掛け算順序批判派の考え方(モデル)
- 「立式」は複雑な現実を抽象化・単純化して捉え,記述・表現する手段である
丁度物がバラバラに散らばっている部屋を整理・グループ分けするようなものです.
そのための手段として算数・数学があると考えるのが一つのモデルです.
このモデルからは次の主張が導かれます.
- 「立式」の方法はただ1つには限られない
抽象化=整理・グループ分けの方法が1つに限られないことはすぐに納得してもらえると思います.
例えば多くの人が集まっていたとして,グループ分けする方法を考えれば,
「性別」で分けるとか「年齢」で分けるとか「国籍」で分けるとか,色々すぐに思いつきます.
そして多くの人をグループ化する方法としては,いずれも正しいのです.
単に状況(どういう風にグループ化したいか)によって,より適切であろうと思われるものを選択すればよいだけのことです.
算数の文章題を解く上でも,話は全く同様です.文章題を抽象化し,「立式」する上で,正しいものなど存在しません.
状況(どういう問題をどう解きたいか?)によって,よりよいものを選択すればよいだけのことなのです.
- 抽象化され「立式」されてできた式からは元の具体的状況はわからない
- それゆえその式は多様な「解釈」を許容する
掛け算順序固定派の考え方(モデル)
- 「立式」は(複雑な)現実をありのままに表現・記述する手段である
- それゆえ「立式」には正しい方法は1つしかない
- 「立式」されてできた式と現実の具体的状況は完全に1対1対応しているので,
「式」の解釈はただ1つに限られ,式を解説するコメントを付け加える必要がない
一言で言えば,現実を「抽象化」するのが算数・数学なのだという掛け算順序批判派の考え方とは真逆で,
現実を「ありのままに」表現するのが算数なのだというのがこちらの考え方(モデル)です.
(比喩的に言うならば,バラバラに散らばっている部屋は整理せずにそのまま扱えということです)
掛け算順序重視派の考え方(モデル)
タコ2匹分の足の総数を計算するのに2×8としようが8×2としようが正しい計算で正しい答えが出るということです。「ひとつあたりの数」が8で「いくつ分」が2であるとき、それらの積を「2×8」と書いても「8×2」と書いても良いことにしても良いです。ただし同数累加との関係はわからなくなります。だから、はじめから「2×8」と書いても「8×2」と書いても同じ、というのとはちがいます。
最終更新:2014年07月21日 00:04