このページは、黒木玄さんによる論考をたどりやすくするための目次です
難解な箇所については別ページに註釈をつけました(作成中)
以下、上記原典サイトの各項目へのリンクです。内容要約は当サイト管理人によるものです。
2011年08月21日
「現在の学習指導要領解説算数編の57-59頁にある式への過剰な役割分担には問題があります]
Q20.kikulogのあるコメントについて
(引用)普遍的には通用しない無駄なローカルルールを導入しなくても
理解を把握する方法があるのに、無駄なローカルルールを導入して、
それにしたがっているかどうかを見て理解度を把握したことにし、
ローカルルールにしたがっていないだけで本当は正しい解答にバツをつける
のは明確に悪いやり方です。
本当にひどい話だと思います。
Q25.これは小数のダメ教師の問題なのでは?
(要約)広く使われている算数教科書の指導書でおかしな教え方がすすめられています。ダメ教師の問題ではなく、教科書を作っている側の人たちに問題があるように思えます。重大な問題です。
「○○の意味」の説明は「○○」自身が何かについての説明になることが多いと
思います。それに対して「○○の解釈」は決して「○○」そのものであることは
ありません。私はこの区別が非常に重要だと考えています。
Q29.難しい数学の話をしないように注意していますか?
(引用)はい、意識して難しい数学の話をしないように注意しています。
そもそもこの議論の本質は難しい数学の話とは無関係です。
少し難しいことを述べても構わないなら、以下のようなことを説明したかったです。
(管理人注:以下、「おはじきを並べる」考え方をそのまま応用して、面積、つまり連続量に発展させられること、分数、実数への展開などの話題が続く)
「自動車で時速50キロで3時間走ったらどれだけ進むか」のような問題に
は3×50=150キロと答えても50×3=150キロと答えてもどちらも正しい。
掛け算の式の順序にこだわることと「時速50キロ」が意味するところを
正確に理解することはまったく別の問題です。
(管理人注:この項極めて長文の豊富な論考です。ぜひ原文を参照してください)
Q38.「2×8ならタコ2本足」授業について
(引用)
朝日新聞社がこのよう授業を「花まる先生」の「公開授業」として紹介すること
によって、このような教え方であっても「まともな教え方である」という印象を
広めてしまわないかと心配です。へたをすると「素晴らしい教え方である」とい
う印象を読者が持ってしまう可能性さえあります。困ったことです。
(引用)
補足:上のリンク先にはどろんこさんのように妙な人たちが複数いてなかなか興
味深いです。特に面白いのは「理系」もしくは「理数系」の人たちへの強い偏見
です。まさにその偏見そのものにそれらの人たちの知性がどれほどであるかがよ
く表われていると思います。個人的にその手の人たちを理性的に説得することは
不可能だと思います。そのように考えると本当に暗澹たる気持ちになります。
この議論では「理数系」「文系」の区別では無意味です。分けるとすれば「まと
も」と「まともでない」かです。掛け算の式の順序に妙なこだわりを維持し続け
ている方々は「理数系」であろうと「文系」であろうとすでにまともではない状
態に陥っているとみなせます。
(要約)その通りで、実際には、「タコの足の数」「ウサギの耳の数」を掛け算では左側に書くという「俺様ルール」を徹底しているだけだと思います。
この「俺様ルール」は掛け算の式を「ひとつあたりの数×いくつ分」の順序に
書くというルールでさえありません。その劣化版になってしまっています。
これじゃあ掛け算の式の順序に関する特殊なルール(普遍的には通用しないルール)
に子どもたちを一時的にしたがわせるという犠牲を払った意味がありません。
算数では答はひとつでも、考え方は複数あります。
ある考え方ではピンと来なかった子でも、別な考え方
ではよく理解できることがあります。子供が試行錯誤
を通して自分が理解できる解き方を見つけられるように、
教師は複数の考え方を知っていてサポートできるよう
でなければなりません。
「図を描く」というのは中でも有力な方法のひとつであり、
それを指導しない先生には算数を教える資格がないに近い
と言えます。
(引用)
補足:言葉は便利でかつ強力な道具ですが、算数的な事柄について考えるときに
はむしろ言葉を使わずに直観的な思考を用いることが多いことはもっと強調され
てしかるべきことだと思います。文章題をスムーズに解くためには文章を算数的
な直観に翻訳する能力が必要になります。
Q48.和大の(理系)教員の村川猛彦さんの意見について
(引用)この手の話でよくあるくだらない馬鹿げたひどい誤解は、掛け算の式の順序の話と
「ひとつあたりの数」「いくつ分」の概念の理解の話を混同してしまうことです。
おそらく村川猛彦さんもその手の誤解をしているのだと思います。
(引用)
掛け算の順序にこだわっている教師や教科書指導書執筆者たちは
こだわった方が「ひとつあたりの数(量)」のような概念を教えやすいと
思っているのかもしれませんが、現実にはそうなっていないし、
掛け算の順序にこだわる教え方は「ひとつあたりの数(量)」のような概念
(より正しくは文章や状況を算数の文脈で正しく想像・解釈する方法)
を教えるときに害になりそうです。
むしろ、日本の算数教育が文章題に関して弱いのは
掛け算の順序を含めたくだらないこだわりを子どもたちに押し付けていること
が原因である可能性さえあるのではないでしょうか。
最終更新:2014年07月20日 23:06