよう。
「ほっ、本当にいいの?」
「リシィが呉れると言ってきたんじゃないか。嫌なら最初から言わないでよ」
「私が言い出したことだもの、私は勿論オッケーよっ」
さっきまで何故だか不安に怯えているみたいだった彼女だが、
嬉しそうににっこり微笑んでくれた。
僕が断ると思ってたのだろうか?
「じゃあ、早速……」
椅子から降りて、僕はリシィの手を取った。
そして彼女を、これまでは色々な私物に囲まれて密林のようだったが、
今は全てが運び出されてこざっぱりしている僕の寝室へ連れて行く。
彼女の手は、ちょっと汗ばんでいた。
(続く)