「ぎぃゃあぁぁぁぁぁ―――っ!!!」
地下牢中に女の絶叫が響き渡っても、拷問吏は手を止めなかった。
本来これだけの大音声を間近で聞いたのならば、普通の人間は耳を塞がざるを得なかったろう。
だが、彼らは微塵も動揺しなかった。
拷問吏たちは鼓膜を潰された『聾宦官』なのだから。
王族に近侍する宦官の中で、宮中で行われる密談を盗み聞きすることを不可能にするために、
その聴覚を破壊する風習がこの大陸の一部に存在していた。
耳が聞こえない彼らには、拷問を受ける囚人の苦痛の声も哀願も聞こえない。
囚人を責め苛むことにかけて彼らほどの適任者もいなかった。
「公女様っ! お話します! 全てお話しますから、なにとぞお許し下さいっ!!」
女囚の哀訴を聞き流し、公女はさらに続けるように身振りで伝えた。
それを見て、さらなる地獄を味合わせるために、拷問吏は鋸を女囚の指にあてがった。
「…いやぁあぁああ――!」
囚人が恐怖に怯える有様を、公女は微笑みさえ浮かべながら眺めている。
その公女を呆れたように一人の男が見ていた。
誰もが近寄ることすらはばかるこの地下牢獄に、彼はわざわざ降りてきたのだ。
「いや、済まない… で、何の話だったかな?」
「貴方の配下の者達が、王都の住人に働く狼藉は目に余るものでね…
こうして苦情を申し上げに参上したのですよ。姉上」
「ほう? そんな惨い真似をさせているつもりはないけれど」
「こうして地下牢に篭っておられれば、地上のでの出来事はお分かりになりますまい」
「ふふふっ、地下は良い… 長く地上に居ると身体が乾いてしまう」
「ではお一人で地下墳墓にでも入られたらいかがです?」
「血を分けた姉に酷いことを言う奴だね。それに地下墳墓なんぞになんの楽しみがある?
私は死体には興味がないぞ」
アギャァァァァ―――!!!
再び女の絶叫が二人の会話を中断させた。
「あまり喚かれると話も出来ないね… 静かにさせよう」
公女が『囚人を黙らせよ』というサインを送ると、主に忠実な拷問吏は女囚の口に布切れをねじ込み、
叫び声が洩れないようにする。
声で命令を受ける事が出来ない代わりに、彼らは独特の動作による符丁によって
意思の疎通が出来るよう調教されていた。
「あの娘は一体何をしたというのです?」
「んー、あの女はね、先王派の残党の一人が召し使っていた者でね。
そいつの逃亡先と邸宅に残してあったはずの財宝の隠匿先を知ってる筈なのだよ」
「……ほう?」
「始めは私も優しく聞いたんだけどねえ。
『王の温情に背いた反逆者っ、貴様に私の忠義など分かるまい!呪われた弑逆者には死んでも教えないわ!』
…なんて言うものだからね。その覚悟がどれほどのものか試してやったんだよ」
「あの娘は先程口を割りそうな様子でしたが?」
「クククッ、お前は甘いよ。私はあやつに二十種類の拷問を用意してやったんだが、
たった二種も終わらぬうちに弱音を吐いたよ」
公家特有の冷たい美貌に笑みを浮かべながら、公女は話を続けた。
「敵とその財産を隠匿した罪、我らを罵った罪に加えて、自分の主を裏切る罪もあるのだから、
とても許すことはできないよ。『話しますから許してください』ではなく、
『話しますから殺してください』と言い出すまで、責め抜いてやらねば気が済まないのさ」
「姉上… 酷刑を乱用して住民を怯えさせる振る舞いは控えるべきですよ」
「ふっ、王都内での刑罰の執行と残党の追及については父上の許しを得ている。差し出た口を利くな」
そう言うと公女はもはや弟との会談に興味を失ったかのように、拷問吏に囚人の口から布を外すよう命じた。
「この件についてもう話すことは無い。文句があるなら父上を通してくることだ」
「………では姉上、我も地上に帰るといたしましょう」
男もこれ以上姉と話し合うことの無駄を悟った。
そして哀れな囚人達の叫び声が響く忌まわしい地下牢を後にした。
・・・・・・・・・・・・・・・
「まあ、このようなことがあったのだがな」
姉と会見した地下牢獄とはさらに別の場所、彼の手勢が駐屯している離宮の地下牢で、
公子バシレイウスはエレインに語った。
二人とも衣服を身に着けず、生まれたままの姿であった。
ただし、女騎士の腕には手錠が嵌められていた。
粗末な寝台の上で、今や敵同士になった幼馴染二人は寄り添っていた。
己を閉じ込めた男の腕の中で、エレインは震えていた。
だが、それは恐怖よりも敵方の所業のおぞましさからであった。
この牢獄も住み良い場所であるとは決して言えないが、
公女パトリキアのそれと比べれば、天国と地獄ほどの開きがある。
「いくら強情な近衛騎士といえど、姉上の手にかかっては秘密を守りきることはできまいな」
「………でしたら、私をパトリキア殿にお引渡しになったらいかがですか」
「馬鹿を言え、なぜ姉上に霊剣の手がかりを呉れてやる必要がある?」
先日彼女がこの地下牢に閉じ込められて以来、エレインに霊剣のありかを問いただすために
バシレイオスは時折ここを訪れている。
しかし、彼女の口から秘密が明かされることはなかった。
バシレイオスは彼の姉のように、エレインを拷問にかけて聞き出そうとはしなかった。
その代わり、訪れるたびに彼女を抱いた。
虜囚の身であるエレインには、それを拒むことはできなかった。
初めのうちに見せていた無意味な抵抗も、いまではほとんど行われていない。
聞く方も答える方も、結果は分かりきった形だけの尋問の後に、男の方から女の身体を求める。
そうした関係がここ二月ほど続いていた。
「それに姉上の手にかかれば、お前の身体に鞭を打ち、焼き鏝を当ることになるだろう。
女の尊厳の全てを蹂躙し、理性も希望も残らず磨り潰すのが姉上の性分だ………
我はお前にそのような真似をさせたくないぞ」
「あっ……」
女騎士の肌身を撫でながら、バシレイオスはそう囁いた。
エレインの身体には、年頃の娘の持つしなやかな肢体の底に、戦士に相応しい筋肉が秘められている。
だが男女の交わりを知ってからは、蕾がほころぶように硬さが取れ、ふくよかな柔肉が備わり始めていた。
当人にすれば、獄中生活の鍛錬不足のせいだと思いたかった。
しかし心とは裏腹に、交合に痛みではなく快楽を感じ始めていることは隠せない。
つい先程まで、敵であるはずの男の手管によって恍惚の極みに達して、
言葉にならぬ叫び声を地下牢に響き渡らせていたのだ。
(女の身体は何て不都合に出来ているんだっ… こんな仕打ちを受けても、私は………)
下腹に、行為の残滓がまだ感じ取れる。
火照った肉体は、まだ冷え切ってはいない。
女騎士の懊悩を知ってか、男の手は彼女の下腹を優しく撫でさすった。
男の手でそこを撫でられても、嫌悪どころか喜悦を感じてしまう。
そんな自分の変化は、エレインにとって不本意極まりないことだった。
「ところでエレイン、こうして情を交わし続ければ、そのうち我の子を孕む事もあり得るよな」
「っ!」
その言葉は、矢のようにエレインの心に突き刺さった。
指摘されるまでも無く、彼女もそれ位は承知している。
だが考えないようにして来たのだ。
男と女が関係を持てば、自然にそうなるものだとは分かっていたが、
正式に嫁ぐこと無く懐妊するという事は、由緒有る家の子女として最大の不名誉である。
しかし、現在自分の胎に子を宿すという可能性は十分にあり得る。
だが、それは想像するだけで震えそうになる事態であった。
「そこでこういう案はどうだ? 神器のありかを教えてくれるのなら、我はお前を正式に娶る」
「えっ?」
「そしていずれはお前をアヴァロン王妃に冊立し、二人の長子に王国を継がせるとしよう。
これは我が出来る精一杯だ… これ以上の譲歩は在り得ないぞ」
エレインは、己を真摯に見つめるバシレイオスの目が偽りを言っていない事を感じた。
だがそれは余りに突然、かつ信じられない申し出であり、問い直さずには居られなかった。
「しっ正気で申されているのですか?」
「我が無用な戯言を吐く男では無いと、お前は知っている筈だろう」
「ク…クラトリウス公子やパトリキア公女はどうなさるつもりです。
貴方の父が王位に就いたとしても、彼らの方が継承権は上位で………」
「お前の方こそ正気か? 奴らに国を治めることなど出来るものか」
己の肉親の事を語っているというのに、バシレイウスの声には憎しみすら混じっていた。
「兄は虐殺中毒、姉は拷問狂い、弟は白痴、妹は色魔………そして父はあの通りの権力欲の亡者だ。
こうまでろくでなしが揃ってしまうとは、アルトリウスの血脈は呪われているのかもしれないな」
「公子………」
「あいつらの誰が王となっても、この国に未来は無い。その点先王も同罪だ。
仮に父が反乱を起こさなかったとしても、いずれ今日のような結果になっていただろうよ」
「…」
「結局、王家の生き残りでまともなのは我とセシリアだけなのだ。
………どちらかが王とならねば、この国に未来は無い」
バシレイオスの嘆きに、エレインは返す言葉も無かった。
実際その通りなのだった。
バシレイオスの父が助命されたのは、先王の無能さと無気力に不安を抱く廷臣が多かった為でもあるのだ。
「父親と兄君、姉君を退けて、貴方が王になると?」
「そして王妃はお前だ」
「本気で……仰っているのですか」
「エレイン、我がお前に嘘を吐いたことはあるか?」
この公子が幼馴染の少女を騙したことは無い。
それは重々分かっている事だった。
(私が、公子の妻に…)
大神官家は権門と云えないとしても、家格が低いという訳でもない。
いずれ二人を娶わせては…という話も、以前宮中でもあったのだ。
(この求婚を受け入れれば、もし身篭っても…)
そのような考えが脳裏をよぎった。
だがそれは、主君に捧げた忠誠を裏切ることになるの行為だった。
「……お受けできません」
「我のことが嫌いか? それとも父上を殺した輩の一味と憎んでいるからか?」
「いえ………もし公子が其処に居られたのなら、父を助けるよう計らって頂けたはず。
そうならなかったのは、運命と諦めております」
「では…」
「バシレイオス公子…私も一人の娘として、貴方をお慕いしていた時期が有りました。
しかし、王家の神器を預かることになったのも私の宿命です。
己の身の安寧の為に秘密を明かしてしまえば、私は一生自分を許すことが出来ないでしょう」
「エレイン……」
「もし、私の胎に子が宿ってしまった時は……、公子のお慈悲におすがりするしかありません。
私の知るバシレイオス公子なら、罪無き赤子に惨い真似はなさらないでしょうから」
求婚を拒まれながらも、バシレイオスはそれ程失望を感じることはなかった。
心のどこかで、その回答を予感していたような気がした。
「そうか、だがそのように早急に答えを出さなくてもいい。
気が変わったら教えてくれ」
「はい……変わりましたならば」
しかし、バシレイオスは幼馴染の声に冒し難い決意が込められているのを感じていた。
身内の誰よりも気心の通じていた二人なのだ。
もはや翻意する事はあるまいと、彼は半ば確信していた。
「エレイン……… 霊剣の在り処以外に一つだけ聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「先程、我を慕った時期が有ると言っていたが、今は違うのか?」
その問いには、女騎士は答えなかった。
そしてバシレイオスも無理に聞き出そうとする事はなかった。
(終わり)