掛け算順序支持派の主張の問題点は「抽象化」という言葉の意味を理解せず,算数・数学に対して過度の負担を押し付けることにある.
注)と言っている御本人を含む掛け算順序否定派(嗚呼ナンセンス)の大半の連中が「「抽象化」という言葉の意味を理解」していないようだ。彼等にとっては「単位」を考えない事,鉛筆6本を6と考えることだけが「抽象化」なのだ。ネットで拾ったかハウツウ本を拾い読みして手に入れた底の浅い知識で理解したと勘違いしているからそうなるのだ。数学に限って言えば次の黒木玄のツイートが参考になるだろう。
黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki
自分の意志で膨大な時間をかけてやってもらう以外に数学を真に理解してもらうことは不可能だと思う。授業にまじめに出席して予習復習もしっかりやった程度で理解できる分野ではない。普段の生活のあらゆる場面で数学のことを考えるくらいじゃないと。実際、数学関係者には挙動不審な人が結構多いよね。
Q.「抽象化」とは?
『抽象化(ちゅうしょうか)とは、思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は無視する方法である。抽象化において無視することについては捨象するという。従って、抽象と捨象は盾の両面といえる』(wikipediaより)
↑要約するとA.「抽象化」=「共通する性質だけ抽出し,他の性質は無視する」ということである.
もっとわかりやすく言い直せば,「グループ分け」である.
Q.そもそもなぜ「抽象化」するのか?
A.その方が扱いやすく汎用性・応用性が高いから
たとえば整理されずに物が散らばっている勉強部屋と,上手く整理(=グループ化)されている勉強部屋とでは,どちらの方が勉強しやすいだろうか? と問われれば誰もが納得してくれるはずである.
整理の仕方の例としては,「同じ科目のものでグループ化する」などがすぐに思いつく.これも一種の「抽象化」である.
科目は同じでも,中身は「ノート」もあれば「教科書」もあれば「問題集」もあるだろう.これらはすべて違うものだ.
だがその違いを無視して「同じ科目だから一緒にまとめよう」とした方が遥かに効率的に違いない.
(あまりいい具体例が思いつかないので,いい具体例が思いついた人は付け足してもらえるとありがたい)
それで,算数(・数学)との関係は?
A.算数(・数学)は抽象的だからこそ汎用性・応用性が高く実用に耐えうるものとなる
何も私は「むずかしいすうがくのおうようれい」(とひらがなでかくいみがわからないがそれはともかく)を話したいのではない.
(これらの話をするのには日常的な算数レベルの話で十分だから)
算数でまず初めに習うのは「数」だと思うがこれも「抽象化」されてできたものであることに注意してほしい.
現実に存在するといえるのは,「1頭の牛」だったり「1人の先生」であったり,「1羽の鳥」だったりするわけだ.
当然「1頭+1人+1羽」なんて演算は意味を為さないだろう.
だが,「牛」や「先生」や「鳥」といった細々とした違いを無視して,その「個数」だけに着目すれば
「1+1+1=3」とちゃんと意味を為すようになる.
小学生が初めに足し算を習ったときに疑問を感じるのは以下のようなことだと思う(多分ね).
問「皿の上にみかん2個とりんご3個をのせました.全部で何個ありますか?」→答「2+3=5個」
(→疑問:『みかんとりんごって違うものだよね? 何で2+3なんて足していいの?』)
これの答えとしては,「個数だけに着目して抽象化したから,2+3=5と計算できるようになる」.
つまり小学1年生の算数から,「抽象化」は始まっていたのだ.
足し算に限らず四則演算,話題の「掛け算」ももちろん,こういった意味で「抽象的」なのである.
無数の現実的状況 個数だけに着目して抽象化 単一の抽象概念
{1頭,1人,1羽}→→→→→→→→→→→→→→→ 1 (抽象的な数)
このように「抽象化」すると,様々な現実的状況が,単一の概念につぶされるのである.
これを経路Ⅰ(「現実」から「抽象概念」への経路)としておく.
であるならば,逆の経路Ⅱ(「抽象概念」から「現実」への経路)として,果たして抽象概念に対応する現実的状況は,
たった1つに限られるのだろうか??
もちろんそんなことはない.「1」という抽象的な数から,我々は「1頭の牛」を連想することもできるし,
「1人の先生」を連想することもできる.
「抽象化」によって多くの現実的状況が1つにまとめられたのであるから,
逆に抽象概念から現実的状況を想起すれば,色々出てくるのは当たり前である.
これを「1つしかない」と無意識に思い込んでいるのが掛け算順序固定派(の一部)の主張なのである.もしくは「これを「1つしかない」と無意識に思い込んでいるのが掛け算順序固定派(の一部)の主張なのである」と思い込んでいるのが掛け算順序の大切さ(数学的大切さ)に耳を傾けようともしない(または耳を傾ける学問的下地のない)掛け算順序否定派の大半の主張なのである.
3*4という抽象的な演算から何を想起してもそれは全くの自由のはずである.(あたりまえ。掛け算順序の大切さとは別問題。)
最終更新:2014年07月21日 00:02